平成17年 12月分

12月31日(土) 今年も恒例の除夜の鐘。夕方はちょっと風があって寒くなるかと思ったが、夜になると
         おさまってきた。11時半から始めたが今年はそんなに待っている方の列が長くならず、
         適当にさばけていったのでよかった。

12月30日(金) 今年最後のお参りも終わり、新年を迎える準備、これはどうしても女性の方の仕事が多く
         なってしまう。生活習慣が変わりつつあるので正月らしさは失われてきているが、それでも
         まだまだおせちの用意やそうじなど用事は多い。正月らしさの内実を変えていくか、家事分担
         の具体的なわかりやすいノウハウが必要となってきたような気がする。

12月29日(木) 夜 町会の夜警に回る。今夜は寒さはだいぶましな方。9時からまわって11時過ぎ
         まで。女性会の方や詰所を提供していただいた方などいろいろご苦労いただいている。
         ただだんだん古い方が来られなくなり、新しい人は少ないのでちょっと寂しい感じ。

12月28日(水) 正月用の花を入れる。今年は寒かったせいか10月にいれた松がまだ青々として
         いたのでここまで持った。正月の松も彼岸まで持ってくれればいいのだが。

12月27日(火) そろそろ仕事納めか幾分車の量も減ってきた。

12月26日(月) 年末の大渋滞。市内を行き来したがいつもの倍の時間かかった。いよいよ
         押し詰まってきた。

12月25日(日) グランプリでデイープが2着。順当だろう。初めての古馬との対戦、しかも不向きな
         中山ではあれが精一杯。むしろなぜ三冠のあと休養させなかったか疑問。

12月24日(土) ちょっと穏やかな日和に。郊外のお参りで駐車場を用意していただいたが、大きい方
         の車で行ったためちょっと入れるのに一苦労。格言 車の場合 小は大を兼ねる。

12月23日(金) 昨日の寒さで体調最悪。年末年始までに回復するか心配。

12月22日(木) 午前中激しい雪が降って、道路にもかなり積もる。自転車で回ったが降り始め
         だったので助かった。これが夜のうちに降った雪が凍った状態なら大変だった。
         いずれにしても12月にこれだけの雪という事は、今年は異常に寒いということだ。

12月21日(水) 風邪の状態が悪くなってきた。熱が出るわけではないが咽喉に痰が絡んでお勤め
        の最中に声が詰まってしまったり咳き込んだりする。それを防ごうと腹筋に力をこめて
        声を出すようにするがそれも疲れる。

12月20日(火) 設計事務所をされているお檀家さんで、構造設計のお仕事を専門にされて
        いるので、今偽装問題で大変だとか。これまでされてきたお仕事の再確認のような
        後ろ向きの仕事が激増したとか。一人が信用を損ねるような事をすると、全体まで
        疑われてしまう。それだけ社会的責任の重いお仕事だしプロとしての自覚が求められる。
        日本全体本当に大事な事を見失ってきているような気がする。

12月19日(月) 町会でお世話になった方のお葬式。D大の同窓のよしみでキタに何度か飲みに連れて
        行っていただいた。高校時代は甲子園で投手として勝ち投手にもなられたとか、
        人の命は儚いとはいえ、なにか寂しさが胸に込み上げてくるような式であった。
        夕方別院で久しぶりの教化委員会。去年お話いただいた先生のお名前がすぐに
        出てこず恥ずかしい思いをした。それにしてもこのごろ名前を思い出せなくなった。

12月18日(日) 知り合いの結婚式の披露宴に出席。新婦さんのこぼれるような笑顔がこちらまで
        幸せな気持ちにさせてくれた。清興も本職の狂言師さんの朗々たる狂言の一節があれば
        最後は見事な歌唱の「ストーリー」とセリーヌデイオンの歌(題は忘れた)で盛り上がった。

12月17日(土) 7組の忘年会。翌日に組内のお寺で結婚式があるということで2次会もなく、風邪気味の
        身には助かった。

12月16日(金) 小学校時代の恩師を囲んでのミニ同窓会。男女2名ずつと先生の5名で楽しい時間
        を過ごした。もう何十年も思い出すことも無かったシーンがたちまち甦ってくる。自分としては
        昔とそんなに変わってないつもりだったが、お腹のあたりを見て貫禄が出てきたね、と言われた。

12月15日(木) 珍しく電車でお参りに行ったら、東西線が一時不通になっていた。風でとばされた
        服が架線に引っ掛かったとのこと。このまま止ってしまったらどうしようと思ったが、なんとか
        動き出した。この時期風も強いしこういうこともよくあるのだろう。ともかく安全が第一だが、
        遅れたら少しでもそれを取り戻したいというのも人間心理、兼ね合いが難しい。

12月14日(水) 今年最初の忘年会。キタの料亭だったが、さすが老舗だけあってサービスは
        行き届いていた。気楽に過ごせる会とそうでない会もあるが、今夜は前者でよかった。

12月13日(火) 南港のほうへお参りに行った。風が強かったので澱んだ空気が吹き飛ばされて明石大橋まで
        きれいに見渡せた。

12月12日(月) 今日もさむい一日。遠方に行く時はトイレが心配。

12月11日(日) 寺での午後からの法事、ちょうど外陣の中央あたりにエアコンの熱気がおりてきて
         頭がボーっとしてきた。満中陰のときは「白骨の御文」を拝読するのだが、途中で「末代
         無智」と混ざり合ってきた。二日続きで面目ない。風邪気味のせいもあるのだが。

12月10日(土) 午前中の法事。陽射しが差し込んでくる部屋に大勢のかたがおられたのでちょっと
         のぼせたようになってしまった。多分暖房もされておられたと思うので、正直酸欠のような
         症状になってお経を読むので精一杯。冬の法事は難しい。寒いくらいのほうがこちらは
         助かる。

12月 9日(金) 本山の修復見学ツアーに参加。屋根のところまで上がったが、かつて下から
         見ていた感じよりは、小さい気がした。しかし大屋根を支える太い材木はもうこれだけ
         そろえるのは困難だろう。百年前とはいえその頃はクレーンもなく人力でこれだけ高層
         の建築を施行するのは、大変な日数と人数が必要だったことだろう。瓦洗いも経験したが
         大きくて結構大変だった。

12月 8日(木) 旭警察の近くのマンションのお参りに、コインパーキングを探したが、近くには見当たらず
         バス停でふたつくらい離れた所に駐車。それでも歩いて十分少々。これくらいは歩かなければ、
         と気を引き締めた。

12月 7日(水) 今年最後の報恩講参勤。伽陀が全体ちょっと高すぎる。最後の直入くらいは
         下無でもいいが、あとの4章はもっと低くしないと声が持たない。まあこちらは楽器
         で附ける方だから苦労はしないが。

12月 6日(火) 今日は寒い上に雨が降って冷たい一日に。今年はちょっと寒さが厳しいような
         気がする。夜7組の教化委で来年ご講師をお願いしている先生と打合せを兼ねた会食。
         歴史を専門とされている先生で、東西分派は石田三成の策謀というお話、歴史はまだまだ
         わからないところがあるし、真実はまだまだ容易に顔を見せない。

12月 5日(月) 6年ぶりくらいに箕面の桜井の方にお参りに行った。うろ覚えだったが曲がり角
         の瓦葺の塀を見て思い出した。阪急沿線の住宅街はあまり変わりがないように思う。
         多分早くから住宅開発が行われていたからだろう。ゆったりと家の周りに緑が
         あるような住宅は、今となっては貴重。そのうち一軒の宅地から4軒くらいの家を
         建てるような再開発が行われるのだろう。

12月 4日(日) のびのびになっていた先月の青草人の会をやっと行う。「二尊のみことを
         たまわりて」というところの話。百聞は一見に如かず、という言葉があるが、逆に
         百見は一聞にしかず、ということもあるというところから、この前聞いた震災の
         語り部の方の話を聞かせていただいて、どんな映像を見るよりも震災に現実が
         心に伝わってきた、という話の展開に。

12月 3日(土) 夜久しぶりに友人と飲みに出る。福島界隈でうろうろして最後はワインに店に。
         しかしワインはちょっと悪酔いの気があって翌日は頭痛にさいなまれた。反省。

12月 2日(金) 知人の結婚の御祝を持参。午前中は時間があったので今日にしたが、偶々この日
         は大安だった。日を選ぶというつもりは無いが、なんとなく良かったような気がするのは
         やはり良時吉日に捉われているからだろうか。

12月 1日(木) 今日から来年のカレンダーの配布。この月は、もう一年が過ぎようとしている
         時のたつのは早いなあ、という話をどれだけすることになるのか。