東太平洋海戦 (第三・四幕)
◆第三幕「勇者」
合衆国太平洋艦隊司令部では、空母機動部隊の事実上の壊滅により、一旦後退する案が主流を占め、作戦の延期を提案する参謀すらいたが、ここで合衆国側に問題が発生していた。 それは、日本側の主力艦隊は熾烈な航空戦が展開されるさなかを、ほとんど無傷で進撃を継続しており、そのため進撃スピードは非常に早く、損傷戦艦を数隻出していた米主力艦隊は、損傷艦を見捨てて行かない限り、どれほど逃げても明日中には捕捉されると言う結果が出ていた事だ。昼間の戦闘で、双方接近しすぎていたのが原因だった。 これは機動部隊にも言え、日本側の機動部隊が壊滅したのは確実だが、規模が大きい艦隊故に依然健在空母が多数あり、今日の戦闘から見る限り指揮官は非常に積極果敢で、大きな損害を受けたからと言って撤退はしていないだろうと予測されていた。 艦載機の方は自分たちも空母1隻が健在で、これに援護のため接近しつつある護衛空母群の機体を有機的に運用できれば、防衛に専念すれば撃退ぐらいなら可能と判断されていたが、だからと言って無視できるものでもなかった。 つまり、勇者は勇者らしく振る舞う事が求められると言う事だった。 それなくして竜を倒す事はできず、また艦隊決戦、砲雷撃戦で日本帝国連合艦隊に勝利を得ることを目標にしていた、再建された合衆国海軍の存在理由すら無意味なものとするからだった。 なお、自軍の空母機動部隊が壊滅した時点で、ハワイ諸島の短期奪回は事実上放棄され、敵艦隊撃滅に全力を傾ける事が確認されていた。
方針は決定された。 米主力艦隊は、体勢を立て直す為にもそのまま進撃を続行し、日本側主力艦隊に夜間戦闘を強要。これに痛打を与え、爾後の作戦を容易ならしむのだ。 うまくいけば、日本側のハワイ防衛を突き崩す事が出来るかもしれない。 この方針は、自戦艦がようやく実用的なレーダーを使用した戦闘が可能となっており、国力に劣る日本側に対してアドバンテージがある可能性が高いと判断されていたと言うのも大きな理由となっている。 また、夜間戦闘は混乱が発生しやすく、これも日本側の追撃を鈍化させる大きな得点になるだろう、という予測もこれを後押ししていた。もちろん、この場合に受ける米主力艦の損害については考えない事にされていた。同程度の損失なら、生産力で合衆国が有利なはずだからだ。 この時、合衆国海軍が夜戦を決意した時、日米の主力艦隊の距離は直線距離で200kmを切っており、双方が真っ正面から進撃を継続すれば3時間程度で相手をレーダー・スコープに捉える事が出来るはずだった。 そして、日本側にこの米軍の挑戦を断る理由はどこにもなかった。それどころか、米主力艦隊が増速し真っ正面から自分たちの方向に向かってきていることを、「彩雲」偵察機からの報告で受けた主力艦隊司令部は、興奮のあまり色めき立ち、勇ましく、そして景気の良い言葉がそれぞれの口から連呼される、まるで祭りのような有様だったと言われる。 もっとも、中には冷静な艦長や参謀、司令もいて、後世にまで伝わっている言葉の中に「何でアメちゃんの嫌いな夜戦を今更するんだ。」、「夜戦艦隊なんてこっちでもとっくに解体したのに、アメ公も物好きだね。」などがあり、これは、この当時の連合艦隊の中にも、夜戦にかなり否定的な意見が多かった事を物語っていた。 そう、夜戦とは混乱と損害ばかり多く、相手に与えたダメージがたとえ多かったとしても、それを正確に知る術が少ないのだから、これを好む軍人の方が異常なのだ。 とは言え、日本海軍は依然として世界中でもっとも夜間戦闘に対してアドバンテージのある海軍であり、比較的楽観的なムードの方が多かった。 これは、ハワイ諸島にある小さな島をターゲットにして、何度も行った電探射撃の訓練の成果がそれなりに大きかった事も影響していた。
そして、日米がそれぞれの思惑を抱きつつ真っ正面からの激突をすべく海原をばく進し、ついに現地時間の午後11時13分、まず日本軍の21号電探の改良型(実質的には41号)が距離4万8000で目標を捕捉、ついて米軍のレーダーが距離4万5000で日本の大部隊を捉えていた。 双方の電探が目標を遠距離から捕捉できたのは、何の障害もない海上だった事と、その時の海上の状態が安定していたからで、この事は砲戦をする上において、絶好のコンディションである事も同時に表していた。もっとも日本側は、ハワイから飛来する電探搭載の大型機により敵情をずっと捉えており、この世紀の海戦が間違いなく行われるよう誘導を続けていた。 そして、それを知っていた合衆国側も、あえてそれを妨害しようとはしなかった。もちろん、合衆国側もレーダー搭載の夜間偵察機を空母から上げ、同じように索敵を行っており、日本側に遅れをとる事はなかった。 電波妨害しなかったのは、戦艦同士の決戦は、それに相応しい正面からの戦いであらねばならないと、双方の指揮官が同じ感想を抱いていたのかも知れない。 電探に相手の姿を映した後、最初に行動を開始したのは日本艦隊の方で、全艦隊司令でもある第一艦隊司令長官は、『Z旗』の掲揚と共に全艦の速度を最大艦隊速度の28ノットに増速を命令、第一、第二の双方の艦隊は相手の頭を押さえるべく艦隊運動を開始した。そして、これが戦闘開始の合図となった。 対する合衆国側も、日本側の意図は分かりきっていたので、第三四任務部隊、第三五任務部隊共に相手に合わして変進、同航戦へと持ち込もうとした。 ここは双方ともに、すれ違っただけでは意味がないと確信していたからだ。 ただし、第三四任務部隊(以後TF34)は損傷艦もあり艦隊最大速度は24ノットに止まり、反対にほぼ無傷の第三五任務部隊(以後TF35)は自慢の俊足を活かし、艦隊規定速度限界の30ノットにまで増速、随伴の駆逐艦の艦隊運動追従が困難なほどのスピードで日本艦隊の間合いを詰めていた。 また、徹底改装された旧式戦艦よりなる合衆国側の第十三任務部隊(以後TF13)も、この日の当初は後方に待機していたが、方針の変更により前線の主力艦隊に合流を目指し、戦場から15分ほど遅れて接近しつつあった。
現地時間の午後11時34分、ついに最初の主砲が火を噴いた。 砲撃を行ったのは合衆国TF35で、距離30000メートルからの、まさに合衆国のドクトリン通りの射撃開始だった。 一方の日本側も、電探を用いており同じ距離からの砲撃開始も可能だったが、敵を完全に撃滅するためにになるべく近距離、距離25000メートルからの射撃開始を決定しており、このため約5分間は相手から打たれっぱなしになる。 午後11時36分には合衆国TF34も砲撃を開始、この時第三五任務部隊はすでに第二射を行っており、日本側は沈黙を守ったままだった。 なお、日本第一艦隊と合衆国TF34が対戦し、日本第二艦隊と合衆国TF35が同じように相対していた。まさに教科書通り、自ら望んだ相手との対戦だった。夜間、これ程見事に陣形が組まれたのは、ひとえに双方の電波技術がもたらしたもので、戦争が変化した事を知らしめる一事実と言えるだろう。 戦闘開始5分が経過し、TF34はすでに第四射までおこなっていたが、状況はあまり芳しくなかった。 まだ、挟叉どころか遠弾、近弾を問わず至近弾すら出していない艦が大半を占めていたからだ。 原因は色々上げられるが、遠距離からの砲撃だったことが最大の原因である事は間違いなかったが、当時のレーダーがまだ遠距離射撃での精度に問題があった事、「アイオワ」級の使用する16インチ砲弾が、1.2トンもあるヘビー・シェルと呼ばれる重量弾で強装薬を必要とし、遠距離での命中精度に問題があった事、そして何よりヘビー・シェルを打ち出す50口径16インチを搭載する戦艦として「アイオワ」級の艦幅が狭すぎ、艦の安定性に問題があるという笑うに笑えない技術的な欠陥が、この命中率の低さを引き起こしていたのだと思われる。 もちろん、距離が詰まるにつれて状況は改善しつつあったが、TF34が第四射を行ったのとほぼ同時に、日本第二艦隊が砲撃を開始していた。 日本第二艦隊の砲撃は、アメリカ側がそれぞれ単艦で割り当てられた目標を標的としていたのとは違い、同型艦どうし組ませて、混乱しがちな夜間戦闘の面倒を可能な限り極限しようとしていた。このため「葛城」が単艦で「アイオワ」と殴り合っていた他は、「赤城」、「愛宕」、「高雄」が「ニュージャージ」を、「加賀」、「土佐」が「ミズーリ」、「長門」、「陸奥」が「ウィスコンシン」を狙い、「高千穂」、「穂高」が「イリノイ」を目標としていた。 この日本艦隊の砲撃は、距離が近くなるまで待っていた事、ベテラン艦特有の熟練した砲術員の練度の高さなどもあり、米艦隊よりも有効で、二斉射目で挟叉を出す成績を収めていた。 特に3隻の戦艦から砲撃を受けた「ニュージャージ」は悲惨で、33%増しの発射速度で相手を圧倒するはずが、交互射撃を行う三隻が挟叉を出した後は、20秒に15発の割合で砲弾を受ける事となり、しかもこの海戦で最も多数の命中弾を受ける戦艦となった。 また、日本艦隊全般にわたって、25000メートルまで砲撃を我慢してきただけありその精度は全般的に高く、直前まで続けていた訓練の成果を存分に発揮する事になる。特に自らに敵の主砲が指向されていなかった「高千穂」級二隻の命中精度はすばらしく、4斉射目で最初の命中弾を叩き出すと、続けざまに「イリノイ」に痛打を浴びせ、8斉射を浴びせた段階で11発もの命中弾を叩き出していた。これは命中率が一割を超えており、電探の効果がどれほど高いかを見せるものだった。 また、第二艦隊で唯一50口径砲を搭載していた事と、この艦がすでに損傷していて防御力が低下していた事もあり、「イリノイ」は大火災が発生し艦の主要部の大半も破壊され大破、以後戦闘継続不能のとなる大損害を受け、朝日を拝む事なくその後の駆逐艦の雷撃により波間に没することになる。 なお「イリノイ」を片づけた「高千穂」級は、今度は「ケンタッキー」へと目標を変更し、「ケンタッキー」も慌てて目標を変更してきたため同艦との砲撃戦を始める事になる。
そして、戦闘開始30分が経過した段階で、距離は18000にまで詰まり命中率が上昇した事もあり、双方甚大な損害を発生させていた。 この時までに戦列に残っていた戦艦は、日本側が「葛城」、「赤城」、「土佐」、「長門」、「陸奥」、「高千穂」、「穂高」で、合衆国側に至っては「アイオワ」、「ミズーリ」、「ケンタッキー」、「サモア」にまで激減していた。 そしてすでに「愛宕」、「アラスカ」が爆沈してその姿はなく、それ以外も「高雄」が一時的に戦線離脱し、「ウィスコンシン」が独自に退避を開始した他は軒並み大破、そしてこの時点の損害でも曳航が不可能なら処分する以外他ない損害を受けていた艦もあった。 ただ、双方激しく砲撃戦と展開した事から、大半の戦艦が夜間における「眼」となる電探(レーダー)が損傷して使いものにならなくなっていた事から、この後の砲撃戦は緩慢なものとなっていく。 そして、その前後に発生した双方の補助艦艇同士の殴り合いは、夜間戦闘に特に優れていた、アメリカ海軍から「ヴァンパイア・シスターズ」と恐れられる第二水雷戦隊が戦闘に参加していた事もあり日本側が有利に展開、ほぼ同数での殴り合いだったにも関わらず、日本側の損害が3割程度だったのに引き換え、三分の二を撃破するという快挙を達成している。 そして、日本水雷戦隊は敵部隊突破のち、さらに接近して主力艦隊に対して雷撃を敢行、大きく損傷していた「ニュージャージ」、直前の日本側の砲撃で損傷したため一時戦線離脱しつつあった「ケンタッキー」に致命傷となる損傷を与え、旗艦の「アイオワ」にも命中魚雷を浴びせ、戦闘開始約一時間後にTF2指揮官に撤退を決意させる事になる。
一方、若干遅れて砲撃戦を開始した、本来の主力たる日本第一艦隊と合衆国TF34、13の殴り合いは、なお壮絶な様相を呈していた。 この時戦闘に参加していた主力艦は、日本側が「大和」、「武蔵」、「信濃」、「紀伊」、「尾張」、「駿河」、「近江」、「富士」、「阿蘇」、「雲仙」、「浅間」と機動部隊から分派されてきた「金剛」、「榛名」、「比叡」、「剣」、「黒姫」、「白根」、「鞍馬」の合計18隻で、対する合衆国側は「ルイジアナ」、「オハイオ」、「メイン」、「ニューハンプシャー」、「コネチカット」、「ワシントン」「アラバマ」、「マサチューセッツ」、「ロードアイランド」と続き、10分ほど遅れた位置から「インディアナ」、「モンタナ」、「サラトガ」、「コロラド」、「カリフォルニア」が追いかけて来ており、合計14隻だった。 もっとも、日本側のうち超甲巡の「剣」、「黒姫」、「白根」、「鞍馬」は、就役からあまり経っていない「白根」、「鞍馬」が練度の面で戦艦と戦列を組むことに問題があったので水雷戦隊に独立戦隊として臨時増援されていたから、戦列を作り上げている戦艦の数は互角と言えた。 なお、ここでの戦闘の戦艦の合計基準排水量だけで150万頓を超えており、これだけで、第一次大戦のジュットランド沖海戦の排水量に匹敵する規模だった。 また、こちらの補助戦力は、日本側が中型戦艦を分派する時に解体した空母群から丸々1個水雷戦隊を付けて増派しており、二個任務部隊を投入している合衆国側に対して、実質的に2個艦隊を揃え五分の戦力を保持していた。
砲撃戦は、こちらも米軍が30000メートルの距離から開始し、対する日本側が25000メートルまで我慢する構図に変化はなかった。日米双方とも夜戦の混乱を避けるために、この戦闘で採用した戦術システムを尊守したのだ。 ただし、TF34、13の砲弾命中率は、TF35よりもハード面と練度の面(しかもTF13は旧式艦ゆえ熟練揃いであった)で優勢であった事などから、三斉射目で早くも挟叉をたたき台していた。 ただ、「ノースカロライナ」級以外は、主砲の発射速度で日本側と大差なく、この時点で日本側も砲撃を一斉に開始していた。 そして、合衆国側の第三斉射には、ラッキーヒットが一発含まれていた。「オハイオ」が放った18インチ砲弾が日本側二番艦の「武蔵」へと命中したのだ。そして、「武蔵」の舷側装甲はこれを難なくはじき返し、米司令部を驚愕させる事になる。 これは、この時まで日本側の新型戦艦もそれまでの日本戦艦と同じ46cm砲装備の戦艦だと思い込んでおり、それより口径の長い主砲を採用している自分たちの主砲が敵艦の装甲を貫通できるはずと考えていたからだ。 米軍は、まさか日本人達が10万頓クラスの艦を量産してくるなど、費用対効果から考えれば及びもつかなかったのだ。 しかし、すでに戦闘は始まっており、互いに相手がマットに沈むまでパンチを止めることも、リングから降りることも許されなかった。 真打ち同士の戦闘は、開始15分でたけなわを迎える。 それは、合衆国のTF13がようやく本格的に戦闘加入した事と、先頭の距離が23000メートルを切り、双方の主力艦の砲弾命中率が、共に一割を超え出していたからだ。 中でも地球上の全ての戦艦を打ち倒すべく誕生した日本側の「大和」級の威力は圧倒的で、「ルイジアナ」級が繰り出してくる高初速の18インチ砲弾をものともせず、合衆国が文字通り心血を注いで建造した新鋭戦艦に、自慢の50cm砲で痛打を浴びせかけていた。 ただし、就役二カ月で実戦投入された「信濃」は練度が浅く、さすがに砲弾命中率も悪く、なかば米戦艦の的にされていたのだが、それがかえって合衆国将兵の心胆を寒からしめていた。何しろ砲弾をいくら命中させても、レーダースコープからその光点が消えるどころか速度すら落とすことはなく、直視している見張り員にすれば、遠くで火焔の中に浮かび上がるその姿は、後ろを随走する「紀伊」級の何倍にも映り、さらにその地獄の中から(米軍から見て)平然と砲弾を放ってくる様は、まさに悪魔かモンスターを眺めるようだったと言う。 なお、「大和」級三隻の中で大きく活躍したのは、旗艦の「大和」ではなく、個艦として縦横にその力を発揮することの出来た「武蔵」の方で、砲術の大家と呼ばれる艦長と練達した砲術員の技量が遺憾なく発揮された事もあり、TF13がまさに第一斉射を放とうとしたその瞬間、相手どっていた「オハイオ」に同時に3発もの命中弾を与えこれを爆沈に追い込み、さらに次の獲物の「ノースカロライナ」級と思われる戦艦にターゲットを変更しようとしていた。 しかし、ここで旧式戦艦により構成されたTF13による、第一次太平洋戦争の復讐戦が始まる。 後方から戦線に参加してきた事から、日本側からまったくノーマークだった彼女たちは、距離25000で射撃を開始、恨み募る「富士」級、「紀伊」級へとその筒先を向け、二斉射めで挟叉を叩き出し、すでに「ルイジアナ」級や「ノースカロライナ」級に痛打を浴びていた同クラスに、さらに痛烈な打撃を与え始めていた。 そして、このTF13の戦闘加入でこの夜戦は完全な混戦へと突入し、どちらの指揮官も収拾できない事態へと突き進む事になる。 これは、戦闘開始24分に日本側の水雷戦隊と巡洋艦部隊が、敵隊列に突撃を開始した事により決定的となった。 日本側の水雷戦隊がこうも早期に突撃を開始した理由は、主力艦と呼んでよい四隻の超甲巡が格下の米重巡洋艦にターゲットを絞り、新鋭艦らしい持ち前の主砲発射速度の速さを見せつつ、スコープに映る敵影めがけてその光点が消えるまで砲弾をたたき込み続け、この時点で4隻の合衆国巡洋艦を水面下に送り込むか無力化し、さらに数隻に痛打を浴びせつつあったからだった。これにより、米巡洋艦部隊は初戦で一方的に半壊すると言う破滅的なダメージを受け、日本側の水雷戦の接近を許すこととなる。 なお、水雷戦隊に属する四隻の超甲巡のみがこの時TF13を攻撃しており、蛇と蛇が互いの尻尾を食べようとすると言う状態を作り出していた。 この混沌とした状態に変化が訪れるのは、日本側の水雷戦隊が熾烈な砲火をくぐり抜けて雷撃を敢行し、その魚雷が米艦艇の船腹をえぐり取り、そのさなかTF35から被害甚大により退避するとの報告を受けた時だった。 それに、こちらもこの時までに、多くが夜の目である電探を失っており、炎焔を上げている艦に対してか、それ以外は余程接近しない限り戦闘継続が不可能となっていた。唯一、「金剛」級は三隻は、皮肉な事に戦闘中の戦艦の中で最低戦力として、終始大型艦からのターゲットの外におかれていた事からほぼ無傷で、この時「大和」級(恐らく「武蔵」)に2発の命中弾を浴び、既に大きく戦闘力を低下させていた「コロラド」を、彼女から砲撃を引き継ぎ三隻の電探統制射撃で滅多打ちにしていた。
主力艦隊同士の戦闘は、開始1時間半ほどで「コロラド」撃沈によりようやく終息したが、集計した結果に双方の司令部とも驚愕か呆然でしか、感情を表現するしかない損害を受けていた。ただし、合衆国側のTF34、13の司令部は、乗艦と共に壊滅しており、報告は先に撤退を開始したTF35が日本側よりも遅れて受ける事になる。 この戦闘で日本側は、「尾張」、「近江」、「阿蘇」、「浅間」を失い、「信濃」、「紀伊」が大破する大損害を受けていた。 翌朝かろうじて戦闘が可能だったのは、当初の半数以下の「大和」、「武蔵」、「駿河」、「富士」、「雲仙」に過ぎなかった。 そして、皮肉にも二線級でしかない中型艦の、「金剛」、「榛名」、「比叡」、「剣」、「黒姫」、「白根」、「鞍馬」のどれもがせいぜい中破で、いずれも戦闘継続が可能だった。 一方、合衆国側の損害は日本側よりも遙かに深刻で、「大和」級と当初から殴り合った「ルイジアナ」、「オハイオ」、「メイン」はいずれも砲撃のみで撃沈されており、また、八八艦隊の46cm砲戦艦と殴り合いを演じさせられた、格下の条約型戦艦で3.5万頓しかない「ワシントン」「アラバマ」、「マサチューセッツ」、「ロードアイランド」のいずれもが撃沈されると言う悲劇的な状態だった。 他にも、戦闘後半手の空いた「大和」、「武蔵」と「金剛」級から痛打を浴びせられた旧式戦艦群は、恨み募る八八艦隊の46cm砲搭載戦艦攻撃に固執して戦闘を行ったために反撃が遅れ、「インディアナ」、「サラトガ」、「コロラド」を失う打撃を受けていた。 14隻の米戦艦のうち大中破で済んだのは、「ニューハンプシャー」、「コネチカット」、「モンタナ」だけで、唯一全力発揮が可能だったのは、艦隊の最後尾に位置していた14インチ砲戦艦の「カリフォルニア」だけとなり、実に10隻もの戦艦を失うと言う有様だった。 なお、双方の戦艦の損害が大きかったのは、混沌とした夜戦の中、双方とも水雷戦隊の突入を許し、多数の魚雷を受けた事が原因していた。特に日本側の超甲巡に護衛部隊の中核たる巡洋艦を蹴散らされた、合衆国側の損害が大きいのはそのためだ。
◆第四幕「黄昏」
二匹の大蛇、もしくは大蛇と勇者の熾烈な戦いから夜が明け、温かいハワイの海に朝が訪れようとしていたとき、サンジエゴに司令部を置く合衆国太平洋艦隊は夜戦の結果の概要を聞き、ついに作戦そのものの中止を決定する。 それは、相打ちの形とは言え日本艦隊の戦力を壊滅させたからと言って、このまま攻略部隊を進めても、無傷の在ハワイ日本軍基地航空部隊に全てをすり潰されるだけだからだ。 この時、サンジエゴの司令部でこの命令の発信をさせた太平洋艦隊司令長官は、「だから早すぎたのだ」と小声で言ったとされており、それが事実でないにしてもこの一言が前線将兵の全ての言を代弁したものであるのは間違いないだろう。 これはあと半年の時間的猶予あれば、合衆国機動部隊が物量的に優位に立てる目算が立っていたおり、それまで待たなかった、待てなかった政府を明確に批判するものだったが、純粋に物量戦で敗北したと言う事実を前にこの発言を批判することは、大統領と言えどできなかった。 そして、「オーヴァー・ロード作戦」は中止された。 時に1944年4月21日午前5時12分の事だった。 ヴォータンは、その自らの策略により我が身を滅ぼしたのだ。いや、この場合ヴォータンである日本の策略に陥ったジークフリートたる合衆国海軍が雄々しく倒れた、もしくは日本人という小人によって作り出された呪いの指輪が、巨人たる合衆国を呪い殺したと表現すべきかもしれない。 英雄とヴォータンは死に、ワルハラを永遠に失った事には変わりないのだから。
「米艦隊反転」。黎明一番で飛び立った偵察機たちからのこの報告は、瞬く間にハワイ近在の全ての日本軍将兵に伝わり、心からの歓喜が爆発した。犠牲も少なくなかっただけにその喜びが大きなものだった。 それを表すかのごとく、ハワイ司令部からは勝利を宣言する無電が日本本土に打たれると共に、戦闘可能な全部隊に追撃が命令された。 その様は実に日本らしく、普段の物静かな態度から一転したお祭り騒ぎのようであった。 この時の様子をハワイ基地にあった通信員の一人が「盆と正月が一度に来たようだった」と実に的確に感情面を表現している。
敗北による撤退は、進撃するよりはるかに難しいと一般的に言われているが、この時の米軍の撤退は非常に統制が取れており、追撃してきた日本機動部隊の艦載機に対しても、残存航空機の全てを使用し防戦に務め被害を最小限に留めると共に、送り狼をたくらむ潜水艦に対しても愚直なまでの対潜掃討を行い、船団の被害を極限していた。もちろん、防戦にあたった米部隊の損害も大きかったが、この戦闘ではむしろ追撃に浮かれる日本側の方が大きな損害を受けたほどだった。 この姿こそ、まさに米海軍の本来の姿を表すものと言えるかも知れない。 しかし、この一連の後退戦で、戦艦「コネチカット」が舵に大きな損害を受けてしまい、暢気に曳航作業を行えば確実に追撃している日本の戦艦部隊に捕捉される事態となった。 戦場での混乱は付き物だったが、この時の合衆国側の対応もその例に漏れず、日本艦隊の追撃を認識していたにも関わらず、もはや残り少なくなった有力な戦艦を失うわけには行かないと言う司令部からの命令に従い、日本軍偵察機が見るなか曳航準備を行うという暴挙に出てしまった。 これは当然のごとく日本軍の目に止まり、夕方近くに懸命に追撃してきた日本主力艦隊の残存部隊が捕捉、戦艦を守ろうとする護衛部隊との戦闘に突入した。 この時追撃してきた日本艦隊は、依然速力とある程度の戦闘力を維持していた戦艦「大和」、「武蔵」、「駿河」、「富士」と、護衛として引き続き主力艦隊につき従っていた超甲巡の「白根」、「鞍馬」以下20数隻の艦艇で、戦艦「コネチカット」以外、戦艦のなかった米軍にこれを防ぐことは不可能に近かった。 合衆国側は、曳航用の重巡1隻の他、軽巡2隻、駆逐艦6隻が護衛に当たっていたが、先頭を走っていた軽巡「モントピーリア」が突撃してきた「白根」、「鞍馬」の統制射撃の前に一瞬のうちに撃沈されると、這々の体で後退していく事になる。 残された重巡も、護衛部隊が時間を稼いでいる間に、急いで曳航用のワイヤーをふりほどき撤退に移っていたが、「大和」、「武蔵」の統制射撃により五斉射目で挟叉弾が発生、その水柱が収まった時には水上から消滅していた。 もちろん、生存者はいなかった。 なお、残された戦艦「コネチカット」は、この時すでにキングストン弁が開かれ自沈を開始していたおり、「コネチカット」に取り付き事実を確認した日本艦隊も曳航を断念。その後距離を8000メートルまで取ると、「大和」、「武蔵」、「駿河」、「富士」による統制射撃と、護衛の駆逐艦からの雷撃により撃沈処分とされた。 後世の戦史家の中には、この日本海軍の処理を、すでに沈没が分かり切っているのだから無駄な弾薬を消費したと非難する声も少なくないが、現場にあった将兵は指揮官から兵卒に至るまで、これは今回の決戦の幕を引くための一種の儀式だったとする意見が強く、敗北した側の合衆国将兵までが、自分たちが同じ立場でも同様に行動しただろうと、日本海軍のこの時の行動を肯定している。 この時の様相を旗艦「大和」に乗艦していた従軍記者、作家、写真家、映像記録班が克明に記録しており、これが、今回の第三次ハワイ沖海戦の戦闘面での終幕として後世に広く伝えられているものである。
しかし、戦闘そのものは、その夜翌日のまで継続された。 当然戦闘を行ったのは枢軸国側の潜水艦隊であり、その中でも最後に襲撃する事になったのは、偶然と言うかある種の必然か、敵陣深く切り込んでいたドイツから派遣されていたプリーン戦隊だった。 彼ら狼の群は、合衆国のサーヴィス部隊を血祭りに上げたあと、一旦洋上で戦況報告と他の偵察情報を受け、その後輸送船団の予想退路に移動・潜伏し、最後の襲撃の機会を待っていたのだから、やはり戦闘は必然だったのだろう。 プリーン戦隊の最後の獲物は、今回もドイツ生まれの灰色狼なら涎の出るような巨大な輸送船団だった。 彼らは、目標を捕捉すると持ち前の用心深さと、新しい灰色狼の俊足を活かして、巨大な輪形陣の中心へと潜り込む事に成功し、合衆国側の護衛部隊が予想外の速度に翻弄されているスキに残弾の大半を輸送船に向けて放ち、膨大な護衛艦艇に包囲される前に一目散に逃走を開始した。 この時参加したXX1型潜水艦の数は7隻、放たれた魚雷の数は38本、うち16発が最後の誘導魚雷ツヴァン・ケーニッヒで、二種類の魚雷は10数隻の輸送船とその護衛艦艇の一部に大きな損害を与える事に成功する。 ボートは襲撃と退避の過程で1隻を喪失していたが、船団を守護していた護衛艦艇の数を考えれば異常に少ない損害だった。そして、サーヴィス部隊が受けたように、合衆国部隊が受けた損害も極めて深刻なものとなる。 また、攻撃を受けたのが揚陸部隊の中核船団だったことが悲劇を大きくしていた。 ドイツ製の魚雷を受けた輸送船の大半が、兵員輸送船、LSTなどだったからだ。つまり、たった7隻の襲撃は、10数隻の輸送船と共に約1万人に及ぶ海兵隊員を死神の御元に送り届けたのだ。 この最後の攻撃により、この度の合衆国側の最終的な死傷者数は、5万人ものオーダーに乗る事となる。 当然アメリカ合衆国が、主に心理面から許容できる人的損害ではなく、この後この数字が大きな災厄として合衆国に降りかかることになる。
そして、この一連の海戦の幕を上げることとなった、「TV16」船団は、いつも通りの対潜戦闘をいつもより濃密に展開しつつ北太平洋の大圏航路を押し渡り、その日の午前11時半頃、何事もなかったかのように、ハワイ諸島オワフ島の真珠湾へと入港の準備に入っていた。なお、「TV16」船団が受けた損害は、駆逐艦1隻、輸送船2隻撃沈、輸送船1隻大破といつもよりも少ないぐらいだった。もちろん、お返しに合衆国潜水艦を2隻撃沈して、こちらもそれなりのだった。
なお、その二日後に日本の主力艦隊は、大きく傷つきながらもハワイに凱旋し、爆発的なまでの歓呼でもって迎えられ、一週間後、西海岸に変わり果てた姿の合衆国艦隊が失意の中帰投していた。 前者は、朝日を浴びながらの堂々の凱旋で、後者は夕日を浴びながらの打ちひしがれた者達の帰還でしかなく、この海戦の後日談としての面を象徴していると言えるだろう。
かくして、戦争と言う「ニーベルングの指輪」は、日本海軍たる死天使(ブリュンヒルト)が自らの死を賭した業火によりワルハラ城を燃やしつくし、そこで英雄(ジークフリート)たる合衆国太平洋艦隊と主神(ヴォータン)たる合衆国政府を破滅させる事で幕を閉じる。 あえて、ワーグナーに当てはめるなら、そう言えるのではないだろうか。(文学・芸術にはほとんど無知なので、この点での批判はご容赦願いたい。)
ではこの章の最後に双方の主要艦艇の損害をまとめて紹介し、締めくくりたいと思う。
◆日本帝国軍 撃沈 戦艦(6隻) 「尾張」、「近江」、「阿蘇」、「浅間」、「愛宕」、「加賀」 空母(6隻) 正規空母:「翔鳳」、「雲龍」、「昇龍」、 軽空母:「千歳」、「千代田」、「瑞穂」 その他 重巡:3隻、軽巡:2隻、駆逐艦:11隻
大破 戦艦(5隻) 「信濃」、「紀伊」、「赤城」、「高雄」、「土佐」 空母(2隻) 「大鳳」、「紅龍」 その他 重巡:2隻、軽巡:1隻、駆逐艦:4隻
中小破 戦艦(17隻) 「大和」、「武蔵」、「駿河」、「富士」、「雲仙」、 「葛城」、「長門」、「陸奥」、「高千穂」、「穂高」 「比叡」、「金剛」、「榛名」、 「剣」、「黒姫」、「白根」、「鞍馬」 空母(3隻) 「白鳳」、「翔鶴」、「黒龍」 その他 重巡:4隻、軽巡:2隻、防空巡洋艦:2隻、駆逐艦:18隻
(注:潜水艦除く) (注2:大日本帝国の艦船被害合計は約50万トン)
◆アメリカ合衆国軍 撃沈 戦艦(15隻) 「ルイジアナ」、「オハイオ」、「メイン」、「コネチカット」、 「ニュージャージ」、「イリノイ」、「ケンタッキー」、 「ワシントン」、「アラバマ」、「マサチューセッツ」、「ロードアイランド」、 「インディアナ」、「サラトガ」、「コロラド」 「アラスカ」 空母(10隻) 「フランクリン」、「バンカー・ヒル」、「ワスプ2」、「ランドルフ」 軽空母:6隻 その他 重巡:6隻、軽巡:5隻、駆逐艦:19隻
大破 戦艦(3隻) 「ニューハンプシャー」、「ウィスコンシン」、「モンタナ」 空母(3隻) 「エンタープライズ」、「ホーネット2」 軽空母:1隻 その他 重巡:3隻、防空軽巡:2隻、軽巡:1隻、駆逐艦:3隻
中小破 戦艦(5隻) 「アイオワ」、「ミズーリ」、「ノースカロライナ」 「カリフォルニア」、「サモア」 空母(2隻) 「タイコンデロガ」、「ハンコック」 その他 重巡:1隻、防空軽巡:1隻、軽巡:2隻、駆逐艦:21隻
(注1:駆逐艦以下、潜水艦、輸送船舶除く) (注2:アメリカ合衆国の艦船被害合計は約190〜200万トン)