10月 31日(日) 福島区仏教会主催の旅行で、天の橋立方面へ。天気予報は
         悪かったが、なんとか傘もささずに済んだ。ただ宮津のほうは先の
         台風でだいぶ水の被害があったようで、まだ道路にテレビや冷蔵庫
         が出してあったり、後片付けしている人がおられたり、地震でちょっと
         台風のことが忘れられそうになっているが、まだまだ大変そうだ。
         橋立付近も松の木が倒れていたりして、ちょっと観光という気分では
         なかった。食事もいまいちだったし、まあ100人くらいの団体になると
         入る店も限られてくるという事だろう。

10月 30日(土) 午前中高槻で法事。行きはすんなり行けたが、帰りは倍の時間
         かかった。阪神高速の空港線の工事閉鎖の影響。仕方ないことだが
         例えば夜間だけにするとかはできないものだろうか。またこういうときは
         こちらのほうが空いていると思って回り道しても同じ状態のことが多い。
         まあ慌てても仕様がないと気長になるしかないのだろうが。

10月 29日(金) 青草人を新しいコピー機で印刷したが、いまいち色の出がよくない。
         経費がだいぶ安くなったとはいえ、せっかく新しい機械にしたのにがっくりだ。

10月 28日(木) 午後報恩講の助音に。午前中フルに仕事してからだけに、声の出が
         よくなかった。もう少しプロ意識を持たなければ。

10月 27日(水) 地震発生以来4日ぶりに崩落した土砂の下から2歳の子供が生還した。
         奇跡的なことだ。残念ながら同乗の母と姉は助からなかった。命の不思議さを
         実感する。ただまた震度6の余震があったようだ。大地が安定しないということ
         の不安。精神的に参ってしまうような状況だ。

10月 26日(火) また雨。午後別院の報恩講出仕。この一座だけだったが、なんとか
         声が出た。結構気張って高くだしたつもりだったが、控に帰ってからの話では
         適当な高さだった、という声。ということはこちらがだんだん高い声がでなく
         なっているということか。夜 ドラマで久しぶりに感動する。ダウン症の子とその
         家庭のドキュメントをドラマ化したもの。松田聖子の押えた演技がよかった。

10月 25日(月) 地震の被害の惨状が日を追うごとに明らかになってきた。山間の村落
         は被害の状況が伝わりにくいようだ。

10月 24日(日) 今日は久しぶりに日曜の休み。といっても子供を連れて遊びに行く
         わけでなし。せいぜいひどい散らかしようだった机のまわりを整理するぐらい。
         しかし新潟の地震はひどかった様子。新幹線が脱線するとは。
         100%の安全はありえないことがはっきりした。

10月 23日(土) 夜 新潟で大きな地震があった。先月関西で比較的大きな地震があった
         のでこちらの南海地震のことが心配されていたら、まったく違う所で起きた。
         ただ違う場所といっても地球規模でみれば紀州沖と新潟はそんなに離れている
         わけでない。関連があるような気がするのだが、素人考えなのだろうか。

10月 22日(金) 昨日に続き組内の報恩講。初重の巡讃があたりちょっときつかった。
         夜 お勤めの稽古。手土産の当番だったがちょっと遅くなる。

10月 21日(木) 台風が通り過ぎたが、大きな被害が各地にあったよう。観光バス
         が立ち往生して、水に浸かり屋根の上で一夜を過ごされたというニュースには
         驚いた。水の恐ろしさ、政とは治水である、というのが政治の語源であるらしい。
         土建国家という批判もあるが、日本の地形から考えるとある程度土木に金をかける
         のも止むえない気がする。
 
10月 20日(水) また台風がきた。しかも今度のはこちらも結構ひどい状況になった。
         朝は小降りだったので大丈夫かと思ったが、昼前から本降りに。免許の更新
         の講習もあり、自転車で行ったがひどい目にあった。しかし大阪はこの程度で
         済んだのは軽微な方だったようだ。たんなる異常気象では片付けられないもっと
         根本的な問題があるような気がする。

10月 19日(火) 朝から雨。傘をさして衣で行くのもちょっと大層。午後教化委の実行委員会
         の今年度初会合。まあなかなかこちらの思い通りにはいかないが、いろいろなご意見
         を聞かせていただくのはありがたい。勤行本が出来ていた。まあこんなところか。
         もう少し時間があればまだまだ手直し(自分で納得できる形)にできたが、まあ個人の
         仕事でもないし、ひとりで頑張るわけにも行かない。

10月 18日(月) 久しぶりにHPのTOPICSを更新する。少し前にあたらしいぺージも開いたが
         まだ反応は少ないようだ。まあこれからあまり無理な事はせず、自分の得意とする
         分野でお役に立てるようなことを載せていきたい。まあ役に立つのは一部のひとだが。

10月 17日(日) 朝の青草人の会の話は「像法の時の智人も」の和讃。龍樹、天親の膨大
         なお仕事の中から時期に相応した教えを親鸞聖人が選ばれた、というような
         ことを話させていただいた。一生造悪という今のわれわれのあり方を、熊の出没
         と、地球温暖化の因果関係から説いていった。響きは少しはあったかどうか。

10月 16日(土) 朝7時過ぎにコミュニテーへ「わいわい」の準備に行ったら誰も来られて
         いなかった。時間を間違えたらしい。8時前に出直していったら民生委の方だけ
         来られていた。「ふれあい喫茶」は休みだったようだ。机を運んだり会場設営の
         お手伝いをして、仕事へ。11時半に帰れたので再度後かたづけを少し手伝って
         12時過ぎに仕事へ。夜は声明の練習。ばたばたした1日だった。

10月 15日(金) 夜 楽の練習。当役は当たっていなかったが、附物の練習台になるため
         に参加。さすがに声が疲れてきた。

10月 14日(木) 午後から茨木別院で声明作法講習会。また自作の持参した資料にミスが
         あった。もっと注意をはらわねば。電車で行ったので駅からそのまま「加津屋」で
         区仏の会合。帰宅は12時前。

10月 13日(水) 今日は報恩講。お天気には恵まれたが、平日だけにどうかと思ったらやはり
         彼岸より少なかった。もっと積極的に呼びかけをしていかなければと反省。
         式二段を自分訳で読んだが、もっと自分の言葉にしたらよかったか。どうしても
         原文にある程度忠実にと思ったら、もう一歩踏み込み不足だった。

10月 12日(火) 電話で午前11時半までに、と聞いたつもりでうかがったら、実は11時半過ぎに
         ということだったらしい。早く帰っておられたのでよかったが、思い込みによる早とちり
         には注意しなければ。

10月 11日(月) 昼前にお参りは終わり、報恩講の準備。花を入れるという大仕事から
         内陣のお荘厳、などばたばたしていたらあっという間に一日が過ぎた。

10月 10日(日) お朝事では、昨日の披露宴の席でのパイロットの方の祝辞の中で
         飛行機事故は30年前から激減した、それは機械によって安全が確保される
         ようになったから、しかしそれでもゼロにならないのは人間のミスがなくならない
         からだ、という話をもとに、私たちには絶対ということがないんだ、というような話を
         してみた。

10月  9日(土) 組内の友人の結婚式に楽僧として参勤。おめでたい席で演奏させて
         いただくのは、こちらまで晴れ晴れした気持ちになる。披露宴でも入場の
         時に奏楽。楽人の控室が設けてあったが、さすがリッツカールトン、ソファーがどこまでも
         沈み込むようなやわらかさ。今までこんな椅子に座ったことがないというような感触。
         4時頃にお開きかと思ったら、4時30分くらいになり、それからあわてて2軒お参りに
         行き、帰って着替えて6時の2次会に出席。8時過ぎまでおめでたい宴の席にご一緒
         させていただいた。

10月  8日(金) 昼前に立売堀にお参りに行って、そのままその筋向いの厚生年金
         会館での民生委員の大会に参加。30分以上待って1時から始まったが
         15分くらいで退席して、そのまま車で此花まで行き、今年最初の組内の
         報恩講に参勤。夜は楽の練習。当番になっていたので早い目に行って
         準備。いろいろな役回りを演じた一日だった。

10月  7日(木) また台風が来るらしい。これも地球の温暖化の影響であるならば
         二酸化炭素の排出の規制を真剣に考えていかないと毎年どこかで大きな
         被害が出ることになる。

10月  6日(水) 夕方近くのお寺の結婚式の打ち合わせ。自坊でするのは意味の
          あることだが、準備は大変だ。しかしこうした儀式を通して学んでいく
          ことも多い。帰ってからこんどは自分のところの報恩講のおみがき。
          いつも通りおみがきの場は女性陣にまかせて住職は一人で内陣の荘厳。
          和気あいあいとしてお寺が一番にぎわう行事。

10月  5日(火) ご遺骨の話が2軒であった。心情的にはいつまでも近くに置いて
          おきたいし、しかし土に還るという本来のあり方も疎かにはできない
          という悩み。納得の上で落ち着く所に落ち着くように道筋を示したいが、
          時間が必要な事だろう。

10月  4日(月) 寺の古い記録を漁っていたら、曽祖父母の葬儀中陰のくわしい
          差定がでてきた。中陰の和讃まで克明に記録されていた。和紙に
          墨で書かれていたのでいつまでも残っているのだろう。コンピューター
          の記録などいつまで残せるだろうか。

10月  3日(日) はじめてのマンションにお参りした。全ての部屋の扉が筒状の内側
          にあり、しかも40階建てということで、廊下側が暗い。見上げると遥か上
          のほうまで扉が並んでいる。SFに出てくる地底都市のような雰囲気。
          ちょっと圧倒された。

10月  2日(土) 堺のお参りのついでに京都まで行って、いろいろ頼まれていた
          仕事を済ましてきた。京都でないと片付かない仕事がどうしても
          出てくる。まあ車で便利になったのでそんなに苦にはならないが。
          どこに寄るでもなく本山周辺をうろうろしてすぐ帰阪した。

10月  1日(金) コピーの機械を入替えた。従来の会社のものを継続して
          使うことにしたが、別の会社の値段設定の話をすると、当初の
          見積り額より月7000円も下げてきた。いいかげんさに腹が立ったが
          信頼性も高いし、いまさら寺報を白黒にもしにくいので、同じような
          機械にした。まあその分存分に働いてもらうようにこちらが仕事を
          与えるようにしなければ。


平成16年10月分