教育講座 稗島史学会は生島佐一氏が、平成18年10月から姫島地区で開催されている西淀川の歴史を探訪する会です。
生島氏は、姫島の生き字引と地域では「知る人は知る」とかなり有名人、月一回の講座には毎回20人ほど地域の住人が集まり、話が熱するにつれ各々からも、あの時自分はこうしたとか、ああだったとか、その時代を思い出し個々の昔話で花が咲くこともあり、賑やかに、和やかに行われています。
初回、歴史は古代より延々と引き継がれてきたのであるから、現代の歴史を語るには、日本人種の起源・神社に帰属する生活習慣・天皇の起りなど日本民族の成り立ちを紐解かなければならないと、いきなり姫島の歴史に入るのではなく、日本列島の起りから講義は始まり現在第28回昭和11~15年頃に至っている。
第1回学びの区民講座は、西淀川の古代から中世までの歩み:古代・中世の西淀川と題し
・紀元前3000年頃、上町台地に土砂が堆積し、そこから島々が出来て現在の地理が出来た。
・難波は、まわりが海に囲まれ波が起ることから「浪華」「浪速」「名庭」「那爾波」「奈爾波」などの地名が使われてきた。
・姫島は、「日女島」「媛島」「彌売島」「比売島「稗島」などの字が使われ、どこかの落武者が姫と一緒に来て居つき姫がついた地名になったのでは、また姫島が江坂、吹田あたりで天皇の結婚式や披露宴(大嘗祭?)が行われたとのいわれがあるが、確たる証拠はない。
・御幣島も、「御帛島」など地名の字の変遷がある。阪急電車の十三駅は始め姫島が始発となる筈であった。東西線は大正時代に既に計画されていたのである。
などと「西淀川はええとこだっせ」とナニワの語り口が心地よい響きでもって講座が続き、“おおよそ”とか“たぶん”とか、いともいい加減な説明もはいるが時々起る笑い声に眠気も覚める、今回は区役所に場所を移して、いつもの姫島住民だけでなく、区全体の大勢の方々に姫島の歴史を語る機会があり、生島氏も普段と変わらない「絶口調」で面白おかしく、また、90歳という年輪を経た、なんとも趣のある語り口調が聴衆をひきつけ、笑いあり同調のうなずきありで楽しく終始しました。
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