4 月30日(月) 午後から雨模様になってきた。今月は1日から忙しかったが、末日もヨル7時まで
  仕事。まあ仕事ができることを喜ばないと。

4 月29日(日) 皆さんお出かけになるご予定があるのか、早い目にお参りしてほしいというところ
  が多かった。あるお宅で2,26事件の時の首相の岡田啓介の掛け軸があった。昔出入りしていた
  軍人さんにいただかれたそうだが、歴史上の人物の直筆を見させていただく機会を得られてよかった。

4 月28日(土) 少子化と言われているが、それでも子供さんが集まるところには集中するようで、
  豊中の方の幼稚園に入ろうと思ったら、25人募集に40人以上集まって、結局抽選になったそうだ。
  その方は当たったからよかったが、もし外れたら遠くの幼稚園に行かないといけないところだった
  と仰っていた。地域的な偏りがあるのだろうが、これから少子化対策していく上でそういう地域性
  も考慮していかないと対策が後手になりそう。

4 月27日(金) どうしても体一つではこなせないことが出てくる。その時になにを優先するか、
  なかなか判断は難しい。しかし無理は無理と割り切らないと。

4 月26日(木) 謡をされている方がおられて、その方が忙しくてしばらくお稽古にいけなかったら、
  先生がわざわざ家まで出向いてお稽古してくださったそうだ。なかなかいろいろな意味で大変なことだ。

4 月25日(水) 高速道路でタイヤがバーストしたトラックをパトカーが先導して出口まで走らせていた。
  しかもETCの出口を通って出てきたが、これは危なくないのかと思った。どこかで脇に止めて
  応急修理してから動かしたらと思うが、大型トラックではそうもいかないのか。

4 月24日(火) 春の報恩講のお手伝い。午前中に永代経が勤められたが、いつも添え勤めに
  文類偈の早草が勤まるので少し練習していったら、今年から願生偈ということで、またしても
  早さに追い付かなかった。もっといろいろ練習しておかなくては。

4 月23日(月) 一気に気温が上がって初夏の時候。服装や布団が難しい。

4 月22日(日) 昼前から小雨模様。御遠忌のお手伝いに寄せていただいたが、外でのお練りは
  中止。本堂へ参拝される形に。

4 月21日(土) 朝 子育てサロンの準備に。先月うっかりしていたので、早い目に来て準備した。
  今日は欠席予定の方が多かったので、結局3人で準備した。

4 月20日(金) 夜 楽の練習。四天王寺の練習と重なって出席者が少なかった。

4 月19日(木) 夜 民生委の会合。児童虐待の早期発見するための啓発活動を展開しているようだが
  こういう家庭の中の問題は外から見つけるするのは難しい。いくつかのチェックポイントを設けて
  そのいくつかに引っかかってきたら、たとえそれが空振りに終わっても強制的に対処していか
  ないと悲劇はおさまらない気がする。

4 月18日(水) 午後からお内仏のお性根抜き。ひとりで住んでおられた方が施設に入られて、あと
  どなたも住まわれることが無くなったということだった。別に魂がお内仏におられてそれを抜く、という
  ようなことは真宗では言わないです。それまでそのお家の拠り所だったものに対する報恩感謝の
  仏事として勤めさせていただきます、とお身内の方には申し上げた。これからこういうお宅が増えて
  くるのだろう。

4 月17日(火) 午後から大川の遊覧船に乗った。だいぶ桜は散っていたがそれでもまだ部分的に
  花がたくさん残っているところもあった。今日から造幣局の通り抜けも始まったようだし、川岸には
  屋台もたくさん出ていた。どういうわけか南米の民族衣装を付けて、フォルクローレかラテンの歌を
  歌っているグループが二つもあった。

4 月16日(月) お墓に関する問い合わせがあった。このごろは家族が亡くなられた家に墓地や霊園の
  ダイレクトメールがたくさん送られてくるらしい。情報がどこかで売買されているからなのだろうが、
  なにか日本人は節度を失ってきているような気がしてくる。

4 月15日(日) 青草人の会。今回は「即証真如法性身」のところ。このお言葉を教行信証の証巻に
  尋ねて、必至滅度と現生正定聚のふたつの証果があって、前者を当来に受ける利益。後者を現生に
  いただく利益と押さえられている。この世に生きている間は煩悩もおこりますし娑婆の縁によって
  苦しみからも逃れられない。しかし必ず浄土に往生できることが定まった身であるということを受け止める
  ことによって、身は穢土のあっても心に浄土を持つことができる。そしてこの世の命が終わるときには
  滅度、必ず仏となることが約束されている、だからこそこの世のどんな苦しみも乗り越えていける。
  私たちは現世のことばかり気にして、やがて必ずくる後生をいい加減にしか考えていない。しかし
  鹿児島で江戸時代に禁制されていてもお念仏の教えを守っていかれた方々は、後生のことも真剣に
  考えて信仰を守られたに違いない、というお話をさせていただいた。

4 月14日(土) 昨日からの雨がまだ残っている。まあこれから新芽を出す植物にとっては恵みの雨
  ということになるのかもしれない。

4 月13日(金) 囲碁の会に行って、先輩の方から厳しい一言をいただいた。「ご院さんは石を取りに
  行きすぎですよ。」深く反省。

4 月12日(木) 能勢の方にお参りに行ったが、こちらは大阪市内より寒いせいか、今が桜の満開時期。
  昨日の雨にもまだ花はほとんど残っていて、車の窓からお花見を楽しめた。しかし山の中で鮮やかな
  ピンクを際立たせる山桜はまだあまり咲いていないようだった。毎年この日に通る道沿いがそういうこと
  だったということは、今年は寒かったということか。

4 月11日(水) また雨模様。夜 知り合いのお寺で会合があった。そこの庭に立派な桜の木があって
  花びらが落ちて、その下はピンクのじゅうたんをひいたようになっていた。花が咲いている時もきれい
  だが、落花してからも風情があるというのが、日本人に好まれる理由でもあるのだろう。

4 月10日(火) 夜 組会。旅行の後の反省もふくめ、もう来年の旅行の日程や行き先の話に。まあこういう
  ことの話し合いがいちばん楽しい。

4 月 9日(月) 2月に行われた災害避難所開設訓練の反省会。実際にはとてもあのように準備してできる
  ことではないし、訓練であっても受付が混乱したなどということがあったようだ。ともかくこういうことが
  現実化しないことを願うのみ。

4 月 8日(日) 朝は寒かったが、晴れて太陽が降り注ぐお花見日和。といっても1日仕事だったが、神戸の
  北の方ではまだ全く桜の花が咲いていないのに、バーベキューをされている方があった。こうなると花が
  咲いていようがいまいがあまり関係ないということのようだ。

4 月 7日(土) 中学高校時代の友人と梅田で飲食。2軒目に無国籍バーのようなところに行った。
  友人は何度か入ったことがあるそうだが、店員のほとんどが外国の方。先にお金を払ってお酒を受け取る
  というスタイルも外国流。しかもお客さんの大半が外国人。大阪の梅田のど真ん中にハードボイルドの
  世界があった。

4 月 6日(金) 「花まつり子供大会」。例年この時期は雨が多いが、今日もややこしい天気で、晴れて
  いるかと思えば小雨がぱらついたり。後片付けしか行けなかったので申し訳なかったが、こうして続けて
  いることで地域に認められているのであれば、続けていく意味があるのだろう。

4 月 5日(木) 夜 区仏の「花まつり」の準備に。恒例のおみやげの袋詰め。ちょっと参加する寺院が少なく
  なってきている。もうこういう行事もそろそろ考え直す時期に来ているのかもしれない、と毎年思ってしまう。

4 月 4日(水) 今日は午後から時間があったので、ワーグナーの「タンホイザー」の映像をじっくり鑑賞 
  した。始めのバレーの場面(パリ版)のなまめかしい衣装にちょっと驚いたが、出演の歌手のすばらしい
  歌唱を堪能した。3幕目のエリーザベトが巡礼の列の中を愛するタンホイザーを探し求める場面では
  胸が締め付けられた。

4 月 3日(火) 午前中本山に出仕した。雨が降っていたので、坊守に新大阪まで車で送ってもらって助かった。
  終わったのが12時半くらい。そこから後片付けも失礼して12時45分に新快速で大阪に。最寄りの駅まで
  またしても坊守に自転車出迎えに来てもらった。2時から法事を勤めてその家を出たら、激しい暴風雨。
  いったん寺に戻って着替えてまたお参りに。車ででたが、風がきつくて車が揺さぶられるほど。
  春の嵐の一日を何とかしのいだ。

4 月 2日(月) 本山春の法要の楽僧として参勤。だいぶ暖かくなっていたのでよかった。いきなり主管
  だったが、ちょっと止め手があぶなかったか。電車もダイヤがだいぶ変わったせいか、ゆったりと座れた。
  やはり本山で出仕させていただくと身が引き締まる。

4 月 1日(日) ご法事があってお内仏の灯明の位置が少し高かったのに、無理な姿勢のままで消そうとしたら
  ふくらはぎが痙攣した。痛かったがお参りの方もたくさん来られていたので、大げさには出来ず
  顔に出さないように辛抱しながら、なんとか短いお話をさせてもらって帰りついた。無理は禁物。

平成24年 4月分