平成31年 2月


2月28日  地域の連合町会長さんのお葬儀。参列が多くしかもご存知の方が
        ほとんどで、ちょっと緊張した。やはり多くの方に見送られるお葬儀は
        故人の徳をしのぶ思いが一層強くなり、印象に残る。

2月27日  組内の坊守さんがお亡くなりになられご弔問に伺う。だいぶ前に組内
        の仕事をご一緒させていただいたがそれからだいぶご無沙汰になって
        いた。ご住職にお話を伺うと10年くらい前から具合がお悪かったとのこと。
        ようやく娑婆のお仕事を終えられたということで感謝申し上げたい。

2月25日  夜 町会長会。今朝亡くなられた連合町会長の方への黙とうから
        始まった。いつかはこの時が来ることは覚悟していたが、いざその時
        が来たら、その喪失感の大きさに愕然とする。

2月22日  今日こそ正真正銘の楽の練習日。しかし出席者は少なかった。会員
        の半数にも満たないか。特に7組は5名中4名欠席。何か組内の行事
        があったのかと心配になった。偶々だったようだが。

2月21日  夜 地域の民生委員児童委員会。学校とのかかわりについて伺ったら
        それぞれの分野でいろいろかかわりを持っておられることが分かった。

2月19日  民生委員長会議。地域の学校との関わりのアンケートの件など。
        春の懇親会の幹事をしないといけないことに。順番だから仕方がない。

2月17日  青草人の会。今日は歎異抄9章。門弟で歎異抄の著者と目される
        唯円が親鸞聖人に「念仏してもおどり上がるほどの慶びを感じられない。
        また急いで浄土の行きたいという気も起らない。」という問いを起こした。
        真実の教えが説かれる時は門弟からの率直な問いが機縁となる。
        無量寿経でも阿難が「今日のお釈迦様は特別尊いお姿ですがどうして
        ですか。」という問いを起こした。お釈迦様はお悟りを開かれてからずっと
        尊いお姿だったのに阿難はその時初めて気が付いた。優れた門弟方は
        とっくに気が付いていたことを今頃気が付かれた、それは凡夫の代表
        として問を起こして下さったということ。そしてお釈迦さまも「その問いは
        はなはだ快し」と言われて凡夫救済の教えである本願他力の教えを
        説かれた。それと同じ状況がこの時の親鸞と唯円にあったということです。

2月16日  朝子育てサロン。今朝も1歳半くらいの子供さんが4名が親子で参加
        していただいた。親の方同士で幼稚園や保育所の情報交換もされて
        いるようで、本来のこの場所の在り方が認知されてきたようにも思える。

2月15日  第3金曜日は楽の練習日だと思いこんで別院まで行ったら、だれも
        来ていない。おかしいと思って案内をみたら、今月は第4金曜になって
        いた。確認をしなかった自分が悪いが、毎月決まった曜日になっている
        ので、急に変えられるとうっかりしてしまう。とは八つ当たりかもしれないが。

2月11日  あるご門徒さんのところで法事のお勤めの後の会話で、今のお勤めで
        二重の声が聞こえたとか。意識してそうしているわけではないが、何かの
        拍子に自分でも二つの声が出ているような気がすることがある。
        モンゴルのホーミーのようだとか、ピアノの先生もその中におられて、その
        音の音程はラ♯だとか。正当な声明ではないかもしれないが、バッハの
        音楽などで通奏低音は神の声という指摘もあったりするので、これは
        仏の声ということにしておこう。

2月10日  夜 組会が当院で。最近は欠席者が多く5名の住職が集まられた。同年代
        の住職が大きな手術をされたとか。これからはそういう話題が多くなってきそう。
        明日は我が身でもある。

2月 5日  夜 別院で教行信証講義。行巻の龍樹のところ。果より因に向かうという
        ことは何度も聞いていたが、果の往生浄土は未来より未来に向かって、
        因の本願は過去より過去に向かって働くということを教えられた。

2月 3日  今日から息子が門徒さんに声明を教える会が始まった。最初は戸惑いも
        多いと思うが経験させていただくことで自身の学びになる。