平成30年7月分
7 月29 日(日) 今日寺でご法事を予定されておられたお家が、台風の
影響で延期ということになった。天候だけは仕方がない。早朝というか
夜明け前ごろにちょうど大阪を台風が通過したみたいで、急に雨風が
強くなり目が覚めるほどだったが、朝になるともう収まっていた。
7 月24 日(火) 民生委員の研修。後半の講師の大阪府大の三田先生の
お話がとてもよかった。なんといっても話術がずば抜けておられる。
関東出身の方だが話の進め方が上手くて大阪人のノリにぴったり。
長時間だがおかげで少しも退屈することなく(居眠りすることなく)
研修できた。
7 月22 日(日) 能勢の霊園で納骨。以前は行きにくいところだったが
高速道路ができ、またそれに接続するきれいな道もできて今までの半分の
時間で行けるようになった。これを見越してこの場所に霊園を作ったのだ
ろうか。
7 月20 日(金) 夜 延塚師の話。驚いた、というか今までの認識が誤って
いた。二種深信が親鸞聖人の信心の了解かと思っていたらそうではなかった。
「邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難」すくわれるはずのない人間をすくいとる
という本願、この絶対矛盾をどのようにして同一化していくかが親鸞聖人の
教えの根幹。法の深信によって機の深信が明らかになるというのは観経の
教え。教行信証でも二種深信は一か所しか出てこない。そういわれたら
いままで伝えてきたことはどうなってしまう、と背筋が寒くなった。
7 月19 日(木) 地区の民生委の会議。区役所から生活支援担当の方々が
来られて生活保護世帯についてのお話。そのあと盆踊りのお手伝いについて
の話。
7 月17 日(火) 区役所で民生委員長の会議。この暑さなので早く終わりた
かったが、8月は会合がないので9月の予定の話もありいつも通り。
7 月15 日(日) 墓供養。今年はというか今年も大変な暑さの中で勤めさせて
いただいた。この時候にもかかわらず20名以上のお参りをいただいた。
例年通り合同墓「倶会一処」碑前で正信偈を勤めた後、各家のお墓の前で
三誓偈を勤めさせていただき、最後に境内にある「二十一人討死之墳墓」
前でお勤めをした。
7 月12 日(木) 夜 天王寺で宴席。かつて大変お世話になった先生のお寺も
この前の地震で大きな被害にあわれたとか。幸いご家族にはおけがはなかった
ようだが、建物の修復は屋根の修理とか手がかかるとのお話を伺った。
7 月10 日(火) 夜組会。この前の地震で被害のあった寺院にお見舞いの
一時金が出るようだ。水害で水に浸かった家屋の被害を見ていると、地震の
被害は軽微に思えてしまうが、日本中あらゆるところでいつ被災者に
なるかわからない。そういう覚悟はしておかないとその時に間に合わない。
7 月 9 日(月) 広島、岡山、四国と広範囲に大雨の災害。もともと瀬戸内地方は
雨が少ないと言われていたのに、そこに一気に一ヶ月分以上の雨が降れば、保水
の限界を超えてしまう。五十年に一度という雨が毎年心配しないといけなくなって
きた。
7 月 8 日(日) 今月は第二週に青草人の会。歎異抄5章の2回目。念仏を自分の
方から回向するのではない、そのことを明らかにしないと自力に迷ってしまう。
念仏の謂れを三部経で見てみると、観経では下品下生の者が臨終のときに
南無阿弥陀仏と称えればすくわれると説かれ、阿弥陀経では名号を執持すれば
すくわれると説かれる。しかしこれは方便の教えでありそこから真実の教えに
向かわねばならない。真実の教えである大経には17願に我が名をほめたたえて
称えよ、ととかれているがそれは諸仏にたいしてである。我々衆生はその名号を
聞いて信心歓喜するのです。すでに仏の世界におられる方たちがほめたたえて
おられる、その念仏を私たちに回向されてその感謝の気持ちで念仏を称える
のです。その姿を見て縁のある人々が念仏の信心をいただいていかれる、それが
浄土の慈悲でもあるのです、という話に。
7 月 5 日(木) 梅雨末期の集中豪雨。大阪もかなり降ったがまだまだ降り続くようだ。
今年は季節の移り変わりが早い。
7 月 2 日(月) 地区の盆踊りの実行委員会。各団体から複数名参加されていたが
人数が多すぎて会議の進行に支障が出るほど。概ね決まっていることを伝達する
だけなのだから、各団体の代表者だけでもよかったのでは。
7 月 1 日(日) 午後から知り合いの方の褒章祝賀会。天王寺の方のホテルで
あったが盛大な宴席で、200名近い出席者。主賓のお人柄にもよるが司会進行の
方のたくみな話術もあって、なごやかですばらしい会だった。それにしても叙勲を
受けるというのは大変なことと改めて思った。