ブルックナー Q and A
このコーナーはブルックナーについて一問一答形式で構成されています。お気軽にタイトルページのメール欄でどしどしご質問ください。
内容は,(1)楽譜について,(2)作品について,(3)人となりについて(4)その他周辺状況についての4つのセクションに分かれています.
(1)楽譜について
【Q1ー4】 ハース版は現在入手出来ますか?
ご存知のようにハース版というのは第1次ブルックナー全集版のうちの殆どの出版物のことで、第二次世界大戦終結時ハースがナチ協力者ということで解任され、ノーヴァクの第2次ブルックナー全集版に引き継がれたわけです。ですから基本的には両者は同じものだと言えましょう。
ハース解任時には、交響曲では「ヘ短調」「0番」「第三」が未出版でした。特に「第三」は第1〜第3楽章の自筆稿をアルマ・マーラーが所有していたため、参照できず出版が遅れ、とうとう敗戦解任に至ってしまったというわけです。
ハース版は戦前は、国際ブルックナー協会、音楽学出版社から出版されていましたが、戦後のドサクサを経て、交響曲はブライトコップフ&ヘルテル社から再刊されていました。
それは、戦後ずっと卵色の表紙で1000円前後で買えたたのですが、絶版になり、店頭から消えてしまいました。
その後、同社は1980年台に全交響曲(もちろん未出版のものを除く)を増刷再刊しました。これは濃緑の表紙で、程なくこれも絶版になりました。ですから、現在はブライトコップフからは買えません(そのうちまた再刊するかも知れませんが・・・)。
ですから、現在のところは怪しげなカーマス版あたりのコピー版を物色するか、古本屋で探すしかありませんね。たまにヤフーのオークションで出たりします。
(2003.10.27記)
【Q1ー3】 ブルックナーの優柔不断な性格が弟子の介入を招いたというのは本当ですか?
【A】こういった誤った憶測が、CDの解説や評論の中でしばしば見られますが、自分の仕事(大学の先生)以外に11曲もの交響曲を書くといった”鉄の意思”を持った人に、優柔不断なんて性格があり得るはずがないということはちょっと考えると当たり前のことなんですがねえ。そういうことを書く人は一度ヴィーンの国立図書館へ行って膨大なブルックナーの資料を見てみたらよいと思います。
それなら、なぜこのような風評が横行するのか?それには次のようなわけがあります。
ブルックナーには、過去に原典版論争というのがありました。いわゆる『原典版派』対『改訂版派』の戦いです。結果的には『原典版派』が勝利を収めるのですが、その論争のなかでは、いろんなことが誇大に、声高に語られてきました。その弊害の一つがこれなのです。すなわち「初版」(「改訂版」)が根拠のない版であるということの理由付けに<弟子達がブルックナーの優柔不断な性格を利用して勝手にやったものなのだ>という論法を持ち出したのです。もしブルックナーが優柔不断な性格ならこの論法は成り立つわけですが、伝記に書かれているブルックナーの性格はそうではありません。彼は目上の人に対しては必要以上に謙遜するタイプでしたが、目下の人たちには言いたいことをストレートに言う人でした。したがってブルックナーの意に反することを弟子達が出来たはずはないのです。
私が、覚えている伝記の逸話を一つあげておきましょう。ーーー弟子の一人がブルックナーの楽譜を筆写しているときに不必要な臨時記号をあえて外して写したのをブルックナーに見つけられ、彼からひどく怒られた−−−というものです。蛇足ですがこのことをちょっと説明しておきましょう。臨時記号は1小節間有効ですね。ですから小節の始めに出てきた臨時記号のついた音と同じ音が同じ小節内でもう一度現れた場合、臨時記号は不要なのです。したがって楽典どおり楽譜を読む演奏者にとっては、かえってそのような不要な臨時記号があっては不安にかられることになり、これはあまり良いやり方ではないのです。しかしブルックナーは自身の楽譜の厳密さを保つため、あえてそうしていたのです。
ブルックナーとはそういう人なのでしょう。だから出版譜に関しても、勝手なことをやられっぱなしであったなどとはとても思えないのです。彼は弟子達の献身に対して感謝していたに違いありません。
それなら、なぜ出版譜と自筆稿が著しく違うのかという問題が残りますね。それは、ブルックナー自身が理想としていたスコアの書き方では、実際演奏上に非常な困難を来すことをブルックナー自身が知っていたからです。ですから出版にあたっては演奏しやすいような、また当時の常識に沿った弟子達の案を受け入れたのです。一方でブルックナーは彼の理想としていたスコアの書き方を生涯貫いています。「第九交響曲」においてもはっきりとそれは窺えます。ブルックナーは実際演奏上の効果的書き方を知らなかったのではなく、あえてそうしなかったのです。
最後に、『原典版派』の奇妙な論法の例を一つだけあげておきましょう。
<しかしながらこのような譲歩も、演奏に関してだけ許されたのであり、印刷版の場合にはけっして許容されなかった。友人のなかでこの作曲家の明白な意向を知らなかった者は、たしかにひとりとしていなかったことであろう。たとえば「第四交響曲」の場合、彼は次のような指示を印刷すべきであると要求した。すなわち《大きな省略([アンダンテの中の]活字Hのところ)は、作品をはなはだしくそこなうので、絶対に必要な場合にのみ行なわれるべきである》と。>「ブルックナー その生涯と作品」E.デルンベルク著、和田旦訳、白水社,P197
ここに述べられている大きなカットとは、自筆稿そのものになされたものであり、両全集版とも、すなわちハース版でも、ノーヴァク版IV/2でも、これらは印刷されておらず、ハースの編集報告に譜例があげられているだけで、現在どのCDでも聴くことは出来ないのです(グリーゲルの「諸形態」のなかでMIDIで聴くことが出来ます)。したがって、こういったことをブルックナーが書いたのなら、彼自身がその後それを撤回したことになり、弟子の介入云々とは別の問題なのです。
【Q1ー2】 『形態』とは何ですか?
【A】 印刷されているとか、資料の状態にこだわらず、ある時点での作品の『形』を示す概念で『○○○○年形』と表示します。従来CDなどに表示されている『○○○○年版』とか『○○○○年稿』と完全には一致するものではありません。これらはスコアに書かれている典拠資料の作成年や一般に考えられている作曲年、さらにはスコアの出版年などを表示したものと見られます。
具体的な例をあげて説明しましょう。グリーゲルの「諸形態」では「第七交響曲」には『1883年形』と『1885年形』の2つの『形態』が挙げられていますが、資料としては自筆稿1つしかありません。確かに1883年にブルックナーは、この作品を完成したのですが、その後この自筆稿にはブルックナー自身や他人の手によってさまざまな加筆・修正がなされました。私たちが現在見ることが出来るのは、そういった訂正後の自筆稿であり、印刷譜なのです。この『1885年形』の自筆稿から『1883年形』を復元することは不可能ではないまでも、非常に困難なことなのです。なぜなら、糊付けされたものはそれを取り去れば以前の形を見ることが出来ますが、しかし、その糊付けが1883年の完成以前になされたものか、それ以後の修正なのかを確定しなければなりません。また、その他の多くの書き込みや訂正が、はたしてそれらがいつなされたのかも全て検証しなければならないからです。多分それは大変難しいことでしょう。それならば何故そんな実際には存在し得ない『1883年形』という概念を持ち出す必要があるのでしょうか?それは、この時点でブルックナーが完成したのだと考えた事実を大事にしたいということとともに、ハース版はある部分において『1883年形』に立ち返るということをしていますが、それが完全には『1883年形』に一致しないということを認識するためにも必要であると言えるからです。もっとも、研究が進んで純粋な『1883年形』が確定され、出版されることになれば、私たちは万々歳ですが。
2001.2.19記
【Q1ー1】 改訂版とは何ですか?
【A】 一般的には、一度出版したものを再版するときに作者が修正変更を加え一部違う形で再出版することを意味するのですが、ブルックナーで、この意味に該当するのは「第三交響曲」だけです。すなわち、「初版」が1880年に出版され、「改訂版」(第2版)が1890年に出版されたというわけです。
しかし、ブルックナーを語るときは、この「改訂版」という言葉に別のニュアンスが込められるのが普通です。すなわち、ブルックナーの生前あるいは死の直後に最初に出版された、ブルックナーの自筆稿とは一致しない<弟子達が手を加えた>版という意味です。これは<自筆稿に基づいた>とされる「原典版」という言い方に対応したものでもあるのです。したがって、弟子達の介入を極端に嫌う人たちは、「改訂版」では満足せず、あえて「改竄版」とか「改悪版」と言ったりもします。しかし、ブルックナーの場合、弟子達の助言や介入を全く抹殺することは不可能なことであるし(たとえば「第三」の第3稿『1889年形』はシャルクの仕事を排除すると成立しない)、これらのうちの大部分にはブルックナーも出版に関与したり承認を与えているのです。したがって、私の考えでは、「改訂版」という言葉は避け、無味無臭の「初版」(または「第一印刷版」)と言うべきであると思います。
現在アメリカでは、これらの「初版」に対する再評価の機運にあり、全11曲の「初版」群(「第三」は「第二版」)のうち生前出版された「第一」「第二」「第三」「第四」「第七」および「第八」についてはオーセンティックなものであるとしています。また「第六」については、ブルックナーの生前に出版準備が進められており、変更のいくつかはブルックナーに由来するものであるとの考えもあります。さらにまた一部では、「第五」や「第九」でさえ、編集を担当したシャルクやレーヴェが「第三」や「第四」でのブルックナーとの共同作業のなかでの合意事項の延長線上で行なったものあり、ブルックナーがもし生きていれば、それらの成果に対して承認を与えたであろうとの意見を持つ人もいます。さらに「ヘ短調」(アンダンテのみ)や「0番」に対しても、それらが最初に出版されたという歴史的意義を認めようという考えもあります。私は、死後出版のものは歯止めが利いていないという面はあるものの、趣旨においてはこれらの考えに賛成です。
したがって、将来的にはこれらの「初版」群は「全集版」に含められるべきであると私は考えています。
2001.2.19記
(2)作品について
【Q2ー3】 「第八交響曲」のスコアを見ると100ページと101ページのところでシンバルの音の高さが違うように書かれています。なぜですか?
【A】当然、シンバルやトライアングルには音の高さがないので、これらの楽器を記譜するときは一線譜を使ったり、五線譜でも適当な位置に音の高さには関係なく書くのが常識です。ですから、わざわざあんなふうに書いたということは、ブルックナーがここで大きさの違う二組のシンバルを用意することを要求しているのかというと、それは否です。シンバルにもいろいろな大きさのもがあるようですが、それは主に音色の好みの違いによってあるためで、
音の高さによって使い分けるということではないことはブルックナーもよく承知していました。読みの浅い批評家がときどき、アマチュアのように作曲するとブルックナーを批判するネタにこのような楽典に外れた記譜法を取り上げることがありますが、アマチュア作曲家でもあんな書き方はしないですよね。アマチュアだからこそそんな風には書かないと言ってよいかもしれません。それほどこれは、ある意味でばかげたことなのです。それではなぜあのように書かれているのか?
ブルックナー自身が交響曲でシンバルとトライアングルを使った例は4箇所あります。
(1)「第七」アダージョ、
トライアングル:ト音記号(省略)のc音
シンバル:ヘ音記号のc音
(2)「第八」アダージョ、第1稿(1887)
トライアングル:ト音記号のe音とc音
シンバル:ト音記号のg音とc音
(3)「第八」アダージョ、中間稿(1888)
トライアングル:ト音記号のg音とes音
シンバル:ト音記号のb音とes音
(4)「第八」アダージョ、第2稿(1890)
トライアングル:ト音記号のg音とes音
シンバル:ト音記号のb音とes音
上記の全ての記譜音は、そのとき響いている和音の中のどれかの音を使っています。
なぜブルックナーがこのような記譜法をとったのか?
当然のことながらブルックナー自身はなにも語っていませんが、少なくとも彼が記譜法の常識を知らなかったのではないことだけは自作の吹奏楽のための「行進曲変ホ長調」のスコアを見ると明白ですね。そこでは全く常識的な記譜法が取られています。ですから、ブルックナーがあえてこのような書き方をしたのは、なにか理由があってのことだと考えるのが自然でしょう。僕が思うには、《たとえ刺激的な響きの打楽器であっても和音内で協和した音響を出すべきだ》という主張をブルックナーが持っていて、その止むに止まれぬ気持ちが記譜法となって現れたのではないでしょうか。ブルックナーは自作の響きに対するポリシーをこういった形で表現したと考えるのが妥当だと思われます。ですから、結果的には記譜法いかんにかかわらず同じ音響になったとしても、《音楽を作る姿勢》として、指揮者や奏者には《音程があるというイメージをもって音作りに臨んで欲しい》ということなのでしょう。このように考えると、『たかがシンバル一発の書き方』と片付けてしまうのではなく、『ブルックナーの音楽に対する思想の現われ』としてこの重要なメッセージを捉えるべきではないでしょうか。
実際、伊福部昭の「管弦楽法」という本には、
『こういった音程のない打楽器は、聴感的には、そのとき響いている和音に協和していると感じられ、もし、たとえばシンバルの響きの余韻を残したまま、全く別の和音に移った場合、シンバルの残響と新しい和音の間で不協和感が生じる』
というような興味深いことが説明されています。ですから打楽器の協和感というのにも深い配慮を示したのがブルックナーであるとも言えるのではないでしょうか。さらには、このことがブルックナーはヴァーグナーのようには多彩な楽器使用をしなかったことにも相通ずるものであるとも考えられます。
さて、印刷譜に現れた記譜問題についてちょっと触れてみましょう。
「第五」の初版のフィナーレではトライアングルとシンバルが1つの五線にあわせて記譜されているのですが、それは使われている和音とは全く関係のないもので、ト音記号を伴ってトライアングルはe音のところ、シンバルはa音のところに記譜されています。これは、単に楽譜を見やすくするための常識的記譜法に過ぎず、もしブルックナーが書いたのならトライアングルにd音、シンバルにf音を使ったでしょう(変ロ長調ですから)。ということは、これらの打楽器使用が全くブルックナーに由来するものではないということを証明することにもなるわけです。
「第四」の初版のフィナーレのシンバルも興味深いものがあります。提示部では派手に鳴り響きますが、コーダではピアニッシモで鳴らさせています。いわゆる『ローエングリン風』というやつですね。私はこの曲の初版は未見ですが、フィルハーモニア版では一線譜を使い、オイレンブルク版では五線使用ですが全てヘ音記号のc音を使っていることを確認しました。たぶん初版はこのどちらかの記譜法なのでしょう。オイレンブルク版のc音というのは全く和声とは関係ないもので、ブルックナーなら提示部ではb音をコーダではces音を書いたでしょう。
原典版の印刷譜にも問題はあります。ノーヴァク版の「第七」は、なんと一線譜に書かれているのです。なぜかというと、この版はハース版を原版としているのですが、ご承知のようにハースはトライアングルとシンバルを排除して印刷したので、ノーヴァクは書き足さなければならなかったのです。それで、
(1)五線を加えるには場所がなかった。
(2)当時ブルックナーの打楽器の記譜法がアンチブル評論家から批判されていた。
(3)ノーヴァクがブルックナーの記譜上の強い思いを理解していなかった。
というような理由から、新たに版を作らず一線譜追加で済ましてしまったのです。
しかも「第七」初版では、ちゃんとト音記号でe音(トライアングル)とg音(シンバルを使っているのにもかかわらずです(シンバルはブルックナー自筆のパート譜とは違いますが)。
ちなみに、「第八」の初版も自筆譜どおりですが、2回目のトライアングルにはフラットを付け忘れてe音になってしまっています(シンバルはちゃんとes音ですが)。
2004.4.22記
【Q2ー2】 ブルックナーは自分の交響曲の演奏時間をどの程度と考えていたんでしょうか?
【A】ブルックナー自作演奏がレコードに残されているということはもちろんありませんが、唯一「第八交響曲」のフィナーレには、複数のメトロノーム指示が全ての版に印刷されています。それらが真実、ブルックナーの考えを示すものなのか、あるいは、なぜこの楽章にだけメトロノーム指示が存在するのか、疑問の余地はありますが、ハースもノーヴァクも何の注記もなく印刷しているので、ひとまずこれらはブルックナーの考えであるとみなして演奏時間を想定してみましょう。
ただ、このメトロノーム指示は、たった3ヶ所に2種類(2分音符=69と60)のテンポ指定があるだけで、この巨大で変化に富んだ楽章をカヴァーするにはいささか不充分ですが、厳密にブルックナーの指示だけに従ってテンポの割り振りをし、想定時間を作成してみました。ただ、次の指示は2つの基本テンポには収まらないので、私が妥当なテンポを決めて、それにより計算しました。
Noch langsamer(さらに遅く):2分音符=52
Viel langsamer(はるかに遅く):2分音符=44
また、指定された細かいリタルダンドやアッチェレランドなどは一切無視し、さらには楽譜には記載されていない各フレーズ間でのテンポのゆれなども全く顧慮していないので、現実にここでの推定どおりのテンポで演奏したとしても、指揮者の解釈によっては、若干の演奏時間の伸びが生じるものと思われます。
なおこの楽章は、言葉では冒頭に『Feierlich、nicht schnell=荘重に、速くなく』と書かれていますが、それではメトロノーム指示:2分音符=69はいささか速すぎるような気が、私にはします。もし69なら、Allegro Maestosoくらいの指示で充分だったと思います。
それでは、ブルックナーのテンポ指示全体を見てみましょう。
提示部
第1主題:メトロノーム指示・2分音符=69(ブルックナー指定)・・・68小節
第2主題D:同・2分音符=60(ブルックナー指定)ラングザマー(以前より遅く)・・・30小節
第2主題中間部F:メトロノーム指示なし(以下指示のある場合のみ記載)
ノッハ・ラングザマー(さらに遅く)・・・52くらいが適当かと。・・・12小節
第2主題G:a tempo(元の速さ)・・・60が適当かと。・・・12小節【+8】
第3主題H:テンポ指定なし・・・60が適当かと。(ここで69に戻す意見もあります)
L:ファイエルリッヒ・イーニッヒ(荘重に・敬虔に)・・・これはテンポ指示ではなく表情のみ。ただし、表現上テンポを8小節間に限って緩めるのは可
『死の行進』N:指示なし・・・60が適当。(69に戻す意見もあり)・・・130小節【+24】
展開部
S:指示なし・・・60が適当。・・・48小節【−4】
V:エルステス・ツァイトマス(最初のテンポ)・・・69が適当。・・・8小節
W:エトヴァス・ブライター(幾分幅広く)・・・60が適当。・・・14小節
X:ア・テンポ・・・69が適当。・・・22小節
Z:ルーヴィッヒ(落ち着いて)・・・60が適当。・・・42小節
Aa:エルステス・ツァイトマス(最初のテンポ)・・・69が適当。・・・26小節
Cc:ルーヴィッヒ(落ち着いて)・・・60が適当。・・・24小節
*展開部の煩雑なテンポ変更は、ブルックナーが第1主題を主体にテンポ設定を考えているからであり第1稿では妥当であるが、第2稿では第1主題部分に第3主題の要素が多分に付加されているので、基本的には60で通す方が、スムーズに進行すると思われます。
従って展開部は、微妙な伸び縮みを除いては一定のテンポ(60)を保つべきだと僕は考えています。
ただ、ここでは厳密に、指定どおり60と69の交替を行なうとして計算します。
再現部
第1主題Ee;エルステス・ツァイトマス(最初のテンポ)・・・69が適当。・・・110【+8】
Ff:リタルダンドーアテンポ・・・69に戻す。
Kk:ストリンジェンド(だんだん速く)−テンポ・プリモ(元のテンポ=69)−リテヌート(音を伸ばす)・・・40が適当。
第2主題Mm:同・2分音符=60(ブルックナー指定)ラングザマー(以前より遅く)・・・20小節【+12】
第2主題中間部F:ノッハ・ラングザマー(さらに遅く)・・・52くらいが適当かと。・・・16小節【+2】
第3主題Pp:フィール・ラングザマー(はるかに遅く)・・・ここでは4分音符を1拍に数える=88程度が適当(すなわち2分音符としては44であり、はるかに遅くが実現する)・・・64小節【+6】
Ss:ラングザム(遅く)−テンポ・プリモ(44)
コーダUu:ルーヴィッヒ(落ち着いて)・・・第1楽章のテンポが適当ですが、ここでは展開部でのルーヴィッヒと同様60として計算します。・・・63小節【+6】
Zz:リテヌート(音を伸ばす)・・・16分音符を2分音符に読み替えが良いと思う。
【計算】
2分音符=69・・・234小節・・・ 6.78分(234X2÷69)
2分音符=60・・・383小節・・・12.77分
2分音符=52・・・ 28小節・・・ 1.08分
2分音符=44・・・ 64小節・・・ 2.91分
合計・・・・・・・・709小節・・・23.54分・・・・23分32秒+α
ということで、23分半程度ということになりますが、このテンポでやったとしても実際には24分程度はかかると思われます。
ちなみに同じ計算方法で第1稿の場合はではどうでしょうか。第1稿と第2稿は自筆稿としては同じですので、第1稿にも同じメトロノーム指示があります。したがって、こちらの場合はカットされた部分を復活すればよいのですが、ただ、Viel langsamer(はるかに遅く):2分音符=44の指示がないため、その部分はNoch langsamer(さらに遅く):2分音符=52に含めることになります。その形で計算して見ましょう。
【計算】
2分音符=69・・・234小節+ 【8】・・・ 7.01分(242X2÷69)
2分音符=60・・・383小節+【46】・・・14.30分
2分音符=52・・・ 92小節+ 【8】・・・ 3.85分
合計・・・・・・・・709小節+【62】・・・25.16分・・・・25分10秒+β(α>β)
2つの稿の間には62小節の差があるので、ほぼ2分程度の演奏時間の差があってよいはずですが、実際には1分40秒ほどにしかすぎません。これは、ひとえにViel langsamerを採用するかしないかよるものであり、第3主題の再現をより遅いテンポに設定すれば(ほぼ同じ音楽なのですから)、第1稿は更に若干長くなると思われます。第1稿について更に言えば、インバルとティントナーの演奏時間はそれぞれ
インバル:21分08秒
ティントナー:25分10秒
であり、ティントナーは細部で縮みはあるものの、総時間でほぼブルックナーの指定どおりと言えますが、インバルは4分の違い、まったく速すぎるテンポであると言えましょう。逆に第2稿を演奏したチェリビダッケは30分を超える演奏時間で、これは相当遅すぎるように思われます。しかし、ブルックナーの言葉の指定《荘重に、速くなく》からすると、チェリビダッケの遅いテンポも妥当な線であると言えるかも知れませんね。
2003.11.20記
【Q2ー1】 ブルックナーは最初に何から聴き始めたら良いですか?
【A】 「第九交響曲」が一番適しているでしょうね.私も,最初に買ったLPはカラヤンの「第九」でした.演奏は何でもよろしいから,とりあえずそれを何度も聴いてみることです.そしてそれで退屈したら当分ブルックナーは聴かない方が良いでしょう.ブルックナーの良さは自分自身でしか見つけることが出来ないからです.それにブルックナーを知らなくたって,他にたくさん良い音楽があるのですから.ブルックナーファンのなかで,初めは何とも思わなかったけれども,ある日突然ブルックナーが解り好きになったという人はたくさんいます.
といって,ブルックナーがそんなに難しい音楽ではありません.たとえば,「第九交響曲」が弦のトレモロで始まったときに<早くメロディーが出てこないかなあ>と思う人は,もうブルックナーを聴くことはやめた方が良いでしょう.時間の無駄ですからね.というのも,その4小節後に出てくるホルンのテーマなど,取り分けて気の利いたメロディーでも何でもないですし,その後延々と同じような退屈さが続くだけでしょうからね.ブルックナーを解るということは,このトレモロの、あの厳粛でいて広大な<響き自体の美しさに浸る>ことが出来るというだけで十分なのです.そうすれば後はどんなものがやってきても退屈することはないでしょう.多分「第九交響曲」を聴いて退屈ならば,彼の他のどの交響曲を聴いても退屈するでしょう.
他に,「第九交響曲」を選んだ理由を二三列挙しておきましょう.
@作品が良くできているので,演奏に当たりはずれが少ない.この曲の場合どんなCDを聴いてもそこそこの感動は得られるはずであるということ.
Aブルックナーの諸特徴が,一番はっきり現れた作品であること.
B3つの楽章それぞれに,初めて聴いても心の琴線に触れるような箇所がどこかに存在すること.
2001.2.20記
(3)人となりについて
(4)その他,周辺状況について
【Q4ー3】 ブルックナー関係の専門誌はありますか?
現在、わが国では【Q4−1】でご紹介した『ブルックナー愛好会会報』以外のブルックナー関係の継続的な専門誌はありません。ただ、目を世界に向けると、一般に購買可能なブルックナー専門誌は、英国に1つだけ存在します。名前は『ザ・ブルックナー・ジャーナル』(TBJと略します)。下記の英文概要のとおり、1997年から年3回(3月・7月・11月)発行されているので、現在では20号以上継続していることになります。内容は、各号35ページ程度、全文英語で、学者やブルックナー愛好家の論文や寄稿文から成っています。また、ヨーロッパのコンサート情報やCD情報も得ることが出来ます。最新の『2004年3月号(第8巻の1)』では、CD試聴記、出版物紹介、2003年のリンツ・ブルックナー祭の報告、論文「ブルックナーの交響曲の死の影」、分析「弦楽五重奏曲」などが主な内容となっています。英語がそんなに苦にならない人や、ブルックナーの最新情報を得たい人は是非ご購読をお勧めします。年間購読料は、日本は12ポンド(2500円程度)です。私は郵便局の『国際送金為替』により送金しています。手数料は1000円ですので、数年分送る方が割安になります。
詳細は下記のホームページを参照してください。
http://www.zyworld.com/BrucknerJournal/
連絡先メールは次のとおりです。
raymond@cox269.freeserve.co.uk
手紙での照会は下記の住所で。
The Bruckner Journal
4 Lulworth Close
Halesowen
West Midlands
B63 2UJ
UK
The Bruckner Journal
2004.5.27記
【Q4ー2】 NOWAKを何と読むのですか?
ノーヴァク、ノヴァーク、ノヴァック、ノヴァク、ノバク、ノバークなどいろいろな読み方ありますがどれが正しいのでしょう?
昔、キム・ノバクというボインの女優がいて目を楽しませてもらっていましたが、同じ名前です。オードリー・ヘップバーンとヘボンが同じだとか、カタカナで書くと全く違うような名でも本当は同じだということでビックリすることがありますね。ブルックナー関連では、ロバート・シンプソンがシムスンだったりヘルマン・レヴィがジーンズのリーヴァイスと同じ語源だったりします。
NOWAKは普通カタカナでは『ノヴァーク』と言われることが多いですが、かつて日本ブルックナー協会が会報編集にあたって、原語ではアクセントが第1音節にあり、長音はアクセントを意味するケースが多く、『ノーヴァク』が原語の発音に一番近いのではないかということで、協会で統一された経緯があります。私は、別に誤解されることもないだろうと、今でもそれをかたくなに守って『ノーヴァク』と記載していますが、くせのようなものです。カタカナ表記はみんなが理解できれば良いので、大勢に順応する方が良いのかも知れませんね。某国営放送局では外国人の表記方が決められているようですのでそれに従うのが順当かとも思えます。まあしかし、私としては当分の間は(アクセントについての反証が出ない限り)『ノーヴァク』でいこうと思っています。それに馴れてしまっているのでね。
話は全く変わりますが、私が最近痛感していることで、LとRがカタカナでは区別できず人名などでは非常に困っていることです。レートリッヒがRから始まるのかLから始まるのか?カラヤンはRなのかLなのかよく迷うことがあります。(さすがにブルックナーやマーラーは迷いませんがねえ。)昔、どちらかをひらかなで書くという案があったようですが、カタカナでひらかなを混ぜることは不都合が多いので立ち消えになったようですね。これからの国際化社会においては、ヴァ、ヴィ、ヴ、ヴェ、ヴォやラ、リ、ル、レ、ロについては、カタカナだけでも万葉仮名あたりから引用して別字を制定し、小学生の時から区別して書く習慣をつけるべきではないでしょうかね。
最近Beck_Messerさん(ハンドルネーム)といわれる方からNovakに関して興味あるご教示を得ましたので、許可を得て再録させていただきます。私としては、vがwに変わった時点でドイツ名になったと考えたらよいと思っています。で、ヴィーンではどう読むのか?はっきりした反証が分かるまで「ノーヴァク」で行こうと思っています。
《ところで、ブルックナー関連ですと、有名な校訂者Nowakを「ノヴァーク」と書くか「ノーヴァク」と書くかで気にする人もいるようですが、これもどちらでもいいと私は思います。もともとあの名前はチェコ系で、Novakですが、チェコ語は長音を示す記号があり、"a"にそれがついています。したがって、この人がチェコ人である限りは「ノヴァーク」とカナ表記したほうがいいのでしょう。ただし、チェコ語では長音の場所と強勢の場所が一致しないことが多く、この名前もアクセントは最初の音節にあります。で、この「ノヴァーク」さんがウィーンに出てきてドイツ語風に"Nowak"と綴るようになると、ドイツ語の音声体系では強勢と長音がずれることはないので、「ノーヴァク」になると強調する学者先生も確かにいます。じゃ、この人が二重帝国時代のプラハにいて、カフカの父親がそうだったように、名前をチェコ語風に書いたりドイツ語風に書いたりしてたらどうするんでしょうね。何か労多くして実りが少ないような気がしてなりません。》
2004.5.18付記
【Q4ー1】 日本ブルックナー愛好会について教えてください?
日本ブルックナー愛好会は、40過ぎてから、それまでクラシックを全く聴いたことのない三鷹のある「呉服屋」さんが突然ブルックナーに目覚め、ブルックナーについての情報交換や愛好者同士の交流をするような実質的活動をしている団体がないのに発奮されて始められたものです。したがって、これは公的機関ではありませんし、高名な評論家とも一切関係ありません。発足以来約10年経過しますが、会員同士の交流と地道なブルックナーに関する啓蒙活動を続けてきています。現在の会員数は約100名で、会報は,2001年2月で49号となります。会員は、北は北海道から南はブラジル(日本人)までいます。会報の内容は、ブルックナーに関する最新の演奏会とCD情報を中心として、会員のレポート、エッセイなどから成っています。また、会報以外の活動は東京中心となっていますが、最近関西の方でも若干の活動が始まりました。
運営は現在、北村さんを中心にした13人の世話人会が行なっています。世話人代表は萩原さんで、現在ブルックナーの彫像にチャレンジしておられます。事務局長は最初に紹介した奥山さんです。活動は、年6回の鑑賞会、年1回の黒姫合宿、年6回の会報(B5で40ページ程度)発行その他です。年会費は現在3000円です。今年も秋に2泊3日の予定で,妙高・黒姫の眺望優れた高原のペンションでブルックナー三昧に浸ることが計画されています。
興味のある方は、下記にご連絡ください。入会案内などが送られてくると思います。
181ー0012
三鷹市上連雀9−34−4−202
日本ブルックナー愛好会事務局
2001.2.22記
2001.3. 8修正・追記