■消耗戦開始
1942年6月4日、フィリピンで惨敗を喫した合衆国海軍は、その後巻き返しと攻勢の再起を図ろうとしますが、新たな戦争での主戦力たる空母機動部隊は壊滅、新鋭戦艦たちも日本軍の航空機の前にそのかなりが傷物にされてしまい、前線やハワイの工作船や浮きドックだけでは足りず、何隻かは遠く西海岸にまで後退する羽目になります。 対する日本軍は、前衛戦力が比較的無傷だった事もあり、反撃の好機到来とフィリピンの勢いをかって、保持しているマリアナ諸島からトラック諸島に対する逆上陸作戦を企図します。 これは、フィリピンのレイテ島とパラオに陣取る米軍を包囲すると同時に、それを阻止せんがため迎撃に現れるであろう、米主力艦隊に対して戦力の低下しているこの好機を狙い決戦を強要、これを先年の太平洋戦争のように殲滅する事にあります。 しかし、米軍も何度も同じ手を食うわけもなく、現場指揮官の半ば独断によりパラオ諸島、トラック諸島を放棄し、マーシャル群島にまで後退する事を決定します。 劣勢な戦力で戦ってもロクな事などないから、この判断は当然でしょう。 しかし、レイテからの撤退は、大量の輸送船舶を敵最前線に投入せねばならず、この撤退作戦が、増援投入と勘違いした日本側の現地基地航空隊の全力を傾けた猛攻撃の前に失敗、多数の輸送船舶と護衛艦艇を失う大損害受けます。これは、船舶量にしてトータル30万頓にも達し、他の地域で増大しつつある潜水艦の損害と合わせれば、一時的に前線で活動できる米高速輸送船団が壊滅している事を表しており、同時にレイテの海兵隊を救援する手段を当面失った事を意味します。このため、レイテの兵力のうち7割が取り残される事となりました。 一方、主力部隊の撤退も、早々に進出してきたトラックから飛来した多数の基地航空隊と空母機動部隊の前に大きな損害を出し、幸いにして戦艦の撃沈こそ無かったものの、補助艦艇の大きな損害が出、それらの損害により日本主力艦隊から逃れるのが精一杯で、結局レイテの友軍を救援するどころか、這々の体でマーシャルへと撤退する事になります。 なお、航空攻撃により米主力艦に損失が出なかった理由は、新造戦艦の対空防御力が高くなっていた事と、この時の作戦方針が一隻でも多くの艦に損傷を与え、敵を足止めする事が航空部隊に厳命されていた事が原因しています。 つまるところ連合艦隊は、今回もインド洋での戦いの再来を期待したのですが、米艦隊の戦力が大きすぎた事、米艦隊の速力が思ったより落ちなかった事、その撤退が巧みだった事などから、ついに主力艦隊決戦は発生することなく、連合艦隊主力は損傷により逃げ遅れた僅かな補助艦艇に、憂さを晴らすような攻撃を行い、これを完膚無きまでに殲滅します。 これが、俗に言う「トラック沖海戦」の顛末です。
度重なる作戦の失敗とこの後退に合衆国大統領は激怒、太平洋艦隊司令官ハズバンド・キンメル大将を解任、後任にチェスター・ニミッツ大将を指名します。 また、合衆国は、フィリピンでの失敗により短期決戦が不可能であることを悟り、方針の変更を行います。それは、戦争そのものを限定的長期戦へと移行させる事です。 この方針に従い、新たに太平洋艦隊司令官に就任したニミッツ大将は、決戦戦術に固執したそれまでの常識を覆し、たとえ少数でも積極的な攻撃を行い、日本海軍に対して少しでも損害を与えよと言う命令を出します。もちろん、彼が得意とする潜水艦を使っての通商破壊も熱心に行います。 ニミッツが方針を変更できたのは、短期決戦戦略を完全に捨てた訳ではなく、政府、軍部上層部がある程度の長期戦を容認し、それにより作戦の修正を行ったからです。 新たな方針の概略は、日米の国力差と言う絶対に埋まることのないこの差を利用して、小兵力のぶつかり合いにより、日本艦隊に対して長期わたる漸減を行い、日本の造船能力、修理能力の低さ後目に合衆国海軍を強化、日本軍が消耗しつくし戦時計画艦の完成する1943年末に本格的な決戦を挑み日本艦隊を粉砕、爾後障害のなくなった中部太平洋を再び戻り、今度こそ東京湾に乗り込むというものです。この場合のタイムスパンは長く見ても3年程度。欧州でドイツがソ連と英国に関わっている間に戦争を終わらせてしまうのです。 このため、マーシャル諸島にはかつて無いほどの兵力が展開され、日本軍にもアリアリと分かるようにここに尻を据えることを宣言します。 また、領土奪回に出て来るであろう日本軍を叩くための、攻勢防御に必要な戦力も同時に揃えられます。 そして、主戦力として航空戦力が重要視されるようになるので、新造艦の建造方針に変更が行われます。つまり、空母と防空艦艇の充実です。この方針に従い、建造がまだ開始されたばかりの強力な「ヴァーモント」級戦艦は、その全てが建造中止され、その代わりに大量の「エセックス」級空母とさらに大型の空母の建造を開始します。 ただし、正規空母の建造には長期の時間と資材、そして建造施設が必要ですので、「クリーブランド」級軽巡洋艦の半数に当たる9隻を軽空母への改装を行い、この補完戦力とされます。
しかし、ここで大きな問題が発生します。 それは、レイテに上陸した海兵隊が撤退できていない事です。そして、彼らは敵地のど真ん中で完全に孤立しており、合衆国海軍は、フィリピン、トラックでの消耗から、これを救出できるだけの機動戦力を当面確保できない状態です。 これは、空母は一隻もなく、損傷で数の減った戦艦を突撃させても、無傷の日本戦艦群の各個撃破の対象になるだけだからです。 しかし、撤退は無理でも補給だけでも行わねばならず、駆逐艦改造の高速輸送船を確保し、可能な限りの護衛を付けて当地へと派遣せねばなりません。できれば、本格的な高速輸送船団もしたてたい所です。ただ、輸送船団を伴った派遣を行うには、太平洋艦隊が戦力をある程度回復する10月まで待たねばならず、また彼らを橋頭堡として維持し続け、再びレイテへと大規模な攻撃を行うには、43年初頭まで待たねばなりません。 これは、トラックを奪回した日本軍が、本来なら攻勢防御を維持すべき段階のところで、待ちきれず限定攻勢を開始しており、マーシャルでは頻繁に空海での戦闘が多発し、太平洋艦隊の再編成が遅くなる事で、よりいっそうの遅れを見せます。 日本軍は、図らずもニミッツが計画していた戦闘に自ら乗ってきてくれた事になるのですが、レイテで孤立する友軍をほったらかして、アメリカ軍も全面的にこれに乗るわけにもいかず、場当たり的な戦闘で、双方の消耗は激しくなります。 また、当のレイテ島では、日本陸軍がここでの汚名をそそぐべく奪回作戦を進めており、地の利を利用した圧倒的な制空権のもと、レイテへの逆上陸、兵力の集中を進めます。 そして、9月に2個師団をレイテに集中した陸軍は、航空支援を受けつつ反撃を開始、補給も半ば途絶え制空権もない合衆国海兵隊を圧倒しこれを降伏に追い込むことに成功します。 この反撃がスムーズに成功したのは、日本にとって近在だったことと、それ故敵の偵察情報が詳細に入手できた事、そしてやはり圧倒的な制空権、制海権を確保できた事が大きいと言えます。 (「修羅の波濤」のように展開する事はありません。殴られたら思いっきり殴り返すだけです(笑))
この敗北は、合衆国にとっては大きな悲劇となりますが、すでに長期戦を決意し、その方針にしたがい政策誘導を行っていたおかげで、国内で極端な厭戦気分が醸成されることもなく、戦争そのものにとっては単なる1ページとして扱われ、日米双方はお互いのシーレーン破壊と、トラック=マーシャルでの無意味とすら言える消耗戦を継続します。 そして、この42年秋からの消耗戦に日本軍と日本政府は慄然とします。それは戦う前からある程度分かっていた事でしたが、このままズルズルと中部太平洋での戦闘を継続すれば、いずれ帝国のジリ貧となり国力差から必敗は確実であると。 また、戦時生産体制の関係から日本単独だと、戦争3年の経過にあたる1944年冬ぐらいから米軍による反攻が本格化し、その2年後に帝国は敗北するという総力戦レポートも提出されます。 つまり、帝国は44年夏までに総力を挙げた反撃を合衆国軍に対して行い、これに最低限判定優位の勝利を収めなければいけないと言うことです。 これは、43年までにソ連との戦争が片づき、44年には西欧での戦いも終焉を迎え、枢軸国がアメリカ対して完全な包囲網を両洋から作ることができ、そこで大規模な戦闘で勝利すれば、アメリカを停戦のテーブルに着かせる事もできるだろうと言う、甘い観測があるからです。 また、海軍の戦時計画の大型艦艇の多数が43年から44年春にかけて就役する予定であり、米軍のそれはまだ揃いきらないだろうという、手前勝手な戦術判断もこれを後押しします。 そして、来るべき決戦に備えるために、当面はトラック諸島を絶対防衛線として、主力艦隊は可能な限り消耗を避けるために後方のパラオと内地に下げられ、前線は基地航空部隊と補給のための護衛艦隊ばかりが目立つ陣容に変更されます。 ただし、アメリカの残存母艦戦力を警戒するために、後方のパラオには常時空母機動部隊を1つと第一艦隊か第二艦隊のどちらかが配置されます。 一方の合衆国軍の方も、42年いっぱいは消耗から回復するまで攻撃的な戦闘はできず、また43年に入って主力艦隊が復活して、再びマーシャルへと駒を進めますが、機動戦力の欠如からヒット・アンド・ウェイ以外の積極的作戦を採ることができず、また基地航空戦力を用いた長距離爆撃は、護衛戦力の随伴が距離の問題から難しい事から思ったほど効果を上げず、トラックを無力化すべくエニウェトク環礁に送りこまれた膨大な数の爆撃機は、日本側の邀撃でむなしく消耗を重ねるばかりとなります。 なお、日英は戦争中でしたが、アメリカがついに英国と連携する事がなかった事から、南半球へ日本軍が侵攻する事はなく、アメリカ合衆国も日本軍が侵攻していない、合衆国にとっての中立国となる英国の領土に足を踏み入れる事もできないので、結局この地域が戦場になることはありませんでした。
そして1943年に入ると、日本側の戦時生産がピークを迎えます。これは、膨大な数の護衛艦艇と中型潜水艦の建造、大量の航空機の就航によって目に見えて成果を発揮します。 対する合衆国も戦時生産を徐々に強化し、軌道にのせつつありますが、もともと不景気のどん底からいきなり戦時生産へと移行した事から来る無理がたたり、また枢軸国の全てがしかけてくる太平洋、大西洋双方での通商破壊は大きな成果を上げ、英国のような優れた対潜水艦戦術と装備を持たない合衆国海軍は苦戦を強いられ、43年中の1カ月当たりの損害も平均50〜60万頓に達します。なお、ドイツ軍など欧州枢軸軍は、これとは別に英国に対しても英国の生産力の低下に比例するように、物量で英国を押しつぶしつつあり、大きな戦果を挙げています。 反対に合衆国が日本にしかける通商破壊は、対潜水艦戦術のレベルは同程度ながら、投入される潜水艦の絶対数の少なさと(枢軸国側は43年当時総数300隻体勢で、対する米国は準備不足からこの時点では100隻体勢がやっと)、日本側が早期に戦時体制に移行していた事を原因とする護衛艦艇の多さ、そして、何よりも開戦当初から半年程度全くの改善すらされなかった秘密兵器である魚雷の欠陥などから、枢軸国側ほどの成果を上げず、43年に入っても月平均にして15〜25万頓のオーダーで止まっており、これは日本側の月産50万頓(42年末の統計値)の建造力をもって十二分にカバーされ、思ったほど効果を上げていません。 しかも、42年末と比較すると43年半ばの方が、合衆国にとってむしろ数値は悪くなっているというレポートが提出される始末です。これは、ドイツがソ連と中東戦線を片づけ通商破壊と防空・戦略爆撃に全力を投入し始めたという事と、日本の生産力がピークを迎え、さらに戦力が増大していると言う事が大きく原因しています。 つまり、船舶の増加量に関して言うなら、合衆国は日本に対して劣勢に立っている事を意味しています。これは、対潜水艦対策と造船力の増大を何とかしなければ、いずれ合衆国の方が後方兵站でじり貧になる事を示しており、前線での停滞を合わせて合衆国軍と政府の焦りを強くさせる事になります。 もちろん、米国の生産力が本格的に軌道に乗れば、それも大きく改善される筈ですが、それはいまだ画餅に過ぎず当面の問題を解決はしてくれませんでした。
当然、多くの意見が合衆国が、日本に対して宣戦布告した時点で米英が同盟を結んでいれば、戦争の様相が大きく変わると言いますが、連綿と続く英米の双方の相互不信によりこれは極めて難しく、しかも合衆国はおのが欲望を満たすために、太平洋にばかり兵力を振り向け、英国の援助を全く行っていないと言う状態では、英国が同盟に応えるわけもなく、結局各個に枢軸国と戦争を継続する事になります。
そして太平洋での戦いが1943年に突入すると、日米双方で建造されつつあった超大型艦を除く戦時艦艇が、実戦配備が開始されます。就役するものは、日本においては「龍級」中型空母であり、合衆国においては、各種巡洋艦と軽空母と言う事になります。 これは、双方トラックとマーシャルでにらみ合って、「千日手」と化している膨大な数の戦艦同士の睨み合いのバランスを崩す大きな要因になります。 特に、日本の機動航空戦力の増大は大きく、マーシャルに逼塞する合衆国太平洋艦隊に対する攻勢の機会と映ります。 対する米軍も空母に関しては、ようやく初期計画の「エセックス」級の何隻かと軽空母が順調に就航しつつあり、同様に限定攻勢の機会を考えるようになります。特に、停滞する戦況に市民の厭戦気分が確実に醸成されつつある事を懸念する合衆国政府からの突き上げは大きく、新たな侵攻作戦が海軍に要請されます。 前線部隊でも、日本艦隊が分散配備されている事をこの頃に察知し、これを利用して各個撃破する好機と捉えていた事から、この作戦の始動が開始されます。 攻略目標は、初戦で大きな失敗をしたマリアナ諸島。本来ならトラック諸島こそ攻略目標として相応しいのですが、ここはあまりにも強固に防衛されている事から避けられ、ここでの停滞を一気に断ち切る意味を込めて後方拠点であり、日本本土の喉元とすら言えるマリアナへの侵攻が計画されます。 そして当然と言うか、最初の攻略目標に選ばれたのは、距離的な問題から旧合衆国領土だった「グァム島」です。 また、太平洋艦隊が目標とするのは主力艦隊ではなく、おそらく出て来るであろう日本の強大な空母部隊が、分散しているスキに各個撃破する事です。
では、第二次マリアナ沖海戦が始まる前に双方の戦力を見てみましょう。なお、ここで紹介するものは、太平洋上に展開されている第一線級の機動戦力のみです。
◇日本海軍編成表(1943年夏当時) 第一艦隊:(在パラオ) 「紀伊」、「尾張」、「駿河」、「近江」 「富士」、「阿蘇」、「雲仙」、「浅間」 重巡:4隻、軽巡:1隻、駆逐艦:16隻
第二艦隊:(在パラオ) 「葛城」、「赤城」、「愛宕」、「高雄」 「加賀」、「土佐」、「長門」、「陸奥」 重巡:3隻、軽巡:3隻、駆逐艦:16隻
第一機動艦隊(艦載機:320)(在パラオ) 「蒼龍」、「飛龍」、「雲龍」 「龍驤」、「龍鳳」、「瑞鳳」 「金剛」、「榛名」 重巡:2隻、軽巡:1隻、駆逐艦:12隻
第二機動艦隊(艦載機:300)(内地) 「翔鶴」、「瑞鶴」、「千鶴」 「日進」、「瑞穂」 「比叡」 防空巡洋艦:3隻、駆逐艦:12隻
第三機動艦隊(艦載機:270)(在パラオ) 「天龍」、「神龍」、「昇龍」 「千歳」、「千代田」 「高千穂」、「穂高」 重巡:2隻、軽巡:2隻、駆逐艦:12隻
第四機動艦隊(艦載機:270)(内地で編成途上) 「白龍」、「黒龍」、「紅龍」 「千早」、「千景」 「白根」、「鞍馬」 防空巡洋艦:2隻、駆逐艦:12隻
第七艦隊(遣印艦隊): 重巡:2隻、軽巡:2隻、駆逐艦:8隻
第五艦隊(北太平洋艦隊): 重巡:2隻、軽巡:3隻、駆逐艦:8隻
◇アメリカ海軍編成表(1943年夏当時) 第一任務部隊 「ルイジアナ」、「オハイオ」 「インディアナ」、「モンタナ」、「サラトガ」 「ノースカロライナ」、「ワシントン」、「サウスダコタ」 「アラバマ」、「マサチューセッツ」、「ロードアイランド」 重巡:4隻、軽巡:4隻、駆逐艦:16隻
第二任務部隊 「アイオワ」、「ニュージャージ」、「ミズーリ」 「ウィスコンシン」、「イリノイ」、「ケンタッキー」 重巡:4隻、軽巡:3隻、駆逐艦:16隻
第三八任務部隊 第一群(艦載機:280) 「エンタープライズ」、「ヨークタウン2」、軽空母:3隻 重巡洋艦:4隻、軽巡:2隻、駆逐艦:16隻
第二群(艦載機:260) 「エセックス」、「イントレピット」、軽空母:2隻 防空軽巡:4隻、軽巡:2隻、駆逐艦:16隻
第七一任務部隊 「コロラド」、「カリフォルニア」 護衛空母:6隻(艦載機:180) 重巡:3隻、軽巡:4隻、駆逐艦:32隻 (海兵1個、陸軍1個師団を載せた輸送船団を随伴)
以上、双方膨大な戦力がこの時点で蓄積されている事になります。 これは取りも直さず、戦争中盤で半ば無意味に映った消耗を嫌った日本海軍が艦隊温存に走り、前線を基地航空隊に任せた事に起因しており、また米軍が機動航空戦力が劣勢だった事から攻勢にでれなかったと言う事が原因しています。 なお、日本軍は、パラオと日本本土に艦隊を分散配備しており、アメリカ海軍が艦隊をマーシャルに集めている事と比べると、兵力集中という点で劣っています。 パラオに艦隊主力が配備されているのは、最前線のトラック環礁は空襲の危険から艦隊を置くことができないからで、その代わりとして近在に大きな泊地能力を持つパラオに、米軍の急な動きに対応するために艦隊を待機させているからです。 内地にも機動部隊がいるのは、本土防衛という理由だけでなく、日本の補給能力、整備能力がやはりこれだけの大艦隊を、前線だけで維持運営できない事に起因しています。
1943年春の大規模な戦闘は、当然米軍の出撃から始まります。これを、潜伏している潜水艦と長距離偵察機から情報を得た、日本海軍も行動を開始します。 しかし、日本軍はここで大きな誤断をします。それは、米軍の侵攻目的がトラックであると考え、パラオに待機していた艦隊をそちらに振り向けたからです。 一方、戦術的奇襲に成功した米機動部隊は、後方で休養と戦力の補充に務めていたマリアナにあった、基地航空艦隊に対しての強襲を行います。ただこれは、日本軍もこの頃には電探を多数配備するようになっていたので、奇襲とはならず在マリアナ航空戦力を一時的に壊滅に追い込むことにこそ成功しますが、自らの戦力もそれなりに傷つく結果になります。 しかし、機動戦力たる連合艦隊がいなかったため、侵攻作戦そのものは順調に伸展し、グァム島への上陸、制空権と制海権の一時的奪取に成功します。
この突然のマリアナ侵攻に狼狽した日本軍は、なんとか挽回を図ろうと無理をして在トラックの航空戦力と、内地から急遽硫黄島などに派遣した部隊を使い、航空攻撃を行いますが、米陸軍航空隊のマーシャルからの妨害もあり、満足な結果をあげる事が出来ず、むなしく戦力を消耗するだけとなります。 そうした中、ようやくトラックからマリアナに進路を変更した連合艦隊が到着します。 今回の戦いも、双方距離があった事から、索敵によりお互いの位置を確認するや、双方の空母機動部隊が相手空母に対しての航空攻撃により開始されます。 当然、双方の主力艦隊も今度こそと距離を詰め始めますが、250海里もの差はそうそう埋まるものではありません。 空母による戦闘は、双方の提督が積極果敢だったという事が影響してか、合計してそれぞれ6波もの攻撃隊を放つ大激戦となり、同程度の戦力がぶつかった故に、同程度の損害を出し、日本側は、正規空母「蒼龍」、「天龍」、「神龍」と、軽空母「龍驤」を失い、合衆国側は、正規空母「ヨークタウン2」、「イントレピット」、インディペンデンス級軽空母2隻を喪失する結果に終わります。また、当然それ以外の空母の半数も大きく傷つき、それ以上の戦闘継続は双方ともに困難な程のダメージを受けます。 戦闘は空母同士の戦いが終了した事で、ついに日米の戦艦同士による艦隊決戦かと思われましたが、その日の午後遅く日本本土から来援した、日本の第三機動艦隊が猛然と米主力艦隊に襲いかかり、日本側の新ドクトリンに従い、多数の艦艇に広く浅くダメージを与えることに成功します。 この日本第三機動艦隊からの攻撃は、1波200機程度の攻撃でしたが、硫黄島など近在の基地航空戦力との連携がうまくいった事から、さらに多数の航空機が襲いかかり、アメリカの第一任務部隊の戦艦の半数に中破程度の損害を与え、中でも就役したばかりの新鋭戦艦を2隻とも大きく傷つけられた事による米軍のショックは大きく、この時点での一時撤退を決意、反転を行い日本艦隊と会敵する事はありませんでした。 結局米軍は、新たな日本空母部隊の登場で作戦の失敗を認め、今度は上陸部隊を見捨てることなく、速やかな撤退を夜半のうちに開始します。 そして翌日、現地に到着した連合艦隊は、もぬけの空となった米軍陣地だけを発見する事になります。
そしてこの戦いは、日本側にある決意をさせる事になります。