活動報告トップページ>荒木幹男議員の岩手県・陸前高田市視察レポート

荒木幹男市会議員(自民市議団幹事長)一行、被災地を視察

被害が最大地域、多くの尊い命が波にさらわれる

 荒木議員一行はボランティアガイドさんに被災地を案内して頂き、震災当時の状況を聞かせていただきました。
 陸前高田市は太平洋に面した三陸海岸の南寄りに位置する。三陸海岸南部はリアス式海岸が続き、西の唐桑半島と東の広田半島に挟まれた広田湾の北奥に陸前高田のある小さな平野が広がる。この平野は山が海に迫る地形が続く三陸海岸では最大級のものである。広田湾奥には気仙川が流れこんでおり、その運ぶ土砂で形成された砂州には高田松原と呼ばれる松原が東西に続く。高田松原の北に古川沼があり、その先の山麓に中心市街地があり、その北には氷上山がそびえ、広田半島には椿島などの景勝があります。

津波が直撃
 「地震当時は立っていられないほど揺れました」「津波の情報も入らず、状況を知ることができなかった」「震災津波後も町の様子が分かったのは数日後のテレビでした」―というほど情報が遮断されました。
 岩手県陸前高田市では最大震度6弱を観測、地震に伴う津波が直撃し、死者数は1560人(4月18日現在)、陸前高田市の市役所職員68人、消防署員51人が亡くなり、被害がもっとも大きかった地域の一つです。
 案内していただきたボランティアの方は「亡くなった大きな原因は地震がおさまり、商店の人たちは店の片付け、役所の人たちは市民を公民館などへの避難誘導中に津波に襲われました」という。 
 たくさんの方々が亡くなった体育館では波で押し上げられた天井の棒にぶら下がっていた人たちも、力尽きて次々に波にさらわれていきましたが、幸い3人の方が助かったといいます。 

復興遅れ、大型施設、震災当時のまま
 現状も瓦礫の撤去、塩害対策、農地の問題、防波堤建設などが進んでいない現状です。多くの会社、工場なども倒壊したため、雇用問題も大きい。
 現在、12㍍の防波堤案が出ていますが、8㍍にしてその分の費用を高台への家の建設用地の開拓など、他の必要分にまわしたほうが良いとの意見もあり、復旧・復興が遅れています。
 海岸付近の市役所、消防署、交番、公民館、体育館、図書館、ショッピングモールなどの大型施設はほぼ震災当時のままです。
 家があったであろう場所は、震災当時のままです。車や船、大きな石など瓦礫が未だ撤去されていないところも多い。流された橋もそのままでした。
 スーパー、コンビ二、飲食店、クリーニング店などプレハブや車で物販販売などの形で営業が再開されています。市役所も仮設プレハブの再開でした。

「奇跡の一本松」保護を断念…海水で根が腐り
 津波に耐えた岩手・高田松原の一本松=林陽一撮影 東日本大震災の津波に耐えた岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」について、地元の「高田松原を守る会」が、国の名勝「高田松原」に唯一残った松を復興のシンボルにしようと、周囲に鉄板を打ち込んだり、地中の海水を吸い上げたりしてきた。
 残念ながら財団法人「日本緑化センター」(東京)が昨年10月に調べたところ、海水で根がほとんど腐り、松を維持するのは極めて難しい状態と判明しました。現在は「再生不可能」として保護作業を打ち切った。現在は立ち枯れるのを見守っている状況という。
 守る会の鈴木善久会長(66)は「一本松は我々を『強く生きろ』と励ましてくれた。生きて残してやれないのは本当に残念」と話しています。会では一本松の接ぎ木を育てるなどして高田松原に苗木を移す計画を進めるほか、一本松に防風・防虫対策を施し、立ち枯れのまま残せないか市に要望しています。

高田松原の松で制作 仏像を奉納
 東日本大震災で亡くなった人たちを供養しようと、被災地の岩手県陸前高田市の松を使って制作された仏像が完成し、京都の清水寺に奉納されました。
 奉納された仏像は高さ2メートル70センチの「大日如来坐像」です。
 京都府南丹市の専門学校の学生たちが、東日本大震災からの復興を願い、津波の被害に遭った岩手県陸前高田市の国の名勝、「高田松原」の松を使って制作したもので、被災地に住む人たちやブータンのワンチュク国王夫妻など1万人以上がノミを入れ、このほど完成しました。


一本松が残った理由
ランドセルが置かれた建物内
津波に流されてた陸地と建物
ガレキ
破壊された建物
被災の建物前にて

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