平成23年3月分


3 月31日(木) 本山の救援金を郵便局から振り込もうと送られてきた振込用紙に記入して
  ATMから送ろうとしたら、現金では上限が10万円ということで送れなかった。こういう時
  くらいは上限を外してくれたらいいのにと思ったが、最近はいろいろなことがあるので制限
  しているのだろう。仕方がない。

3 月30日(水) 夜昨年までブロックの代表を勤めていたことへの慰労会があった。充分
  なことができなかったが、こうした会を催していただけるのはありがたい。

3 月29日(火) 某電力会社から電話があって、今 ガスでお風呂を沸かしているお宅に
  オール電化の給湯システムのご案内をしています、ということだった。まったく時期を
  わきまえていないというか、この電力不足が懸念されている最中にこのセールスは
  ないだろう。どこにも鈍感なひとはいるものだ。

3 月28日(月) 御遠忌団参の予定の日だが、中止にしたので家でネットの同時配信の画面を
  見ていた。内敷もかかっておらず、地味にするのが被災者への心遣いということなのか。
  門首のお言葉や総長のあいさつ、池田先生のご法話と聴聞させていただくのはありがたいこと
  だが、それをなぜ御遠忌として勤められなかったのか、支援ということであればこの時期を延期
  して、被災者への救援物資を送ったりすることに専念すればいいのでは、といろいろ思うことは
  あるが、なかなかそれぞれの考えをまとめるのは難しいということだろう。

3 月27日(日) 昨日今日と法事が数軒あったが、やはりこの度の震災のことを触れないわけ
  にはいかない。関西からは遠いといって他人ごとで済ませられない、私たちにできることは何か
  そしてわたしたちは犠牲になられた方々からお教えいただいたことに報恩の思いをもって
  命の真実を受け取っていかないといけない。

3 月26日(土) 原発の問題が深刻になってきている。今日お参りしたお家でも、東京から
  小さい子供さんのおられる家族の方が、大阪の方に来ておられた。放射能という目に見え
  ない、そして将来にわたって危険性のあるものが大気中に放出されているのだから、小さい
  子供さんの親としては心配なことだろう。一刻も早くコンクリートか何かで覆ってしまえばとも
  思うが、燃料が発熱している状態では無理なのかもしれない。地震や津波の被害の復興に
  いち早くかからなければならないときにこの問題に国力をそがれるのは許し難い。

3 月25日(金) 今日お参りさせていただいたお家では、包装資材関係のお仕事をされている
  いるので、すぐにダンボール1000ケース送られたそうだ。ご家族を亡くされているので、今回
  の災害で被災された方たちのことを他人ごととは思えない、と熱く語っていただいた。それにしても
  資材を送るに当たっての役所(大阪の)の対応は上と相談してみるとかで、埒があかない。
  待っていたらいつまでかかるか分からないので自分で発送したと仰っておられた。なかなか
  臨機応変ということが出来ないのが大きい組織の特徴だ。

3 月24日(木) 今日予定していた准堂衆会での団体参拝は中止になった。この御遠忌に
  向けて大経下巻の音木の練習を何年も重ねてきた大阪教区の准堂衆の方が参勤される
  ことになっていた日だが、こういうことで中止となってこれまでのご苦労が無になった。
  春のお彼岸も終わるので、荘厳を平常のものに戻した。
  

  

3 月23日(水) 義援金を郵便局から送るのに、振込用紙が教務所から送られていたので
  それで送ろうとしたら、金額に上限があった。こういう義援金であれば上限を撤廃しても
  いいと思うのだが。用紙が2枚送られていたので、それぞれ上限の額で振り込んだ。

3 月22日(火) 震災に会われた方への支援として、今私たちにできることは義援金を送る
  ということだと思う。昨日に彼岸会の浄財と寺からいくらか足せば御遠忌の団体参拝で
  かかったであろう経費分になる。もちろん参加費として集めた分は返金させていただいたが
  バスや食事で使う予定だった金額を義援金とさせていただくことにした。これを3月に参拝
  予定のすべての団体が同じような考えで義援金とされたら、どれくらいの金額が集まった
  ことか。

3 月21日(月) 朝から雨模様。今日の彼岸会は少し出足が悪くなるかもしれないと思って
  いたが、それでも30名くらいお参りがあった。内敷を白にして花も白だけにして、被災して
  亡くなられた方への弔意を表した。勤行の後のご法話はわかりやすく楽しいお話で、あとで
  ご門徒の方に伺うと、いつもは寝てしまうこともあるのに、今日は寝る間がなかった、と
  仰っておられたから、これはよく聞いていただけたということだろう。沈みがちなこのご時世
  に笑いとともに仏法をお伝えいただいて何よりだった。

3 月20日(日) 神戸の方へお参りに行くと、どうしてもかつての震災の当時の話になる。水が
  なかったので大変だったとか、大阪の実家の老親が心配で自転車で6時間かけて来てみたら
  地震もあまり感じられていなかったとか、16年たってみたらあの時はで語れるようになる。

3 月19日(土) こちらは粛々と彼岸会の準備。それにしても昨日の日記で書いたことを読み直して
  この非常時に、とかそんなことをこの時期にするのは非国民、といったフレーズで非難される
  ことを恐れて、宗祖の御遠忌という大切な仏事を取り止めたりするのは戦前の教団のあり方と
  大差ないことにあらためて気付かされた。未曾有の国難とかいまこそ国を挙げて、といったことに
  弱いのはわれわれの性ではあるのだが。

3 月18日(金) 「被災者支援のつどい」を御遠忌の代わりに勤めるので参拝を募っているよう
  だが、なぜ御遠忌を中止してそのような世間に迎合したような行事を取り行うのか。これでは
  戦前の世間的なことに迎合して日中、太平洋戦争に加担していった教団のありかたと変わりない。
  本当に被災者のことを考えるのであれば、ガソリン不足が叫ばれているおり、バスをのべ1000台
  以上走らせて参拝を募るのでなく、できるだけ公共交通機関を使うように要望するとか方法が
  あったはず。50年に一度の御遠忌を単なるイベントと思っていたとしか考えられない。

3 月17日(木) 別院で会合。その会の出席者もほとんど今回の中止には憤りを感じておられ
  た。当然のことだろう。一部の人は御遠忌に参拝できないのであれば、御遠忌志を返してもら
  わなければ、という意見もあったようだが当然だ。なんとか秋の御正当には参拝できるよう
  検討してもらいたい。

3 月16日(水) 一部新聞紙上に東本願寺の御遠忌中止の記事が出ているのに、末寺への
  通知はまだこない。あたふたとしているのはわかるが、まず宗門内に通知すべきだろう。
  御遠忌が中止となった以上、御遠忌の団体参拝も中止にせざるを得ない。

3 月15日(火) 夕方にとんでもない知らせが入ってきた。なんと御遠忌第1期法要が中止
  ということだ。50年に一度の勝縁にご門徒の皆様との参拝を待ち続けてきたのに、この
  大震災で中止というこらしい。すぐに親鸞聖人の佐貫での故事を思い浮かべた。
  恵信尼文書に記されてあるが、衆生済度のために三部経を千部読誦しようとされて止め
  られた。自信教人信の誠を尽くす他に何が出来るのか。いまこそ宗祖の教えに立ち帰り
  被災された方々の悲しみを我が身に引き受けていく機縁とすべきときなのに。
  だいたい今この時、被災者への支援を思わない人など一人もいない。その気持ちをもって
  御遠忌に遇うことこそ肝要であるはずなのに、そこから宗祖を引き離すとは。

3 月14日(月) 旅行社と御遠忌参拝の打ち合わせ。そのあと真宗学院の指導者会議。
  引き続き別院の近くで懇親会。

3 月13日(日) 今月はお彼岸ということで、青草人の会を第2日曜に。今日は「自然即時入
  必定」のところ。自然ということを聖人は何度も仮名聖教に説かれてあるが、これは他力を
  表す。私たちは今、自然というと自然保護とか自分の外にあるものと捉えているが真宗の教え
  では私たちも自然の中にある。動物や植物が自然のままに生まれ、そして死んで行くように
  私たちの命も自然のままにある。というような話に。

3 月12日(土) この大震災が起こったということで、本山の御遠忌の舞楽やあ附楽が
  なくなったという連絡があった。白洲で行われる舞楽は仕方がないかもしれないが、附楽
  まで取り止めというのは納得がいかない。浄土の荘厳としての雅楽は、親鸞聖人のご和讃
  にもある通り、儀式には不可欠なはずなのに、何か歌舞音曲の類と同一視されているようで
  気分が悪い。

3 月11日(金) 午後 なにかめまいのするような感覚に襲われ、自分の体がおかしくなった
  のかと思ったら、それが地震の揺れであることがしばらくしてからわかった。梵鐘がその揺れで
  鳴り、かなりの横揺れということは明らかだ。しかしそれが未曾有の大災害であること
  を認識するのは少し時間がたってからだった。想像を超える現実の映像に、言葉が出ない。
  ともかく一人でも多くの命が救われることを念ずるのみ。

3 月10日(木) 夜 組会。先日考えた抽選方法で席を決めていった。席の配置図を示し
  ながら決めたのであまり文句は出なかった。前と後ばらばらの組み合わせを選んだ寺も
  あれば、まん中の近い席の組み合わせを選んだ寺もあり、それぞれの考え方の違いが
  わかった。

3 月 9日(水) デパートでメガネのフェアをしていたので、久しぶりに出かけた。視力を測って
  もらうのに色々な機械の前に座らされ、えらく時間がかかった。
  
3 月 8日(火) 夜 区の仏教会。花まつりのポスターなどを配ってもらう。しかし今年は御遠忌
  もあることだから、真宗の寺院はちょっと力が入らないかもしれない。

3 月 7日(月) 平野区のお寺に所用で伺った。平野という土地柄は古くから開けた場所で
  延喜式内の神社があったり、渡来人の子孫が住みついたことが地名からわかったりという
  ことがわかってきているらしい。しかも昔からの街並みが残って、江戸時代そのままの通りが
  あったり、環濠のあとがあったり、四方から集落に入ってくる道筋には今でもお地蔵さんが
  残っていたりするらしい。

3 月 6日(日) 御遠忌の各寺院ごとの席をどうしたら公平に決められるか、いろいろ試行錯誤
  して考えた。初めは順番を決めて竪に1列ずつ取っていってもらおうかとも思ったが、寺院に
  よって参拝者数もばらばらだし、それに出入りする時横の方がよその寺院の方だったりすると
  出入りしにくい。そこで横の列で前と後を組み合わせた形にして順番に選んでもらう形はどうか
  と坊守が提案してくれたので、その案をいただくことにした。

3 月 5日(土) 関東にお住まいのご長男の方が帰郷されていたので、久しぶりにお話した。
  国際的な企業にお勤めなので、会社での会議はもちろん、支給されるPCも英語仕様で最初
  は慣れるまで大変だったとか。日本語しかできないというのはもう時代遅れということかも
  しれない。

3 月 4日(金) 今日2軒のお家で3歳前後の子供さんとお会いしたが、何れのお子さんも
  アンパンマンに夢中のようだった。ある年代にはこのマンガが圧倒的に支持されるらしい。
  それをこえると仮面ライダーのような変身物に好みが変わって行くらしい。子供の成長は
  今も昔もそんなに変わらない。

3 月 3日(木) 桃の節句だが、最近はお雛様の段飾りをされているお宅が少なくなった。
  住宅事情もあるだろうが、それだけ子供さんの数も少なくなってきたということか。

3 月 2日(水) 真宗学院の筆記の考査。テキストを見ながら答案を書いてもらう形式だったが
  皆さん真剣に取り組んでいただいて、こちらが圧倒された。こちらが当たり前と思っていることが
  学んでいる方々にとってはそうでないこともいろいろわかった。自分も当初は萌黄色と言われて
  もどんな色かわからなかったようなものだ。

3 月 1日(火) 午後から雨。いよいよ季節の変わり目か。