平成30年9月分



9 月 29 日(土) 民生委員の研修で奈良の水平社記念館へ。水平社宣言
  の起草者、西光万吉の寺を中心にその地の若者が集まって部落解放の
  のろしを上げられた場所だが、行ってみると案外西光万吉のことは思って
  いたほど重要視しているのでなく、むしろ周囲の人間の紹介に重きを
  おかれていた。理想主義者の作文と実際に苦しんできた人々の実践が
  この運動の原点であるということか。

9 月 27 日(木) 町会長会議。先の台風で被害を受けられたお家の方が、
  またやってくる台風の時、避難したいという申し出があったそうだ。区でも
  避難所開設については今日の時点では検討中ということだが、なかなか
  こういう時の対応は難しい。タイミング、判断、住民への周知など、しっかり
  としたマニュアルを今年のように災害の多い年のことを参考に作成しないと
  毎年混乱する。

9 月 24 日(月) 夜 叙勲を受けられた福島地区民生委員長の祝賀会。受付
  の役を仰せつかって、多くの方がこられたが、存じ上げている方が少なく、
  一度に何人かおいでになると焦った。先輩の方は他の地区の方でもほとんど
  来られた方のお名前がすぐに出てこられて、さすがに長く地域のお世話を
  されていると感心した。

9 月 23 日(日) 秋季彼岸会。今回から住職が話をすることになって、今日は
  本遇寺にあった蓮如上人絵伝の内容を実物を見ていただきながら解説した。
  百数十年前に当時の本遇寺住職がこの寺は蓮如上人のご遺徳を伝えていく
  使命があると購入された絵伝を、今こうして皆様と一緒にたずねていけるのも
  当時の住職の決断がいま実を結んだということ。それは皆さんお一人お一人の
  命もおなじこと。先祖代々の願いが今日ここに実を結んでいるという話に。

9 月 21 日(金) 夜別院で延塚師の講義。回向は往相も還相も如来のお仕事。
  行巻にも還相のことが説かれている、という話。それを「ビリギャル」の映画と
  からめて、どうしようもない女子高生を慶応に入学させた家庭教師に、他の
  教師が話を聞かせてほしいとやってくる、それと同じでどうしようもない衆生を
  すくい取った阿弥陀のもとに、他の仏が教えを請いにやってくる、それが
  還相のはたらきであるというふうに結び付けられていた。、

9 月 20 日(木) 夜 地域の民生委員会。昨年ご病気で入院されてそのお見舞い
  を会の方で指せていただいたら、その快気祝いを会員全員にいただいた。
  頼りにさせていただいているので、お元気になられて本当によかった。

9 月 18 日(火) 午後から民生委員長の会議、そのあと下福島中で地域の民生委
  主任児童委員との話し合い。学校というところはやはりたくさんの生徒さんを指導
  されているだけに、大変なご苦労をされていることを伺った。校長先生はなかなか
  指導力のある方で、また生徒のことを第一に考えておられる。地震のあった日に
  体育祭を実行されたのも、一度延期になって、せっかく準備してきた生徒たちの
  苦労をなんとか達成させたいということで、もうこれ以上地震はないと確信されて
  行われたそうで、苦労してきた生徒も感激していたとか。この校長先生も今年で
  定年とか。優秀な方には残っていただきたいがそうもいかないのだろう。

9 月 16 日(日) 青草人の会。歎異抄六章、「親鸞は弟子一人も持たず」のところ。
  その意味するところは、まずひとつは自分は法然上人の門下であり、自分お教え
  を聞くものは法然門下のともであるということ。さらに念仏の行者は如来の弟子で
  あり、自分はその代わりを務めているということ。その具体的事例として、口伝鈔
  にある、信海という門弟が聖人の教えに納得ができないので、門下を離れるといった
  時に、門弟の蓮位が、これまで渡した聖教を返してもらわないと、門下を離れたら
  粗末に扱うかもしれないと言われたとき、聖人はもしその聖教を捨てたとしても
  それを拾った人が念仏の教えに目覚めるかもしれない、と言われたというような話に。

9 月 13 日(木) 別院で組内の若手の方が主任をされている教学研究班の公開
  学習会があり、「阿弥陀経のこころ」と題して、サンスクリットの原本と新旧の漢訳
  を対照させながら、阿弥陀経の伝えんとするところを明らかにされていた。羅什訳
  になじんでいる者にとって、玄奘訳は新鮮で、むしろ本来の意味に即しているという
  ことには驚いた。今現在説法している阿弥陀を仏と訳されているが、原本は如来
  (タターガタ)であり玄奘訳はそれに忠実に従っているなど、勉強になった。

9 月 10 日(月) 夜 組会。この組内の寺院でもこの前の台風で被害に遭われた所
  が多く、屋根瓦がとんだり、会場の寺院では屋上の倉庫が下の屋根に落ちてきたり
  風の影響は大きかったようだ。

9 月 9 日(日) 高槻の方に久しぶりにお参りさせていただいたが、まだまだ地震の
  影響でブルーシートがかけられたお家が多く見受けられる。被害の少なかった者に
  とってはもう過去のことになりつつあるが、被災された方にとっては修復されるまで
  災害は進行形ということだ。

9 月 7 日(金) 友人にPCでメールしても返ってこないなと思っていたら、ようやく
  返信が来て、「4日間も停電だった」ということ。さすがに4日も夜が真っ暗な生活は
  うんざりしてきたとのこと。電気のない生活は現代では考えられないものだが、
  電信柱に頼った生活ではこういうことも起こるということだろう。当たり前が当たり前でない
  ことに気づかされた台風だった。

9 月 5 日(水) 午後から区役所で助け合いのワークショップみたいなものに参加。
  その場で昨日の台風の様子をお聞きしたが、いろいろ大変だったそうだ。テレビで
  淀川が溢れそうとかいう情報が流れて、避難したいというお年寄りの方が町会長さん
  のところに来られたりしたそうだ。避難所は開設されていなかったし、避難勧告も
  出ていない。テレビの大げさな情報も困りものだ。

9 月 4 日(火) 台風21号が大阪を直撃した。午前中は穏やかな様子でまた大したことは
  ないんではと思っていたら、午後1時過ぎから風雨が強まり、2時ごろのピーク時には
  恐ろしいほどの風。窓から堂島川の方を見たら、水煙が立ち上って川上の方に流れて
  いた。午後4時過ぎには雨風共におさまってきたが、境内には木の葉がいっぱい飛んできて
  いた。とくに本堂前のところは木の葉がちぎれて細かくなったものがたくさん飛んできて
  掃除が大変だった。

9 月 1 日(土) 午後から大阪市の民生委員大会。場所は港区の大阪市中央体育館。
  百周年記念大会ということでキャパの大きい会場にしたのだろうが、音響が最悪。
  特に後半の西川キヨシ氏の講演では、音声が聞こえそうで聞き取れないというイライラで
  頭が痛いという人も。こちらはあまり聞く気もなかったのでそんなに苦にはならなかったが。