平成23年 4月分


4 月30日(土) お墓への納骨に向かったが、途中すごく渋滞して、みな行楽に出かける
  車なのかと思っていたら、追突事故だった。事故に遭われた方はお気の毒だが、
  この時期普段あまり運転されない方も車に乗られるので、充分注意が必要だ。

4 月29日(金) 久しぶりに阪神の野球をTV観戦したが、先発が8回までいって、藤川に
  繋ぐのは安心できる。間に2Kが入るといささか心もとない気がするのは自分だけだろうか。

4 月28日(木) 久しぶりに本堂の花の芯を入れ替えた。今年は寒かったせいか正月に
  入れた松がいつまでも青々として、お彼岸の時も充分もっていたのでそのままにして
  いたのだが、さすがに少し葉が茶色っぽくなってきた。寒さも悪いことだけではない。

4 月27日(水) 大震災の影響は自動車産業の隅々にまで及んでいるらしい。新車が少ない
  からそこにアクセサリーを装着する仕事も減ってしまうことになるようだ。これ以上不況が
  長引かないように政治に期待したいところだが、会議ばかりしていて決定されることがない。

4 月26日(火) 時候がはっきりしない。昨日は朝方すごい雷と雨が降ったし、いつまでも
  朝晩ひんやりする。花粉症はおさまってきたが体調管理には気をつけたい。

4 月25日(月) 元キャンデイーズの田中好子さんの葬儀が行われたが、そこで生前
  に録音されたテープが流された。もうこの日が来ることを予想してのことだろうが、
  ちょっと違和感を感じた。そこまで演じ続けなければならないものなのか、手紙を
  代読してということであればよいが、肉声を流すというのはどんなものか、と涙しながら
  思った。

4 月24日(日) 久しぶりに光善寺さんの法要に参勤させていただいた。声が高くて
  全くついていけなかった。一番若手の准堂衆は軽々と高い音域でも伸びのある声で
  思わず聞き惚れてしまった。「老兵は死なず、ただ消え去るのみ。」マッカーサーの
  心境がわかった。

4 月23日(土) また雨。しかも自転車でお参りに行って、しっかりと降られてしまった。

4 月22日(金) 昼前からしっかりとした雨。被災地の方も冷たい雨が降ったようで、
  大変だとは思うが埃がおさまってよかったというように思うしかない。

4 月21日(木) 今回の地震のような揺れは長周期で高層の建物の上層階の方が
  大きな揺れだったとか。バベルの塔の話は人間の知恵の思い上がりをたしなめたもの
  だと思うが、やはりあまり人間の知恵は過信出来ない気がする。

4 月20日(水) 夜 民生委の会合。そのあと少し飲みに行ったが、どこの店もあまり
  客が入っていなかった。立ち寄った店も最初から最後まで客はわれわれだけ。刺身
  とかメニューにあるが、残ったらどうするのだろうといらぬ心配をしてしまう。まあ給料日
  前の水曜という日にちも悪かったということなのだろう。もうちょっと景気向上に協力
  しなければ。

4 月19日(火) 本来なら今日から本山御遠忌へ楽僧として参勤するところ。まあ仕事を
  振り分けなくてよかったということにしておこう。

4 月18日(月) この春から就職されて茨城県に息子さんが行っておられるという方が
  おられた。関西の人間は関東の土地勘がないので、なんとなく放射能が気になったり
  するが、実際には茨城県はかなり原発とは離れている。無知が風評を生むということ
  だろう。気を付けなければ。 

4 月17日(日) 青草人の会。今回は「唯能常称如来号」のところ。人間だけが他の生物と
  違って、生老病死を受け容れられない。それは煩悩に根ざしたところの知恵があるから。
  しかしまた人間だけが伝達手段として言葉を持っている。そこで真実の法は名号という
  言葉となって私たちの前に現れてくださった。だからただ名号を口で唱えるだけではなく
  そのいわれを聞いていかないといけない、という話に。

4 月16日(土) 落慶法要に楽僧として参勤。曇り空だったが暑からず寒からずの庭儀には
  ちょうどいい時候。大阪市内でも空襲などで被害にあっていない地域で、古い屋敷や町角
  のお地蔵さんが残っている。お立ち寄りで4軒回ったが、いずれも立派なお屋敷で、
  出入り口も複数あり、入った所と別の門から出立したりして迷った。しかしご門徒の皆さま
  が寺のために懸命に動いておられるおすがたを見て、法義が間違いなく相続されていく
  のを実感した。

4 月15日(金) 夜 別院で温雅会の総会。打物の練習をこの会でもすることになった。

4 月14日(木) 古本屋で2,3年前のベストセラーが1冊105円で並んでいて、つい4冊も買って
  しまった。読み応えはあるが重かった。

4 月13日(水) 真宗学院生が主催の懇親会に出席したら、講師の方は私一人だった。
  皆さんお忙しいのだろう。その席でどこを間違えたのか確認したいので試験を返却して
  ほしい、という意見が出された。点数で上下をつけるというよりも各人のスキルアップを
  目指すのが試験の目的であればそれも当然のことだと思う。

4 月12日(火) 能勢の方へ行くのに箕面縦貫を通って行ったら、阪神高速より
  早く行けた。突き抜けたところがどのあたりか定かでないが、音楽大学のキャンパス
  もあるが山に囲まれたのどかなところ。その山のあちこちに桜が咲いているのが
  見て取れた。結構山の中にも桜が植わっているのだろう。

4 月11日(月) 西区の方まで電動自転車で出かけたが、昨日も使ったので電池が減って
  いて、行きの途中で点滅になってきた。帰りはなんとかは橋の上りだけ電動にしたが
  それでもさすがにかなり重かった。まったく利いてないことはなかったのだろうが、
  遠くまで行く時はバッテリーの残に気を付けなければ。

4 月10日(日) 夜 組会。此花のお寺まで自転車で行く。もう夜でもそんなに寒さは
  感じない。だんだんお酒を飲まれる方が減ってきたので、早く終わった。

4 月 9日(土) 午後からクラシックの演奏会に出かけた。ご門徒の方の娘さんが
  ヴァイオリンをされていて、その仲間の方たちと映画音楽に用いられたクラシックの
  曲目を演奏される集いで、震災へのチャリテイのイベントだった。阪神電車の時間を
  休日ダイヤということをうっかりしていて乗り遅れ、阪急もちょうど特急がでたあとで
  各停しかなく、駅でも出口で迷ってしまって開演に間に合わなかった。1曲目が
  ヴィヴァルデイの「四季」だったので、一番のヴァイオリンの見せ場をロビーのモニター
  で見ることになってしまい残念だった。しかしそれからの演奏や歌唱は素晴らしく、
  音楽用の小ホールだったので響きも良く、メゾソプラノの方の声など朗々と響きわたって
  生の迫力を感じさせていただいた。

4 月 8日(金) 真宗学院の2年度の授業。御文をするつもりだったが、連絡が不十分
  だったようで稽古本を持って来られていなかったので、赤本に載っている「末代無智」
  と「聖人一流」の練習をして、あとは習練にむけて三淘の念讃と巡讃の練習をした。
  皆さん熱心に取り組んでいただけるので、やりがいがある。

4 月 7日(木) 今日は時間があったので京都で行われている親鸞展を見に行った。
  経典に細かい字で一杯書き込みされてあるものなどを拝見させていただくと、宗祖の
  教えに向かわれる真剣な姿勢がうかがわれた。ちょうど岡崎公園のあたりは桜が満開
  で、その割に観光客の数が少なかったように思えた。これも震災の影響か。しかしこれ
  では日本中が不況になって、反って復興を送らせることになるような気がする。

4 月 6日(水) 箕面の桜で有名な通りを通ったが、ほぼ満開で桜のトンネル状態だった。
  そのわりには人出が少なかった気もする。

4 月 5日(火) 花まつりだったが忙しくて今日は全然手伝いには行けなかった。

4 月 4日(月) 夜 区仏の花まつりの準備。恒例のおみやげの詰め込み作業。あまり
  お手伝いできなくなったが、宗派の仕事が忙しくなってしまって他のことはどうしても
  引き気味になってしまう。

4 月 3日(日) 統一地方選挙だがさすがに今年は震災のことをおもんばかってかあまり
  声がうるさくはない。本来なら維新の会がもっと話題になるところだが、この状況では
  やはり危機的状況では従来の政権党ということになるのでは。

4 月 2日(土) 新聞にこの大震災を悼んで昔のポップスにヒット曲を集めたアルバムが
  発売されて、その中のクイーンの曲がとくによく聞かれているという記事があった。
  その歌詞が「手を取り合って みんなでいこう」と書かれてあったが、○十年
  来のクイーンのファンである坊守がすぐメロディーつきで歌ってくれた。さすがだ。

4 月 1日(金) 今日から囲碁の生涯学習の会場がコミュニテイセンターに変わるのので、
  昼からも仕事はあったが、とりあえず準備には早い目に行っておこうと思って1時過ぎに
  出かけた。ここはいつも子育てサロンでお世話になっているので、他の方よりなじみがあり
  また階段も多いので、まあ若手としては碁石やら碁板やらを運ぶのはさせてもらわないと。