最初に訪れたのは宮城県の東北最大の都市で、「杜の都」との別名をもつ仙台市。震災当時は4波の津波が押し寄せ、津波の高さは10㍍だったといいます。丘陵部地域の宅地で擁壁が崩壊・地すべりが発生し被災宅地は4000世帯、死者797人、建物被害全壊3万棟、避難所は最大10万6000人(3月12日)、被害額の推計は約1兆3684億円に及んだ。
浜街道は大渋滞、三陸自動車道が防波堤になり、防波堤以後の山側の津波被害は免れた。しかし、その後水田に海水が冠水したたまで震災塩害が深刻な問題になったといいます。
その対策として、土壌サンプルを採取。土壌の塩分を取り除くために、綿花を栽培したところ、「1年後には土の濃度が震災前と同じに、それ以上になった所もあった」といいます。
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