平成26年9月

9 月28日(日) 御嶽山の噴火のニュースを見ていると本当に恐ろしい。それまで静かだった山が突然
  噴煙と噴石を巻きあげるのだから被害に遭われた方も驚かれたことだったろう。3000メートルクラスの
  山にしては登りやすいのか軽装でしかも幅広い年齢層の方が山頂付近におられたようだ。昔地学に
  授業で活火山や休火山とか習ったが、今は休火山とは言わないそうだ。人類の文明ががこの地球に
  登場したのは地球の歴史から見たらつい最近のこと、まだまだわからないことの方が多い。

9 月27日(土) 木曽の御嶽山で噴火があり、多くの方が巻き込まれたようだ。土曜日の昼間ということで
  登山客も多かったようだ。大変怖い思いをされたことと思う。自然というのは人間の思い通りにはいかない。

9 月26日(金) 京都府の木津川台のお宅で法事。そのあと近くの料理屋でお相伴させていただいた。
  祝園(ほおぞの)の駅前にその店はあったのだが、このあたりは新興の住宅地だから新しい店かと思った
  らなんと創業百年とか。落ち着いた雰囲気の店でお庭もあり、失礼なことながらこのようなところにこんな
  素晴らしいお店があるとは思わなかった。元々このあたりに軍隊の施設があったようでその関係者が利用  
  したとも言われるが、それでも戦後ここまで店を続けてこられたのは素晴らしい。

9 月24日(水) 夜 民生委の会合。地域の老人福祉関係の担当の方が来られていた。地域の独居老人
  のかたなどの見守りを、という依頼というかそういう目配りをしていくのが民生委員の役割でもあると
  いうことだろう。

9 月23日(火) 秋の彼岸会。例年以上の参詣がありよかった。ちょうど時候的にも例年より過ごしやすく
  お出かけやすかったということもあるかもしれない。あとは報恩講にこれだけ参詣があるように願うだけ。

9 月21日(日) 青草人の会。今日は「慶喜一念相応後」。慶喜と歓喜の違いから。「歓ぶ」はまだ手にして
  いないが、やがて必ず得ることが間違いないというよろこび。「慶ぶ」は得るべきものを得たよろこび。
  例えば前者は飴を必ずあげますよ、ということを言われた時のよろこび。まだもらったわけではないので
  本当にもらえるのかな、という疑念が生じることもありますが、後者はもう飴をもらったということですから
  よろこびは少しも疑いが無いということになります。別の譬でいうと、山の中で道に迷った時、道しるべを
  見つけたよろこびとふもとの人里にたどり着いたよろこびの違いということです。無量寿経の中で、本願が
  成就した時の文に始めの方は、「聞其名号 信心歓喜」とあり後の方では「其名号を聞くことを得て 歓喜
  踊躍」とあり、この躍という表現が慶ぶということ親鸞聖人は仰せられています。始めの方は阿難尊者に
  教えられたところで、迷いを持つ弟子に方向を示されたということ、後の方は弥勒菩薩に語られたところで
  すでに仏となることが約束されている弥勒には全てを示された、という話に。

9 月19日(金) 夜 楽の練習。組内の方に報恩講の案内を手渡そうと思っていたが4名中3名が欠席だった。

9 月18日(木) 4時から別院で真宗学院の会議。そのあと学院生と座談会。修練に行ってこられた後だけに
  活発に意見が出た。それぞれに課題が見つかればいいと思う。進んでいく方向がわかってくるから。

9 月15日(月) 町会長さんのお宅で町会の規約を考えていく会合。町会という組織も難しい。特にマンションが
  世帯の半数以上を占めるこの町会にあっては、組織として地域全体から認知されていくかという問題もありそう。

9 月14日(日) 59回目の誕生日。もう来年は還暦ということか。これからは出来るようになることより、出来なく
  なってくることの方が多くなってくるのだろう。そういう考え方の切り替えも大事になってきそう。

9 月10日(水) 夜 組会。去年まではこの日に組の全ての寺院の経常費を集めていたが、今年からはそれぞれ
  で振り込むことになった。少なからぬ金額になるのだからもっと早くからこういう形式にしたらよかったと思うが、
  長らく続いてきた慣習を変えるのは難しいということか。

9 月 9日(火) 夜 地域の会合。ちょっと意思の疎通ができていなかったこともあり、消化不良気味の会合
  になった。

9 月 6日(土) 長らく改築されていたお家に久しぶりにお参りした。自然光を上手く取り込んだ明るいお宅
  だったが、やはりもう畳の部屋というのはないそうだ。それも時代の流れということか。

9 月 2日(火) 寺と一番古くからのご縁のあるお家の親族の方が来られた。現代は家系を繋いでいくと
  いうことが大変な時代になってきた。そういうご相談も含めて、格別のご配慮もいただいた。戦前くらいまで
  は数百年以上続いてきた家が現代は次々となくなりつつある。その家に伝わってきた文化みたいなもの
  も失われていくとしたらこれは大きな損失だ。