平成29年11月分


11 月 30日(木) 午前中 民生委の仕事で上六の社会福祉センターへ。来年が
  大阪で民生委員制度が始まって百周年ということで、いろいろ啓発活動がある
  らしい。本当に悪い時期に、いやいい時に委員長になってしまったものだ。

11 月 25日(土) 植木屋さんに庭の剪定をしていただいた。欅などが落葉する
  寸前でちょうどよかった。かなり枝も落としてもらうのだが、見ていると、そこは
  切ったらあかん、と先輩から指示が出されていた。適当に切っているようで、実は
  残すべきところはおいてあるんだな、と感心した。

11 月 23日(木) 組内の報恩講と親戚の寺の御遠忌が重なり、報恩講がどうしても
  外せない要件があったので、御遠忌は息子に行ってもらった。御遠忌でお立ち寄り
  が五軒もあったとか。大東市の方だが、よいお檀家がたくさんおられるということで
  うらやましい。当院の場合だと寺の近辺で法中方にお参りしていただくというか、
  入っていただける広さの部屋のあるご門徒さんがほとんでおられない状況だ。
  地域の住宅事情が違うということだろうが、市内はちょっと人口が集約しすぎて
  いる。

11 月 21日(火) 寒さが厳しくなってきた。おでんがおいしい季節になったが、先日
  あるお寺の報恩講に参勤させていただき、法要後お食事をいただいているとき
  同席した僧侶の方が大根が食べられないという話をされた。時々大根が嫌いな方
  はおられるが、寺族の方で大根が食べられないと、本山のお斎はたいへんだ。
  メーンが大きなふろふき大根なのだから。

11 月 19日(日) 青草人の会。歎異抄の第二章、今日は北嶺のところから。
  比叡山延暦寺の天台の教えも大乗なのだが、自力聖道門の立場。さらにあらゆる
  人を救うと言いながら、女人禁制であり、これについては聖人の別の伝記に、比叡山
  を訪ねたいという女人との問答が記されている。仏教は「一切衆生悉有仏性」という
  教えがあるのになぜ女人は除かれるのか、と問い詰められるという話がある。これは
  事実かどうかはともかく、女性を救う教えが比叡山にはないことに絶望されていたということ
  ではないか。そして山を下りて法然上人のもとを尋ねられて、その教えに帰依された。
  「親鸞におきては」と名を名乗っておられる時は信心の大切なところ。よき人は法然上人。
  ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし、とは上人が一切経の中から見いだされた
  「一心専念弥陀名号・・・順彼仏願故」の教えを生涯を通して法然上人は伝え続けられ
  その教えによって親鸞聖人も救われていったということ、という話に。

11 月 18日(土) 朝子育てサロン。雨模様だったので少ないかと思ったが、案外多くの
  親子に来ていただいた。来年小学校に入学される子供さんのお母さんの話によると、
  福島小学校の新入生は110名の予定とのこと。全員入学されるわけではないのだろうが
  この調子で児童数が増えると、やはり今の校舎では対応できなくなってくるだろう。
  
11 月 16日(木) 組内の寺院の報恩講。本堂を新しくされ、以前と同じ道場形式だが、
  背景に動物が集まってご本尊を取り囲むように描かれてあった。若冲の絵を参考にした
  と住職もいっておられたが、こういう本堂もいいなあと思った。御代前には恵信尼公の
  絵像が掛けられ、これからは男女同じくということらしい。時代に対応しているという
  ことだろう。

11 月 15日(水) 大阪市の文化財の担当の方が来られて、寺にある蓮如上人の絵伝
  を借りていかれた。12月に大阪市にある蓮如上人に関する絵像や名号、こうした絵伝
  の展覧会が開かれるとか。一応江戸時代に書かれたと分かっているけれど、有名な
  絵師のさくということではなさそう。しかし明治10年に6円で先々々々代が購入されたと
  いう記録が残っている。いまこうして寺として活動していけるのもそういうご先祖のおかげ
  とあらためて感謝の思いがわいてきた。

11 月 11日(土) 午後から区役所で成年後見人についての講習。これからこういう方の仕事
  は増えていく一方だろう。その中で混乱が起こらなければいいが。

11 月 9日(木) 今日別の組内の報恩講に寄せていただいたとき、その組内のお寺に
  名古屋の方がご養子に入られるとか。しかもその方が声明講習を受講されているらしい。
  このところ名古屋の方からこちらに入られる方は声明を学んでおられる方が多い。
  もともと名古屋は声明の練習が熱心なところだが、そこから大阪に来られて、大阪に
  声明の新しい風を吹かせていただけそうな気もする。 

11 月 6 日(月) 夜 金沢の方から来られた先生のご講義を聞きに行った。20願の
  話だったが、どうも私たちの生きている間は20願の往生であり、命終わってから18願
  往生がなされるような話のように思えた。最近はそういう論法の話が増えてきたように
  思える。

11 月 4 日(土) ご法事の後の食事の席にも着かせていただいたのだが、まず献杯の
  発声を頼まれ、それから途中で一人づつ故人の思い出を語ってほしいということで、
  またマイクが回ってきた。また学生時代の友人や いろいろなご縁のある方のお話を
  聞かせていただいて、亡き人の人柄がしのばれてしんみりとはしているけれど、ほのぼの
  としたいい会食であった。 

11 月 1 日(水) 隣寺の前住職の一周忌法要に参勤できないので、御香儀を持ってお参り
  させていただく。亡くなった前住職とは同年齢だったので、いろいろなことが思い出された。 
  自分も必ずいつか行く道なので、住職道と同じくまた道案内をお願いしたい。