3, シューベルト連弾バラバラ事件

(1)連弾曲について

 19世紀に入って産業構造の変換に伴い新しい市民層が台頭してきました。彼らの財力と余暇の一部はアマチュアの音楽愛好家として音楽の消費に向けられました。彼らが楽しんだ手近な音楽の手段は、コンサート・劇場・教会などで音楽を聴くことでしたが、実践も盛んに行なわれていました。いわゆるお稽古ごとです。それらの中で多くの人々が関心をもって参加したのが、ひとつはアマチュアのコーラスであり、いま一つはピアノフォルテの改良・普及による家庭でのピアノ音楽の一般化です。そしてピアノによる一番簡便な室内楽として、連弾は非常に流行したのです。

 オリジナルの連弾曲は当時の売れ線の一つでしたので沢山の曲が作曲され出版されました。また、レコードのなかった当時はオーケストラ曲をコンサートホール以外で自分の好きなときに楽しむための手段として、連弾は非常に有効であったので(簡単な演奏技術で多くの旋律線を一度に弾くことが出来たので)、出版社は競って作曲家に有名なオーケストラ曲を連弾に編曲させ出版していきました。しかし、芝居が映画に、映画がテレビに取って代わられたように、こういった連弾の楽しみ方は、ラジオやレコードに取って代わられ、現代では連弾はピアノのお稽古の時に、先生と一緒に勉強のために弾かれるぐらいになってしまいました。

 実際、鑑賞用にはソロピアノに比べて連弾は非常に不利な立場に置かれています。4つの手は1台のピアノには多すぎるのです。ソロピアノが自由に鍵盤を駆けめぐることが出来るのに対して、連弾では、よっぽど上手く作曲しないと、響きが画一化してしまうのです。さらに、技術的にはペダルの用法が非常に難しくなってくるのも表現を制約する要素となります。したがって連弾は鑑賞用には、ごく一部の作品を除いてあまり適さないものですが、合奏としては十分楽しめるものであることは今でも変わりありません。最も少ない人数で完全な形での合奏が楽しめるということで、連弾は徐々に復活しつつあるのが現状です。

 特にここで取り上げるシューベルトの3つの連弾曲などは古今の連弾オリジナル作品の中では紛れもなく最高傑作であり、技術的にもそんなに難しくないので、これからドンドン弾かれるようになってくるでしょう。もし貴方がソナチネ程度のピアノ力があり貴方の恋人が、あるいはパートナーが、同程度ピアノを弾けるのなら、非常に楽しい時間をこれらの曲から享受出来ることを私は保証します。


(2)シューベルトの連弾曲

 大作曲家の中でオリジナルの連弾曲を一番沢山書いたのはシューベルトでしょう。彼の連弾曲集は3冊にも分かれて出版されており、分量的には3分冊のピアノソナタと同程度になります。と言っても連弾は2つのパートがあるのですから本当は半分と言うことになるのですが、長いピアノソナタと違って、短い曲の多い連弾作品では曲数は遥かに多くなっています。まあしかし、それらの膨大な作品群の中で良く知られているのは「軍隊行進曲」1曲だけかもしれませんが。それもオーケストラや吹奏楽に編曲された形で聴かれることが多く、原曲が連弾であることを知らない人もたくさんいます。

 シューベルトが連弾曲をたくさん書いたのは、一つには仲間と演奏するため、一つにはピアノの弟子に教えるため(後で触れる彼が教えたエステルハーツィ家の二人の姫君のために作られた曲を含めて)ですが最大の要因は、楽譜を出版するのに都合の良い(つまり需要の多い)曲種であったためです。実際、シューベルトの生前、ソロピアノ曲は舞曲を除いて13曲しか出版されていないのに対して、連弾曲は56曲も出版されているのです。それは最初に述べた理由によるものでしょう。
 
たくさんのシューベルトの連弾曲の中で、シューベルト最後の年、1828年に続けて作曲された次の3曲は、ぬきんでて素晴らしい名曲です。

曲名 作品番号 ドイチェ番号 作曲年代 出版
「幻想曲ヘ短調」 Op.103 D940 1828年4月 1829年
ディアベリ社
「人生の嵐イ短調」 D947 1828年5月 1840年
ディアベリ社
「ロンドイ長調」 Op.107 D951 1828年6月 1829年
アルタリア社

 3曲のうちで最初に作曲された「幻想曲」は、その名の通り自由な4つの部分からなる作品で、シューベルト自身の意思でエステルハーツィ伯爵の令嬢カロリーネに捧げられています。これは単なる出来上がった作品の献呈ではなく、多分当初から彼女に贈ることを意図して作曲されたものと考えられています。そこで、本稿では区別するのに必要なときは「カロリーネ幻想曲」と呼ぶことにしましょう。

 3曲目の「ロンド」は出版社のアルタリアからの依頼で書かれたものと言われています。これらの2曲は、作品番号がシューベルト自身でつけられたものであり、彼の死後すぐに出版されています。

 それに対して、2曲目の「人生の嵐」は、死後かなり後になって出版されたものであり、自筆稿も失われているので確かなことは不明ですが、筆写譜によると、この「人生の嵐」という奇妙な題名も作品番号も出版社が勝手につけたものと見られ、もともとは単に「二重奏曲」(Duo)と名付けられていたものと推定されています。この作品は完全なソナタ形式で書かれており、ある大きな「ソナタ」の第1楽章のようにも見えます。

 この3つの作品については、ただ単に美しいだけではなく、その音楽の内に潜む魂に深く訴えかけるようななにものかが存在するということで共通しています。それはちょうど、最後の3つの「ピアノソナタ」にあるものと同質の感情です。


 そこで本題に入るのですが、私は、この3曲は実際は1つの「ソナタ」なのであると考えています。シューベルトは『ひとまずバラバラに発表しておいて、後で1曲の「ソナタ」にまとめるつもりであった』と私は推定しているのです。まあレコード会社がよくやる、交響曲を単発でひとまず順番に出していき、全部完成してから全集としてもう一度発売して2度儲けるという、あのやり方ですね。シューベルトの貧弱な商才でもそれくらいのことは考えられたでしょう。出版者からの入れ知恵があったかも知れませんし・・・。しかしこのことには『なにも証拠のない推測をしなくても、今のままの3曲バラバラの状態で何ら不都合はないではないか?そんなことを考えて何の得があるのか?』と言う反論がすぐ浮かびますね。それに対して私は、こう答えたいと思います。

 それぞれの曲は非常に素晴らしい曲ではありますが、それぞれが1つの作品として完結しているようには私にはどうも思えないのです。各曲は、未解決の問題を含んだまま終わるような、あるいは何か前段階の曲想を受けて作られているような、強い印象を私は受けるのです。特に「幻想曲」については、謎のような、あるいは救いのない悲惨な終わり方からは、心の安息を与えるような続きが是非必要であると、私は痛感しています。彼の他の「幻想曲」の書き方と比較しても、またシューベルトの形式観からしても、これは異様な終わり方であると断言せざるを得ないのです。というより、この曲は終わっていないと言う方が正しいのではないでしょうか?

 この3つの作品を1曲の「ソナタ」として聴くと、それぞれの楽章が補完しあって、1つの巨大な空間が現出し、お互いが出し合った光の相互作用により、何倍にも輝きを増してくるのです。さらに、何よりもこの3曲は、1つの共通する世界(晩年のシューベルト独特の言いようもない深さを伴った)を持っているのです。そして、これらを1曲のソナタとして考えると、あたかも、同じ年に作曲された3大ピアノソナタに妹が一人増えたかのように思えるのです。

 さて、この3曲の連弾作品が1曲の「連弾ピアノソナタ」であるとするためには、いくつかの問題をクリアーしなければなりません。これから順次それらを考えてみたいと思います。

(3)資料状態

 まず最初に、残されている資料の状態を吟味してみましょう。これが三者三様で、全くつながりが見えないのです。

@「幻想曲」はヴィーンのオーストリア国立図書館にシューベルト自身の自筆譜が保存されています。
A「人生の嵐」の自筆稿は失われてしまいました。ただ、自筆稿から写されたと思われる筆写譜がヴィーンの楽友協会に保存されています。
B「ロンド」の自筆稿はベルリンの国立図書館に保存されています。

 保存されている場所がばらばらなのは、シューベルトがまずばらばらに発表しようとしたことから、別に問題となるわけではありません。これらの作品の公表過程は、殆ど彼の死と平行しているのですから、シューベルトにまとめて保存する余裕などなかったでしょう。それより、ここでは自筆譜の譜面の書き方について、少し触れておきましょう。
 
連弾は2人の奏者、すなわち第1奏者(プリモ)と第2奏者(セコンド)それぞれに2段ずつの五線を使って記譜されますが、それには2つの方法があります。

@2段ずつ4段をひとまとめにして記譜する方法(スコア方式):作曲するにはわかりやすいけれども、弾きにくく実用的ではない。

Aプリモとセコンドを見開いたページの左右に2段ずつ振り分けて記譜する方法(パート譜方式)同じ小節が対応する同じ段に書かれていないケースが多く、両パートを比較するのは困難であるけれども、それぞれの奏者にとっては見やすく実用的である。したがって連弾の印刷譜は殆どこの方式で印刷されている。

 「人生の嵐」の自筆譜は失われて不明であるけれども、「幻想曲」の自筆譜はパート譜方式、そして「ロンド」の自筆稿はスコア方式で残されています。それは何を意味するのか。「ロンド」の場合は作曲したものを直ぐに出版社へ送ったことを意味し、「幻想曲」の場合はいったんスコア方式で作曲したものを、シューベルト自身が手書きでコピーしたものであるということです。そして元のスコア方式の自筆譜は失われてしまったのでしょう。それを裏付けるようにこの自筆譜は「ロンド」に比べて非常に分かりやすく弾きやすく書かれているのです。その理由は自分の手で書いた楽譜そのものをカロリーネに贈りたかった、そして弾いて貰いたかったからでしょう。(普通、贈呈譜というのはコピイストに美しく筆写させたものを献辞とともに贈るのです。)



(4)シューベルトのソナタ

 シューベルトのソナタ構造の多楽章作品は殆どが、4楽章で出来ており、それも判で押したようにソナタ形式の第1楽章、アンダンテ、スケルツォ、ロンド・フィナーレという形を採ることが非常に多いのです。アンダンテの替わりにアダージョを、スケルツォの代わりにメヌエットを採ることも時々ありますが、多くの作品をあたってみると、シューベルトは断然アンダンテとスケルツォを愛好したことが解ります。ベートーヴェンに比べて、シューベルトはこういったことに意外に厳格なのです。

 よく知られている作品で、4楽章制でないという例外は「ピアノ五重奏曲イ長調<ます>」D667(1819?)と「八重奏曲ヘ長調」D803(1824)、それに「アルペジョーネ・ソナタイ短調」D821(1824)の3曲位のものでしょう。5楽章の「ます」と6楽章の「八重奏曲」に楽章数が多いのは、それらがディヴェルティメント風の性格を持っているからです。演奏する人も聴く人も、これらの作品では深刻になったり、もの悲しくなったりせず、あくまでも明るく、軽く、楽しむのです。そのために中間楽章が増やされているのです。実際「ます」は、両端楽章とスケルツォ以外に2つの緩徐楽章、アダージョとアンダンテが併存することが楽章が増えた原因ですし、「八重奏曲」の場合はアダージョ、アンダンテ、スケルツォ、メヌエットの4つを全て使ったことが楽章を増やした原因になっています。ベートーヴェンの「七重奏曲」の精神と伝統を引き継いでいると言うわけです。
 
 一方、「アルペジョーネ・ソナタ」は珍しくスケルツォのない3楽章構成で、さらにアダージョとロンドは休みなく続いています。しかし、こういった異例の試みは以後の多楽章作品では全く見られないので、シューベルトは失敗であったと判断したのか、あるいは彼の性に合わないことが分かったかの、どちらかなのでしょう。そして、このような作品を切れ目なく続けることや、さまざまな形式的アイデアを盛り込むことは単一楽章の「幻想曲」のほうでやろうとしたのでしょう。要するに、完全な「ソナタ」と「幻想曲」の分岐点にあるのが「アルペジョーネソナタ」だというわけです。

 完成されたピアノソナタの中で3楽章制の作品がいくつかあります。「ピアノソナタイ短調」D537(1817)、「ピアノソナタイ長調」D664(1819)、「ピアノソナタイ短調」D784(1823)です。これらは、モーツァルトやベートーヴェンの伝統をふまえた結果の構成法だと思われますが、シューベルト自身の肌にあったやり方ではないのでしょう。ただ、こういった3楽章制の作品の最終楽章には3拍子系(8分の3拍子、8分の6拍子を含む)が採られており、これはメヌエットやスケルツォを欠いたための代替処置とみられ、シューベルトの配慮のあとが窺えます。

 とにかく、シューベルトは人前に出してもよいと考えた「ピアノソナタ」を6曲作曲しています。

◎出版された3曲
ソナタ第一番イ短調D854、Op.42(1825)
ソナタ第二番ニ長調D850、Op.53(1825)
ソナタ第三番ト長調D894、Op.78(1826)
◎出版する予定の3曲
ソナタ第四番ハ短調D958(1828)
ソナタ第五番イ長調D959(1828)
ソナタ第六番変ロ長調D960(1828)

それらは全てシューベルト風の4楽章制を採っており、その他のピアノソナタは、内容の如何にかかわらず、また完成されていようがいまいが、内々のものであったのだと考えるべきでしょう。

 このことは、まったく同じことが「弦楽四重奏曲」についても当てはまります。

◎出版された、あるいは出版する予定の3曲
弦楽四重奏曲第一番イ短調D804、Op.29−1(1824)
弦楽四重奏曲第二番ニ短調D810(1824)
弦楽四重奏曲第三番ト長調D887(1826)

この3曲以前の弦楽四重奏曲も、内容の如何にかかわらず、また完成されていようがいまいが、内々のものであったのだと考えるべきでしょう。
なお、「第一番」のみが作品29−1となっているのは、「第二番」作品29−2、「第三番」作品29−3となる予定だったにもかかわらず、この2曲がシューベルトの生前出版されるに至らなかったためです。

 この方式を交響曲にも適用すれば、「未完成」の話の中で述べた、「大きなハ長調」D849(1825)=「交響曲第一番」説に繋がるのです。

 このように見てくると、シューベルトの最晩年の真面目な芸術的野心を伴った多楽章作品は全て、厳格な4楽章構成を採っていることがわかります。上記のピアノソナタや弦楽四重奏曲、交響曲の他にも「弦楽五重奏曲ハ長調」D956(1828)、「ピアノトリオ第一番変ロ長調」D898、Op.99(1827)〈生前出版されなかった〉、「ピアノトリオ第二番変ホ長調」D929、Op.100(1827)がそれにあたります。

 とすれば、ここで取り上げているシューベルト最後の年に作曲された「まぼろしの連弾ソナタ」も、厳格な4楽章構成でなければならないという結論になりますね。両端楽章ははっきりしているのですが、2つの中間楽章にあたるべき「幻想曲ヘ短調」がネックになってきます。これが、別個の2つの中間楽章、アンダンテとスケルツォになれば完全な4楽章構成のソナタになるわけです。次にその辺を探ってみましょう。



(5)「幻想曲」の構造

 シューベルトは「幻想曲」という曲種をどのように捉えていたのでしょう?それを解き明かすために、まず2曲の有名な「幻想曲」を取り上げてみなければなりません。ピアノソロのための「さすらい人幻想曲ハ長調」D760とピアノとヴァイオリンのための「幻想曲ハ長調」D934です。

 「さすらい人幻想曲」は4つの部分から成りますが、それぞれは全く切れ目なく続いています。
第1部分=ハ長調:歌曲「さすらい人」のリズムから作られた主要動機の際限ない変容から出来ているこの部分は、ある意味で短い変奏曲の連続したものとも捉えることが出来るでしょう。その中で2回現れるピアノの部分はシューベルト的に優しく、あこがれに満ちた第2主題的様相を呈しますが、それぞれは最初の動機の変容の一種に過ぎないものです。
第2部分=嬰ハ短調:「さすらい人」というリート(Op.4−1)の23小節目からの8小節間を引用したアダージョの主題とそれによるいくつかの変奏から出来ています。途中でなぐさめのようなホ長調に変わり、さらに細かい音符で不気味に変奏されていきます。
第3部分=変イ長調:主要動機の変容を主題としたスケルツォと第1部分の2回目のピアノの部分の変容であるトリオ。特にトリオは美しい。
第四部分=ハ長調:主要動機から出来た主題のフーガ的展開とさらなる華麗な変容、そしてコーダ。

 上記の概略説明でも分かるように、この曲は始めから終わりまで1つの動機を徹底的に発展・展開しつくした驚異的な作品であり、リストの作曲法に深い影響を与えたものであります。

 ピアノとヴァイオリンのための「幻想曲ハ長調」も4つの部分から成り、それぞれは全く切れ目なく続いています。また、それぞれの部分は互いに関連性のある主題を用いていますが、「さすらい人幻想曲」のように、全く同じ動機が次から次へと変容していくという風なものではありません。関連をもちながらも、それぞれは独立しているのです。そして、最後の部分で以前の部分が回想されるのが特徴的です。またスケルツォ的な部分がないのも「さすらい人幻想曲」と違っているところです。
第1部分=ハ長調:神秘的なピアノのトレモロに乗ってヴァイオリンがドレミラソファミという音階的な動きを装飾して息長く歌います。アンダンテのゆっくりした部分です。
第2部分=イ短調:アレグレットでロンドのような軽い感じの主題(ラシドシラソファミという音形に基づく)からはじまり、楽しげな曲想が続きますが、構造は第2主題と展開部のないソナタ形式と言った感じです。
主題=イ短調、終止部=イ長調、主題=イ短調、終止部=ハ長調、移行部=変ホ長調というのが調的構造の概略です。
第3部分=変イ長調:アンダンティーノの美しい歌の主題(ドミラ#ソ、ソファミレミドという音形が特徴的です)による3つの華麗な変奏と主題に基づく移行句から出来ている部分。元歌は1823年に出版されたリュッケルトの詩による「我が祝福をおくらん」(Op.20ー1)です。何故かこの歌の題名が作品の標題に使われていません。歌詞の内容が失恋した自分を慰めるようなものだからでしょうか?そこで本稿では区別するのに必要なときは「祝福幻想曲」と呼ぶことにしましょう。
第4部分=ハ長調:まず、第1部分の回想がハ長調のまま結構長く続きます。主部はハ長調でドレミファミレドという基本的な動きから出来ており元気なアレグロ・ヴィヴァーチェです。
構造は第2部分とほぼ同じで、主題=ハ長調、終止部=ハ長調→イ短調、主題=ハ長調、終止部=イ長調→嬰ハ短調、移行部=イ短調(トレモロ)という形になっており、調関係は第2部分とちょうど逆転しています。その後第3部分の歌の回想があり、最後に極めて元気な第4部分の主題に基づくプレストで華やかに終わります。ピアノがハ長調の音階を7オクターヴにわたって駆け上がるのがとても印象的です。

 この曲は、「さすらい人幻想曲」に比べて、内容が一見非常に複雑に思えます。切れ目なく演奏されること、既成の形式観から大幅に逸脱していること、そして、それに拍車をかけた回想の出現が、聴衆を迷いの森へ閉じこめてしまいます。初演を聴いた人達は、どこがどうなってるのか解らないのに同じようなメロディーが何度も出てきて〈何時になったら終わるのだろうか〉といった印象を受けたのでしょう。実際、1828年1月20日に行なわれた初演の、伝えられる批評では、ソナタなどより短いにも拘わらず《ヴィーン人が精神的享楽に費やそうとする時間を超えて、いくぶん長くのびすぎた。ホールはだんだんと人がいなくなり、報告者もこの楽曲の結末については何も語ることを知らないと告白する次第だ。》と、長さについて批判的でした。
全体を構造的に把握すれば、斬新な良くできた曲であることは解るのでしょうが、それを初めて聴く聴衆に要求するにはちょっと無理があります。そのため、この曲は出版までに二十数年待たねばなりませんでした。


 さて、連弾のための「幻想曲ヘ短調」(「カロリーネ幻想曲」)は、上記2曲の幻想曲と、4つの部分からなることと、全曲が切れ目なく続くこと、さらにはソナタ形式の部分が1つもないということで共通しています。まず、全曲をざっと分析してみましょう。

第1部分 120小節

ヘ短調:恋人たちの語らいのような愛情に満ちた柔らかい『愛の主題A』と愛を阻むような厳しく堅い『闘争の主題B』が何度か交替して現れ、最後は慰めのような移行句になります。アレグロ・モルト・モデラート。余談になりますが、私には『愛の主題A」はロッシーニの「セヴィリア理髪師序曲」の主題を、『闘争の主題B』はブルックナーの「第五交響曲」第1楽章の第3主題をなぜか連想してしまいます。

主題A提示 ヘ短調 12小節
主題A繰り返し ヘ短調 11
主題Aの発展形 変イ長調 14
主題A長調へ転調 ヘ長調 10
主題B ヘ短調 18
主題A再現 変ニ短調  8
主題B再現 イ短調 18
主題A再現 ヘ短調 10
推移部分 ヘ長調 19


第2部分 43小節

嬰ヘ短調:バロック風の32分音符を多用した荘重な響きの中で、恋人達の愛の会話がつかの間に現れ、すぐにそれは荘重な響きにかき消されてしまいます。ラルゴ。

主部(バロック風) 嬰ヘ短調 12小節
中間部(対話風) 嬰ヘ長調 16
主部(バロック風) 嬰ヘ短調 15


第3部分  274小節(423小節=繰り返し込み)

嬰ヘ短調:長大なスケルツォとトリオ。アレグロ・ヴィヴァーチェ

スケルツォ 主部 嬰ヘ短調→イ長調 34小節
中間部 嬰ヘ短調→ロ短調→
ニ長調→嬰ハ短調
51
主部 嬰ヘ短調→嬰ヘ長調 24
トリオ 主部 ニ長調→イ長調 14
中間部 嬰へ長調  8
主部 ハ長調→ニ長調 18
スケルツォ 主部 嬰ヘ短調→イ長調 34
中間部 嬰ヘ短調→ロ短調→
ニ長調→嬰ハ短調
51
主部 嬰ヘ短調→嬰ヘ長調 24
移行句 16


第4部分 133小節

ヘ短調:最初、第1部分の主題Aと主題Bがそのまま再現して始まるのですが(ほとんど再現部のような様相を呈している)、今回はそれに続いて主題Bが対位旋律を伴い延々と展開されていきます。このフーガ的展開は入念で、どんどん高揚して行き最後には2人の奏者が違う場所でffzを奏するクライマックスに至ります。それはちょうど争いが頂点に達したことを表現しているように思えます。突然音が途絶え、フェルマータでなくきっちりと1小節分の沈黙のあと、最後に主題Aがちょっと変化してちらっと顔を見せたかと思うと、すぐに曲は未練と苦渋に満ちた響きのあと、引き裂かれるような一撃とともに突然静かに終わります。

主題A提示 ヘ短調 12小節
主題Aの発展形 変イ長調 14
主題A長調へ転調 ヘ長調 10
主題B(+対位動機) ヘ短調 16
主題B(+対位動機+三連符) 変イ長調ハ短調 23
主題B(+三連符)三連符連打 ヘ短調 12
主題B(+三連符)減7上のカノンf→p ヘ短調 19
主題B(+三連符)減7上の交互のffz ヘ短調 11
主題A終止部分 ヘ短調 16

570小節からなるこの作品は、小節数だけから見ると、スケルツォの比率が非常に大きいことが解りますね。570小節中の274小節ということで全体の48%を占めています。さらにスケルツォは繰り返されますので実際の演奏上では719小節のうち423小節ということになり59%もの高い比率になります。ここで、スケルツォの占める比率に拘ったのは、この「カロリーネ幻想曲」はスケルツォとそれ以外の部分との2つに大別できるのではないかと私は考えているからです。

外見上同じような構造の「さすらい人幻想曲」にも立派なスケルツォがありますが、これは主題自体が曲頭の動機の変奏であるとともに、他の3つの部分とちょうど良いバランスを保っています。この作品の4つの部分は巧みな主題の変奏テクニックによって均衡が保たれています。ところが、「カロリーネ幻想曲」の方の4つの部分は一見非常にアンバランスのように思えるのです。それは次の4点の特徴に由来しているように思われます。

@ソナタ形式に準じた部分が1つもないこと。「さすらい人幻想曲」の第1部分や「祝福幻想曲」の第2部分のように、全曲の柱となるべきソナタ形式から編み出されたと見られる構造を有した部分が「カロリーネ幻想曲」には全く見られないのです。
A第2部分が他の部分に対して、著しく独立性を欠いていること。この部分は、気分転換の間奏的役割しか果たしていないように思われます。
B第3部分であるスケルツォが独自の世界を構築していること。「祝福幻想曲」のようにスケルツォがない方が、まだ作品の一貫性が保たれるような気がします。
C第4部分はまるで第1部分の再現部のように始まる(上の表の1〜3の36小節間)ため第4部分としての独自性が薄くなってしまっていること。直接フーガから第4部分が始まるようにすれば「さすらい人幻想曲」と同じように構造が明確になるのですが。

「さすらい人幻想曲」や「祝福幻想曲」には、1つの作品としてそれぞれ独自の世界が存在するのに対して、「カロリーネ幻想曲」には上記の4点からもうかがえるように、独立性の薄い、自己完結しない、不完全な様相が見て取れるのです。それは、先の2曲の高揚する結末に対して、後ろ髪を引かれるような痛切な終わり方によってさらに強調されているのです。

「カロリーネ幻想曲」が不完全な構造をもった作品であると見えるのは、一個の独立した作品であると考えるからであり、もともと大きな作品の一部分であると考えれば、上記の疑問点など雲散霧消するのです。
@ソナタ形式あるいはそれに準じた構造を持った部分がないのは、第1楽章として完全なソナタ形式の「人生の嵐」が先に来るのですから、中間楽章としては全く不要です。
Aラルゴが独立性を欠くのは、アンダンテ楽章の中間部と見れば納得のいくことだと思われます。
Bスケルツォは、これだけを取り出して1つの楽章として見てみても充分釣り合いのとれた規模と内容を持っています。それは3大ピアノソナタの各スケルツォ楽章に比しても勝るとも劣らず、全く遜色のないできばえです。
C第4部分が再現部のような形で始まるのも、それは再現部であるからと言ってしまえば何ら問題は生じないですね。
問題は、緩徐楽章であるはずの速度表示が Allegro molto moderato になっていることです。しかし実際にこの曲を演奏する人たちはアレグロのスピード感で弾こうとはしないでしょう。もっとゆったりたっぷりと弾こうとするはずです。たぶんシューベルトはこの作品を独立したものと装わせるためにわざわざアレグロを追加したのであって、本来はモルト・モデラートのテンポ感であろうと私は推測しています。

そこで、この「カロリーネ幻想曲」を2つの楽章に分解するとどうなるか?

第2楽章 Molto moderato

主部

主題A提示 ヘ短調 12小節
主題A繰り返し ヘ短調 11
主題Aの発展形 変イ長調 14
主題A:長調へ転調 ヘ長調 10
主題B ヘ短調 18
主題A再現 変ニ短調  8
主題B再現 イ短調 18
主題A再現 ヘ短調 10
推移部分 ヘ長調 19

中間部(ラルゴ)

第1部分(バロック風) 嬰ヘ短調 12小節
第2部分(対話風) 嬰ヘ長調 16
第1部分(バロック風) 嬰ヘ短調 15
i移行句  4

主部

主題A提示 ヘ短調 12小節
主題Aの発展形 変イ長調 14
主題A長調へ転調 ヘ長調 10
主題B(+対位動機) ヘ短調 16
主題B(+対位動機
+三連符)
変イ長調
ハ短調
23
主題B(+三連符) ヘ短調 12
主題B(+三連符) ヘ短調 19
主題B(+三連符) ヘ短調 11
主題A終止部分 ヘ短調 16


第3楽章 スケルツォ
Allegro vivace

スケルツォ 主部 嬰ヘ短調→イ長調 34小節
中間部 嬰ヘ短調→ロ短調→
ニ長調→嬰ハ短調
51
主部 嬰ヘ短調→嬰ヘ長調 24
トリオ 主部 ニ長調→イ長調 14
中間部 嬰へ長調  8
主部 ハ長調→ニ長調 18
スケルツォ 主部 嬰ヘ短調→イ長調 34
中間部 嬰ヘ短調→ロ短調→
ニ長調→嬰ハ短調
51
主部 嬰ヘ短調→嬰ヘ長調 24


さあ、これに「人生の嵐」の第1楽章と「ロンドイ長調」のフィナーレを付け加えると4楽章の完全なソナタになりますね。なお第2楽章の中間部から主部への移行句は、スケルツォの時の1小節がちょうどラルゴの1拍になるので、見かけ上は4小節に減じていますが、実態は全く同じ音楽です。

(6)調性関係

さて今度は、この連弾のための3各品を、4つの楽章から成る1つのソナタ作品として見てみた場合の各楽章の調性関係を見てみましょう。

第1楽章 イ短調
第2楽章 ヘ短調
第3楽章 嬰ヘ短調
第4楽章 イ長調

イ短調の第1楽章に対して、第4楽章は、主調の同主長調であるイ長調を採っており、両端楽章の関係は全く問題ないのですが、第2楽章に、ヘ短調という変わった調性選択をしていることは考慮を要します。ヘ短調は、主調イ短調の平行長調(ハ長調)の下属調(ヘ長調)のさらにその同主短調(ヘ短調)と見ることも出来ますが、もっと簡単に、両主和音にハ音の共通音を持つ3度転調と見ることも出来ます。そう見ると意外に近い関係ですね。シューベルトが嗜好する『ナポリの六の和音』的傾斜を感じさせる(ヘ短調の<♭レ>とイ短調の<ド>の半音関係に顕著に見られる)調選択であります。さらにその後の第3楽章は、第4楽章(イ長調)の平行短調(嬰ヘ短調)という至極真っ当な関係となっています。こうしてみると、第2楽章(ヘ短調)と第3楽章’嬰へ短調)の半音関係というのは、両端楽章があってこそ成り立つものであることが明瞭に理解できます。すなわち全体の調構造は、ソナタの主たる音(イ音)による、イ短調ーイ長調ラインに依存し、従属しているのであって、両端楽章なくして、中間の2つの楽章は存立し得ないものなのです。

一方、「カロリーネ幻想曲」を調関係で見た場合、この作品内で自己完結しているのではないことは明瞭です。幻想曲であるから調関係も奇想天外なものであってもおかしくないとは言うものの、主部へ短調とスケルツォ嬰へ短調という短調どおしの半音関係はあまりに奇妙すぎます。さらに「ラルゴ」ですら「スケルツォ」と同様の嬰ヘ短調を採っていることも、また「トリオ」がイ長調の下属調であるニ長調を採っていることも、奇妙さを裏付けるものとなっています。

(6)シューベルトと出版

シューベルトの生涯で作曲した曲は1000曲程度ですが、生前に出版された曲は472曲とのことです。この数は32年足らずの生涯としては非常に多い数であると言えるのですが、それは曲数の上だけであって、そのほとんどがピアノの舞曲、連弾小品、歌曲、いわば家庭用小品に限られているのです。この3種類だけで449曲に及びます。とすると、その他の曲はたった23曲に過ぎません。もちろん交響曲やオペラは全く出版されませんでしたし、(4)<シューベルトのソナタ>の項でも述べたとおり、弦楽四重奏曲はたった1曲、ピアノソナタはたった3曲しか出版されませんでした。もちろん、シューベルトは家庭用小品作曲家に甘んじていたわけではなく、彼の手紙の中でも示されているとおり、ベートーヴェンのような大曲の作曲家として世に認められることが最大の望みであったのです。またその様に努力もし、成果も上げてきました。彼の最後の日々の願いは、出版社プロープストに対して、稿料のダンピングをし、フィナーレをカットまでして出版交渉に成功した「大ピアノトリオOp.100」の出版された姿を見ることでした。1828年10月2日付(ほとんど死の1ヶ月前)の手紙で、彼は『いったい、いつになったらトリオが刊行されるのか?と自問しております。作品100番のことです。私は、一日千秋の思いで待ち焦がれております。・・・』と述べています。この痛切な叫びに、私たちは涙せずにはおれないでしょう。

シューベルトが欲した『大作』で世に認められること、それは具体的に言えば、一つはコンサートを開いてたくさんの人に聴いて貰うことであり、もう一つは楽譜を出版して、それをたくさんの人に買って貰い、弾いて貰うことなのですが、シューベルトは既に、ピアノソナタの出版について1つの対策を試みました。「ソナタ第一番イ短調」D854、Op.42(1825)と「ソナタ第二番ニ長調」D850、Op.53(1825)は普通に出版したのですが、これが思うような売れ行きを示さなかったのでしょうか、3番目の「ソナタ第三番ト長調」D894、Op.78(1826)については、各楽章を「ファンタジー」、「アンダンテ」、「メヌエット」、「アレグレット」という副題を付けて、バラバラに出版しても良いと許可を与えたのです。こうすることによって、これまでたくさん出版してきた(すなわちある程度売れていた)小品(ピアノ舞曲、連弾、歌曲)の購買者層にアピールし、これまでの作品と同じようにたくさん買ってもらい、それによって今後の「大作」の出版に目途をつけようとしたのではないでしょうか。

そして、この考えをさらに一歩進めたのが、シューベルト最後の年に連続して作曲された3曲の連弾曲だったのではないでしょうか?シューベルトは、これまでの小さな連弾曲の購買者が買いやすいように、まず3つに細切れで出版し、大家として世の中に認められた暁には、1つのソナタとして再度公表するつもりであったと私は考えています。


(7)カロリーネ

この項で再三取り上げてきたカロリーネという人は、我が国では「未完成交響曲」という名の映画の登場人物として一番良く知られています。そこでまず、その辺から話を始めたいのですが、私は残念ながらこの映画を見たことがありません。しかし幸いなことに、matsumoさんのホームページにこの映画の概略が紹介されていますので、どんな話なのか引用させていただきましょう。引用にご了解いただいたmatsumoさんにお礼を申し上げます。

 シューベルト:未完成交響曲[1934,ウィリ・フォレスト監督,奥](LD)
 
 シューベルトといえば,交響曲第8番がなぜ,第2楽章までしか完成できなかったかという謎を描いた映画「未完成交響楽」(ウィリ・フォルスト監督)が有名です。勿論,この映画の中の話は完全な創作といってもよいものらしいのですが,彼がハンガリーのエステルハージー伯爵家に音楽の家庭教師として行き,その伯爵の娘のカロリーネにピアノを教えたのは事実です(これは1818年と1924年の2回行われ,カロリーネが12歳と18歳の時でした)。
 
 この映画の中の話は以下です。すなわち,19世紀のウィーンで小学校の音楽教師をしていた貧乏作曲家シューベルトは,呼ばれたサロンにて自作の未完の交響曲をピアノで演奏するが,ハンガリーのエステルハージー伯爵家の令嬢カロリーネの笑い声により,その演奏は中断してしまう。彼女はそれを後悔し,夏の間,シューベルトを姉妹の音楽教師として雇うように父親に頼む。シューベルトは娘のカロリーネにピアノを教えるのですが,2人は恋に落ちてしまう。しかしながら,一計を案じた伯爵により,二人は引き裂かれてしまう。カロリーネの結婚式に駆けつけたシューベルトは完成した交響曲をピアノで弾くのですが,第3楽章の途中の以前彼女が笑い声を上げた場所で,カロリーネが叫び声を上げて気絶してしまうために弾くことができなる。そして,彼はその後のページを破り捨て,「わが恋の終わざるが如く,この曲もまた終わざるべし」と残りのページに書くというものです。
演奏されているのは未完成交響曲の他,軍隊行進曲,菩提樹,アベ・マリア等があげられます。
 
 この映画はヒットしたことより,1959年にリメイクされ(日本題:未完成交響楽),更に,1971年にも製作されました(日本題:シューベルト物語)。また,これとは別に,テノール歌手のタウバーがシューベルトに扮した「Bossom Time」[Paul L. Stein監督](1934年),晩年のシューベルトを主人公にした「夜曲/シューベルト 愛の鼓動」[フリッツ・レーナー監督](1988年)もあります。


http://member.nifty.ne.jp/matsumo/

この話はいくつかの点で全く史実とかけ離れていますね。まず、カロリーネが結婚したのはシューベルトの死後のことです。次に、シューベルトが雇われたのは1818年が最初ですので、その時には「未完成」は影も形もなかったわけで、話が年代的にずれています。第三に、交響曲が完成したということについては「未完成交響曲」のピアノ譜はスケルツォのところでだんだん薄くなっており、トリオなどはとても演奏できる状態ではないということ、更にスコアの方は書かれた最後のページ以降にも空白のページが残されているという点で史実と反します。もちろん「未完成交響曲」の中断とは全く関係のないカロリーネを無理矢理結びつけたわけですから、話の筋もむちゃくちゃになるのは当然でしょうが、映画を見た人は単純にそれが本当だと信じてしまうのではないでしょうか。もし、今後シューベルトの映画が作られる場合は、ある程度の史実をふまえた上で創作して欲しいものです。残された資料のなかで、シューベルトとカロリーネを結びつける最大のものが、連弾の「幻想曲」の献呈という事実ですので、そこからファンタジーを繰り広げるのが無理がないと思うのですが、いかんせん「未完成交響曲」と「幻想曲」では知名度の点で雲泥の差があるので、興行的にはどうかなという問題は残りますがね。

まあ、荒唐無稽な話はともかく、実際にシューベルトとカロリーネを結びつけるデータはどの程度存在するのか?表だった恋愛関係を証明するものは、何一つないことは明白ですが、接触した事実は確かにあるのです。

@1818年の7月に、ヨハン・カールー・ウンガーという人の推薦によってヨハン・エステルハーツィ伯爵(1775〜1834)の2人の令嬢、すなわち姉のマリー(1803〜1837)および妹のカロリーネ(1806〜1851)の夏の間の音楽家庭教師として採用され現スロヴァキアのゼレチェにある別荘へ赴任しました。この時マリー15歳、カロリーネ12歳でした。

A6年後の、1824年の5月に再度エステルハーツィ伯爵からゼレチェへ招かれ、前回と同様夏の間の音楽家庭教師として2人の令嬢を教えました。この時マリー21歳、カロリーネ18歳でした。赴任に際してシューベルトは急いでいくつかの連弾曲を持っていったことが知られています。またゼレチェでも連弾曲が作られています。連弾曲が指導用に適していたのでしょう。

B1824年8月にゼレチェで書かれたシュヴィントあてのシューベルトの手紙

『・・・・僕はやはり、例の魅力ある生きた星がいるけれど、なんどもヴィーンに対する憧れを感じてしまうのだ。・・・・』

Cシューベルトの死後相当たってからの1866年にシュヴィントが書いたシューベルティアーデ(シューベルトの仲間によるシューベルトを中心とした家庭音楽会)を描いた絵の中で、会場(友人のシュパウン家といわれている)の奥には、カロリーネの大きな肖像画が掲げられています。

Dパウエルンフェルトは次のような詩を残しています。

『惚れた。シューベルトが女生徒に。
それは若い伯爵令嬢の一人
でも彼はー全然別の女を抱いた
もう一人をー忘れるために』

Bの『魅力ある生きた星』という言葉が、シューベルトとカロリーネの関係を的確に表現していると思われます。すなわち『美しいけど、近寄ることの出来ない定め』です。したがって恋愛感情はあったかも知れないけれども、全く実を結ぶべきものではなかったということです。
CとDに示したデータは、シューベルトの死後の想い出としての友人達の記録です。当時から友人達のあいだでも2人の関係(許されざる恋)ということは評判になっていたんでしょう。だからこのようなものが残されることになったのでしょう。しかしこの2点は、友人たちの思いがシューベルトの死後、長い期間を経ているうちに増幅して勝手な想像となって形に表れたものかも知れません。



(8)結び、カロリーネへの手紙

最後に、やすのぶ探偵の推論を述べてこの項を終わらせたいと思います。
今回は、カロリーネが1828年の5月頃シューベルトに宛てた手紙の返事としてシューベルトが書いた手紙、という想定です。

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拝復

 お手紙ありがとうございました。
ゼレチェでの思い出が、つい昨日ののように思い出されます。また、それは私たちには帰ってこないはるか昔のようにも思えます。
あなたのお気持ちは、以前から察していましたが、こうやってお手紙で拝見すると、なおいっそうわれわれの置かれている状況が暗澹たるものであることが、よりいっそう深く認識されます。私も、あなたのことを想いうかべない日など一日とてありません。このことは堅く秘密にしていたのですが、どうも私の友人たちは嗅覚鋭く、何かをかぎつけたようです。いろいろと詮索しているようですが、私は、一切あなたとは無関係であると言い続けています。

 さて、私は最近、あなたのことを想いながら1曲「連弾のためのソナタ」を作曲しました。それはイ短調です。こうやって手紙を書くより、そのソナタを聴いていただいた方が私の気持ちが何倍も伝わることだと思います。私は、ここに1つの仕掛けをめぐらしました。それは私たちの状況をよりいっそう悪くしないためにです。私は、あなたに1曲の「連弾のための幻想曲」を贈ります。私はそのために、自分で一部変更した贈呈用のパート譜を作りました。この曲を聴くと、一般の人は、許されざる恋をしている二人は、数々の困難に翻弄され、その恋を諦めるという風に感じ取るでしょう。それが狙いなのです。『教師が少女の淡い恋心を諭す』という風にとってくれれば、私たちにとって大成功です。

 しかし、本当は違うのです。これは、ソナタの第2楽章と第3楽章であって、これらと第1楽章、第4楽章をあわせて演奏すれば、私たちの恋が真実、永遠のものであり、それは確実に天国で結ばれるであろうことが誰の耳にも聴き取れてしまうはずです。ですから、このことは二人だけの秘密としておいてください。この手紙も読まれたらすぐに焼き捨ててください。

 私は、一生あなた以外の人と結婚するつもりはありません。わたしは、ベートーヴェンのような大作曲家になるよう、これまでよりいっそうの努力をしていくつもりです。世の中の壁は思っていたよりもさらにさらに厚いものですが、だんだんと光も見えてきました。ヴィーンだけでなく、地方でも私の音楽は好評を得て来つつあります。これが近い将来、全ドイツに広がることを期待しています。私の仕事に対するあなたの絶大なるご加護をお願いします。

 それでは、永遠に変わらぬ愛を込めて、百万回のキスを送ります。いつまでもあの笑顔を失わないやさしい人でいてください。

敬具

カロリーネ・エステルハーツィ様

F.シューベルト


2003.7.22 了


参考文献

#@『シューベルトの手紙』(国際フランツ・シューベルト協会刊行シリーズ2「ドキュメント・シューベルトの生涯より) オットー・エーリヒ・ドイチェ著、實吉晴夫編訳 メタモル出版
#A『シューベルトー音楽的肖像ー』 アルフレート・アインシュタイン著、浅井真男訳 白水社 
#B『シューベルト ピアノ連弾名曲集 I』 角野裕・角野怜子校訂・解説、全音楽譜出版社



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