《白鳥の湖》の原典を探る。(それは復元ではなく創造である。)


 バレエ音楽《白鳥の湖》といえば、チャイコフスキーの代表作の1つであることは言うまでも無いし、現代において上演される全てのバレエ演目の中で、もっとも観客を呼ぶことが出来、もっとも頻繁に上演されてきた作品であることも誰しもが認めるところである。そして、あの《白鳥の湖》のテーマはバレエやクラシック音楽に興味のない人たちの間でも、知らぬ人は誰もいないくらいよく知られた音楽である。ところが、全体像としての《白鳥の湖》というバレエ作品は、作曲されて以来百数十年、いまだかつて一度も作曲家が思い描いた通りにバレエとして上演されたことが無いという、現代の音楽演奏の常識からは、にわかには信じ難いような状況下に置かれており、そのギャップの大きさは、クラシック音楽を愛好する者にとって、まことに不思議な存在となっている。というのは、チャイコフスキーは音楽自体はきっちりと書き上げたが、それが何を表現するものなのか、台本としては非常に中途半端なものしか残していないのである。したがって、オリジナルの物語は誰も厳密には知らないのであるから、こういった資料的あいまいさを逆手にとって、自由な解釈の余地が残されていると理解され、多くの人々の努力によって、物語上、音楽上、振付上のさまざまなヴァリエーションが試みられる結果となった。このことがこの作品が永く愛されている活力の源の一つとなっているのは皮肉なことだが。

 さて、なぜ物語と音楽が乖離することになったのだろうか。いくつかの原因のうち、まず第一に挙げなければならないのは、作曲者側の原因、すなわちバレエ好きであったチャイコフスキー自身の、作曲家にはどうすることも出来ない舞踊の分野にまで踏みこんだ無謀なまでの理想の追求にあったことは疑いのないところだ。彼は、踊りを見せるための単なる口実に過ぎなかったそれまでのバレエ作品のずさんな筋立てに飽き足らず、もっと内容の濃い、深い含蓄を持った物語を、高度な作曲技法によって作られた音楽を中心とした幻想的なドラマに仕立て上げる、いわば『舞踊付交響詩』あるいは『交響的バレエ音楽』として《白鳥の湖》を構想したのであった。

 チャイコフスキーは若いころからバレエをこよなく愛しており、特にロマンティックバレエの頂点に位置し、現在でもよく上演されるアダンの《ジゼル》が特に好きであったと伝えられている。彼は大好きなバレエ作品を彼自身も作ってみたいと常々願っており、まず、《シンデレラ》というバレエ作品に1870年に着手したと伝えられているが、これは作曲途上で破棄されてしまったと見られ、全く痕跡は残されていない。また、1873年の劇付随音楽《雪娘》ではバレエ音楽が取り入れられており、これは現代でも上演されていてCDでも聴くことができる。《白鳥の湖》は、彼のバレエの完成第1作であるとはいえ、事前の試行錯誤は十分になされていたのだ。チャイコフスキーはロマンティックバレエの作曲法、特に調性関係や主題関連法を深く研究し、その成果を《白鳥の湖》のなかに充分取り入れた。また、当時の最新の音楽界の動きにも敏感であったチャイコフスキーは、ヴァーグナーがオペラを楽劇というような新しい形に発展させようとしたように、バレエの世界にもそういった改革を実現しようと、新たな方向性の追求を目論んでいたに違いない。それは単に従来から上演されてきた『幻想的バレエ』の焼き直しではなく、バレエという表現形態を媒体として、持てる作曲技術を存分に駆使しながら音楽で人間の根源性を追求するドラマ、すなわち『交響的バレエドラマ』として世に問おうとしたのではないだろうか。言い換えれば、『踊りの合間に劇をやる』のではなく、『音楽による無言劇の中に踊りを取り入れる』という、バレエ関係者に言わせると本末転倒的考え方であっただろうと推測される。このことは《白鳥の湖》のスコアを詳細に検討してみると、作品の隅々からひしひしと感じられる印象なのである。

しかしこのことは作曲家一人で成就するわけではなく、チャイコフスキーと同等の才能と想像力を持った構成作家、振付家、演出家の協力がぜひとも必要であったにも拘わらず、当時のルーティンな活動に終始していたバレエ関係者にはそのことがまったく理解されず、また、その能力も無かったため、彼らの方法に無理やり修正された上で上演されたのである。当時のバレエ関係者の立場から言えば、音楽は舞台装置や大道具・小道具あるいは舞台衣装と同様バレエ上演に欠くことのできない要素の1つであり、より立派である方が望ましいには違いないが、その役割を超えたものであっては困るのである。いくら立派な衣装であっても踊りに支障を来すデザインでは踊れないのと同様に、彼らが目指す舞踊世界を超えた音楽は、そのままでは到底受け入れられなかったのである。「過ぎたるは及ばざるが如し」というわけである。

 第二の理由は、当時の意欲的バレエ指導者が目指していたものは、筋書きや音楽の多様化、複雑化ではなく、舞踊そのものの完成すなわち、洗練された舞踊スタイルの確立と高度な様式化にあった。そもそもチャイコフスキーとは方向の違ったものを目指していたのである。すなわち《白鳥の湖》においては、チャイコフスキーと彼らの間は「同床異夢」の状態にあったのだ。より具体的に言うと、クラシック音楽の世界は古典派からロマン派へと展開する2つの時代にその最盛期を迎えるのであるが、バレエの世界では、逆にロマンティックバレエからクラシックバレエへ発展するのである。ロマンティックバレエとは、幻想的な夢幻的な物語を素材として、その中で踊りの場を設定してバレエを見せるものであり、様式化したマイム(身振り)による無言劇とさまざまな地域で踊られている多様なステップの踊りを発展させたものの組み合わせとして成り立っていた。また、クラシックバレエとは、踊りの部分をよりレヴェルアップし、パドドゥーを中心として体系化、高度化をはかり、定型化、形骸化したマイムの部分を踊りに直結したものとしてスリムにし、出来得るものは踊りに融合させ、全体を舞踊劇として完成度の高いものに変貌させたものを言う。その違いは、たとえば《白鳥の湖》第2幕の湖畔の場のNo.13《白鳥たちの踊り》が、プティパによってどのように組み替え変更がなされたかを比較してみることで一応の理解が得られよう(変更の詳細および意義については後ほど触れる)。

 もちろんこのチャイコフスキーの目指したこと、すなわちロマンティックバレエの音楽的、劇的な面での充実・完成は、当時のバレエ関係者がクラシックバレエの様式を完成させようと努力していたこととは、いささかその方向性が異なっていたのであるから、受け入れられるはずはない。そのためバレエ関係者からは、この作品は失敗と見なされ、そのままでは使い物にならないと断じられた。しかし一方で、その音楽の素晴らしさと、物語の着想のバレエとしての適合性については誰もが認めるところだったので、それを生かして《白鳥の湖》をクラシックバレエとして再構成しようとする動きはチャイコフスキー生前からあった。改作を求められたチャイコフスキーは、それに同意したにもかかわらず結局はその約束は果たされず、彼の死後、プティパ等によって本格的に作り変えられたのが、いわゆる【プティパ=イワノフ版】である。これがバレエの世界では唯一の原典として、その後のさまざまに変更を加えられた多彩な演出のおおもととなって現代に続いているのに対して、チャイコフスキー自身が創造した元の姿はバレエにはふさわしくないものとして、バレエ界ではほとんど無視されてきたのである。

 第三の理由としては、

 とはいえ、チャイコフスキーの原譜をそのまま上演しようという試みはロシアを中心として何度となく試みられてきたことも確かであり、それらの中でもっとも成功し、今日まで影響を及ぼしているものが1953年に発表された【ブルメイステル版】である。ブルメイステルは、チャイコフスキーのスコアの曲順にほぼ即した形で全く新しくバレエを組み立てたのであるが、細かい筋立ては別として彼は決定的ミスを2つ犯した。そのひとつは第3幕にパドドゥーを導入したこと。今ひとつは、当時の政治状況にも影響されてのことだが、全曲の結末をハッピーエンドにしたことである。この【ブルメイステル版】は、初演の当初は一定の評価を得たが、《白鳥の湖》演出の主流とはなり得ず、ブルメイステルの死後、その意図は弱められ、どんどん変形され、短縮されて一部で命脈を保っているに過ぎないのが現状である。ただ単に音楽だけを作曲された順番に並べても、チャイコフスキーの意図したとおりの『幻想的ドラマ』にはなり得なかったということがその原因であろう。
 
 ここでは、チャイコフスキーが作った音楽のみから、彼がどのような物語を描こうとしたのかを追求していきたい。そのためには、まずは何はともあれ当時の台本に直接当たってみることから始めなければならない。




1.《白鳥の湖》の台本

 台本に関する初期資料は3つ存在する。
@自筆スコアに書かれたト書きなど:黒色、(赤色=ユルゲンソン版にはないが全集版には存在するト書きなど)
A初演時に公開された台本:緑色=@にない、あるいは@に符合しないト書き
B蘇演時に弟のモデストによって書かれた台本:青色=@Aにない、あるいは@Aに符合しないト書き
三者三様それぞれに問題が存在するが、以下一覧表でそれらの内容をくわしく比較してみよう。スコアへの書き込みについては、ほとんどが各ナンバーの冒頭に記載されているので問題ないが、ABの台本は一連の文章として書かれているので、私が妥当なナンバーのところへ振り分けた。なお、2つの出版譜以外に『永遠の「白鳥の湖」』森田稔著新書館(今後、引用の場合は【森田】と省略させていただく)、『白鳥の湖の美学』小倉重夫著春秋社および『チャイコフスキーのバレエ音楽』小倉重夫著共同通信社(引用の場合は【小倉】または【小倉白】【小倉チ】と省略させていただく)ならびにネット上のホームページ『バレトマニア』鈴木晶著http://www.shosbar.com/balletomania/balletomania.html(引用の場合は【鈴木】と省略させていただく)を参考資料として使わせていただいた。各著者の方々にお礼申し上げます。

[第1幕]

曲番 自筆スコアへの書き込み 初演台本1876年 初版スコアのモデストの台本1896年
4幕の大バレエ、作品20
《導入》
. 4幕の幻想的バレエ
 1
第1幕:
舞台は、背景に城の見える
豪華な庭園の一部分。
小川には優雅な橋が
架かっている。
王子ジークフリートと彼の
友人たちがテーブルの周りに
座ってワインを飲んでいる。

《No.1.情景》

【17小節】幕が開く

【53小節】村人たちが王子を
祝いに現れる。
王子の家庭教師である
ヴォルフガングは、
ダンスで王子を陽気にして
くれるよう彼らに頼む。
村人たちは承知する。
王子はワインを振舞うよう
命ずる。
召使たちはその命令を
実行する。
婦人たちには、花とリボンが
配られる。
これは、ドイツでの出来事である。

第1幕の舞台は豪華な庭園で
奥にぼんやりと城が見える。
小川に優雅な小さい橋が架かっている。
舞台では、若き君主ジークフリート
王子が自分の成人を祝っている。

彼の友人たちがテーブルの周りに
座ってワインを飲んでいる。






王子をお祝いに来た村人たちと、
もちろん娘たちが、王子の家庭教師で、
ほろ酔い加減の老ヴォルフガングに
頼まれ踊る。


王子は踊っている男たちにワインを
ふるまい、ヴォルフガングは村の娘たち
の機嫌をとってリボンや花束を贈る。





面は、お伽噺の時代のドイツである。

第1幕:お城の前の壮麗な庭園。

<場面1>
王子ジークフリートの成人を一緒に
陽気にお祝いしようとして、ベンノや
王子の友人たちが彼を待っている。




ジークフリートがヴォルフガングを
従えて現れる。

祝宴が始まる。

村の若者たちや娘たちが王子を
お祝いにやってくる。



王子は、若者たちにはワインを
ふるまい、娘たちにはリボンを贈る
ように命じる。



すでにほろ酔い加減のヴォルフガング
は教え子の命令を遂行させるよう
手配する。
 2 《No.2.ワルツ》
(コールドバレエ)
踊りはますます賑やかになっていく。
村人たちの踊り。
 3 《No.3.情景》
1人の使者が走ってきて、
王子の母である王妃の到着を
知らせる。
召使たちはあたりを片付ける。
家庭教師はしらふの振りを
する。






【30小節】<ファンファーレ>
(王妃の登場。)
(彼女は息子の結婚について
話す。
etc.)

































【79小節】(王妃退場。)

【86小節】(王子は語る
「ああ、面倒の無い生活も
これで終わりだ」etc.)








【94小節】騎士ベンノは
王子を慰める。
みんなが腰を下ろして、
宴は再開する。



1人の使者が走ってきて、
王子の母である王妃の到着を
知らせる。
この知らせが遊びを遮り、踊りは中止
されて、村人たちは奥へ退く。

召使たちは急いでテーブルを片付け
たり、酒瓶を隠したりする。
もったいぶった家庭教師は、自分が
生徒に悪い見本を示しているのに
気づいて、役目にふさわしい
しらふの
振りをしようと努める。

そこにとうとう王妃が侍従たちを
引きつれ
登場する。
客人たちや村人たちはこぞって
恭しく跪く。
若き王子が王妃を出迎え、その
後ろには酔っ払って足元のおぼつかない
家庭教師が続く。

王妃は息子がびっくりしているのを見て、
彼女が来たのは遊びを止めさせたり
邪魔をしようとするためではなく、
彼の成人の日が、彼の結婚について
話し合うのに最もふさわしいからである
と、説明する。王妃は続ける。
「私は、もう年です。だから私の目の黒い
うちに結婚してもらいたいのです。
お前が結婚して、この由緒ある家系の
名を汚さないことを見届けてから
死にたいのです。」

まだ結婚のことなど考えたことも無い
王子は、母の話に戸惑うが、すぐに
従う覚悟をして、誰を彼の生涯の伴侶に
選んだかを、恭しく母に尋ねる。

「私はお前に自分で選んでほしいので、
まだ誰と決めたわけではありません。」
と母は答える。「明日、私のところで
大きな舞踏会を催します。そこに貴族達
が娘を連れて集まります。その中から
お前は気に入った娘を選ばなければ
なりません。その人がお前の妻となり
ます。

ジークフリートは、事態が最悪ではない
ことを知って、「母上、私は決してお言葉
に背いたりはしません。」と答える。

「言うべきことはそれだけです。」と王妃
は言う。「では、私は帰ります。気兼ね
なしに思いきり楽しみなさい。」


彼女が去ると、友人たちが王子を取り
囲む。王子はみんなにこの悲しい知らせ
を打ち明ける。

「楽しかった時もこれで終わりだ。
自由の時よ、さらば。」

騎士ベンノは
「それはまだ先のこと。
将来のことは放っておいて、まだある
現在を楽しみましょう!」と、
王子を
慰める。

大宴会が再開する。
村人たちは、集団
になったり、ひとり一人になったして踊る。
<場面2>
王子の御守役たちが走りこんできて、

母の王妃がお見えになると知らせる。
この知らせは、みんなの陽気な気分を
断ち切る。踊りは止み、
召使たちは
急いで机を片付け、宴の痕跡を隠す。
若者たちもヴォルフガングも酔ってない
振りをする。






お付の者に先導されて
王妃がやってくる。
ジークフリートは母を出迎え、
恭しく挨拶する。
彼女は、彼が自分を騙そうとしている
と言って優しく叱る。なぜなら、彼女は
彼が宴の最中であるのに、それを
隠そうとしていることを知っているから
である
。そして、来た訳を話す。
それは、彼が友人たちと楽しんでいる
ことを邪魔するためではなく、明日が
彼の子供の時代の最後の日であり、
婚約者を選ばなければならないことを
思い起こさせるためである。「誰が
婚約者になるのですか?」という彼の
問いに対して、王妃は答える。
「それは明日の舞踏会でわかります。
そこには、私の娘として、またお前の
妻としてふさわしい質を備えた若い娘
がすべて招待されています!
その中から、お前が一番気に入った
娘を選ぶのです」


















中断した宴の再開を許して、王妃は
遠ざかる。

<場面3>
王子は、物思いにふける。彼は自由な
子供の時代が終わることが悲しい。
ベンノは「明日のことをくよくよして、
今の喜びを台無しにしないように」と
彼に忠言する。
ジークフリートは宴を続けるよう命じる。
宴や踊りが再開する。


 4 《No.4.パドトロア》 . .
 5 《No.5.パドドゥ》
<ワルツではあるが速くなく、
モデラートのようなテンポで>
.
.
 6 《No.6.パダクシオン》
(酔った家庭教師が踊る。
彼の下手な踊りがみんなの
笑いを呼ぶ)



【43小節】(家庭教師は廻る)



【50小節】そして、倒れる!


神妙にしていたヴォルフガングも、
さらに杯を重ね、踊りに加わるが、
もちろんあまりにも滑稽に踊るので、
みんなは腹を抱えて笑う。

踊り終えると、ヴォルフガングは村の
娘たちを口説き始めるが、娘たちは
笑いながら逃げ回る。彼は特に
お気に入りの娘に、恋心をうちあけ
キスしようとするが、娘は巧みにそれを
かわすので、バレエではよくあるように、
彼は間違えて彼女の恋人にキスして
しまう。あっけにとられるヴォルフガング。
並居る者たち一同の笑い。

へべれけに酔ったヴォルフガングが
踊りに加わって
みんなの笑いの種をつくる。
 7 《No.7.シュジェ》
(暗くなり始める。
客人の一人が、最後のダンス
として、杯を手に持った踊りを
提案する)
だが、夜の訪れはもうすぐ。あたりは
暗くなってくる。
客人の一人が杯を持った踊りを提案
する。
一同は喜んでこの提案を実行する。
<場面4>
夕暮れが近づく。もう一度踊る。これが
最後であり別れの踊り。これで解散
となる。
 8 《No.8.杯の踊り》
<ポロネーズのテンポ>
. 杯を打ち当てる踊り。
 9 《No.9.フィナーレ》

主人公。
空に一団の白鳥の群れが
現れる。etc.)










遠くの空に白鳥の群れが見える。
「でも、白鳥を見つけるのは難しい
だろうなあ。」と、ベンノは白鳥を
指差しながら、王子をそそのかす。
「そんなことは無い。きっと見つけて
やる。銃を取ってくれ。」と、王子
は答える。
「そんなものはいらないでしょう。」
と、ヴォルフガングはいさめる。
「行ってはなりません。もうお休み
になる時間です。」
王子は、なるほどもう寝る時間だと
納得した振りをする。だが、老人が
安心して立ち去るや否や、召使い
に銃を持ってこさせ、ベンノとともに
白鳥が飛んでいった方向へ、急いで
追いかけていく。
<場面5>
白鳥の群れが空を横切る。
若者たちの気持ちは、休もうなどという
考えからはほど遠い。白鳥の姿は、
今日一日の最後を狩で終わらせよう
というアイデアを彼らに思いつかせる。
ベンノは白鳥たちが夜にはどこへ
飛んでいくかを知っている。
酔いつぶれたヴォルフガングの姿を
残して
、ジークフリートと友人たちは
白鳥を探しに出かける。


[第2幕]

曲番 自筆スコアへの書き込み 初演台本1876年 初版スコアのモデストの台本1896年
10 第2幕:
《No.10.情景》
<本来は《間奏曲》>


【13小節】
(白鳥たちが湖の上をを泳ぐ。)


四方を森に囲まれた、山中の荒れ果てた
場所。舞台奥に湖があり、その岸辺、
客席から向かって右手に、廃墟のように
半ば朽ち果てた小さな礼拝堂風の建物が
ある。夜。月明かり。


湖上には、白鳥たちの一群が雛鳥を
連れて
泳いでいる。群れは廃墟に向かう。
先頭には、冠をいただいた白鳥がいる。

山々に囲まれ、舞台奥に湖。
右手、湖畔に聖堂の廃墟。
月明かり。

<場面1>

湖には一群の白鳥が泳いでいる。
先頭には、冠をいただいた白鳥がいる。

11 《No.11.情景》
(王子の登場)

【17小節】
(王子は1羽の白鳥を
見つける)

【22小節】
(王子は撃とうとする)

【24小節】
(白鳥たちは消える)

【42小節】
(オデットの出現)

【48小節】
(若い娘は王子に言う。
「なぜ私を撃とうとするの
ですか?」etc.)

【100小節】
(オデットの物語)

【176小節】
(ふくろうの出現)

【223小節】
オデット「もし私が結婚したら
etc.」
舞台に、疲れ果てた、王子とベンノが
登場する。
ベンノが言う。「くたびれてもうこれ以上
歩けない。休もうか?」
「そうだな。」と、王子は答える。「城から
ずいぶん遠くまで来てしまったようだ。
ここで夜を明かす羽目になるかも
しれないな。」
「おや。見ろよ!」と、王子は湖を指差す。
「あそこに白鳥がいる。
早く銃をくれ!」
ベンノは彼に銃を手渡す。
王子が狙いを
定めるやいなや、白鳥たちの姿が消える

そのとき、廃墟の内部がこの世のものとは
思えぬ不思議な光で照らされる。
「逃げられた!残念・・・でも、見ろ、
あれは何だ。」王子はベンノに、光る廃墟
を指差す。
【不思議だ。この場所は魔法にかけられて
いるのに違いない。」と、ベンノは驚く。
「行って調べてみよう。」王子は答えて、
廃墟に向かう。
彼がそこに近づくと、階段に、白い衣服を
着て、宝石をちりばめた冠をかぶった娘
が現れる。娘は月光に照らされている。
ジークフリートとベンノは驚いて、廃墟から
後ずさる。
娘は悲しそうに頭を振りながら、
王子に尋ねる。「騎士さま、なぜ私を狙う
のですか?
私があなたに何をしたと
いうのですか。」
王子はしどろもどろに「私は思っても
みなかった・・・。まさか・・・。」と、答える。
娘は階段から降りて、静かに王子に歩み
寄り、彼の肩に手を置いて、「あなたが殺
そうとした白鳥は、実は私だったのです。」
と、責めるように言う。
「あなたが白鳥だって?!まさか!」
「いえ、そうなのです。聞いて下さい・・・。
私はオデットと申します。私の母は善良な
妖精です。彼女は父親の意思に反して、
ある高貴な騎士を心から熱烈に愛して

しまい、彼と結婚しました。しかし、彼は
彼女を破滅させてしまい、彼女は死にま
した。私の父は別の女性と結婚し、私の
ことを顧みなくなりました。私の継母は
魔法使いで、私をひどく憎み、ほとんど
殺してしまうところでした。しかし、私の
おじいさんが私を引き取ってくれました。
おじいさんは母をとても愛していて、彼女
のためにひどく涙を流し、その涙でこの
湖が出来たのです。彼は湖の一番深い
ところに引きこもり、私を世間から隠し
ました。最近では、彼は私を甘やかす
ようになって、完全に遊ぶ自由を与えて
くれています。だから昼間は、私は友達
と一緒に白鳥の姿になって、胸で風を
切って、殆ど天に届くまで高く飛び、夜は、
ここ、おじいさんのそばで遊び、踊るの
です。でも、継母は今でも、私と私の友達
までもそっとしてはくれません・・・・」
この瞬間にふくろうの鳴き声が響く。
「聴こえますか?」これが彼女の不吉な
声です。御覧なさい。あそこに彼女の姿
が見えます!」と、オデットは怖ろしげに
あたりを見回しながら言う。
廃墟の上に、目から光を放つ巨大な
ふくろうが姿を現す
「彼女はもうずっと前に私を破滅させて
いたはずですが、おじいさんが注意深く
彼女のあとを追いかけて、私を不幸に
させないのです。
もし私が結婚すれば、
魔法使いは私に害を与えることが
出来なく
なりますが、それまでは彼女の悪意から
私を守ってくれるのは、この冠だけなの
です。以上で全てです。私の話は長くは
ありません。」と、彼女は続ける。
「おお、美しい方、私を許してください。」
と、王子は跪きながら、あわてて言う。
<場面2>
ベンノが王子の従者数人と現れる。
白鳥を見て、彼らは射ようとするが、
泳ぎ去って群れの最後尾も見え
なくなる。
ベンノは仲間たちに白鳥が見つかった
ことを王子に知らせに行かせ、
彼ひとりが残る。
白鳥たちは、美しい娘に変身し、
ベンノを取り囲む。
ベンノは魔術的な出来事に驚き、彼女
たちの美しさになすすべをなくする。
仲間たちが戻り、王子があとに続く。
彼らの姿を見て、白鳥たちはたじろぐ。
若者たちは白鳥たちを射ようと構える。
王子もやって来て、矢を向ける。
しかしこのとき、廃墟が魔術的な光で
輝き、オデットが現れ、命乞いをする。


<場面3>
ジークフリートは彼女の美しさに衝撃を
受け、友人たちに射ないように
命ずる。
彼女は彼に感謝し、自分はオデットと
名乗る王女であり、彼女と彼女に
仕える娘たちは、悪い妖精の魔法に
かけられた哀れな犠牲者であって、
昼間は白鳥の姿を強いられ、夜の間
だけ、この廃墟のそばだけで、人間
の姿に戻ることが出来るのである、と
語る。
ふくろうの姿をした悪い妖精は彼女たち
を見張っている。
この恐ろしい魔法は、誰かが変わらぬ
愛で、彼女を生涯愛してくれるときまで
続く。
また、他の娘に愛を誓ったことの無い男
だけが、彼女の救済者となって、彼女
をもとの姿に戻すことができる。
ジークフリートは魅せられて、オデット
の話を聴く。
このとき、ふくろうが廃墟に飛んできて、
そこで悪い妖精の姿となって現れる。
彼は若い二人の会話をしっかり聴いて
から、引き上げる。

ジークフリートは、オデットが白鳥の姿
をしているときに彼女を殺していた
かも知れないとの考えで、恐怖に
捉えられる。彼は彼の弓を壊し、
怒りをもってそれを投げ捨てる。
オデットは若い王子を慰める。



12 《No.12.情景》
白鳥の一群の出現etc.

【58小節】
(
オデット「もういいからやめて。
彼は良い人です。」etc.)


【64小節】
(王子は銃を投げ捨てる)

【82小節】
オデット:「騎士さま、
気をお楽に。」etc.
廃墟の中から、白鳥の若い娘や子供たち
が列を成して走り出てくる。
皆が若い狩人
に非難の目を向けながら、彼が意味の無い
遊びのために、自分たちにとって誰よりも
大切な人を殺しかけたと言う。
王子とその友人は絶望的な気持ちになる。


「もういいからやめて。見てご覧。彼は良い
人です。」と、オデットは言う。
王子は自分の銃を取って、急いでそれを
壊して投げ捨て
、「誓います。これからは
どんな鳥にも私は手を上げません。」と、
言う。
騎士さま、お気をお楽にしてください。
私たちは全てを忘れます。だから、
私たちと
一緒に遊びましょう。」
<場面4>
オデットは、友人たちをこぞって
呼び寄せる。
彼女らは踊りを一所懸命踊ることに
よって王子を楽しませようとする。


13 《No.13.白鳥たちの踊り》

I.

II.(オデット・ソロ)

III.白鳥たちの踊り

IV.

V.パダクシオン
  (オデットと王子)


VI.(全員の踊り)

VII.コーダ
踊りが始まり、王子とベンノはそれに
加わる。
白鳥たちは、美しい群れを成したり、
ひとり一人で踊ったりする。
王子は、いつもオデットのそばにいる。
踊りの間に、彼は夢中になってオデットに
見ほれ、彼女に自分の愛を断らないように
懇願する(パダクシオン)。
オデットは、笑って彼を信じない。
「冷淡で、残酷なオデット!あなたは私を
信じない。」
「高貴な騎士さま、私は信じるのが怖い
のです。あなたの考えがあなたを裏切る
ことになるのが怖いのです。明日、
あなたの
おかあさまの祝宴で、あなたは多くの若く
美しい娘に会い、別の娘を好きになって、
私のことは忘れるでしょう。」
「おお、決してそのようなことは
ありません!
私の騎士としての名誉にかけて
誓います!」
「しかし、聞いて下さい。あなたに
隠しません
が、私はあなたを気に入りました。私も
あなたを愛しています。でも、
怖ろしい予感が
私を包んでいます。悪魔の姦計があなたに
何か試練を準備していて、私たちの幸福を
壊すような気がします。」
「私は全世界に戦いを挑みます!
私は全生涯をかけて、あなたひとりだけを
愛します。悪魔のどんな魔法も私の幸せを
破ることはありません。」
「分かりました。明日には私たちの運命が
決まるでしょう。あなたが二度と私に会う
ことがなくなるか、でなければ、私があなた
の足下に冠を置くか、
どちらかになるでしょう。
では、もう終わりにしましょう。
お別れの時間
です。朝焼けが始まっています。
さようなら。では明日!」

ジークフリートはますます王女オデット
の美しさに魅惑されて、彼女の救い手
となることを申し出る。彼はまだ誰とも
愛を誓ったことが無いので、彼女を
大ふくろうの魔法から救う資格がある。
彼は大ふくろうを殺して、オデットを
救うつもりである。
彼女はそれは不可能であると答える。
悪い妖精の死は、誰か無分別の人が、
オデットへの愛のために自分を犠牲
にするときにしか、やってこない。
ジークフリートにはその覚悟がある。
彼は、オデットのためなら喜んで彼の
命をささげるつもりだ。
王女は彼の愛を信じ、彼がまだ他の
娘に愛を誓ったことが無いことを信じる。
しかし、明日には彼の母の宮廷に大勢
の若い娘たちが集まり、彼はその中から
一人を妻に選ばなければならないことを
彼女は知っている。
ジークフリートは、彼女、つまりオデット
が舞踏会に現れたときだけ、婚約者
を決めると答える。
不幸な娘は、そのときには
白鳥の姿をして、お城のそばを飛ぶ
ことが出来るだけであるから、それは
不可能であると彼に言う。
王子は決して彼女を裏切らないと誓う。
オデットは、若者の愛に感動して、彼
の誓いを受け入れる。

しかし、悪い妖精が彼の誓いを別の娘
に向けるために、あらゆる手を使うで
あろうと、彼に思いを込めて警告する。
ジークフリートは、どのような魔法も
彼からオデットをさらっていくことは
出来ないと繰り返し約束する。
14 《No.14.情景》
(本来は《間奏曲》)
<No.10と全く同じ曲>
(オデットと白鳥たちは廃墟の
中に消える。etc.)
オデットとその友人たちは廃墟の中に身を
隠し、空には朝焼けが輝き、湖には白鳥の
群れが泳ぎだす。その上を、重そうに翼を
羽ばたかせながら、大きなふくろうが
飛んでいる。
<場面5>
日の出が始まる。
オデットは愛しい人に別れを告げ、
友人たちを従えて、廃墟に消える。
朝焼けの光がだんだん明るさを増す。
ふたたび、湖面に白鳥の泳ぐ姿が
現れる。
白鳥たちの上には、翼を重たげに
振っている大きなふくろうが見える。




[第3幕]

曲番 自筆スコアへの書き込み 初演台本1876年 初版スコアのモデストの台本1896年
15 第3幕:
《No.15》
【17小節】幕が上がる。
(老ヴォルフガングが召使たちに
指示を与えている。
招待者たちの入場)

【86小節】
(王子、王妃、侍従、近習、こびと
の入場。etc.)

王妃の城の豪華な広間。
老ヴォルフガングが召使たちに指示を
与えている。
式典長が客人たちを迎え、案内している。

伝令官が姿を見せて、王妃と若い王子の
到着を知らせ、二人が侍従、近習、こびと
たちを従えて入場する。
二人は、客人たちに愛想よく挨拶し、
自分たちに準備された高座につく。


豪華に飾られた広間。
すっかり祝宴の準備が整っている

<場面1>
ヴォルフガングが召使たちに
最後の指示を与えている。
式典長は、到着する招待者たちを
出迎え、案内する。

侍従たちを先立てて、母である王妃と
ジークフリートの入場。

16 《No.16.
コールドバレエとこびとの踊り》

(式典長は踊りの開始の合図を
する。)

【17小節】バッラビーレ


【17小節】トリオ
(こびとたち)が踊る

式典長は、王妃の合図を受けて、踊りの
開始を命ずる。

客人たちは男も女もさまざまなグループ
になり踊る。

こびとたちが踊る。
17 《No.17.情景 
招待者の登場とワルツ》

(ラッパの音が新しい招待者の
到着を告げる。式典長は彼ら
を出迎え、さらに彼らの名前を
王子に知らせる。
老齢の伯爵が妻と娘を連れて
入場する。彼らは高貴な人
たちに挨拶し、娘は騎士の
一人とワルツを踊る。)

【69小節】
(再びラッパが鳴り、招待者が
入場。老人は席へ案内され、
娘は騎士の一人にいざなわ
れてワルツを踊る。)

【120小節】
もう一度同じ場面の繰り返し


【148小節】
全員が踊る。

【184小節】
コールドバレエがそっくり全員
で踊る。

ラッパの音が新しい招待者の到着を
告げる。式典長は彼らを出迎え、
伝令官
は彼らの名前を王妃に知らせる。
老齢の伯爵が妻と娘を連れて入場する。
彼らは高貴な人たちに挨拶し、
娘は王妃に招かれて踊りに加わる。

再びラッパが鳴り、式典長と伝令官が、
もう一度自分たちの仕事を行なう。

招待者が入場。
老人たちを、式典長は、席へ案内し、
娘たちを、王妃が踊りに誘う。


そのような入場が幾組か続く。
花嫁候補とその両親たちの行列。
全体の踊り。
花嫁候補たちのワルツ。
18 《No.18情景》
(王妃は息子を脇によびよせ、
どの娘が彼に気に入ったかを
たずねる。etc.)

【64小節】
(ロートバルト男爵と
オディールの登場。)
(王子は、オディールがオデット
に似ているのに驚き、そのこと
をベンノに尋ねる。)
王妃は息子を脇によびよせ、どの娘が
彼に気に入ったかをたずねる。

王子は悲しげに答える。
「おかあさま、今のところ、どの方も私の
気には入りません。
王妃は、いまいましげに肩をそびやかし
ヴォルフガングをそばに呼び寄せて、
怒りを込めて、息子の言葉を伝える。
家庭教師は、なんとか教え子を説得
しようとする。

ラッパが鳴って
、フォン・ロートバルトが
娘のオディールを連れて広間に
登場する。
王子はオディールを見て、その美しさに
打たれる。彼女の顔が、彼に白鳥の
オデットを思い起こさせる。
彼は、友人のベンノを呼び寄せて、
尋ねる。「彼女はオデットにとてもよく
似ていると思わないか?
「私の目にはあまり・・・・あなたはずっと
オデットを見ていたでしょう。」と、ベンノ
は答える。
<場面2>
母の王妃は息子を脇によびよせ、
どの娘を彼がより気に入ったか、
をたずねる。
ジークフリートは、全員が魅力的だが、
彼が永遠の愛を誓うことの出来る者
は一人もいない、と答える。

<場面3>
ラッパが新しい招待者の到着を
知らせる。
フォン・ロートバルトとその娘
オディールが入場する。
ジークフリートはこの最後の候補者が
オデットに似ているのに驚き、
喜んで彼女を歓迎する。
オデットが白鳥の姿で窓辺に
現れ、愛する人に悪い妖精の魔術に
ついて警告したいと願う。
しかし、彼は新しい客の美しさに夢中
になっていて、彼女のほかには何も
聞こえず、何も見えない。

再び踊りが始まる。

19 No.19.パドシス . .
20 《No.20.ハンガリーの踊り
チャルダッシュ》
. .
21 《No.21.スペインの踊り》
(ボレロのテンポ)
. .
22 《No.22.ナポリの踊り》 . .
23 《No.23.マズルカ》
(ソリストとコールドバレエ)
. .
24 《No.24.情景》
(王妃は、オディールが息子の
気に入ったのに喜んで、
そのことについて
ヴォルフガングに尋ねる。)

【25小節】
(王子はオディールに、いっしょに
ワルツを踊ってくれるよう誘う)

【64小節】
(王子はオディールの手にキス
をする。)

【68小節】
(王妃とロートバルトは、舞台の
中央に出る。)

【75小節】
(王妃は言う。「オディールは王子
の婚約者にならなければ
ならない。」)

【80小節】
(ロートバルトは、厳粛に娘の手
を取り、王子に引き渡す。)

【101小節】
(舞台は突然暗くなる。etc.)
王子はしばらくオディールの踊りに
見惚れたあと、自分も踊りに加わる。

王妃はとても喜んで、ヴォルフガングを
呼び寄せ、「このお客が息子の気に
入った様だが?」と伝える。
「そのようです。少しお待ちください。
王子さまは石ではありません。彼はすぐに
身も心もなく惚れ込んでしまいますよ。」
と、ヴォルフガングは答える。

その間も踊りは続いている。
その中で、王子はオディールがとても
気に入った素振りを見せ、オディールは
魅力的に彼の気を引く様子をする。


王子は夢中になって、オディールの手に
キスする。

王妃とロートバルトは、自分の席を立って
踊っている人々の中央に出る。

「息子よ。手にキスするのは婚約者に
対してだけです。」
と、王妃は言う。
「お母さま、わたしはそのつもりです!」
「彼女のお父さまが何と言われるか?」
と、王妃は言う。


ロートバルトは、厳粛に娘の手
を取り、王子に引き渡す。

舞台は突然暗くなる。ふくろうの叫び声が
聞こえて、ロートバルトの体から衣服が
落ち、悪魔の姿に変わる。
オディールは大声で笑う。
窓が音を立てて開き、そこに頭に冠を
頂いた白鳥の姿が見える。
王子は驚いて、自分の新しい婚約者の
手を振り捨て、胸をかきむしりながら、
城から走り出ていく。
<場面4>
ジークフリートの選択が行なわれる。
オディールとオデットが同一人物である
と確信して、彼は彼女を自分の婚約者
に選ぶ。
フォン・ロートバルトは勝ち誇って、
自分の娘の手をとり、それを若い王子
に手渡す。
彼は、会衆全員の前で、
永遠の愛の誓いを口にする。
その瞬間に真っ暗になり、
野卑な笑い声が聞こえる。
オディールはふくろうに姿を変えて、
叫び声をあげて窓の方へ飛んでいく。

その窓に、絶望して両手をよじり
上げるオデットの姿が見える。
皆が驚愕している。
狂乱した王子は、オデットを見ながら、
彼が策略の犠牲者であることを理解
する。絶望的衝撃を受けた
王子は走り去る。
大混乱。








[第4幕]

曲番 自筆スコアへの書き込み 初演台本1876年 初版スコアのモデストの台本1896年
25 第4幕:
《No.25.間奏曲》
26 《No.26.情景》

【13小節】(幕が上がる)
(オデットの友人たちは、
オデットがどこへ行って
しまったのか分からない。)
第2幕と同じ装置。
夜。

オデットの友人たちが彼女の帰りを
待っている。

彼女らの幾人かは、オデットがどこへ
行ってしまったのか、不審に思っている。
彼女がいないので、みんなが悲しい。
白鳥の湖のそばの、人気の無い場所。
奥に、魔法にかけられた聖堂の廃墟。
湖の岸は崖になっている。
夜。

<場面1>
娘の姿をした白鳥たちが、愛する女王
オデットの帰りをどきどきしながら
待っている。

27 《No.27.小さな白鳥たちの
踊り》
(白鳥の娘たちが、子供たちに
踊りを教えている)
彼女らは、自ら気を紛らわせようとして、
自分たちでも踊り、若い白鳥たちにも
踊らせている。
不安を鎮め、寂しさを紛らわせるため、
彼女らは踊って気晴らししようとしている。
28 《No.28.情景》
(オデットが走ってきて、友人
たちに悲しい結果を知らせる。)















【33小節】
(「ほら、ご覧。彼がやって来る。」
友人たちがオデットに言う。etc.)










【52小節】
(場面は暗くなり、嵐が始まり、
雷鳴がとどろく。)

しかしそのとき、オデットが舞台に
走りこんで来る。
彼女の髪の毛は冠の下から肩へ乱れて
広がり、彼女は泣いて絶望している。
友人たちが彼女を取り囲み、何があった
のか尋ねている。
「彼は誓いを守りませんでした。彼は
試練を乗り越えることが出来なかった
のです!」と、オデットは言う。
友人たちは怒って、彼女にもうこれ以上
裏切り者のことは考えないようにと
なだめている。
「でも、私は彼を愛しています!」
と、オデットは悲しげに言う。

「可哀想な人、可哀想な人!
早く飛んでいきましょう。
ほら、彼が来ます。」
「彼が?!」と、オデットは驚いて言い、
廃墟に向かって走る。
しかし立ち止まって「私は最後にもう一度
彼に会いたい。」と言う。
「でも、それでは自分を破滅させてしま
います!」
「おお、いいえ!私は用心します。
姉妹たちよ、あちらへ行って、
私を待ってください。」
みんなが廃墟に消える。

雷が聞こえる・・・・
最初は途切れ途切れの雷鳴であるが、
まもなくどんどん近づいてくる。
舞台は押し寄せてきた黒雲で暗くなり、
そこに稲光がきらめく。
湖が波立ち始める。
<場面2>
オデットが走りこんでくる。
白鳥たちは喜んで彼女を迎えるが、
ジークフリートの不本意な裏切りを知って、
絶望にとらわれる。
全ては終わった。
悪い妖精は勝利し、
哀れなオデットに救いは無い。
彼女は、悪い妖精の邪悪な束縛に常に
耐え忍ばなければならないという行く末
を自覚した。
ジークフリートなしに生きるよりも、
まだ娘の姿をしているうちに、湖の波
の中で死んだ方がましである。
彼女は皆に別れを告げる。

嵐が始まり、彼女らの支配者が近づいて
いることを知らせる。

29 《No.29.最後の情景》
(王子が走って入ってくる。)

【27小節】
(「おお、私を許して。」
王子は言う。etc.
最後の場面。)



















【89小節】
(オデットは王子の腕に倒れる)







【191小節】
(湖面に白鳥たちが現れる。)

<もし機械仕掛けの白鳥の操作
に時間が不足する場合は、
セーニョとセーニョの間【189
〜212小節】を繰り返して演奏
しても良い。>
舞台に、王子が走って入ってくる。

「オデット・・・ ここにいたのか!」と、
彼は言って、彼女のそばに走り寄る。

「愛しいオデットよ、どうか私を許して
ください!」
「私の力ではあなたを許すことは
出来ません。全てが終わりました。
お会いするのはこれが最後です!」
王子は激しく彼女に懇願するが、
オデットは毅然としている。
彼女はこわごわと波立つ湖を見渡し、
王子の腕を振り解いて、廃墟へと走る。
王子は彼女に追いついて、その手を
つかんで、絶望して言う。
「そんなことはない、いやだ!
おまえが望もうと望むまいと、
おまえは永遠に私と一緒だ!」
彼は急いで彼女の頭から冠をとり、
もう岸から溢れ出ようとして荒れ狂う
湖へ、それを投げ捨てる。
頭上のふくろうが、王子の投げ捨てた
オデットの冠を爪で掴んで、
叫び声をあげて飛びすぎる。
「なんということを、なさるのですか!
あなたはご自分も、私も破滅させて
しまいました。私は死んでいきます。」
と、
オデットは言って、王子の腕の中に
倒れる。

雷鳴のとどろきと波の騒音を通して、
白鳥の悲しい最後の歌が聞こえる。
波が次々と王子とオデットに押し寄せて
やがて彼らは水の中に隠れる。
雷雨が静まり、遠くにだんだんと弱まる
雷鳴のとどろきが聞こえる。

月が散り行く雲間からその青白い光を
差し込み、静まっていく
湖に白鳥たち
の群れが姿を現す。
<場面3>
オデットは崖の上から湖へ身を投げよう
としている。

そのとき、ジークフリートが現れる。
彼は許しを乞う。
オデットは彼に最後の別れを告げずには、
命を捨てることが出来ない。
彼女は彼を許す。
しかし、悪い妖精は彼女に一人で生きる
よう宣告して勝ち誇り、彼女は死を選ぼう
としているのであるから、この許しは
無意味である。
ジークフリートは別れに耐えることが
出来ない。
彼もまた、オデットへの愛のために死に、
悪い妖精に復讐して、彼を破滅させようと
している。
オデットは、最後にジークフリート
を抱きしめ、湖に身を投げる。

<場面4>
大ふくろうの姿をした悪い妖精が
飛んでくる。
ジークフリートは自らを刺し、
大ふくろうは死んで落下する。
湖が消えてなくなる。


<アポテオーズ>
水底の世界である。
ニンフや水の精たちがオデットとその
愛する人を出迎え、彼らを永遠の幸福
と法悦の聖堂へと導く。


 @自筆スコアへの書き込み
自筆譜へのト書きなどの書き込みは、ほぼ忠実に2つの出版譜、【ユルゲンソン版】(1895年)および【全集版】(1953年)に反映している。
これがチャイコフスキーの意図した物語に最も近いことは疑いの無いところだが、いくつか問題も存在する。
第一に、【ユルゲンソン版】と【全集版】では一部内容が違うこと。すなわち、【ユルゲンソン版】にない書き込みが【全集版】には少なからず存在することである(表では、それらを赤字で示した)。これらは全て 【ユルゲンソン版】の不注意による欠落だろうか?もちろん、一部はユルゲンソン版の見落としと見なせるが、全てがそうであるとは全く思えない。たとえばNo.13《白鳥たちの踊り》の各曲に付けられた踊り手の指定(II.(オデット・ソロ)、III.白鳥たちの踊り、V.パダクシオン (オデットと王子)、VI.(全員の踊り))は【ユルゲンソン版】には全て欠落している。こんな重大で連発するミスは普通常識では有り得ないことから考えて、これらの 【全集版】での表記は、チャイコフスキーが書いたものではなく(すなわち【ユルゲンソン版】出版の時点では存在せず)、彼の死後誰かが追加書き込みしたものが 【全集版】に反映していると考える方が自然だろう。とにかく、チャイコフスキーが作曲途上で書きこんだものと、その後のチャイコフスキー自身または他人が書き込んだものとは厳密に区別されなければならないが、現行の2つの版だけでは判断できないものもある。もちろんそういったことを解説したものは皆無であり、【全集版】の注解はロシア語でありかつまた不十分であるので、さらなる精密な自筆譜の研究が待たれるところである。
第二に、2つの台本に比べて極端に情報量が少ないということ。それの大部分はetc.と記してその後を省略していることに起因する。etc.以下を安易に初演時の台本やモデストの台本で補填してよいものかどうかということは熟考を要する。というのは、面倒くさいから、あるいはスペースがないからという単純な理由ではなく、初演の台本と趣旨が違うのでチャイコフスキーは争いを避けるため、あえて書かなかったのでは?という可能性を完全には否定することは出来ないからである。
第三に、No.4,No.5,No.19すなわち、《パドトロア》《パドドゥ》《パドシス》には全くト書きが書かれていないこと(No.13《白鳥たちの踊り》にも殆ど無い)。もちろん諸国の踊りやワルツのようなディヴェルティスマンやコールドバレエに筋書きは不要だとはいえ、この3つのパは音楽を聴くに付け、何らかの物語をその音楽の中で表現しているとしか思えない。表面上のディヴェルティスマンの体裁にかこつけて、チャイコフスキーはト書きを省略してしまったのではないかと考えざるを得ない。
第二、第三の仮説は非常に奇妙なもののように思えるが、チャイコフスキーは、何らかの理由で、自筆稿上での物語に関する自己主張を避ける必要を感じたのではないだろうか。これは音楽を聴くにつけ痛切に感じることである。

A初演時に公開された台本(1876年10月19日付の「演劇新聞」で発表、1877年2月20日のモスクワ初演時に使用)
この台本を誰が書いたかのについては、はっきりしたことは分からないが、バレエの作曲をチャイコフスキーに依頼したモスクワの劇場管理部長であったウラディーミル・ベギチェフ(1828〜91)と推測されている。もちろん彼一人で作り上げたのではなく、当初振り付けを担当したヴァシリー・ゲルツァー(彼が病に倒れたあとライジンガーが振り付けを引き継いだ)も、振り付け者としての立場から制作に関与したと言われている。また、1877年2月20日の初演以降の公演のために新聞発表と同じものが1200部発行された。ただ、大きな問題はこの台本の原作が何であるかという点であろう。《眠りの森の美女》や《くるみ割り人形》では、はっきりした原作が存在し、それに基づいて台本が作成された。そこからプティパが書き留めた詳細な作曲指示書にしたがってチャイコフスキーは作曲したわけだが、《白鳥の湖》では原作そのものは知られていない。民話を基にした子供のための絵本などからチャイコフスキー自身が着想を得たという説が有力ではあるが、それは推測の域を出ない。
表では、自筆スコアへの書き込みとほぼ同じ記述は黒で、それと異なる記述はピンクで、etc.などで自筆スコアに述べられていない部分はで表記されている。

Bモデスト・チャイコフスキーが書いた台本
プティパは、チャイコフスキーの生前から、《白鳥の湖》を改訂してサンクト・ペテルブルクで再演することを目指していた。そのための台本の改訂はチャイコフスキーの弟モデスト・チャイコフスキーに依頼された。モデストは脚本作成の実績もあるし、以前に《白鳥の湖》にかかわったことがあるからであろう。この改訂台本の着手が、チャイコフスキーの生前なのか死後の事であるのかは不明であるが、2種の形態で現在に伝わっている。1つは1894年9月26日付で劇場管理委員会に提出された手書きの台本で、1895年1月15日にサンクト・ペテルブルクで行なわれた改訂初演のときに出版されたもの(鈴木氏訳参照)であり、もう1つは1895年10月4日付検閲通過、翌1896年に出版された【ユルゲンソン版】に露仏対訳で掲載されたものである(上記拙訳)。両者の物語はほぼ同一であり(違いは訳し方の相違による)、わずかに第3幕の最後と第4幕に省略と変更がみられるだけだが、大きく相違するのは、改訂初演時に出版されたものは3幕4場(第1幕と第2幕を合わせて、それぞれ第1幕第1場、第1幕第2場としたため)に変えられているのに対して、【ユルゲンソン版】では4幕のままであるということである。スコアの出版時、すでに変更されていた台本をなぜ元に戻したのだろうか?もっともはっきりした理由は、チャイコフスキー自身のスコアが4幕であったからそれに合わそうとしたからであろうが、モデストやユルゲンソンがプティパの行きすぎた改訂を快く思っていなかったという推測も成り立つのではないだろうか。さらには、スコア自体が1876年のままであることから、本来は初演の台本が用いられてしかるべきなのに、あえてモデストの台本を採用したのは、初演の台本にはベギチェフやゲルツァーのアイデアが多く紛れ込んだものであって、すでにチャイコフスキーの音楽とはかけ離れたものになってしまっていたからと考えることが出来るのではないだろうか。

モデストの台本では、各幕がいくつかの<場面>(Scene)で分けられているが、これはチャイコフスキーがかなりのナンバーに表題として用いた《情景》(Scene)と同じ言葉である。それを私があえて訳語を変えて表示したのは、その付け方の方法と意図が全く異なるからである。小倉氏と鈴木氏の訳はかなり自由な意訳が含まれるが、森田氏の訳はスコアのロシア語編に忠実である。私の訳は、出来るだけスコアのフランス語編に忠実になるよう心がけて訳出した。なぜならフランス語の方がロシア語より、より正しい意図で書かれているように思えるからである。四者の違いを一例としてあげておこう。
(第4幕の<場面1>から)
<フランス語>拙訳:娘の姿をした白鳥たちが、愛する女王オデットの帰りをどきどきしながら待っている。不安を鎮め、寂しさを紛らわせるため、彼女らは踊って気晴らししようとしている。
<ロシア語>森田氏訳:娘の姿をした白鳥たちがオデットの帰りを待っている。不安と寂しさを紛らわせるために、彼女らは踊って気晴らしをしようとしている。
小倉氏訳:白鳥の娘たちがオデットの帰りを不安げに待ち、やがて、彼らは踊りの中に気晴らしを求める。
鈴木氏訳:娘の姿に戻った白鳥たちが心配そうにオデットの帰りを待っている。不安で落ち着かないので、時間つぶしに、踊りを踊って気を紛らそうとする。

なお、モデストの台本では、各幕は<場面>により細分されているが、鈴木氏の訳では、第1幕第1場に限って<場面>(鈴木氏訳では<景>)表示が欠落している。なぜだろうか?


*コラム《白鳥の湖》こぼれ話
(1)《白鳥の湖》の初演は大失敗だったと言われているが?
<答>本当に大失敗なら、一回こっきりか、あるいは当初予定されていた回数の上演だけで繰り返し上演などあるはずはないのだが、実際は1877年2月20日の初演から1883年1月2日の最後の上演まで、約6年間で41回(数え方により32回、39回という説もある)も上演されているのである。そして上演が打ち切られた理由は、度重なる上演により装置や衣装が摩耗してしまったということと、当時の政策により経費が削減されダンサーが半減したため上演不能になったことによる(【森田】p131&p138)。ということは大失敗などではなく、大成功とは言わないまでも、そこそこの評判でレパートリーとして定着していたというのが実態だろう。

(2)プティパ=イワノフ版の改訂初演は大成功だったと言われているが?
<答>この上演が大きな評判を取ったことは間違いない確かなことだが、しかしそれは《眠りの森の美女》のときの大成功ほどではなかった。1895年1月15日の初舞台から1896年の11月14日までの約1年半で16回繰り返され、その後数年は上演回数がごく少なくなったようだ(【森田】p283)。物語の内容が暗く、一般観衆に理解されるまでにはかなりの時間を要したからだろう。では、なぜ現在、初演は大失敗で改訂上演は大成功であったと認識されているのか?それは、初演の舞踊譜が現存せず、内容のほとんどが忘れ去られてしまっていることとともに、当然のことながら、改訂上演の関係者たちは、彼らの業績をより大きく印象付けるために、初演は失敗であったことを折に触れ述べてきたし、後世の人たちは、話を面白くするために、並みの評判を大失敗に、そこそこの成功を大成功にと、より大げさに表現してきたことの積み重ねが現在の一般的評価につながっているものと思われる。したがって本稿では、プティパの「改訂上演」のことを、一般に述べられている「蘇演」とは表現しない。そして《白鳥の湖》が一般に名作として受け入れられるためには、膨大な時間の経過と関係者の努力があったことを見逃してはならない。

(3)三大バレエのうちで最高傑作は?
<答>チャイコフスキーの三大バレエは、《白鳥の湖》は《第4交響曲》、《眠りの森の美女》は《第5交響曲》、《くるみ割り人形》は《第6交響曲》にそれぞれ対応しているとよく言われるが、交響曲においては明らかに《第六交響曲》が最高傑作であることは疑いのないことなので、それから類推すると姉妹作の《くるみ割り人形》が最高傑作と考えてもよさそうだ。実際のところ、作曲技術的には《くるみ割り人形》が一番熟達しているのはあきらかである。また、作品の規模と内容の壮大さにおいては《眠りの森の美女》が最高である。洗練された作曲技法でも、巨大な充実性でも劣る《白鳥の湖》であるが、それでもなお私は《白鳥の湖》がチャイコフスキーのバレエの最高傑作であると思う。なぜなら、そこには『青白く燃え上がる情念の炎』がもっとも強く感じられるからである。《白鳥の湖》のどの一片を取り出しても、チャイコフスキーの天才が紡ぎだした『青白い情念』が感じられるのである。これは作品の規模や作曲技術の巧拙を超えた何物にも代えがたいものであって、《白鳥の湖》を最高傑作とする所以である。そして、これこそが<どこも切り取らずに、何も追加せずに上演すべきである>という、私の主張の根源をなすものである。さらに付け加えるならば、《眠りの森の美女》と《くるみ割り人形》には、プティパによる詳細な「作曲指示書」にほぼ忠実に作曲されたものであり、もちろんそれだからこそ成功を勝ち得たのであるが、やはり内容的な面では制約があったことを感じざるを得ないのである。これらに対して、《白鳥の湖》では、チャイコフスキーの才能が、自由に思うがまま作品の世界を創造しているのである。

(4)三大バレエ以外にチャイコフスキーのバレエ関連作品はあるのか
<答>完成された純粋なバレエ音楽は《白鳥の湖》《眠りの森の美女》《くるみ割り人形》の3曲だけだが、次の3つの作品は《白鳥の湖》創作以前の状況を知る上で忘れてはならない。三大バレエだけが屹立して存在しているのではなく、バレエ音楽に対する多くの試行や努力がなされた上での偉業であることが理解できるからである。
@バレエ音楽《シンデレラ(ゾルーシュカ)》:これがチャイコフスキーが最初に手掛けたバレエ音楽だが、1870年に手紙など伝記的事実から着手されたことは確かなのだが、なぜか途中で放棄され、作品の痕跡は全く残っていない。
A劇付随音楽《雪娘》:1873年に作られた作品でその中には合唱曲やバレエ音楽も入ってる。
B歌劇《オンディーヌ》(水の精):1869年に着手し未完に終わった作品だが、その中の二重唱がNo.13白鳥たちの踊りの中の有名なヴァイオリンとチェロのソロの付いた《パダクシオン》(王子とオデットのグランパドドゥ)が転用されていることは記憶しておかなければならないだろう。さらにこの《オンディーヌ》という素材は、もう一度チャイコフスキーによって手がけられることになる。今度はバレエ作品として、弟のモデストが台本を書いた。1887年のことである。チャイコフスキーはそれにバレエの音楽を付けるはずであったが、なぜかそれは立ち消えになってしまった。

(5)《白鳥の湖》か《白鳥湖》か
<答>

(6)パドドゥとは?
<答>パドドゥpas de deuxとは音楽におけるソナタ形式のような、クラシック・バレエの中核をなす一種の舞踊形式である。バレエがロマンティック時代からクラシック時代に移っていく(バレエは音楽とは逆にロマンティックの後にクラシックバレエが来る)過程で形成され発展してきたものである。パドドゥはバレエの華。観客はそれをお目当てにバレエを見に来るし、ダンサーたちはこれを最も大切に考えていた。そのため、パドドゥはバレエのしかるべき場所(山場)におかれている。《眠りの森の美女》や《くるみ割り人形》も、老練なプティパが入念に構想したものであるので、抜かりなくそれが嵌められており、クラシック・バレエの華と称えられています。

パドドゥという言葉はもちろんフランス語で、 pasは歩み、ステップという意味から<踊り>、deは<の>、deuxは<2>ということであり、直訳すると<2人の踊り>となる。同様に、パドトロアpas de troisは<3人の踊り>、パドカトルpas de quatreは<4人の踊り>パドシスpas de sixは<6人の踊り>パダクシオンpas d'actionは<演技のついた踊り>という意味であり、内容はパドドゥに準じていることが多い。

パドドゥの形式はそんなに複雑なものではなく、次のようなものである。
1、イントラーダ(導入):アダージョの準備をする部分。独立して1曲を成す場合と、単にアダージョの前に付けられた短い序奏部分の場合がある。
2、アダージョ :、女性舞踊手が男性の補助を受けゆったりとしたポーズの流れの美しさを表現するパドドゥの見せ場の部分である。
3、ヴァリアシオン:登場者それぞれが単独に踊る曲で、普通は登場者の人数分の曲に分けられる。パドドゥの場合は、ヴァリアシオン1、ヴァリアシオン2、と男女に各1曲づつ充てられることが多い。
4、コーダ: 速い動きの音楽の中で、ある時は一人づつ単独で、あるときはペアで、で華やかに盛り上げて踊る終曲を意味する。

これらの用語は、音楽で使われるものと同じ語が使われているが、バレエの場合は微妙に音楽の用法とは異なる。
<アダージョ>は音楽のアダージョとは違って、テンポを指示する用語ではない。男性舞踊手の支えによってプリマがゆったりとした音楽の中で、ポーズの美しさと滑らかで艶やかな姿勢の移り変わりを見せるもので、テンポはアンダンテあたりが採られることが多い。
<ヴァリアシオン>は、ソロで踊るナンバーで、各登場人物が単独で個性的な技を見せる踊りである。これも決して音楽の変奏曲を意味しない。速いテンポの曲が多く、男性舞踊手に対しては、そのダイナミックな踊りに合わせて躍動的なものが多く、女性舞踊手に対しては、細やかな技術を見せるコケティッシュなもが多い。
<コーダ>は、音楽の終結部ではなく、終曲を意味し、速いテンポで華やかに踊りを盛り上げる。つまり一種のフィナーレである。




2.《白鳥の湖》のスコア
チャイコフスキーの生前には、スコアは出版されなかった。作品自体が、失敗とは言えないまでも大きな反響を呼ぶに至らなかったことと共に、引き続き改作の可能性が付きまとっていたからかも知れない。とにかく、改作の可能性が無くなったチャイコフスキーの死後の1896年になって初めてスコアは出版された【ユルゲンソン版】。出版者ユルゲンソンがチャイコフスキーから非常な信頼を受けていたことは、2人の間の多くの手紙からも分かるのだが、ユルゲンソンは出来るだけチャイコフスキーのスコアを尊重しようとしていたことは、スコアそのものから十分理解できる。それとともにユルゲンソンはプティパによる改訂上演も視野に入れていたのであろう。プティパがドリゴに依頼した3曲の追加曲もそのスコアに巻末の付録として含めている。先に述べたモデストによる改訂台本の採用もその一環だろう。そして不可解な、No.13《白鳥たちの踊り》の3番目のワルツ(第6曲)が変イ長調からイ長調へ移調されたことについても、プティパによる《白鳥たちの踊り》全体の並べ替えに対応したものであるとすると、一応の説明はつく。ユルゲンソンはその程度の追加変更で【プティパ=イワノフ版】が上演されることを期待していたのかも知れない。しかし、実際の【プティパ=イワノフ版】は、音楽の内容にまで深く立ち入っているため、このスコアからは上演不可能である。なおこの版には、チャイコフスキーが初演のための追加曲として書いた《ロシアの踊り》も付録として追加されている。
このスコアは1951年にニューヨークのブロード兄弟社から再刊された【ブロード版】。内容は【ユルゲンソン版】と全く同じである。

これとは別に、ロシアではチャイコフスキー全集の一環として、1957年に自筆稿に基づいて《白鳥の湖》が作られた【全集版】。これは、アメリカのカルマス社からコピー版が出版されている【カルマス版】。この【全集版】ではさまざまな細かい事項が各ページに脚注として詳細に記載されている。また、ほんの少しではあるがスケッチの断片も掲載されており、全集版の面目を保とうとしている。付録としては、《ロシアの踊り》とともに由来の怪しい《パドドゥー》が加えられている。

最近《白鳥の湖》の新しいスコアが現れた。ミュンヘンのヘフリッヒ社(Musikproduktion Hoeflich)から2006年に出版されたもので【ヘフリッヒ版】、内容はほぼ【全集版】に則しているが、細かな脚注は削除されている。付録も【全集版】と同様、《ロシアの踊り》と《パドドゥー》である。【カルマス版】の印刷は非常に悪いが、こちらは新たに原版を作っているので、いたって読みやすい。ただ、この版は全集版からのみ作られたようで、【ユルゲンソン版】や自筆譜を再チェックしたような形跡は見られないため、【全集版】の再検証としての研究用にはあまり役に立たない。


3.《白鳥の湖》の成立
チャイコフスキーがモスクワのボリショイ劇場の劇場管理部長、ベギチェフから《白鳥の湖》の作曲の依頼を受けたのは1875年5月末のことであり、9月10日には「バレエの2幕を書き上げた」とリムスキー=コルサコフに手紙で伝えている。全曲が完成したのは1876年4月10日である。また、ベギチェフはチャイコフスキーに800ルーブルを手付金として支払ったことが知られている。これがチャイコフスキーのモスクワ音楽院で年俸が1500ルーブルであったことと比較すると、どの程度の額か想像できるかもしれない。なお、チャイコフスキーがフォン・メック夫人から受けていた年金は毎年3000ルーブルだったと言われている。


4.初演と追加曲
《ロシアの踊り》
物語が公表された当初から、話がロシアを舞台にしているのではなく、ドイツの民話風になっていたので、あまり風評が芳しくなかったのだが、特に諸国の踊りの中にスペインやイタリア、ポーランド、ハンガリーの踊りがあるのに、ロシアの踊りが無いということが槍玉に挙げられ、愛国心というようなからめ手からチャイコフスキーにせまり、《ロシアの踊り》という番外曲を作らせてしまった。これはヴァイオリン独奏主体のたいへん素晴らしい曲で、ヴァイオリン協奏曲の中間楽章にしてもおかしくないくらいの出来栄えである。そのスコアには『ロシアの民族衣装を着た女性第一舞踊手が踊る』と明記されており、初演ではオデット・オディールを踊ったカルパコヴァがこれを踊ったと伝えられている。
曲は、イ短調2/4で、ゆっくりした踊りと動きの激しい踊りの2つの部分に分かれる舞踊曲にはよくあるスタイルを採っている。総奏の一撃の後、独奏ヴァイオリンが華やかなパッセージをモデラートで演奏し、それがトリルに変わったところでリズミックな弦楽の伴奏が付く。すぐに独奏ヴァイオリンのカデンツァが続く。このカデンツァの終わりの方で、『ロシアの衣装を着た女性第1舞踊手(La premiere danseuse)』が登場する。これがプリマ(女性主役)のことを限定的に意味するのかどうかは私は知らないが、多分オディール役のことを指しているのであろう。テンポはアンダンテ・シンプリーチェに変わり独奏ヴァイオリンがチャイコフスキーらしい憂いに満ちた主題を演奏し、この女性が踊り始める。主題はソロ以外にも現れ、独奏ヴァイオリンは技巧的に変奏する。突然テンポがアレグロ・ヴィヴォになり、オーケストラが荒々しく咆哮する。最後にテンポは更に速くプレストになり、主題が極端な速いテンポで奏され熱狂的に終わる。

なお、【森田】の巻末xiiページに次のような記載がある。
【バレエ・マスター、レイジンゲルの要請に応じてチャイコーフスキイが作曲して、初演時に踊られた。しかし、作曲した時には、すでにピアノ・スコアは出版されていたので、そこには入らなかった。オーケストラ・スコアは残っていないので、全集出版時にシェバリーンが管弦楽配置した。】
この補足の前段は良いとして、後段のオーケストラ・スコアの記述は誤りである。《ロシアの踊り》は、すでに1896年に出版されたユルゲンソン版に巻末の付録として含まれており、それを復刻したブロード版にも印刷されている。したがって、1957年の全集版

《チャイコフスキーパドドゥ》
由来の怪しいソベスチャンスカヤ伝説に基づくと見られる1つの完全な形態を持つパドドゥが全集版には付録として掲載されており、第3幕で王子がオディールを花嫁とすることを宣言する直前に、この2人の踊りのために挿入されるよう指定されているが、ここでは純粋な《白鳥の湖》のための音楽、全30曲のみを対象としているので検討されない。ただ、このパドドゥにまつわる物語はたいへん興味深いものであるし、現代の《白鳥の湖》上演にも大きな影響を与えているので、詳しくは別項の《チャイコフスキーパドドゥ》を参照願いたい。

なお、第3幕は王子が花嫁選びをすることがテーマである。
《ロシアの踊り》を挿入した場合、花嫁候補であるオディールがそれを踊るよう設定されているため、その他の諸国の踊りも各国から来た花嫁候補の姫君たちの踊りという風な設定がなされることがある(《ロシアの踊り》が挿入されない場合でもそのような設定を時たま見かけることがある)。諸国の踊りは華やかで変化に富んでいるため、振り付け師やダンサーにとって非常に魅力あるピース群なので、そこに物語の意味づけを与えたいという想いは十分共感できる。しかし、それでは話の上で矛盾が生じるのである。ジークフリートは村人がお祝いに駆けつけるほどの、田舎の小さな領主の息子なのであり、遠い国から姫君達を花嫁候補として呼ぶような地位にはないのである。そもそも諸国の踊りは、花嫁選びの舞踏会の一種のアトラクション的位置づけであって、それを超えては話の辻褄が合わなくなる。もし、花嫁候補達が諸国の踊りを踊るように設定したいのなら、ミスコン審査の中で応募者が得意芸を披露するように、余技として花嫁候補達がそれぞれの国の人に扮装して踊っているだけであることを観衆に知らしめる必要があるだろう。
また、《チャイコフスキーパドドゥ》を全部にしても一部分にしても挿入する場合も、プティパが創出した《黒鳥のパドドゥ》と同様、そのことを前提にして物語の流れからは大きく逸脱しないように配慮すべきであろう。


5.チャイコフスキーの死までの《白鳥の湖》の動き


6.【プティパ=イワノフ版】


7.《白鳥の湖》の調的構造


8.《白鳥の湖》の登場人物・Personnages
(1)ジークフリート・Siegfried, Le prince

歌劇《カルメン》の主役がドン・ホセであり、タイトルロールのカルメンが主役でないのと同様、《白鳥の湖》の主役は王子ジークフリートである。バレエという上演形態からして舞踊がメインになることからオデットが圧倒的に優位に立ち主役然として活躍するのだが、物語的にはあくまでもジークフリートが主役であり、オデットは彼の対象人物に過ぎない。バレエにおいてもそのことははっきりと認識されたうえで構成されなければならない。ジークフリートは家庭教師ヴォルフガングの直接の指導のもと、母親の女王に大切に教育されてきた、いわば箱入り息子であって、肉体的には立派に成長したが、成人にあたって花嫁を迎え国を立派に切り盛りするためには大きな不安を抱いている。



(2)オデット・Odette,reine des cygnes
オデットははたして物語上の実在の人物なのだろうか?スコアのト書きからは、王子が作りだした理想の幻影のようにも見える。

(3)女王・La Princesse regnante
女王は夫に先立たれ、一人王国を守っている。ジークフリートの成人を唯一の希望としている。



(4)ベンノ・Benno
ベンノ・フォン・ゾメルシュタインは小さいときから王子の話し相手として仕え、やがては王子の腹心として王国を切り盛りするよう教育されてきた。王子の忠実な部下であり、最大の理解者でもある。

(5)ヴォルフガング・Wolfgang
ジークフリートの家庭教師であるヴォルフガングは、酒飲みで好色な爺さんとして描かれることが多いが、それでは彼の存在理由が薄められてしまう。スコアのト書きや音楽自体からみてみると少しニュアンスが違うように思われる。もし大酒呑みなら《第6曲パダクシオン》において、酒を飲んで少し踊っただけで目を回して気を失うことはないだろう。下手な踊りで失笑を買うというのは、真面目一方で踊りに不慣れなことを意味し、王子の成人を祝おうとする彼の精いっぱいの努力を示していると解するべきである。彼は普通に演出されているよりもう少し若く、女王の信頼のもと実直で厳格な王子の教育者であるように描かれなければならない。ジークフリートは彼に父の面影を見出しているのかも知れない。彼の献身的な教育により立派に成人した王子を前にして、安堵のために酒の度を過ごしてしまった。その結果、彼の立派な王子教育の最後において画竜点睛を欠くこととなり、この物語が悲劇に終わる素因の一つとなったのである。


(6)ロートバルト・Von Rothbart
直訳すると「赤ひげ男爵」ということになるが、彼は娘オディールを連れて、遅れて花嫁選びの舞踏会場に到着する。


(7)オディール・Odile
オデットとオディールが白鳥と黒鳥として、明確な対比とともに一人二役を確立させたのはプティパ=イワノフ版であるが、初演のときから一人二役であったことは十分推測されうる。というのは、初演のパンフレットには、オデット役はカルパコヴァと明示されているが、オディール役には***となっていて名前が記載されていない。当時の習慣で***は二役を意味するとの説があり、



(8)白鳥・Cygnes
鳥としての白鳥と娘に戻った時の白鳥を描き分けることは難しい。舞台で踊られる白鳥たちは娘に戻った状態にあるわけだが、イワノフが振り付けたように娘の状態でも鳥のしぐさを踊りに取り入れることは非常に効果的だと思われる。


(9)ふくろう・Hibou
白鳥が善とすれば、彼女らと対応するふくろうは悪の象徴である。音楽的には同音の3連符と長音からなる音形(いわゆる『運命動機』)が主体となっていいる。したがって、これは死をも暗示している。スコアのト書きでは、ふくろうはオデットの物語の中でだけ登場するが、『運命動機』自体は《第19曲パドシス》のヴァリアシオンIII、《第24曲情景》(練習番号75のところ)および《第29曲最後の情景》(練習番号26のところ)にも使われている。《パドシス》についてはどの台本にも記載がないが、他の2か所にについては、初演の台本にもモデストの台本にもふくろうが登場する。この『運命動機』は、チャイコフスキーの音楽からは死を象徴するものともとれるし、ふくろうの描写ともとれる。とにかくふくろうを登場させることは視覚的には非常にわかりやすい効果をもたらす。

(10)その他
その他の人物の中で、名前があるのはバロン・フォン・シュタインとフレイゲル・フォン・シュヴァルツフェルスである。いずれも妻および娘(婚約候補者)を伴う。彼らは初演台本にしか現れない名前である

9.各曲分析と物語上の意味
《白鳥の湖》の主調はロ短調である。ロ短調で始まりロ長調で終わる。序文で私がこの作品を『交響的バレエ音楽』と位置付けた、この『交響的』という意味の中には調性の選択が大きな位置を占めるのである。というのは、本家の『交響曲』というものは、本来調性に深く根ざしたものであるからである。すなわち、厳格な調配分に根差したソナタ形式の楽章を持たねばならないこと。複数の楽章が単一の調で羅列されるのではなく(例えばバッハの『組曲』などでは、本来踊りを目的としているので、調的な多様性を求められない)、調的変化をもって構成されなければならない。もっとも一般的な調配分は、両端楽章と舞曲楽章は主調で、緩徐楽章

[導入]
このIntroduction(アントロデュクシオン=導入曲)と題された物語の導入部分は、使用される音楽素材としては物語本体で用いられるものとどれも全く別個であるにも拘わらず、最初のオーボエの音が響くとたちどころに《白鳥の湖》の世界へ吸い込まれるような音楽である。これは《くるみ割り人形》のような、物語とは全く関係ない主題を用いた単独のOverture(序曲)ではない。また、《眠りの森の美女》のような物語の内容と密接に絡む、カラボスとリラの精の2つの主題を並立させることによって、このバレエ作品のメインテーマである善と悪の対立という根本的構図を明確に印象づけるIntroduction(導入曲)でもない。《白鳥の湖》の導入曲は両者の中間に位置づけられよう。三大バレエの導入部分は音楽的には三者三様であっても、しっかりと観衆を物語に引き付ける力はどの作品にも十分備わっている。
導入曲にバレエ本体の音楽が使われていないことは特に注意されなければならない。そして、それにもかかわらず、音楽の色合いが物語の部分と全く同じなのだ。このことは、序奏の天才チャイコフスキーの魔術といったところであろう。ここでは、観衆は日常生活から離れて、美しくも悲しい情念の世界に浸るための心の準備をする時間である。したがって舞台は真っ暗なまま、観客の心を音楽のみによって異空間へいざなうべきである。
いろんな演出の中には、このイントロダクションでもバレエが演じられ、情景として娘たちが白鳥に変えられたいきさつなどが説明されたりすることがあるが、これは全く良くない。もし、そのような状況説明が必要なら、プログラムにでも書けばよいことである。オデットの不要な登場は、第2幕で白鳥の女王が初めて登場する鮮烈さを完全に阻害するだけだから。
先に述べたように、音楽自体がそういったアイデアを拒否していることを、演出家たちは理解せねばならない。




[第1幕]城内の庭園


(1)情景




(2)ワルツ




(3)情景



(4)パドトロア



(5)パドドゥ



(6)パダクシオン




(7)シュジェ



(8)杯の踊り



(9)フィナーレ



[第2幕]湖のほとり


(10)情景



(11)情景



(12)情景



(13)白鳥たちの踊り
第1幕のパドドゥーが現実の世界の愛の形であるとすると、それとちょうど対比するのが夢の中での愛の世界であるこの白鳥たちの踊りである。
この踊りは、しかし2人だけで踊られるのではない。多くの白鳥たちに見守られての愛なのである。
全体は7つの部分に分けられている。

I.テンポ・ディ・ヴァルス イ長調 白鳥たちの踊り
II.モデラート・アッサイ ホ長調 (オデットソロ)
III.テンポ・ディ・ヴァルス イ長調 白鳥たちの踊り
IV.アレグロ・モデラート 嬰へ短調 
V.アンダンテ・ノン・トロッポーアレグロ 変ト長調ー変ホ長調 パダクシオン(オデットと王子)
VI.テンポ・ディ・ヴァルス 変イ長調 (全員の踊り)
VII.コーダ アレグロ・ヴィヴォ ホ長調 

赤字部分は、ユルゲンソン版にはなく、全集版にだけに存在する。全集版には後からの加筆とあるので、チャイコフスキーの死後にだれかによって書き加えられたものと思える。もし、それらが最初からチャイコフスキーによって書かれていたとすると、ユルゲンソンがこんなに集中して削除するとは考えられず、また、見落とすこともあり得ないので、彼がチャイコフスキーの死後出版したときには、これらの表題はまだなかったと見るのが自然だ。もっとも、これらの表題加筆は誰が考えても同じようなものなり得るものであり、内容的には全く問題がない。(チャイコフスキーが踊りのナンバーで、極端に劇の内容の表現を避けていたことの証拠の1つとしては、貴重なものではあるが)

構造は、上記のようにワルツをルフラン(リフレイン)にした一種のロンド形式のような形態を有しており、この構造はいたって特徴的で分かりやすく、白鳥たちに見守られながら二人が愛を育む様子を見事に音楽で表現している。
調性的にみると、全体としてはイ長調で始まりホ長調で終わるという、いわゆる「善」の調域が支配しているのだが、V.、VI.で一転して「悪」あるいは「不幸」のフラット系調域へ移ることが特徴的である。II.で、けがれのない純粋無垢の姿で踊るオデットは、2人の愛の場面V.のパダクシオンでは、一転して変ト長調で踊られることになる。ここで変ト長調が採られているのはすこぶる意味深長で、極めて重要なことなのである。
まず、母王妃がジークフリートに結婚を説得する場面(第1幕No.3)はハ長調であった。変ト長調は五度圏上ハ長調から一番遠い対角に位置し、2人の愛は母の意向から最も遠いところにあることを意味しているのである。
そして、No.5のパドドゥーのヴァイオリン・ソロには異様にも11小節にわたって嬰ハ音が鳴らされる場面がある(II.の80〜90小節。この途方もなく長い嬰ハ音は、実は変ト長調=嬰へ長調の属音であって、遠く第2幕のオデットのパダクシオンを見据えており、和声的にはパダクシオンの変ト長調に解決するのである。遠く離れたパドドゥーとパダクシオン、両者を結び付けるためにチャイコフスキーが仕組んだ巧妙なトリックとしてしか、異例に長い嬰ハ音を説明できないのである。
そしてさらに奇妙なことが、ヴァイオリン・ソロに起こっている。もちろんこのヴァイオリンソロはオデットを表していることは言うまでもなく、チャイコフスキーはこのソロに或る仕掛けを施した。それは音楽を聴くだけでは理解しにくいが、楽譜を見ると、何か怪しいということが誰の目にもたちどころに理解できる。パダクシオンの根幹は、ヴァイオリンによって演奏され、のちにそれがチェロによって繰り返される憂愁に満ちた愛のメロディーであるが、問題は2度にわたって演奏される、その間に挟まれた上昇音形をたくさん含む技巧的で軽やかな部分に起こっている。
この部分の調号は一貫して変ト長調のままであるにも拘わらずヴァイオリンのソロは1回目は実質ホ長調、2回目は実質ロ長調である。その結果臨時記号の嵐と化してしまっている。実質同じことなのだから、それらを変へ長調、変ハ長調で記譜していれば、臨時記号は余程少なくて済むのに、なぜチャイコフスキーはわざわざこんな遠い調への転調を臨時記号だけで済ますという面倒くさいことをやってしまったのか?当然、そこにはしかるべき意図があった考えるべきで、思うにチャイコフスキーはオデットが王子との愛に溺れそうになりながらも、自分を取り戻そうとしている姿を、音符の上で表現しようとしたのではないだろうか。その意図というのは、ここで使われているホ長調は、もちろんこの一連の《白鳥たちの踊り》の中のII.で踊られる可憐なままのオデットを表すわけだが、ちゃんと転調して記譜していないのは、純粋ではありながらも、すでに王子との愛に芽生えたオデットの、その愛の困難さに対する一抹の不安を表しているように見えるのである。それは、同じ音であるとしても変へ長調からは作りだすことが出来ないねじれた感情なのである。

(14)情景




[第3幕]宮廷の大広間


(15)




(16)コールドバレエとこびとの踊り




(17)情景




(18)情景



(19)(パドシス)
この曲は《白鳥の湖》全30曲の中でも最も謎に包まれており、そのせいか初演以来殆どの演出で削除されるか、あるいは見当違いの場面で部分的に使われるのみである。実際スコアを見ても、そこには一切ト書きはなく、ヴァリアシオンやコーダを含むいわゆるパドドゥ様式の舞曲ツィクルス(舞曲を中心とした複数楽曲のひとまとまり)によって構成されている。さらには、この曲名が全集版ではPas de Sixではなく (Pas de Six)とカッコ書きされていることは当初にはこの題名がなかったことを意味する。一方ユルゲンソン版にはカッコなどはなく単にPas de Six.とされているので、この加筆はチャイコフスキー自身のものと思われる。プティパはこの曲を採用しなかったのだから、彼がそこへ加筆する必要など全くない。

自筆譜および
ユルゲンソン版
全集版 ユルゲンソン版
のピアノ編曲譜
本稿での用法
(1) Intrada Intrada Intrada Intrada
(2) Var.I Var.I --- Var.I
(3) --- [Var.II] Var.I Andante con moto
(4) Var.II Var.[3] Var.II Var.II
(5) Var.III Var.[IV] Var.III Var.III
(6) Var.IV Var.[V] Var.IV Var.IV
(7) Coda Coda Coda Coda




(20)ハンガリーの踊り・チャルダッシュ


(21)スペインの踊り



(22)ナポリの踊り



(23)マズルカ



(24)情景

[第4幕]湖のほとり

(25)間奏曲



(26)情景




(27)小さな白鳥の踊り
スコアのト書きには<娘の白鳥が子供の白鳥に踊りを教える>と指示されている。緊迫した場面に全く不釣り合いなこの情景に対して、チャイコフスキーは何らかの意図を込めて作曲したことは明らかだが、そのことは全く考慮されず【プティパ=イワノフ版】では台本の修正とともにこの美しい音楽は削除されてしまった。ところが振り付けでは、最後の幕の他の曲の中で6人の黒い小さな白鳥が登場する。そしてこれは白鳥のひな鳥を意味するらしい。

(28)情景



(29)最後の情景