<ソベシチャンスカヤのパドドゥ伝説>と《原曲のパドドゥ》
《黒鳥のパドドゥ》・
《チャイコフスキー・パドドゥ》

チャイコフスキーのバレエ音楽《白鳥の湖》の上演史をひもとくと非常に奇妙で興味深い<ソベシチャンスカヤのパドドゥ伝説>という不思議な逸話の存在に気づく。また、それに関係付けられたのか、全集版のスコアには由来の怪しい1曲の『パドドゥ』が付録として印刷されている(《全集版付録パドドゥ》)。そして、この音楽は現在でも《白鳥の湖》の中で、全部あるいは一部分が踊られることもあり、《白鳥の湖》とは別に、単独の舞踊作品としても《チャイコフスキー・パドドゥ》といういささか奇妙なネーミングのもとにバランシンによって振り付けられており、現在でもちょくちょく踊られているのである。これは逸話の世界だけの話ではないのだ。この謎に満ちた<ソベシチャンスカヤ伝説>を解明するためには、やすのぶ探偵に登場願い、大胆な推理を展開してもらわなければなるまい。
まずは、経緯を大雑把に説明することから始めよう。

<<オリジナルの《白鳥の湖》の《No.5:パドドゥ》>>
長大なバレエ音楽《白鳥の湖》の中には、バレエのメインイヴェントとして主役2人が踊るはずの『パドドゥ』と題された曲は、第1幕の《No.5:パドドゥ》1曲しか存在しない。しかも、この曲はスコア上の曲目表示には《パドドゥ》と書かれているだけであり、ト書きもない。いったい誰が踊るのかということすら指定されていないのだ。この点では直前の《No.4:パドトロワ》も同じだが、《パドトロワ》の方は、物語の進行上ベンノと2人の村娘たちが踊るということでほぼ間違いはないだろう。ところが 《No.5:パドドゥ》の方は、初演の台本の登場人物から見て、一般には、村の若者と村娘、あるいはジークフリートと村娘、さらには設定を少し変えてジークフリートと貴族の娘が踊るなどと推定されていて、本当のところは誰が踊るのか不明のままなのである。とはいえ、《No.5:パドドゥ》の、キリリと引き締まった充実感や異様なほどの陰影の深さを持つ音楽の質に鑑みて、当然ジークフリートと女性主役が踊るべきものであると私は確信している。ただ、現在知られている物語では、第1幕には女性主役であるオデットもオディールも登場しない。プティパがこの《パドドゥ》を第3幕へ移したのも、第1幕では物語上主役たちの見せ場として設定する余地がなかったからと考えると、その位置の移動は極めて適切な措置であったと言えるのだ。しかし、それは別項【《白鳥の湖》の原典を探る】で解説しているように、巧妙に仕組まれた調性関係によって作られた物語の根幹を台無しにしてしまうものでもある。手短に言えば、仕組まれた調性操作の結果《No.5:パドドゥ》の音楽的解決先が第2幕の《No.13V:パダクシオン(グランパドドゥ)》となっており、この順序を逆にしてはならないのである。この点からも、第1幕の《パドドゥ》を第3幕へ移動させるというプティパの解決法は、音楽構造を無視した一種の小手先の逃げであると断じざるを得ない。

誰が踊るべきか、スコアには一切の手がかりがないというわけではない。《No.5:パドドゥ》の最初のワルツには唯一踊りの設定を推測させるものとして奇妙なテンポ指示が存在するのである。
Tempo di Valse ma non troppo vivo, quasi moderato.(あまり速くないワルツのテンポ、あたかもモデラートのように)
《白鳥の湖》にはいくつかのワルツが書かれているが、他は全て普通のワルツのテンポである。《No.5:パドドゥ》の最初のワルツでのこの奇妙なテンポ指示は、ワルツでは通例の1小節1つ振り指揮ではなく1小節3つ振り指揮であることを意味しているのであって、あたかもレントラーのようなテンポによって、一種のぎこちなさと初々しさを表現することが意図されたのであろう。この奇妙なテンポ指示は、物語的に何か特別な状況を示唆していることは明らかである。たとえば、二人の出会いと最初の踊りとしてのぎこちなさや恥じらいのようなものを表現していると考えてよいだろう。

とにかく、1877年2月20日の《白鳥の湖》のモスクワでの初演の際、初演ポスターの中の舞踊単位の1つに<王子と村娘のパドドゥ>が表示されているからといって、この《No.5:パドドゥ》が第1幕の中でスコア通りの完全な形で踊られたかどうかは全く定かではないのである(もっと軽い他の音楽で踊られた可能性を否定することは出来ない)。

《No.5:パドドゥ》を一言でいえば『台本の筋書きからはかけ離れた異様な存在』なのである。


<<ソベシチャンスカヤ伝説>>
初演から2ヶ月後の1877年4月26日の4回目の上演のときに主役の変更があり、初演で演じたカルパコワI(Perageia Paulinn Karpakova, 1845-1920)に替わって、ソべシチャンスカヤ(Anna O. Sobeschanskaya, 1842-1918)(註1)が踊ることになった。彼女は完全な『パドドゥ』を第3幕で踊りたいと主張した。ところが、《白鳥の湖》の唯一の『パドドゥ』は始まってすぐ、第1幕の《No.5:パドドゥ》しかなく、ここに彼女の出番はなかった。第3幕には物語の筋書きからして『パドドゥ』を挿入する要素など全くなかったのだが、ソべシチャンスカヤは、初演のときに既に追加されていた《ロシアの踊り》(註2)くらいではあき足らず、どうしてもここに女性主役(オディール?)が踊る『パドドゥ』を欲しがったのである(これはその後のプティパ以降のほとんど全ての振付者に共通する考え方だ)。

(註1)Anna Sobeshchanskayaと綴られる場合もあるキリル文字の変換の仕方による違いと見られる。

(註2)http://www.youtube.com/watch?v=335_ZGrHAhw&feature=related

《ロシアの踊り》:初演時に、諸国の踊りの中にロシアの踊りがないのはよろしくないという批判がおこり、チャイコフスキーはやむなく追加曲として作曲したもの。《ルスカヤ》とも言う。独奏ヴァイオリンがコンチェルトのように大活躍するこの踊りは、スコアには『ロシアの民族衣装を着た女性第一舞踊手が踊る』と明記されている。女性第一舞踊手(la première danseuse)という言葉が「主役」を意味するのか、単なる「主席の女性ソリスト」を意味するのかは不明だが、現存する上演時のポスターには、第3幕の5曲の諸国の踊りの中で、カルパコワIもソべシチャンスカヤも、この《ロシアの踊り》のダンサー名として記されている。もちろん、第3幕ではこの2人は他の踊りも踊っているので、《ロシアの踊り》を踊るときだけロシアの民族衣装に着替えたのかどうかは不明である。(第3幕全体を民族衣装で通したのかもしれないし、あるいは民族衣装を着ずに《ロシアの踊り》を踊ったのかもしれない。)なお、このyoutubeの演奏↑では独奏ヴァイオリンのカデンツァの一部がカットされている。

さてここからが伝説!
<<ソベシチャンスカヤは『パドドゥ』の作曲をチャイコフスキーには頼まず、以前滞在していたサンクト・ペテルブルクまで出向き、ミンクスに作曲してもらいプティパに振付けてもらって《白鳥の湖》の舞台にかけようとした。>>
まあ、こういうことはあまり不思議ではなく、当時のバレエ制作現場ではよく行なわれたことで、《白鳥の湖》でもすでにいくつかの曲がカットされたり他のバレエ曲に差し替えられたと言われているのだが、それからがたいへん奇妙!
<<この話を聞いたチャイコフスキーは、これまでのたくさんのカットや他曲挿入に異を唱えなかったにもかかわらず、今回はミンクスの音楽が入るということで強硬に反対した。しかしソベシチャンスカヤも一歩も譲らず膠着状態になってしまった。そこで、この問題を解決するために、チャイコフスキーは、ミンクスが書いたものと全く同じテンポで全く同じ小節数(すなわち振り付けを全く変えずに済むもの)の音楽を「妥協の産物」として書かされる羽目になってしまった。その結果生まれたのがこの『パドドゥ』であるということだ。>>

この話は、まるで小説のような奇妙奇天烈なものであるが、いかにも胡散臭い。なぜなら、ミンクスが書いたという『パドドゥ』も、チャイコフスキーがそれを書き替えたという『パドドゥ』も、これがその楽譜であるという決定的な証拠は現存していないからである。とにかく上演ポスターによると、第3幕でカルパコワIが踊った『パドサンク』の個所で、ソベシチャンスカヤは『パドドゥ』を踊ったことは確かである。これを<ソベシチャンスカヤのパドドゥ>と言う。ところが、ポスターには、これらの『パドサンク』や『パドドゥ』にどんな音楽が使われたかは全く示されていないし、チャイコフスキーのスコアからも、それらと断定できる個所は存在しない。スコアとポスターの間の最大の矛盾がこの箇所なのである。したがって現状では、これらはチャイコフスキーの《白鳥の湖》の別の個所の音楽を流用したものなのか、あるいは全く別の作品(他人の作品を含めて)の引用なのかは全く不明のままであるとしか言いようがないのである。

とにかく、その後この<ソベシチャンスカヤのパドドゥ>が続けて踊られたかどうかは分からないが、少なくとも1883年にモスクワでの《白鳥の湖》の上演が打ち切られて以来、初演時の全ての振り付けと同様、忘れ去られてしまったことは確かである。

<<《黒鳥のパドドゥ》の誕生>>
その後1895年には、サンクト・ペテルブルクで、あの有名な【プティパ=イワノフ版】が生まれる。このとき、プティパも第3幕に王子とオディールのための『パドドゥ』が必要であると考えた。ところが彼は<ソベシチャンスカヤのパドドゥ>は使わず、チャイコフスキー作の第1幕《No.5:パドドゥ》を第3幕に転用し、しかも『パドドゥの形式』に適合するように曲の内容を大幅に変更した。また、そのための音楽の変更を時のマリインスキーの指揮者リッカルド・ドリゴに依頼した。さらに、オディールが黒鳥のチュチュを着て踊るという決定的な演出もこの時のプティパの発案に違いない。【プティパ=イワノフ版】初演でオデット=オディールを踊ったピエリナ・レニャーニの白いチュチュのオデットと黒いチュチュのオディールの両方の写真が残っている。

しかし、王子が花嫁選択をする前にオディールだけと『パドドゥ』を踊るなんてことはあり得ないのだ。なぜなら、第3幕の舞踏会は花嫁選びがメインであり一種のミスコンテストのようなものだから、一人の候補だけに対して勝手なことをするなど許されるはずはない。唯一可能な設定として王子が花嫁を決定したあとのお披露目という形で踊るということはあり得るが、2人の親密な時間が長ければ長いほどオデットに対する不実を強調することとなり、王子の馬鹿さ加減が強調される結果となってしまうだけであるのだから、『パドドゥ』挿入は全く劇的ではなく、観客の目には一種の茶番としか映らない。

ところがこれをバレエとして見た場合、この場での『パドドゥ』挿入は必要欠くべからざる最大の見せ場なのだ。第3幕に『黒鳥のパドドゥ』のない《白鳥の湖》なんて考えられない。アルコールの抜けた酒のようなものなのだ。バレエはそもそもバレエファンのためのものであるから、ファンの期待を裏切るようなことをしては成功はおぼつかないというわけである。

とはいえ、第3幕での主役たちによる『パドドゥ』挿入というのは、それ自体が物語上の矛盾をはらんだものであり、また原曲の構想に反して無理やり挿入されたものであるからこそ、さまざまな工夫の余地が生じることとなり、非常に数多くの多彩な版が制作されてきた原動力ともなっている。すなわち《白鳥の湖》が現代において最高の人気バレエ作品として君臨している活力の最大の源が『物語上の矛盾』から生まれた『黒鳥パドドゥ』であるのかもしれない。歴史とは皮肉でいたずら好きなものである。

それでは、プティパが《No.5:パドドゥ》をどのように改変したかを具体的に見てみよう。残念ながら改変された形のスコアは入手できないので、実際に上演されたもの、録音されたものからの比較となることをご了承いただきたい。
まずは、チャイコフスキーの作曲した原曲。 これは次の4つの部分から出来ている。

《No.5:パドドゥ》
I.ワルツ、Tempo di Valse ma non troppo vivo, quasi moderato ニ長調
II.アンダンテ、Andante-Allegro 嬰ハ短調ーイ長調
III.ワルツ、Tempo di Valse 変ロ長調
IV.コーダ、Allegro molto vivace ト長調


https://www.youtube.com/watch?v=lKWA9hz0MT8&list=PL438A3D6BF1F773A8&index=6

《No.5:パドドゥ》の音楽。繰り返しは忠実に演奏されているが、最初のワルツは指定通りの遅さにはなっていない。

4つに分けられたそれぞれの曲が誰によって踊られるか、スコアには全く指示はなく、非常に独創的で物語性に富んだ音楽内容であるにも拘らず、その音楽が意味するところの文言はスコアには一切存在しない。不思議なことである。

プティパはこれを、クラシックバレエの『パドドゥ』に完全に適合するように、次のような5つの部分に変更した(音楽はドリゴによる改訂)

《【プティパ=イワノフ版】黒鳥のパドドゥ》

a.導入部(I.ワルツ)
b.アダージョ(
II.アンダンテの前半部分=ドリゴ終止)
c.ヴァリアシオンI(II.アンダンテの後半部分=ドリゴによるオーケストレイション改訂、終結部はカット)
d.ヴァリアシオンII=ドリゴ編曲

e.コーダ

https://www.youtube.com/watch?v=VtEQ-BnNNl8

[a.導入部]は《No.5》のI番をそのまま使用している。しかし、繰り返し(64小節)を省略しているため長さは約半分に減じられている。また、テンポもそんなには遅くはならない。オディールが王子を誘惑する音楽であるから、テンポを遅くするというような小細工は必要ないからだろう。
[b.アダージョ]は《No.5》のII番前半のアンダンテ部分の音楽がそのまま用いられている。ここでの「アダージョ」とは音楽用語としてテンポを規定するものではなく、バレエ用語として『パドドゥ』の構成要素としての名称であり2人のダンサーがゆっくりとポーズを決めながら踊る部分を言う。ソロヴァイオリンは一部でオクターヴ高くするなど、より装飾的で華やかなものになっているし、伴奏のオーケストレイションにも少し変えられた部分がある。《No.5》II番の前半と後半の繋ぎに当たる80小節からの11小節間は、不可解で意味深長な、トリルとシンコペーションだけでひたすら嬰ハ音を鳴らし続ける極端な強調であったが、それは削除され、ドリゴが作ったロマンティックな終結楽節に差し替えられ、完全に終止するように改められた(ここで充分な拍手を主役たちが受けられるように)。これがドリゴ終止と言われるものである。
[c.ヴァリアシオンI]には、II番後半のアレグロ部分が独立して使われ、男性ダンサーがダイナミックに踊れるようにテンポを緩めて、さらにヴァイオリンのソロは木管楽器にオーケストレイション変更された。全体は繰り返しも含めて、55小節から32小節に23小節短縮された。なお、その後のモルト・ピウ・モッソの終止部分は全く削除された。
[d.ヴァリアシオンII]III番のワルツは女性用ヴァリアシオンには使われなかった。ワルツであることと、この曲が完全終止しないことが原因なのであろう(拍手を受けられないから)。そのかわり、チャイコフスキーが死の年1893年に作曲した《18のピアノ小曲集》の第12曲【註】をドリゴが[ヴァリアシオンII] として編曲したものが使われた。非常に可愛らしく、優雅でダンサントな音楽である。これはユルゲンソン版には付録として含まれているが、全集版には存在しない。
【註】Op.72-12 Espiègle(『いたずらっ子』または『遊戯』と訳される)Allegro moderato 4/4。
[e.コーダ]は《No.5》のIV番がそのまま使用されたが、24小節短縮されている。ここでは有名なオディールの32回のfouettés en tournant en dehors(つま先立ちの片足を軸に、もう一方の足を鞭打つように軸足に付けたり開いたりしながら回転する)が踊られ観客を熱狂に誘い込むよう仕掛けられている。

両者を比較してみると、プティパが原作の《No.5:パドドゥ》を『クラシック・パドドゥ』(導入部→アダージョ→ヴァリアシオンI→ヴァリアシオンII→コーダ)の様式に適合させようと、いかに苦心したかが分かる。逆に言えば、チャイコフスキーは、バレエにおける『パドドゥ』がどんなものかを知っていたにもかかわらず、その形式を無視して、物語の流れを重要視した一貫性のある斬新で幻想的なものを作ろうとしたということになる。たとえば、チャイコフスキーは音楽の完全な停止をたった2個所(IIとIIIの間と最後)にとどめ、物語として一貫した流れを保たせた(ワルツとコーダの間のフェルマータは緊張の持続を意味する)。ところが、プティパの苦労の結果、終止は4か所にも及び(実際の上演ではさらにコーダの中にさえ休止を設けたりすることもある)、1つの踊りが終わる度にダンサーは流れを中断して拍手を受けることが出来るようになった。物語の進行が犠牲となったわけである。また、中間部分のジークフリートのためのヴァリアシオンIやオディールのためのヴァリアシオンIIは音楽的には非常に弱いものとなってしまった。


<<《No.18:情景》と《No.19(パドシス)》>>
第3幕の劇としての中心にあたるこの2曲、まず《No.18》は、女王が息子に「どの娘が気に入った?」と尋ねるが、ジークフリートは「気に入った娘はいない」と答える。その時、ロートバルトとオディールが登場する、といった情景が描かれる。
ここで注目したいのは、ロートバルトとオディールの登場は、突然の闖入ではなく、あらかじめ予定されていた招待者であったということである。その証拠に彼らの登場には、他の招待者と同じ花嫁候補登場のファンファーレが鳴り響く。ラッパを吹く式部官たちにとっては、ロートバルト親子の登場は、かねてから予定されていたもので、彼等が少し遅刻しただけなのだ。現代の演出のように、彼等が舞踏会の人たちにとっては全く不明の闖入者であるとしたら、チャイコフスキーは別の登場の音楽を書いただろう。ここで他の花嫁候補登場と同じファンファーレが鳴り響くということは、ロートバルト親子が他の花嫁候補たちと同じ資格を有する者たちであることを意味する以外の何物でもない。ファンファーレのあとの音楽が他の候補者たちと全く違うのは、王子の心の動揺を音楽で表しているからだろう。王子はベンノに尋ねる「彼女はオデットに似ていないか?」。ただ、チャイコフスキーの音楽が単なる情景描写と王子の心理状態を合わせて表現しているため、他の候補者の場合とは全く違うオディール登場の音楽の突然の変貌をバレエとして演出することはたいへん難しいことだと思う。

ただ、現代の演出の多くはロートバルト親子を闖入者として演出しているので、ファンファーレは殆ど無意味となっている。結果、花嫁候補が登場する時も1回しか鳴らないし(スコアでは3回、すなわちオディールを含めて花嫁候補は4人)、演出によっては王子が登場するときに鳴らされたりすることもある。しかし、それではロートバルト親子登場のときのファンファーレに全く意味がなくなってしまうのだが・・・・

《No.19》も、他のダンス組曲と同様、スコアにはト書きや役名が欠落しているため、いったい何が描がかれているのか全く分かっていない。『パドシス=6人の踊り』という標題自体が作曲後に追加されたようで、もともと標題はなかったため全集版では括弧付きになっている。ただ、プティパ=イワノフ版では、このナンバーは全部あっさり削除され、無視されているのだから、第2幕の《No.13白鳥たちの踊り》でプティパが行なった修正とは性格が異なるといえよう。 もともとこの曲にはヴァリアシオンは4つしかない。6人が踊る(パドシス)という加筆は不自然であり、初演の演出の都合によって加筆された可能性が高い。7曲から構成される音楽の質は《白鳥の湖》の他のナンバーと同質のため(当然のことだが)、最近ではその一部分が他の場面に引用されることが多い。

《No.19(パドシス)》
(1)イントラーダ(導入)、Moderato assai へ長調 2/4 
田園的な、のびやかな音楽。優雅さは存在するが華やかな舞踏会の音楽としては少々場違いな雰囲気である。チャイコフスキーは、この《No.19(パドシス)》に何か特殊な意味合いを込めていたのかもしれない。
(2)ヴァリアシオンI、Allegro 変ロ長調 2/4 クラリネットソロによる活発なヴァリアシオンの音楽。後半はフルートのソロになって、さらに華やかになる。女性ダンサー1人のための音楽のようだ。
(3)アンダンテ・コン・モート、Andante con moto ト短調 2/4 3つの全く異なる音楽に分かれていて、非常に印象的な音楽である。そのため現代のプロダクションでは工夫が凝らされ、いろんな場面に挿入されることがしばしばある。全集版ではヴァリアシオンと表示されているが、ソロダンサー向け音楽とは全く違うので、どの振付でも主役の2人やコールドバレエが踊る。
(4)ヴァリアシオンII、Moderato 変ホ長調 6/8 イントラーダの雰囲気に戻った穏やかな雰囲気のヴァリアシオン。女性ダンサー1人のための音楽のようだ。
(5)ヴァリアシオンIII、Allegro ハ短調 4/4 一転して『運命のリズム=フクロウのリズム』タタタタンの連続による激しい音楽。女性向けの音楽とは思えない。
(6)ヴァリアシオンIV、Allegro simplice へ短調 4/4 ハープのソロに先導されたオーボエソロの妖しい魅力のあるヴァリアシオン。オディールのヴァリアシオンに使われることが多い。
(7)コーダ、Allegro molto 変イ長調 2/4
 非常に華やかに盛り上がる終結の音楽。

↓以下は《No.19(パドシス)》の音楽のみの動画。


https://www.youtube.com/watch?v=2g5E81MK5Ek&list=PL438A3D6BF1F773A8&index=21

http://www.youtube.com/watch?v=48_ctWx8hVM&list=PL438A3D6BF1F773A8&index=22

<<《全集版パドドゥ》とブルメイステル版>>
プティパ=イワノフ版の成功はバレエ作品としての《白鳥の湖》の名を不動のものとしたが、それは音楽面ではチャイコフスキーの原作を大きく変更して成し得たものである。《白鳥の湖》の人気が高まるにつれ、チャイコフスキーの楽譜どおりに戻して上演してみたいという要求が出てくるのは当然のことであった。そういった原典復帰への試みの中で最も成果を上げたものが、1953年のブルメイステル版である。ブルメイステルは、プティパが付け加えたナンバーを排除し、『パドドゥ』を第1幕に戻した。しかし、そうすると第3幕で『パドドゥ』は踊れない。ちょうどその頃、モスクワ近郊クリンのチャイコフスキー博物館で、チャイコフスキーの遺品の中から1つの『パドドゥ』のためのレペティトゥア(註1)や一部のパート譜がブルメイステルや博物館員によって発見された。そして、それがチャイコフスキーが書いたと言われる、いわゆる《ソベシチャンスカヤのパドドゥ》そのものであると断定され、シェバリーン(註2)という作曲家にオーケストラ編曲してもらって、ブルメイステルの版に《黒鳥のパドドゥ》として挿入されたのである。いわばブルメイステル版の『目玉』として扱われたわけである。
この編曲譜は1957年の全集版《白鳥の湖》スコアに巻末付録として組み入れられた。この《パドドゥ》の構造は4つの部分に分かれており、プティパの『クラシック・パドドゥ』の形式に完全に適合するものであり、全集版スコアのそれぞれの曲には下記のような註記がなされている。ヴァリアシオンIIにおける「作曲者」という標記は、シェバリーンのオーケストレイションではなく、元々あったパート譜から編まれたことを示しているのだろうが、チャイコフスキー作とは書かれていないところが微妙である。

(註1)踊りの練習のときに使うもので、古くはヴァイオリン1挺、あるいは2挺、後年ではピアノで伴奏するための楽譜。
(註2)Vissarion Yakovlevich Shebalin(1902/6/11-1963/5/29)ロシアの作曲家で、チャイコフスキーの《序曲1812年》の最後のロシア帝国国歌の部分をソ連国歌に編曲したことでも知られている。

《全集版付録パドドゥ》
A. Introduction、Moderato ニ長調4/4の短い導入。すぐにAndanteニ長調6/8の主部 シェバリーンによるインストラメンテイション
B. ヴァリアシオンI、 Allegro moderato 変ロ長調6/8: シェバリーンによるインストラメンテイション
C. ヴァリシオンII、ニ長調2/4: 作曲者によるインストラメンテイション
D. Coda Allegro mplto vivaceイ長調2/4:終曲 シェバリーンによるインストラメンテイション

http://www.youtube.com/watch?v=TPeoLmpJtuY
これは、録音用の演奏で映像は付いていない。全集版の付録の《パドドゥ》のスコアをそのまま演奏したものである。


さて、現在われわれが観ることが出来る《ブルメイステル版黒鳥のパドドゥ》は上記《全集版付録パドドゥ》の通りには踊られていない。下記のように、後半2曲は《No.19(パドシス)》ヴァリアシオンIVとコーダに、前半2曲はシェバリーンによるオーケストレイションではなく別のオーケストレイションに置き換えられているのである。シェバリーンの編曲はヴィーン風のわりとエレガントでダンサントなものであったが、改訂されたのものはいかにもロシア風の重厚なおどろおどろしいものとなっている。また、変更で特に目立つのはクラリネットのカデンツァがヴァイオリンのカデンツァに変えられていることである。

《ブルメイステル版黒鳥のパドドゥ》
A.Introduction、Moderato ニ長調4/4の短い導入。すぐにAndanteニ長調6/8の主部
B.ヴァリアシオンI、 Allegro moderato 変ロ長調6/8

(6)ヴァリアシオンIV、Allegro simplice へ短調 4/4

(7)コーダ、Allegro molto 変イ長調 2/4

http://www.youtube.com/watch?v=-DPEM3womyA

http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=NAzt9FLGXFI&feature=fvwp

↑これは、ブルメイステル版が初演されたモスクワの音楽芸術劇場(ダンチェンコと言われることが多い)の現在のブルメイステル版の演出・振付である。《パドドゥ》に入る直前には《No.19:Var.III》(梟のヴァリアシオン)が踊られており、《No.19》は解体されて、《パドドゥ》内だけでなく第4幕にも使われている。また、第3幕は物語の内容も分かりやすく非常に劇的な工夫が凝らされて振付られていて、「諸国の踊り」のダンサーたちも物語に組み込まれて大活躍するのである(実は彼等はロートバルトの手下であって、オディールとともに王子を籠絡するためのアトラクション要員としての役割を担っているのである)。お目当ての32回転はロートバルトのマントから突然オディールが出現することにより、より効果的に演出されている。このような演出には《全集版付録パドドゥ》の女性ヴァリアシオンやコーダの音楽は、黒鳥の神秘性や邪悪性を表現するためには全く不釣り合いであって、当初からこれらの音楽は使われていたなかったのではないかという疑念が生じて来る。

http://www.youtube.com/watch?v=e6xhKxDGWqo

↑これは、ミラノスカラ座の映像だが、現行ブルメイステル版であるにもかかわらず、前半2曲はシェバリーンが編曲した全集版のままの音楽が使われている。オディールを演じるザハロワのいわゆる「ドヤ顔」は堂に入ったものである。

<<《チャイコフスキー・パドドゥ》>>
バランシンという振付家が1960年に《白鳥の湖》とは無関係なシアターピースとして、《全集版付録パドドゥ》の音楽に振り付けて、それを《チャイコフスキーパドドゥ》と名付けた。現在、バレエ関係者の間ではこの音楽は《チャイコフスキーパドドゥ》という名で知られている。バランシンがこの《パドドゥ》を独立した振付作品として発表したのは、たぶん、《白鳥の湖》の中で《黒鳥のパドドゥ》として全体を踊ることは不可能であると考え、それならば独立した『小品』として振り付けてみる価値があると判断したからではないだろうか。

《チャイコフスキーパドドゥ》
A. Introduction、Moderato ニ長調4/4の短い導入。すぐにAndanteニ長調6/8の主部:『クラシック・パドドゥ』のアダージョに当たる部分で、独奏ヴァイオリンに乗って女性が男性に支えられて優雅に踊る。クラリネットのカデンツァのあと音楽は大きく盛り上がり、ファンファーレ風の音形で静まって終わる。
B. ヴァリアシオンI、 Allegro moderato 変ロ長調6/8: 男性のみが力強く踊る。
C. ヴァリシオンII、ニ長調2/4: 女性のみが軽やかに踊る。オディールが王子を誘惑するような妖艶など微塵もないかわいらしい音楽。
D. Coda Allegro mplto vivaceイ長調2/4:終曲: 男女それぞれ一人づつ、あるいは二人が一緒になってそれぞれの技を披露する動きの速い曲。終わりに向かってどんどん難しい技を繰り出していく。ごく単純な小ロンド形式(ABACA)によっている(Bはへ長調、Cは嬰へ短調)。 

http://www.youtube.com/watch?v=s2Iau6JgeeQ&feature=related

↑これは、バランシン振付の《チャイコフスキーパドドゥ》の映像と音楽である。女性がオディールの衣装である黒鳥のチュチュを着ていないように、《白鳥の湖》の物語とは関係なく、単独の自由な舞踊のための『パドドゥ』であるが、音楽は全集版のシェバリーン編曲のままである。


<<現代の《黒鳥のパドドゥ》>>
現在、世界中のバレエ団が様々なプロダクションの中で多彩な《黒鳥のパドドゥ》を制作しているが、それらは全てここで取り上げた、原曲の《No.5:パドドゥ》、ドリゴが補作した《No.5:パドドゥ》《No.19(パドシス)》《全集版付録パドドゥ》の4曲から適宜取捨選択したものである。細部の微細なオーケストレイションの変更はあるものの、これら4曲以外の曲が使われることはまず有り得ない。


<<検証>>
さて、上述の経過や周辺状況の解説を踏まえて、本題の『ソベシチャンスカヤ伝説』とは何だったのかについていくつかの要素に分けて検証してみよう。

@現存するる初演のポスターには重要な情報が盛り込まれている。そこには20の舞踊単位ごとにダンサー名が詳細に掲げられているのである。もちろん、舞踊単位のみを示しているため物語の部分(情景、パダクシオンなど)、すなわちマイムの部分の情報は当然のことながら欠落してるが、初演時すでに作品は相当変えられてしまっていたことは充分窺えるのである。 第1幕を見てみよう。
初演ポスターの舞踊単位:
<1.ワルツ>、<2.踊りを伴う情景>、<3.パドドゥ>、<4.ポルカ>、<5.ギャロップ>、<6.パドトロワ>、<7.フィナーレ>
チャイコフスキーのスコア:
《1.情景》、《2.ワルツ》、 《3.情景》、《4.パドトロワ》、《5.パドドゥ》、《6.パダクシオン》、《7.シュジェ》、 《8.杯の踊り》、《9.フィナーレ》

このように、ポスターに挙げられた舞踊単位はスコアには対応していない。そのまま当てはまりそうなのは《2.ワルツ》だけである。<3.パドドゥ>、<6.パドトロワ>にしても、順序が変であるし、《4.パドトロワ》、《5.パドドゥ》を完全に再現したものとは全く思えない。踊りの多いはずの第2幕もチャイコフスキーの音楽に比べて舞踊単位が不足するようだ。第4幕に至っては舞踊単位はたった1つしかない。唯一の<20.パダンサンブル>は16羽白鳥のひなが加わると指定されているので《27。小さな白鳥の踊り》が使われたのだろう。他の部分には踊りは無かったのだろうか?とにかくマイムだけで他の部分の全てをやり過ごすなど到底出来ないことなので、変更・縮小されたことは疑いのないところである。極端な話ではあるが、《白鳥の湖》全曲の4分の1はすでにカットされたり他の曲と置き換えられたりしてしまったとの説もあったりする。
そんな状態の中で、はたしてチャイコフスキーは『パドドゥ』の挿入に対してだけ、強硬なクレームをしたり、他人の音楽の作り変えのような奇妙なことを敢えてしただろうか?

A問題の第3幕は、
初演ポスターの舞踊単位:
<12.貴人と小姓の踊り>、<13.パドシス>、<14.パドサンク>、<15.ハンガリーの踊り>、<16.ナポリの踊り>、<17.ロシアの踊り>、<18.スペインの踊り>、<マズルカ>
チャイコフスキーのスコア:
《15.》(無題)、《16.コールドバレエと道化の踊り》、《17.招待者の登場とワルツ》、《18.情景》、《19.(パドシス)》、《20.ハンガリーの踊り.チャルダッシュ》、《21.スペインの踊り》、《22.ナポリの踊り》、《23.マズルカ》、《24.情景》

『諸国の踊り』は、《ロシアの踊り》が追加されて、全て踊られるので問題はない。問題は<13.パドシス>と<14.パドサンク>である。<13.パドシス>は《19.(パドシス)》がそのまま踊られたのだろうか?<14.パドサンク>は一体どんな音楽で踊られたのだろう?
ところで、上記の舞踊単位は2月20日(ロシア暦)のカルパコワIによる初演のものである。ソベシチャンスカヤが初お目見えした4月26日(ロシア暦)の4回目の上演のポスターも残っていて、そこには出演者の異動はあるものの、20の舞踊単位は1か所を除いて全く同じである。同じ演出で上演されたのである。その1か所というのが<14.パドサンク>であり、ここで王子とソベシチャンスカヤが『パドドゥ』を踊っている。確かに<ソベシチャンスカヤのパドドゥ>は存在したのだ。
4回目上演ポスターの舞踊単位:
<12.貴人と小姓の踊り>、<13.パドシス>、<14.パドドゥ>、<15.ハンガリーの踊り>、<16.ナポリの踊り>、<17.ロシアの踊り>、<18.スペインの踊り>、<マズルカ>

<14.パドドゥ>にどんな音楽が使われたかは不明だが、<14.パドサンク>と入れ替えても物語進行に問題が生じないはずだから、いずれの踊りもダンサントなものだったに違いない。
ちなみに<17.ロシアの踊り>は初日のカルパコワIも4日目のソベシチャンスカヤも踊ったことになっている。

Bチャイコフスキーとミンクスがそんなに仲が悪かったのか? ミンクスのモスクワ時代、モスクワ音楽院で彼等は共に教授の地位にあり同僚であった。またチャイコフスキーの《弦楽四重奏曲第1番》の初演(1871年)にミンクスは第2ヴァイオリン奏者として参加した記録もある。その後ミンクスは1872年には、死亡したプーニの後任としてサンクト・ペテルブルクのマリイーンスキイ劇場の座付バレエ音楽作曲家に迎えられ、同地に赴任した。したがってチャイコフスキーとそんなに不仲であったとは思えない。まあ身近に暮したことがあるからこそ憎悪の対象になり得るということは、世間ではよくあることだが・・・

C音楽自体はバレエのパドドゥの形式に完全に一致しており、ルーティン・ワークとしては、かなり良くできている部類に入るが、チャイコフスキー特有の情念を感じさせない点で《白鳥の湖》の音楽とは相容れない。チャイコフスキーが作曲したことが明らかな追加曲《ロシアの踊り》と比較してみれば一目瞭然、音楽の質の違い(優劣ではなくて情念の違い)は明瞭に聴き分けることが出来るだろう。チャイコフスキー自身がそのようなものを作曲したとは思えない。音楽の想念が全く異質なのである。

D全集版付録のスコアによると、3曲目の《ヴァリアシオンII》を除き、他の3曲には『シェバリーンによるオーケストレイション』と明記されているので、それらには手書きフルスコアは存在せず、レペティトゥアから編曲されたことが分かる。少なくともチャイコフスキーがオーケストレイションしたものではないのだ。一方、《ヴァイリアシオンII》には『作曲者によるオーケストレイション』と書かれており(チャイコフスキーとはしていない点が微妙)、他のバレエ作品に同じ曲が存在するので、そのパート譜から流用したものとも推測され得る。実際、小倉氏は【小倉白鳥P76,77】で、このパドドゥの導入部は『プーニの《せむしの仔馬》やミンクスの《ドン・キホーテ》の中に使われたこともある』、オディールの踊る《ヴァリアシオンII》は『アダンの《海賊》に使われている。いずれもチャイコフスキーからの引用である』と述べている。しかしそれは逆ではないだろうか。すなわち、チャイコフスキーの曲をそれらのバレエに引用したのではなくて、様々なバレエに使いまわされてきた小曲を、この《チャイコフスキー・パドドゥ》にも引用したのではないか。 《白鳥の湖》は1877年初演だが、これらの作品はそれ以前、《せむしの仔馬》1864年、《ドン・キホーテ》1869年、アダンの《海賊》は1840年以前の作品であるから、プティパがソベシチャンスカヤのために急遽そういった作品たちのあちこちをつまみ食いして振り付けたのが《チャイコフスキー・パドドゥ》なのかもしれない。

Eレペティトゥアやパート譜は、クリンのチャイコフスキー博物館所蔵の彼の遺品から発見されたということなので、チャイコフスキーが所有していたことは間違いないだろうが、それらは他人の筆跡であって自筆ではない。もし、彼が作ったものならば、自筆スコアを保存せず、逆に舞踊の現場で使う写譜師に書かせたものを所有しているというのは作曲家としていささか本末転倒な行為であると言えよう。チャイコフスキーがバレエ音楽研究のためにそれらを手元に置いていた可能性も捨てきれない。また、どんな音楽が差し替えられて舞台に掛けられたかを知るためにそれらを入手したのかもしれない。
同様の事例はブルックナーにも存在する。軍楽隊用の《アポロマーチ》というブルックナー自筆の作品が遺品の中に残されていた。そのためこの曲はブルックナー作として信じられていた。ところが後になって、この行進曲はハンガリーの作曲家ケラー・ベラの作品であることが判明したのである。実は、ブルックナーが依頼作の軍楽隊用《変ホ長調行進曲》を作るための参考として、既成の《アポロマーチ》をブルックナー自身が筆写して手本としたために誤解が生じたというわけである。遺品を吟味するということには時々落とし穴が存在するということだ。

Fなにより、この話を信じると、このパドドゥと全く同じ構成で同じ小節数のミンクス作の方のパドドゥがあるはずで、それを確認することが決定的な証拠となるだろうが、そんなものは現れそうにない。

Gチャイコフスキーが本当に作曲していたのなら、同じ追加曲である《ロシアの踊り》は完全な形で残されているのに対して、《パドドゥ》は影も形もないのは全く不自然だ。

Hもし、プティパに振り付けてもらったのなら、プティパが《白鳥の湖》を1895年に改訂した時何故それを使わなかったのだろう?

さて結論であるが、<ソベシチャンスカヤのパドドゥ>とは《全集版付録パドドゥ》のことではないだろうか。そしてそれはチャイコフスキーが作曲したものでもなく、黒鳥のためのものでもない。単に、第3幕でソベシチャンスカヤが物語の筋とは全く関係なく踊ったものなのだろう。このチャーミングな《全集版付録パドドゥ》はバレエ作品としては手慣れていてたいへんよく出来ている。特にアダージョ末のラッパのファンファーレで静まり行くところは素晴らしいスペクタクルだ。また、ある種ウィーン風の香り(特にクラリネットのカデンツァなど)もするので、ミンクスの作品そのものである可能性は否定できない。
それならば、なぜ手の込んだ<ソベシチャンスカヤ伝説>なるものが生まれたのであろうか?
全くの憶測ではあるが、1つの可能性として次のようなことが考え得るのではないだろうか。
<ソベシチャンスカヤはミンクスから調達してプティパに振り付けてもらったパドドゥを《白鳥の湖》で踊った。彼女はチャイコフスキーの同意を得ようとしてチャイコフスキーに楽譜資料を渡した。当然チャイコフスキーは了承した。ところが、このパドドゥの使用をめぐっての権利上のトラブルがサンクト・ペテルブルクとモスクワの間で発生した。それを取繕うためにモスクワで上演したものはチャイコフスキーの作品であったことを強調しなければならなくなった。その結果生まれたのが『ソベシチャンスカヤ伝説』である>
といったことが背後に存在していたのではないだろうか・・・・?

2012.11.11記
2013・03・16 改稿
2015・10・25 改稿