平成28年8月分

8 月29日(月) 台風の影響か朝からかなりの雨で、夜もしっかり降っていた。今月は
  雨が少なかった気がするがこれだけ降れば一か月分の雨に相当するかもしれない。
  お盆の忙しい時期でなくてよかった。

8 月25日(木) お参りに行ったお宅で、2週間関東からお孫さんが来られていて、ずっと
  お相手をされて疲れたおいう話を伺った。ようやく帰られて、残された衣類を洗濯して、
  宅配便で送られたとのこと。その大変さが十分うかがえるが、しかしやはりお孫さんは
  かわいくて仕方がないという思いも伝わってきた。

8 月24日(水) ダリ展を見に行った。「柔らかい時計」などの有名な作品は少なかったが、
  若いころの作品から晩年まで、作品の変転をうかがうことができた。その中で原子爆弾投下
  に触発されて書かれた作品が興味を引いた。アメリカを野球選手で表し、そこに原爆に
  悲惨さを黒い抽象的なオブジェで対比するように描き、本人は原爆に反対の立場だった
  かどうかはわからないが、芸術家の直感のような形で絵画として描かれた作品。

8 月22日(月) お盆明けに府庁に提出する書類や宗派への納金などややこしい手続きの
  必要なことを仕上げていったが、教区の共済の提出をうっかりした。なんと締め切りが
  8月15日必着ではお盆の忙しいさなか、とてもそこまで手が回らなかった。去年までは
  お盆明けでも大丈夫だったはずだが、なんとかしてもらえないものか。

8 月21日(日) お参りいただいた方から「青草人」を楽しみにしています、と言っていただいた。
  読んでいただいているだけでありがたい。1面の時事問題のところが評判が良くて、
  中の歎異抄のところはわかりにくいという指摘もお盆参りのときにいただいた。なかなか
  教えのところをわかりやすくお伝えするのは難しいが、もうちょっと読んでいただく方の
  お気持ちにこたえられるよう努力していかないと。

8 月19日(金) 久しぶりに囲碁の会へ。戦績は3勝1敗だったが、その1敗の相手が
  ここのところ6連敗している方で、ハンデがきついということもないはずなのだが、どういう
  わけか勝てない。今日の勝負も石は取られたが地で挽回したと思ったのに、終盤
  こちらから無理な劫をしかけて敗れた。どうも相手の早指しにこちらも手が滑ってしまうの
  かもしれない。

8 月17日(水) 午前中でお盆のお参りは一段落。夕方からは地域の盆踊りの受付。
  去年は雨が降ったりしていたが今年はその心配はなかった。子供さんがたくさん来られて
  いた。ただ自分も含めてのことだが、子供の学びの場である小学校で大人が子供たちの
  目の前でビールをガンガン飲んだりするのはいかがなものか。暑いので仕方がないとは
  いえ気にはなる。

8 月15日(月) 遠い御親戚のお宅をそれぞれお参りさせていただくことがあるが、ご親戚
  同士のつながりが少なくなって、こちらの方がそれぞれのお家の情報をお伝えしすること
  がある。世代が替わるとお付き合いの仕方も変わってくるので、そういう意味ではお役に
  たっているのかもしれない。

8 月13日(土) 息子が帰ってきてくれて今日から盆参りを手伝ってくれた。助かる。どうしても
  お家がわかりやすいところということで、ご近所が多くなり、この暑いさなか自転車で
  回ってもらうことになるが若いのだから我慢してもらうしかない。

8 月12日(金) 今朝はお盆中一番早い朝7時に出たが、行くときに隣のお寺の前住職さん
  がもう自転車で法服をきて通って行かれた。この時期やはりどこのお寺さんも時間との競争
  ということだろう。自分だけ忙しい目をしているのでない。

8 月 9日(火) 夕方豊中から生駒のほうに行くのに、阪神高速で行くか、中環から近畿
  で行くか迷ったが、後者のほうが市内を通らないからいいかと思って行ったのが大間違い。
  近畿道は混みだすと出口が限られているので渋滞でも全く動かない状態になる。十数年前
  松原から吹田に行こうとして3時間以上かかったことがあったが、それに近い状態。生駒
  のお宅へは2時間くらい遅れてしまった。

8 月 6日(土) 服部の墓地での勤行。ただ曇っていたのでよかった。夜は楽僧の役員会。
  ちょっと遅れたが天王寺の駅から近い店だったのでよかった。それにしてもこのあたりは
  十数年ぶり、いやもっと久しぶりだったかも知れないがすっかり変わってしまった。大きな
  書店があったあたりだと思うが、面影はない。

8 月 2日(火) 全体の組会。例年より早い(教区ではトップでは)ので助かる。所長の巡回も
  あったが、他の組なら別院の土地貸借事業について質問が出ただろうが、うちの組ではその
  案件を審議された委員長さんが組長さんなので、意見は出なかった。もう自分たちが金銭を
  負担するのでないならどうにでもなれ、ということだろう。まあ次の世代、いや次の次の次の
  世代が責任を負わなければならないのだから大変だ。