平成19年1月分

     

1月 31日(水) 午後から久しぶりにジュンク堂へ。最近は買う本は新聞の書評だのみ。
     あまり難しいものは敬遠したいのでおのずと文庫本が中心になる。その文庫で
     今一番売れている本は山崎豊子の「華麗なる一族」。もうだいぶ古い本だが
     再ドラマ化の影響で売れているよう。同じ著者の「白い巨搭」といい何十年も前
     の小説がいまだ人気があると言うのは人間が描けているからだろう。人間の性
     というのはいつの時代であってもかわらないということか。

1月 30日(火) 本願寺派のご縁のあるお寺さんから、少し前にお問い合わせがあり、
     明治元年に明治天皇が大阪に来られた時、行在所とされたのが津村別院で
     あったのか難波別院であったのか、大谷派に資料を調べて欲しいということで、
     難波別院史からコピーして送らせて頂いた。大阪遷都の話もあり、当時大阪で
     仮の御所として使えるのは東西本願寺の別院ということになったのだろう。

1月 29日(月) 夜楽僧の練習。もうこれからは声明の練習よりこちらを主としていくこと
     にした。

1月 28日(日) 久しぶりに音木を打って緊張した。大経なので読みはなんとか
     なるが、法中が多いのでこちらのテンポで打てるか心配だったが、助音に
     大先輩の方がいてくださったのでなんとか失敗せずにいけたと思う。帰って
     右手の指を見たらすりむいていた。

1月 27日(土) 浄土宗の管長さんが勇退されると言う話が出た。なんでも100歳に
    なっておられるとか。永平寺の長老もかなりのお年であったようだが、やはり
    僧侶は年齢が高い方のほうがありがたいという感じがするだろう。もちろん
    それなりの徳を積んでおられるから後光がさしているようにも見えるのだが、
    そこまで頑張れるか、多分齢を無駄に重ねたようなことになりそうだが。

1月 26日(金) このごろはお墓の相談をよく受ける。家というもののあり方が大きく
     変わろうとしている現在、お墓の事も切実な問題となってきている。もとより
     仏教では執着を離れるということを是としているのだから、お墓を絶対視する
     ことはないのだが、人間の感情としてこうした問題にも真剣に答えていかなく
     てはと考えている。

1月 25日(木) 諸般の事情で今日は能勢、堺、関目、奈良を回る一日。昨日今日で
     走行距離は500キロ近く。愛車に感謝。

1月 24日(水) 久しぶりの休みだったのでドライブに出かけた。淡路島を通って鳴門
     まで。天気もよく暖かで、淡路島ではもう水仙が満開に近い。島の南端の
     道の駅で食事をしたが、これが快晴の鳴門海峡を眺めながらの豪華海鮮丼。
     リーズナブルな値段で満腹になった。そのあと鳴門側に渡って、鳴門大橋を
     途中まで歩いて行けるようになっていて、真上から渦潮を見た。雄大な景色に
     気分爽快。その時携帯に転送電話がかかってきて真っ青に。

1月 23日(火) 午後から寺報の原稿書き。先月号のドラマねたが一部に好評だった
     ので、今月はワイドショーねたから入ることに。とにかく読んでいただかないと
     意味がないのだから、週刊誌の見出しを参考にしなければ。

1月 22日(月) 今日も穏やかな一日。この冬はこんな日が続いているが、お参りさき
     で今から夏の暑さが思いやられるという話も出た。世に心配の種はつきない。

1月 21日(日) 「青草人の会」の和讃は『釈迦の教法ましませど』のところ。この一首
     だけを見ると、お釈迦さまを軽んじているといわれても仕方がないような厳しい
     言葉が使われている。これは末法の世のありさまを述べられてあるのだが、
     末法を他人事と捉えていたのでは意味がない。自分が末法の世の濁りを
     作り出しているという自覚に立ってこの和讃を受け止めていかないと、という
     話に。

1月 20日(土) 構造設計をされているお檀家さんのお名前が工事現場に記されて
     いたのでその話をしたら、今までは構造設計の名前を出す事はなかったよう
     だが、例の事件以来、名前を掲示してもらうようにされたとか。確かに迷惑な
     事件だったが、それを契機に今まで見過ごされてきた構造の重要さが認識
     されてそれはよかったのではないかとこちらで勝手に思った。

1月 19日(金) 温雅会の総会。追弔法会の導師を急に頼まれる。まあ立場上仕方
     ないと引き受けたが、お経は音程が低いので得意ではない。

1月 18日(木) 夜声明の勉強。試験があるということで勉強に来られているのだが
     もし指導の仕方が悪くて不合格になった、ということになったら責任を感じる。
     受験者のレベルがどの程度かにもよるが、基本さえできていればそんなに
     難しい所を出題されることもないだろうと勝手に思っているがどんなものか。

1月 17日(水) 民生の調査活動。区域を回るが昼間の世界と夜の世界では状況
     がまるで違うので、昼間の調査でどれだけ実態がわかるか疑問。とはいえ
     夜に回るのもこの時期辛いものがあるのでよしとするか。

1月 16日(火) 今日は地域の新年会。丸いテーブルに適当に座るようになって
     いたのだが、どうしても同じ町会のもの同士で座ろうとするので席が足りなく
     なったりする。人間というものはどうしてもつながりが必要ということなのだろう。

1月 15日(月) 区の仏教会の新年会。梅田の駅前第三ビルの32階の日本料理
     の店。いつもこのビルの地階でうろうろしているが、上に来たのは初めて。
     視界が広がってよかった。

1月 14日(日) 昼から神戸方面で長時間ドライブになったので、モーツアルトの
     ヴァイオリンソナタを聞いていったが、得意の楽器の組み合わせにしては
     どうも曲が今ひとつな感じ。聞き方が悪かったのかもしれない。なにしろ
     サロンとは言い難い車の中という条件がこの曲にそぐわなかったか。

1月 13日(土) 朝8時からフル稼働の一日。いろいろな方と話が出来て有意義な
     一日。

1月 12日(金) 福島にまた40階くらいのマンションができるという話。摩天楼化して
     くるのは仕方がないが、そのうち空が見えなくなってしまうのではと不安。

1月 11日(木) 夜、お勤めの練習に組内の若い方が来られる。教えることでこちらも
     いろいろ学ぶ所が出てくる。

1月 10日(水) 組内の新年会。いつも全員揃うのだが、今年は欠席された方が
     あった。お忙しいのだろうが、なにか盛り上がりに欠けるような気がしたのは
     自分だけだったのだろうか。

1月  9日(火) 今年は年初めに連休があったせいか、今日からが仕事始めの感
     がある。年初めから衝撃的なニュースが報道されているが、「夢がないね。」
     といわれたから、というのはわからないでもない。それが人の命を奪うことを
     正当化するものではないのはもちろんだが、自分の夢を否定される事は、
     全存在を否定されたような気がしてしまうだろう。それでもどっこい生きている
     と開き直れればよかったのだろうが。

1月  8日(月) 風は強かったが天候は回復。成人の日が第二週の月曜ということ
     で今日も休日だが、どうも無理やり連休を作るような祝日のあり方は解せ
     ない。祝日のいわれというものがないがしろにされ、その意味するところが
     忘れ去られ、日本の文化を衰退させてしまうのではと思う。

1月  7日(日) 午前中は強風にみぞれ交じりの雨。傘を差すのも困難。それでも
     午後からは天候も回復。今年の初法事を行う。

1月  6日(土) 今日から本格的な仕事でがんばろうと思っていたら、いきなり雨。
     しかたがないとはいえ冬の雨はきびしい。

1月  5日(金) 今日から仕事。といってもまだ1軒だけだがまた一年が始まった
     という気分。

1月  4日(木) 古いこじんまりとした温泉で、チェックアウトが12時ということで
     ゆっくりできた。

1月  3日(水) 今日もおだやかな日和。午後から家族で近場の温泉へ。もう
     こういう家族旅行する機会もないかもしれないと思うと少し感傷的な気分。

1月  2日(火) 修正会の二日目。かつてお寺のお世話をいただいていた方の
     思い出などを話しながら朝からお酒を少しいただきました。午後は年賀状
     を見ながら時間を過ごす。今年は去年いただいた方の住所をPCに取り込ん
     だので、そのままプリントアウトしたので、ほとんど出し忘れはなかった。ただ
     手書きのほうが良かったかなという後悔の念は残る。ただこれだけ枚数が
     増えるといたしかたないのでは、とつい自分に言い訳してしまう。

1月  1日(月) 除夜の鐘に続いて修正会。例年より多くの方がご参列いただき
     ありがとうございました。おとそとお節をともにいただき新たな年をともに
     迎えました。