5 月31日(土) 何とか天気は回復に向かっているようだ。阿蘇から湯布院へ。土曜日
ということもあってかなり賑わっている。ひなびた感じの黒川から来ると、かなり
俗化されている。シャガールの美術館があったのでそこに入った。別府で昼食
のあとお西の別府別院へ。昭和初期に出来たそうで、別府の町が賑やかだった
頃に、それこそ駅前のような場所に建てられていた。そこに大谷光瑞師の記念
館があって拝観した。晩年別府に療養に来られていたご縁で、ゆかりの品が展示
されてあった。そこから豊前高田の昭和の町を観光。昭和30年代の町並みを
再現されてあった。30年代というのは戦後から復興してようやく夢をみれるような
時代であったのか、この頃やたらこの時代を懐かしがる風潮がある。上を向いて
いる間はよかったということか。
5 月30日(金) 夜8時に熊本空港に着いて、そこからタクシーで黒川温泉まで向かう。
途中から阿蘇の外輪山を越えていくのに、真っ暗の上に霧が出て、幻想的という
か先が見えないところを飛ばしていくのでスリルがあるというか。タクシーの運転手
はいつも走っている道だから、カーブの曲がりぐあいは分かっているということで
結構飛ばして行ってくれる。9時過ぎに着いた時は、こちらが疲れた。
5 月29日(木) 久しぶりのお通夜で参列者が400人を越えたとか。この頃は家族葬
のような形が多いのでこれだけ多くの方が来られる事は稀有な事だ。しっかりと
お勤めさせていただいた。
5 月28日(水) 30日から組内の旅行なのだが急に用事が入って、いろいろ変更
してもらうことに。大変だが仕方がない。
5 月27日(火) 夜7組の役員会。次年度の教化活動についての話し合い。どうしても
多くの人に来ていただこうとすると、落語か大学の人気教授ということになる。
それも悪くは無いが、ディープに尋ねていこうとすれば、かちっと芯のある話が
いいと思うのだが、重くなると人が集まりにくい事になる。また時期をみて。
5 月26日(月) 久しぶりに紀伊国屋に入った。相変わらず人は多い。文庫の売場
も出版社がたくさんありすぎて探すのが面倒。どうせなら作家別に全ての文庫本
を並べて欲しい。それにしてもこの店が出来た頃は、文庫といえば新潮、角川、岩波
くらいだったのではないか。そんな事を知っている自分がおそろしい。
5 月25日(日) 学園前方面へお参り。先日阪奈を通った時、あやめ池方面へ抜ける道が
新しくなっていたのを見ていたので、古い道と間違えずに行けた。
5 月24日(土) 神戸の方で法事。神戸で国際会議があるというので交通情報を
気にしながら向かったが、いつもより車が少なかった。こういう情報が流れると
皆気になって車で出かけないのだろう。
5 月23日(金) 郵便局にお勤めの息子さんがおられる方から、かもめーるの予約をどうされます
かとお尋ねがあった。いつもお願いしているのだが、もうそんな時期かとちょっと驚いた。
またお盆の時期がやって来るという事か・・・。
5 月22日(木) 午前中で仕事が終わったので、昼から奈良方面へドライブ。東大寺
近くに「夢しるべ」という車が停められて、いろいろ食事したり買い物したりできる
施設が出来たということを、ある檀家さんからお聞きしていたのでまずそちらへ。
吉野葛の店で食事して古代の模様をあしらった織物のブックカバーを購入。そのあと
二月堂あたりを散策したが、修学旅行生でかなりの混雑。そのあと若草山ドライブ
ウエーで山頂へ。風が心地良く鳥のさえずりがあちこちから聞こえて心の洗濯が
できた。
5 月21日(水) 夜駐車場協会の総会に出席。ちょうど檀家さんが来られていたので
ずっと話をしていた。いつもお父さんとしかお会いしていないので、いろいろ違う
角度からの話になって時間を有意義に使えた。
5 月20日(火) SF作家の今日泊亜蘭氏の訃報が新聞に載っていた。97歳であった
とか。日本SF小説の創生期の作家としてその印象的なお名前は知っていたが
小説は読んだ事は無かった。それにしても97歳とは。SF小説の変遷のみならず
科学と人間とのあいだに繰り広げられた理想と現実をどういう視点で見てこられ
たのか、機会があったら小説を読んでみたい。
5 月19日(月) 警察の指導で近くのある通りに警告灯が取り付けられた。多少防犯の効果
はあるのだろうが、夜道を通られる方が驚かれるのでは、とかお飲食店に入られる人
が減るのではという心配もあるそうだ。思いもよらないようないろいろなことが起こってくる
世の中だから、やはり気をつけるに越した事は無いという事だろう。
5 月18日(日) 青草人の会は正信偈二回目。法蔵菩薩と世自在王仏の出会い
の意味について。私たちが教えに出会うのはよき人の仰せをこうむりて
信じる、ということしかない。そのことを菩薩と仏の出会いということで示され
ているということで話を進めた。
5 月17日(土) 1組の声明指導の二回目。三淘の念讃を勉強。新しい御遠忌の
勤行集では今まであまり指摘されなかったウがちオがちの注意書きがあった。
よく確認しておかなくては。
5 月16日(金) 夜 楽の練習。附物の練習で伽陀をしているが、ふだんやったことの
ない「何期今日」はとばしてしまった。どうも3年に一度しか聞かないし、ましてや
本番で声を出すのは十年以上していないと、なんとなく不安になってしまう。
御正忌の当番の時の習礼には誰か准堂衆に来てもらってきちんとやってもらおう。
5 月15日(木) 春の永代経シーズンの助音の最後ということで、思いっきり
伽陀を出したら、途中で咽喉がからんだ。やはり一人のときは声が続く
ことを第一に考えないと迷惑を掛けてしまう。最後におおきな反省。
5 月14日(水) 未明に激しい雷雨。昼間でなくてよかった。
5 月13日(火) 今年はサツキの花が少し遅いような気がする。このところ少し
涼しくなって、特に夜はまた冬布団を出してこないといけないような時候
なので花も躊躇しているのかもしれない。
5 月12日(月) 能勢の方へお参りに行くと、山間に桃色の花が咲いている。
たぶん山躑躅だと思うが、新緑の中で淡い色合いがきれいだ。
5 月11日(日) 過去帳を頼まれていたので持参する。何年か前から近くに
仏具屋が出来てどんなものかと思っていたが、やはり近くにこういう店が
あると便利だ。ちょっとしたものは間に合う。
5 月10日(土) 別院で推進員大会が開催。雨模様だったがはじめての試み
ということで、座談会と法話があった。同朋会運動の創設期からお仕事
をされてきた宮戸先生のお話で「如来さんに見せられるような帳面を
つけろ」という近江商人の流れを汲む商社の社長さんの話を紹介されて
いたが、やはり真宗の教えが実業に結びついていたことを教えられた。
夜組会。
5 月 9日(金) 今日は少し涼しくなった。市内のお寺の永代経のお手伝い。
たくさんのお参りがある。やはり真宗のお寺はこうして法座を開いてこそ
存在意義がある。
5 月 8日(木) 異国の要人が来られるという事で福島界隈はおまわりさんが
いっぱい。暑いのにご苦労さまというところか。
5 月 7日(水) 日中自転車で走り回るとだいぶ日焼けするようになって来た。
顔を覆う日焼け防止のサンバイザーのようなものをしている女性を見かける
が、さすがにあれをしてお参りという訳にはいくまい。
5 月 6日(火) 最近近辺に高層マンションが次々建設されて、だんだん空が
狭くなってきた。人間の視界は真上をみるのはしんどいので、どうしても
水平より少し上を仰ぎ見ることになるが、たいがいの地点で建造物に
視界を遮られる事になる。昔のマンガの未来都市では高層の生活が
描かれていたが、現実には殆どの人は地べたで生きていくことになる。
アカルイミライは幻想だったか。
5 月 5日(月) 暑い。もう衣替えしないと辛い。北海道も本州以上に暑いらしい。
温暖化もあるのだろうが、観測始まって以来初という異常気象が日常化
しているのが恐ろしい。
5 月 4日(日) GW真っ最中だが普通に仕事。いつもこの時期中国道の宝塚
トンネルのところから渋滞するが、あのポイントは上り坂で少しスピードが
落ちるところへ、トンネルの入口が横に広くなっていて(3車線だから)、
天井が低く感じるからということもあるそうだ。人間の視覚もあてにならない。
5 月 3日(土) 今年就職した次男が帰省してきた。すでに言葉づかいが標準語
になっていて一度に大人になってしまった感じ。
5 月 2日(金) 前住の七回忌の法事。法事にはお参りさせていただくことは
あっても自分のところで勤める機会は殆ど無かったから疲れた。いつも
皆さんご苦労いただいていることが実感できた。
5 月 1日(木) 明日の法事の準備。こういうとき書院に掛ける軸が困る。
法語のものがいいのだろうが、これといって目ぼしいものがない。
写しのものだが金子先生の「摂取心光常照護」を掛けた。