■ドイツの変節

 「連合国、ドイツとの停戦に合意!」。このニュースは瞬く間に全世界へと広がりました。
 時に1943年10月10日の事です。
 全世界は、激しい驚きに包まれましたが、おおむね冷静さを保っていました。
 これは、『英国を存続させるためなら悪魔とでも手を組む』と言われたチャーチル外交の最たるものと世間が認識しているからで、日本に対しても世界に冠たる機会主義者の国と国民なのだから、ある種当然の選択だろうと思われていたからです。特にこの認識は、欧州のインテリ層では一般的な見識とされていたので、欧州は最も冷静さを保っていたと言われています。
 また、ドイツが占領下にある国々を、連合国との協議の上順次独立を回復させると言う宣言をして、停戦と共に一部行動を開始した事が大きな安心材料とされた事は間違いないでしょう。
 なお、太平洋でアメリカと真っ正面から対峙している日本は、欧州に多数の兵力を派遣していましたが、国民が欧州の事情に対して無関心に近かったため、もしくは政治地図の激変そのものに鈍感だったため、冷静だったのだろうとも言われています。
 そして、枢軸国(ドイツ、イタリア)と連合国(日英ソ)の話し合いが中立国スウェーデンのストックホルムで開催され、ここ数年の間に捩れてしまった関係をなんとか修復すべく、双方の代表による努力が開始されました。
 そしてそれは、いまだアメリカとの戦争継続中と言うこともあり極めて迅速に進展し、欧州大陸は突如平穏を取り戻す事になります。

 しかし、これに激怒したのがアメリカ合衆国です。
 それは当然でしょう。同盟国が突然交戦国と停戦してしまったのですから、怒らないほうがおかしいとすら言えるかもしれません。もっとも、外交的に敗北したのは米国なのですから、国際政治的に対してなら理不尽な怒りかもしれませんが。
 アメリカは、ドイツ停戦の翌日、ドイツを始めとする枢軸国側の全ての国を激しく非難すると、その声明上においてドイツとの同盟関係の解消と対独武器貸与法(レンド・リース法)の即日廃案を宣言しました。ただし、ただちに大使館を閉鎖するなどの措置は取らず、最低限の冷静さは保っていました。
 このアメリカの行動は、当然と言えば当然の対応でしたが、これにより戦争に後から参戦したアメリカは、ただ1国で連合国の全てを相手にした戦争をせねばならなくなります。
 確かに、アメリカの潜在的な国力は、全連合国を合せたよりもなお大きなものがあると統計数値などから見ることができましたが、連合国側の様々な妨害により生産力は予測数値の7割程度に押しとどめられており、アメリカにとってこれは悪夢の二正面戦争の本格的な幕開けもありました。

 そして、このドイツの変節とちょうど各国が戦力の再構築中だった事もあり、しばらく戦争はロシア戦線の終了と共に下火になりました。
 ちなみに、この数ヵ月の戦況の変化は、深夜欧州大陸を目指す戦略爆撃機がパッタリと途絶えた事と、連合国の輸送船の損害が激減した事でしょう。

 しかし、その代わりとで言うかのごとく、政治的な動きはさらに活発な兆候が見られる事になります。
 最も活発に活動していたのは、日本でも英国でも米国でもなく、もちろんイタリアでもなくドイツでした。
 ドイツは、停戦してアメリカの軍事・外交関係者を必要最低限以外は国外に退去させると、活発に連合国各国への働きかけを行いました。
 当初、交渉の主なところは、各国の独立復帰とドイツのロシア利権の確保に関する事柄でしたが、半月もしないうちにその性質が異なるようになります。
 そしてこの変化は、当初連合国をひどく混乱させる事になりました。
 それは、ドイツがアメリカへの戦争に参加してもよいという交渉内容だったからです。
 確かにそれは、連合国としては願ったりかなったりと言える事でしたが、それ故訝しみ、疑い、調べ、そしてある種の納得に至ります。
 ドイツにとって、この戦争での意義であったロシア獲得による生存権の拡大を達成した事から、さらに世界で第一の勢力として影響力を行使する事に力点を置こうと考え、それに最も邪魔なアメリカの勢力を少しでも減少するための最も手っ取り早い方法が、自らも連合国側となってアメリカを徹底的に叩き潰す事だと結論し、政策を転換していた事が分かりました。
 しかも、ドイツが裏切り今度はアメリカに矛を向ければ、アメリカは感情的に戦争を止めることがより難しくなり、その結果日英米は泥沼の戦争に足を突っ込み、欧州全域を勢力下に置いていると言ってよいドイツが相対的に浮上するという事です。
 その上、統計数値などからドイツつまり欧州大陸の全てが連合国に参加すれば、国力的にアメリカを上回り、その中で最大の勢力を保持するドイツが主導的地位を占めるのは自明の理と考えられてもいたようです。
 また、ドイツはたとえアメリカと組んで日英を打倒しても、その後に始まるであろうアメリカとの競争には勝てないと正確に予測しており、アメリカよりは日英の方がくみしやすいと見ていた事も、様々な情報経路から明らかになりました。
 もちろん、日英対米の戦争を傍観して共倒れになるのをじっと待つという手もあり、こちらの方が物理的には正しいとすら言えますが、ドイツは欧州のリーダーとしてだけではなく、世界のリーダーとなるには率先して世界平和のために行動する必要があり、このため日英側に与することを決めたのです。もっともこれは、四方を敵にかこまれた大陸国家的な政策決定と言えるかもしれません。

 これらの事を「知った」日英側でしたが、確かにこのままでは勝利することは難しい事は百も承知していたので、ドイツが当面の利益を要求せずにアメリカと戦ってくれると言うのなら、これを断る理由もなく、戦後も注意深くかじ取りを行ない彼らが考えている通り事が運ばないようにすれば、大きな問題もないだろうと、当座は無理やり納得して、ドイツを受入れる事を決意します。
 日英にとっても、明日のドイツよりも今日のアメリカの方がはるかに脅威だったのです。
 かくして、ストックホルムで始まった日英独の停戦に関する話し合いは、いつしかアメリカを標的とした軍事同盟の話にすり替えられ、さらにはドイツの参戦を前提とした大戦略すら討議されるようになりました。
 そして、この段階に入るとさすがに中立国で話し合うことは問題があったため、場所を保養地でもある地中海沿岸のマルセイユに移して具体的な協議が行われるようになります。

 これに対して、アメリカ合衆国はこれを事実上傍観するしかありませんでした。ドイツと連合国の双方がアメリカを主敵と決意している以上、いくら妨害しても、否、妨害すればするほどかえって彼らの結束を強くするだけで益するところはなく、事は政治的な事象から軍事的な事象へと移りつつありました。
 しかし、ドイツの対米参戦が確実とされても、こちからしかける訳にはやはりいかず、もし行ったとしても日英の海軍が両洋にひしめいているのだから物理的にもそれは難しく、取りあえずドイツに関しては参戦するまで防衛体制をより厳重にすると言う以上のリアクションはとれないというのも実情でした。今まで、アメリカとドイツを遮断していたものが、皮肉にもドイツを守っていたのです。
 また、ドイツの参戦前に日英のどちらかに大きな打撃を与えようにも、太平洋、大西洋共に現状では日英の方が強大な海軍を抱えているにも関らず、攻勢防御体制を維持しており、たとえ片方に合衆国海軍の全力を投入したとしても、これらに有効な打撃を与える事は難しいと言うのが実情でした。しかも、どちらかに艦隊を移動させてしまえば、反対側がガラ空きになり彼らにつけ入られるのは目に見えてもいました。
 これがもし、ドイツがアメリカの同盟国のままであったなら、全く違った戦略、展開となったでしょうが、それは絵に描いた餅に過ぎず、取りあえずアメリカ軍としては、生産力に任せた軍備の増強に精を出すしかないという、アクティブに出なければならないのにネガティブな状態に置かれることになります。

 さて、生産力という言葉が出たので、ここで列強各国の生産力、戦争遂行能力について少し見ていきましょう。
 対象は、アメリカ合衆国、ドイツ第三帝国、イギリス連合王国、そして大日本帝国です。なおこの順番は、単純な国力順でもあります。
 あと、主権を維持している列強として、イタリアと新生ソ連がありますが、このどちらもそれぞれの要因により日本の半分程度かそれ以下の国力しかないことから、比較からは除外します。
 さて、単純に1942年度での戦争遂行能力を見ると、全世界を100として、

アメリカ合衆国 :35
ドイツ第三帝国 :17
イギリス連合王国:12
大日本帝国   :14
その他     :22

となります。これだけならアメリカが圧倒的に優勢です。しかしこれは、それぞれの国単独での能力ですので(英国のみ例外)、これに周辺衛星国などの数値を含めると以下のように修正されます。

アメリカ合衆国 :35
ドイツ第三帝国 :23(仏、伊含む)
イギリス連合王国:14
大日本帝国   :17
その他     :11(大半がロシアと中華地域)

 これが、最終的な数字です。
 上の数字に比べると、かなり微妙な位置関係と言うのが分かると思います。
 日英vs米なら辛うじてイーブンの範囲内。日英vs米独なら日英は相手の半分の国力となり、逆だと3割程度アメリカに優位に立てます。つまり、一見ドイツとしてはそのままアメリカと同盟をしている方が良いように思えます。しかし、米vs独の国力差を考えると、戦後のドイツの地位はあまり明るくないのが分かると思います。それに比べて連合国側にくみすれば日英を分けて考えると、ドイツのこの陣営での未来は約束されているようにも思えます。
 そして、数字で見えない点で日英側が有利なのは、世界の海上通商路の大半をこの時点ですら押えており、当然それに付随する資源地帯も自らの手のうちにあります。対するアメリカは北米だけ、ドイツは欧州だけしか実質的な勢力としておらず、戦争をしていなければ経済的にどちらが圧倒的に優位な立場にあるかは言うまでもないでしょう。
 もちろん、英国が培った科学力、金融力、情報力など単純な国力から図れないようなアドバンテージがある事も、ドイツとすれば魅力的かもしれません。
 ただし、単純な生産力となるとアメリカを100とした場合、日英独はせいぜい120程度しかなく、あまり有利とは言えなくなります。当然これこそが、アメリカの最大のアドバンテージです。

 では、次は今度は正面戦力や動員戦力を見てみましょう。
 まず、太平洋・大西洋の二大洋が主な戦場となりますから、それぞれの主力艦数(戦艦・大型空母)が重要となります。
 これは、1943年夏の時点のものを見てましょう。

国:旧式(うち大型):新型:建造中(うち装甲巡(巡戦))
米:5(3):10:12(4)
日:18(13):2:6(4)
英:21(11):3:0
独:0:3:5(3)

伊:4:3:1
仏:2:4(2):0

 戦艦は、それまでの激戦で多少増減していますが、だいたいこんなところです。
 米国は太平洋戦争後、努力して艦隊を再建し現在もそれを続行中ですが、もとから日英合計で二倍の格差をつけられているため、現在においても大きな変化はありませんが、新鋭戦艦の比率が高い事から実際の戦力比率はかなり狭まります。しかも、アメリカがさらに多数の戦艦を建造中ですので、これに関しては時間が経てば経つほど縮まります。
 いちおう、さらに新旧を問わず大型艦を細かく見てみますと、米戦艦は新型の6万トンの「ルイジアナ級」が就役を開始しており、8万トンの「バーモント級」がさらに建造中で、日本は『四六糎倶楽部』の8隻以外に、10万トンの「大和級」の第一期分が就役し、さらに2隻が建造中です。また、英国で唯一18インチ砲を搭載した「守護聖人級」が、日米の主力戦艦に対抗するため徹底近代改装に入っており、ドイツでは初期計画より規模を大きくした「H級」が急ピッチで建造中です。どの国も、戦争序盤で何度も戦艦を用いた戦闘をしているため、この分野では熱心です。
 なお、空母に関しては日英米しか機動部隊戦の運用に足るものは保有しておらず、また他国に対抗できる戦力はありません。そして、アメリカは本格的に再編成中で今すぐ出せる戦力は少ないので、細かい数字はここでは割愛しますが、この時点では日:英:米=5:2:4程度の戦力比率になります。
 もちろん、補助艦艇を含めた総合的案戦力差も、米国一国に対して、それ以外の全ての列強が敵となりますから、その差は現時点では歴然としたものとなっています。
 特に問題なのが潜水艦数の格差で、日英独伊合計で実に500隻もの潜水艦を保有しているのに対して、アメリカは水上艦艇重視で建造していることから、どうにか100隻体制を維持しているに過ぎず、通商破壊戦で圧倒的な不利にあります。

 次に重要と言うよりも、この大戦において最も重要な航空機生産力ですが、この数字に関しては第一線任務に耐えうる航空機の製造となると、国力がそのまま反映した数字にしかならず、戦争参加が遅くそれまでの戦局の推移から水上戦を重視していたアメリカが若干遅れている他は、国力比較の数字以上のものはありませんでした。もっとも、日英が爆撃機重視なのに対して、ドイツは迎撃機、戦術爆撃機重視で、この点の違いを戦略方針の変更で方向転換しているため、結局どの国も生産実数においては本来の数字よりも低調なものとなっています。
 そして次なる戦場が、北米大陸やカリブ海と予測された事から、アメリカは洋上航空戦力と迎撃機、連合国側が爆撃機とこちらも洋上航空戦力に重点をおいた生産をしていました。
 もちろん、生産数差は10:6〜7と連合国側が優勢です。

 最後に陸上戦力ですが、日英ともにこの時点では空海を重視していた事から動員に関しては低調で、アメリカに至っては戦時動員がどうにか軌道にのったばかりという状態で、これに関しては旧枢軸国、特にソ連と国運を賭けた戦争をしていたドイツの戦力が極めて大きな比率を占めることになります。
 ですが、そのドイツも戦争による損害と人口学的問題から、対ソ戦終了と共に一部動員解除していましたので、一概にそうとも言えないのが現状でした。
 なお、総人口的に各国が動員できる陸上兵力は、アメリカが約500万人、日本が200万人、英国が連邦込みで150万、ドイツだけがそれまでの損害の関係で人口比率が下がり200万人程度となり、これも戦争遂行能力から大きく外れることはありません。もっとも、連合国がアメリカと本気で陸戦をするつもりなら最低200万人程度の兵員を北米に配備させねばならず、これだけの規模の動員をしたところで、独ソ戦のような大規模な戦闘が発生するかは、この時点ではかなり疑問に思われていました。また、連合国側は武器さえ渡せば衛星国の陸軍力を大量に動員する事ができ、これらを合計すると単に数だけなら300万人以上が動員可能でした。

 つまり、総合的には洋上戦力でアドバンテージのある連合国側が、当面の戦争のイニシアチブを握っていると言うことになり、必然的に北米大陸が次なる戦場として予測されていました。

 そして、各国が次なる戦いの準備をいている中、ついに最後の激変が訪れる事になります。
 グリニッジ時間1943年12月8日午前10時、ドイツ、イタリアなど枢軸国の全てが対米宣戦布告をしたのです。
 世界のどの国も国民も心から納得してのドイツ参戦ではありませんでしたが、それでも連合国各国はこの参戦に「世界平和を願う英断」として大きな喜びを表し、勇気をたたえ、反対にアメリカは強い非難を「帝国主義とファシズムと言う最も悪しき政体の結婚である」と言う言葉とともに贈りました。
 なお、宣戦布告に際して、ドイツのアドルフ=ヒトラー総統は、「これまで我々はドイツ民族のために戦ってきた、しかし、この度我々は世界中から戦争をなくすために、止むなく立ち上がったのだ。」といつもより心なしかトーンダウンした調子で、戦争を継続しようとするアメリカこそが悪いのだとして、連合国の戦列に加わることを表明しました。
 これを、英国宰相ウィンストン=チャーチルは、後年の自伝の中で『私にとってヒットラーは不倶戴天の敵であった。しかし、連合王国にとって植民地人の国こそ不倶戴天の敵であるのなら、宰相として私は何を選択せねばならないのかは自明の理であろう。誰に負けることのない愛国心を持ちたいと願う一人の国民として、心からこれを受入れた事を私は英国人として誇りに思いたい。』と自らの複雑な胸中を綴っている。
 なお、これらの各国首相、外相の言葉の中で一番面白いのが日本の外相の言葉で、彼はこのドイツの対米参戦を『欧州情勢は複雑怪奇』と心のままの言葉で綴っており、当時の日本外交の限界と欧州情勢の複雑さを最も端的に後世に伝えている。

 しかし、ドイツ参戦後の戦線は前日迄と同様、一見静かなものでした。
 ポーランド戦のような陸上侵攻があるわけでもなく、アメリカ参戦時のような大海戦が勃発するわけでもなく、国家の帰趨を決するような航空戦や陸戦の幕開けなどそのそぶりすらありませんでした。
 どちらも、相手が何をしでかすかが分からず、取りあえず防衛体制を堅持していたのです。
 ですが、唯一例外がありました。それは水面下の戦場でした。
 ドイツの誇る灰色狼の群が、今度は日英の輸送船ではなく、アメリカの輸送船を狙い始めたからです。
 しかも、欧州の各地が国境を接している事から、当然のように、日英など連合国各国と深く連携しており、精鋭部隊の一部には早くも日英の開発した新型RDFや逆探装置などが供与、装備され、それまで敵地でしかなかった英国の基地などを使用すらして、これまででは考えられないほど自由な活動を開始していました。
 当然、灰色狼たちのスコアは、それまでよりもずっと大きな数字を示します。
 この頃、アメリカもどうにか連合国のような対潜水艦戦術を確立し、護衛空母、護衛駆逐艦などの対潜水艦艦艇を続々と送り出していましたが、それまでの日英を合わせて常時150隻もの潜水艦(総数450隻と言うことになる)が様々な支援を受けつつアメリカの交通線を狙っているという状態は、極めて深刻なものと受け取られました。
 そして、ドイツ参戦から半月もすると目に見える統計数値が出るようになると、焦りはなおいっそう強くなり、それまで海軍内部などで存在した攻撃的な計画の全てが一時凍結され、兵力が揃うまでは防守体制を維持することが、ワシントンで決定される事になります。

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