平成19年11月分


11月30日(金) 夜ネットワーク委員会。認知症の話しがあったが、みんな
     自分も当てはまる所があるという話に。それからこれからは75歳以上
     の方を後期高齢者と言うようになるという話。制度が変わるのはよく
     対策を練ってからにしないと混乱する。

11月29日(木) コピー機を新しくしたのに、また紙が詰まったので文句を
     いったら、紙が湿気ているので熱によって反り返るのが原因と言われた。
     確かにコピーを置いている所は1階で風通しが悪い。そこに書籍も
     置いているので、これはあまりいい状態ではないのだろう。早速換気扇
     をまわしたが効き目があるかどうか心配。

11月28日(水) 11時半から区の民生委の大会。この地域では3名の方が
     勇退される。ちょっと寂しい気持ちとこれからのことについての不安と
     が入り混じった気持ちでRHの食事をいただく。

11月27日(火) どんよりと曇った一日。一日走り回って最後のお参りが終わった
     のが5時半ごろ。あたりはもう暗くなっていて晩秋のさみしさがひとしお。

11月26日(月) わかったつもりというのが一番あぶないということを実感した一日。

11月25日(日) 最後の組内での報恩講に参勤。今年はいろいろあったような
     かんじで長かった気がする。もう暮れに入る。

11月24日(土) 本山御正忌に参拝。三連休だから参詣が多いかと思ったら
     意外に少なかった。門前の数珠屋さんで話を聞いてみると、やはり
     阿弥陀堂ということで団体参拝が少ないらしい。こんな状況で御遠忌
     が勤まるのか少し心配。

11月23日(金) 今シーズン最後の報恩講の助音での参勤。だいぶ気張って
     声を出したので夜に咽喉が痛くなった。なんとかどこのお寺にもご迷惑
     をかけずに乗り切れた。

11月22日(木) 夜地域の友好クラブの会合。会員の中から3人の方が新たに
     民生委員になられることになり心強い。

11月21日(水) 今年は急に冷えた日もあったせいか庭のかえでも少し紅く
     なっている。温暖化とは言われているが、やはり寒くなる時は寒い。

11月20日(火) 近くの寺の前前住職がお亡くなりになった。百歳近いお年だった
     ようだが、区内では唯一の尼寺でご苦労もあったことと思う。

11月19日(月) 報恩講に参勤。たくさんの参勤のあるお寺なのに、車が1台
     も停まっていなかったので時間を間違えたか、と思ったが珍しい事に
     1番早く到着したようだった。最後になることはあっても最初になったこと
     はなかったので、かえって悪いような気がしてしまった。

11月18日(日) 青草人の会の話は疑惑和讃の最後の所。「くゆるこころを
     むねとして」という言葉を起点に、自力の知恵が破れると心が痛む、そこ
     から他力に帰していくという流れに。昼から女子マラソンを見る。野口は
     さすがに強かった。渋井も負けん気は強そうだが、その負けん気が
     したたかさにつながらないと勝てない。最後に歩くようにゴールしていた
     が、何となく自分の姿を見ているような気になった。負けるのは嫌だが
     そのために努力するとかしたたかになるということは苦手。それでは
     勝てないという事か。

11月17日(土) 朝ドラが前半のクライマックスのようなシーンだった。封印して
     いた落語を師匠が語りだす、なかなか上手い筋立て感心した。
     しかも落語ファンには堪えられないのは中華料理屋が「延陽伯」に
     仏壇やの菊江さんといった固有名詞にも落語のテイストがふんだんに
     入っている。
     午後からご門徒の方の報恩講。途中法務があったがそのあとご一緒に
     聴聞させていただいた。

11月16日(金) 午後から組内の報恩講、4時半から地域の民生委の先輩と
     子育てサロンの玩具の借り出しに。今まで委員長の方にお任せしていた
     が実際天六まで車で行って手続きをして借り出し、それをまたコミュニテー
     まで運び込む。大変な作業だ。7時からは楽の練習。ちょっとばたばたして
     頭がぼーっとしていて簡単な音取を間違えてしまう。

11月15日(木) 茨木別院の報恩講参勤。木造の大きな本堂なので声があまり
     響いてこず、声の調子がどんなものだったかつかみにくかった。
     もっとも聞かれる方にとってはあまり反響しない方が音響的にはいいと
     いうことなのだろう。夜 区仏の旅行の反省会。

11月14日(水) 久しぶりに午後から休みだっので読んでいたの本を一気に読み
     終えた。知識充足型推理小説だったが、まずまずというところか。
     作品名は「美濃牛」。解説を池波志乃さんが書いておられたのがよかった。

11月13日(火) 午後から太子町の方へ。そこで一人の方は大阪大空襲の時
     高台から市内の方を見ていたら、まだ子供だったこともあって赤い炎が
     空から降ってくる情景はPLの花火よりもきれいに見えた、と話されると
     別の方は自分はあの空襲の真下の天王寺にいて、四天王寺の五重塔
     が焼け落ちるところも見た、まさに地獄の情景だったと話された。その人
     の置かれた状況によって同じ事柄が地獄にも極楽にも見えてしまう、そ
     れが私たちの知恵の本質なのだろう。

11月12日(月) 寒い時期になってきた。車で走り回る日はトイレが心配。今日
     のコースは二つ場所を確認してあるので、両方使わせてもらった。

11月11日(日) 寺で11時からと1時からの法事。前の法事を早めに終わった
     つもりだったが御供えや盛花を分けたりされていたら、あとの方とかち合い
     そうになった。2時間は空けないと。

11月10日(土) 葬儀に参勤したが、いろいろ大きなお役を勤められていたので
     参列者も錚々たる方々がお並びに。正信偈の真読がゆっくりだったのが
     ちょっと大変だったが、暑からず寒からずでよい日和だった。そのあと
     お参りやら車検の車の受け取りやらで仕事が終わったのは9時前。

11月 9 日(金) 今日も朝8時前に寺を出るので、朝のテレビドラマはBSで見る。
     お通夜に参勤したが、たくさんのお参りだったようだ。9時から准堂衆会の
     通夜もあったが、体力を温存するために失礼する。

11月 8 日(木) ご近所へ中陰のお参りを8時前に行かせていただく。ちょっと
     予定が詰まっており無理をお願いした。そのあと江坂に行ったあと隣の
     お寺にお悔やみに。そのあと桃山台から生駒を回って、関目のお寺へ
     報恩講のお手伝いに。

11月 7 日(水) 夜茨木別院の報恩講に参勤するメンバーで習礼。四句目の
     ウがちオがちの確認。終わったあと隣寺のご住職がお亡くなりになった
     という連絡がある。

11月 6 日(火) 夜 組内の青年会の方が来られて声明のお稽古。報恩講の
     お勤めの練習をしたが、今の若手は皆声明がうまい。あまり指導をする
     こともなかったが、なんやかや話をしていたら10時をだいぶ過ぎていた。
     遅くまで引っ張って悪いことをした。

11月 5 日(月) 歯医者で歯を抜いた。親知らずだが割りに小さかったようなので
     大層な事のならずに済んで、ホッとした。

11月 4 日(日) 隣のお宅の法事で、幼稚園の頃台風で川の水があふれ、お隣の
     2階に避難させて頂いた話をした。40年以上前のことだが、あのような経験
     は忘れないものだ。

11月 3 日(土) 午後から知り合いのお寺の報恩講のお手伝いに。いつも昼の座
     と夜の座のあいだにご馳走をいただくので申し訳ないと思いつつありがたく
     頂戴している。久しぶりに参勤された法中の方と囲碁を打たしていただいて
     なんとか勝たしていただいた。勝つということは相手の方には悪いが気分の
     いいものだ。

11月 2 日(金) 郵便局へ行ったらもう年賀状が売り出されていた。以前はすぐに
     無くなっていたが、今はまだまだ売っているようだ。それだけ出す人が少なく
     なったということだろう。民営化されていろいろ対策はされるのだろうが、
     近くの郵便局がなくなるっては困る。

11月 1 日(木) どうも昨日バスの中で寝たせいか朝から咽喉が痛い。これから
     まだまだ声を使うシーズンだというのに心配。