東太平洋海戦 (第二幕)
◆第二幕「死天使」 両軍の艦隊が水面下の敵と熾烈な戦いを繰り広げている頃、日付は4月20日を迎え、間合いを図りつ移動していた双方の位置も、夜明けには500kmに縮まっていた。 位置的にはハワイの東北東1700kmの海上を基点とした広大な海域に、日米の大艦隊が展開している事になる。 もちろん、双方とも相手の正確な場所は、この時点では掴んでいなかった。それは、数日前から継続されている熾烈な戦いを行っていた潜水艦たちが、その戦闘ゆえ多くが行動を封じられるか、艦隊から離されていたからだ。 しかし、日米双方とも相手がすでに手の届く所に近づいている事を「知って」おり、黎明を以て膨大な数の索敵機が放ち、敵艦隊を求めて数百キロ彼方を目指した。 この時双方が投入した艦載機兵力は日本が高速空母19隻・1330機、合衆国が高速空母15隻・1070機で、これまでため込んでいた戦力を一気に投入できた日本側が25%程度有利だったが、主力艦隊を含めた互いの陣形は、ほぼ鏡に写した自分の姿と言っても過言ではなく、近代戦争における海上での物量戦がどのようなものであるかを映す一面と言えるだろう。 そして、お互いに自分で自分を殴った場合どうなるかを熟知しているだけに、その索敵には努力が傾注されていた。これは、互いの戦力がほぼ拮抗している以上(と当時は双方考えていた)、先に見つけた方が絶対的な有利に立つと信じられていたからだ。先制攻撃を行った方が絶対的に有利だと考えていた日米海軍の基本ドクトリン(一般的な軍事常識でもある)に従えば、まさにその通りと言えるだろう。
黎明から開始された索敵は、双方の艦隊がほぼ相手の方向に向けて突き進んでいた事から、索敵開始から約1時間半後の午前7時に約500kmの距離でお互い発見に成功する。 タイムラグ的には、速度の速い偵察機を多用している日本側が若干早いぐらいだったが、この場合大きな差はなかった。 そして、この距離は双方にとっても十分に攻撃圏内だった事、双方の指揮官が積極果敢な人物だった事から、躊躇なく自らの剣を大きく振り抜く事になる。 また、相手の剣を防ぐための盾の用意も怠りなかった。 日米双方が、午前7時から午前8時までに上空に上げた航空機の数は、日本側の攻撃隊第一波が約500機、第二波が350機で、防空戦闘機が約350機だった。同時に放たれた合衆国側の攻撃隊第一波は約400機、第二波が300機、防空戦闘機は約300機という内容だった。 この一瞬、約2時間の間に上空を飛んでいた小型機の数は、索敵機も含めれば優に2000機を超えており、常識を超越した物量の集中を文字通り現す状態だった。今時大戦でもこれだけの兵力が一カ所に、しかも一時に集中された事はもちろん初めてで、この集中度合いに双方の航空統制は、半ばパニック状態と化していた。これは、システマチックな事については定評のある合衆国海軍においてもその例外ではなかった。常識を超越した物量の集中に、技術が追いついていなかったのだ。 そして、これを単純にランチェスター・モデルに当てはめれば、日本軍が7割の犠牲をはらえば、米艦載機は一機残らず打ち落とされている事になる。 ただし、上記したように双方あまりにも膨大な艦載機を放った事から、解き放った時点ですでに混乱が始まっており、それは、双方のインターセプターが相手攻撃隊を捉えた時点から「魔女の大釜」の状態へと突き進んでいく事になる。
母艦より解き放たれた艦載機の中、最初に目的地に到着したのは日本の第一次攻撃隊先鋒で、彼ら約300機を構成するのは相手空母の飛行甲板と防空艦に狙いを付けた「彗星」艦爆と、制空権奪取を目的とした「烈風」艦戦だった。彼らは最高巡航速度約430km/hという、この当時の常識を超越した進撃速度を維持しつつ侵空し、進撃開始から1時間強で、合衆国軍のインターセプターと出会う事になる。 現地時間で午前8時半を少し回ったばかりだった。この進撃速度の速さが、合衆国軍にさらなる混乱をもたらす事になる。 予期せぬ素早い日本機の空襲の前に、防空体勢を整える時間が十分に与えられなかったからだ。結果として、日本側の第一波を捕捉したのは、合衆国防空隊約300機のうち、その陣形の関係上約150機程度となった。 しかも防空隊の過半は「ヘルキャット」で構成されており、彼らはほぼ同数の「烈風」のうち制空戦を任務とする約100機からの挑戦を受け、撃墜比率3:1と言う大敗を喫する事になる。 この結果は、「ヘルキャット」が防御力以外の全ての点で「烈風」に対して劣勢だった事と、日本側がエースパイロットばかりをこの先鋒に送り込んでいた事が影響していた。このため、「零戦」に対してなら5:1以上の撃墜比率を誇ると言われた戦闘機が、手もなく捻られてしまったのだ。 この戦場で、合衆国軍は40機以上の戦闘機を一気に失い、さらに生き残りの三分の一も大きな損傷を受けるという大損害を受け、自分たちの操る戦闘機より早い最高速度を誇る「彗星」を、ほとんど止める事もできないと言う、防空隊として惨敗を喫する事になる。 そして、防空ゾーンを突破した約150機の「彗星」は、その名に恥じぬ高速を以て、米機動部隊が打ち上げる濃密な対空砲火すら振り切り、その腕の冴えを見せつけた。 この攻撃を、ようやくレーダー連動射撃を実現したばかりの、合衆国軍が押しとどめる事はできなかった。(注:英米の技術交流が全くないので、近接信管は実用化どころか、どの国でも試作すらまだされていません。) 結果、攻撃に成功した約130機が投下した500kg徹甲爆弾のうち35発が命中、命中率実に27%と言う驚異的な数値を叩き出す事になる。しかも、至近弾を含めればその数値は五割に達していた。その代償として熾烈な対空砲火とインターセプターにより二割の機体を失ったが、その犠牲を差し引いて余りある戦果と言え、この攻撃を受けた米第五八機動部隊・第二群、第三群を構成する空母のうち、正規空母「バンカー・ヒル」、「ホーネット2」、「ランドルフ」、軽空母3隻が被弾・損傷するという大打撃を受ける事になる。このうち、「ホーネット2」だけは二時間のちにダメコンチームの犠牲的な努力により、航空機運用能力を取り戻したが、二つの部隊の三分の二の母艦が初戦で損害を受け、その後の航空機運用能力を大きく減殺した効果は無視できないだろう。特に初期の至近弾で舵を損傷した軽空母「プリンストン」は、この攻撃だけで都合6発もの500kg爆弾を被弾し大火災が発生、後に合衆国軍の手により処分されている。 当然、これ以外にも多数のエスコート艦が被弾しており、防空網に隙間を作り出した事も無視できなかった。 そして、艦爆隊の攻撃が終了した10分後、今度は結果的に第二波となった、「天山」艦攻を主力とする攻撃隊が、同じ経路をたどり「烈風」が空路を切り開く中突破してきた。しかし速度の遅い艦攻は、インターセプターを完全に振り切る事は出来ず、結局投弾に成功したのは7割にすぎなかった。しかし、それでも約80機にものぼる雷撃機の破壊力は大きく、最初の攻撃で乱れた輪形陣の中に入られた合衆国軍側の混乱もあり、約15%に当たる13本もの魚雷を命中させていた。当然、被弾した空母と脅威の高いエスコートが集中的に狙われ、正規空母「バンカー・ヒル」が魚雷7本を受け撃沈、軽空母「ベロー・ウッド」も3発の爆弾に加えて2本の魚雷によりその後を追った。それ以外も既に被弾していた「ランドルフ」と軽空母2隻が1〜2本の魚雷を受け、航空機運用能力を完全に失っていた。 また、直衛についていた防空巡洋艦が魚雷1本を受け、先だって500kg爆弾を受けていた事もあり大破。もちろん戦力喪失だった。
500機の艦載機による攻撃の効果は絶大だった。15隻を誇った米母艦群のうち早くも三分の一の戦力が失われたのだ。もちろん、新鋭機による効果があった事も事実だが、これは500機と言う飽和攻撃がもたらした効果と言えるだろう。 しかも、日本軍の攻撃はこれだけではなかった。 第二波350機が、実にこの当時の日本機らしい巡航速度の早さを見せつけつつ、午前9時半頃には早くも合衆国軍の防空ゾーンに姿を現していた。 そして、この攻撃隊こそが日本側の「本命」だった。構成されていた航空機は全て「烈風」と新鋭の「流星」で占められており、第一波でさんざん引っかき回されているであろう、米機動部隊に引導を渡す事をその任務として心得ていた。 攻撃隊のうち「烈風」が150機、「流星」が200機だった。 これに対する米インターセプターは、5隻の空母が既に活動を停止していた事と、第一波の日本側制空隊との戦闘で大きく消耗しており、この時上空にあったのは約180機にまで減少していた。しかも大半が「ヘルキャット」で構成されており、150機の「烈風」に対するなら、数の優位を利用してもよくて互角、贔屓目で見るなら日本側が有利とすら言えた。 しかも、「流星」も「彗星」同様最高速度570km/hの優速を誇っており、最初の捕捉に失敗すればこれを邀撃する事は不可能とは言わないまでも非常に困難というのが実状だった。 そして、合衆国軍側パイロットにとって「流星」は、文字通り初見参の敵だった。このため、同じガル翼をしたコルセアと間違えたパイロットがいたことが報告されている。 日本の第二波攻撃隊は、合衆国軍の邀撃圏内に入ると、ようやく戦場に到着し遠距離から電探情報を伝える「二式大艇」の誘導に従い、制空隊の「烈風」が今度は全力で迎撃してきた米インターセプターとの壮絶な戦闘に突入した。 激突の結果は、やはり新鋭機の効果が大きくかった。日本側が3:2以上のキルレシオで有利に立っていた。そして、制空隊が切り開いた空路を、過重状態でも550km/hに達するスピードをフルに活かし突進していった。 米艦隊の防空ゾーンに突入するまでに、約二割が「ヘルキャット」に捕捉され目的を達する事はできなかったが、それでも約160機の機体が輪形陣へと低空から滑り込んでいった。 そう、急降下爆撃も可能な筈の「流星」は、米機動部隊にトドメを刺すために全て雷装していたのだ。 この攻撃隊も、「二式大艇」の誘導により、今度は最初の攻撃から外されていた第一群も目標に加えて、3つに分かれて攻撃を行った。 分散した事で、集中度合いと言う重要な点で攻撃の効果は若干低下してが、パイロット達が雷撃のベテランばかりだったということもあり、合衆国軍の圧倒的な防空射撃によりかなりを失う犠牲を払ったが、最終的に二割もの命中率を発揮し、米機動部隊に大打撃を与える事に成功する。 この攻撃で第五八任務部隊は、正規空母「ランドルフ」、「フランクリン」、軽空母3隻、防空巡洋艦1隻、駆逐艦1隻が撃沈、正規空母、「ワスプ2」、「タイコンデロガ」、軽空母1隻、重巡洋艦1隻、軽巡洋艦2隻が被雷する損害を受ける事になる。 大打撃だった。 米機動部隊は、第一波と合わせれば正規空母3隻、軽空母4隻が撃沈、正規空母3隻、軽空母1隻が撃破されるという文字通り壊滅的打撃を受けていた。 そして、合衆国軍が当初考えていた波状攻撃に使える空母は、「ホーネット2」の復帰を含めても当初戦力の三分の一以下に激減していた事を示している。 しかし、合衆国軍が日本と同時に放っていた攻撃隊も、自らと同様に日本機動部隊に破滅的な打撃を与えつつあった。 まさに、互いに鏡に向かって殴りかかっていたのだ。
日本側は、このとき350機の防空戦闘機を艦隊前面に配置し、艦隊も以下のように並んでいた。
第一機動艦隊
第三機動艦隊 第四機動艦隊
第二機動艦隊
これ以外にも、主力艦隊が第一機動艦隊のさらに前方20海里を進撃していたが、日本軍同様まず空母を撃滅すべしと考える米パイロットにこれらは眼中になく、空母目指して攻撃を行う事になる。 合衆国側の攻撃隊は第一波は約400機、第二波が300機。これを迎え撃つ日本艦隊は、約350機の戦闘機を艦隊前面に展開していた。ただし、迎撃戦闘機は攻撃隊に新鋭機を多数派遣したため、うち200機が「零戦」で占められていた。これは、軽空母での「烈風」の運用が困難だと言う理由もあったが、機種改変が間に合わなかったと言う理由の方が大きかった。 ただ、「零戦」と言っても、最終シリーズに属する「零戦33型」は新型の金星エンジンを搭載した改良型で、その戦闘力は「ヘルキャット」相手なら、五分といかないまでもかなりの対抗が可能と考えられていた。 また、これ以外にも主力艦隊の直衛的存在として、軽空母2隻分、約50機の戦闘機があり、これも迎撃に参加していた。 つまり、迎撃側は400機の機体を用意していたことになる。 しかし、合衆国軍側もこの攻撃隊には、艦載機としてなら新型と言っても良い「F4Uコルセア」を多数投入しており、特に第一波を占める制空隊の全てにあたる200機が「コルセア」で構成されていた。 ただし、合衆国軍の艦載機は進撃速度が300km/h程度しかないため、日本艦隊の上空に到着するまで1時間半ほどを要し、日本側の電探管制機の効果もあり、日本側の迎撃は合衆国ほどの混乱はなかった。 しかも、日本の多くのパイロットにとって「コルセア」は新顔ではなかった事から、この点での混乱も低いものに抑えられていた。 しかし、日本側の迎撃ゾーンに入ると200機の「コルセア」は、その性能を全く裏切ることなく日本側迎撃網を食い破る事に成功する。しかし、「烈風」は完全に抑えれたが、攻撃機に的を絞った大量の「零戦」までを完全に抑える事はできず、合衆国側の200機の攻撃機のうち四割が日本艦隊に達することができなかった。だが、それでも約120機が突破に成功し、第一、第三群の所属機が第一機動艦隊に、第二群の攻撃隊が第四機動艦隊へと殺到していた。 そして、第一機動艦隊を攻撃したパイロットたちは、輪形陣の中心に位置する日本空母を見て絶句する事になる。 等しく彼らが見たのは、戦艦並の重厚さを持った合衆国ですら持ち得ない、これまで見たこともない巨大な四隻の空母であり、これを撃破しなければ合衆国の勝利はありえないと感じさせる圧倒的な存在感を誇示していた。当然、これを見たパイロットたちは、他の艦艇を全く無視して四隻の母艦に殺到した。この時攻撃を受けたのは、左側を航行していた「大鳳」と「翔鳳」で、それぞれ40機の攻撃機が一気に殺到する事になる。 殺到したが故に一種の飽和攻撃となったが、流石に艦隊旗艦たる「大鳳」はこの攻撃によく耐え、装甲空母と言う利点もあり、1000ポンド爆弾3発、魚雷1本の損害を受けただけで、その後も旗艦として作戦を続行するだけでなく、航空機の運用すら続けたが、就役して2カ月しかたっていなかった「翔鳳」は、「大鳳」ほどうまく攻撃を避けることが出来ず、爆弾もアキレス腱の一つのエレベーターへの直撃もあった事から自慢の装甲甲板を以てしても離発着不能となり、加えて大破してしまうことになる。この攻撃だけで「翔鳳」受けた敵弾の数は、1000ポンド爆弾5発、魚雷3本で、これが通常の空母なら撃沈している所が、満載排水量5万頓に達する装甲空母だからこそ耐えられたダメージだった。また、第一機動艦隊の損害が少なく済んだ理由の一つに、戦艦「対馬(旧デラウェア)」の防空戦闘による活躍があり、彼女が空母群の後方で濃密な弾幕を張っていた事が、米パイロットの命中率を下げた事は間違いなかった。 一方、第四機動艦隊に殺到した攻撃隊は、艦隊中核の前方に位置する正規空母に狙いを定め、教科書通りの攻撃により「雲龍」、「昇龍」を大破し、「千歳」にも魚雷を1本命中させていた。そして、中型空母で防御力の低い空母だった事から「雲龍」、「昇龍」ともダメージに耐えることが出来ず、合衆国側の第二波攻撃を受ける前に総員退艦が発令されていた。 そして、「昇龍」で退艦命令が出されている頃、合衆国側の第二波300機が、体勢を立て直しつつあった防空隊の前に姿を現していた。 このうち、120機が戦闘機で180機が攻撃隊だったが、日本側もまだ300機以上が上空にあり、これを可能な限り統制を保とうとしながら迎撃を行った。 迎撃機のうち「コルセア」との対戦からなお上空にあった「烈風」は80機程度だったが、相手も同程度でありさらに日本側には、まだありあまるぐらいの「零戦」が援護していた事から、敵の数が判明した時点で迎撃には比較的楽観していた。 しかし、その慢心が油断を生み、結局迎撃に成功したとは言えず、今度は三分の二近くにあたる110機の攻撃機の突破を許すこととなった。今回合衆国側のターゲットとなった部隊は、依然艦隊の先頭をばく進する第一機動艦隊と第三機動艦隊、そして艦隊の最も後方で大量の艦載機を放っていた第二機動艦隊だった。 ただし、こんどは日本側と同様分散して攻撃する事となったため、最初のような大きな成果をあげる事はできず、結果として日本側ほどの戦果を挙げることはなかった。 しかし、それでも「大鳳」級以外は軽防御の日本空母には、結果として大きなダメージとして計上される事になる。 この攻撃により、大きな損傷を受けていた「翔鳳」がさらに魚雷5本を受け、ついに総員退艦命令が出され、第三機動艦隊の軽空母の「千歳」、「千代田」も奮戦むなしく「千歳」が撃沈、「千代田」も総員退艦する以外手のない大火災に見舞われていた。ただし、「飛龍」は歴戦の空母らしい巧みな操艦により攻撃を回避し、第三機動艦隊唯一の健在艦となった。 また、それまで全くダメージを受けていなかった第二機動艦隊に殺到した40機の米軍機は、それまでの激戦を潜り抜けてきた練達の艦長達に操られた母艦群を前に、大打撃を与える事は出来なかったが、それでも「翔鶴」に1000ポンドを1発ヒットさせ中破(しかし、その後も何とか航空機を運用し続けた)、「瑞穂」に魚雷2本を命中させ、後に味方駆逐艦による処分に追い込んでいる。 しかし合衆国軍は、最後まで開戦当初から圧倒的攻撃力を発揮して、事あるごとに米艦隊を傷物にしていた「翔鶴」級空母航空隊、合衆国軍の通称「アイアン・クロー」をへし折ることができなかった。
こうして、午前11時前に日米双方の空からの最初の殴り合いが終わり、今度は互いに生き残りを収容しての次手を送り込む算段を始める事になる。 そして互いの指揮官は、報告されたその損害の多さに共に慄然とした。 日本側は実働1200機で始めたはずが、集計してみると700機しか稼働機がなくなっていた。もちろん帰還した後に損傷が激しく再出撃できない機体も多数含まれているが、600機あった筈の攻撃機が300機しかない事は、それまでの中部太平洋の戦いから考えても異常だった。 対する合衆国側も稼働1000機で始めたゲームが、母艦と運命を共にした機体や母艦の減少から収容しきれなかった機体もあった事なども重なり、450機にまで減少していた。そして、こちらも攻撃機は150機程度にまで減少していた。 しかし、日米双方とも互いに相手がまだ健在である事を確認していたし、双方の指揮官が一般的に「猛将」や「闘将」と呼ばれる人物だった事から、距離をさらにつめて戦闘を継続する事となった。 そして、日本側が先に第三波として午前11時半に250機を発艦させ、つづく30分後にさらに100機、さらに30分後に80機の攻撃隊を放った。まさに「闘将」のなせる技と言え、これが日本側がこの時点で放てる全ての攻撃機だった。 一方の合衆国側も、午後零時頃に150機の攻撃隊を、続く零時半には100機の攻撃隊を放っていた。こちらも「猛将」の名に恥じない積極果敢さだったが、彼が放てる攻撃隊もこれが限界だった。 この数の差はまさに日米の母艦数の差がもたらしたものとも言え、母艦数、艦載機数において勝る日本側の有利がハッキリししてきており、まさにランチェスター・モデルの実現となりつつあった。 午後零時半、日本側第三波が米艦隊防空ゾーンへと侵入する。待ちかまえる防空隊は約200機、対する日本側は「烈風」が約130機。先ほどの戦闘結果から、合衆国側防空隊を突破するには十分な数と言えた。 そして、その結果が数字と機体戦闘力の差を全く裏切らず、日本側が20機近い犠牲を払ったが、それに倍する40機以上もの敵機を葬り、攻撃隊の進路を切り開くことに成功する。 ただし、日本側はここで、次なる攻撃目標として「戦艦」部隊にも攻撃を振り向けてしまい、残存する空母部隊に対する攻撃は中途半端なものとなった。 戦艦部隊への攻撃の結果はそれなりの成果を収め、戦艦「メイン」、「ワシントン」に中破の損害を与え、他3隻にも命中弾を浴びせ小破の判定を与えていた。 一方、空母部隊への攻撃結果は、「エンタープライズ」に多数の命中弾を浴びせ大破、軽空母「カボット」を撃沈する戦果を与えていたが、まだ米機動部隊の戦力は維持されていた。 その30分後に行われた第四波攻撃も、第三波と同様二つに攻撃が分散し、空母側への攻撃は米インターセプターの活躍と中途半端な攻撃がたたり、特に有力な打撃を与える事ができず、戦艦への攻撃もさらに数発の命中弾を得ていたが、決して満足のいくものではなかった。 そして、日本艦載機最後の攻撃となった第五波の攻撃は悲惨な結果と終わる。それは、合衆国機動部隊指揮官の強い要請により前線に無理矢理出張ってきていた護衛空母部隊が一群あり、そこから発進した約60機の「F4Fワイルドキャット」がインターセプトに参加していたからだ。「ワイルドキャット」が相手だったので、「流星」は積載物を捨てれば十分振り切ることも可能だったが、攻撃に固執したため多くが攻撃の機会を逸する結果となり、戦艦一隻に爆弾一発の命中だけという結果に終わることになる。 一方、合衆国の攻撃も日本側が相変わらず大量に配置しているインターセプターを前に苦戦を強いられ、第三、第四波共に3割程度の攻撃隊しか突破出来ず、その成果も決して大きなものではなかった。 しかし、それまで無傷で戦闘を行っていた第四機動艦隊が攻撃の対象となり、「黒龍」、「紅龍」がそれぞれ大破と中破するという損害を受けていた。他にも「白鳳」が敵弾を受けたがこちらは爆弾のみだった事もあり、戦闘継続が可能だったが、どちらにせよ日本機動部隊にこの日にこれ以上の攻撃隊を放つのは不可能だった。 それは、母艦のすでに半数が撃破・撃沈されており、機動部隊が抱える稼働機のうち攻撃機の数が激減し、実に七割にも及ぶ損害を受けていたからだ。 翌日になれば、修理した機体やスペアの組立で、機動部隊合計500機程度にまで復活する目算はたっていたが、現状ではこれが限界だった。それに、母艦の損害も稼働空母が半数を割り込んでいた事は大きな不安材料で、まず損傷している母艦を可能な限り安全に退避させねばならなかった。本土で建造されている新造艦の数を考えれば、ここで一隻でも失う訳にはいかなかったからだ。 これは、合衆国側においてなお深刻で、稼働空母3隻、艦載機200機と言う事実はもうどうしようもなかった。 もっとも、3隻の空母が損傷こそしていたがまだ健在で、「エセックス」級のうち「タイコンデロガ」は、翌日には戦線復帰できる目処もたっていたので、決して絶望する状態ではなかったが、だからといって今日はもう一時退却しかあり得なかった。
これでこの日の航空戦は終わるかに見えたが、まだ終わっていなかった。 それは双方の午後の攻撃が終了した頃、遙かハワイ諸島から成層圏を飛来する9機の機影があったからだ。 このとき11000mの成層圏を飛行していたのは、日本海軍第五航空艦隊所属の「連山改」9機だった。本来は12機編成の中隊だったのだが、「荷物」が扱いづらい上に重く、また長距離の進撃だった事もあり、エンジン不調などを起こし引き返したため9機となっていたのだ。 この接近をレーダーにより察知した米機動部隊では、この高空から飛来する機体にある程度の警戒をしたが、高空からの水平爆撃の命中率の悪さは尋常ではない事は戦術常識であり、念のため追い払うためのコルセアを1個中隊上げ、艦隊の陣形を若干広げる措置しか行わなかった。たかが少数機による水平爆撃、しかも時期を逸した攻撃、それで十分なはずだった。 しかし、レーダーオペレーターは、敵機の距離が30kmを切った時点で悲鳴を上げた。敵機がそれまで400km/h強だった速度を一気に600km/h以上にまで加速したからだ。 これは、苦労して上空にかけ昇りつつある「コルセア」の迎撃はほぼ間に合わない事を示しており、追撃も不可能だとの宣告でもあった。 そして、エンジンのフルパワーとロケットによる一時加速で、悠々米艦隊の上空に到着した9機の重爆は、そこで旋回運動に入る。最終的な高度は12000mに達しており、これは高角砲など防空火器による迎撃が事実上不可能だと言う事を示していた。 この時の様子を米将兵の証言の一つに「数は違っていましたが、まるで聖書に出てくるアルマゲドンで、大天使がその始まりを告げるラッパを吹きに来たようでしだ。」と言うのがある。 まさに、この時の将兵にとってはその通りだった。 ただし、9機の「連山」が持っていたのはラッパなどではなく、むしろ槍と言って良く、聖書に強引に当てはめるならイエス・キリストを殺した「ロンギヌスの槍」と言っても決して言い過ぎではない程この時の米機動部隊には危険な存在だった。 しかし、CICや司令部、レーダー班、艦橋に詰めていたもの達の幾人かは別の感想を持っていた。 それは、日本機が通信妨害として行った近距離無線電話に対する妨害音波が、この海戦の別名を決定づけた音楽だったからだ。 9機の「連山改」が、艦隊まで30kmに迫ったその瞬間、スピーカーから流されてきた大音響の通信妨害は、リヒャルト・ワーグナーの歌劇「ニーベルングの指輪」の一節に使われる「ワルキューレの騎行」だったからだ。 日本海軍航空隊の中にヒトラーかぶれの指揮官がいたのか、それとも痛烈な諧謔家だったのかは、当事者からの情報が少ないため現在においても判断の分かれるところだが、合衆国将兵にとっては「死の旋律」そのものだった。 また、爆撃機たちが、各種妨害電波と共に膨大な量の「チャフ」を散布した事で、黄昏が迫っていた事もあり、幻想的とすら言える非常に美しい景観を作り出していた事も、この戦闘の印象を強くしていた。 そして、9機の現代のワルキューレ達は、米機動部隊の防空体勢を眼下に、神々に刃向かう人間をあざ笑うかのごとく悠然とその頭上遙かに達し、勇者を自らの世界へと誘うためヴォータンから与えられた槍を、勇者の中でもとりわけ屈強そうなものへと投げかけた。なお、この時のワルキューレたちが携えていた槍の数はそれぞれ2本だった。 もちろん放たれた武器はワルキューレの槍ではなく、ドイツ軍が実用化した無線誘導奮進弾「ヘンシェルHS293A」の日本版「四式誘導弾」だった。 改良された点は、弾頭が日本の1200kg徹甲爆弾(46cm砲弾の爆弾化したもの)となり大型化し、それにしたがい爆弾の尾部の加速用ロケットなども大型化されていた事だった。要するにシステム以外は全くの別物と言うことだ。 英国からの情報が無かった事から、この兵器について合衆国はほとんど知識を持っていなかったが、この爆弾が進路を変更してきたその瞬間この危険性を悟り、その瞬間対空射撃の目標を高空むなしく打ち上げるだけの爆撃機に対するものから、その爆弾へと変更した。 だが、その時には全てが遅かった。投げかけられた18発の爆弾は、その直前にロケットへと点火を行い、目標に向けての加速を開始していたからだ。 その過程で七発のロケットが誘導の不備、ロケットの発動不良などでコントロールを失い、さらに高角砲の弾幕射撃で三発が撃墜されていたが、残り八発は目標に向けての終末進路に乗りつつあった。 機関砲の射程圏内に入るとさらに一発が、ボフォース40mm機関砲により撃墜されたが、残された槍は目標の心臓を深くを貫くべく最後の加速を続けていた。それは見上げた将兵が、胸の前で十字を切るゆとりすらないほどのスピードだった。 最終的に命中したのは七発だったが、その命中の瞬間、飛翔の爆音が命中の後からやって来ており、この誘導弾の終末速度がマッハを超えたスピードで目標へと命中した事を何よりも雄弁に物語っていた。 なお、目標とされたのは、その時一カ所に集成、再編されていた正規空母「ホーネット2」、「ワスプ2」、軽空母「ラングレー2」だった。艦隊を集成していた事が悲劇をより大きくしたのだ。そして、「ワスプ2」と「ラングレー2」にはほぼ同時に三発が命中していた。 成層圏から落とされ、ロケットにより加速された総重量2トンに達する爆弾の破壊力はまさに悪魔的、死神の槍と言え、3発が相次いで命中した軽空母「ラングレー2」は、弾薬庫に命中、誘爆した事から被弾とほぼ同時に乗員約1600名を道連れに文字通り爆沈、同じく相次いで3発が命中した「ワスプ2」も機関部が完全に破壊され格納庫も火の海となり、破棄する以外どうしようもない被害を受けていた。もちろん3300名もの乗員を抱える正規空母だけにその人的損害も甚大だった。 一発の命中弾で済んでいた「ホーネット2」の被害も深刻で、午前中の被弾もあり文句なしの大破。46cm砲弾を改造した爆弾は、空母としてなら十分強固であるはずの防御甲板を障子紙のように貫き、機関部の半分を壊滅させていたのだ。 爆沈しなかったのが奇蹟だとすら言われた打撃だった。 この被害により米機動部隊は、稼働空母1隻だけを残して事実上壊滅し、さしもの「猛将」も以後の作戦は不可能だと司令部に打電を送る事になる。 「猛将」ですら敗北を認めさせた程の敗北だったのだ。