平成15年 12月分

12月  31日(水) 夕方 雨が降る。これが夜まで続けば人出に影響すると思っていたら
         夜にはあがってくる。夜10時過ぎくらいまではテレビを見たが、紅白も曲を
         詰めすぎてゆっくりしない。曙VSサップを見れたらと思ってチャンネルをかえたら
         なんと米国国歌にスティビーワンダーが登場したのには驚いた。それだけで値打ち
         という感じか。鐘楼前には11時くらいから待つ人が出る。11時25分くらいから
         撞きはじめる。300人前後の皆さんに撞いて頂いたと思う。

12月  30日(火) 午後電話で福島区長がなくなられたという知らせが入る。何回かお目に
         かかったことがあり、若くて気さくな方で好感をもっていただけに驚いた。いろいろな
         公的な場に出られる事が多く多忙でおられたのだろうが、若すぎる。
         夜警二日目。無事終了。

12月  29日(月) 町内の夜警に参加。暖かいので助かる。少し雨がぱらついた。
         土砂降りになれば自然に中止になるのに、という声もあったがすぐに止む。
         11時過ぎに解散。

12月  28日(日) 正月用の花を入れる。松の芯が太い上に、梅やら千両の枝ものをいれたら
         華瓶が一杯になった。そこへ葉牡丹に菊を7〜8本入れたらもうむちゃくちゃになった。
         あるひといわく、岡本太郎みたい。芸術は爆発だ!松や千両は結構いい値段が
         するのでついつい鋏を入れるのがもったいない気がするのが余計に混沌に拍車
         をかける。これも貧乏性の上に美的感覚ゼロであっては仕方ないか。

12月  27日(土) いよいよ押し詰まってきた。なにをするでもないが気ぜわしい。
         年をとると一年が早いということをよく聞くが、新聞に10歳の一年は十分の一
         だが五十歳の一年は五十分の一だから、短く感じるのは当たり前というような
         ことを書いてある記事があった。確かにその通り。時間の凝縮度が違うということか。

12月  26日(金) 夜 楽僧の管別忘年会。心斎橋の中華料理店であった。以前から評判で
         一度行ってみたいと思っていた店で楽しみにしていたが、最初の前菜のくらげ
         を食べて、がっくりきた。強烈な旨み調味料の味。素材自体はいいものを使って
         独特の歯ごたえがあったが、味がこれでは残念ながらこちらの口には合わなかった。
         香港が本店だそうだが、あちらや中国本土でも調味料を大量に使うとは聞いていたが
         これだけ使うと後口が悪い。好みもあるのだろうが、日本の料理人の味付けが
         何料理でも繊細で一番おいしい。味覚に関しては国粋主義はゆずれない。

12月 25日(木) 午後 市役所の路政課のかたが例の案件で来られる。誓約書の文書を
         示されたがとても同意できるものではない。口では理解してくれているようでは
         あるが、文書にそれが反映されていないということは、理解は口だけか。
         こちらからも対案を示す必要があるかもしれない。

12月  24日(水) 今日も休みだったので、年賀状を印刷し宛名書きに一日費やした。
         枚数が以前の倍以上になり、宛名を書くだけで10時間以上かかった。
         座りずめだったので腰が痛い。

12月  23日(火) 午後は仕事がなく、読みかけだった田口ランデイの「モザイク」を読む。
         現在にこだわった小説だったが、その中に「百億の夜・・・」がモチーフに使われ
         ているのに驚いた。40年くらい前の小説だが、(小説では萩尾のマンガを読んだ
         ことに)まさに現在を状況を的確に言い当てたような取り上げ方。確かに科学礼賛
         のアメリカSFと違って、日本人独自の無常観をちりばめた話だったが、それが今と
         マッチングしているということに、日本SFの凄さをあらためて認識した。

12月  22日(月) 寒さもやわらぐ。夜 声明のお稽古。浄土和讃だが何回やっても完璧に
         はできない。死ぬまで勉強ということか。

12月  21日(日) 朝の会、厳しい寒さの中もいつものみなさんにおいでいただく。正像末和讃
         の9、10首目をたづねたが、「信仰が我執になる」という山田正紀の小説のことば
         を引用する。あとの座談はどういうわけかフセインの捕らえられた映像の話になる。
         独裁者も同じ弱い人間ということだ。

12月  20日(土) 凍えるような寒さだ。風も強い。今年は暖冬と言っていたのではなかったか。
         午後から本堂の花を入れる。ストーブで取り囲むようにして作業したが、足元が
         冷えた。

12月  19日(金) いっぺんに寒くなった。冬だからしかたない。お陰で年末の配布物が
         一度に配れた。いつもは半分くらい留守のところがあるのだが、これだけ寒いと
         皆 外出を控えられるようだ。二度手間にならなくてよかった。

12月  18日(木) 年末の週末で車が混む。ベートーベンの弦楽四重奏曲の15,16番を繰り返し
         聞いたが、濃密で計算された展開が交響曲より味わいやすくて結構面白い。
         まあベートーベンだからともいえるのだろうが。

12月  17日(水) 久しぶりの仕事が全くない一日。何をするとも無く過ごす。
         午後コーナンで大晦日のそばの椀を購入。最後の行事に向けて準備。

12月  16日(火) 昨夜日本酒をだいぶ飲んだので頭痛になるかと思ったが意外にすきっとする。
         新地から歩いて帰ったのでその間に適度に消化されたか。タバコをやめているのも
         よいのかもしれない。

12月  15日(月) 夜 7組の忘年会。ここしばらくアルコールを飲んでいなかったのですぐ
         まわるかと思ったが、なんとかしのげた。会計だけに支払が終るまでは正気を保たなければ
         と思ったのがよかったか。2次会は同じ日に重なった楽僧の忘年会組と合流する。

12月  14日(日) 夜 サダム フセインが捕まったというニュースが流れる。敗者は哀れだが
         生きて捕まるというのも惨めなかんじだ。これで状況が良いほうに変わってくれば
         グッドニュースということになるのだろう。

12月  13日(土) 堺の方の墓地に納骨に行く。むかしからある地域の墓地のようだが
         限られた地面に目一杯墓石が並び、しかも向きもばらばらで墓の正面で参ろうと
         すると他の墓石の縁に足をかけなければならないくらい。周囲は住宅に囲まれ
         拡げられる余地もない。まだ端のほうだからよかったが、これが中央のあたりだったら
         そこにたどり着くまでが一苦労だったろう。しかし地域にあるということはいつでも
         参れるし、近所の方の墓にも手を合わせられる。これはこれでいい。

12月  12日(金) 新聞は連日自衛隊イラク派遣の記事を載せている。議論はそれぞれの
         理由がつけられるのだから結局民主主義で選んだ人の決定によっていくことになる。
         ただ戦争状態の国に武器をもっていくのだから、撃たれたら撃ちかえすことになるのだ
         ろう。殺したくなくても殺してしまう「縁」を課してしまう。それは国民全体がせおわなけれ
         ばならない罪ということだろう。

12月  11日(木) 11時から新しく檀家になられた理容店に参る。二階の座敷にあがったが
         もう一軒ある理容店と階段から部屋の構造からそっくりなので驚く。まあ仕事の
         場所のこともあって似てくるのだろう。午後雨の中を線香屋が年玉用の線香を
         持って来る。都合もあるのだろうがこんな雨の中を持ってくることは無いだろう。
         物がものだけに湿気る気がする。そういう気配りがない時代になったのかもしれない。

12月  10日(水) 夜 区仏の総会が寺である。いつも17〜8人と思っていたら、23人も
         来られ慌てる。まあ仏教会という地域の仏教寺院の集まりというものは難しい。
         いろいろ意見が出ていつになく遅くなる。まあこの記念行事が花道になるのかも
         しれない。

12月  9日(火) 朝 本町にお参りのあと教務所へ寄り、懇志を納める。だいぶ集まって
         きたが、これからが大変。院号もあるのだが、これを懇志に回すか、経常費に
         回すか思案する。今年は御正忌の時も今までと違って全国紙に一面の告示を
         入れたが、もっと広報に力を入れて、御堂を何とかしなければという気運を盛り
         上げてほしいものだ。

12月  8日(月) 今朝はだいぶ冷えた。風も強まり、いよいよ手袋の季節か。
         午後買い物がてら中古CD屋をまわる。ベートーベンの後期の弦楽四重奏曲
         を買おうと思ったが、有る店でアルバンベルククァルテットの4枚組が中古で
         8千円とあったのでこれは高いとパスして他の店に行ったら2800円で同じ奏者
         の4枚組が出ていてすぐに買った。得した気分になった。

12月  7日(日) 午後から八尾別院の報恩講に参勤。これで2ヶ月にわたる報恩講
         シーズンが終了。なんとも長い60日だった。もう座配をしたのがとうの昔
         に思えてくる。充実していたというべきか、仕事に追われたというべきか・・・。
         夜 アルゲリッチとキーシンのモーツアルトの連弾曲の演奏を見る。才能
         溢れる二人がモーツアルトの企み以上に生き生きと曲を演奏するのを見て
         本物の凄さを感じる。そのあと様々な企画溢れる趣向の演奏があったが、
         レヴァインがピアニストであることを恥ずかしながら初めて知った。さすがの
         貫禄だった。

12月  6日(土) 今日は冷たい雨が昼前くらいから降り出す。法事が12時からあったが
         いろいろお供養の品を頂戴し、装束のかばんとその袋をさげてかさをさして
         自転車に乗るというサーカスもどきで帰宅する。土曜日で通行量が少ないから
         こそできる荒業だろう。

12月  5日(金) 5時から教区教化委員会の座配講習会。本山参衆の木村先生
         にお越しいただき、仏具の名称や荘厳についてご教授いただく。
         限られた時間で多岐にわたる説明と作法をお教えいただき、感謝!
         何回聞かしていただいてもそのたびに新たに頷かせていただくところが
         出てくる。生涯勉強ということか。終了後ミナミへ食事に10人くらいで出る。
         ふぐ料理、これからの季節にもってこいのチョイスだった。

12月  4日(木) 今日は久しぶりに朝から晩まで仕事。仕事がある、ということを
         喜ばないと申し訳が無い。明日からぼちぼち忘年会モードにも入るし
         気持ちを入替えないと。

12月  3日(水) 体調はだいぶよくなる。もお来年の予定を聞くことが多く、今年の
         手帖に書くこともなくなってきた。数日前に送ってきた某宗議会議員さんの
         現場報告のようなものに「光善寺が東に移ってきたから権威化した」というような
         記述があったが、何を根拠にそういう言い方ができるのか、それを書いていないと
         中傷になってしまうのではないか、と思った。

12月  2日(火) 幸い今日は午前中で仕事が片ずき昼から休む。寝てばかり
         もいられなかったので、久しぶりに本を読んですごす。が夜に急な仕事が
         入る。親がいるときはしんどいから行っておいて、と言えたが一人ではそれも
         かなわず。まあしかし本山や組内報恩講のH輪番いわく「死のロード」が終わっていて
         助かる。

12月  1日(月) とうとう風邪で倒れ臥した。ちょっと大げさだが仕事から帰ってきたら
         体がだるく、熱っぽい。夜 区仏の役員会があったが欠席の連絡をして
         早く寝た。たぶん本山疲れが出たのだろう。無理は出来ない。