活動報告トップページ>後援会「幹友会総会」の講演会
- 幹友会総会に通天閣観光社長、西上雅章社長を招き講演会 -
新世界の復興で大阪を活性化 年間100万人の観光客

 荒木幹男自民市議団幹事長の後援会「幹友会総会」の講演会は7月13日、大阪市北区のプラザホテル大阪で、通天閣観光(大阪市浪速区恵美須東1)の西上雅章社長をお迎えして講演しました。

 当日の講演の要旨は次の通りです。

盛大に大阪で内国勧業博覧会、開催
 南大阪から応援に駆けつけた「金閣寺、銀閣寺、通天閣の西上です」とジョークを交えながら講演は始まりました。
 今年で通天閣が創立100周年を迎えます。
 1903年(明治36年)、大阪の天王寺会場を中心に開催された「第五回内国勧業博覧会」は、日本国内だけでなく、海外諸国の出展品も並んだ、事実上、日本で初めての万国博覧会でした。イルミネーションが施された西洋風建築物、自動車やタイプライターなどの珍しい展示物、またメリーゴーラウンドといったアトラクション。博覧会は連日、大にぎわいでした。
 通天閣のはしりは明治36(1903)年に現在の天王寺公園、天王寺動物園の場所で第5回内国勧業博覧会が開催されました。当時、日本は「先進国に追いつけ、追い越せ」と国策として万国博覧会の誘致に努めました。それまでに内国勧業博覧会は東京で3回、京都の岡崎市で1回開かれました。大阪での内国勧業博覧会は537カ国が参加、過去最大な勧業博覧会となりました。

博覧会の跡地に市民のオアシス
 日本政府としてはオリンピックと同時に万国博覧会の開催を目指していましたが、第2次世界大戦(太平洋戦争)が起こるなど、その夢は以来1970年の大阪・吹田(千里丘陵)で開催されたエキスポまで待たなければなりません。
 そして大阪市は天王寺公園、同動物園で開催された勧業博覧会の跡地をどうのように有効活用するかと財界と大阪市が一緒になって大阪都市株式会社を設立し、〝市民の憩いの場〟として天王寺公園をつくりました。
 財界では、「大大阪」建立の礎となり大阪経済の中興の祖と呼ばれる土井みちおが主導して博覧会終了後も、跡地は天王寺公園や新世界ルナパークとして、長らく大阪の名所となります。 そしてその西半分にランドマークとしての75㍍の高さの通天閣が建設されました。
 通天閣の近くには当時、千人の大正芸者がいた飛田新地の遊郭があり、大正時代はキタ、ミナミに負けないにぎやかな街でした。
 その後、太平洋戦争の足音が響くようになると、人々が新世界に遊びにくる人もめっきり減りました。昭和18(1943)年には通天閣の直下にあった映画館から失火し、通天閣の橋脚が過熱により強度不足となる。そのため、鉄材を軍需資材として大阪府に「献納」するという名目で同年2月から塔は解体され、初代通天閣は姿を消しました。

2代目通天閣、日本一高い塔
 1943年に初代通天閣が火災で焼け落ちたが1953年頃、地元新世界の有志らにより再建話が持ち上がり、「通天閣再建委員会」へと発展しました。当初は「通天閣再興は夢のまた、夢」と笑い話として地元では相手にもされなかったが、再建話は徐々に現実味を帯びてゆきました。だが初代通天閣の有った場所には既に民家が建ち並んでおり、ほど近い公園に再建することとなりました。
 「通天閣」とは、「天に通じる高い建物」という意味で、命名したのは明治初期の儒学者、藤沢南岳です。
 現在の通天閣は二代目で、1956年(昭和31年)に完成しました。通天閣観光株式会社により運営されています。避雷針を含めた高さは103m(塔自体の高さは100m)。設計者は、ほぼ同時期にできた名古屋テレビ塔、東京タワーなどを手がけた内藤多仲。建設を施工したのは奥村組です。構造材の鉄骨は溶融亜鉛めっきされた品質の高い物で、1996年の改修工事時に確認したところ、びくともしませんでした。

幻の松下電器の広告?
 完成翌年の1957年(昭和32年)から、塔の側面に総合電機企業の日立製作所が広告を出しています。。当時、〝経営の神様〟と呼ばれた松下電器社長の松下幸之助氏は広告を断った件を後悔したというエピソードが残っています。
 二代目通天閣に建替えられた1956年(昭和31年)は10月28日の開業日に10,496人の入場を記録するなど人気を博し年間入場者が155万人を越えていたものの、1965年(昭和40年)に100万人を割込み、光化学スモッグ等の環境汚染等も要因となって1975年(昭和50年)には高度経済成長時代のかげりもあり、20万人前後へと激減した。

新世界の復興へ
 オイルショック、それに続く、節電の要請もあり広告塔のネオンが一時、その後は「戦前の新世界の活気を取り戻そう」と作家、噺家(はなしか)、文化人らが〝勝手連〟的に通天閣復興に立ち上がりました。また、地元も美化・防犯面でも力を入れ、緩やかに回復傾向を示し、通天閣を舞台としたNHKテレビ番組「二人っ子」や映画、ビリケンや串カツ人気の高まりもあって2006年(平成18年)に90万人、2007年度(平成19年度)に100万人超へと順調に回復した。

新世界通天閣100年ギャラリー鏡割り
新世界ライブ
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