逆櫓の松

源平の戦いの時、屋島を攻めるに当たって、船の前にも櫓を付けたらどうかという梶原景時の進言に対して、大将の義経は後退する事を考えるとは臆病者、と言ったかどうかはわからないが、ともかくそんなものは必要ないという論争があったと伝えられる場所。まあこのあたりが平安時代には西国への航路の起点であったということだろう。その後の義経の辿った運命から翻って、あとから取ってつけたエピソードのようだが、いかにも猪突猛進型の義経らしい考え。しかし一之谷の「鹿も四つ足、馬も四つ足」ではないが、義経の考えかたは普通でない。あえてこうしたトリックスターを登場させたとすれば、この時代の隠れプロデューサーはたいしたものだ。
源平の昔はから近世までは船が行き来する川面に目印となるような松の古木が風情をかもしていたのだろうが、今やマンションの前に細々とした松がかすかに名残りを止めるだけ。この松も排気ガスを浴びながらもこの史跡のために枯れる訳にいかず、さぞやごクロウホウガン。いや枯れたら枯れたでヨシツネ。