平成30年3月分
3 月30 日(金) 7組の研修旅行。茨城方面に関東二十四輩を訪ねて、
という目的。朝8時神戸空港から茨城空港まで。そこからまず唯信寺へ。
ここではこの北関東の地は北陸方面からの移住者が多いとのこと。
真宗の信仰の篤い土地から聖人の御旧跡を訪ねるという名目で農家の
次男三男を呼び寄せて荒れ地を開墾していったとか。昼食は常陸牛を
いただき午後からは飯冨の平太郎ゆかりの真仏寺へ。聖人が布教に
来られても田植えの時はお説法を聞く時間はない、そこで田植えしながら
教えに出会える田植え歌を作られたとか。夜は大洗のホテルでアンコウの
どぶ汁をいただく。アンコウの身と野菜からの水分だけの鍋でとてもおいし
かった。
3 月27 日(火) 午後から区の社協の会議。多岐にわたり事業を検証する
のは難しい。ましてや細かい数字が並んでいると、もうこれでいいんとちゃう
となってしまう。暖かな春の午後、そんなことを想いつつ1時間が過ぎた。
3 月24 日(土) 地区は違うが同じ区内の保育園の卒園式。子供一人一人
にエピソードを紹介しながら卒園証書を渡されるのだが、それを読まれる
担任の先生方が涙声になっていて、園児はわりにけろってしていたのが
印象的だった。
3 月23 日(金) 夜 地区の民生委会議。相変わらず配布物は多いが連絡
事項はそんなに多くなく30分くらいでお開き。民生委員制度百周年の行事
はあるが結局委員長が動くことになる。保育園への遊具の贈呈も園児が
増えているのに原資が変わらずで、大人数のところを減らすことに。
それにしてもこの地域の保育園は不足している。
3 月21 日(水) 春季彼岸会永代経法要、並びに蓮如上人御祥月法要、
併せて天常院五十回忌、慧眼院十七回忌を勤めた。本遇寺の歴代住職
なのでご門徒と共に堂内全体で正信偈を勤める方がどれだけうれしいことか。
あいにくの雨模様だったが法要前には雨も上がり、多くの方に参詣いただいた。
ご法話を沼田師から頂戴し、みなさんに彼岸の意味合いを明らかにして
いただいた。
3 月19 日(月) 小学校の卒業式。32名の卒業ということで、6年間同じクラス
だったそうだ。みなしっかりしていて大きな声で将来の夢を語ってくれた。
また見送る5年生も、6年生に比べると身長は低いが声はしっかりしていて
人数が多くまた来賓席から近かったので耳をつんざくような声とはこのことか
と思えた。
3 月18 日(日) 青草人の会。歎異抄第3章の2回目。自力作善の人を
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の詩で表現されている人に譬え、そうありたい
と思ってもそうなれない自分に気が付かされる。それが煩悩具足のわれら、
ということになる。とくに「われら」といわれているのは「いし、かわら、つぶて
のごとくなるわれら」と言われてあるのと同じで、生きていくためにはそう
せざるをえない、そのことを「命をつなぐともがら」ともいわれている。
そういう者をすくわんとするのが弥陀の本願。そのことを真宗の教えでは
「二種深信」として教えられている、という話に。
3 月17 日(土) 子育てサロン。今日はまた寒さがぶり返したので、
参加者が少なく、世話する人の方が圧倒的に多かった。こんな日もある。
3 月16 日(金) 午後から囲碁の会へ。最初に失敗して大石を取られ、
盤面の4分の1を相手の確定地にされたが、そこから盛り返し、といっても
無理しているのでこちらの石が生きるか死ぬかの劫になり、なんとか
それを勝ち抜いて最後計算したら10目ほど勝っていた。相手は最初に
大きく取ったので油断したとのこと。勝負は最後まで分からない。特に
われわれのレベルでは。
3 月14 日(木) 夜 地域活動協議会に初めて参加。地域の諸行事の予算
的な裏付けをするような組織か。その今まで役所との仲介にあたって
いただいていた方が変わられるらしい。入札で敗れたとか。今まで地域
との繋がりが深まっていただけに新しい組織と信頼関係を築けるか心配
とのこと。役所のすることはまあ癒着があってはいけないという危惧も
あるのだろうが本当に動きやすい体制を作ってもらいたい。
3 月10 日(土) 知り合いのお寺のご法事に参勤。電車で向かったが案外
早く行けた。ただ駅からはタクシーでないといけない。歩いたら30分くらい
かかりそう。平日はバスがあるが土日は走っていないらしい。まあなければ
なかったで静かな生活が送れるのでいいのかもしれない。
3 月 6 日(火) 別院で「教行信証講義」を聴講。ゆっくりとくりかえし話を
進めていただけるのでありがたい。自分だけわかったつもりでどんどん話を
進めて行ってしまう(自分のこと)のは迷惑だということを反省させられる。
3 月 5 日(月) 准堂衆会と温雅会との合同習礼。両方の会に所属している
ので参加しないわけにはいかない。声明に楽器で音を付けていく練習だったが
どうしても自分のお勤めが楽器的な音の変化になってしまっている。微妙な
音の変化が楽器だと、特に持ち管の笙だと単純な変化になってしまう。
しかしいずれ声明を五線譜で表すようになったりしたら微妙な発声は
受け継がれなくなっていくのだろう。
3 月 2 日(金) 夜 久しぶりに楽の練習。ちょうど急用が練習の日に続けて
重なってなかなか参加できなかったが、ようやく時間が取れた。本山の
春の法要にも当役になっているので、練習しておかないと指が動かなく
なる。