ブルックナーの楽譜の話題あれこれ

(2)『第八交響曲』の「アダージョ」の自筆譜

<ヴィーン、オーストリア国立図書館所蔵、手書楽譜資料Mus.Hs.6045>

【アダージョの5つの形】の項の中で私は次のような推測を書きました。
《現在知られている最初の形、すなわち全集版VIII/1としてノーヴァクによって出版された形(これは楽章全体が自筆による唯一の原稿ーいわゆる第1稿ーに基づいた版)以前にも、作曲の諸段階において、オーケストレイションされていないスケッチや断片のスコアがいくつも存在するはずであり、それらからは、いくつかの具体的形態が抽出される可能性はありますが、まだ未公開のため、ここでは考慮に入れないこととします。》
今般、オーストリア国立図書館に所蔵されているたくさんの断片資料の中で、Mus.Hs.6045と番号付けられた自筆資料のコピーを入手しました。これはまさにその推測のとおりの資料でしたので、その概要を述べてみたいと思います。この資料は、表紙1ページとアダージョの自筆譜20ページから構成されており、一部ページの右肩にボーゲン番号が付されています。まず、注目に値するのは、表紙の記載事項です。ここでは、《1886年2月13日》の日付とともに 《『第八交響曲』 第2楽章 アダージョ》となっており、少なくともこの時点までは、アダージョは第2楽章であったことが分かります。また、全ての五線紙は(表紙も含めて)横長のものが使われており、他のアダージョの自筆譜や筆写譜全てが縦長のものを使用しているのと際立って異なっています。ボーゲン番号と楽譜内容から、この資料は、途中で作曲を放棄しているものの、既にアダージョ全体が枠組みされていたことが分かります。たぶんこれは、パーティセルスケッチ(ピアノ三段譜)から、最初にオーケストレイションするために使われたものと思われますが、いくつかのボーゲンが脱落しており、それらが紛失されたか、別のところに残されているかは不明です。この資料を「原アダージョ」(Ur−Adagio)と名づけましょう。

では、まず【Mus.Hs.6045】の構造を一覧表にしてみましょう。<表1>

ボーゲン フォリオ ページ 逐次小節数 ページの
小節数
フォリオの
小節数
ボーゲンの
小節数
1-7 小節 13 30
8−13
14−18 17
19−30 12
31−36 18 34
37−48 12
49−56 16
57−64
. . . . . 不明
. . . . 不明
(115−122) 16 16
(123−130)
. . . . . 不明
11 (161−168) 16 32
(169−176)
12 (177−184) 16
(185−192)
. . . . . 不明
15 (213−216) 16
(217−220)
16 (221−224)
(225−228)
. . . . . 不明
10 . . . . . 不明
11 21 (265−272) 18 23
(273−282) 10
22 (283−287)
. . . 空白


「原アダージョ」の想定全体像と第1稿「アダージョ1」との対応関係<表2>
かっこの数値は紛失部分の推定です。

ボーゲン フォリオ ページ 逐次小節数 ページの
小節数
フォリオの
小節数
ボーゲン
の小節数
第1稿の
対応部分
第1稿の
練習記号
1 1-7小節 13 30 1-7小節 .
8−13 8−13 .
14−18 17 14−18
19−30 12 19−30
2 31−36 18 34 31−36 .
37−48 12 37−48
49−56 16 49−56 .
57−64 57−64
(3) (5) (1) (65−72) (8) (16) (34) . .
(2) (73−80) (8) . .
(6) (3) (81−88) (8) (18) .
(4) (89−98) (10) .
4 (7) (1) (99−106) (8) (16) (32) . .
(2) (107−114) (8) .
115−122 16 115−122
123−130 123−130 .
(5) (9) (1) (131−138) (8) (16) (30) . .
(2) (139−146) (8) .
(10) (3) (147−154) (8) (14) .
(4) (155−160) (6) . .
6 11 161−168 16 32 161−168
169−176 169−176 .
12 177−184 16 177−184 .
185−192 185−192
(7) (13) (1) (193−200) (8) (12) (20) . .
(2) (201−204) (4)
(14) (3) (205−208) (4) (8) . .
(4) (209−212) (4)
8 15 (213−216) 16 対応しない .
(217−220)
16 (221−224) 対応しない .
(225−228)
(9) (17) (1) (229−232) (4) (8) (16) . .
(2) (233−236) (4)
(18) (3) (237−240) (4) (8) . .
(4) (241−244) (4)
(10) (19) (1) (245−248) (4) (8) (20) . .
(2) (249−252) (4)
(20) (3) (253−256) (4) (12) . .
(4) (257−264) (8)
11 21 (265−272) 18 23 303−310 .
(273−282) 10 対応しない .
22 (283−287) 対応しない .
空白 空白 . .


次にこの資料の特徴を列挙していきましょう。
@この資料は、表紙以外に<表1>のとおり、21ページ、11フォリオ、5ボーゲン半から成っています。
A各ボーゲンの最初にあたるページにはボーゲン番号が記されていて、最後のものは《ボーゲン11》となっているので、約半分が紛失しているということになります。
B《ボーゲン6》まではほぼ完全にオーケストレイションされており、「アダージョ1」とも小節数が一致しています。これはアダージョの形式[A1B1A2B2A3コーダ]のうち[A1]から[B2]までにあたります。したがって、最初の時点から[B2]まではほぼ同じ音楽が構想されていたことが分かります。
Cその後の[A3] と[コーダ]の部分は、メロディーのラインだけが書かれており、その他は空白のままです。[コーダ]は、「アダージョ1」に対応する部分がホルンのメロディーで一部つかめますが、《ボーゲン8》に記された[A3]の部分は、第1ヴァイオリンのパートに[A]の最初の2つの動機がちりばめられているものの、「アダージョ1」のどの部分にも対応しません。すなわち、「アダージョ1」の[A3]部分は、すでに最初の構想からずいぶん離れたものであることが分かります。(「アダージョ2」「アダージョ3」においても、この部分がもっとも激しく改訂された部分であることは周知のとおりです)
D《ボーゲン6》までは、使用しない楽器の各小節に全休符が丹念に記されており、最終的な出来上がりの形を示していますが、テンポ指示や強弱記号は全く記されておらず、それらはこの楽章全体の完成後に書き加えようとしていたことが分かります。
E《ボーゲン8》は、1ページに4小節ずつが割り振られており、それは以前のページの半分以下であることが表から分かります。このことから、楽譜には[A3]の特徴である6連符音形が全く書き記されていないものの、当初から6連符音形を予測して、小節割りをしたことが分かります。

さて、なぜこの草稿での作曲を[B2]のところで放棄したのでしょう?それは、ハープの導入をこの時点でブルックナーが思いついたからだと思われます。実は、この資料ではハープは使われておりません。そのため、《ボーゲン1》の4ページ目や《ボーゲン2》の2ページ目は、単なるコラールとして12小節も割り振られているのです。(ハープの細かいアルペジオ音形を書くために、ブルックナーは 「アダージョ1」以降、1ページに2小節しか割り振っていません。)このためブルックナーはこの草稿を放棄せざるを得なくなったのでしょう。

また、最初のコントラバスの8分音符にはpizz.の指示が見られます。これは、私たちは1892年の「初版」においてのみ知っていた奏法です。したがって、このピチカートへの変更は、「初版」での新しいアイデアではなく、すでに当初の構想にあったもので、途中で変更したものを復活させたアイデアであることが分かります。さらには、ここには、特徴的なシンコペリズム(ブルックナーリズムの変形)に合わせて、コントラバスが8分音符ー8分休符ー8分休符ー8分音符と弾くようなアイデアも示されています。
[A1]と[A2]をつなぐホルンの動機も、後の改訂で変遷が続きますが、ここでは全くの空白となっています。

2006・2・28 記

<ヴィーン樂友協会所蔵、手書楽譜資料A178>

最近、イギリス、北アイルランドのブルックナー研究家、ダーモット・ゴールト博士によって、ブルックナー研究上注目に値する発見がなされました。ヴィーンの楽友協会に保存されているA178と番号付けられたブルックナー関係断片資料集の中から、一連の「第八交響曲」改訂作業の流れの中で、「アダージョ2」に改訂する際にブルックナー自身が取り除いた数枚の筆写譜が、そっくりそのまま全部発見されたのです。この発見は、直接「アダージョ2」の内容に関わるものではありませんが、「アダージョ2」の成立を解明する上で、さらにはアダージョの複雑な改訂の足取りを探る上で、非常に役立つものです。更には、同資料集の中には「第八交響曲」のアダージョとフィナーレに関する破棄された草稿の一部も合わせて保管されています。

そもそも「アダージョ2」の存在が知られるようになったのは、ヴィーンのオーストリア国立図書館音楽部に保存されている、コピイストによる筆写譜、Mus.Hs.34.614の発見が発端なのですが、あくまでもこれは筆写譜ですから、ブルックナーのどの原稿から筆写されたのか、当初は不明だったのです。ところが、「アダージョ3」の自筆譜である同図書館所蔵のMus.Hs.40.999を詳しく調べていくと、ブルックナーは、このアダージョを「アダージョ1」から「アダージョ3」へ一気に改訂したのではなく、時期の異なる数度にわたる改訂を経て、最終的に「アダージョ3」になったことが判明しました。それは、1887年の初稿完成直後から1892年の初版出版直前にまで及ぶものであり、詳細は下記のMus.Hs.40.999の解説に記されています。こういった状況から、「アダージョ2」はMus.Hs.40.999が一旦完成された状態を示すものに違いないと推測されたのですが、今回のA178の発見は、そのことを一段と明瞭に証明する結果となりました。

Mus.Hs.40.999という資料は、長期にわたってさまざまに手が加えられており、非常に興味深いものです。自筆資料としてこれほど複雑で面白い資料はブルックナーはもとより、他の作曲家の資料の中にもめったに見られるものではありません。もともと、これは「アダージョ1」、すなわち1887年に完成された第1稿(これはブルックナーの自筆稿で、遺贈稿の一部を形成し、Mus.Hs.19.480/3という資料番号で、オーストリア国立図書館に保存されている)から作られた、コピイストの手になる筆写譜でした。ですから、それは元来「アダージョ1」とほぼ完全に一致するものでした。一致はページ配分にもおよび、遺贈稿と同様20ボーゲン(2つ折りの表裏4ページから1ボーゲンが出来ているので都合80ページ)から成っていました。その後の度重なる改訂に、ブルックナーは常にこの筆写譜を使いました。そして、最初の完成形態にたどり着いた姿が「アダージョ2」なのです。ブルックナーは「アダージョ2」を作るためにさまざまな加筆・貼り付け・削り取り・バツ印による削除を行なうとともに、五線紙の入れ替えをも行ないました。このとき取り除かれたものが、今回発見された、ボーゲン8(<第2主部>終わりの方のアッチェレランド部分)、ボーゲン11の前半(<第2副次部>終わりの方の「アダージョ2」ではピチカート伴奏の部分)およびボーゲン16,17(<第3主部>のクライマックスへ向けての登坂部分)です。これら取り除かれた3ボーゲン半の五線紙全部がA178に含まれていたのです。

これら「アダージョ2」には不要となった五線紙を見ると、Mus.Hs.40.999に現存する筆写譜部分とぴったりと繋がることが確認されるとともに、ブルックナーはそれらの中にさまざまな加筆を既に相当数行なっており、当初は「アダージョ2」のような大々的な改訂を行なうつもりではなかったことが窺えます。ここで行なわれた変更のうち最も興味深い点は、「アダージョ1」のクライマックスでのシンバルの2回にわたる3連発です(ボーゲン17の最後のページ)。これは従来、「アダージョ2」でクライマックスの調性がハ長調から変ホ長調へ変更されたときに1発づつに改められたと考えられていたのですが、今回の発見により、ハ長調の原形の時に、すでに1発づつに減ぜられていたことが分かったのです。したがって、ブルックナーがこの筆写譜にではなく、遺贈稿そのものに直接この修正を書き込んでいたとすると、第1稿ですら6連発のシンバルはあり得なかったことになります。

さらに、ゴールト氏は、同じ資料集の中から、ブルックナーが「アダージョ2」のために新しく書き上げた自筆譜ボーゲン16II’をも発見しました。これはMus.Hs.40.999に含まれる、「アダージョ2」の時に差し替えられたボーゲン8IIやボーゲン11IIと、五線紙、書法、書体が全く同一のもので、定規で引かれた小節線まで同一です(実際使用時には6小節分引かれた小節線では、16分音符の多いこの部分の記譜に支障があるので、半分の線が削り取られて3小節づつに変えられています)。ところがここに書かれた音楽は、Mus.Hs.34.614と一致しません。すなわち、これは「アダージョ2」の前段階であって、ブルックナーは、もう一度新たにボーゲン16II(現在行方不明)を書き上げ、これと差し替えたため、取り除かれて他の筆写ボーゲンと一緒に保管されることになったのです。このボーゲンではトランペットは「アダージョ2」とは別の動きをします。

(2)The materials of "Adagio 2" of 8th Symphony.


<The microfilm from the Gesellschaft der Musikfreunde (A 178)>

Recently, Dr. Dermot Gault, a Bruckner researcher living in Northern Ireland, came across some discarded pages from the 8th Symphony in a microfilm of a manuscript collection (A 178) held in the archives of the Gesellschaft der Musikfreunde in Vienna. This contained several bifolios, originally belonging to a copy score of the 1887 version of the 8th, which Bruckner removed while making the revision which would result in "Adagio 2". There are also some autograph manuscript preliminary drafts relating specifically to "Adagio 2".

These discoveries are very useful, not only for verifying "Adagio 2", but for clarifying the complex revision history of the Adagio as a whole.

"Adagio 2" is preserved in the manuscript Mus.Hs. 34.614 in the Musiksammlung of the Austrian National Library in Vienna. The manuscript is in the hand of a copyist, and at first the source from which the manuscript had been copied was unknown. However, the answer became apparent when Mus.Hs. 40.999, the autograph manuscript of "Adagio 3", which is also in the Austrian National Library, was examined in detail. It becomes clear that Bruckner did not make the revision from "Adagio 1" to "Adagio 3" all at once. The final version emerged through several stages of revision over a period of time, extending from the first version of 1887 to the period of the publication of the first edition in 1892. But before becoming the source for "Adagio 3", Mus.Hs. 40.999 had served as the autograph for "Adagio 2". The material in A178 confirms this.

Mus.Hs.40.999 is especially interesting because of the many additions made by Bruckner himself, made over a long period of time. The resulting complexity is unusual for Bruckner’s, or indeed other composers’ manuscripts.

Originally, this was a duplicate score, in the hand of a copyist, made from Bruckner’s original manuscript of "Adagio 1" (Mus.Hs.19.480/3), and it corresponds to "Adagio 1" even in the layout of the pages. It consists of 20 bifolios (80 pages), [not] including the bifolios Bruckner added later. Bruckner used this copy score as the basis for his own further revisions, of which "Adagio 2" was the first to be completed.

Bruckner effected this version by a variety of means, retouching and rubbing out the original text, additions, and replacing whole bifolios. The bifolios which Dr. Gault came across were discarded at this stage; bifolio 8I (accelerando in the ‘A2’ section) and the first half of bifolio 11I, and bifolios 16I and 17I (containing part of the approach to the main climax of the movement). These three and a half bifolios were removed in the process of revision, and included in A178.

These discarded bifolios connect with the existing bifolios, in the hand of the copyist, which remain in Mus.Hs.40.999. The abandoned pages show that Bruckner had already started making various changes in them. It seems, therefore, that Bruckner had not originally envisaged ‘Adagio 2’ as a comprehensive revision.  The most interesting of these alterations is the change from two sets of three cymbal clashes at the climax. Up until now it had been thought that Bruckner made this change when the key of the climax was changed from C to E flat. But this discovery shows that Bruckner contented himself with one clash while the climax was still in C. If Bruckner had made this change in the autograph, rather than the copy score, there would not be six cymbal clashes even in "Adagio 1".

In the same collection of material Dr. Gault also found a draft autograph sketch for bifolio 16preII for "Adagio 2". This material matches the bifolios added to "Adagio 2" in Mus.Hs.40.999 in paper quality, handwriting and style, and even as regards the barlines drawn with a ruler.

However, the music here represents a preliminary stage of the material in Mus.Hs.34.614. It would have been replaced with a more developed autograph bifolio (as yet undiscovered) of the music now found in "Adagio 2". This bf 16preII was removed and kept with other discarded bifolios.

ACKNOWLEDGEMENT
Thanks to Dr. Dermot Gault for supervision and correcting. But Kawasaki is responsible for the contents.


<ヴィーン、オーストリア国立図書館所蔵、手書楽譜資料Mus.Hs.40.999>

オーストリア国立図書館から、「第八交響曲」のアダージョの自筆譜のコピーを入手したので、ここでその概略について報告しておきましょう。これは、オーストリア国立図書館音楽部に現存する手書き楽譜資料の1つであって、Mus.Hs.40.999と番号付けられているものです。この資料は、従来から第2稿(すなわち「アダージョ3」)の自筆譜として知られていたもので、その表面的な形態はレオポルト・ノーヴァクが校訂した全集版VIII/2(普通ノーヴァク版第2稿と言われているもの)のアダージョとほぼ同じものです。実際、VIII/2の序文でノーヴァクは、当時のこの資料の所有者であったリリー・シャルク(ブルックナーの弟子であり、ヴィーンフィルの指揮者を勤めたこともあるフランツ・シャルクの未亡人)から借り受けたことを明示しています。

ところでこの資料には、印刷譜からは分からないたくさんの興味ある情報に溢れています。すなわち、ブルックナーが五線紙の一部を削り取ったり、糊付けしたりして訂正した跡、ブルックナーが五線紙を差し替えた時の前後のつながり、X印を付けて削除した以前の稿態、使用した五線紙の違い、あるいは時期によるブルックナーの書法の違いなどが、そこから窺えるのです。これから、それらを解説しながら、この資料が「アダージョ2」の自筆譜でもあることを説明していきましょう。

ギュンター・ブロシェによると、『この資料は、1990年にオーストリアの収集家であるツァイライズ氏(Dr.F.G. Zeileis)からオーストリア国立図書館が取得したものであって、もともとはフランツ・シャルクの遺品に含まれていたものです。これは、43枚の縦長の五線紙 (35.5 x 26.4 cm)からなり、85ページ分(表紙1ページを含む)の手書き部分が存在します。それは、もともとはクリストとホフマイヤー( Christ and Hofmeyer)という2人の写譜師が「アダージョ1」(第1稿=Mus.Hs.19.480、Vol.3)を筆写したものです。そして、ブルックナーは1889年の3月4日から5月8日の間にこれを改訂しました。』とのことです。(注)

さて、実際の85ページ分のコピーを手にすると、全体は24段の両面刷りの五線紙で出来ているのですが、よく見ると次の2つの重要なことがわかります。
@五線紙の製造元が2つあること。
A4ページごとに、右上端に番号が付されていること。

製造元が2つあるということは、左下端にそれぞれの製造元のマークが印刷されていることから分かります、コピーが不鮮明ではっきりしないですが、1つは.(B & H Nr.14 A)という風に読め、もう1つは(JE & Co.No.8)と読めます。そして、B&H社の方は4ページごとにマークが出てくるので、この五線紙は元々2つ折りのボーゲン=bogen(バイフォリオ=bifolio)であったことが分かります。一方JE社の方は2ページごとにマークが印刷されているので、裏表だけの単体であったと推測されます。とにかくブロシェは43枚と言っているので、現在は全てがバラバラになっているのかもしれません。というのは、この資料全体が非常に保存状態が悪く、端が磨り減っていたり書かれた音符が滲んでいて読めないようなところがたくさんあるのです。全体はとじ糸で綴じこんであるようにも見えるのですが(コピーの端には次のページの端が一部写っている)各シートごとに相当ずれているので製本状態も非常に悪いことが推測されます。なお、JE & Co.というのは、ブルックナーの遺書の中に述べられている、遺贈稿出版時の指定出版社、ヨーゼフ・エベルレ商会のことであり、「第八」改訂と時期を同じくして、ブルックナーと同社の関係が親密化したものと推定されます。

4ページごとの右上端の手書きの数字は各ボーゲンを示すもので、原稿状態を表す上で重要なものです。基本的には製造元マークのページにボーゲン番号が付されるのですが、この原稿には複数回に亘って差し替えや切り取りが行なわれているので、完全に4ページごとに付されているというわけではありません。また、単体と思えるJE社の五線紙を使用している部分でも4ページごとにボーゲン番号が付されています。この原稿は表紙を除いて、付されたボーゲン番号からは20ボーゲンということになりますが、実際は2箇所(ボーゲン11とボーゲン20)で、もともとの筆写譜のボーゲンのそれぞれの半分(2フォリオ)が残されているので、20ボーゲン+2フォリオ=21ボーゲン(84ページ)分あるということになります。

ボーゲンの概念は重要ですので、ここでもう一度説明しておきましょう。1枚の紙を半分に折った状態、これをボーゲンと言います。ちょうど、新聞紙を想定していただければよいでしょう。そうすると1枚の紙は、2ページ分の裏表で合計4ページになります。新聞の場合は全ての紙を重ねてから折り込むので、1枚目の紙は第1ページ、第2ページ、最終の1つ前のページ、最終ページの4ページになりますが、ブルックナーの楽譜資料ではボーゲン1つずつを折ってから重ねているので、1枚目の紙は第1ページ〜第4ページになります。

さて、楽譜資料Mus.Hs.40.999は、もともと「アダージョ1」(第1稿)のホフマイヤー等による筆写譜でした。ブルックナーは、これに少なくとも4回以上の別々の時期に改訂を加えています。ですから、最初の筆写譜の段階を加えて6つの段階があることになります。そして、現在ある形は「アダージョ3」、すなわちノーヴァク版第2稿とほぼ同じ形を示しているのです。

第1段階:「アダージョ1」の筆写譜状態《現在のMus.Hs.19.480/3の状態=ノーヴァクVIII/1》
第2段階:「アダージョ2」への改訂前段状態(取り除かれたボーゲン8,11<半分>,16,17の稿態)
第3段階:「アダージョ2」への改訂状態(ボーゲン8、ボーゲン11、ボーゲン16〜19の差し替え)
第4段階:「アダージョ3」への改訂前段状態(ボーゲン9の差し替え)
第5段階:「アダージョ3」への改訂状態(ボーゲン16〜19の再差し替え)《ハース版原資料?》
第6段階:「アダージョ3」への改訂状態完成後のブルックナー自身(あるいは他人?)の手直し《現在のMus.Hs.40.999の状態=ノーヴァクVIII/2》
第7段階:初版出版時のブルックナー自身の手直し、および他人の加筆《初版形》

ですから、この原稿状態の中で「アダージョ2」の状態を残している部分は、「アダージョ3」への改訂のときに、差し替えられることもなく、また原稿そのものにも手を加えることがなかった部分だけです。そういった部分がどこに現存するかというと、「アダージョ2」の状態でペケ印で削除されたまま残されている部分がそれにあたります。それはボーゲン8の4ページ目の2小節(「アダージョ2」の135〜6小節)とボーゲン14の3,4ページ目の6小節(「アダージョ2」の215〜220小節)です。そのほかにも、「アダージョ2」で独自の箇所が削除されている場合も「アダージョ2」の状態が存在したことの傍証となるでしょう。これはたとえば、ボーゲン20の1小節目(「アダージョ3」255小節)のオーボエのパートにもともとdesの4分音符があったことがうっすらと読み取れることからも窺えます。

それでは、各ボーゲンごとに詳しく見ていくことにしましょう。

【ボーゲン1〜7】1〜116小節「アダージョ3」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用。
これらの、7X4=24ページのスコアは、当初にコピイストが「アダージョ1」から筆写した五線紙がそのまま最後まで残されています。ですから、原則的に同じ音楽が聴かれます。しかし、細部にはおびただしい、削り取りや糊付けを含めた加筆修正の後が見られます。それらは第2段階から第6段階の全ての段階にわたっての修正であり、個々の修正がどの時点で行われたかということを確定することは難しいでしょう。ただ、周辺状況から判断できるものもあります。たとえば、11小節のヴァイオリンに加えられた変更(ppからmfへの変更)は、「アダージョ2」の改訂の時にすでに修正されており、その後変えられていないので第2段階での修正ということに確定できます。これは「アダージョ2」の筆写譜(Mus.Hs.34.614)がmfであることが決め手となっています。ただ、同時にヴィオラとチェロにもppからpへの修正が加えられているのですが、「アダージョ2」には記入されていません。こちらは「アダージョ2」のコピイストが記入を漏らした可能性が大です。(もともとはppだったのですが、それすら記入されていないので)

一方、14小節の4本のホルンの2分音符の追加は「アダージョ2」にはないので、第4段階以降での修正ということになります。どの段階での修正かということは、第4段階での筆写譜が現れれば確定することになるでしょう。ちなみに、この追加にあたってブルックナーは強弱記号を書くことを忘れています(ことによると他人の追加かも知れませんが)。で、ノーヴァク版にも強弱記号がなかったのですが、1994年のボーンヘフトの見直しで(p)が印刷されました。しかし他の楽器とのバランスからして、もし追加するのなら(cresc.)も必要であると思われます。

このあたりでもっとも面白い事象は、45〜6小節に加えられたホルンのパッセージでしょう。これは「アダージョ2」では第1ホルンに充てられていたのですが、それが削り取られて、今度は第2ホルンが吹くように変えられました。音形も完全に変わっています。この箇所は2度書き換えられたことになります。

【ボーゲン8II】117〜134小節「アダージョ3」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用。
もともとのコピイストの筆写譜のボーゲン8I(A178)は取り除かれなくなってしまいました。そのかわり、新たに「アダージョ2」のためにブルックナーが作成したボーゲン8が挿入されました。もともと24小節あったこのボーゲンは20小節に縮小されたので(このカットはA178に、すでに見られるので、相当早い時期のものです)、4ページ目の最後の空白の4小節にはX印が入れられ、そのままボーゲン9へ行くように指示されています。ところが、このボーゲン8は「アダージョ3」で、さらに徹底的に修正が加えられています。バスの音形が変わり、ヴァイオリンなどは8分音符の連続になり全く雰囲気が変わってしまいました。それでもこれらは差し替えではなく、部分修正で行なわれたものなのです。このボーゲン8の4ページ目にはうっすらと鉛筆で移行句の第1案が記載されています。ブルックナーは結局この第1案をやめて、残っていた「アダージョ2」のための2小節にもX印を入れて削除しました。

【ボーゲン9III】135〜144小節「アダージョ3」.:JE & Co.No.8の五線紙を使用。
「アダージョ2」では、前ボーゲン最後のページの2小節から引き続いて、コピイストの筆写譜がそのまま残されました。ここにはヴァーグナー・テューバのパッセージと木管とハープのパッセージからなる10小節があったのですが、「アダージョ3」ではこれらはあっさりと全部削除されて、このボーゲンは取り除かれてしまいました。したがってこのボーゲン9Iは現在のところ行方不明です。これに替わってブルックナーが新しく書き加えたボーゲン9IIIは、これまでのB&H社の五線紙ではなく、JE社のものが使われています。10小節のカットの影響で中身はスカスカで、移行句の6小節とB2のチェロ主題の4小節しかありません。4ページ目は全く使用されず斜線が引かれています。
このボーゲン9IIIは、現行印刷譜上大きな問題が存在します。というのは、ハース版やノーヴァク版VIII/2では、「アダージョ3」の135〜7小節はMus,Hs,40.999のとおりには印刷されていないからです。両版では、ヴィオラとチェロは刻みのままですが、Mus,Hs,40.999では、この3小節間タイで音が結ばれているのです。また、ホルンにはfの指示がありません。さらに、2つ前の小節には sempre cresc.の指示を削り取った跡があります(「アダージョ2」では生きていた)。これらは初版と一致する変更ですので、後の変更と考えられます。ひょっとしたら、取り除かれた別のボーゲンが存在したのかも知れません。しかし、ハースやノーヴァクが、なぜ最終稿に一致させなかったのか、また、ボーンヘフトがこれをなぜ見過ごしたのか不思議です。初版ではさらに、木管のfをpに変更していますが、それは印刷段階での修正と考えられます。

【ボーゲン10】145〜164小節「アダージョ3」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用。
当初のコピイストの筆写譜がそのまま用いられていますが、細部は相当手が入れられています。4ページ目の最後の4小節は、「アダージョ2」ですでにカットされXで削除されています。

【ボーゲン11II】165〜184小節「アダージョ3」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用。
「アダージョ2」で差し替えられたボーゲンです。ここでも「アダージョ3」のための修正が加えられているため、「アダージョ2」そのままではありません。なお、「アダージョ3」の169小節からのクラリネットは当初はそれぞれが倍の長さがあったのですが、「アダージョ2」完成時にはすでに半分の長さに書き換えられています。

【ボーゲン11I】185〜186小節「アダージョ3」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用。
コピイストの筆写譜のボーゲン11Iは全部が捨てられたのではなく、半分に切られて後半だけは残されました。したがってボーゲン11は3フォリオ(6ページ)存在することになりました。切り取られたボーゲン11Iの前半(1〜2ページ)は、A178に含まれています。残された後半のうち3ページ目は全面Xで削除されていますが、「アダージョ1」の191〜200小節を全て読み取れます。4ページ目は主部三現の最初の2小節として最後まで生き残りました。なお、「アダージョ3」の184小節と185小節の間のフェルマータが、ハース版にも、ノーヴァク版のも欠けているのは、この原稿状態を反映したミスと考えられます。なぜなら、このフェルマータは既に「アダージョ2」で存在し、初版にも存在するわけですから、「アダージョ2」以降ずっとそのまま存在しているはずですから。

【ボーゲン12〜13】187〜202小節「アダージョ3」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用。
コピイストの筆写譜がそのまま最後まで使用されています。

【ボーゲン14】203〜208小節「アダージョ3」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用。
3ページ目(3小節)と4ページ目(3小節)は切り取られず、そのまま残っていますが、「アダージョ3」でXが付され削除されました。そして再度その上に定規で斜線が付されています。これは、ハースが彼の版で復活させた例の10小節の前半6小節に当たります。
ところが、内容はコピイストの筆写譜そのものではなく、ブルックナーが「アダージョ2」のために修正を加えた形になっています。たとえば、フルートが消され、ホルンが追加されています。また、ヴァイオリンの細かい音形にも修正が施されていますし、スラーが全部2重スラーに修正されています。ところが、この部分は34.614とは完全には一致しません。最初の小節の第1ヴァイオリンの音形からして違いますし、各部分の強弱記号が違います。このことが示すことは、一旦「アダージョ2」が完成して、筆写譜34.614が作られたあとも、しばらくはこの部分は削除されずに残され、ブルックナーはそこへ手を加えていたということです。

【ボーゲン15】209〜216小節(アダージョ3).:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用。
1ページ目全部(3小節)と2ページ目の最初の1小節、すなわち10小節の後半4小節は、前半6小節と同様Xで削除され、その上から定規で斜線が付されていますが、内容は「アダージョ1」そのままであり、この4小節のカットは「アダージョ2」改訂時になされたことが分かります。すなわち10小節は一度に全部カットされたのではなく、最初後半の4小節がカットされ、「アダージョ3」の改訂時に前半6小節がカットされたということになります。

【ボーゲン16〜17】243〜272小節「アダージョ1」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用。
30小節
コピイストによる「アダージョ1」の筆写譜ですが、「アダージョ2」改訂の際取り除かれたものでA178に含まれています。


【ボーゲン16II〜19I】229〜280小節「アダージョ2」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用(推定)。
36+16=52小節
ブルックナー自筆の挿入ボーゲン(クライマックスへの昂揚部分ー未発見のため不明だが3〜4ボーゲン)とコピイストによる当初から存在したボーゲン18Iおよびボーゲン19I前半(ハープと弦楽器のパルシファルの残影の部分)からなる「アダージョ2」のもっとも独自的部分であるが、「アダージョ3」の改訂の際取り除かれて現在行方不明です。


【ボーゲン16III〜19III】217〜254小節「アダージョ3」.:JE & Co.No.8の五線紙を使用。
30+8=38小節
「アダージョ3」のためにブルックナーが三度目に作成した4ボーゲン。
五線紙は、ボーゲン9と同じJE & Co.No.8の五線紙を使用、楽器指定の書き方がボーゲン9とは異なるので、同時期に書かれたものではないと推定されます。



【ボーゲン19I】255〜266小節「アダージョ3」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用。
前半は先の「アダージョ2」のためのボーゲンと同時期に切り取られてなくなっているため、後半のみ現存。残された部分の最初の小節には、「アダージョ1」のためのホルンソロの最後の音と、「アダージョ2」のためのオーボエソロの最後の音が削り取られた跡があるので、切り取られた前半は「アダージョ1」にも「アダージョ2」にも使われたことが推定されます。
このフォリオは、もともとの筆写譜ではボーゲン19Iの一部ですが、残された後半部分の最初のページにボーゲン20と書かれていますので、最終的に、40.999はボーゲン20が3フォリオ(6ページ)存在することになります。というのは、「アダージョ3」で付け加えられたボーゲンがすでに4つあり、ボーゲン19はその中に使われてしまっているからです。

【ボーゲン20】267〜291小節「アダージョ3」.:B & H Nr.14 Aの五線紙を使用。
このボーゲンも最初のコピイストの筆写譜がそのまま用いられており、「アダージョ2」のためや「アダージョ3」のための多くの修正の跡が存在します。



(注)Benjamin M.Korstvedt著『Bruckner Symphony No.8』(Cambridge Music Handbooks)P115からの引用。原資料は、Guenter Brosche”Quellen fuer kuenftige Forschungen”Studien zur Musikwissenschaft(1993)425〜6です。

2004.12.2 記
2005.12.11 一部修正




(1)「第四交響曲」の2つのハース版

 ハース版大好き人間の僕にとっても、ハース版とは謎の多いスコアであることには変わりません。ノーヴァクが改訂出版して以来、その異同箇所のハース版の由来が常々論議されてきました。というのは、資料に忠実なのは常にノーヴァク版の方であって、ハース版に見る相違箇所がどんな資料に基づいているか、彼の短い序文にはさっぱり説明がなされていないからです。中には『ハースが作曲した』とまで極論される箇所もあるようですが、膨大な量のこまごまとした相違の殆どは、『作曲』などという大それたものではなく、単なる資料の選択の相違か解釈の相違であることは、ほぼ間違いないでしょう。ここでは、最近私が入手した、1936年出版の「第四交響曲」の小型スコアをもとに、特に面白そうな話題である『ハースが1曲を2回出版した「第四」』について取り上げてみましょう。今回は壁男さんのご協力を得て、スコアを画像でも見ることが出来るようにしましたので、いちいちクリックするのはご面倒でしょうが、是非それを参照しながらお読みください。「第四」トリオ譜例集(作:壁男)

 第2次全集版であるノーヴァク版は、初出後すでに半世紀を経過していますが、第1次全集版であるハース版(初期のオーレル版も含めて)は、1930年から大戦終結の1945年までのたった十数年間しか主たる出版活動を行なっていません。その短い期間に「第三交響曲」を除く番号付きの交響曲全部と、その他のいくつかの作品が出版されたわけですが、それらの中には「第五交響曲」のように、ごく一部であとからの手書き修正が加えられたもの(スケルツォ258〜260)もあるとはいえ、同じ曲を2度出版したのは「第四」だけです。なぜかこの曲は、1936年に出版されたものを、一部手直しして1944年に再度出版されたのです。それは、スケルツォのトリオ2ページ分に関わる問題です。

 戦後のわれわれが見ることの出来たハース版は、ブライトコップの卵色表紙と濃緑色表紙の2回の出版、及び、ドーヴァーなどのコピー版を含めて、全て1944年に出版されたもののコピーでした。したがって、1936年に出版された、もともとの形がどんなものであったのかは謎であったわけです。ただ、分かっていたのはハース版のスケルツォのトリオは、なぜか練習記号(オーケストラの練習や楽譜索引の便のためにスコアのところどころに振ってあるアルファベット)の活字の形が、この曲の他の部分や他の曲と違っていることでした。ブルックナーは自筆譜にすでに練習記号を書き込んでおり、それに従って全ての印刷版には練習記号が印刷されているのですが、トリオにはA,B,Cと3つの練習記号が印刷されています。そして、それは「第七交響曲」や「ミサ曲第三番」の練習記号の活字と同じものなのでした。「第四」トリオ譜例集<譜例の下の(参考1)参照>
これらは1944年に出版されたので、同じ年に修正出版された「第四」も、その差し替え修正部分に同じ活字が用いられたことは想像に難くないことです。ただ、何故ハースが大戦末期に至って練習記号の活字を変更したのか、理由は定かではありません。このことは、ハース版だけではなく、ハースの原版を用いたノーヴァク版にも当てはまることですので、ノーヴァク版のコピー版である音友版だけしかお持ちでない方でも「第七」と他の交響曲とを比較することによってご確認いただけるでしょう。


 一方、ノーヴァク版IV/2(第2稿)のトリオは、最初のメロディーがフルートとクラリネットで吹かれるということで「第四」リオ譜例集<3>、ハース版との差異(ハース版ではオーボエとクラリネットがメロディーを吹く「第四」トリオ譜例集<2>)は従来から知られていました。ところが、なぜか練習記号の活字が他の部分と同じであることが奇妙だったのです。これはノーヴァクが新たに作成した原版をここに挿入したのではなく(その場合、全く別の練習記号の活字が使われています[例:[第四」の第1稿])、また、われわれの参照できるハース版を用いたものでもなく(その場合、トリオだけ違う活字になるはず)、別に存在するハースの原版を用いて修正を行なったことを予測させました。このように練習記号の活字の相違が重要な手がかりとなっていたのです。すなわち、トリオにおいては、ハース版とノーヴァク版の間に奇妙な逆転現象が生じているということになるのです。
こういった事例は「第二交響曲」にも生じています。アダージョの終結部やスケルツォの終結部の相違ページは、ノーヴァクにより新たに作られたものではなく、ハース版スコア本体には採用されなかったが、別に存在した印刷ページをノーヴァクが使用したものなのです。「第二」の場合はハースの編集報告に収録されている印刷譜を引用したのでしょう。


 さて、そこで、今回入手した1936年版のスコアと対照してみましょう。
確かに、ノーヴァク版はこの1936年版を原版として修正を加えたことが確認されました。ここでは、予測どおりフルートとクラリネットがメロディーを吹く、ノーヴァク版と同じものが印刷されていました「第四」トリオ譜例集<1>。ただ、相違はこれだけに留まらず、37小節目の木管楽器群に加えられたrit.<Aー3>および、練習記号Cのアウフタクトからの第2クラリネットの削除と最後の3小節のオーボエの追加が確認されました。ノーヴァク版をよく見ると、これらが活字ではなく手書きであとから書き込まれたことが分かります。特に練習記号Cからの第2クラリネットは非常に不自然に全休止符だけが並んでいます「第四」トリオ譜例集<譜例の下の(参考2)参照>。(参考2)の拡大譜例でも音符自体の手書きははっきりとは画像では見えませんが、玉が他と違って丸みを帯びたものとなっています。しかし、dimin.の文字は手書きであり、上下のものと違うことが画像でもお分かりいただけるでしょう。
結果、普段見ている1944年のハース版とは全く同じものに変えられているのです。それなら、1944年の方をノーヴァクが使えば、わざわざ手書きをしなくて済んだのに、と思ってしまいますが、多分ノーヴァクはこの曲全体を1936年の大型スコア(指揮者用)を原版としたため、1944年の版は使えなかったのでしょう。1944年版は小型スコアしか出版されなかったのかもしれません。
さらに面白いことに、もともとの1936年のハース版は、なぜか初版「第四」トリオ譜例集<4>とほぼおなじであったということです。ただ厳密には、初版とは第2クラリネットもオーボエも終わり方が異なっています。分かりやすいように表にして見ましょう。

版名 @ A B C
1936年ハース版 フルートとクラリネット rit.なし 第2クラリネットあり オーボエ途中で休止
1944年ハース版 オーボエとクラリネット rit.なし 第2クラリネットなし オーボエ最後まで吹く
ノーヴァク版IV/2 フルートとクラリネット rit.あり 第2クラリネットなし オーボエ最後まで吹く
1888年初版 フルートとクラリネット rit.あり 第2クラリネットあり オーボエ途中で休止


 それでは、ハースは、なぜ差し替え修正を行なったのでしょう。
金子建志氏の『ブルックナーの交響曲』p148にはトリオ冒頭の遺贈稿Mus.Hs.19.476の写真が載っており、フルートとクラリネットがメロディーを吹くようになっています「第四」トリオ譜例集。ですから1944年のハース版は遺贈稿と違うなにか別の資料があったのでしょう。また、もしノーヴァク版が遺贈稿どおりであったとすれば、もともとの1936年ハース版はBとCにおいて遺贈稿どおりではなかったことになります。そんな不思議なことがあるでしょうか?遺贈稿を中心にここら当たりがちゃんと解明される日を待ちたいと思います。

 ところで、ギュンター・ヴァントはハース信奉者でノーヴァク嫌いであったことはよく知られています。彼の「第四」の演奏は、それにもかかわらず、トリオでノーヴァク版を引用していると言われてきましたが、今回、1936年のスコアで聴き直してみると、Aの相違はほとんどrit.なしでやっており、BとCも聴き取りにくいですが1936年のハース版どおりのようようでした。彼は、ノーヴァクを引用したのではなく、この曲でも全てハース版を使っていたのであり、『ノーヴァク嫌いのノーヴァク版使用』というのは誤解であったことがはっきりしました。

2003,4,22記

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