平成18年 4月分


4月 30日(日) ようやくの休日。混沌としていた部屋の整理を行う。知らない間にいらないものが溜まって
        いて、いつもゴミ袋ふたつ分は一杯になる。特に書類関係が多い。ペーパーレスの時代がくれば
        とも思うが、そうなるとPCにファイルがあふれて収拾がつかなくなるだろう。頭の中に情報を溜め
        込めればいいのだが、ほとんどザル状態ではある程度書類を残しておくしかない。

4月 29日(土) 蓮如忌を勤める。少し雨がぱらついたようだがまずまずのお天気。といってもご法話で
        いい天気悪い天気を決めるのは人間の勝手というお話しがあった。いただいた命をありがたく
        受け止めていくという話でした。最後に中村久子さんのお言葉を頂戴した。

4月 28日(金) 今日は快晴だった。翌日の準備をしながらこの天気が続けばと願う。テレビでは前日保釈
        になった時代の寵児の映像が流れている。8キロ痩せたそうだが、かえってさわやかな印象。
        それに較べて阪神株を買い占めている人物の映像はだいぶ前のものだろうが、ギラギラして
        あまり好ましくない印象を受ける。マネーゲームというのは人間の顔つきも変えてしまう。

4月 27日(木) あるお檀家さんでクラシックのCDをいただく。このHPを見ていてくださって、わざわざ聞いて
        いない曲を選んでくださった。ありがたいことだ。早速帰りの車中でチャイコのピアコンを聞いた。

4月 26日(水) 本堂の内陣に打敷をかける。花瓶の上げ下ろしがきつい。しかし本堂のお荘厳が住職の仕事。
        ご崇敬の念をもって準備する。

4月 25日(火) 午前中風が強かった。そのせいか黄砂もかなり舞っていたようで車がほこりだらけ。
        書評欄で見ただけなので確かな事はわからないが、黄砂も中国の亜硫酸ガスの大気汚染
        を中和するはたらきがあり、酸性雨を緩和しているとか。

4月 24日(月) 大和のお寺の法要のお手伝いに。久しぶりだったので文類の早草は全然口が回らなかった。
        やはりもう少し練習していかなくてはと反省。

4月 23日(日) 今日の法事でいろいろご相談になったりしてご準備されていた方がお見えにならなかったので
        お尋ねしたら、体調を崩されたとか。ちょっとこのごろ時候が不順な感がある。季節の変わり目が
        もう二ヶ月近く続いている。あるいは黄砂も影響しているのだろうか。

4月 22日(土) 午後から本堂の花を入れる。ヒバの芯に黄白の菊というおなじみのパターン。どうもいつも
        ヒバが大きすぎるように思うのだが、なかなか思い切って枝を落とせない。造型の美的感覚が
        欠如しているのだろう。あるいは単に貧乏性ということかもしれないが。

4月 21日(金) 北御堂に仕事で初めて行った。正面から入るとあの階段はきつい。これだけ敷居を高くする
        必要があるのか、と他所ごとながら参拝する方のご苦労を心配。午後から親戚の寺の法事。
        その時いただいた満中陰のあいさつ文に感動。亡きお父さんの求道の生活を「求め求め求め」と
        動詞を三回重ねるという事で的確に伝えられてあった。

4月 20日(木) あるお檀家でお香を頼まれていて、寺を出るとき用意してあったものがなかったのでてっきり
        先月持っていったと思っていたらまだという事だった。どこに置いたのか不思議。このところ物忘れ
        がはげしい。まあそういう年齢になってきたということであせることはないが。

4月 19日(水) 夜おみがき。女性ばかりなのでひとり男性が混じると話が弾まなくなると思って内陣でお道具
        の金具を磨いた。銅の輝きは出たが、元々金箔が押してあったと思われ、そこが黒くなっていたので
        磨いてしまったが、ちょっとそこだけ異質になってこれでよかったかわからなくなった。しかし
        やってしまったものは仕方ない

4月 18日(火) 夜声明の指導を寺で。教えるという事は難しい。絶対の自信がないと過ちを指摘できないし
        それを修正していくことも難しい。教えるという事を通して教えられる事の方が多い気がする。

4月 17日(月) 本来休みの日だが、臨時のお参りが4軒。まあもう休むよりも少し仕事があった方がリズムが
        いい。ワーカホリックとまではいかないが、貧乏暇なしが板についてきた。

4月 16日(日) 朝の青草人の会は、不思議という事の話をした。自分でわかったつもりになるのがあぶない。
        不思議を不思議としていただいていくところに他力の教えの真髄があるという展開に。

4月 15日(土) 夜所用で京都へ。かなり雨が降っていた。京都の町はメーンの道以外は幅が狭い。昔から
        の町並みを維持しているからだろうが、雨の日の夜、傘を差して歩いていくすぐ横を車が通り過ぎる。
        スピードは出していないがやはり歩きにくい。歩道をつけるスペースはないだろうが、古さを保つと
        いうことと、時代に対応するということのバランスは難しいものだ。

4月 14日(金) 吹田のご門徒の近くの禅宗の寺が競売にかけられていたらしい。その方と一緒に見に行ったが
        山門と本堂、庫裏も新築でしかも見上げるばかりの立派さ。だいぶ借金をされて建てられたの
        だろうがもったいないの一語。聞いてみると地元でも由緒あるお寺のようだ。こういうものは宗派で
        管理される方がいいと思うが、金銭がかかっているだけに難しいのだろう。

4月 13日(木) 4時から別院で会合。久しぶりに上った瓦懇志を教務所へ持参。全国的に4割近くが完納という
        ことだがここからが難しいのだろう。集まるところはさっさと完納されるし、あとは困難なところが残る。

4月 12日(水) 2月に続いて別院で筑波大の今井先生のお話を聞きに行く。歴史資料から人間像を読み解く、
        そこから新しい視点が出てくる。60歳で関東から京都に帰られたのはなぜか、という疑問も当時の
        平均寿命は40代後半ということであれば、最後は生まれ故郷で迎えたいということであったろうという
        解釈。われわれは90歳のご生涯というところから見てしまうが、よもや聖人もそんなに生きられるとは
        思っておられなかったろう。そういうことであればなるほどということになる。

4月 11日(火) ちょっと雨模様の天気。どうも3月から雨が多い。雨が悪い天気とはいえないが、外を自転車で走り
        回る身にとってはちょっと辛い。

4月 10日(月) 夜 七組の組会。5月の研修旅行の行程が決まる。司馬遼太郎の「街道を行く」にでてきた
        天草の真宗寺院の参拝を提案していたが、島原泊りで長崎観光がメーンであればだいぶ遠回りに
        なるという事で却下。短い日程では止む終えないか。

4月  9日(日) 今日も快晴でお花見日和。といっても休みを取れるわけではないが。

4月  8日(土) 今日は車で走り回って車中から花見をしたが、遠くの景色がかすんでいた。花霞であれば風情
        があるが、黄砂の影響らしい。大陸から運ばれてくる砂粒が年々増えているような気がする。温暖化
        砂漠化ということをなかなか実感する事は少ないが、見通しの悪い生駒の山並みを見ながら砂に
        埋もれていく世界を想像した。

4月  7日(金) 夜桜見物に大川縁へ。ハナキンだったがそんな人込みという事はなかった。しかし桜は満開。
        そんなに木自体は大きくなっていないが、やはり桜はいい。屋台でいろいろ買って花見で一杯という
        かんじ。そのとき面白い光景にでくわした。会社の同僚数人で屋台で注文したあと、幹事らしき一人が
        「チェックして。それから領収書もらえるかな。もらえるとありがたいんだけど。」この言葉に屋台のオッサン
        も目が点になっていた。花見にきて屋台で飲み食いする金額くらいしれているだろう。それも経費で落とす
        のかどうかしらないが、野暮という感覚は日本人から消えつつあることを実感した。

4月  6日(木) 子供(大学生)は車の免許を取っているのだが、今まであまり運転していなかったのに大学のクラブの用事
        ということで車で出かけた。平日でちょっと心配だったが無理はしないだろうとは思っていた。何とか無事に
        帰り着いたようだが、京橋から住吉の方へ回ったとのこと。まあナビをつけているので迷う事は無いだろうが
        市内の中心を走りぬけたことになる。何事も経験で自分もしてきたことだが、親に心配かけていたであろうことが
        今になってわかった。

4月  5日(水) 花まつりの日は、雨がおおいが今日も昨日の夜からの雨が残った。それでも人数的にはいつもより多い
        くらいか。あまり関わってこなかったのでその他大勢という役どころだったが、まあ盛況でよかった。

4月  4日(火) 夜また雨に。区仏の恒例の花まつりの準備。お土産の袋詰というこれまた数十年続いている
        単純作業。作業は同じだが、その顔ぶれは少しずつ変わってきた。いつしか結構こちらが古株に。
        子供の数も減ってきているが、続けることに意義があるのだろう。

4月  3日(月) 夜 友人とJAZZのコンサートへ。オーネット コールマン、JAZZ界の新しい頁を開いた伝説の巨人。
        しかし齢70を越え、果たしてどれだけ吹けるのかという一抹の不安もあったが、最初の演奏が始まった途端
        それが杞憂であったことが明らかに。ベース二人にドラムという変則な編成だったが、ベースは一人が指で、
        もう一人は弓で弾いていたので、違和感はなかった。オーネットはアルトからトランペットに持ち替えたと
        思ったらヴァイオリンまで弾きこなし、まさに独壇場。伝説の巨人は真の巨人だった。年齢を重ねても
        デイグしていく姿勢に感動。終ったあと友人とその友人のHPの常連であるSF作家の堀 晃先生とビールで
        コンサートの余韻を楽しみつつSFの話などもしながら楽しい時間うを過ごした。

4月  2日(日) 昨日に続いて春の法要参勤。主管があたっていたので緊張。音取で指が少し他の管にあたったよう
        だったが、自分ではどんな音が出ていたかわからない。といってももう録音してあったとしてもそれを聞く
        気にはなれない。E ドルフィーの言葉に「一度奏せられた音は 二度と捉まえる事は出来ない。」とあったと
        思ったが当にその通り。しかしもう少し練習しないといけないか。

4月  1日(土) 本山の春の法要参勤。三年ぶりだが今回は阿弥陀堂ということでだいぶ狭いかんじはいなめない。
        今日は主管でないので気が楽だったが、伽陀が意外に高く出ていた。御正忌よりは軽いから壱越くらい
        かと思ったら、平調はより少し高い目で出ていた。帰り仏具屋をのぞいて昼過ぎ帰宅。