平成20年 11月分


11月30日(日) この夏に初めてお参りさせていただいたお宅のご法事。今まで
   のお手次のお寺にひけをとってはいけないと意識して変な緊張してしまった。

11月29日(土) この夏ご主人を亡くされた奥さんが、主人は家では何にも
   しゃべらない人だったけれど、先に逝かれてしまうと日々さみしさがこみあげて
   くる、という話。

11月28日(金) 久しぶりに生涯学習の囲碁の教室へ。こういうゲームは不思議な
   もので自分より強い相手だと、きわどいけれどもあと一歩のところで相手の勝ち
   になり、少しでも弱い相手だと、そんなに深く考えていないのに、一手こちらが
   優位になっている。

11月27日(木) あるお家で聞いた話だが、老夫婦と老猫のお互い要介護の状態
   で暮らされている。それでもペットを子供のように可愛がっておられて懸命に
   お世話をされておられるお宅があるとか。老いを共有するというのも、ひとつの
   生き方かもしれない。

11月26日(水) 民生委の研修。といっても今回は神戸の「しあわせの村」だった
   のであまり研修らしくはなかったかも。六甲の紅葉は見事だった。

11月25日(火) 組内での最後の報恩講。しかしこの日は前後にお参りが詰まって
   ゆっくりとはできなかった。少し申し訳ない気もした。

11月24日(月) 以前初めて監視員によって駐禁をうけた家での法事だったので
   コインパーキングに駐車した。まあそんなに離れていたわけではなかったので
   少しくらいは労力をつかわないと。

11月23日(日) 報恩講に助音で参勤。今シーズン最後だったがちょっと声が
   伸びなかった様な気がした。

11月22日(土) 午後ご門徒さんの報恩講。今年は「家族」ということをテーマに。
   釈尊は家族を執着の元ととらえられ、犀の角の如くひとり歩め、と教えられ、
   聖徳太子は家族を愛しつつそれぞれたがいを尊重してともに凡夫といただかれた
   生き方、というような話をしていたら、親鸞聖人のところまで話が行かなかった。
   そのあとその後門徒さんが長らくある従兄について恨みに近い感情を持ち続けて
   きた。何十年も音信もなかったその従兄が亡くなられる前にそのご門徒さんには
   是非自分が亡くなったということを知らせてほしいと家族に言っておられて連絡が
   あったそうです。それで葬儀に行かれたら涙が止まらなかった、その従兄がずっと
   済まないという気持ちを持ち続けておられ、それゆえ自分には是非連絡してほしい、
   ということだったのだろう。そういう気持ちもわからずずっと恨みに思っていた自分の
   煩悩の深さを知らされた。それは家族が絡んだ事であったそうですが、おおきな懺悔
   があって初めておのれの煩悩の深さを知らされたという話をされた。

11月21日(金) 夜別院で楽の練習。終わってから来客。法要の打ちあわせ。

11月20日(木) 別院で5時から会議。3年先の本山の御遠忌の参拝予定なんて想像
   すらつかない。まあ大枠を出し合って少しずつ枠を絞っていくしかないのだろう。

11月19日(水) 報恩講に楽で参勤。ここのお寺はそうそうたる方々がご参勤になるので
   少し緊張する。

11月18日(火) 午後から大和大谷別院の報恩講へ。久しぶりに行ったので入る道を
   間違えて狭い道で右往左往することに。夜7組の青年会が寺で。9名も参加者が
   あって盛況だった。先月2組で話した寺族の葬儀についての話。

11月17日(月) 夜7組の教化委員会。12月の研修会の打ちあわせ。司会を担当する
   ことになった。

11月16日(日) 青草人の会の話は「清浄歓喜智慧光 不断難思無称光」のところ。
   本当に自分が尊いといただいたものの前では、自分を偽ることができない。真実が
   明らかにならざるをえないという働きを清浄と言う、歓喜は躍り上がるような喜びでなく
   大きな安らぎ、それは自分が拠り所とするものがあるというところから生じる、という
   ような話。そのあと法事2件と報恩講参勤。法事の途中で息が詰まったようになって
   お経が止まってしまい、お茶をいただくという大失態。やはり朝話をした後はあまり無理な
   スケジュールはいけない。

11月15日(土) 服部で納骨のお勤め。天気予報では雨模様だったので、冬の雨はと
   心配したが、お天気になり風もなく穏やかでよかった。

11月14日(金) 植木屋さんに庭の木の剪定をしてもらった。今年は例年以上に葉が
   茂っていたようなので、刈ってもらうともらうとすっきりして気持ちがいい。

11月13日(木) 夜別院で報恩講の習礼。この会も世代が変わってきた。

11月12日(水) 郊外の方を車で通ったが、山々がいろいろな色に色づいて晩秋の情景。
   杉のような人工林ではこの景色は味わえない。

11月11日(火) 本堂建立の時にご尽力いただいた方の永代経が納まった。いろいろ
   お世話になっていたので、感慨もひとしおのものがあった。なにかお寺として永代に
   必要なものを残していかなければ。

11月10日(月) 年配の方のお家にお参りに行くのに、確認の電話を入れたらお待ち
   していますとのこと。忘れがちになるのはむしろこちらの方が心配ということだろう。

11月 9日(日) 今日も報恩講助音。この一週間で5件の参勤。しかしそれぞれのお寺
   で報恩講の迎え方は微妙に違う。いろいろ経験させてもらえてありがたい。

11月 8日(土) 助音で報恩講に参勤。この時期になると少し冷えてきているので
   本堂に暖房を入れておられた。ひと月で時候はだいぶ違う。

11月 7日(金) 組内の報恩講。いつも通っているお寺の前の道が、実は時間帯に
   よって車両通行禁止だったことを初めて聞いた。知らないということは恐ろしい。

11月 6日(木) 午後から琵琶湖の北の方へ。ぼとぼち山々が色づいて久しぶりに
   少しリフレッシュした。

11月 5日(水) 別院で会議。雅亮会の練習も珍しく別院であったようで、車が白州に
   あふれていた。やはり四天王寺の方が広いということか。

11月 4日(火) 助音で報恩講に参勤。声はなんとか保った。

11月 3日(月) 組内のお寺の落慶法要。住職の表白のとき、書いてあったものを読む
   のを急にやめて、短い懺悔のような言葉になっていたので終って聞いてみたら、
   如来さんの前ではうそを言うわけにはいかない、ということだった。耳が痛い話。

11月 2日(日) 午後から組内の報恩講。その次の予定が4時からなので少しゆっくり
   させていただけると思っていたが、法中の皆さんの話が長くなって、ぎりぎりに
   なってしまった。

11月 1日(土) 仕事が重なったので、長男に寺での仏事を頼んだ。少し心配したが
   仕事で全国から参詣されたご門徒さんに案内していたので、段取り良く勤めて
   くれたようだ。進歩してないのは親の方ばかりということか。