平成28年10月分


10 月28日(金) 難波の晨朝に助音で出仕。結願とはいえ音は低く、正信偈も真読と
  思えないテンポだったが、まあお朝事だからこれでいいのだろう。これくらいの音程なら
  十分声を出せる。そのあと朝食を別院でいただいた.。地下の会議室だったが、昔朝食を
  いただいていた別棟の部屋はどうなっているんだろう。朝日が当たって心地よかったが
  最近は使われている様子もない。時代は変わっていくということか。

10 月26日(水) 難波別院の報恩講に楽僧として出仕。門首後継者のかたがご出仕に
  なっていたからか、思いのほか時間がかかった。参詣も多く法要としては盛大だったが
  どうも式嘆を読まれるでなく、ただ巻物をまかれる所作だけというのはどうかと思う。

10 月22日(土) 夜 町会の総会。班の合併や総会開催を毎年にするなどが決まったが、
  一番話題になったのが、町内に建設されるワンルームマンションのこと。法律上問題が
  なかったらいくら反対しても建設は止められないのだろうが、ワンルームで168世帯と
  いうのはちょっとどんなものか。管理人さんをおいてしっかり管理していただかないと
  大変なことになる。

10 月21日(金) 組内の寺院の報恩講に参勤中、地震があった。参詣席でまず一斉に
  警報音がなり、そのあとしばらくして揺れが来た。法要がどうなるかと思ったが、ちょうど
  登高座されたところだったので、誰も声を出しておらず、法要は滞りなく進められた。
  たぶん大丈夫だろうと思ってしまったが、もし震源に近かったらどうしただろう。

10 月20日(木) 夜 民生委の会合。歓送迎会の件も案内状をお配りしていただいて、
  その時が迫ってきた。気が重い。

10 月17日(月) 久しぶりに本屋へ行ったら、その売上ランキングに、お西の新しい門主の
  本が並んでいた。こういうところにそういう本が並ぶと違和感がある。
  よく新興宗教の教祖の本がこういうところに入ったりしているが、
  伝統ある教団の門主の本がここにあるということは、末寺門徒に檄を飛ばしたんだろう。
  しかし親鸞聖人の教えを受け継ぎ本願寺の中心となる方の本来的な立場は道場主であろう。
  道場主は法を説くというよりもしかるべき師を招いて法座を開くということが仕事で、
  その法を先頭に立って聞くというのがその役職ではなかろうか。お東では宗門の先頭に
  立って聞くということで「首」という字を使う。道場主が法を説けば、みなその弟子とならざる
  をえない。大きな紛争を経験したが、ご門首が本来のお立場を守ってくださってありがたい。

10 月16日(日) 青草人の会。今回はもう最後「唯可信斯高僧説」のところ。
  親鸞聖人はご自分の説く教えを信じなさいというのでなく、高僧方の説かれるところ
  を信じなさい、と言われています。自分はめずらしい法を弘めたわけではない、すでに
  法然上人によって開かれたところの念仏の教えをしんじるよりほかにはない、ということ
  です。さらに経典である大経を信じなさい、ともいわれなかった。これはお釈迦様によって
  説かれた念仏の教えが、時代を超え、空間を超え七高僧によって今日自分のところまで
  届いた、その事実を信じるということです。教えだけあってもその教えを伝える人がないと
  意味がないということです。様々な国、地域の多くの人々によってその教えの正しさが証明
  されてきた、そのことがありがたいということになる、という話に。

10 月13日(木) 報恩講、天気も良く気温も暑からず寒からずでちょうどよかったが、
  参詣は少なかった。いつもお参りいただく方が御用があったりということだが、なんとか
  方策を考えないと。今年はまた表白を新しくした。
   

表白

仰ぎまつる 親鸞聖人。

その徳はいよいよ輝き、濁りきった世の中を照らされています。

聖人は無常の命をいとおしみて仏門に入られ

二十年の歳月を比叡の山にて厳しい修行勉学にはげまれました。

しかしいかにしても我身に響かぬ聖道門の教えに

深く苦悩し煩悶し、洛中六角の御堂にこもられました。

そこで観音菩薩の夢の告げに励まされ

法然上人の吉水の僧伽に身を運び、上人より

「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし。」

との教えを賜り、本願弘誓との出遇いをとげられました。

しかるに南都北嶺は涅槃道を迷失して真仮を知らず、

権門は邪正をわきまえずして吉水の僧伽は罪科に問われ、

聖人もまた北国に流罪となられました。

しかし都より離れた辺境の地でなお深く信順のまことをつらぬき、

漁師、あきうど、田畑に生きる人々に 御同朋とかしずかれ

非僧非俗に末代の僧伽のすがたを見出され、

愚禿親鸞と名告られました。

聖人、関東在住の間に、浄土真宗を開顕せられ、

末代濁世に燈炬を掲げ 浄土の大菩提心を顕揚して

念仏喜ぶ人を諸仏と等しき者と見いだされ

煩悩具足の我らに成仏の道を開示したまわれました。

『弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば ひとえに親鸞一人がためなりけり。されば束縛の業をもちける身にてありけるを

 たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ。』

と罪業身の真実を語られました。

悲しきかなや、聖人は九十のおん年を一期とせられ、

 世の中 安穏なれ、仏法 弘まれ。

と、前をとぶらう私たちに願いを託され

自信教人信そのままに如来涅槃のすがたを示して 無窮の法界に還られました。

聖人逝きて七百五十年、

社会は華美を装いながら、虚しさを増幅し、

人々はいのちの輝きを失って居場所のない日々を送っています。

障害のある人を無差別に殺傷するという痛ましい事件がおきました。

これは決して一人の人間だけの業ではなく、

現代社会が内包している差別する心の闇が

現れ出たということにほかなりません。

「一切の有情は世々生々の父母兄弟なり。」

と宣せられた聖人の教えに 今こそ立ち返らなければなりません。

 

本日「報恩講」に遇いえた私たちは、聖人の歩まれた本願真実の道を聞き開き、

如来によって願われた同朋社会の実現を期して 

念仏の大行に生きることを誓います。

おん同朋を代表して

本遇寺 釋 香雪 敬って申し上げます。

10 月12日(水) 昼 民生委員の大阪市の大会。式典の途中で失礼した。一応15年
  の表彰があったが、ただ時間が経過しただけでそんなに仕事をしてきた実感がない
  ので、表彰状をいただいてもピンとこない。

10 月10日(月) 報恩講の花を生ける。松の芯だが、一昨年まで頼んでいた花屋さん
  に比べると、ちょっとさみしい。この時期松を扱っているところが少ないらしいが、
  それでもやはり報恩講は本物の松をいれたい。

10 月 5 日(水) 夜 楽僧と准堂衆会の合同研修。附物の練習だったが、今の准堂衆
  は下無(F#)の音が出せる。ほとんどがこの音程でさらに上げても何人かは声が
  出ていた。もうこちらの出る幕はないはずだ。

10 月 3 日(月) 夜 延塚師の「教行信証講義」。まだ総序のところだが、途中の話で
  親鸞聖人が法然門下では嫌われ者、鼻つまみ者だったというのは驚いた。しかし
  よく考えてみたらまだ新参の身でありながら、門弟の信心のあり方を確かめようと
  されるなど、普通の人であればこいつ、何を考えているんだ、ということになる。
  越後から関東に行かれて人間が丸くなられたということだろう。