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大阪には1500年もの歴史がありますから、どのまちにも想像を超える不思議なできごとがいっぱいあります。しかも大阪は、町人がつくりあげた町人のまちです。なにものにもとらわれない自在の気風があらゆるところに息づいています。


《出来島》 から福の舟溜まり  「義経の松」しのぶ石碑 工業地帯に隠れた歴史

今回のまち歩きは、阪神なんば線「出来島駅」を出発し、神崎川沿いなどを巡り、大阪湾にほど近い大阪市内でも数少ない漁港として知られる「福の舟溜(だ)まり」を目指すコースに参加した。ガイドを務めるのは西淀川区の「大和田郷土史会」の幹事を務める八木茂さん(80)。早速、スタート地点でコースの資料を受け取り、参加者の皆さんととともに出発した。
出来島駅を出て神崎川沿いを経て住宅街を進むと、見えてきたのは最初の目的地である五社神社。江戸時代に周辺では多くの新田が開発された。同神社は1688年に中島新田を開発する際、五社五柱の神を勧請(かんじょう)したとされる。

西島出身の五輪・銀メダリストも

次の目的地・西島住吉神社に向かう途中、八木さんが豆知識として教えてくれたのが、地元の西淀川区・西島出身の著名人について。1928年のアムステルダム五輪水泳100メートル自由形で銅メダル、800メートルリレーで銀メダルに輝くなどした高石勝男氏(故人)を挙げた。そうこうしているうちに西島住吉神社に到着。
神社は2008年に大改修され、整然とした雰囲気だが、境内には280年前のものとされる灯籠が残り、歴史を感じさせる。

義経ゆかりの石碑

続いて訪れたのが判官松伝承地。1185年に源義経が平家追討のために讃岐国・屋島に向けて軍船を出したが、突風に航路を遮られ、現在の西淀川区の大和田浦に漂着。義経は住吉大明神に海上の安全航行を祈願し、再び屋島に向かうことになる。
九郎判官とも称された義経がこの地に松を植えたとも、松の木に腰掛けて休んだともいわれたことから、ここにあった松が判官松と呼ばれていたという。「以前は浜からの目印になっていた」と八木さん。しかし、1877年の落雷で消失。現在は石碑が当時をしのばせる。
大野住吉神社、福住吉神社をたどり、福町の路地裏の道を進む。「福町は戦災を受けていないので路地が残っている」(八木さん)との説明を受けながら歩くが、まさに細長い路地が続く光景は大阪市内でも珍しいといえる。
やがて大野川緑陰道路の木々の下を歩き、最終目的の福の舟溜まりに到着。大阪市内に残る数少ない漁港の一つだ。目の前の堤防から見渡すと、大阪湾が見えた。
まち歩きを終えた八尾市の主婦、土井綾子さん(41)は「西淀川区といえば工業地帯だが、昔は新田があり、当時は最新の場所で歴史を感じる」と話していた。

○…決して派手な展示物があるわけでなく、車の往来が時に激しいながらも、静かなまち歩きとなった。大阪市内とは
いえ、なかなかこの辺りをゆっくりと歩く機会はそうそうない。歩いてみて初めて体感できることもある。往時の人々の暮らしぶりを想像しながら、楽しいひとときを過ごせた。

出来島 姫 島
判官松伝承地の石碑
コースのガイドを勤めた大和田郷土史会の八木さん
姫島の案内役を務める(左から)島忠雄さん、生島佐一さん
コースの途中にある
中島大水道跡碑

《姫島》 歴史感じる酒屋の建物

西淀川のまち歩きを満喫しょうと、阪神電車「姫島駅」周辺を回るコースを巡った。
阪神電車で「梅田駅」から淀川を越えると最初の駅が「姫島駅」。平日の午後、駅の改札口で待ち合わせたのは、コースのガイドを務める島忠雄さんと、大阪あそ歩のガイドとしては最高齢となる93歳の生島佐一さん。生島さんは地元で稗島史学会を主宰するまさに「姫島の生き字引」として知られるという。
駅を出てほどなく歩くと大和田街道に出た。「国道ができるまでは尼崎に行く唯一の道だった」(生島さん)という。当時から残るという街道沿いで営業する酒屋の建物が歴史を感じさせる。

姫島神社  境内には万葉集の歌碑

ほどなく歩くと姫嶋神社にたどり着く。同神社は阿迦留姫命などを祭神として祭っている。境内には「妹が名は 千代に流れむ 姫島の 小松がうれに こけむすまでに」の万葉集の歌碑が立っている。「大阪で万葉集の歌碑がある場所は少ない」(鈴木孝季宮司)という。
そして区民のウオーキングなどのスポットとして親しまれている大野川緑陰道路に移動した。かつての大野川筋を埋め立てて跡地として整備された場所だ。その一角にひっそりと立っているのが、中島大水道跡碑だ。
碑には中島大水道が大道村(現・東淀川区東大道町)の庄屋澤田久佐衛門ほかの主唱で沿岸村民の努力と多大の犠牲のもと、開削されたことを伝えている。

JR東西線の開通で人口増、子どもの元気な声も

コースを歩いている途中、度々、すれ違う親子連れらと島さんが元気にあいさつを交わす。島さんは「JRの東西線ができてからこの辺りは人口が増えた」という。近くの公園からは子供たちの元気な声が聞こえてきた。
町歩きの最後に訪ねたのは、近くで薩摩切子を製造する「阪本カットグラス」。薩摩切子は薩摩藩で作られていたガラス工芸品だ。角度の浅いカットを施し、色をかぶせたガラスと無色のガラスの境界をあいまいにすることで出る美しいグラデーションが特徴だ。作業場に入れてもらいその美しさに引き込まれた。

○…3時間ほどかけてコースを歩いたが、生島さんの元気なガイドぶりには驚かされた。町歩きを終えると、私や一緒に同行したメンバーらとともに食堂で玉子丼をごちそうになった。温かい丼が冷えた体には何よりのごちそうだった。

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