ブルックナーの楽譜の話題あれこれ



(7)《第七交響曲》アダージョの打楽器について

まだブルックナーがわが国ではそんなに演奏されていないときから、一部のブルックナーファンの間で大きく話題になった『アダージョに打楽器が必要なのか、不要なのか?』という問題。これについての現時点での私の見解を披歴しよう。

@まず最初に見なければならないのは、《第七》で使用された五線紙である。横長で、18段の五線が付されている。この五線紙をブルックナーは<Fl.・Ob.・Cl.・Fg.・Hr.1,2・.Hr.3,4・Tp.1,2・Tp.3・Pk.・Tr.A.T.・Tr.B.・Tb.・1段空白・Vl.1・Vl.2・Va.・Vc.・CB>.と『17段+空白1段』として使った。ところがアダージョとフィナーレで4本のヴァーグナーテューバを追加使用したため<Tb.B1,2・Tb.F1,2>と2段追加しなければならなくなった。そのため、彼はフィナーレでは20段の五線紙を使ったのだが、アダージョでは何故か18段のままティンパニと空白の一段をそれに充てた。要するに満杯になってしまって打楽器の場所は無くなってしまったというわけだ。ということは、当初ブルックナーはアダージョでは打楽器は使わないということで作曲したのである。それは第1楽章がコーダに入るまで一切ティンパニを使われないという異常なオーケストレイションと軌を一にした行為であるとするならば納得のいく処理だと考えられる。

A貼り付けられた打楽器のパート譜は密着しているのではなくて、下が見えるようになっている。取り外そうとすれば簡単なように見える。右上の方にある『gilt nicht』(無効)などと書かずに、引っ剥がしてしまえば跡かたがなくなるだろうと思う。これを書いたのは図書館の司書とかハースか彼の意を汲んだ人なのだろうか?

Bパート譜自体は筆写職人が書いたような綺麗なものだ。ブルックナー自身が36小節休み、40小節休み、56小節休み・・・なんて書くのだろうか? 少なくとも後から追加されたSehr langsam やtrem.〜〜〜という雑な書体の指示こそは、ブルックナーが書いたものと思えるが・・・

Cこのパート譜のトライアングルにはト音記号が抜けているが、ミの音だと思われる。ベッケン(シンバル)の方にはヘ音記号が書かれていてドの音が書かれている。初版を見るとトライアングルは同じだが、ベッケンの方はト音記号でソの音が書かれている。これは《第八》の2つの稿と同じ書き方である(ベッケンはバス音のト音記号表記)。初版には、さらにausklingen lassen(鳴らしっぱなし)の指示が加えられているが、パート譜の方にはない。これらの違いはどこで生じたのだろう?ただし、《第七》はどの版も4分音符表記だが、《第八》の場合は全て8分音符表記になっている。ヴァーグナーテューバの記譜法と同様、このような特殊楽器の記譜については曲によってブルックナーは考えを変えているようだ。問題はノーヴァク版の方にある。トライアングルとベッケンを1本の簡易譜表で印刷しているのである。何故こんなことをしたのか理解に苦しむが、パート譜通り五線譜で印刷すべきであろう。

さて、上記のような遺贈稿の資料状態を知らずに、ファンたちは喧々諤々の議論をしてきたように思える。原典版派の教義『手出しの好きな弟子たちの勝手な加筆を洗い清めるために遺贈稿に準拠したものが原典版である』に対して、この箇所はまさにその教義に反する実例を示してしまっているからこそ、原典版派たちは困ってしまって議論が空転するのではなかろうか。このパート譜は、二重の意味で教義に反する。 @ブルックナーが嫌がっていたものが何故遺贈稿に含まれているのか? A本当にブルックナーが書いたものなのか?

ところで、他の作曲家の場合の校訂版作成のための明確な基準である自筆かどうかの判定が、ブルックナーにおいては意味をなさないという厳然たる事実が存在する。『後世のために、原稿を封印して帝室図書館に遺贈し、出版の参考とするように、という遺言』を実行したものが遺贈稿であるのだから自筆譜よりも、それが優先するという論理である。これがいわゆる教義であって、逆に言うと、他人の進言であることが明確に証明されているものが遺贈稿に含まれていること、10曲以上まとめられた遺贈稿のうちには他人の筆写譜にブルックナーが修正を加えたものも存在することなど、原典版派の主張とは違うものがこの遺贈稿に含まれているのだ。彼らの崇めていたものが、逆に改訂版派の論拠になってしまうという喜劇が演じられてしまったということだ。このパート譜が自筆なのか他人が書いたものなのかなんてことを詮索したところで始まらない。そうではなくて、遺贈稿にパート譜が存在するという事実にこそ意味があるのであって、なぜブルックナーが遺贈稿にそれを含めたのかということの方を詮索すべきだろう。

こういったことを論じた文を私は読んだことがない。たぶん、改訂版派はすでに叩き潰されているし、原典版派は都合の悪いことに触れたがらないからだろう。そこで、私見を述べてみようと思う。ブルックナーは40歳くらいまで、あるいはヴィーンに上京するまで、オーケストラの現場とは全く無縁であった。彼自身が指揮して初演した《第一交響曲》を『kecke Beserl』(なまいきな箒=世間知らずの小間使いの娘の意)と自嘲して名付けたのは、そういう彼の向こう見ずな行動に出た経歴を見事に言い表している。勿論ヴィーンでの交響曲作曲ざんまいの生活においても、劇場関係者や内部の指揮者あるいは演奏家としてオーケストラの内実を経験することはなかっただろう。しかし、彼は自分の学んできたものを作品に表現することには非常に頑固であった。と共に、もちろん交響曲によって名声を得ることも欲した。時にそのギャップが生じた場合どうするか?その答えの1つが一連の初版譜の出版であって、もう1つが遺贈稿の選定であったと考えられるのである。

では、現代の我々はこのパート譜紙片をどう考えたらよいのだろうか? ブルックナーは、こう言っているように思う。『聴衆の好みに応じてどちらでもよい。それは打楽器の追加に限らず、他のテンポ上の追加も同様である。』
要は聴衆が感動してくれればどのように演奏されようと『良いものは良い』のだということであろう。

↓遺贈稿Mus.Hs.19.479の映像付き演奏。

https://www.youtube.com/watch?v=FFQ00FHVSGg

34分40秒の映像をご覧になると分かるように、打楽器のパート譜はめくられていて映っていない。ところが、この演奏の方はシンバルが派手に鳴る。まあ、ギャグのような手法だが、打楽器を映すとその下に隠れる楽器の音符が見えなくなるので、苦肉の処置と言えるだろう。

2020・2・06


(6)ヴィーン樂友協会所蔵、手書楽譜資料A178a《第八交響曲》印刷用原稿

《第八交響曲》には印刷用原稿(いわゆる版下)が現存する。ヴィーンの楽友協会に保存されているA178a(旧XIII. 32.394)という資料である。ただ、残念ながらそれは完全ではなく、以下の通りかなりの部分が欠落している。

第1楽章:
33〜119小節(87小節)[提示部第1主題部分の後半から第3主題部分の前半)]40フォリオ中9フォリオ。【註】
スケルツォとトリオ: 25フォリオ
完全
アダージョ:
167〜190小節(24小節)[第2副次部後半から第3主部のはじめまで]37フォリオ中3フォリオ
フィナーレ: 62フォリオ中17フォリオ
@13〜120小節(108小節)[始まってすぐから第2主題提示部分の終わりまで]9フォリオ
A345〜368小節(24小節)[展開部クラリネット三連符の部分]2フォリオ
B443〜466小節(24小節)[再現部第1主題]2フォリオ
C503〜526小節(24小節)[再現部第2主題前の静かな所]2フォリオ
D629〜652小節(24小節)[コーダの直前]2フォリオ

【註】フォリオとは表裏2ページの紙の単位のこと。資料の切り取りや挿入のとき、表裏は一緒に動くので便利な言い方。裏を使用せず空白の場合があるので、その時はフォリオ数とページ数は一致しない。例えば、10フォリオの楽章で、最後のフォリオの裏を使わなかった場合は、19ページになる。この資料A178aでは、楽友協会が取得した時点でのフォリオ番号が付されている。それらは1から141まで、すなわち282ページだが、表紙2フォリオ(最初とフィナーレ)、楽章間の空白2フォリオ、フィナーレのスケッチ2フォリオの6フォリオを含んでいるので、実際の楽譜本体は、それらを差し引いた135フォリオである。また、スケルツォの最後のフォリオの裏のページは使用されていないので、音楽が書かれているページは269ページとなる。

《第八交響曲》全体で1701小節中315小節、164フォリオ中29フォリオが欠落しているのだから5分の1弱が失われているということになる。なぜ欠落したのか? 楽友協会は、取得した時点で、すでに欠落があったとのことを説明しているだけである。ただ、欠落はその性格から2種類に分類することが出来よう。第1楽章とフィナーレ@は、両方とも楽章が始まってすぐの所がかなりの部分欠落してるという第1のカテゴリー、その他は、必要なポイントを個々に抜き出した感があるので第2のカテゴリーである。どちらのカテゴリーにおいても欠落の理由は不明である。

初版出版の段階で小節の加除が行なわれたフィナーレの2個所(93〜98小節の削除と519〜520小節の繰り返し)は、この版下では両方とも欠落しているので(@とCに含まれている)、実際にどのように処理されたかを見ることは出来ない。なお、上記@〜Dの小節数は、加除前の、すなわち自筆譜の最終状態=全集版VIII/2の小節数である。その他の膨大な加除訂正に関しては、初版印刷譜そのものを参照すれば、欠落部分がどうなっていたか、だいたいの推測がつく。

A178aは、自筆譜や自筆改訂を含む筆写譜のうち最終改訂されたものの筆写譜によって構成されている。すなわち、筆写元はMus.Hs.19.480/1(第1楽章),Mus.Hs.19.480/2(スケルツォ),Mus.Hs.40.999(アダージョ),Mus.Hs.19.480/4(フィナーレ)である。この筆写譜は、印刷用に供するために一気に筆写されたのではなく、既にあった筆写譜のうち最新のものが選ばれたようで、筆写者は楽章ごとにそれぞれ異なるし、楽章内においても分担筆写している場合もある。筆写の日付は次の2か所存在する。
@第1楽章の最後:V.Ch./9.4./1890
Aトリオの最後:29/XII/89/Leop. Hofmeyr
したがって、アダージョとフィナーレが何時筆写されたかは不明である。もしアダージョの筆写日時が記されていれば、「アダージョ2」完成の時点の確定にも大いに参考となると思われたが、残念なことである。

膨大な量にのぼる修正は、赤鉛筆、青鉛筆、黒鉛筆、赤インク、黒インク等でなされていて、全集版(ノーヴァクVIII/2)と初版の違いをほぼ概観できるようになっている。たとえば、第1楽章132〜139小節のファゴットやトランペットの追加や385〜387小節のトロンボーンの追加はこの版下によってなされたものと解る。一方、全曲の最後、フィナーレの697〜709小節のアダージョ主題を吹くのは、自筆譜では第1、第2の2本のホルンだけだが、この版下では紙を貼って丁寧に第3、第4ホルンも加えて4本で吹くように変えられている。鉛筆書きの訂正では手に負えないからだろうが、この部分に関しては別途ブルックナーの了解を得たものかも知れない。実際のオーケストラ現場では、バランス上初版を採用する指揮者もいるのではないだろうか? ホークショウの新版では、参考譜として採用されることを期待したい。




(5)《第八交響曲》「アダージョ」の『谷間の百合』の顛末記

『5つのアダージョ』の項の【表2】の中で、ハース版の特異点として真っ赤な背景色で示した10小節(209〜218小節)は、いつからか『谷間の百合』と言われるようになった。日本でブルックナーの交響曲が数多く演奏されるようになって、ファンたちの興味を惹いたのは「ハース版とノーヴァク版のどちらが良いか?」という問題であった。そして、その象徴が 《第七交響曲》の打楽器問題や、ここで取りあげる「ハースが第1稿から取り入れた10小節」だったのである。たしかにこの10小節は、はっきりと認識できる2つの高揚部(ブルックナー評論では山に比喩されることが多い)に挟まれた非常に美しい部分なので、一般の聴衆にもそれが有るか無いかは容易に認識出来たからだろう。なぜ、『谷間の百合』と呼ばれるようになったのかというと、これは全くブルックナーとは関係のない話であり、山と山の間だから谷間という語呂合わせとともに、そこに流れる優しく淑やかなメロディーを百合と見立て、第1ヴァイオリンの六連符によるほの暗い情熱に縁取られているさまから、バルザックの小説《谷間の百合:Le lys dans la vallée》を容易に連想させたのだろう。ハースがこれを惜しんで復活させたのも『宜なるかな』なのである。

ブルックナーは何故、この美しい10小節をカットしてしまったのか?
それは簡単に言ってしまえば、重複を避けたということだが、その根底には、この楽章が持つ「五部形式」という聞き慣れない形式が、形式としてスタンダードな態様を確立するための苦闘の跡が滲み出た結果であるとも言えるのである。すなわち、ブルックナーの「五部形式」はベートーヴェンの《第9交響曲》のアダージョをモデルとして確立された。ベートーヴェンの場合は3つの主部は主題と2つの変奏によって構成されているが、ブルックナーは変奏ではなく展開の手法をそこに充てたのである。そして主部に現れる3つの動機[A1]、[A2] 、[A3] を展開の素材として使ったのである。その結果、第2主部では動機[A1]、[A2]が展開されるのに対して、クライマックスを含む第3主部では主として動機[A1]、[A3]が展開されるという風に振り分けられたのである。こうした形式の厳密さを求める流れから、動機[A2]から成る『谷間の百合』は第3主部には相応しくないと考えられたのではないだろうか。しかし、ハースはブルックナーの思慮を無視して、この極めて美しい『谷間の百合』をとにかく復活させたいと考えたのだろう。 

さて、第2稿への改訂に使われた筆写・自筆混合譜Mus.Hs.40.999を確認したところ、この『谷間の百合』には非常に興味深い事実があることが判明した。この10小節はボーゲン14の2ページ(6小節)とボーゲン15の1ページと1小節(4小節)にわたって筆写されているが【註】、幸いなことに切り取られもせず10小節全部はページ全面に二重にXが書かれてカット指示されているだけで、全てが明瞭に読み取れるのである。これを読むと不思議なことに、前半の6小節には第1ヴァイオリンの各六連符への二重スラーへの変更、フルートからホルンへの楽器の変更、その他たくさんの修正が施されているのに対して、後半の4小節では第1ヴァイオリンの六連符は1つのスラーのままであるし、その他にも全く手が加えられておらず、「第1稿」すなわち「アダージョ1」のまま放置されているのである。この謎を解決したのが「アダージョ2」の存在である。「アダージョ2」の筆写譜Mus.Hs.34614bには、後半4小節は存在せず、前半6小節だけが筆写されているが、これがほぼMus.Hs.40.999内の修正された形と同じなのである。「アダージョ2」に改訂するとき、ブルックナーは後半4小節をカットしたためMus.Hs.40.999のその部分には手を加えず、前半の6小節だけを修正したとすれば、現在のMus.Hs.40.999の不可思議な状態が見事に解決するのである。いわば、この『谷間の百合』の部分は、Mus.Hs.40.999では「アダージョ2」の状態を凍結した部分と見ることが出来る貴重な個所なのである。ただ、改訂された6小節の、Mus.Hs.40.999とMus.Hs.34614bは完全には一致しない。筆写した人の誤記、見落としは別としても、最初の小節(ハース版では209小節)の第1ヴァイオリンの最初の六連符が、Mus.Hs.34614bでは[b-ges-ges-d-d-es]であるのに対してMus.Hs.40.999では[b-ces-ces-b-b-a]と明らかに書き換えられている。Mus.Hs.40.999のこの箇所は滲んでいて読み辛いが、もともとは自筆譜Mus.Hs.19.480/3の通り[b-ges-ges-d-d-es]であったと推測される。すなわち、この第一ヴァイオリンの6つの音に限って言えば、自筆譜=ハース版=Mus.Hs.40.999の元の形=Mus.Hs.34614bであるのに対してMus.Hs.40.999の現在の形だけが違うということである。なぜ、「アダージョ3」でカットされてしまった個所が「アダージョ2」と相違するのか? これは「アダージョ3」で、ブルックナーが4小節の後半だけでなく6小節の前半もカットしてしまおうと決意する直前に、更に手直しをしようと試みた名残だと推測するほかないだろう。

【註】この辺り、筆写譜は1ページに各3小節づつ割り振られている。

『谷間の百合』における3つのアダージョの違いを概観すると、「アダージョ1」では、動機[A1]の山と動機[A3]の山の間に動機[A2]に基づく『谷間の百合』が10小節、少し膨らみながら萎んでいく姿を示しているのに対して、「アダージョ2」では、動機[A2]に基づく展開が谷間ではなく登り坂として、6小節間ずっと動機[A3]の山に向かって高揚していくように描かれているのである。もちろん「アダージョ3」では谷間がなくなって、2つの山[A1]と[A3]は直接結び付けられており稜線を進むのである。

ハースは、『谷間の百合』を復元するにあたって、「アダージョ2」を全く考慮しなかった。というか、彼は「アダージョ2」の存在を知らなかったか、あるいは重要と見なさなかったのだろう。全く自筆譜「アダージョ1」通りに復している。そのためか、「アダージョ3」に修正されてしまっている前後の2つの山に対して、ハースは非常に奇妙な対応をしている。端的に言えば、資料的に有り得ない形を示しているのである。もちろん、2管の「アダージョ1」に存在する『谷間の百合』復元のためには、前後をも2管の「アダージョ1」に戻すか、あるいは3管の「アダージョ3」の2つの山に何らかの処理を施すかのどちらかなのだが、ハースは後者を採った。既に他の部分でも「アダージョ3」に「アダージョ1」の要素を取り入れているので、それは当然の選択だったのだろう。ちょうど《第二交響曲》で、のちの稿を使いながらカットされた部分を復元するために行なった調整と同じ考えである。

まず、[A1]の山の方を見てみると、山の最後の小節(208小節)、ブルックナーは「アダージョ3」に改訂するとき、4本のホルンに対して4拍目に4分音符のas音を付け加えている。また、この小節の弦楽器全部に紙を貼ってそっくり1オクターヴ下げ、音形を少し変えている。これらは『谷間の百合』を廃して2つの山を直接つなぐための処置だったのだろう。ハースは、ホルンの4拍目については削除したのに、弦楽器の修正は戻さず、「アダージョ3」のままの音形で六連符に1つのスラーを付けている(こういう状態は作曲のどの段階にも存在しない)。ちなみに、この六連符のスラーはいわゆるボウイングスラーというものであって、2つの音が重なる音形(例えば:ソミミシシド)からは後に改訂されたように、実際には二重スラーにするか、または単なる3つに分割したスラーでしか演奏出来ない(ソミーシードとシンコペーションの様には誰も演奏しないだろう)。当初ブルックナーは、六連符をひとゆみで弾くことにこだわって、これらのスラーを書いたのだが、その後自身が気づいたのか、あるいは他人からの助言があったのか、分かりやすいように修正している。この修正はすでに「アダージョ2」になされているのである(『谷間の百合』の6小節も修正されているように)。なぜハースは「アダージョ1」の1つのスラーに固執したのか、いささか疑問である。

一方、[A3]の山の方はさらに奇妙である。フルート、オーボエ、クラリネット、第3ファゴット、トランペット、バストロンボーン、コントラバステューバ及び全弦は「アダージョ3」であるのに対して、第1、第2ファゴット、ワーグナーテューバ及びアルトとテナートロンボーンは「アダージョ1」なのである。残されたホルンはと言えば、最初の4分音符をカットした「アダージョ3」ということができる。要するに「アダージョ1」と「アダージョ3」をごちゃ混ぜにしているのである。

ここで問題となるのは、たった1本だけ単独行動を取る第1クラリネットのハース版(220小節)とノーヴァク版VIII/2(210小節)の処理である。Mus.Hs.40.999では、3拍目はc音(実音)の4分音符、4拍目はdes音(実音)の8分音符2つであるのに対して、ハース版はこの小節全部をc音(実音)の8分音符でずっと連ねている。さらに奇妙なのは、ノーヴァクは3拍目はハースを引き継ぎながら最後の2つの8分音符だけMus.Hs.40.999通りdes音に変えていることである。2人の処理は残された資料のどれにも完全には一致しない変則処理となっている。というのは「アダージョ1」自筆譜Mus.Hs.19.480/3では、3拍目はc音(実音)の4分音符、4拍目もc音(実音)の8分音符2つだったのである。これは、すなわちMus.Hs.40.999の手入れ前の形でもある。一方、修正されたMus.Hs.40.999の通りに印刷されているのは初版の方なのである(ただここにはcresc.がさらに付け加えられているが)。そこで、「アダージョ2」ではどうなっているかとチェックしてみると、「アダージョ1」のままであった。ということは4拍目のc音からdes音への変更は、ごく後期になされたものと解釈できる。してみると、ハースは「アダージョ1」を採用しながら、3拍目については誤読をしていたか別の考えを持っていたということになり、ノーヴァクは修正を見落としたと結論付けることができよう。

ところで、「アダージョ2」の2つの山はどうなっているかというと、両方とも2管のままで、おおむね「アダージョ1」のままである。ここで特に注目したいのが『谷間の百合』が高揚して動機[A3]に繋がるように付け加えられたホルンである。第3、第4ホルンには小節を跨ぐスラーが書いてあった。「アダージョ3」では「アダージョ2」のときと同じ音が使われているが、2つの山は直接つながるので、スラーは不要となった。そのためMus.Hs.40.999ではスラーが削り取られている。その痕跡がはっきり残っているので、Mus.Hs.40.999が「アダージョ2」の筆写譜Mus.Hs.34614bのオリジナルであることの有力な証拠となっている。

<おまけ>
1939年に出版されたハース版の指揮者用のスコアには、第1稿を復元した部分をカットすることが可能になっていたようだ。【註】
これを適用した指揮者を、かつてはときおり見かけた。たとえばシューリヒトである。彼の演奏はハース版を使いながら、一見ノーヴァク版風に聴こえるが、ハースがあまり親切ではなかったことを、彼の演奏から窺うことができるのである。というのは、ハースは単に復元部分を示しただけで、カットをしたときにブルックナーが行なった配慮をスコアに記さなかったので、音楽の流れがブルックナーの作曲した通りにはならないのである。フィナーレの『死の行進』の後でのカットでは、ティンパニの4小節が抜けてしまうのは最大のミスだが、『谷間の百合』をカットした時もミスが露呈する。山と山を直接スムーズに結ぶために、ブルックナーは両者の間をホルンの2つの4分音符で繋いだのであるが、ハース版をカットして演奏すると、この繋ぎの音が抜けてしまうのである。シューリヒトの演奏では、それをはっきりと聴き取ることが出来る。

【註】エルヴィン・デルンベルク著《ブルックナー その生涯と作品》白水社1967年刊の205ページには次のような記述がある。
「ときおり彼(ハース)は、のちの原作では削除されている部分を初期の原作から取り入れていた。この部分は明示されていて、このような決定を行なった分別に疑念をいだく指揮者は、だれでもこれを無視することができた。結局これらの短いパッセージは、きわめて納得のいくほどに適合しているので、これらを省略すると損失のように感じられることであろう。これは主として《第八交響曲》についていえることである。」

2017・4・5 記



(4)ヴィーン、オーストリア国立図書館所蔵 手書楽譜資料Mus.Hs.6045《第八交響曲》「アダージョ」の初期自筆譜

かつて、『5つのアダージョ』の項の中で私は次のような推測を書いた。
『現在知られている最初の形、すなわち全集版VIII/1としてノーヴァクによって出版された形(第1稿=楽章全体が自筆による唯一の原稿)の以前にも、作曲の諸段階において、オーケストレイションされていないスケッチや断片のスコアがいくつも存在するはずであり、それらからは、いくつかの具体的形態が抽出される可能性はあるが、まだ未公開のため、ここでは考慮に入れないこととする。』(2002年)
今般(2006年)、オーストリア国立図書館に所蔵されているたくさんの断片資料の中で、Mus.Hs.6045と番号付けられた自筆資料のコピーを入手した。これはまさにその推測のとおりの資料だったので、その概要を紹介したい。この資料は、表紙1ページとアダージョの自筆譜20ページから構成されており、一部ページの右肩にボーゲン番号が付されている。まず、注目に値するのは、表紙の記載事項である。ここでは『1886年2月13日』の日付とともに 『《第八交響曲》第2楽章 アダージョ』となっており、少なくともこの時点までは、アダージョは第2楽章であったことが分かる。また、残されている全ての五線紙は(表紙も含めて) 《第七交響曲》の遺贈稿と同様の横長のものが使われており、他のアダージョの自筆譜や筆写譜全てが縦長のものを使用しているのと際立って異なっている。また、この横長の五線紙は、スケルツォ第1稿の自筆譜とも同様であり、両楽章はほぼ同じ時期に書き進められたと推測される。ボーゲン番号と楽譜内容から、この資料は、途中で作曲を放棄しているものの、既にアダージョ全体が枠組みされていたことが分かる。たぶんこれは、パーティセルスケッチ(ピアノ三段譜)から、最初にオーケストレイションするために使われたものと思われるが、いくつかのボーゲンが脱落しており、それらが紛失してしまったのか、別のところに残されているのかは不明である。この資料を「原アダージョ」(Ur−Adagio)と名づけよう。

では、まず【Mus.Hs.6045】の構造を一覧表にしてみよう。<表1>
なお、表の中の小節数「不明」とは、Mus.Hs.6045に五線紙が欠落していることを示す。

ボーゲン フォリオ ページ 逐次小節数 ページの
小節数
フォリオの
小節数
ボーゲンの
小節数
1-7 小節 13 30
8−13
14−18 17
19−30 12
31−36 18 34
37−48 12
49−56 16
57−64
. . . . . 不明
. . . . 不明
(115−122) 16 16
(123−130)
. . . . . 不明
11 (161−168) 16 32
(169−176)
12 (177−184) 16
(185−192)
. . . . . 不明
15 (213−216) 16
(217−220)
16 (221−224)
(225−228)
. . . . . 不明
10 . . . . . 不明
11 21 (265−272) 18 23
(273−282) 10
22 (283−287)
. . . 空白


「原アダージョ」の想定全体像と第1稿「アダージョ1」との対応関係<表2>
かっこの数値は欠落部分の推定である。

ボーゲン フォリオ ページ 逐次小節数 ページの
小節数
フォリオの
小節数
ボーゲン
の小節数
第1稿の
対応部分
第1稿の
練習記号
1 1-7小節 13 30 1-7小節 .
8−13 8−13 .
14−18 17 14−18
19−30 12 19−30
2 31−36 18 34 31−36 .
37−48 12 37−48
49−56 16 49−56 .
57−64 57−64
(3) (5) (1) (65−72) (8) (16) (34) . .
(2) (73−80) (8) . .
(6) (3) (81−88) (8) (18) .
(4) (89−98) (10) .
4 (7) (1) (99−106) (8) (16) (32) . .
(2) (107−114) (8) .
115−122 16 115−122
123−130 123−130 .
(5) (9) (1) (131−138) (8) (16) (30) . .
(2) (139−146) (8) .
(10) (3) (147−154) (8) (14) .
(4) (155−160) (6) . .
6 11 161−168 16 32 161−168
169−176 169−176 .
12 177−184 16 177−184 .
185−192 185−192
(7) (13) (1) (193−200) (8) (12) (20) . .
(2) (201−204) (4)
(14) (3) (205−208) (4) (8) . .
(4) (209−212) (4)
8 15 (213−216) 16 対応しない .
(217−220)
16 (221−224) 対応しない .
(225−228)
(9) (17) (1) (229−232) (4) (8) (16) . .
(2) (233−236) (4)
(18) (3) (237−240) (4) (8) . .
(4) (241−244) (4)
(10) (19) (1) (245−248) (4) (8) (20) . .
(2) (249−252) (4)
(20) (3) (253−256) (4) (12) . .
(4) (257−264) (8)
11 21 (265−272) 18 23 303−310 .
(273−282) 10 対応しない .
22 (283−287) 対応しない .
空白 空白 . .


次にこの資料の特徴を列挙していこう。
@この資料は、表紙以外に<表1>のとおり、21ページ、11フォリオ、5ボーゲン半から成っている。
A各ボーゲンの最初にあたるページにはボーゲン番号が記されていて、最後のものは《ボーゲン11》となっているので、約半分の五線紙が欠落しているということになる。その理由は不明である。
B《ボーゲン6》まではほぼ完全にオーケストレイションされており、「アダージョ1」とも小節数が一致している。これはアダージョの五部形式[A1・B1・A2・B2・A3・コーダ]のうち[A1]から[B2]までにあたる。したがって、最初の時点から[B2]までは、最初の構想から我々が現在聴いている最後の形態まで、ほぼ同じ音楽であることが分かる。
Cその後の[A3] と[コーダ]の部分は、メロディーのラインだけが書かれており、その他のパートは空白のままである。[コーダ]は、「アダージョ1」に対応する部分がホルンのメロディーで一部つかめるが、《ボーゲン8》に記された[A3]の部分は、第1ヴァイオリンのパートに[A]の最初の2つの動機がちりばめられているものの、「アダージョ1」のどの部分にも対応しない全く別の音楽である。すなわち、「アダージョ1」の[A3]部分は、すでに最初の構想からずいぶん離れたものであることが分かる。なお、「アダージョ2」「アダージョ3」においても、この部分がもっとも激しく書き替えられた部分である。
D《ボーゲン6》までは、使用しない楽器の各小節に全休符が丹念に記されており、最終的な出来上がりの形を示しているが、テンポ指示や強弱記号は全く記されておらず、それらはこの楽章全体の完成後に書き加えようとしていたことが分かる。
E《ボーゲン8》は、1ページに4小節ずつが割り振られており、それは以前のページの半分以下であることが表から分かる。このことから、楽譜には[A3]の特徴である6連符音形が全く書き記されていないものの、当初から細かな6連符音形を予測して、小節割りをしたことが分かる。

さて、なぜこの草稿での作曲を、[B2]までを書き上げたところで放棄したのか? それは、コラールのような和音連続の個所でハープを導入することを、その時点でブルックナーが思いついたからだと思われる。実は、この資料ではハープは使われていない。そのため、《ボーゲン1》の4ページ目や《ボーゲン2》の2ページ目は、単なるコラールとして12小節も割り振られている。(ハープの細かいアルペジオ音形を書くために、ブルックナーは 「アダージョ1」以降、1ページに2小節しか割り振っていない。)このためブルックナーはこの草稿を放棄せざるを得なくなったのだろう。あのブルックナー音楽では特別に印象的なハープが加わる部分は、作曲途上で加わったアイデアなのである。(トリオのハープ加入は、さらに「第2稿」まで待たねばならない。)

その他目立った特徴として、まず、最初のコントラバスの8分音符にはpizz.の指示が見られることが挙げられよう。これは、我々が知っていたものとしては、1892年の「初版」においてだけ使われている奏法であり、他の全集版スコア全てはarcoのままである。自筆譜や筆写譜全てにはpizz.の指示が欠落しているからである。Mus.Hs.6045を見ると、「初版」でのピチカートへの変更は全く新しいアイデアではなく、すでに当初の構想にあったもので、途中で変更した(あるいはブルックナーが書き忘れた)ものを復活させたに過ぎないことが分かる。
また、ここには、特徴的なシンコペリズム(ブルックナーリズムの変形)を支えるコントラバスのリズムが、1小節目、2小節目では、当初は[8分音符・8分休符・8分休符・8分音符]と弾くように記譜されていたことが分かる。そしてそれはすでに、このMus.Hs.6045で、現行の[8分音符・8分休符・4分休符]に修正されている。
さらには、後の改訂で毎度書き換えられることになる[A1]と[B1]をつなぐホルンのパッセージも、ここでは全くの空白のままであり、[A1]と[B1]は断絶している。

とにかく、このMus.Hs.6045は、大量の欠落があるものの、《第八交響曲》のアダージョを研究するうえで必須の資料であることに疑いない。

2006・2・28 記
2017・2・10 補筆



(3)ヴィーン樂友協会所蔵、手書楽譜資料A178iii,iv,v 《第八交響曲》アダージョ

最近、イギリス、北アイルランドのブルックナー研究家、ダーモット・ゴールト博士によって、ブルックナー研究上注目に値する発見がなされた。ヴィーンの楽友協会に保存されているA178と番号付けられたブルックナー関係断片資料集の中から、一連の《第八交響曲》改訂作業の流れの中で、「アダージョ2」に改訂する際にブルックナー自身が取り除いた数枚の筆写譜が、そっくりそのまま全部発見されたのである。この発見は、直接「アダージョ2」の内容に関わるものではないが、「アダージョ2」の成立を解明する上で、さらにはアダージョの複雑な改訂の足取りを探る上で、非常に有用である。更には、同資料集の中には《第八交響曲》のアダージョとフィナーレに関する破棄された草稿の一部も合わせて保管されている。こういった演奏不能な資料断片を楽友協会が直接入手するわけはなく、ブルックナーから貰った(あるいは預かった)人が楽友協会に寄付したのだろう。

そもそも「アダージョ2」の存在が知られるようになったのは、ヴィーンのオーストリア国立図書館音楽部に保存されている、コピイストによる筆写譜、Mus.Hs.34.614bの発見が発端なのだが、あくまでもこれは筆写譜であるから、ブルックナーのどの原稿から筆写されたものなのか、当初は不明だった。偽作の疑いも持たれていたのである。ところが、「アダージョ3」の自筆譜である同図書館所蔵のMus.Hs.40.999を詳しく調べていくと、ブルックナーは、このアダージョを「アダージョ1」から「アダージョ3」へ一気に改訂したのではなく、時期の異なる数度にわたる改訂を経て、最終的に「アダージョ3」になったことが判明した。それは、1887年の初稿完成直後から1892年の初版出版直前にまで及ぶものであり、詳細は下記のMus.Hs.40.999の解説に記されている。こういった状況から、「アダージョ2」はMus.Hs.40.999が一旦完成された状態を示すものに違いないと推測されたのだが、今回のA178の発見は、そのことを一段と明瞭に証明する結果となった。

Mus.Hs.40.999という資料は、長期にわたってさまざまに手が加えられており、非常に興味深いものである。自筆資料としてこれほど複雑で面白い資料はブルックナーはもとより、他の作曲家の資料の中にもめったに見られるものではない。もともと、これは「アダージョ1」、すなわち1887年に完成された第1稿(これはブルックナーの自筆稿で、遺贈稿の一部を形成し、Mus.Hs.19.480/3という資料番号で、オーストリア国立図書館に保存されている)から写された、コピイストの手になる筆写譜だった。それは元来「アダージョ1」とほぼ完全に一致するものだった。一致はページ配分にもおよび、遺贈稿と同様20ボーゲン(2つ折りの表裏4ページから1ボーゲンが出来ているので都合80ページ)から成っている。その後の度重なる改訂に、ブルックナーは常にこの筆写譜を使った。そして、最初の完成形態にたどり着いた姿が「アダージョ2」なのである。ブルックナーは「アダージョ2」を作るためにさまざまな加筆・貼り付け・削り取り・バツ印による小節の削除を行なうとともに、五線紙の入れ替えをも行なった。このとき取り除かれたものが、今回発見された、ボーゲン8(<第2主部>終わりの方のアッチェレランド部分)、ボーゲン11の前半(<第2副次部>終わりの方の「アダージョ2」ではピチカート伴奏の部分)およびボーゲン16,17(<第3主部>のクライマックスへ向けての登坂部分)である。これら取り除かれた3ボーゲン半の五線紙全部がA178に含まれていたのである。

これら「アダージョ2」には不要となった五線紙を見ると、Mus.Hs.40.999に現存する筆写譜部分とぴったりと繋がることが確認されるとともに、ブルックナーはそれらの中にさまざまな加筆を既に相当数行なっており、当初は「アダージョ2」のような大々的な改訂を行なうつもりではなかったことが窺える。
さらに、ゴールト氏は、同じ資料集の中から、ブルックナーが「アダージョ2」のために新しく書き上げた自筆譜ボーゲン16II’をも発見した。これはMus.Hs.40.999に含まれる、「アダージョ2」の時に差し替えられたボーゲン8IIやボーゲン11IIと、五線紙、書法、書体が全く同一のもので、定規で引かれた小節線まで同一である(実際使用時には6小節分引かれた小節線では、16分音符の多いこの部分の記譜に支障があるので、半分の線が削り取られて3小節づつに変えられている)。ところがここに書かれた音楽は、Mus.Hs.34.614bと一致しない。すなわち、これは「アダージョ2」の前段階であって、ブルックナーは、もう一度新たにボーゲン16II(現在行方不明)を書き上げ、これと差し替えたため、取り除かれて他の第1稿の筆写ボーゲンと一緒に保管されることになったのである。このボーゲンではトランペットは「アダージョ2」とは別の動きをする。

クリストとホフマイヤーによって第1稿から作成された筆写譜Mus.Hs.40.999には、ブルックナーによって長期にわたって膨大な修正が施されたが、原稿の差し替え(すなわち楽想の根本的変更)は「アダージョ2」作成時と「アダージョ3」作成時の2回に集約出来よう。それは、今回の発見で「アダージョ2」で取り除かれた原稿全てが一括して存在していることから、より確実性を帯びてきた。以下は、ヴィーンの楽友協会が保管している資料番号(A178)に含まれるMus.Hs.40.999から取り除かれた資料について一覧しよう。一連の小節数は、Mus.Hs.40.999の元々の姿、すなわち第1稿による。

【ボーゲン8IC】117〜140小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(24小節)。
ボーゲン8IC:6・6・6・6=24
このボーゲンには相当手が加えられており、かなりの金管の削除変更とともに、以下の通り3か所で合計(1+1+2=4小節)が斜線で削除されている。これらは「アダージョ2」改訂以前の作業である。
ボーゲン8IC:6・6・(4+2X)・(4+2X)=20

【ボーゲン11IC】185〜186小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(12小節)。
ボーゲン11IC:6・6・○・○=12
ボーゲン11は、半分に切り取られ、その前半が他の取り除かれたボーゲンと一緒になっている。後半はそのままMus.Hs.40.999の中に残存する。
ここでも金管を中心に大幅なオーケストレイションの見直しが試みられている。ただ、それらはハープのパートなどにも及んでおり、新稿差し替えのための下書きの様相を呈している。

【ボーゲン16〜17】243〜272小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(30小節)。
ボーゲン16IC:3・3・3・3=12
ボーゲン17IC:4・6・5・3=18

ここで行なわれた変更のうち最も興味深い点は、「アダージョ1」のクライマックスでのシンバルの2回にわたる3連発である(ボーゲン17の最後のページ)。これは従来、「アダージョ2」でクライマックスの調性がハ長調から変ホ長調へ変更されたときに1発づつに改められたと考えられていたのだが、今回の発見により、ハ長調の原形の時に、すでに1発づつに減ぜられていたことが分かった。もし、ブルックナーがこの筆写譜にではなく、遺贈稿そのものに直接この修正を書き込んでいたとすると、第1稿ですら6発のシンバル連発は無かったのである。

一方、「アダージョ3」で取り除かれたボーゲンは行方不明のままである。しかし内容としては、第1稿自筆譜MusHs.19.480/3と、その筆写譜Mus.Hs.40.999とは、小節の割り振りが一致しているので確定できる。これらの部分における「アダージョ2」の筆写譜Mus.Hs.34.614bと筆写譜Mus.Hs.40.999との細部の相違は、ブルックナーがMus.Hs.40.999に手を加えていたことによると推定できる。

【ボーゲン9IC】141〜154小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(14小節)。
ボーゲン9IC:3・3・3・3=12

【ボーゲン18IC】273〜288小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(16小節)。
ボーゲン18IC:4・5・2・5=16


【ボーゲン19IC】289〜292小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(4小節)。
ボーゲン19IC:2・2・○・○=4

これにより、当初の筆写譜Mus.Hs.40.999の全貌と現状への流れをまとめてみよう。各ボーゲンは分離された個所もあるので、全てを各フォリオ(葉)ごとAとBに分けて表示する。「アダージョ2」「アダージョ3」で取り除かれたフォリオ(葉)は色分けした。

【1A・1B】【2A・2B】【3A・3B】【4A・4B】【5A・5B】【6A・6B】【7A・7B】【8A・8B】【9A・9B】【10A・10B】【11A】【11B】【12A・12B】【13A・13B】【14A・14B】【15A・15B】【16A・16B】【17A・17B】【18A・18B】【19A】【19B】【20A・20B】 
 

それに対して、「アダージョ2」のために新たにブルックナーが作曲して差し替えた部分は、資料として筆写譜Mus.Hs.34.614bのみが存在するだけである。これと筆写譜Mus.Hs.40.999との小節割りは対応していない。したがって【16A・16B】【17A・17B】に当たる部分33小節は、15ページにわたり筆写されているが、実際の自筆譜は4ボーゲンを使っていたのか、3ボーゲンなのかは不明である。ここでは、便宜的にMus.Hs.34.614bの通りの小節割を示しておこう。なお、この差替譜の最後の小節は2回目にシンバルが鳴る所だが、【ボーゲン19IC】の最初の小節と重なるため、この筆写譜のその小節にはXが付けられて削除されているはずである。ハ長調の絶頂部が変ホ長調に変わっているのに、何事もなかったかのようにこの筆写譜に繋がっている。我々にはブルックナーの和音変換の絶妙さにおける最高の実績の一つとして、この個所を聴いているにもかかわらず、創作現場はなんと単純なものであるか、奇跡としか思えないところである。
【仮ボーゲン16甲IIC:3・3・2・2=10小節】
【仮ボーゲン16乙IIC:2・2・2・2=8小節】
【仮ボーゲン17甲IIC:2・2・3・2=9小節】
【仮ボーゲン17乙IIC:2・2・2・○=6小節】


最後に、ブルックナーが最も苦心し、それぞれが最も異なる3つの稿態を示す絶頂部とそれへの登坂部を小節数で比較しておこう。『谷間の百合』に続く高潮部分の後からコーダの前まで、ノーヴァクVIII/2で言うと、211〜254小節である。この部分の前後は3つの稿態とも同じ音楽である。
「アダージョ1」:56小節(237〜292)
「アダージョ2」:58小節(223〜280)
「アダージョ3」:44小節(211〜254)

2017・3・3

The materials of "Adagio 2" of 8th Symphony.


<The microfilm from the Gesellschaft der Musikfreunde (A 178)>

Recently, Dr. Dermot Gault, a Bruckner researcher living in Northern Ireland, came across some discarded pages from the 8th Symphony in a microfilm of a manuscript collection (A 178) held in the archives of the Gesellschaft der Musikfreunde in Vienna. This contained several bifolios, originally belonging to a copy score of the 1887 version of the 8th, which Bruckner removed while making the revision which would result in "Adagio 2". There are also some autograph manuscript preliminary drafts relating specifically to "Adagio 2".

These discoveries are very useful, not only for verifying "Adagio 2", but for clarifying the complex revision history of the Adagio as a whole.

"Adagio 2" is preserved in the manuscript Mus.Hs. 34.614 in the Musiksammlung of the Austrian National Library in Vienna. The manuscript is in the hand of a copyist, and at first the source from which the manuscript had been copied was unknown. However, the answer became apparent when Mus.Hs. 40.999, the autograph manuscript of "Adagio 3", which is also in the Austrian National Library, was examined in detail. It becomes clear that Bruckner did not make the revision from "Adagio 1" to "Adagio 3" all at once. The final version emerged through several stages of revision over a period of time, extending from the first version of 1887 to the period of the publication of the first edition in 1892. But before becoming the source for "Adagio 3", Mus.Hs. 40.999 had served as the autograph for "Adagio 2". The material in A178 confirms this.

Mus.Hs.40.999 is especially interesting because of the many additions made by Bruckner himself, made over a long period of time. The resulting complexity is unusual for Bruckner’s, or indeed other composers’ manuscripts.

Originally, this was a duplicate score, in the hand of a copyist, made from Bruckner’s original manuscript of "Adagio 1" (Mus.Hs.19.480/3), and it corresponds to "Adagio 1" even in the layout of the pages. It consists of 20 bifolios (80 pages), [not] including the bifolios Bruckner added later. Bruckner used this copy score as the basis for his own further revisions, of which "Adagio 2" was the first to be completed.

Bruckner effected this version by a variety of means, retouching and rubbing out the original text, additions, and replacing whole bifolios. The bifolios which Dr. Gault came across were discarded at this stage; bifolio 8I (accelerando in the ‘A2’ section) and the first half of bifolio 11I, and bifolios 16I and 17I (containing part of the approach to the main climax of the movement). These three and a half bifolios were removed in the process of revision, and included in A178.

These discarded bifolios connect with the existing bifolios, in the hand of the copyist, which remain in Mus.Hs.40.999. The abandoned pages show that Bruckner had already started making various changes in them. It seems, therefore, that Bruckner had not originally envisaged ‘Adagio 2’ as a comprehensive revision.  The most interesting of these alterations is the change from two sets of three cymbal clashes at the climax. Up until now it had been thought that Bruckner made this change when the key of the climax was changed from C to E flat. But this discovery shows that Bruckner contented himself with one clash while the climax was still in C. If Bruckner had made this change in the autograph, rather than the copy score, there would not be six cymbal clashes even in "Adagio 1".

In the same collection of material Dr. Gault also found a draft autograph sketch for bifolio 16preII for "Adagio 2". This material matches the bifolios added to "Adagio 2" in Mus.Hs.40.999 in paper quality, handwriting and style, and even as regards the barlines drawn with a ruler.

However, the music here represents a preliminary stage of the material in Mus.Hs.34.614. It would have been replaced with a more developed autograph bifolio (as yet undiscovered) of the music now found in "Adagio 2". This bf 16preII was removed and kept with other discarded bifolios.

ACKNOWLEDGEMENT
Thanks to Dr. Dermot Gault for supervision and correcting. But Kawasaki is responsible for the contents.


(2)ヴィーン、オーストリア国立図書館所蔵、手書楽譜資料Mus.Hs.40.999《第八交響曲》アダージョ

オーストリア国立図書館から《第八交響曲》のアダージョの自筆譜のコピーを入手したので、ここでその概略について報告しよう。これは、オーストリア国立図書館音楽部に現存する手書き楽譜資料の1つであって、Mus.Hs.40.999と番号付けられている。この資料は、従来から第2稿(すなわち「アダージョ3」)の自筆譜として知られていたもので、その内容はレオポルト・ノーヴァクが校訂した全集版VIII/2(普通ノーヴァク版第2稿と言われているもの)のアダージョとほぼ同じである。実際、VIII/2の序文でノーヴァクは、当時のこの資料の所有者であったリリー・シャルク(ブルックナーの弟子であり、ヴィーンフィルの指揮者を勤めたこともあるフランツ・シャルクの未亡人)から借り受けたことを明示している。

この資料は、印刷譜からは分からないたくさんの興味ある情報に溢れており、ブルックナーが五線紙の一部を削り取ったり、糊付けしたりして訂正した跡、ブルックナーが五線紙を差し替えた時の前後のつながり、X印を付けて削除した以前の稿態、使用した五線紙の違い、あるいは時期によるブルックナーの書法の違いなどが、そこから窺えるのである。これから、それらを解説しながら、この資料が「アダージョ2」の自筆譜でもあることを証明していこう。

ギュンター・ブロシェによると、『この資料は、1990年にオーストリアの収集家であるツァイライズ氏(Dr.F.G. Zeileis)からオーストリア国立図書館が取得したものであって、もともとはフランツ・シャルクの遺品に含まれていたものである。これは、43枚の縦長の五線紙 (35.5 x 26.4 cm)からなり、85ページ分(表紙1ページを含む)の手書き部分が存在する。それは、もともとはクリストとホフマイヤー( Christ and Hofmeyer)という2人の写譜師が「アダージョ1」(第1稿=Mus.Hs.19.480、Vol.3)を筆写したものである。そして、ブルックナーは1889年の3月4日から5月8日の間にこれを改訂した。』とのことである。(注1)

(注1)Benjamin M.Korstvedt著『Bruckner Symphony No.8』(Cambridge Music Handbooks)P115からの引用。原資料は、Günter Brosche”Quellen für künftige Forschungen”Studien zur Musikwissenschaft(1993)P425〜6である。ただ、これから解説していくように、この複雑な改訂の過程を示す資料が、ブロシェが示したような、たった2か月程度の1回の集中的な改訂作業で為されたものではないことは明白である。確かに、この資料の標題のページには、ブルックナーによって1889年5月8日と1つだけ日付が記されているが、資料をつぶさに見ていくと、その年の3月以前にも、また5月以降、最大印刷用原稿が作られる直前まで(1891年末と推定される)何度も何度も時を置いて加筆され続けられたことが窺える。

さて、実際の85ページ分のコピーを手にすると、全体は24段の両面刷りの五線紙で出来ているが、よく見ると次の2つの重要なことが分かる。
@五線紙の製造元が2社に分かれている。
A4ページごとに、右上端に番号が付されている。

製造元が2つあるということは、左下端にそれぞれの製造元のマークが印刷されていることから分かる。1つは[B & H Nr.14 A]と記され、白熊のような絵が描かれている。もう1つは[JE & Co.No.8]と記され、ライオンのような絵が描かれおり、ドイツ語で[Protokollirte Schutzmarke.(商標登録)]との記載が見える。そして、B&H社の方は4ページごとにマークが出てくるので、この五線紙は元々2つ折りの(ボーゲン:bogen)=(バイフォリオ:bifolio)であったことが分かる。一方JE社の方は2ページごとにマークが印刷されているので、裏表だけの単体(フォリオ:folio)であったと推測される。とにかく、ブロシェは43枚と言っているので、現在は全てがバラバラのフォリオになっているのかも知れない。というのは、この資料全体が非常に保存状態が悪く、端が磨り減っていたり書かれた音符が滲んでいて読みにくくなっていたりするからである。全体はとじ糸で綴じこんであるようにも見えるのだが(コピーの端には次のページの端が一部写っている)各シートごとに相当ずれているので製本状態も非常に悪いことが推測される。なお、JE & Co.というのは、ブルックナーの遺書の中に述べられている、遺贈稿出版時の指定出版社、ヨーゼフ・エベルレ商会のことであり、《第八交響曲》改訂と時期を同じくして、ブルックナーと同社の関係が親密化したものと推定される。とにかく、第1稿の筆写ボーゲンと「アダージョ2」自筆挿入ボーゲンは[B & H Nr.14 A]が使われているのに対して「アダージョ3」自筆挿入ボーゲンには[JE & Co.No.8]が使われており著しい対照をなしている。ちょうど標準化石のように、使用五線紙によって、創作年代を区切ることが出来れば、「アダージョ2」の改訂の年代を確定する手掛かりとなるかもしれない。

4ページごとの右上端の手書きの数字は各ボーゲンを示すもので(註2)、原稿状態を表す上で重要なものである。基本的には製造元マークのページにボーゲン番号が付されるのだが、この原稿には複数回に亘って差し替えや切り取りが行なわれているので、完全に4ページごとに付されているというわけではない。また、フォリオ単体とも思えるJE社の五線紙を使用している部分でも4ページごとにボーゲン番号が付されている。この原稿は、1枚の表紙と付されたボーゲン番号から20ボーゲンから成っている。ブロシェの言に従えば(43枚の原稿)、表紙と20ボーゲンでは41枚の原稿ということになり2枚不足するが、実際は、差し替え時の重複が2箇所(ボーゲン11とボーゲン20)に存在し、それぞれの旧ボーゲンの半片が残されたため、実際にはこの2つのボーゲンは、それぞれ3枚=6ページ存在するため全部で43枚になるのである。

(註2)ボーゲンの概念は重要であるので、ここでもう一度説明しておこう。1枚の紙を半分に折った状態、これをボーゲンと言う。ちょうど、新聞紙を想定すればよいだろう。1枚の新聞紙は、半分に折った裏表だから都合4ページになる。新聞の場合は全ての紙を重ねてから折り込むので、1枚目の紙は第1ページ、第2ページ、最終の1つ前のページ、最終ページの4ページになるが、ブルックナーの楽譜資料ではボーゲン1つずつを折ってから重ねているので、1枚目の紙は第1ページ〜第4ページになる。
ボーゲンをバラバラにしてしまえば、それぞれ表裏2ページからなる2枚の紙(フォリオ)になるということである。

さて、楽譜資料Mus.Hs.40.999は、もともと「アダージョ1」(第1稿)のホフマイヤー等による筆写譜だった。ブルックナーは、これに少なくとも4回以上の別々の時期に手を加えている。ということは最初の筆写譜の段階を加えて、下記のように少なくとも6つの段階が存在したことになる。そして、現在残されている形態は「アダージョ3」、すなわちノーヴァク版VIII/2とほぼ同じ形を示しているのである。

第1段階:「アダージョ1」の筆写譜状態(現在のMus.Hs.19.480/3の状態=ノーヴァクVIII/1)
第2段階:「アダージョ2」への改訂前段状態(取り除かれたボーゲン8,11<半分>,16,17にハッキリ見える修正)
第3段階:「アダージョ2」への改訂状態(ボーゲン8、ボーゲン11、ボーゲン16〜19の差し替え)
第4段階:「アダージョ3」への改訂前段状態(ボーゲン9の差し替え)
第5段階:「アダージョ3」への改訂状態(ボーゲン16〜19の再差し替え)
第6段階:「アダージョ3」への改訂状態完成後のブルックナー自身(あるいは他人?)の手直し[現在のMus.Hs.40.999の状態=ノーヴァクVIII/2があるべき形]
第7段階:Mus.Hs.40.999を離れて初版出版時の版下へのブルックナー自身の手直し、および他人の加筆[初版の形]

この多様な改訂の過程からは、3つの完成形が抽出される。すなわち、「アダージョ1」、「アダージョ2」および「アダージョ3」である。「アダージョ1」は第1稿完成状態、「アダージョ2」は第2稿完成状態、そして「アダージョ3」は出版のための再度の大幅見直しである。「アダージョ2」においても、「アダージョ3」においても原稿の差し替えが行なわれた。「アダージョ2」では、旧稿(筆写譜)のボーゲン8、ボーゲン11の前半、ボーゲン16およびボーゲン17が取り除かれた。これらは資料番号(A178)として、まとまって現存している。一方、「アダージョ3」では、「アダージョ2」は残されていた旧稿(筆写譜)のボーゲン9、ボーゲン18、ボーゲン19の前半とともに、「アダージョ2」のためにブルックナーが書いたボーゲン16、ボーゲン17も取り除かれた。これらすべてのボーゲンは現在行方不明である。

さて、Mus.Hs.40.999の現在の原稿状態の中で「アダージョ2」はどのような形で垣間見ることが出来るのだろうか。それは原稿全体の中で、ごく限られた個所に限定される。
まず第一に、「アダージョ2」で差し替えられたボーゲン(8、11、16および17)が挙げられよう。ところが「アダージョ3」への改訂のときに更に差し替えられたボーゲンは全て現在行方不明のため、ボーゲン16、ボーゲン17も参照できない。したがって残されたボーゲン8とボーゲン10だけが対象となる。これらから「アダージョ3」への修正を元に戻せば真正の「アダージョ2」の原稿になる。ただ、作成途上の修正も存在するので、復元には「アダージョ2」自体の筆写譜が必須である。
第二には、「アダージョ3」改訂のときにXで削除されたと明確に証明された個所が挙げられる。ここでも「アダージョ2」自体の筆写譜が必須となる。これに該当する個所は、ボーゲン8の4ページ目の2小節(「アダージョ2」の135〜6小節)とボーゲン14の3,4ページ目の6小節(「アダージョ2」の215〜220小節)だけである。
第三には、「アダージョ2」のみに現れる特異な音符休符で、それらが「アダージョ3」で削除されたが、消された痕跡が確認出来る場合である。例えば、ボーゲン20の1小節目(「アダージョ3」255小節)のオーボエのパートには、もともとdesの4分音符があったことがうっすらと読み取れるし、関連の休符が削り取られていることも確認できる。
いずれにしても、これらすべての痕跡は、「アダージョ2」の筆写譜Mus.Hs.34.614bと照合して初めて確認出来得るものである。

それでは、各ボーゲンごとに詳しく見ていくことにしよう。ボーゲン表示におけるアラビア数字(【ボーゲン5】など)は、各ボーゲンを示し、これは第1稿自筆譜から筆写譜、挿入譜を通じて、ごく一部を除いて変わることはない。【ボーゲンIC】は、第1稿「アダージョ1」からの筆写譜(Copy)を意味する。
【ボーゲンII】は「アダージョ2」のための挿入譜を意味し、【ボーゲンIII】は「アダージョ3」のための挿入譜を意味する。この3つの区分を明瞭にするため色分けされている。ボーゲン一覧の数値は各ページの小節数でありXは削除小節示す。

【表紙】
III.Satz (第3楽章)
Adagio. (アダージョ)
8.Sinfonie. (第八交響曲)
8.Mai.1889.  Anton Bruckner (1889年5月8日 アントン・ブルックナー)


【ボーゲン1IC〜7IC】1〜116小節:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(116小節)。
ボーゲン1IC:4・4・4・4=16
ボーゲン2IC:8・2・2・4=16
ボーゲン3IC:4・6・2・2=14
ボーゲン4IC:4・4・4・4=16
ボーゲン5IC:4・4・4・4=16
ボーゲン6IC:6・6・6・4=22
ボーゲン7IC:4・4・4・4=16


これらの、7X4=24ページのスコアは、当初にコピイストが「アダージョ1」から筆写したスコアがそのまま最後まで残されている。したがって、修正個所以外は「アダージョ1」と同一である。しかし、細部にはおびただしい、削り取りや糊付けを含めた加筆修正の後が見られる。それらは第2段階から第6段階の全ての段階にわたっての修正であり、個々の修正がどの時点で為されたかを確定することは難しい。ただ、周辺状況からある程度推測出来るものも存在する。たとえば、11小節のヴァイオリンに加えられたppからmfへの変更は、「アダージョ2」にすでに修正されており、第3段階あるいはそれ以前の段階での修正であると、範囲を限定することが出来る。すなわち「アダージョ2」の筆写譜(Mus.Hs.34.614)がmfであることが試金石の役割を果たしていることになる。ただ、Mus.Hs.40.999では、同時にヴィオラとチェロにもppからpへの修正が加えられているが、Mus.Hs.34.614には指示が見当たらない。コピイストが記入を漏らしたためである(もともとのppすら記入されていない)。

一方、14小節の4本のホルンの2分音符の追加は「アダージョ2」にはないので、第4段階以降での修正ということになる。どの段階での修正かということは、第4段階での筆写譜が現れれば更に限定されるだろう。ちなみに、この追加にあたってブルックナーは強弱記号を書くことを忘れている(他人の追加の可能性も否定できない)。そのためか、ノーヴァク版VIII/2にも強弱記号が欠落していたが、1994年のボーンヘフトの見直しで(p)が印刷され、補正された。しかし他の楽器とのバランスからして、もし追加するのなら(cresc.)も必要であると思われる。実際のところ1892年の初版では[p<]と印刷されている。

このあたりでもっとも興味深い個所は、45〜46小節に加えられたホルンのパッセージだろう。これは「アダージョ2」では第1ホルンに充てられていたのだが、それが削り取られて、今度は第2ホルンが吹くように変えられた。46小節には紙が貼られ[A]部分と[B]部分を繋ぐこの重要な音形は2回もまったく別のものに書き換えられているのだ。

Mus.Hs.40.999を超えて次の段階、すなわち第7段階を示すものは、すでに冒頭に現れる。すなわち、初版に指定されているコントラバスに対するpizz.の指示はMus.Hs.40.999には存在せず、初版の版下に追加されたものである。

【ボーゲン8II】117〜134小節:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(18小節)。
ボーゲン8II:6・6・6・(2X+4X)=18
もともとのコピイストの筆写譜のボーゲン8ICは、取り除かれ(A178)の中に含まれている。ブルックナーは、「アダージョ2」のために新たにボーゲン8IIを作成したのである。

第1稿自筆譜(ボーゲン8I)では、4ページともきっちり6小節づつ定規で割り振られた上に作曲されているので(4X6=24小節)、筆写譜(ボーゲン8IC)も自筆譜通り6小節づつ定規で割り振った上に24小節全部が筆写されている。ところが、この取り除かれた筆写譜には、Xを付された4小節のカットが既に存在している(第1稿の132、134、135および136小節)。4小節の短縮は「アダージョ2」の改訂以前になされたものである。新たに作成されたボーゲン8IIは、既に短縮されてしまっていた20小節にオーケストレイションを変更したものである。このボーゲン8IIも6小節づつ定規で割り振られた五線紙を使用しているのでカットされた4小節分余ってしまった。そのため4ページ目最後の4小節は空白のままXが書かれ、そのままボーゲン9ICへ行くように指示されている。

このボーゲン8IIにおける主な変更点は、ヴァイオリンのメロディーが分散和音的なものから滑らかなラインに改められ、主要主題の第2動機に近づけたことと、金管を減じて響きを整理したことである。

「アダージョ3」改訂時に差し替えられたボーゲンとは違って、著しく手が加えられている点である。それは「アダージョ1」から「アダージョ2」を経由して「アダージョ3」のために書かれた筆写部分よりも頻度としてはるかに目立っており、ベースラインの改善、ヴァイオリンのメロディーの8分音符化、金管のさらなる意味づけ、アッチェレランド部分のワグナー・テューバからホルンへの変更などが主体をなしている。この修正は「アダージョ2」をベースになされているので、それら変更点をチェックすることによって「アダージョ2」の自筆譜は、このMus.Hs.40.999であることが証明される。すなわちボーゲン8IIは、「アダージョ2」がブルックナーの真作であることの重要な証拠の1つとなっているのである。膨大な修正の中で最も目に付くのは3番オーボエの変更個所であり、薄く削り取られた痕跡からは、はっきりと「アダージョ2」の存在が見て取れるのである。

さらに、このボーゲン8IIの4ページ目の木管のところにはうっすらと鉛筆で移行句の「アダージョ3」のための修正の第1案が記載されている。ブルックナーは、結局この第1案をやめて、残っていた「アダージョ2」のための2小節にもXを入れて削除した。すなわち4ページ目は、最終的に全てカットされているのである

なお、ハース版、ノーヴァク版には、130小節でティンパニの8分音符が欠落している。と、ともに、同じ小節の「アダージョ2」のホルンと弦楽のために付されていたcresc.semp.を、ブルックナーは「アダージョ3」では削除しているのに、両版はcresc.として復活している。

【ボーゲン9III】135〜144小節.:JE & Co.No.8の五線紙を使用(10小節)。
ボーゲン9III:6・3・(1+4小節空白)・6小節空白=10
「アダージョ2」では、前ボーゲン最後のページの2小節から引き続いて、コピイストの筆写譜ボーゲン9ICに移る。ここにはワーグナー・テューバのパッセージと木管とハープのパッセージからなる8小節が残存していたが、「アダージョ3」ではこれらはあっさりと全部削除されて、このボーゲンは取り除かれてしまった。ブルックナーは、これらの特徴的なフレーズに異種の音色が混じるのを嫌ったのだろう。音色的変化より、印象の統一を狙った削除と言えよう。「アダージョ3」の時点での差し替えであるため、このボーゲン9ICはA178には含まれず、現在のところ行方不明である。これに替わってブルックナーが新しく書き加えたボーゲン9IIIは、これまでのB&H社の五線紙ではなく、JE社のものが使われている。8小節のカットの影響で中身はスカスカで、木管の移行句決定稿の6小節(1ページ目)と、副次部のチェロ主題の4小節(2,3ページ)しか書かれていない。4ページ目は全く使用されず斜線が引かれている。

第1ページでは、ブルックナーは1か所のリタルダンドの指示をするために、演奏しないパートも含めて各段にそれぞれ24個もritard.を書いているのに対して、ファゴットを除いて、木管には1本使用か2本使用かを書き忘れている。ハースもノーヴァクも初版に従って、フルートとオーボエは2本、クラリネットはファゴットに合わせた1本で吹くように指示している。
なお、このボーゲンは4ページとも予め定規で6小節に割り振られていた。2ページ目が3小節であるのは小節線を3本削ったためであり、3ページ目も1本削っているための不整合である。


ボーゲン8II,ボーゲン9IIIを通じて、現行印刷版には大きな問題が存在する。ハース版やノーヴァク版VIII/2では、練習記号[I]から[K]に至るダイナミックの構成がMus.Hs.40.999とは全く違うのである。「アダージョ1」ではピアニシモから始まり、アッチェレランドとクレッシェンドを重ねてフォルテシモに至った後、突如ワーグナー・テューバのピアニシモのフレーズに移る。「アダージョ2」では、4小節縮められたものの、同じダイナミックの構成である。これらに対して、Mus.Hs.40.999に見る「アダージョ3」の最終形では、ワーグナー・テューバのフレーズがカットされたため、アッチェレランドはするものの全くクレッシェンドせず、突如飛び出すフォルテの木管移行句に行くように書き換えられているのである。ところがハースは、まず、ホルンをワーグナー・テューバに戻し、前述ティンパニの8分音符を削除したうえで、音楽の流れはアッチェレランドとともにクレッシェンドするように変えた。さらに、木管の出現に合わせてホルンや弦楽にも自筆譜にはないフォルテを書き加えている。そのうえヴィオラとチェロの延ばしはトレモロに変えているのである。実際のところ、アッチェレランドにはクレッシェンドを伴う方が自然であるとはいえ、このような大規模な変更は許されるのであろうか? ことによると、ハース版のような状態の筆写譜が存在するのかも知れない。でも、もし、そのような筆写譜が存在していたとしても、全集版としてはMus.Hs.40.999を優先すべきであろうことは疑いのないところだ。ノーヴァクはワーグナー・テューバをホルンに変え、弦楽のフォルテを削除したりはしているが、修正はいささか中途半端であり自筆譜の再現とはなっていない。この部分に関して言えば、初版の方がまだましである。


【ボーゲン10IC】145〜164小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(20小節)。
ボーゲン10IC:6・6・6・(2+4X)=20
当初のコピイストの筆写譜がそのまま用いられているが、細部は相当手が入れられている。4ページ目の最後の4小節の削除は、「アダージョ2」で既にカットされている。ボーゲン8の4小節カットと同じ時期になされたのなら、もっと早い時期のカットかも知れない。

【ボーゲン11II】165〜184小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(20小節)。
ボーゲン11II:6・6・6・(2+4小節空白)=20
このボーゲンは、ボーゲン8と同様「アダージョ2」由来のボーゲンである。ここでも「アダージョ3」のための修正がチェロなどに加えられているため、「アダージョ2」そのままではない。さらには、169小節からのクラリネットは当初はそれぞれが約倍の長さがあったが、「アダージョ2」完成時にはすでに半分の長さに縮められているという例もあって、削り取り作業が数時にわたっていることが窺える。

【ボーゲン11IC】185〜186小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(2小節)。
ボーゲン11IC:○・○・10X・2=2
コピイストの筆写譜のボーゲン11ICは全部が取り除かれたのではなく、半分に切られて前半(1,2ページ)は(A178)に含まれ、後半だけが残された。とはいえ、3ページ目はボーゲン11IIで改作されているためページ全体にXが付けられ、僅かに4ページ目の2小節だけが生きているに過ぎない。

なお、184小節と185小節の間のフェルマータが、ハース版にも、ノーヴァク版にも欠けているのは、この原稿状態を反映したミスと考えらる。なぜなら、このブルックナーが「アダージョ2」のために書いたフェルマータは、当然「アダージョ2」に存在し、「アダージョ3」でも生きている。さらには初版にも存在しているのである。Xを付けて残されているフェルマータの無い「アダージョ1」の流れからノーヴァクは見誤ったのだろう。ハースの場合は、ことによるとフェルマータを書き忘れた別の筆写譜に基づいたのかもしれない。

【ボーゲン12IC〜13IC】187〜202小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(16小節)。
ボーゲン12IC:2・2・2・2=8
ボーゲン13IC:2・2・2・2=8

コピイストの筆写譜がそのまま使用されている。

【ボーゲン14IC】203〜208小節「アダージョ3」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(6小節)
ボーゲン14IC:3・3・3X3X=6
3ページ目(3小節)と4ページ目(3小節)は切り取られず、そのまま残っているが、「アダージョ3」でXが付され削除された。そして再度その上に定規で斜線が付されている。これは、ハースが彼の版で復活させた例の10小節の前半6小節に当たる。
その内容はコピイストの筆写譜そのもの、すなわち第1稿そのままではなく、ブルックナーが「アダージョ2」のために修正を加えた形になっている。フルートの音形は消され、ホルンに変えられているし、ヴァイオリンの6連符では「アダージョ1」の1つのスラーの中に3つのスラーがある2重スラーに修正されている。ところが、「アダージョ2」の筆写譜Mus.Hs.34.614bとも完全には一致しているわけではない。最初の小節の第1ヴァイオリンの音形からして違うし、メロディーの第2ヴァイオリンとヴィオラには1段強い強弱記号に変えられている。このことが示すことは、一旦「アダージョ2」が完成して筆写譜が作られたあと、「アダージョ3」でカットをする前に、ブルックナーはこの6小節に、さらに手を加えていたということを示している。

【ボーゲン15IC】209〜216小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(8小節)。
ボーゲン15IC:3X・(1X+2)・3・3=8
1ページ目全部(3小節)と2ページ目の最初の1小節、すなわち10小節の後半4小節は、前半6小節と同様Xで削除され、その上から定規で斜線が付されている。ところが、内容は前半の6小節と違って全く手が加わっておらず「アダージョ1」そのままであり、この4小節のカットは「アダージョ2」改訂の際になされたことが分かる。10小節は一回で全部カットされたのではなく、最初後半の4小節がカットされ、次に「アダージョ3」の改訂時に前半6小節がカットされたということである。第1稿では10小節は大きな2つの山の谷間であったものが、後半の4小節をカットすることによって、前半の6小節だけで次の山に向かう大きなクレッシェンドに変えられたのである。

【ボーゲン16III〜19III】217〜254小節.:JE & Co.No.8の五線紙を使用(38小節)。
ボーゲン16III:2・2・2・2=8
ボーゲン17III:2・2・2・2=8
ボーゲン18III:2・2・2・2=8
ボーゲン19III:2・4・5・3=14

「アダージョ3」のためにブルックナーが三度目に作成した4ボーゲン。
五線紙は、ボーゲン9と同じJE & Co.No.8の五線紙を使用、楽器指定の書き方がボーゲン9とは異なるので、同時期に書かれたものではないと推定される。
ブルックナーはクライマックスに至る道程とクライマックスについて、よほど心を痛めていたのだろう。

【ボーゲン19IC】255〜266小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(12小節)。
ボーゲン19IC:○・○・6・6=12
「アダージョ3」では新しく4つのボーゲン(16〜19)が挿入されたので、「アダージョ2」で挿入されたボーゲン16〜17と元々の筆写譜ボーゲン18と19の前半は取り除かれた。残された後半の最初の小節には、「アダージョ1」のためのホルンソロの最後の音と、「アダージョ2」のためのオーボエソロの最後の音が削り取られた跡があるので、切り取られた前半は「アダージョ1」にも「アダージョ2」にも使われたことが証明される。
このフォリオは、もともとはボーゲン19ICの後半部分だが、新しく加えられた4つのボーゲンの関係で、最初のページにボーゲン20と書き加えられてた。本来のボーゲン20の文字は消されている。このためボーゲン20は3フォリオ(6ページ)存在することになってしまった。

【ボーゲン20IC】267〜291小節.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(25小節)。
ボーゲン20IC:6・6・8・(5+1小節空白)=25
このボーゲンも最初のコピイストの筆写譜がそのまま用いられており、「アダージョ2」のためや「アダージョ3」のための多くの修正の跡が存在する。特に面白いのは、290小節と291小節をまたぐホルンの和音である。「アダージョ1」による元々の筆写譜では、この部分の『アルプスの威容』のメロディーの流れにしたがって2つの4分音符がタイで結ばれ小節を和音でまたいでいた。ところが「アダージョ2」では後ろの4分音符が休符に変えられメロディーが一瞬途切れる。さらに「アダージョ3」では、前の4分音符も無くなり、メロディー自体が断裂してしまった。同時に弾かれるヴァイオリンのメロディーを強調するための処置だったのかもしれないが、単純な『アルプスの威容』の再現ではなく、一種不可思議な印象を醸し出すことになった。

https://www.youtube.com/watch?v=Amq7mmIvVwk


2004.12.2 記
2005.12.11 一部修正
2017.3.1 改稿



(1)《第四交響曲》の2つのハース版の謎を解く

 ハース版(第一次全集版)大好き人間の私にとっても、ハース版とは謎の多いスコアであることに変わりない。ノーヴァクが全集版を改訂出版(いわゆるノーヴァク版)して以来、その相違個所でのハース版の由来については、さまざまに論議されてきた。現在では、ブルックナーが遺贈した自筆譜をネットで誰でも容易に見ることが出来るようになってきたので、それらの謎の大部分は解明された。とはいえ、分からないことはまだまだ存在する。

 資料に忠実であるのは基本的にノーヴァク版の方であって、ハース版はカットの復活や別の資料を混入させたため、結果として相違が生じたというのが両版に対する一般的認識である。今なお存在する謎の大部分は、ハース版に見る自筆譜との相違個所がどんな資料に基づいているか、彼の短い序文にはさっぱり説明がなされていないことから生じたものであると言えよう。たとえば、《第八交響曲》で、『ハースが作曲した』とまで極論されることもあった謎の個所の1つのフィナーレの第3主題再現の直前、577〜582小節(VIII/2)、ハース版では609〜616小節に当たる個所は、ホークショウの編集報告によってハースの作曲ではないことが解明された。ブルックナーが差し替え取り除いた自筆譜が、クレムスミュンスター修道院に『アダージョの断片』として保管されていたことが発見されたのである。この例のように、膨大な量のこまごまとした相違の殆どは、『作曲』などという大それたものではなく、単なる資料の選択の相違か自筆譜の解釈の相違であることは、ほぼ間違いないだろう。

 一方《第四交響曲》では事情は逆である。ノーヴァク版序文には、ブルックナーが1886年に筆写譜に加筆したヴァリアントを含むいわゆる「ニューヨーク稿」を基にしている、と明示されているので、ハース版とノーヴァク版IV/2の相違は、「自筆譜Mus.Hs.19.476」と「加筆付きニューヨーク筆写譜」の違いに由来するとみられてきた。すなわち、ハースが自筆譜通りで、ノーヴァクはその修正版であるという認識である。ところが、そこに奇妙な問題が垣間見えたのである。

 この問題の尻尾、すなわち僅かに垣間見える不整合というのは「練習記号の活字の形におけるねじれ」である。練習記号(ブフシュターベ)とは、オーケストラの練習や楽譜索引の便のためにスコアのところどころに振ってあるアルファベットであって、ブルックナーは自筆譜の中に、すでに練習記号を書き込んでおり、それに従って全ての全集版には練習記号が印刷されているのだが、《第四交響曲》のトリオには【A】,【B】,【C】と3つの練習記号が付されている。不思議なことに、ノーヴァク版のトリオの練習記号は、この交響曲の他の部分と同じ活字が使われているのに対して、ハース版の方はトリオだけ別のデザインの活字が使われているという「ねじれ」が存在しているのが不思議なのであった。

 そもそも、第2次全集版であるノーヴァク版は、初出後すでに半世紀以上経過しているが、第1次全集版であるハース版(初期のオーレル版も含めて)は、1930年ころから大戦終結の1945年までのたった十数年間しか主たる出版活動を行なっていない。その短い期間に《第三交響曲》を除く番号付きの交響曲全部と、その他のいくつかの作品が出版されたわけだが、それらの中には《第五交響曲》のように、ごく一部であとからの手書き修正が加えられたもの(スケルツォ258〜260小節)もあるとはいえ、同じ曲を2度出版したのは《第四交響曲》だけある。なぜか、この曲は1936年に出版されたものを、一部手直しして、1944年に再度出版されたのである。その理由は、上述のようにスケルツォのトリオ2ページ分の差し替えに関することが原因だったということは、このブフシュターベの違いから容易に推測されたのであるが詳細はよく解らなかった。

 ところで、戦後、日本のファンが見ることの出来たハース版は、ブライトコップの卵色表紙と濃緑色表紙の2回の出版、及び、ドーヴァーなどのコピー版を含めて、全て1944年に出版されたもののコピーであった。したがって、1936年に出版された、もともとの形がどんなものであったのかは我々にとっては謎だったのである。ただ、当時でも分かっていたのは、ハース版トリオの練習記号の活字の形は、《第七交響曲》(1944年出版)や《ミサ曲第三番》(1944年出版)の練習記号の活字と一致するので、《第四交響曲》が1944年に再出版された時、新たに製版されたトリオに差し替えられたものであり、ノーヴァク版の方は1936年版の本体かzuIV/2フィナーレ2(1878)と同様の参考譜が使われたものと推測されたのである。もともとオーレルのときから引き続いて、ハース版の練習記号の活字は、横線が太く縦線の細い独特のデザインなのだが、1944年に出版されたスコアは普通に見かける活字体のデザインである。何故か、ハースは大戦末期の大変な時期に練習記号の活字を以前とは違うデザインに変えたということである。理由は不明である。このことはハース版だけではなく、ハースの原版を用いたノーヴァク版にも当てはまるし、ノーヴァク版の孫コピー版である音友版でも《第七交響曲》との比較で確認できる。ちなみに、《第四交響曲》では、ノーヴァクはハースの原版のコピーを使っているので、基本的にはハース版と同様、横線が太く縦線の細い活字が使われているのだが、一部差し替えたページでは、2つのハース版の活字とは又別の活字を使っている(70ページ209小節の[O]など)。

 2003年に、私は運よく中古楽譜商から1936年出版の《第四交響曲》の初出小型スコアを入手した。初版自体は入手できなかったが、初版系のヴェース版(フィルハーモニア社版)は手元にあるので、自筆譜情報を含めて、駒はそろっている。ここで「ねじれ」の全貌を分析してみよう。まずは、解りやすいように、相違点を一覧表にして以下に示そう。

小節数 @2〜10小節 A37〜38小節 B44〜52小節 C50〜53小節
1936年ハース版 フルートとクラリネット rit.なし 第2クラリネットあり、 オーボエ50小節で休止
1944年ハース版 オーボエとクラリネット rit.なし 第2クラリネットなし オーボエ最後まで吹く
1953年ノーヴァク版IV/2 フルートとクラリネット rit.あり、a tempo なし 第2クラリネットなし オーボエ最後まで吹く
初版に基づくヴェース版 フルートとクラリネット rit.あり、a tempo あり 第2クラリネットあり、52小節に8分音符追加 オーボエ51小節に4分音符追加
自筆譜Mus.Hs.19.476 フルートとクラリネット(修正痕) rit.なし I.からa2に変更、51小節まで オーボエ50小節で休止

 
 ハースが1944年に版を差し替えた最大の理由は、@の主旋律を奏する楽器の変更(フルート+クラリネットからオーボエ+クラリネットへ)であることは疑いない。自筆譜のフルートとオーボエのパートを見ると、確かに、もともと書かれていた楽譜に紙を貼ったか書き込みを削り取った後、五線を引き直した上で、オーボエからフルートにメロディーが変えられているように見える。しかし、元の音符は《第五交響曲》のような杜撰な削り取りではなく、ほとんど痕跡は見えないので、これだけでは改訂前の再現は不可能である。たぶん、当初の状態の筆写譜が1944年に発見されたため、ハースは差し替えを決断したのだろう。
 ところが、問題はこれだけではない。自筆譜を見ると、最後の方44小節から53小節にわたる範囲で、オーボエとクラリネットのパートに、柔らかい鉛筆かクレヨンのようなもので薄っすらと修正が施されているのが見えるB、C。すなわち、44小節のクラリネットのパートには「I」が消され「a2」が書き加えられた。クラリネットは1本ではなく2本で吹くように変えられたのである。そして、オーボエは50小節まで、2番クラリネットは51小節までしか吹かないようにも修正された。こういったインクを使わない簡易な手入れは、他の交響曲の印刷用原稿に使われた筆写譜にも見られるものであって、@の変更とは時期の異なるものであり、ノーヴァク版から推測するに、少なくとも1886年の「ニューヨーク稿」筆写の時点では、修正は行なわれていないと思われ、出版時の検討と推測されるのである。ハースは、1936年版ではこれらの修正を採用したが、そういう事情がはっきりしてきたので、1944年版では不採用としている。ところで初版では、小節の終わりでぶった切るという自筆譜の一見雑な処理ではなく、次の小節の頭の音を追加して纏まったフレーズに調整している。さらに1936年ハース版はクラリネットに手が加えられ、自筆譜の修正とも初版の修正とも異なっている。52小節に2分音符を追加しているのである。不思議な現象ではあるが、オーボエの方には手を加えていないので、自筆譜に書かれた「aI」(1本に戻るという意味か?)を誤読したものではないだろうか。
 なお、2つのハース版や自筆譜とは関係ないが、ノーヴァク版やヴェース版には37小節のところにリタルダンドの指示があるA。これは「ニューヨーク稿」での加筆と見られ、初版もそれを採用したのだろうが、ノーヴァク版にはア・テンポの指示がない。「ニューヨーク稿」になかったのか、ノーヴァクのミスなのかは定かではない。ところがヴェース版には38小節にア・テンポの指示がある。これも元々初版に存在するのか、ヴェースの加筆かは不明である(レートリヒ版にはア・テンポが無い)。一方自筆譜には、35〜36小節の2小節にわたって各木管楽器に文章の指示が記載されていたが、いずれも綺麗に削り取られていて全く読めない。なにかテンポに関する指示があったのかも知れない。

 このように、細かい加筆の仕方については各版の対応は微妙に違っている。また、「ニューヨーク稿」の形は、トリオの後半に関しては1944年ハース版と同じであるから、1936年ハース版を原版にしてしまったノーヴァク版では、そのことによって逆に修正を強いられる結果となってしまっている。そのため最後の部分に、不要な2番クラリネットの全休の段が残されることとなってしまった。


https://www.youtube.com/watch?v=-MiYzU8HQZQ


 ところで、ギュンター・ヴァントはハース信奉者でノーヴァク嫌いであったことはよく知られている。彼の《第四交響曲》の演奏は、それにもかかわらず、トリオでノーヴァク版を引用していると言われてきたが、今回、1936年のスコアで聴き直してみると、Aの相違はほとんどrit.なしでやっており、BとCも聴き取りにくいが1936年のハース版どおりのようようだった。彼は、ノーヴァクを引用したのではなく、この曲でも全てハース版を使ったのであり、『ノーヴァク嫌いのノーヴァク版使用』という理解は誤解であったことがはっきりした。

2003・4・22記
2017・2・22改稿

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