平成22年 3月分


3 月31日(水) 二日目はまず仏生山法然寺へ。江戸時代に当地に入った松平氏によって
  要塞を兼ねて建立された寺。本堂にこちらは阿弥陀仏、法然上人、善導大師
  はわかるがどういうわけか親鸞聖人のお木像も安置されてあるのには驚いた。
  多分江戸時代のこの地方はやはり真宗門徒が多かったということだろう。
  釈迦の涅槃像があったが、これはその周りの仏弟子や動物など彫刻が見事で
  これは一見の価値あり。昼は讃岐うどんのちょっと豪勢な懐石風。うどんは腰が
  あるというより、ちょっとかたいくらいでこれは好みの問題か。午後は妙好人庄松
  ゆかりのお寺へ。前坊守さんにお話を伺った。帰りは淡路周りで帰阪。

3 月30日(火) 組の研修旅行。今年はバスでまず津山の城跡へ。桜がきれい
  ということだったがまだ2分咲きくらい。そこからホテルの食事はいまいち。
  最初の研修の誕生寺へ。若い僧侶にご案内いただいたあと最後にご住職の
  お話。御影堂をまたは本堂といわれて、阿弥陀堂は別にあったが、われわれの
  感覚とは違う気がした。宿は琴平温泉の紅梅亭。
  仲居さんが忙しかったのか、支配人のような方がお酒を持ってこられたのは
  意外だったが、結構受けていた。夜は例年通りのラウンジでのカラオケへ。
  温泉は透明で有馬の銀泉に似ているように思った。

3 月29日(月) 茨木別院でお待ち受け法要の打ち合わせ。地下鉄と阪急
  を乗り継いで行ったが、駅を降りたら路面が濡れていたので雨が降ったのか
  と思ったら、みぞれのようなものだったらしい。打ち合わせの途中外を見たら
  白いものが舞っていた。会合の後ご輪番にお食事をごちそうしていただいた。

3 月28日(日) 本堂で法事2件。最初のご法事のときは、お車で来られる方が多く
  5台ほどガレージに停めていただいたが、もう少し停められるようにしないとこれから
  の皆さまの要望に応えられない。

3 月27日(土) 前日のアルコールが残って強烈な頭痛がするなか、朝8時前から法事
  を始めまる1日走り回ってなんとか乗り切った。これから次の日のことを考えておかない
  とご迷惑をかけてしまうことになると深く反省。

3 月26日(金) 夕方から別院で会議。そのあと久しぶりでミナミへ飲みに出た。これまた
  久しぶりにカラオケに興じた。やはり久しぶりということになると因幡晃とか陽水とか拓郎
  ということになってしまう。

3 月25日(木) 太陽光発電の設置をされたお宅に話を聞いてみると、法人名義の建物でも
  人が住んでいることが証明できれば、助成を受けられるとのこと。そろそろ考えて
  みないと。

3 月24日(水) お彼岸の最後の日は休みになったので、青草人の原稿書き。午後からSALYU
  という女性シンガーのCDを買いに行く。先日テレビから流れた伸びやかな歌声が気になって
  何年振りかでJポップの新譜が欲しくなった。

3 月23日(火) 大阪から郡上のお寺に入られた方のお話を聞いた。今年は雪が多く、
  本堂の屋根から落ちてきた雪で、本堂に出入りできなくなったりとか、猿が本堂に入って
  きて、大変だったとか、大阪では考えられない状況で頑張っておられるようだ。

3 月22日(月) ご法事のあとご家族のかたとの話で、宮崎の方は真宗が少ないという話
  になって、それは島津氏が念仏の教えを禁じていたからということをお教えした。法事の
  時しかなかなかお話できない方とどんな内容でも会話できるということはありがたい。

3 月21日(日) 秋の彼岸会。今年は自分で話をすることにしたので、お勤めを
  して、拝読文を読んだ後、1時間余りの話は大変かと思ったがなんとか声は保てた。
  話は正信偈のこれまでお話ししてきたことのまとめのような感じで、最初から「必至滅
  度願成就」のところまで。それにしても正信偈は最初の4行で全体の骨格が決まっている
  ように思う。法と信、名号と聞ということがそこに集約されている。

3 月20日(土) あるお檀家さんからCDをいただいた。同志社のグリークラブのOBの方で、
  フランスでお仕事されておられるとき、同大の現役クラブ員を招いて、フランスの一流の
  オケとの共演のお世話をされて、その時に録音されたフォーレの「レクイエム」。フォーレは
  好きな作曲家だったがさすがに「レクイエム」はしんどいと思って敬遠していたが、いい機会
  をいただいたのでじっくり聞いてみようと思う。

3 月19日(金) 明後日のお話の準備。なかなか1時間の話の原稿を書いてそれを自分の
  言葉にして頭に叩き込むのは難しい。

3 月18日(木) 近くに30階建ての新しいマンションが出来たが、あまり表だって
  募集もしていないのでどういうことかと思っていたら、なんでも外国の方専用の
  賃貸マンションということらしい。真偽のほどは定かでないが、今やグローバルな
  時代にあっては、そういうマンションが出来ても不思議ではない。

3 月17日(水) お彼岸の入り。今年は全体に寒かったせいか、本堂の仏華の
  もちが良くて助かる。

3 月16日(火) 3時から別院でお待ち受け法要の習礼。どうもコーラスと法要の
  コラボは難しい。コーラスは音程が決まっているし、声明はその場の状況に
  合わせて声の調子が変わる。

3 月15日(月) 交差点で信号待ちをしていて、横の自転車の女性が渡りだしたので
  つられて動きだしたら、まだ信号は赤だった。最近特に交通マナーが悪くなって
  きたように思う。うっかりしていたこちらも悪いが、小さい子供さんがまねしたら
  取り返しのつかない事態も起こりうる。自分中心でちょっと想像することができなく
  なってきている。

3 月14日(日) 今月はお彼岸が第3日曜になるので、第2の今日、青草人の会。
  正信偈の「仏言広大勝解者 是人名芬陀利華」のところ。勝解者を良い患者は
  お医者さん(仏)の教えを素直に聞いて、薬(法)を言いつけどおり服するが、
  そうでない患者は自分の判断で薬を飲むのをやめたりする、という話に。

3 月13日(土) 朝8時前に服部緑地にお参りに行き、午後4時過ぎに堺へ。

3 月12日(金) 夜 楽の練習。来年の御遠忌の出仕に向けて、いろいろな曲や伽陀
  の練習を積んでいかないといけない。それにしても御遠忌をこうした3教区の楽の
  受け持ちで回していくのはこれが最後になるかもしれない。よその教区でも楽を
  されているところがでてきているので、うかうかとはしておられない。

3 月11日(木) ご引っ越しをされたらいろいろと病気がでたというお話を伺った。やはり
  住みなれたところを離れるというのは、いろいろな面で大変なことなのだろう。

3 月10日(水) 夜 組会。いろいろ案件はあったが、旅行の話が盛り上がった。
  今回はバスで行くのでほとんど遠足気分。子供の時はどのお菓子を持っていくか
  だったが、今はどのビールにするかという話になる。

3 月 9 日(火) 2時に今月の組の旅行の説明に旅行社の方が来られる。観光
  化されたところだけでなく、妙好人の由緒のお寺はバスが近くに止められない
  ので、少し離れたところに停めるとのこと。方向音痴の添乗員役は心配だ。

3 月 8 日(月) 夜 区仏の総会。といっても花まつりのポスターなどの配布が
  主となる案件。こうした行事は続けることに意味があるのだろうが、宗派の
  仕事が多くなると、仏教会として動く余裕がなくなってくる。これはいいわけに
  なってしまうのだろうが。

3 月 7 日(日) 午前と午後に法事。今月はこれからこの日程がまだ4回あると思うと
  喉のケアをしておかないと午後からの法事が厳しくなってしまう。

3 月 6 日(土) 不順な時候で今頃風邪が流行っているようで、お参りをお休み
  されるお家が何軒かあった。今年は温度差が大きい気がする。

3 月 5 日(金) 2月と3月は曜日の周りが同じなので、金曜日午後で時間が空くのは
  5日しかない。月一では上達しないが、囲碁の会へ。

3 月 4 日(木) 阪急沿線は小林一三の経営方針で沿線の住宅開発で基盤を築いて
  きたが、その戦前からの住宅が補修の時期にきているようだ。しかしむかしの家は
  その時代の雰囲気を伝えて風情がある。それが阪急沿線のブランドを支えてきた
  のだろうが、野球場はなくなり、遊園地はなくなり、そのブランドイメージは消えつつ
  あるように思う。

3 月 3 日(水) 谷九の国際交流センターで民生委の研修。DVなどの体験談など
  を語られていたが、よいひとを演じるのは止めよう、という話でもあったと感じた。

3 月 2 日(火) 昨日の葬儀の方の話。亡くなられた方と残された方の意思の疎通が
  十分でなかった様子。これも時代の趨勢で仕方のないことかもしれない。

3 月 1 日(月) 毎年のことだが2月は日が少ないので、月末の休みがなく
  ゆっくりする間もなく3月に入った。葬儀に参列したが、割りに暖かくてよかった。