平成23年 12月分


12 月31日(土) 除夜の鐘。昨年より寒さは緩んだ感じ。風もなくおだやかの大晦日になった。
  その分去年より多くの方が来られた。今年の特徴はカップルで来られて、ふたりで撞かれること
  が多かったということ。ただ飲酒された方は周りに迷惑がかかるのでご遠慮願いたい。

12 月30日(金) 昨晩に続いて夜警に。今日の方が寒かった。こういう場所でしかご近所の方と
  話をする機会も少ない。新しく越して来られた方とも話が出来てよかった。お世話いただく方は
  大変だが。

12 月29日(木) 夜警に行ったが、思ったほど寒くはなかった。地域を回ってみると1年前とは
  だいぶ変わっている。此の変わり方の速度はだんだん早くなってきているような気がする。

12 月28日(水) 今日で仕事納めのところも多い。大正区の少し入った所に久しぶりに行ったが、その道筋
  には新しい店がいろいろ出来ていて驚いた。広い道なので車で行きやすいという条件もあるのだろう。

12 月27日(火) 車で遠方まで出かけたが、もう幾分正月モードに入っているせいか走りやすかった。
  年が明けたら阪神高速の料金体系が変わるが、得をするのか損をするのかわからない。ただ近い距離
  だと安くなるので、車の量が増える恐れはある。

12 月26日(月) 灯油の配達を頼んだら、持ってきたのが6時過ぎ。急に寒くなったので灯油の需要が
  増えているのだろう。タンクに入れたりする手間はかかるが、やはり暖かくなるのは灯油が一番だろう。

12 月25日(日) 思いがけないところで知り合いの方に出会う。旧家の方は旧家同士でご縁があるの
  だろう。7年前には大変お世話になった

12 月24日(土) 今年一番の寒波。朝の冷たさは厳しい。こうなると夏の暑さが恋しい。

12 月23日(金) 年末のここで3連休があり、年明けにも連休があるので、学生の冬休みは今日から9日
  までとなるらしい。そういうことには全く縁がなくなったので、関係はないが子供にとっては寒い時期の
  休みが増えるのはうれしいことだろう。

12 月22日(木) 今日は冬至。1年で一番太陽の出ている時間が短い日。しかし川沿いに建設中の
  36階建てのマンションが建ちあがってきたのですでに午前10時から日陰になってしまう。都心に
  住んでいるから仕方ないとはいえ、太陽が恋しい。

12 月21日(水) ようやく植木屋さんに来ていただいて、枝を払ってもらった。始めは先月に来てもらう
  予定だったのが、雨で一カ月遅れた。おかげで紅葉は楽しめたが、かなり落葉もした。ケヤキが夏に
  葉が枯れたみたいになったのに、また秋に若葉が出てきたのでどうしてか聞いてみたら、夏場に虫
  で葉をやられたので秋に再度葉を茂らせたということらしい。植物のリカバリー力はすごい。

12 月20日(火) 先日お参りしたご門徒さんの家は、座敷があってそこを落語家さんの練習所のような
  形で貸しておられるそうなのですが、その落語会に当代の人気、実力ともトップクラスの笑福亭鶴瓶が
  飛び入りで参加されたそうです。なんでも今年中に何回の落語会に出ると約束しておられて、その回数
  をこなすために、新大阪から直行でその家に来られて、一席落語をされて行かれたそうだ。人気者で
  東西飛び回っておられるのに、きちんと落語に向き合っておられるのはたいしたものだ。その場に
  居合わせた方はラッキーだった。

12 月19日(月) いよいよ年賀状の制作に取り掛かる。こういうものはセンスが問われるが、自分には
  センスがないということが分かっているだけに辛いものがある。まあ例年通りのものになりそう。

12 月18日(日) 青草人の会。今日は「為度群生彰一心」のところ。浄土論の冒頭のお言葉ということで
  世尊とはこの世にお生まれいただいた尊い方ということでお釈迦様のこと。その世尊が開かれた道を
  私も歩んでいきます、その教えは尽十方無礙光如来に帰命することをより所とする道であり、その道を
  歩むことによって仏の国に生まれさせていただくことを願う身となるように一心に信じるということが
  示されている。一心とはこちらが努力してひたむきに信じるような感じだがそうではなくて、曇鸞さまの
  教えにより、一心とは純粋なものでありあれもこれもということでなく、また途切れることのない心であり
  それは自分で起こすのでなく、如来より賜る信心のことなのだ、という話に。

12 月17日(土) 子育てサロンの準備と今日は時間があったので後片付けにも参加した。寒かったが
  お天気が良かったせいか、たくさんの方が来られていた。こういう場も定着してきたということだろう。
  ほとんどお手伝いできていないので申し訳ないが。

12 月16日(金) 忘年会。しかし金曜の飲み会は辛いものがある。土日は忙しいことが多く、体力的
  にも無理のきかなくなってきている実情では、2次会はパスさせてもらった。その浮いた財布でジュンク堂
  に行って、閉店間際についアルコールの勢いといくらかの図書カードでもって本を購入した。もうこれで
  好きな音楽を聴きながら本を読みまくるという準備はできた。

12 月15日(木) 今年は寒さがことのほか厳しい。新潟の方ではもう雪のニュースも。今まで他人ごとの
  ように思っていた雪の便りも、今年は気になるようになった。

12 月14日(水) ネット通販というのは恐ろしい。一度商品を購入すると、そういうジャンルなら買いそう
  とばかりにメールで次々に商品を紹介してくる。しかも市価よりかなり安くなっているものもあり、つい
  クリックしてしまう。またWebでは簡単に購入されてしまうので、お金を払ったという実感が薄い。
  そう思いつつジャズのCDがあまりにも安かったので15枚も買ってしまった。それでも4300円ほど。
  マイルスのプレステイジの有名なマラソンセッションのセット4枚+「WALKIN’」の5枚で1091円。
  ほかにコルトレーンやドルフィーやビルエバンスなど。まあ自分へのクリスマスプレゼントということ
  にしておこう。

12 月13日(火) 今月の青草人の表紙に寒牡丹の絵を使ったが、あるご門徒の方から「寒牡丹は
  春に咲く牡丹を葉を千切るかして冬に咲くように人の手で変えられたもの」と教えていただいた。
  江戸時代にそういう園芸の技法が確立したらしいが、よく考えてみれば植物にとっては可愛そうな
  ことだ。今では遺伝子組み換えまでしてしまうのだから人間は罪が深い。

12 月12日(月) 忘年会第2弾。少人数でいつもの店という落ち着いたパターンで心地よくいただけた。
  
12 月11日(日) 美味しいお豆腐をいただいた。神戸の方のお店でしか売っていないらしく、なかなか
  手に入らないそうだ。濃厚な味で、湯葉が入っているらしい。普通のボン酢より胡麻だれでいただくと
  格別だった。ありがとうございました。

12 月10日(土) 組の忘年会。ミナミのホテルの料理屋。22階という眺望も良かったし、味の方も満足
  できた。こういう席では焼酎になる。日本酒では銘柄が選べない(飲み放題コース)のであれば、醸造用
  アルコールが残ってしまいそう。

12 月 9日(金) いつもは自転車でいくところを自動車で行ったら、時間が余計にかかった。信号やら
  一方通行やらで最短距離で行けないこともあったが、いつもより遅く出たのでだいぶ待ってもらうこと
  になってしまった

12 月 8日(木) 二日酔いになるかと思っていたが、案外影響は軽微でおさまった。陀羅尼助が効いた
  のかもしれない。漢方の力は恐るべし。

12 月 7日(水) 久しぶりに学生時代の友人と痛飲。もう忘年会シーズンに入っているのか、どこの
  店も結構入って賑わっていた。日本酒とワイン、やはり味わって飲むのであればこういうパターン
  になる。焼酎は味わうというところまでなかなかいかない。

12 月 6日(火) 八尾別院の報恩講に助音方として参勤。着座楽の出るタイミングが遅かったので、
  つい合掌してしまった。まあ次第がわかっているのだから、あわてることもなかったのにと反省。

12 月 5日(月) 地域のネットワーク委員会の会合に出席。救急カプセルの話。こういうものが必要
  になるということは寂しいことだが、これも時代の要請ということになる。

12 月 4日(日) 最近交通事故で亡くなったり、怪我をされたりという話をよく聞く。全体の数は減って
  いるようだが、自転車の事故などは増えているらしい。こういうことは被害者にも加害者にもなりたく
  ない。

12 月 3日(土) NHKで「戦争の証言」という番組をするらしく、なぜこの時期に戦争のドキュメント
  みたいなものを放映するのかと思ったら、その前にドラマで「坂の上の雲」をすることになっていて
  日露戦争の物語だから、軍国主義を宣伝するような心配があるのでバランスをとったのかな、
  と思った。なかなかに深謀遠慮な参謀がいるものだ。

12 月 2日(金) 夜 八尾別院の報恩講の助音の習礼。12月に入って報恩講も一段落したみたい
  な気持ちになっていたので、報恩講用の声がなかなか出なかった。またもう一度気合いをいれて
  行かないと。

12 月 1日(木) 師走に入った。師が走るということでご門徒の方から、今月はお忙しいでしょう、と
  言われたが、実は10月、11月ほど忙しくはない。まあ普通の仕事の人が忙しい時は、こちらは
  暇になることが多い。それは農耕社会の頃も農閑期に仏事が多く勤まったということだから、
  仕組みは変わらないということだろう。