平成19年3月分

3月 31日(土) 箕面墓地へ。このところ墓というと箕面が多い。以前は
    服部も多かったが、偶々箕面が続いている。箕面の山並みが見えて
    景色はいい。車で奥まで入っていけるのもありがたい。

3月 30日(金) この季節、おじいさんおばあさんとお孫さんが家におられ
    る事が多い。そんなときお参りするとご一緒にお勤めされる。
    見よう見まねで手を合わせたりされているが、そういうことが大切
    ではないだろうか。手を合わせて感謝する、あるいは崇めるような
    ものがあるということが幼い心に刻み込んでいただけたら、それが
    なによりの家庭教育だろう。

3月 29日(木) 4月の青草人を印刷したが、どうもカラーがきれいに
    出なかった。赤とか黄色とかはっきりした色だときれいに出るの
    だろうが、赤と黄の中間色だとどうしてか黄色が強く出るようだ。

3月 28日(水) 子供が本山の役宅に入るので午後から荷物の搬入。
    しかし部屋を見てびっくり。まあ初めは見習いの身だから仕方ないが
    身体にはくれぐれも気をつけるように言っておいた。

3月 27日(火) 昨日に続き得度講習。大経、観経は読んでいくだけで
    時間いっぱい。しかもゆっくり読んでいると、観経はこちらが思いっきり
    間違えてしまった。ただ教えに出会っていただくために初めに
    こういう経文がありますよ、と説明しておいたので少しは気付いて
    いただけたらよいのだが。その文は「特留此経」と「念仏衆生 摂取
    不捨」。

3月 26日(月) 得度準備講習の指導。得度の講習になぜ声明の練習が
    多いのかということを少しだけ説明した。僧侶になるというより精一杯
    僧侶のふりをしてください、そのためには正しいお勤めをしていただか
    なければなりません。という展開の話だったが、短すぎて中途半端
    だったか。

3月 25日(日) 法事の席で、阿弥陀の”阿”は続く事柄を否定する意味と
    いう話をしたら、あとでお参りされていた方から、アトムのアも意味する
    ところの原子はそれ以上分ける事が出来ないということなので、やはり
    否定の意味を持っている。つまり同じ使われ方をしているという話を
    していただいた。阿弥陀さんと鉄腕アトムが同じ言葉を共有していた
    ということがなぜかうれしかった。

3月 24日(土) 午前中少し雨模様。午後から彼岸のお荘厳のかたづけ。

3月 23日(金) 夜 コミュニテイーで地域の会合。地域の小学生の分布を
    見たら、この町会が圧倒的に他の町会より児童数が多かった。マンション
    が多いという事だが、マンションは地域との馴染みが少ないので
    実状を把握しにくい。何も問題がないのが一番だが。

3月 22日(木) 今日は何年に一回あるかどうかというくらい珍しく、中陰が
    三つ重なった。今日限りだがお参り自体が少ない日でよかった。

3月 21日(水) 春のお彼岸。催しの事前の宣伝の効果かいつもより大勢の
    方がお出でくださりなによりだった。「蜘蛛の糸」の語り芝居は、ご覧に
    なった方に後からお話を聞いてみると、本当にお釈迦様が出てこられた
    かのようで感激したと喜んでいただきこちらもうれしかった。

3月 20日(火) お檀家さんで設計事務所をされておられる60歳代の方が、
    工学部の大学院に入られた。いろいろ問題になっている構造設計をされ
    ておられるので、象牙の塔の教官より実際の経験が豊富でおられるから
    大学のほうでもそういう方に来て頂く事は有意義な事だと思う。
    これから団塊の世代のリタイアの時代だが、そういう方の豊富な経験を
    大学に限らず若い方に受け伝えるシステムがあればいいのでは。

3月 19日(月) 昨日いつもは午前中にお参りするところが法事があったりで
    午後になり、まあ日曜だから連絡しなくてもいいか、と思っていたら午前中
    お待ちしていましたが午後から出かけるので、ということで今日に変更。
    こういうときはあらかじめ連絡しておいたほうがよかった。つい一人合点
    してしまうと迷惑をかけることになる。

3月 18日(日) 青草人の会の話は、「他力の信心うる人を」の和讃。この和讃
    の元は、大経の文だが、大経では信心を得た人が敬いおおきによろこぶ
    のにたいして、和讃では”人をよろこぶ”となっている。ということはよろこん
    でおられるのは、世尊あるいは信心を得た人を見ている第三者とも受け取
    れる。大いなる喜びで満たされた人は、ことさらに自分がという必要はない。
    というシモーヌヴェイユの言葉を引用して、他力の信心の有り様を聖人独自の
    解釈で展開されたのでは、という話に。

3月 17日(土) 午後からお彼岸の用意。

3月 16日(金) 楽の練習のお茶汲み当番が当たっていたが、法務で行かれず
    迷惑をかけてしまう。仕方がないとはいえ理事さんには迷惑をかけた。

3月 15日(木) 夜枚方のほうで用事。1号線の寝屋川から先はいつも混んで
    いる。条件的にバイパスは難しいのだろうが、北行きの新御堂のような
    道があればいいのだろうが。

3月 14日(水) ご縁のあるお寺の総代さんが来られた。いろいろ事情があり
    世の中思うようには動かないことは明らかだが、お檀家さんに迷惑を
    かけるのはどうか。まあこちらも責任があり、もう少し動けばよかったかと
    反省。

3月 13日(火) お檀家さんの中で最高齢の方の葬式。先月お参りした時は
    いつもより少しお元気がないようだったが、仏間まで歩いてこられいつも
    のようにお話もさせていただいたが、とうとう還浄された。明治生まれという
    ことで明治、大正、昭和、平成と日本の激動の時代をご苦労されたご生涯
    だったがいつお話させていただいても少しも愚痴のようなことはおっしゃらず
    飄々とされていたのが印象に残っている。 

3月 12日(月) また寒さが戻った。今日は車で回る日だったのでトイレの心配
    があったが、なんとか公園のトイレを使ったりでしのげた。 

3月 11日(日) 朝公園の掃除。昨晩雨が降っていたので、朝まで残れば中止
    ということだったがそうはいかず。風が強く、掃き集めても風で飛ばされる
    こともしばしば。これからは時候もよくなるので次回は楽になるだろう。 

3月 10日(土) 法事があったがてっきりお家でされるものと勘違いしていたら
    寺で勤めることになっていたようで準備が出来てなくて申し訳ないこと
    をした。きちんと確認してメモっておかないとと反省。

3月 9日(金) 今日は午後から休み。海外ミステリーを読むが、時間軸を
    いじった小説で読みづらく中途で断念。新聞の書評で取り上げられていたが
    あまりに奇をてらいすぎてはエンターテイメントにならない。

3月 8日(木) この頃は駐禁が厳しいのでコインパーキングに入れるようにして
    いるが、そこも結構満車のときがある。今日は午前と午後いつもとめている
    ところがいっぱいでしばらく待った。まあ罰金を払うよりいいだろう。

3月 7日(水) 今日は少し寒さが戻った。寺で法事。いろいろなご事情でお家に
    お内仏を置かれておられないので寺で法事をお勤めになられた。各家に
    お内仏というのが拠り所として必要と思うが、お寺がそれに変わる役割を
    果たせればそれもいいことかと思う。

3月 6日(火) 今日は啓蟄らしいが、今年はもうだいぶ前から虫がうごめいて
    いる気がする。冬の寒さで減るはずの個体数が減らなかったとすると、今年
    は虫が大量発生する恐れもある。

3月 5日(月) 巷では株が暴落し、円が急騰しているようだ。低利の円を借りて
    運用していたところが、株が下がったので円を返す動きが世界規模の資本
    の流れでおきているらしい。経済の事はよくわからないが、日本の金利が
    他の国に較べて極端に低いというのはあまりよいことではないのだろう。
    
3月 4日(日) なんとも暖かい日。車ではクーラーをいれないと暑いくらい。
    3月初めでこんな陽気だと先が思いやられる。

3月 3日(土) あるテレビショッピング好きのご門徒さんから、自動掃除用具を
    もらう。UFO型の丸い枠にゴミを付着させる紙が付いていて、その枠の中に
    自動でころがるボールを入れておくというもの。フローリングの床などはこれで
    手間いらずに掃除できそうだが、四角い部屋を丸く掃くどころではなさそう。

3月 2日(金) 今夜も楽関係でお世話になっているお寺の前坊守さんの通夜。
    弔問のときに着ける輪袈裟は真宗では黒でなくてもいいといわれているが
    黒の白威儀畳袈裟は見方によったら墨袈裟の略に見えないことはない。
    弔問に伺うときはそれでもいいのではないかと思う。

3月 1日(木) 今夜も組内の坊守さんの通夜。パーキングからお寺までの
    道で弔問に行かれるそのお寺のご門徒さんと一緒になり、お話を伺うと
    毎月寄り合いで顔を合わせておられたそうで、つい最近までお元気だった
    とのこと。本当に残念そうに話される様子から、亡くなられたかたがお寺の
    坊守としてご門徒の方から慕われておられたことがわかった。