「第八交響曲」アダージョの5つの形

 最近、ヴィーンのオーストリア国立図書館からアダージョの自筆最終稿(Mus.Hs.40.999)のコピーを入手しその内容を吟味した結果、本稿は大幅改稿を要することが判明しました。ひとまず既掲載部分を修正しましたが、今後順次加筆していく予定ですので、ご了承ください。なお、自筆稿の詳細については、『ブルックナーの楽譜の話題あれこれ(2)』をもご参照ください。(2004・12・2)
 その後同図書館からMus.Hs.6045を入手したので更に追加訂正を行ないました。資料の内容に付いては上記を参照ください。(2006・2.28)

「第八交響曲」の創作の過程の多様さ、複雑さは、ブルックナーの交響曲のなかでも際だっており、その中でも特にアダージョは謎に包まれた興味深い成立史を有しています。

「第八交響曲」は第1稿(1887年稿)と第2稿(1890年稿)という2つの形で全集版の一部として出版され一般に知られているわけですが、第2稿への改作の方法は各楽章によってそれぞれ微妙に異なっています。まず、スケルツォは第2稿作成にあたって、第1稿とは別に全く新しく作曲しなおされました。すなわち完全な自筆譜が2つあるわけです。これに対して、フィナーレは第1稿がそのまま第2稿に流用されました(とはいえ全体の4分の1程度は新しい五線紙と差し替えられているのですが)。ですから、もともと第1稿であって、それに改訂が施されて第2稿の形態に変えられている1つの自筆稿しか存在しないのです。ところが、第1楽章とアダージョは、写譜師によって筆写されたスコアにブルックナーが修正を加えています。すなわち、それぞれに完全な第1稿の自筆稿と第2稿の筆写と自筆の混在稿の2種ずつが存在しているのです。

何故このような複雑なことになったかというと、フィナーレに比べて他の楽章を自由に大きく変更したい、というブルックナーの意思が働いていたのかも知れませんが、最大の原因はオーケストラの規模のアンバランスさにあるのです。もともと第1稿は、第1楽章、スケルツォおよびアダージョは2管編成を採り、フィナーレのみ3管編成に増強するという不経済でアンバランスな形で作曲されていました。というのは、これまでの9曲の交響曲をずっと2管編成で書いて来たブルックナーは、10番目の交響曲である「第八交響曲」の作曲の途上で、すなわちフィナーレを作曲するときに、突然3管編成を採用したのです。第1稿完成直後の興奮の後、ブルックナーが改めて全曲を通覧したとき、このアンバランスな状態に気づき、不満を抱いたことが改作を決意する最大の要因となったことは容易に想像がつくでしょう。ですから、前半3つの楽章の大幅改訂のみがブルックナーの頭にあって、すでに3管で作られていたフィナーレを当初はそんなに変えるつもりはなかったのかも知れません。それで、自筆稿そのものに着手したのでしょう。まあしかし、やりだすととことん追求するブルックナーですから、改訂後の姿はフィナーレも他の楽章同様相当変わってしまい、結果的には他の楽章と同じような改訂状態になってしまったというのが真相なのではないかと思われます。

改作の原因のもう一つの柱としては次のようなことが考えられます。ブルックナーは「第八交響曲」を作曲するにあたって第1楽章冒頭の『主要動機』によって徹底的に全曲を統一、制御しようと目論んでいたことが窺えるのです。そして、それを実現するためのさまざまなアイデアを作品に投入していったわけですが、そういったアイデアは一時に思い浮かぶのではなく、散発的にひらめくものです。ですから、いったん完成した後にも良いアイデアが浮かぶと、どうしてもさらに改作せざるを得なくなるというわけです。こういったことは第1稿作曲の途上でもたびたび起こりました。たとえば、フィナーレのあの第1主題の中の度派手なトランペットのファンファーレは原初のパーティセル・スケッチにはなかったものです。ファンファーレは第1稿オーケストレイションの際に思いついたアイデアなのです(註1)。ですから、第1稿完成後に全体を通覧したときも、いくつかのアイデアがブルックナーの脳裏をよぎったのでしょう。彼は、第1楽章の再現部近辺を書き換えること、コーダ後半を削除すること、そしてアダージョのクライマックスを他の調へ移すこと、これらによって、ハ短調=ハ長調の主調としての解決を遅らせ、フィナーレの最後の一点での解決感をより大きなものにしようと考えたのでした。また、アダージョのクライマックスの調性変更について言えば、『主要動機』の2小節目、2つの付点4分音符(変ニと変ホ)の強調を、このクライマックスの移調によって実現できることを(いわば一石二鳥の効果)、第1稿完成後にブルックナーが気づいたからではないでしょうか。じつは、うまいことにこのアダージョは変ニ長調で書かれています。そこへ、最大の調的発揚の瞬間であるところのシンバルの鳴るクライマックスを変ホ長調へ変更することによって、アダージョにおいて『主要動機』の2つの音(変ニと変ホ)が最大限強調されるということになるのです。逆に言えば、ほんの短い『主要動機』の2小節目の動きが巨大なアダージョを構築する上での萌芽の役割を果たしているということになります。同様のことを、ブルックナーは既にフィナーレの第1主題提示の時に行なっています。この一見散漫で超巨大な第1主題群は明らかに第1楽章の『主要動機』の調的拡大形であると言えるのです。この長大な第1主題群は、ごく大雑把な構造として《嬰ヘ=変ト→変ニ→変ホ→ハ》という風に動いており、これはまさに『主要動機』の中の長い音符だけを抽出した動きと一致するのです。この動きは、おおむねティンパニのパートからあとづけることが出来,トランペットのファンファーレはそれを強調するために挿入されたのです。従来から、ブルックナー自身の改訂・改作の要因は外的なものばかりが述べられてきましたが、それらは全く的外れであると言えるでしょう。「第八」の場合も、レヴィの演奏拒否は全く改作の本質的要因ではありません。ただ単に、ブルックナーの背中をプッシュしただけの効果しかなかったのです。

(註1)ゴールト氏がヴィーンの楽友協会の資料中(A178)から発見したものの中には、このファンファーレだけを主にオーケストレイションした自筆譜断片も含まれています。これは、ファンファーレのアイデアをブルックナーが思いついたときに書き留められたものと見られます。

さて、アダージョの改訂の方法をさらに詳しく言えば、先に述べたように、ブルックナーは、現在私たちがCDで普通に聴くことの出来る、いわゆる第2稿を全く新しく一気に作ったわけでも、第1稿そのものに訂正を加えたわけでもありません。筆写させたスコアにブルックナーが改訂の腕をふるったのです。ですから第1稿の自筆譜は第1楽章やスケルツォと同様そのまま残され、改作されたスコア自体も、その大部分は筆写であって自筆ではないのです。すなわち部分変更したり、五線紙の差し替えをした部分だけが自筆だということになります。ブルックナーはアダージョの大部分が2管のままでよいと考えたからでしょう。おおむね差し替え部分だけが3管化されています。ただ、改訂は一気になされたものではなく、かなり長期間にわたって、徐々に積み重ねられたことが筆写・自筆混在譜(Mus.Hs.40.999)から窺えます。たぶんそれは筆写完成後の1888年から出版直前の1892年ころまで断続的に作業が進められたものと推定されます。五線紙の差し替えといった大規模な作業といえども、一時に行なわれたものではなく、少なくとも3つの時期に分散して行なわれたことが40.999から窺われますし、おびただしく存在する加筆、削除、糊付け、削り取りなどの筆写譜になされた修正は、断続的な長期にわたる作業ですので、それらがいつ行なわれたかを同定することは非常に困難なことなのです。

ところで、このアダージョには、これまでこの作品の創作過程について述べられたものの中では全く言及されていない、第1稿と最終稿態の間に位置する中間の形態が、1つの筆写譜として存在しています。この筆写譜は、長期にわたるアダージョ改訂の流れのある瞬間を書き写したものです。ちょうど成長していく子供の姿を、ある瞬間、たとえば入学式とか誕生日に写真を撮り、その時の姿を固定化したものと似ていると言えるでしょう。さらに、この中間形態は純粋な中間物ではありません。すなわち全ての部分が第1稿か第2稿のどちらかに属するというわけではないのです。ある部分において、両稿とは全く別の音楽が書かれているのです。そこに、この中間形態の存在価値があると言えましょう。こういった中間形態が完全な筆写譜として残っているのは、ブルックナーが改作作業のある時点で一旦完成したと見なしたからと思われ、その時点で筆写させたものなのでしょう。ある意味でこれが第2稿のアダージョと言えるのかも知れません。(言い換えれば、現在我々が普通に聴いている「第2稿」アダージョこそが、「第四交響曲」のフィナーレの場合がそうであったように、第2稿完成後の異稿なのかもしれません。)とにかく、ブルックナーはこの一旦完成された形に満足せず、一定期間をおいたあと、さらに作業を続け、最終形を完成させたのです。

アダージョの長い創作過程のなかから摘出可能であった5つの形は、長さや楽想の異なる3つの形態に集約することが出来、「第三交響曲」のアダージョのケースに倣って、それらを「アダージョ1」、「アダージョ2」および「アダージョ3」と名付けることにしましょう。そしてさらに、「アダージョ3」については、3つの出版された形が存在し、それら相互間にはおびただしく細部の相違が存在するので、それらを「アダージョ3A」、「アダージョ3B」および「アダージョ3C」と細かく分類しておきましょう。具体的には「アダージョ3A」はハース版、「アダージョ3B」は全集版VIII/2(ノーヴァク版)、「アダージョ3C」は1892年の初版を指すのですが、これら3種の版は、ハースが独自に第1稿から取り入れた10小節を除いて、寸法も楽想も全く同一であるにもかかわらず、細部における相違には驚嘆すべきものがあります。

2回の改作は、全体的に縮小傾向にあるのですが、それは「第三」の場合のような形式の変更に関わるほどのものではありません。「第三」の場合は、もともと【ABABA】の五部形式であったものが縮小され【ABBA】さらに【ABA】と三部形式に変更されて行きましたが、「第八」では、細部のカットはあるものの、五部形式は最後まで堅持されています。

ブルックナーは、「第八交響曲」全曲の最初の完成した形を作り上げるまでに、足かけ4年もの長期の期間を要しています(1884〜87年)。また、その後も1892年の初版出版まで、ブルックナーは断続的に手を加え続けています。したがって、このアダージョにブルックナーが携わった期間は、足かけ9年にも及びます。その概要をひとまず、概念図として示してみましょう。

---Bruckner Sinfonie ACHTE : Sourses for Adagio---

version
形態
particell
三段譜
.Material 1
資料1
Material 2
資料2
Material 3
資料3
other materials
その他の資料
Editions
出版譜
notes
piano sketch
ピアノスケッチ
unknown
所在不明
. . . . . .
Ur-Adagio
原アダージョ
. Mus.Hs.6045
(unfinished)
(未完成)
. . . . no Harp
ハープなし
1st version
第1稿
Adagio1
アダージョ1
. . Mus.Hs.19.480/3
autograph
自筆譜
Mus.Hs.40.999
handwriting copy 
筆写譜
Mus.Hs.6001
handwriting copy
筆写譜
Nowak 1887
GAVIII/1(1972)
全集版8巻の1
.
Fragments
断片資料
. . . A178(removed from 40.999)
アダージョ2のために取り除かれた
ボーゲン
. . .
Adagio2
アダージョ2
. . . Adagio2
Bruckner's revision
ブルックナーの改訂
Mus.Hs.34.614
筆写譜
Gault/Kawasaki
(2005)
(web site)
.
Fragments
断片資料
. . . unknown(removed from 40.999)
アダージョ3のために取り除かれた
ボーゲン(所在不明)
. . .
2nd version
第2稿
Adagio3A
アダージョ3A 
. . . Adagio3A
Bruckner's revision
ブルックナーの改訂
unknown copy
不明の筆写譜
Haas
Alte GA/VIII
(1939)
旧全集版8巻
10 bars restore
(10小節復元)
2nd version
第2稿
Adagio3B
アダージョ3B 
. . . Adagio3B
Bruckner's amendments
ブルックナーの修正
. Nowak 1890
GAVIII/2(1955)
全集版8巻の2
.
2nd version
第2稿
Adagio3C
アダージョ3C
. . . . Stichvorlage
(unknown)
版下
(所在不明)
First Edition
1892
初版
F.Schalk?
シャルク編集?


最初、ブルックナーは通例のように、3段ピアノ譜(これをParticell=パーティセルといいます)でスケッチを始め、すぐにオーケストレイションを開始しました。これが、現在オーストリア国立図書館に部分的に残されているMus.Hs.6045です。ここには1885年や1886年2月13日の日付が記されているので、その時点まで作曲に使われた草稿なのでしょう。これを原アダージョ(Ur−adagio)と名づけましょう。この資料は、最初は演奏可能な状態ですがだんだんオーケストレイションが薄くなり、さらに途中でいくつかの五線紙が失われていますが、残されているものだけでも最後まで小節割がなされてメロディーラインも書かれていたことがわかります。この時点では、アダージョは第2楽章となっており、「第七交響曲」と同様の楽章順だったのです。また、ハープも使われておりません。ブルックナーがハープの使用を思いついたとき、ハープのための細かい音符が書けないため、この草稿の使用を断念したものと思われます。この資料では、コントラバスはピチカートで始まるよう明瞭に指示されています。
その後、新たに稿を起こし完成させたものが唯一の完全な自筆譜であるMus.Hs.19480/3です。これが「アダージョ1」であり、ノーヴァク版VIII/1として知られているものです。この自筆譜はその後の改訂に使われず、完成されたそのままの形で現代に伝わっています。ブルックナーはその後、この「アダージョ1」の筆写譜であるMus.Hs.40.999を使って断続的に改訂作業を続けました(「アダージョ2」「アダージョ3A」)。その最終形がノーヴァク版VIII/2(「アダージョ3B)として印刷され、現在一番数多く演奏されています。1892年の出版に当たっては、印刷用原稿(版下)が作られたものと見られますが、現在は行方不明です。したがって、その中でブルックナーがどの程度加筆したかも分かりません(「アダージョ3C」)。

次に5つの形の概略を説明しておきましょう。


アダージョ1
ヴィーンのオーストリア国立図書館所蔵の遺贈稿Mus.Hs.19.480vol.3(1887年完成)の形態。
全集版VIII/1(ノーヴァク校訂)は、これに基づいています。
アダージョの資料群の中で唯一の、全体がブルックナー自筆のものです。ですから、これが全てのアダージョ形態の基礎資料となるものです。
全体の長さは3つの形態のなかで一番長く329小節あります。
また、第1稿の先行する2つの楽章と同様、楽章全体が2管編成で書かれています。


アダージョ2
オーストリア国立図書館所蔵の他人による筆写譜Mus.Hs.34.614aとして残されている形態(完成日時不明)、全集版未出版。筆写の基となった資料はオーストリア国立図書館所蔵の筆写・自筆混在譜Mus.Hs.40.999ですが、これは「アダージョ3」のための改訂にも使われたため、アダージョ2の時に挿入されたもののうちの一部である2つのボーゲンのみが現存するものの、楽章の全体にわたって「アダージョ3」のための修正がなされています。ただ、「アダージョ2」完成後にX で削除された部分が2箇所(8小節)切り取られず残っており、これらのみが「アダージョ2」そのままの姿をこの資料の中に留めています。ですから、筆写譜Mus.Hs.34.614aがなければ、「アダージョ2」の再現は到底不可能であったと言えるでしょう。またこの筆写譜により、Mus.Hs.40.999になされた細部修正が、「アダージョ2」以前のものか、以後のものかを分類することが可能となりました。この筆写譜は22のボーゲン(バイフォリオ)(註1)からなり、44のフォリオが、表ページの右上に順番に1から44まで番号が付けられています。しかし、フォリオ44は番号だけあって楽譜は書かれていないので、楽譜部分は全体で43フォリオ、86ページあることになります。各ページは縦長24段の五線紙が使われています。以上の楽譜の上に2枚の五線紙が(たぶんオーストリア国立図書館へ移管されたときに加えられたものと見られるのですが)表紙として添えられ、それぞれに手書きの文字が書かれています。この、34.614にはおびただしいコピイストによる書き漏らしや書き間違いが存在し、それらはいちいち40.999や19.480/3に立ち返って検証したなければならないという問題を発生させています。

一枚目には
2 Abschriften des Adagio
der 8 Symphonie
v. Anton Bruckner
34614

アダージョの2つの筆写譜(他の一部は、第1稿の完全な筆写譜)
第八交響曲
アントン・ブルックナー作曲
34614(資料番号)

二枚目には
Adagio zur 8. Sinf.
v. Anton Bruckner
Abschrift aus dem Besitz Franz Schalk.
frau Lili Schalk gehoerend
oder ihren Rechtsnachfolgern.
Spaetere fassung?

「第八交響曲」のためのアダージョ
アントン・ブルックナー作曲
フランツ・シャルク所蔵の筆写譜
リリー・シャルク夫人または彼女の権利継承者の所有していたもの
改作譜?

と記載されています。

「アダージョ2」の全体の長さは「アダージョ1」の329小節から317小節に12小節縮小されています。縮小の主なものは2箇所あり、第2副次部のワーグナー・テューバのエピソードの後のチェロと木管のパッセージ6小節の繰り返しのカットと第3主部でハースが復活した10小節のうちの後半の4小節です。
改作は、「アダージョ1」のコピイストによる筆写譜(Mus.Hs.40.999)をベースに行なわれ、新たに6つのブルックナー自筆のボーゲン(76小節)が加えられました。これは全体の約4分の1にあたります(表中緑色の背景色によって表示)。そして、不要のボーゲンは取り除かれました(註2)。
差し替えられた部分は3管編成で書かれているため、2管と3管の部分が混在することとなりました。
クライマックスの調がハ長調から変ホ長調に変更されるとともに、このクライマックスに至る道程は全く作曲しなおされました。
なお、クライマックスの打楽器、シンバル6発は、すでにこの「アダージョ2」で2発に減じられています。

(註1)ボーゲン(バイフォリオ)とは、ちょうど新聞紙のように1枚の紙を半分に折った状態を意味し、綴じられた五線紙をバラバラにしたときの最小単位となるものです。都合、表裏足して4ページに当たります。フォリオとはその1片で、表裏2ページに当たります。なお、ボーゲンとは弓の意味であり折り曲げることにより紙が弓なりになった状態を表しています。フォリオとは葉っぱの意味であり、バイフォリオとは双葉という意味です。
(註2)この不要のボーゲン(3つのボーゲンと1つのフォリオ=14ページ)は、今回ゴールト氏によって一括して楽友協会の資料中(A178)から発見されました。

アダージョ3
3つの形態の中では最も短く、291小節です。
これはアダージョの決定稿ですが、細部に甚だしい相違の存在する3つの印刷譜として出版されました。「アダージョ3A,B,C,」です。
「アダージョ3」の改作はブルックナー自身によって、「アダージョ2」の改作譜をさらに改訂することによってなされました。ここでは、さらにブルックナー自作の5ボーゲン(48小節)が加えられました(表中青色の背景色によって表示)。その結果、20ボーゲンあった当初のコピイストによる筆写譜は、13ボーゲン+2フォリオが残され、5ボーゲン+2フォリオが差し替えられたことになります。すなわち最初の「アダージョ1」に比較すると90小節程度に大幅なメスが加えられたことになります。そしてトータルで40小節近く短くなっています。
差し替えられた部分は3管編成で書かれているため、「アダージョ2」と同様、2管と3管の部分が混在しています。
クライマックスと、それに至る道程は「アダージョ2」から、さらにもう一度全く新しく書き替えられました。
アダージョ3A
旧全集として1939年にハースが出版した形態。典拠資料は不明。
「アダージョ3」の3つの形態「A」・「B」・「C」の内で、もっとも古い形を伝えているように見えます。
ハースの独自の判断によると考えられるアダージョ1(第1稿)からの10小節の追加(表参照)があるので「アダージョ3B」や「アダージョ3C」より10小節長く、301小節あります。
この、ハース版の形は、10小節の追加は別としても、次に述べる「アダージョ3B」Mus.Hs.40.999と細部において著しく異なり、ハースが勝手に引用や捏造をしてこしらえたものとは到底思えません。しかし、彼が基にした資料は現在オーストリア国立図書館にはなく、謎に包まれたままです。
当時ハースは、シャルク家とは原典版論争で敵対していたので、フランツ・シャルクが既に死亡(1931年死去)していたとはいえ、同家が所有していたMus.Hs.40.999やMus.Hs.34.614は参照不能であったことは容易に推測がつきます。彼が使えた資料は第1稿のままの遺贈稿Mus.Hs.19.480vol.3と初版が考えられますが、これらだけでハース版が出来たとは到底考えられません。下表の黄色の部分は遺贈稿(第1稿)を基礎としたことは明らかですが、緑色の部分や青色部分については、Mus.Hs.40.999の筆写譜が無くては作成不能です。
彼がどこからか得た筆写資料は、現在個人的に所有されたままになっているのではないかと私は推測しています。
アダージョ3B
オーストリア国立図書館所蔵の準自筆資料で、筆写譜に自筆修正や自筆差し替えを加えた、資料番号:Mus.Hs.40.999(1889年5月8日完成(註1)とのブルックナー自筆の表紙が付いている)に基づいて、ノーヴァクが全集版VIII/2に採用した形態。新全集として1955年に出版され、1994年に細部が修正されたものが現在発行されています。
この「アダージョ3B」は、完全に上記自筆資料に基づいていることをはっきりと示しているのですが、「アダージョ3」の印刷された3つの形態を比較すると、不思議なことに、これは修正段階の途中のように見えてしまいます。すなわち、完成の後もブルックナーは初版のための微修正を行ない、それがある時点で中断され、弟子たちに引き継がれたように見えるのです。こういったことが、現在でも資料的根拠のないハース版が支持されることの多い理由になっているのかも知れません。
強弱や表情は、ほとんどハースの「アダージョ3A」に近いのですが、ハース版とノーヴァクVIII/2の間の相違のうち、かなりの部分で「アダージョ3C」の初版譜の形態に近づいています。さらに、初版の印刷上の疑問点(たとえば、152小節の第1ヴァイオリン、158小節のオーボエ、272,4小節の第1ヴァイオリンなど)が、この「アダージョ3B」に由来していることから見て、このMus.Hs.40.999は、初版の印刷用原稿の原本であったと推定されます。
また、次に述べる「アダージョ3C」とは、強弱や表情において、基本的考えの決定的な相違が見られます。
(註1)この日付は「アダージョ2」の時点でのものとも考えられ、その後も改訂は続けられたものと推測されます)
アダージョ3C
1892年に、初演に先立って出版された(3月出版、12月初演)初版の形態。原資料(印刷用原稿など)は不明。
音符自体は、ほとんど「アダージョ3B」と同じですが、強弱や表情が広範囲に相当変更されるなど、いわゆる『初版的修正』がほどこされています。
ただ1点、注目に値するオーケストレイション変更は、2回目のシンバルがなった後のハープのアルペジォの背景がヴァイオリンから木管に変わったことでしょう。
それらの変更は、ブルックナーの承認のもとにフランツ・シャルク他複数の編集者がMus.Hs.40.999を原本として作成された印刷用原稿(版下)になされたものと見られます。
唯一コントラバスのピチカートで始まる(この奏法はMus.Hs.6045以来封印されていた)ので他の形態とは即座に区別することができます。


【アダージョの3つの形態一覧表】 TABLE for 3 versions of Adagio

第1主部(AI)
m.m. Adagio 1 m.m. Adagio 2 m.m. Adagio 3A,B,C Mus.Hs.40.999
1-4 4 Intro.(A1) 1-4 4 Intro.(A1) 1-4 4 Intro.(A1) bogen1:page1
5-8 4 (A1,A2) 5-8 4 (A1,A2) 5-8 4 (A1,A2) bogen1:page2
9-12 4 (A2,A1) 9-12 4 (A2,A1) 9-12 4 (A2,A1) bogen1:page3
13-16 4 (A1,A3) 13-16 4 (A1,A3) 13-16 4 (A1,A3) bogen1:page4
17-24 8 (A3),Choral 17-24 8 (A3),Choral 17-24 8 (A3),Choral bogen2:page1
25-26 2 Harp 25-26 2 Harp 25-26 2 Harp bogen2:page2
27-28 2 Harp 27-28 2 Harp 27-28 2 Harp bogen2:page3
29-32 4 (A1) 29-32 4 (A1) 29-32 4 (A1) bogen2:page4
33-36 4 (A3) 33-36 4 (A3) 33-36 4 (A3) bogen3:page1
37-42 6 (A3),Choral 37-42 8 (A3),Choral 37-42 8 (A3)Choral bogen3:page2
43-44 2 Harp 43-44 2 (Harp 43-44 2 Harp bogen3:page3
45-46 2 Harp 45-46 2 (Harp 45-46 2 Harp bogen3:page4
total 46 . 46 . 46 .



第1副次部(BI)

m.m. Adagio 1 m.m. Adagio 2 m.m. Adagio 3A,B,C Mus.Hs.40.999
47-50 4 (B1) 47-50 4 (B1) 47-50 4 (B1) bogen4:page1
51-54 4 (B1) 51-54 4 (B1) 51-54 4 (B1) bogen4:page2
55-58 4 (B1) 55-58 4 (B1) 55-58 4 (B1) bogen4:page3
59-62 4 (B1) 59-62 4 (B1) 59-62 4 (B1) bogen4:page4
63-66 4 (B1) 63-66 4 (B1) 63-66 4 (B1) bogen5:page1
67-70 4 (B2)WT 67-70 4 (B2)WT 67-70 4 (B2)WT bogen5:page2
71-74 4 (B3) 71-74 4 (B3) 71-74 4 (B3) bogen5:page3
75-78 4 (B3,B4)ET 75-78 4 (B3,B4)ET 75-78 4 (B3,B4)ET bogen5:page4
79-84 6 (B4)ET, 3/4 79-84 6 (B4)ET, 3/4 79-84 6 (B4)ET, 3/4 bogen6:page1
85-90 6 (3/4) 85-90 6 (3/4) 85-90 6 (3/4) bogen6:page2
91-94 4 (3/4) 91-94 4 (3/4) 91-94 4 (3/4) bogen6:page3
tota] 48 . 48 . 48 .



第2主部(AII)

m.m. Adagio 1 A178 m.m. Adagio 2 missing bogen m.m. Adagio 3A,B,C Mus.Hs.40.999
95-96 2 (A1) . 95-96 2 (A1) . 95-96 2 (A1) bogen6:page3
97-100 4 (A1,A2) 97-100 4 (A1,A2) 97-100 4 (A1,A2) bogen6:page4
101-104 4 (A2,A1) 101-104 4 (A2,A1) 101-104 4 (A2,A1) bogen7:page1
105-108 4 (A1,A2) 105-108 4 (A1,A2) 105-108 4 (A1,A2) bogen7:page2
109-112 4 (A1A2) 109-112 4 (A1A2) 109-112 4 (A1A2) bogen7:page3
113-116 4 (A1A2) 113-116 4 (A1A2) 113-116 4 (A1A2) bogen7:page4
117-122 6 (A2) bogen8I:page1 117-122 6 (A2) . 117-122 6 (A2) bogen8II:page1
123-128 6 (A2) bogen8I:page2 123-128 6 (A2) 123-128 6 (A2) bogen8II:page2
129-134
<129-132>
6 (A2)accel.
<4>A178
bogen8I:page3 129-134 6 (A2)accel. 129-134 6 (A2)accel. bogen8II:page3
135-140
<133-136>
6 (A2)accel.+rit.
<4>A178
bogen8I:page4 135-136 2 (A2)rit. . crossed out bogen8II:page4
141-146
<137-142>
6 (A2)rit.
(A3) Choral WT
137-142 2 (A2)rit.
4 (A3) Choral WT
bogen9I:page1 135-140 6 (A2)rit. bogen9III:page1
147-148
<143-144>
2 Harp,W.W. 143-144 2 Harp,W.W. bogen9I:page2 . . .
149-150
<145-146>
2 Harp,W.W. 145-146 2 Harp,W.W. bogen9I:page3 . .
total 56 <52> . 52 . . 46 .



第2副次部(BII)

m.m. Adagio 1 A178 m.m. Adagio 2 missing bogen m.m. Adagio 3A,B,C Mus.Hs.40.999
151-154 4 (B1) . 147-150 4 (B1) bogen9I:page4 141-143 3 (B1) bogen9III:page2
144 1 (B1) bogen9III:page3
. vacant bogen9III:page4
155-160 6 (B1) . 151-156 6 (B1) 145-150 6 (B1) bogen10:page1
161-166 6 (B1) 157-162 6 (B1) 151-156 6 (B1) bogen10:page2
167-172 6 (B1,B2)WT 163-188 6 (B1,B2)WT 157-162 6 (B1,B2)WT bogen10:page3
173-174 2 (B2)WT 169-170 2(B2)WT 163-164 2 (B2)WT bogen10:page4
175-178 4 (B3) .  crossed out . crossed out
179-180 2 (B3) bogen11I:page1 . . . . . .
181-184 4 (B1)ET 171-174 4 (B1)ET . 165-168 4 (B1)ET bogen11II:page1
185-190 6 (B1) bogen11I:page2 175-176 2 (B1)pizz. 169-170 2 (B1)pizz
. . . 177-182 6 (B1)pizz. 171-176 6 (B1)pizz. bogen11II:page2
. . . 183-188 6 (B1)pizz. 177-182 6 (B1)pizz. bogen11II:page3
189-190 2 (B1)pizz. 183-184 2 (B1)pizz bogen11II:page4
191-200 10 (B1) . . crossed out . . crossed out bogen11I:page3
(bogen11:page5)
tota] 50 . . 44 . . 44 .



第3主部(AIII)

m.m. Adagio 1 A178 m.m. Adagio 2 missing bogen m.m. Adagio 3A,B,C Mus.Hs.40.999
201-202 2 (A1) , 191-192 2 (A1) , 185-186 2 (A1) bogen11I:page4
(bogen11:page6)
203-204 2 (A1) 193-194 2 (A1) 187-188 2 (A1) bogen12:page1
205-206 2 (A2) 195-196 2 (A2) 189-190 2 (A2) bogen12:page2
207-208 2 (A2) 197-198 2 (A2) 191-192 2 (A2) bogen12:page3
209-210 2 (A1) 199-200 2 (A1) 193-194 2 (A1) bogen12:page4
211-212 2 (A1) 201-202 2 (A1) 195-196 2 (A1) bogen13:page1
213-214 2 (A2) 203-204 2 (A2) 197-198 2 (A2) bogen13:page2
215-216 2 (A2)ST 205-206 2 (A2)ST 199-200 2 (A2)ST bogen13:page3
217-218 2 (A2) 207-208 2 (A2) 201-204 2 (A2) bogen13:page4
219-221 3 (A2)SM,(A1) 209-211 3 (A2)SM,(A1) 205-207 3 (A2)SM(,A1) bogen14:page1
222-224 3 (A1) 212-214 3 (A1) 208-210 3 (A1) bogen14:page2
224-227 3 (A2) . 215-217 3 (A2) . Haas(3) crossed out bogen14:page3
228-230 3 (A2) 218-220 3 (A2) Haas(3) crossed out bogen14:page4
231-233 3 (A2) . . crossed out . Haas(3) crossed out bogen15:page1
234 1 (A2) . crossed out Haas(1) crossed out bogen15:page2
235-236 2 (A3) 221-222 2 (A3) 211-212 2 (A3)
237-239 3 (A3) 223-225 3 (A3) 213-214 3 (A3) bogen15:page3
240-242 3 (A3) 226-228 3 (A3) 215-216 3 (A3) bogen15:page4
243-245 3 (A3) bogen16I:page1 229-231 3 (A3) bogen16II:page1 217-218 2 (A3) bogen16III:page1
246-248 3 (A3) bogen16I:page2 232-234 3 (A3) bogen16II:page2 219-220 2 (A3) bogen16III:page2
249-251 3 (A3) bogen16I:page3 235-236 2 (A3)Tp. bogen16II:page3 221-222 2 (A3) bogen16III:page3
252-254 3 (A3) bogen16I:page4 237-238 2 (A3)Tp. bogen16II:page4 223-224 2 Trill bogen16III:page4
255-258 4 (A3) bogen17I:page1 239-241 3 (A3) bogen17II:page1 225-226 2 Trill bogen17III:page1
259-264 6 (A3) bogen17I:page2 242-244 3 (A3) bogen17II:page2 227-228 2 (A1,A3) bogen17III:page2
. 245-247 3 (A3) bogen17II:page3 229-230 2 (A1,A3) bogen17III:page3
. 248-250 3 (A3) bogen17II:page4 231-232 2 (A1,A3) bogen17III:page4
. . 233-234 2 Trill bogen18III:page1
. 251-253 3 Horn bogen18II:page1 235-236 2 Trill bogen18III:page2
265-268 4 (A3) bogen17I:page3 254-256 3 Fanfare bogen18II:page2 237-238 2 Fanfare bogen18III:page3
269 1 (A3)C'max 257-259 3 (A3)C'max bogen18II:page3 239-240 2 (A3)C'max bogen18III:page4
270-272 3 (A3)C'max bogen17I:page4 260-261 2 (A3)C'max bogen18II:page4 241-242 2 (A3)C'max bogen19III:page1
273-276 4 (A3)C'max . 1 crossed out bogen18I:page1 243-246 4 (A3)C'max bogen19III:page2
262-264 3 (A3)C'max
277-281 5 Choral 265-269 5 Choral bogen18I:page2 247-251 5 Choral bogen19III:page3
282-283 2 Harp 270-271 2 Harp bogen18I:page3 242-254 3 Harp bogen19III:page4
284-288 5 Choral 272-276 5 Choral bogen18I:page4 ,
289-290 2 Harp 277-278 2 Harp bogen19I:page1
291-292 2 Harp 279-280 2 Harp bogen19I:page2
293-296 4 (B1)ET 281-284 4 (B1)ET 255-258 4 (B1)ET bogen19I:page3
(bogen20:page1)
total 96 . . 94 .bogen16II-18II
assumptions
. 74
84(Haas)
.


コーダ(CODA)

m.m. Adagio 1 m.m. Adagio 2 m.m. Adagio 3A,B,C Mus.Hs.40.999
297-298 2 (A1) 285-286 2 (A1) 259-260 2 (A1) bogen19I:page3
(bogen20:page1)
299-304 6 (A1) 287-292 6 (A1) 261-266 6 (A1) bogen19I:page4
(bogen20:page2)
305-310 6 (A1,A2) 293-298 6 (A1,A2) 267-272 6 (A1,A2) bogen20I:page1
(bogen20:page3)
311-316 6 (A2,B1)ET 299-304 6 (A2,B1)ET 273-278 6 (A2,B1)ET bogen20I:page2
(bogen20:page4)
317-324 8 (B1)ET, (A1) 305-312 8 (B1)ET, (A1) 279-286 8 (B1)ET, (A1) bogen20I:page3
(bogen20:page5)
325-329 5 (A1) 313-317 5 (A1) 287-291 5 (A1) bogen20I:page4
(bogen20:page6)
total 33 . 33 . 33 .
TOTAL 329 . 317 . 291
301(Haas)
.

【注記】(Note)
(A1)(A2)(A3)(B1)(B2)(B3): Motives 各動機
WT: Wagner-Tuba Theme  ワーグナーテューバ主題
ET: Ending Theme 終結主題
ST: Siegfried Thema ジークフリート主題
Introduction: Most important Rhyhm patarn(Ur-Rhythm) in this Symphony. この作品の最も重要なリズム形「原リズム」が姿を変えて提示されます。
Trill: Rising passage with trills.トリルを含む上昇楽節
Horn: Rising passage by Horns. ホルンによる上昇楽節
Fanfare: Wagner-Tuba in Adagio 2, trumpet in Adagio 3.「アダージョ2」ではワーグナーテューバ、「アダージョ3」ではトランペットによるファンファーレ。


______
コピイストによる「アダージョ1」の筆写ボーゲン
Cppy bogens(bifolios) from "Adagio1" by copyist.
. 「アダージョ2」で差し替えられたボーゲ
Bogens(bifolios) replaced in Adagio 2.
. 「アダージョ3」で差し替えられたボーゲン
Bogens(bifolios) replaced in Adagio 3.
ハースによる「アダージョ1」からの10小節の引用
The 10 m.m. quotation from Adagio 1 by Haas.

*表中の背景色の色分けについては、Mus.Hs.40.999とA178に準拠しました。取り除かれた不明ボーゲンについては一部私の推測によるものがあります。
(Color dividings in the Table are based on Mus.Hs.40.999 and A178. About removed missing bifolios, it contains my assumptions partially.)
*以前の形態が継承された場合でも、部分的な貼り付けなどにより膨大な量の修正がなされています。
(Even if the bifolios are keeping same color, they have many alterations, pastings erasures etc.)



改作・修正の概要

(1)最初の楽想が最後まで引き継がれた(黄色が継続)部分

上の表をご覧頂いてお解りのように、最初の2つの部分とコーダは3つの形態とも、基本的に全く同じ音楽です。また、真ん中の3つの部分においても、最後まで黄色であるところは同じ音楽構造が最後まで保たれていると言ってよいでしょう。これらの部分は、しかし、細部では非常にヴァラエティーに富んだこまごまとした相違が数多く見られるのす。そのほとんどは聴いても判別のつかないような相違なのですが、はっきりと違いを聴き分けることの出来る最初のポイントは、第1主部と第1副次部をつなぐホルンのパッセージです(46小節)。「アダージョ1」では副次部主題[c']の最初の複付点リズム形を先取りするような奇妙な音形だったのが、「アダージョ2」では第1ホルンが奏する[b1]に由来する下降音形に変えられ、「アダージョ3」ではさらに副次主題の4小節目の転回形を連想させるような形に変えられました第2ホルンが演奏するように変えられました。ですから、このホルンの音形が未確認の演奏での使用稿を判断する最初のリトマス試験紙の役割を果たします。なお、「アダージョ1」では、唐突にホルンが現れるのですが、「アダージョ2」からは、ハープのアルペジォの最後の小節のところでこのホルンがひそやかに吹き始めるようになり、絶妙の音色効果が発揮されています。

この項では、膨大な量の相違点のうち、上の表の1つのブロックに限って各形態の変遷をたどることにしましょう。俎上に上げるのはコーダの5番目のブロック(「アダージョ3」では277〜282小節)、終結主題がホルンによって三現する部分です。この終結主題というのは、チェロの副次主題から派生した感動的なメロディーなのですが、最初に現れるのは4分の3拍子になる直前、77〜80小節にかけてです。この主題は、副次主題を基にしているのですが対比リズム(タタター)を使っているところにその特徴があります。2回目は、コーダの直前に現れます。そして、今回、3回目に現れるときには、最初の小節の4拍目が8分音符から16分音符の駆け上がりに変更され、2小節目は[動機a]似せられているので、ちょっと気付きにくくなっています。さらに、終わりの方が2小節拡大され6小節になって、後を引きずるような感じが強調されています。

*アダージョ2での変更
@3小節目と4小節目の第3ホルンに16分音符が付加され、原リズム(タター)としての意味づけがなされるようになりました。この変更はこれ以降ずっと継承されます。
A4小節目から5小節目へのタイがはずされ、5小節目1拍目のホルンは全員休止することになりました。すなわち6小節目と同じ形になりました。これによって、4小節目と5小節目のメロディーラインが途切れることになりました。

*アダージョ3B(ノーヴァクVIII/2)での変更
@上記Aでのホルンの全員休止が、さらに1拍前に及び、3小節目の4拍目も休止することになりました。

*アダージョ3C(初版)での変更
@ホルンや第1ヴァイオリンの音形自体は完全にアダージョ3Aを引き継いでいますが、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの4回の合いの手に手が加えられています。すなわち、第2ヴァイオリンとヴィオラはカットされ、チェロだけが8分音符のarco(弓で弾く)から4分音符のpizz.(指ではじく)に変えられ、強さもppからpに強められました。
A第1ヴァイオリンにつけられたボウイングの指示は削除されました。
B表情の追加は結構あり、最初の小節、3拍目まで演奏する全ての楽器に、漸減させるための松葉記号が加えられています。そして4拍目のホルンの16分音符にはアクセント指示はそのままでピアノの指定があり、漸増するよう松葉記号が加えられています。すなわち、この小節のホルンは一旦しぼんだあと急激に盛り上がるように指示されているのです。
C3小節目の4拍目のホルンと第1ヴァイオリンにdim.が加えられています。
D5小節目のホルンにpが加えられています。
E補足ですが、最初のコントラバスの8分音符は、それ以前のコーダ内の全小節と同様、初版ではpizz.で演奏されます。

*アダージョ3A(ハース版)の相違
ここでの問題は、「アダージョ2」のAの変更や「アダージョ3」の休符追加の変更にもかかわらず、ハース版は「アダージョ1」に復している、すなわちホルンに休符を置いていない点にあります。それにもかかわらず、「アダージョ2」の@の変更(原リズム)は保持されているのです。このような奇妙な原稿状態が、はたして存在するのでしょうか?
この部分だけの修正の順序を考えると
アダージョ1→アダージョ3A→アダージョ2→アダージョ3B
のように思えるのですが、楽章全体で見ると、アダージョ2とアダージョ3ABCは明らかに作成段階が違うので、この修正順はあり得ないと言えましょう。
これは、ハースが、第1稿と初版を合成して作ったとしか考えられない箇所のひとつです。


(2)途中で差し変えられた(色変わり)部分

表をご覧いただいてお解りのように、3カ所で差し替えが行なわれており、それらの部分の音楽は大きく変えられています。ただ、第2主部と第2副次部は「アダージョ2」の形がほとんどそのまま「アダージョ3」に引き継がれているのに対して、第3主部では3つの形態全てが全く違っています。

*第2主部での差し替え
ボーゲン8、117小節(練習記号Hのところ)でブルックナーは初めて五線紙の差し替えを行なっています。それは、ここから各木管に2段ずつ配分された新しい五線紙が使われ、それに従って印刷譜も2段に印刷されていることからも、容易に分かることです。この差し替えは「アダージョ2」においてなされました(すなわちアダージョ2もすでに木管が2段記譜となっているのです)。しかし、ブルックナーはこの差し替えにおいて、音楽自体の改変は行なっていません。ここではオーケストレイションの変更(木管の増強と和声充填のトロンボーンのカットが主体・・・すなわち響きを明瞭にすること)と高音部の手入れが主体となっています。というのはこの部分を通して主たるパートはバス声部([b1]に基づく)であって、これには手を加えず、対旋律的な高音の分散和音をメロディー化しているのです。そして、「アダージョ3」では、今度はバス声部のメロディーラインの微修正を行ない、ヴァイオリンを8分音符の連続形に改めました。125小節からのクライマックスの4小節では、「アダージョ1」の金管楽器の咆吼は、やり過ぎと見たのか「アダージョ2」で秩序あるものに変えられています。

問題は、その後のアッチェレランドからリタルダンドして高音のフォルテッシモへ持っていく部分です。「アダージョ2」のために新しく差し替えられたボーゲン8では、アッチェレランド部分はもともと10小節あったものが4小節減って6小節にされました。この減らされた4小節というのは、「アダージョ1」の131小節からの繰り返し形を2回(2小節)省いたことと、135,6の2小節をカットしたことによるものです。このカットによって、新しいボーゲン8は4ページ目に準備された6小節のうち4小節の空白が生じてしまい、そこにXが書き込まれ、古いボーゲン9へ繋げられました。ですから「アダージョ2」では「アダージョ1」のワーグナーテューバの[d]や木管とハープの[e]もカットされず、そのまま残されたというわけです。ところがブルックナーは「アダージョ3」で今度はボーゲン9の差し替えを行ないました。今度はボーゲン8の4ページ目にあったヴァイオリンの2倍に引き延ばされたメロディーの2小節にもXが付けられ、それはボーゲン9のフルートに移されました。そして、続くワーグナーテューバとハープのパッセージを短い木管の下降する移行句に変えてしまったのです。この短縮はコーダ前の縮小と連動したものかも知れませんが、[d]や[e]を音色的に変えることが、かえって印象を散漫にするということにブルックナーが気づいたからだと私は推測しています。このとき、古いボーゲン9は取り除かれたのです。

*第2副次部での差し替え

その後、筆写譜への加筆や貼り付けは著しく増大しますが、筆写譜そのものは継続して使われ、次に差し替えが行なわれたのはボーゲン11、すなわち第2副次部後半です。印象的なワーグナーテューバの4小節のあと、ボーゲン10の最後にあった推移的なチェロの6小節のパッセージのうちの4小節にXが付され(残り2小節は次のボーゲン11に書かれていた)、ボーゲン11の左半分が取り除かれました。「アダージョ2」のための新しいボーゲン11は、その後の小クライマックスから書き出され、直接テューバ五重奏に結びつけられることになりました。そのためこの小クライマックスはもともと変ロ長調から始まったものが2度上げられハ長調から始まるように変えられました。それに伴いここでも金管楽器を抑制して、響きの整理を行なっています。

続く、<より動きをもったテンポで(Bewegteres Tempo)>の16小節も、相変わらず2度高められており(へ音の持続低音からト音の持続低音へ)、長さと使用素材は同一ですが、内容は非常に深められています。第1ヴァイオリンのメロディーラインにはもちろん手が加わっていますが、まず、このヴァイオリンのメロディーに影のようにくっついていた鏡像関係のクラリネットの音形が廃され、意味深い和声音に変えらました。、第2ヴァイオリンとヴィオラの分散和音のスラー音形がピチカートに変わり整然と進む様が描かれ、チェロの分散和音的な対旋律が意味深い歌に変わっています。そして、このチェロが遂には永遠のなかに溶け込むような至福の時を与えてくれるのです。和声的にも、へ音上の7の和音から三度転調的に主部に戻るアダージョ1に対して、アダージョ2ではト音から半音ずり上がった変イ音上の7の和音、すなわち主調の変ニ長調の属7和音から主部へ向かうように変えられ構造的にがっちりしたものになりました。いわば、単に幻想的なアダージョ1から幽幻な重みを持つアダージョ2に深化したのです。

これら、第2副次部後半での全ての根本的変更は既に「アダージョ2」でなされたのですが、「アダージョ3」ではチェロの旋律線の微調整が行なわれ、コントラバスの弾く回数が減じられて、さらに意味深いものとなりました。

ちょっと話題がそれますが、Bewegteres Tempo の部分で、その後の形態での変更のうち興味深い点を列挙しておきましょう。
@実はこの Bewegteres Tempo という指示は、「アダージョ1」にはあるのですが、「アダージョ2」には全く指示がありません。インテンポでやるということです。ボーゲン差し替えの時に外されたものと思われます。「アダージョ3」の各形態では事情は複雑で、ハース版は<より動きをもって(Bewegter)>と指示されているのに ノーヴァク版VIII/2では「アダージョ2」の通り指示がありません。ところが、このノーヴァク版VIII/2が1994年に見直されたとき(ノーヴァクの死後) Bewegteres Tempo が付け加えられたのです。更に、初版ではBewegteres Tempoの指示はなく、編集者の追加としてかっこつきで<引きずらないように(nicht schleppend)>と指示されています。テンポ変更の好きな初版のことですから、もし原稿にそれがあれば見逃すはずはないのですから、Bewegteres Tempo と書かずに (nichit schleppend)と控えめにしたのは、原稿に指示が何もなかったからだと推測されるのです。それなら、VIII/2見直しの際なぜ付け加えられたのか?ノーヴァクの見落としだったのか?それとも新しい別の資料が存在するのか?ハースの Bewegter の出所とともに謎につつまれた指示と言えるでしょう。
今回、Mus.Hs.40.999を確認したところ、Bewegteres Tempoという指定はありませんでした。1994年の編集者が何を根拠にそれを付け加えたのかは分かりませんが(何ら出所を示していない)、非常に疑問であります。ブルックナーが40.999に書き忘れたというのなら、この箇所はすでに「アダージョ2」の時点で存在していたのですから、何度もブルックナーは目にしていたのであり、いつでも書き加えられたでしょう。また、本来の自筆稿である19.480vol.3を優先するという考えは、音楽が全く変えられているということで筋の通らない話です。

Aクラリネットの充填和音は、すでに「アダージョ2」で存在していたのに、ハース版では何故かカットされています。これをカットする必要性がどこにあったのか?この場合、アダージョ1は全く参考にならないので、ハースは何を根拠にカットしたのか疑問の湧くところです。このクラリネットも40,999には興味深い事実が存在します。すなわち、最初はそれぞれの音が2倍の長さ(ほぼ全音符分)であったのです。それが五線紙を削り取って、現在の形に変えられているのです。この修正は、「アダージョ2」の完成以前、すなわち書かれてすぐになされたものと見られます。

Bアダージョ2ではチェロのモノローグが終わって、第3主部にはいる直前の小節線上にフェルマータが書かれていますが、ハースやノーヴァクにはありません。それは初版でまた復活することになります。このフェルマータは、40.999には、各段に書かれており(すなわち23個も!)、また、34.614(「アダージョ2」)にも存在するのですから、決して他人の後からの追加ではないことは明らかです。なぜハースやノーヴァクがこのフェルマータを無視したか疑問です。さらには1994年の編集者は、先の根拠の不確かなBewegteres Tempoを加えながら、このミスを訂正しなかったことは全く不思議です。

C初版では、このチェロ、ソロで弾くように指示されています。これは、ソロイスティックな効果と、自由なテンポの揺れを容易にするための措置でしょう。

Dフランツ・シャルクの所有していた初版の印刷譜には弦のピチカートの伴奏にハープを追加するというアイデアがメモ書きされています。実際に彼がそういう風に演奏したかどうかは分かりませんが、面白いアイデアです。ピチカートにハープを付け加えることそのものは、あまりブルックナー的であるとは思えず、過剰な効果には違いないですが・・・・。

*谷間のゆりの10小節の運命

さて、続く第3主部での2度にわたる大きな差し替えに話がいくわけですが、これに入る前に以前からの面白い問題、すなわち例のハースが復活した10小節について、少し触れておきましょう。

表で真っ赤にして示した、この10小節は『谷間の百合』と例えられるように、2つの絶頂部に挟まれた非常に美しい部分です。ハースが惜しんでこれを復活させたのは『宜なるかな』と言えましょう。また、これを簡単に復活できたのは、前後の絶頂部の音楽構造が基本的には最後まで変えられなかったからです(細部はかなり変更されましたが)。ですから、細部をほんの少し調整すれば、最終稿においても10小節の挿入は簡単に出来たというわけです。これは、たとえば第2主部のワーグナーテューバのパッセージ(「アダージョ1」の143〜146小節)の復活をハースがもし望んだとしても、前後を全て「アダージョ1」に戻さないと上手くつながらないので簡単な復活は難しい、というケースと対照的です。更に言えば、この『谷間』は、いわゆるV字谷ではなく、氷河によって削り取られたような、前後と隔絶したU字谷のようなものですから切り取りや再生が簡単なのです。

ブルックナーは何故、この10小節をカットしたのでしょうか?それは、簡単に言ってしまえば、各部分の構造上の性格を明確にするためなのです。表をご覧頂ければお解りのように、第2主部では、動機[b1]を主体に展開します。ですから、最後の部分、ヴァーグナーテューバのパッセージや木管とハープのパッセージなどの他の要素はカットされる運命にあったのです。そして、第3主部では動機[b2]が展開の主たる対象となっているのです。そのためには出来るだけ動機[b1]を削って、早く動機[b2]に達する必要があったのです。
両側の絶頂部、始めは動機[a]ですね。そして谷間の動機[b1]を経て次の絶頂部、動機[b2]にいたるものを、直接[a]から[b2]に繋ぐことによって、重複感を避けるとともに、展開の主体をより明確にしているわけです。

今回、40.999を確認したところ、非常に興味ある事実が判明しました。この10小節はボーゲン14(6小節)とボーゲン15(4小節)にわたって書かれているのですが、幸いなことに切り取られもせず10小節全部が二重にXが書かれてカットされただけで、全てが明瞭に読み取れるのです。そしてこれを読むと前半の6小節には「アダージョ2」への改訂がなされ、後半の4小節は「アダージョ1」のまま放置されています。このことは、フルートからホルンへの楽器の変更だけでなく、ヴァイオリンの細かい6連符に付された2重スラーが後半4小節では「アダージョ1」の1重スラーのままであることから、いとも容易に分かることです。そして、このことは、34.614が6小節だけあることと完全に符合し、この40,999が「アダージョ2」の自筆筆でもあることを証明する最大の証拠となっているのです。

2005.8.12 補筆
2004・12.12 補筆
2004・12.2 改稿
2002・2・27 アップ

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