地域(西淀川区)情報トップページ>わがまち 西淀川区ってこんなん知っとこ!学びの講座-2

※残念ながら、第2回フィールドワーク佃は参加出来なかった。

第3回 学びの区民講座 「姫島地域フィールドワーク」
開催日:平成21年11月20日
姫嶋神社
歴史  講師:宮司 鈴木 孝季氏
姫嶋神社は昭和20年6月15日米軍戦闘機B29による大阪大空襲で消失し神社の古書は殆ど残っていないので由来は定かでないが、万葉集や古事記・日本書紀などから諸説を垣間見られる。
獅子舞 講師:獅子舞講頭 野中 勝哉氏
平成20年夏祭りより姫島に獅子舞の復活を、と有志7名により伝法の烏宮に師事を仰ぎ再開した。その模様をビデオ鑑賞、1年目は夏祭り間際に毎晩仕事を終えてからの練習でくたくたになりながらの初披露は、やはり笛、太鼓、踊りが上手くかみ合わず苦労した。今年の夏には練習の成果はあったと自負する、参拝の大人に懐かしがられた。
だんじり 講師:地車保存会会長 安芸 哲朗氏
ビデオ鑑賞。昭和初期には約10台の地車を各町内が所有していたが戦災で消失、今は大小3台が夏祭りを盛り上げている。西淀川だんじりパレード(区内のだんじりを一挙集合した)・東京湯島天神菅原道真公1100年祭・御堂筋パレード3回連続出場・淀川区蒲田神社へ応援訪問など活発に活動してきた。いまや姫島に欠かせない存在となっている。

大和田街道
大正15年淀川大橋の竣工まで街道名である。起点は難波橋北詰で西成大橋・姫島・大和田・出来島・佃・左門殿川を通り終点は大物(尼崎市)に到る。当時は国道2号線であり沿線には商店や市場が並び繁栄していた。今もその面影の商店があり、所々に大和田の碑が点在しているので一見。
慈雲寺  講師:住職 江村 昭雄氏
現在18世住職と副住職が約400年余りの法燈を受け継がれるほど歴史あるお寺です。その間、本堂も老朽化の為昭和52年に再建、そのとき本尊真下の地中より、第8代坊守榮喜(奥さんが入っていたとされる)素焼きの骨壷が無傷で掘り出され、現本堂法名前に安置されている。慈雲寺が東の寺なら、西の寺は遍満寺と姫島では呼ばれている。いずれの存在も、昔があって今がある、我々の存在から歴史は外せないのである。


第4回 学びの区民講座 「薩摩切り子」「洞窟探検」 
開催日:平成21年12月16日
阪本カットグラス  講師:阪本 光男氏
TV.となりの人間国宝に出演のビデオと製造工程、グラスのビデオで説明。薩摩切り子は弘化3年(1846)薩摩藩守・島津斉興(ナリオキ)の薬瓶製造から始まり、成彬による硬質硝子の製造所創設、当時日本で出来なかった紅ガラス・藍・紫・緑・黄などの発色に成功し精巧なカットの薩摩切り子は世に出て欧米へ輸出されたとも考えられる。
しかし成彬没後は薩英・戌辰の戦争や明治維新で終焉した。昭和60年に復元され、さらに高度な技術で黒ガラスを被せた薩摩黒切子や、二色のガラスを被せた二重被せガラスの切子も生まれた。
このような手作業で作る技術の継承が身近な所で行われていることに感応するが、いずれの“ものづくり”も継承者に苦慮する現実は否めない。
展示されたグラスを観賞し、その精巧さに驚きと淡い温もりを感じたひとときだった。
神秘的な洞窟宝庫を楽しむ  講師:工学博士 沢 勲氏
2度のTV出演で自宅の洞窟を紹介された。
洞窟探検は30ヵ国300ヵ所もされたとか、“洞窟には人生がある”洞窟に魅せられた自身の想いを語られる先生はまさに若者でした。
なぜ探検するか?先生にはすべて3つの根源がある。人は学ぶ為に生まれてきた・出会いは偶然でない・ユートピアは社会奉仕するもの。豊かに生きるには、精神・肉体・経済力のバランスを取る事。など探検を通しての人生訓も愉快に分かりやすく賜り、話術の軽さの中にある重さを感じた。
私たちは何かを発する為に居る、簡単な事でも良いから言葉・文章・形にすることが生きている証拠だと言わんばかりに、次々に先生は洞窟の再現にいそしんでおられる。野里の洞窟にどうぞ・・・誘う!

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