ソベシチャンスカヤ伝説と《チャイコフスキーパドドゥ》

チャイコフスキーのバレエ音楽《白鳥の湖》の上演史の中には非常に奇妙で興味深い逸話が存在し、それに関連付けられたのか全集版には付録として由来の怪しい1つのパドドゥが印刷されている。そして、このパドドゥの音楽は現代でも《白鳥の湖》の中で、全部あるいは一部分が踊られることもあり、また《白鳥の湖》とは別に、単独の舞踊作品としても《チャイコフスキーパドドゥ》という奇妙なネーミングのもとに振り付けられ踊られることが時々ある。逸話の世界だけの話ではないのだ。この謎に満ちたパドドゥを解明するためには、やすのぶ探偵に登場願い、大胆な推理を展開してもらわなければなるまい。
まずは、経緯を大雑把に説明することから始めよう。

<<オリジナル《白鳥の湖》の第1幕の《No.5パドドゥ》>>
長大な《白鳥の湖》のなかで、パドドゥと題された曲はこの1曲しかない。しかも、ここには一切台本的要素は記載されていない。唯一踊りの設定を推測させるものとして、冒頭に奇妙なテンポ指示が存在するだけである。
Tempo di Valse ma non troppo vivo, quasi moderato.(あまり速くないワルツのテンポ、あたかもモデラートのように)
《白鳥の湖》にはいくつかのワルツが書かれているが、他は全て普通のワルツのテンポである。パドドゥのワルツでのこの奇妙なテンポ指示は、ワルツでは通例の1つ振りではなく3つ振りを意味しているのであって、あたかもレントラーのようなテンポによって、一種のぎこちなさと初々しさを表現することが意図されたのであろう。下記の引用は、実際のバレエのためのものではなく録音用として演奏されたものと推測されるが、この奇妙なテンポ指示を忠実に守っているとはいえない。その他の点についてはほぼ原譜通りである。

http://www.youtube.com/watch?v=CNIU3fF4-Y4
@−1:I.ワルツだが速くなくモデラートのようなテンポで、II.アンダンテ

http://www.youtube.com/watch?v=STj7aD4DCwA&NR=1&feature=fvwp
@−2:III.ワルツ、IV.コーダ

このパドドゥをいったい誰が踊るのかということについては、スコア上の曲目にもト書きにも全く指示がないため、村の若者と村娘あるいはジークフリートと村娘などと一般には推定されているが、音楽の充実度や陰影の深さから鑑みてジークフリートと女性主役が踊るのが適切であろうと私は確信している。そして、この設定であればこそ、あの奇妙なテンポ指示とも整合するのである。また、プティパがこのパドドゥを第3幕へ移したのも、第1幕では物語上主役たちの見せ場として設定する余地がなかったからと考えると故なきことではないようにも思われる。逆に考えれば、このパドドゥを第1幕で踊るためには、何か隠された物語が必要となってくるのである。


<<ソベシチャンスカヤ伝説>>
1877年2月20日の《白鳥の湖》のモスクワでの初演から2ヶ月後の1877年4月26日の4回目の上演のときに主役の変更があり、オデット・オディールの二役は初演で演じたカルパコヴァ(Perageia Paulinn Karpakova, 1845-1920)に替わって、ソべシチャンスカヤ(Anna O.Sobeschanskaya, 1842-1918)(註1)が踊ることになった。彼女は、初演のときに既に追加されていた《ロシアの踊り》(註2)くらいではあき足らず、どうしても第3幕で完全なパドドゥを踊りたいと主張した。ところが、《白鳥の湖》のパドドゥは始まってすぐ、第1幕の《No.5》のところにあり、第3幕には物語の筋書きからしてパドドゥを挿入する要素など全くなかった。ところがソべシチャンスカヤは、ここに女性主役(オディール)が踊るパドドゥをどうしても欲しがったのである(これはその後のプティパ以降のほとんど全ての振付者に共通する考え方だ)。

(註1)Anna Sobeshchanskayaと綴られる場合もあるキリル文字の変換の仕方による違いと見られる。

(註2)http://www.youtube.com/watch?v=335_ZGrHAhw&feature=related
《ロシアの踊り》:初演時に、諸国の踊りがあってロシアの踊りがないのはよろしくないという批判によりチャイコフスキーに書かせた曲。女性主役が踊ると明記されている。この演奏では、独奏ヴァイオリンのカデンツァの一部がカットされている。

さてここからが伝説!
『ソベシチャンスカヤは、パドドゥの作曲をチャイコフスキーに頼まず、以前滞在していたサンクト・ペテルブルグまで出向き、プティパに振付けてもらいミンクスに作曲してもらったパドドゥを《白鳥の湖》の舞台にかけようとした。まあ、こういうことはあまり不思議ではなく、バレエではよくあることで、《白鳥の湖》でもすでにいくつかの曲がカットされたり他のバレエ曲に差し替えられていたのだが、それからがたいへん奇妙!
この話を聞いたチャイコフスキーは、これまでのたくさんのカットや他曲挿入に異を唱えなかったにもかかわらず、今回はミンクスの音楽が入るということで強硬に反対した。しかしソベシチャンスカヤも一歩も譲らず膠着状態になってしまった。そこで、この問題を解決するために、チャイコフスキーは、ミンクスが書いたものと全く同じテンポで全く同じ小節数(すなわち振り付けを全く変えずにすむもの)の音楽を「妥協の産物」として書かされる羽目になってしまった。』
これは、小説のような面白い話ではあるが、いかにも奇妙な話でもある。、とにかく、少なくともソベシチャンスカヤは《白鳥の湖》の第3幕でパドドゥを踊ったことだけは確かなようで、これを『ソベシチャンスカヤのパドドゥ』と言う。その後このパドドゥが続けて踊られたかどうかは分からないが、少なくとも1883年にモスクワでの《白鳥の湖》の上演が打ち切られて以来、他の《白鳥の湖》の全ての振り付けと同様、忘れ去られてしまったことは確かである。

<<《黒鳥のパドドゥ》の誕生>>
その後1895年には、サンクト・ペテルブルクであの有名なプティパ=イワノフ版が生まれる。このときプティパも第3幕に王子とオディールのためのパドドゥを挿入したのだが、音楽は《ソベシチャンスカヤのパドドゥ》は使われずに、チャイコフスキー作の第1幕《No.5パドドゥ》を第3幕に転用して、しかも大幅に変更して使われた。
しかし、オディールが第3幕で《ロシアの踊り》を踊ることですら、物語として見た場合、非常に奇妙なことなのである。なぜなら、第3幕の舞踏会は花嫁選びがメインであり一種のミスコンテストのようなものだから、一人の候補だけが勝手なことをすることは許されないと見るべきだからである。したがって物語上、王子とオディールがパドドゥを踊るなんてことが許されるはずはないのだ。唯一可能な設定として王子が花嫁を決定したことのお披露目という形で踊るということはあり得るが、2人の親密な時間が長ければ長いほどオデットに対する不実を強調することとなり、王子の馬鹿さ加減がもろに出てくる結果となってしまうのであるから、パドドゥ挿入は全く劇的ではなく、観客の目には一種の茶番としか映らない。ところがこれを舞踊として見た場合、この場でのパドドゥは必要欠くべからざる最大の見せ場なのだ。第3幕に『黒鳥のパドドゥ』のない《白鳥の湖》なんて考えられない、アルコールの抜けた酒のようなものなのだ。バレエはそもそもバレエファンのためのものであるから、ファンの期待を裏切るようなことをしては成功はおぼつかないというわけである。とはいえ、第3幕での主役たちによるパドドゥ挿入というのは、それ自体が物語上の矛盾をはらんだものであり、また原曲の構想に反して無理やり挿入されたものであるからこそ、さまざまな工夫の余地が生じることとなり、それが《白鳥の湖》が現代まで最高の人気バレエ作品として君臨してきた活力の最大の源と言えるのかもしれない。歴史とは皮肉でいたずら好きなものである。

それでは、プティパが《No.5パドドゥ》をどのように改変したかを具体的に見てみよう。残念ながら改変された形のスコアは入手できないので、実際に上演されたもの、録音されたものからの比較となることをご了承いただきたい。
チャイコフスキーの作曲した原曲《No.5パドドゥ》は次の4つの部分から出来ている。
I.ワルツ、Tempo di Valse ma non troppo vivo, quasi moderato ニ長調
II.アンダンテ、Andante-Allegro 嬰ハ短調ーイ長調
III.ワルツ、Tempo di Valse 変ロ長調
IV.コーダ、Allegro molto vivace ト長調
それぞれが、どのように踊られるか、全く指示はない。
プティパこれを、クラシックバレエのパドドゥに完全に適合するように、次のような5つの部分に変更した。
a.導入部
b.アダージョ
c.ヴァリアシオンI
d.ヴァリアシオンII
e.コーダ
[a.導入部]は《No.5》のI番をそのまま使用している。しかし、繰り返しを省略(64小節)しているため長さは約半分に減じられている。また、テンポもそんなには遅くはならない。オディールが王子を誘惑する音楽であるから、テンポを遅くするというような小細工は必要ないからであろう。
[b.アダージョ]は《No.5》のII番のアンダンテ部分のソロヴァイオリンの音楽がそのまま用いられている。ここでの「アダージョ」はテンポを規定するものではなく、パドドゥの構成要素としての名称であり2人のダンサーがゆっくりとポーズを決めながら踊る。ソロヴァイオリンは一部でオクターヴ高くするなど、より装飾的で華やかなものになっているし、伴奏のオーケストレイションも少し変えられた部分もある。《No.5》の78小節からの繋ぎの部分は、非常に劇的で意味深長な11小節にも及ぶトリルとシンコペーションによる嬰ハ音の強調であったが、ドリゴが作ったロマンティックな終結楽節に差し替えられ、完全に終止することに改められた(拍手を受けられる)。
[c.ヴァリアシオンI]には、II番後半のアレグロ部分が使われ、男性ダンサーがダイナミックに踊れるようにテンポを緩めて、さらにヴァイオリンソロは木管楽器にオーケストレイション変更された。全体は繰り返しも含めて、55小節から32小節に23小節短縮された。なお、その後のモルト・ピウ・モッソのコーダは全く削除された。
[d.ヴァリアシオンII]III番のワルツは女性用ヴァリアシオンには使われなかった。ワルツであることと、この曲が完全終止しないことが原因なのであろう(拍手を受けられないから)。そのかわり、チャイコフスキーが死の年1893年に作曲した《18のピアノ小曲集》の第12曲(註)をドリゴが[ヴァリアシオンII] として編曲したものが使われた。非常に可愛らしく、優雅でダンサントな音楽である。これはユルゲンソン版では付録として出版されたが、全集版には含まれていない。
(註)Op.72-12 Espiegle(5文字目のeにはアクサン・グラーヴェが付く)『いたずらっ子』または『遊戯』と訳される、Allegro moderato 4/4。
[e.コーダ]は《No.5》のIV番をそのまま使用されたが、24小節短縮されている。ここでは有名なオディールの32回のfouettes en tournant en dehors(つま先立ちの片足を軸に、もう一方の足を鞭打つように軸足に付けたり開いたりしながら回転する)が踊られ観客を熱狂に誘い込むよう仕掛けられている。

両者を比較してみると、プティパが原作の《No.5パドドゥ》をクラシック・パドドゥ(導入部→アダージョ→ヴァリアシオンI→ヴァリアシオンII→コーダ)の様式に適合させようと、いかに苦心したかが手に取るように分かる。逆に言えば、チャイコフスキーは、バレエにおけるパドドゥがどんなものかを知っていたにもかかわらず、物語の流れを重要視した一貫性のある斬新で幻想的なものを作ろうとしたかが見えてくるのである。たとえば、《No.5パドドゥ》では完全に音楽が休止するのは2回目のワルツの前にたった1か所あるだけで、音楽は物語としての一貫した流れを保っているにもかかわらず、プティパの苦労の結果、休止は3か所にも及び(実際の上演ではさらにコーダの中にさえ休止を設けたりすることもある)、踊りの様式化のために物語の進行が犠牲となっているのである。また、中間部分のジークフリートのためのヴァリアシオンIやオディールのためのヴァリアシオンIIは音楽的には非常に弱いものとなってしまった。

http://www.youtube.com/watch?v=T_5WCZ-XvG4&NR=1
A:これは、プティパが構成・振付し、変更部分の音楽をドリゴが編曲したもので、いわゆる《黒鳥のパドドゥ》である。

<<ブルメイステルの《オディールのためのパドドゥ》>>
プティパ=イワノフ版の成功は《バレエ作品:白鳥の湖》の名を不動のものとしたが、それは音楽ではチャイコフスキーの原作を大きく変更したものであり、それをチャイコフスキーの楽譜どおりに戻して上演したいという欲求が出てくるのは当然のことであろう。そういった試みの中で最も成果を上げたものが、1953年のブルメイステル版である。ブルメイステルはプティパの変更を全てチャイコフスキーの原譜通り元に戻したのだが、やはり第3幕にはパドドゥが欲しかったのか、あるいはタイミングが良かったのか、多分その両方の理由で、ちょうどその頃チャイコフスキーの遺品の中から1つのパドドゥのためのレペティトゥア(踊りの練習のときに使うもので、古くはヴァイオリン1挺、後年ではピアノで伴奏するための楽譜)や一部のパート譜が出てきたので、それがチャイコフスキーが書いたと言われる、いわゆる『ソベシチャンスカヤのパドドゥ』のものであると推定し、シェバリーン(註)という作曲家にオーケストラ編曲してもらって、彼の版の中へ挿入した。この編曲譜は1957年の全集版《白鳥の湖》スコアに巻末付録として組み入れられた。
(註)Vissarion Yakovlevich Shebalin(1902/6/11-1963/5/29)ロシアの作曲家で、チャイコフスキーの《序曲1812年》の最後のロシア国歌の部分をソ連国家に編曲したことでも知られている。

http://www.youtube.com/watch?v=TPeoLmpJtuY
これは、録音用の演奏で映像は付いていない。全集版の付録の《パドドゥ》のスコアをそのまま演奏したものである。


<<チャイコフスキー・パドドゥ>>
しかし、ブルメイステル版は結局は広まらなかった。やはり《No.5パドドゥ》をドリゴに大幅改変させたプティパ=イワノフ版の《黒鳥のパドドゥ》の方が圧倒的にインパクトが強いことが原因だったのだろう。そのため、『ソベシチャンスカヤのパドドゥ』に擬せられた《ブルメイステル版黒鳥のパドドゥ》もほとんど忘れられていた。そんな状況の中で、バランシンという振付師が1960年に《白鳥の湖》とは無関係なシアターピースとして、このパドドゥを《チャイコフスキーパドドゥ》と名付けて振付した。したがって現在では、バレエ関係者の間ではこの名前で広まっている。

さて、この《チャイコフスキーパドドゥ》はどのような構造になっているか見てみよう。
全体はパドドゥの様式をみごとにそのまま再現し、4つの部分から構成されている。
a.Introduction, Moderato ニ長調4/4の短い導入。すぐにAndanteニ長調6/8の主部に入る。いわゆるバレエのアダージョに当たる部分で、独奏ヴァイオリンに乗って女性(オディール)が男性(王子)に支えられて優雅に踊る。クラリネットのカデンツァのあと音楽は大きく盛り上がり、ファンファーレ風の音形で静まって終わる。
b.Var.1 Allegro moderato 変ロ長調6/8:ヴァリアシオン1とされる音楽で、男性のみが力強く踊る。
c.Var.2 Allegroニ長調2/4:ヴァリアシオン2で女性のみが軽やかに踊る。オディールが王子を誘惑するような妖艶さは微塵もないかわいらしい音楽。
d.Coda Allegro mplto vivaceイ長調2/4:終曲。男女それぞれ一人づつ、あるいは二人が一緒になって踊る動きの速い曲。ごく単純な小ロンド形式(ABACA)によっている(Bはへ長調、Cは嬰へ短調)。 

http://www.youtube.com/watch?v=s2Iau6JgeeQ&feature=related
これは、バランシン振付の《チャイコフスキーパドドゥ》の映像と音楽である。女性がオディールの衣装である黒鳥のチュチュを着ていないように、《白鳥の湖》の物語とは関係なく、単独の自由な舞踊のためのパドドゥであるが、音楽は全集版の付録の《パドドゥ》をそっくりそのまま用い《チャイコフスキーパドドゥ》と題された。


<<さまざまな『黒鳥のパドドゥ』>>
プティパの《黒鳥のパドドゥ》は《白鳥の湖》最大の見せどころとして定番となったが、音楽の上ではドリゴの編曲に疑問を呈するバレエマスターが多く、特に王子のヴァリアシオンについてはドリゴの編曲に従わないものがいくつかある。また、オディールのヴァリアシオンはチャイコフスキーの音楽が原曲であるとはいえ、オーケストレイションが他人の手になるものであることも含めて《白鳥の湖》の世界とは全く異なる「希薄な空間」を生ぜしめてしまったことは否めない。したがって、音楽的にさまざまな《黒鳥のパドドゥ》が試みられるのは、単に新奇さを求めてのことだけではなく、その音楽が持つ不完全さゆえの必然なのである。

http://www.youtube.com/watch?v=VpK-NLpQtPE&feature=related
A−1:これは、《黒鳥のパドドゥ》の変形の1つであり、王子が踊るヴァリアシオン1を《チャイコフスキーパドドゥ》のヴァリアシオン1に置き換えている。

http://www.youtube.com/watch?v=AdbL1roej9E
A−2:これも《黒鳥のパドドゥ》であるが、やはり王子が踊るヴァリアシオン1はドリゴの編曲は使用せず、原譜のまま《No.5パドドゥ》の2番の後半をヴァイオリンソロで長い嬰ハ音の経過部含めて少し短縮して使用している。

http://www.youtube.com/watch?v=xTQ1jGnekuc&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=9xNqbvNx_C8&NR=1
A−3:これも《黒鳥のパドドゥ》であるが、やはり王子が踊るヴァリアシオン1は《No.5パドドゥ》の2番の後半のテュッティの部分を中心に短縮して演奏している。

http://www.youtube.com/watch?v=h_N9dl9joks&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=q73JoC-kLTo&NR=1
ここでは《黒鳥のパドドゥ》の前に《ロシアの踊り》が踊られる。ところがそれは本来のロシア民族衣装の娘のヴァリアシオンではなく、ロートバルトと4人の娘の踊りに変えられている。どうもこの4人は花嫁候補らしく、ロートバルトはこの踊りの中で4人が花嫁としてはふさわしくないことをアピールしているようだ。その後の《黒鳥のパドドゥ》の王子のヴァリアシオンではA−3の音楽が使われている。

http://www.youtube.com/watch?v=e6xhKxDGWqo
B:これは、前半の2曲を《チャイコフスキーパドドゥ》、後半の2曲を《No.19パドシス》のヴァリアシオン4とコーダを使用するという折衷的な構成となっている。ここではコーダで「諸国の踊り」のダンサーたちが活躍する(実は彼等はロートバルトが王子を幻惑するためのアトラクションの役割を担っているのである)。お目当ての32回転はロートバルトのマントにより、より効果的に演出され、オディールを演じるザハロアのいわゆる「ドヤ顔」は堂に入ったものである。


【参考】《No.18情景》と《No.19(パドシス)》
《No.18》では、王妃が息子にどの娘が気に入ったか尋ねるが、ジークフリートは気に入った娘はいないと答える。その時ロートバルトとオディールが登場する、といった情景が描かれる。
《No.19》がいったい何を描いているかは全く分かっていない。『6人の踊り』という標題自体がユルゲンソン版出版時に追加されたようで、もともと標題はなかったため全集版では括弧付きになっている。プティパ=イワノフ版ではこのナンバーは全部あっさり削除されたが、その音楽の質が《白鳥の湖》と同等のため(当たり前のことだが)、最近ではその一部分が他の場面に引用されることが多い。

http://www.youtube.com/watch?v=t23RffXoAxI&feature=fvwrel
これは《No.18情景》と《No.19(パドシス)》の録音用演奏である。ここで注意したいのは、ロートバルトとオディールの登場は、突然の闖入ではなく、あらかじめ予定された招待者であるということだ。その証拠に彼らの登場には、他の招待者と同じ花嫁候補登場のファンファーレが鳴り響く。その後の音楽が他の招待者と違うのは、王子の心情の突然の変化を表しているのだろう。王子はベンノに尋ねる「オデットに似ていないか?」。チャイコフスキーの音楽が単なる情景描写と王子の心理を表現している部分が交錯しているため、他の候補者とは全く違うオディール登場のような音楽の突然の変貌をバレエとして演出することはたいへん難しいことだと思う。




《眠りの森の美女》第3幕のパドドゥ
http://www.youtube.com/watch?v=JbriAB1SQJM&feature=fvwrel
http://www.youtube.com/watch?v=izjX_ynBKnI&NR=1

http://www.youtube.com/watch?v=e7Z7Hm7ntiA

《くるみ割り人形》第2幕のパドドゥ
http://www.youtube.com/watch?v=jamqY-oFp7M&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=HXLSsp3BV4U&NR=1&feature=fvwp


さて、それではいよいよ、本題のソベスチャンスカヤ伝説を検証してみよう。






@チャイコフスキーがこの件に関してだけにそんなに自己主張するとは考えにくい。初演時すでに作品は相当変えられてしまっていたことは、残されている初演のポスターから充分窺えるのである。
ポスターでは第1幕は、
1.ワルツ、2.踊りを伴う情景、3.パドドゥ、4.ポルカ、5.ギャロップ、6.パドトロア、7.フィナーレ
であったと小倉氏は報告している【小倉チ、P75】。それに対してチャイコフスキーのスコアでは第1幕は、
1.情景、2.ワルツ、 3.情景、4.パドトロア、5.パドドゥ、6.パダクシオン7.シュジェ、 8.杯の踊り、9.フィナーレ
となっており、音楽は相当変わってしまったことが窺える。少なくとも長大な《杯の踊り》はポルカやギャロップに取って代わられたことが解るし、物語の部分はどこへ行ってしまったのだろうか? 他の幕も同様に変更・縮小されたことは間違いなく、《白鳥の湖》全曲の4分の1はすでにカットされたり他の曲と置き換えられたりしてしまっていたとの解説もある。
Aチャイコフスキーとミンクスがそんなに仲が悪かったのか? ミンクスのモスクワ時代、モスクワ音楽院で彼等は共に教授の地位にあり同僚であった。またチャイコフスキーの《弦楽四重奏曲第1番》の初演(1871年)にミンクスは第2ヴァイオリン奏者として参加した記録もある。その後ミンクスは1872年には、死亡したプーニの後任としてサンクト・ペテルブルクのマリイーンスキイ劇場の座付バレエ音楽作曲家に迎えられ、同地に赴任した。したがってチャイコフスキーとそんなに不仲であったとは思えない。まあ身近に暮したことがあるからこそ憎悪の対象になり得るということは、世間ではよくあることだが・・・
B音楽自体はパドドゥの様式通りであり、よくできているが、チャイコフスキー特有の情念を感じさせない。
Cなにより、この話を信じると、このパドドゥと全く同じ構成で同じ小節数のミンクス作の方のパドドゥがあるはずで、それを確認することが決定的な証拠となるだろうが、そんなものは現れそうにない。


全集版付録のスコアによると、3曲目のヴァリアシオン2を除き、他の3曲には『シェバリーンによるオーケストレイション』と明記されているので、それらには手書きフルスコアは存在せず、レペティトゥアから編曲されたことが分かる。それに対して、ヴァイリアシオン2には『作曲者によるオーケストレイション』と書かれており(チャイコフスキーとはしていない点が微妙)、他のバレエ作品に同じ曲が存在するので、そのパート譜から流用したものと推測される。実際、小倉氏は【小倉白P76,77】で、このパドドゥの導入部は『プーニの《せむしの仔馬》やミンクスの《ドンキホーテ》の中に使われたこともあるし』オディールの踊るヴァリアシオン2は『アダンの《海賊》に使われている。いずれもチャイコフスキーからの引用である』と述べている。しかしそれは逆ではないだろうか。 《白鳥の湖》は1877年初演だが、これらの作品はそれ以前、《せむしの子馬》1864年、《ドンキホーテ》1869年、アダンの《海賊》は1840年以前の作品であるから、そういった作品たちのあちこちをつまみ食いして作られたのが『チャイコフスキー・パドドゥ』ではないだろうか?

とにかく、このチャーミングな『チャイコフスキー・パドドゥ』はバレエ作品としては手慣れていてたいへんよく出来ている。特に導入曲のラッパのファンファーレで静まり行くところは素晴らしいスペクタクルだ。また、ある種ウィーン風の匂い(特にクラリネットのカデンツァなど)もするので、ミンクスの作品そのものである可能性は否定できない。それならば、なぜ手の込んだ<<ソベスチャンスカヤ伝説>>なるものが生まれたのであろうか?



全くの憶測であるが、1つの可能性として、このパドドゥの使用をめぐっての権利のトラブルがサンクト・ペテルブルクとモスクワの間で発生したためチャイコフスキーの作品であることを強調しなければならなくなったということも考え得るのではないだろうか。