■アトランテック・フロント

 ドイツと言うよりも、ヨーロッパの全てが連合国として参戦し、これで世界中の全ての国がアメリカを対象とした戦争状態になったわけですが、水面下はともかく戦争はむしろ静かなものとなりました。
 これは、アメリカがあまりにも巨大な国力を保持した国家であり、その国が世界で最も大きな海洋により自然に防衛されていたからに他なりませんでした。
 単純に言えば、アメリカは地政学的に世界を支配すべき場所であると言うことです。
 そして、それ故世界中から総スカンを受けたのです。日本的に言えば『出る杭は打たれる』と言ったところでしょうか。
 そして、連合国も手をこまねていた訳ではありませんでした。特にアメリカに隣接するカナダを領有するイギリスは、積極的な活動を開始しようとしました。
 当然、イギリスが目指すのは、当座の米軍を防げるだけの戦力をカナダに挙げることです。
 しかしこれは、単純にみても当座の分だけで100隻単位の超大規模護送船団を最低5つぐらいはカナダに送り届けねばならず、米軍の妨害を考えたらとても可能とは思えるものではありませんでした。

 そこで、いくつかのプランが考え出されましたが、結局は日本が出した攻撃的な案が選択される事になりました。
 日本側の言い分は、「カナダを防衛するための戦力を北米大陸に送り込むのではなく、それよりも優先すべきは今戦力の備蓄に努めているアメリカの海洋勢力に戦力回復の機会を与えないぐらいの攻撃を連続的に発起し、一旦彼らが疲れ切るまでは北米に対する断続的な攻撃を継続するのが肝要である。それに、我々はこれを可能とする洋上戦力を保持しているのだから、これをしない手はないだろう。」と言うものでした。まさに、歴史的には突然とも言えるぐらいの期間で巨大な生産力を持つに至った、恐れを知らぬ新興工業国の軍人らしい発言と言えるでしょう。
 要するに日本側は、現有戦力をお互い同じ程度消耗するぐらい戦闘を行えば、洋上で船団を阻止しうる米海軍は存在しなくなり、それでも自分たちは半分の艦隊が残り、それ以後も同程度の生産力があるのだから十分に戦争は継続可能だ、と言っていたわけです。
 この戦略を、物理的な問題から特に大きな損害の出ない事が予想されたドイツなどは賛成に回り、結局英国も最終的には採算が良さそうだと判断し(戦艦数隻よりも船団一つの損害の方が深刻であるから)、この日本軍発案の作戦を連合国として概略において採用する事とされました。

 独ソ休戦からドイツの対米参戦までに原案が作られた作戦概要は、太平洋・大西洋の双方で最初は同時に、続いては時間差をつけて連続的に行われることになっていました。
 戦闘の主力となるのは数的にも過半を占める日英の海軍で、これをドイツやイタリア、そして再統合を果たしたフランス海軍も陽動任務などで支援する事になります。
 作戦の概要ですが、まず最初の作戦は、連合国があたかも各地で同時作戦を行おうとしているかのように錯覚させ、これを各個撃破の機会と考えつり出されてきた米水上艦艇を消耗させる事でした。もちろん、ここでの消耗とは動き回らせる事が目的で、撃破が目的ではありません。これにより、米軍の防衛網に隙間を作り上げるのが目的です。
 次の作戦は、大西洋方面の海軍が疲れ切って行動不能に陥っている時に、アメリカにとって奇襲効果を持つ大規模な作戦を放ち、米軍の意表を突くと共にアメリカにくさびを打ち込み、さらにはそこに互いに戦力を集中して米軍を消耗させる事とされました。
 そしてその後すぐに、大西洋で大規模な艦隊をまとめて動かし、場合によってはアメリカに決戦を強要。それに乗ってこない場合は、その後直ぐに大護送船団を一つ出し、止むなく迎撃に出てくるであろう米大西洋艦隊を撃滅します。
 さらに、太平洋では春の雪解けを待ってアラスカの攻略を行ない、太平洋からのカナダへの橋頭堡を完全なものとして、同方面からも圧力をかけ、それをもって太平洋からも大艦隊を繰り出し彼らに決戦を強要し、これを撃破します。
 これをクリアした時点で、つまり目算では米軍の遠距離攻撃能力が航空機のみとなった段階で、ようやく両洋から空母機動部隊に護衛された大護送船団を断続的送り込み、その陸揚げした戦力により米本土に圧力を加えるとされました。
 なお、ここまでに要する時間は約半年。1944年の夏までに洋上でのアメリカ軍を事実上殲滅してしまい、以後は各個撃破で対応可能と言うレベルにしようという、全く以て野心的かつ攻撃的、そして自らの犠牲を考えない作戦と言えるでしょう。
 なお、このあまりにも壮大な作戦の原案は、一人の作戦参謀から発案されたものであり、1943年の秋ごろに最初に聞かされた参謀の一人の言葉に、「奴の作戦は歴史的な勝利を収めるかもしれないが、戦争が終ったら連合艦隊の全てが水く屍になっているんじゃないか?」と言うものがあります。
 後世の戦史家、歴史家もこの言葉を概ね支持しており、これほど一方的で長期間にわたりしかも複雑なシナリオを、自らの思惑通りに通りに進む事こそ『奇跡』の言葉を関するに相応しい作戦と言えるのではないでしょうか。
 もちろん、当時の日本以外の連合国も、原案の作戦には多いに不安があったため、作戦をある程度現実的レベルにしてから実施される事となりました。
 この時点で連合国各国は、遮二無二アメリカに食らいついて、彼らの現有兵力を各個撃破する事こそが重要であると判断した何よりの証拠でした。

 そして、何段階にも別れた作戦は、1943年12月1日をもって開始されることになりました。
 まず、行動を開始したのは、それまで対テルピッツ・シフトから動きたくても動けなかった英海軍の過半で、これにヴィルヘルムス・ハーフェンに戻ったドイツ艦隊、ジブラルタルに進出していたイタリア艦隊、ブレストのフランス艦隊が各1個水上艦隊も参加していました。
 つまり、表面的には欧州の海軍力の過半が参加していたと言うことです。
 これに参加していなかった欧州の艦艇は、海上護衛任務に就いている日英の艦艇を除くと一部の英艦隊と日本の遣欧艦隊の一部だけでした。
 この動きを察知した米軍は、ついに来たかという諦観もありましたが、それ以上に驚く事にもなります。
 北大西洋上でこれだけの大規模な作戦行動(米軍が当初確認しただけで水上艦隊が6つ、戦艦10隻以上。実数はその1.5倍の規模)を行うとはさすがに予想しておらず、しかもいくつかのグループに分かれて活動しており、さらにいくつかのグループは明らかに輸送船団も伴い、厳重な対潜警戒をしつつそれぞれの目標を目指していると見られました。
 その進路から欧州海軍が目標としていると予測されたのは、北からアイスランド島、ニューファンドランド島、アゾレス諸島、ジャマイカ島(もしくはカリブ海のどこかの英領土)、フォークランド諸島でした。これを陸戦に無理やり当てはめるなら、全戦線における全面攻勢と取れるかもしれません。
 それぞれの航路に1〜2個艦隊が乗っており、全体として見るとかなり複雑な航路を取りつつそれぞれの目標を目指していると見られました。
 各艦隊が目指しているのはその全てが連合国側の拠点でしたが、ニューファンドランド島、ジャマイカ島のように米軍の攻撃圏内にある目的地も存在しており、一見各個撃破の好機を自らさらけ出したようにも見えました。
 これに対して、当初アメリカ軍内部は混乱します。これをあえて各個撃破の機会と攻撃的に考えるものと、明らかに陽動だとして慎重に行動すべきだという二つの意見に分かれたからです。
 これはこの時点での大西洋艦隊の勢力が、欧州海軍の半分程度の戦力しかなかったからこその混乱でした。
 米軍は、迎撃したくても全てを迎撃できる戦力はなく、各個撃破したくても敵が何を重視しているかが現時点で分からない以上、そして現在行動中の艦隊以外の強力な部隊がどこに潜んでいるか正確に分からない以上、うかつに行動出来ませんでした。
 特に日本遣欧艦隊の「鶴」級で構成された強力な空母機動部隊と、徹底改装を施されたと思われる「守護聖人」級の全ての所在が分からない事は、米大西洋艦隊にとって大きな脅威だったのです。
 ちなみに、43年初頭からドイツ対米参戦までに、「鶴級」の全艦が英国のドックでスチーム・カタパルトと新型RDFを装備、さらに対空火器を増設するための近代改装を受けており、「守護聖人」級に至っては、主機の交換、船体の延長、バルジの装着、主砲の改良、上部構造物、対空火器の刷新など日英の技術を注ぎ込んだ徹底的な近代改装工事を受けており、続々と新造艦艇を建造するアメリカに質の面での対抗できるような姿へと一新させ、これにより「富士級」に匹敵する有力な高速戦艦となっていました。

 アメリカの焦燥は、アイスランド島とアゾレス諸島に欧州各国の艦隊と共に大規模な護送船団が入港したというニュースでピークに達します。
 それまでのアフリカのダカールやカサブランカへの増強と合せ、ここを連合国側が本格的拠点として使用すると、これで北大西洋の制海権を完全に喪失した事になるからです。
 しかも、カナダのニューファンドランドを目指す「I級」を主力としていると見られる強力な艦隊は、依然としてこれ見よがしに進路を北米大陸に向けており、ついにこのまま座視することは出来ないとして、カリブ海と北米沿岸へ接近する連合国艦隊への迎撃が命令される事になりました。
 この時、米軍が掴んでいた情報は、カリブに向っているのが「フッド級」戦艦複数、装甲空母1隻を中核とし、カナダを目指しているのが、「I級」戦艦複数、形式不明空母2隻を中核とするどちらも強力な高速打撃艦隊でした。
 このため米大西洋艦隊は、カリブ方面は日本軍を警戒してパナマ方面に展開していた1個任務部隊と米東海岸からさらに増援を派遣し、カナダ沖には大西洋艦隊の主力を差し向けました。
 文字通りの全力出撃で、局地的優勢により強引に各個撃破しようとした作戦でした。
 しかし、出撃した米艦隊は会敵予想海域に到達しても一向に敵艦隊を捕捉できていませんでした。
 偵察情報こそ入っていましたが、高速タンカーを随伴していると見られる英艦隊は、あえて航路を変更して米艦隊との接触を避けるような機動を続けていました。
 特にカリブへ向っていると思われた艦隊は、バミューダ海域に進んでからの行方がようとして知れず、投入された2つの米任務部隊は片方は戦力で劣り、もう片方は速力面での追跡が困難な事もあり、むなしく付近界面を右往左往する事になりました。
 それとは反対にカナダ沖に陣取った米大西洋艦隊主力は、12月11日を迎えようとしていた日、動くに動けなくなっていました。
 それは、「I級」戦艦を含んだ艦隊が、艦隊から見て北東と真東で発見されたからです。数は独特のスタイルをした戦艦が合計で6隻以上。つまり、どちらかが改装された「守護聖人級」で構成されていると言うことでしたが、艦様が改装でより似るようになった事からその判断が不明瞭な航空偵察ではできず、しかも現状の米大西洋艦隊の規模からしてどちらかの迎撃しか出来ない状態でした。でなければ、自らも敵と同じく戦力分散の愚を犯す事になるからです。
 そして、片方の艦隊を北米大陸に抱え込んでも、それは基地航空機で叩けばよいと最終的に判断され、現有戦力で敵の分力を全力で叩くことが決定されました。米艦隊が選択した敵は、最初に発見された、つまり連合国にとって囮である戦力の低いと思われた方でした。
 以下がこの時対峙していた双方の艦隊戦力です。
 もちろんこれは、双方共の戦後照合された資料情報によるもので、双方が掴んでいた情報とはかなり異なっていました。

●米/大西洋艦隊(艦載機:常用約240機)
BB:「メイン」、「ニューハンプシャー」
BB:「マサチューセッツ」
BC:「アラスカ」、「プエルト・リコ」
CV:「フランクリン」、「ホーネット2」
CVL:2隻
CG:2隻、CL:2隻
DD:16隻

●英(日)/S部隊(艦載機:常用約170機)
BB:「St. アンドリュー」、「St. デイヴィット」
   「St. グレゴリー」、「St. パトリック」
BB:「葛城」
CV:「瑞鶴」、「千鶴」
CL:3隻 DDG:4隻 DD:12隻

 見ていただくと分かると思いますが、英艦隊の構成が米軍の偵察情報とかなり異なっているのが分かると思います。
 偵察情報とは異なり、日英合同のしかも最有力艦ばかりを集めた精鋭艦隊であり、米軍が予測した「I級」で構成された高機動が売り物の囮用の打撃艦隊などではなく、最初から勢力の減退している米大西洋艦隊を撃滅するために編成されたような強力な打撃艦隊でした。これは、英国側がどうせ敵が迎撃に出てくるのなら、最も敵が迎撃に出てくる可能性の高い配置に強力な艦隊を充てて、戦闘が発生した場合でも損害を局限しようという防衛的なものでした。もっとも、この話に乗った日本側は、これを物理的にも敵を撃破してしまうのだと勝手に解釈し、進んで稼働状態にあった有力艦を拠出したために混成艦隊となっていたのです。
 ちなみに、米偵察機が「瑞鶴」、「千鶴」を形式不明としたのは、英本土のドックでの改装で、艦首がカタパルト増設とともにイラストリアス級のようにエンクローズ・バウに変更され、艦橋構造物も電探の装備に合わせて大型化していたからでした。これは、日本海軍の将兵ですら新造艦が日本本土から来援したのだと勘違いしたと言われていますから、米偵察員が誤認したのは無理もないでしょう。
 なお、「葛城」は単に米軍の偵察で見落とされていただけで、最初から艦隊に随伴していました。
 また、「メイン」、「ニューハンプシャー」は、実戦配備に就いたばかりの「ルイジアナ級」に属する新造戦艦で、18インチ砲を8門装備した満載7万トンの大型戦艦、空母は全て開戦後に就役した新造艦です。
 この事からも、アメリカの巨大な生産力が本格的に前線に影響を与え始めていたのが分かるでしょう。

 各個撃破をしようとした米艦隊でしたが、その初手は空母艦載機を選択します。これは、概略情報から相手の空母を英国の装甲空母のいずれかと算定していた事から、艦載機数敵には圧倒的な優位にあることを確信していたからです。
 ただし、双方の位置の問題から午後に入りようやく攻撃圏内に捉えるかどうかというレベルだったため、二波、約180機の攻撃隊を放つのがやっとでした。しかし、相手がせいぜい70〜80機程度なのですから主力艦(戦艦or空母)のうち2〜3隻程度に効果的な打撃を与えられるだろうと大きな期待を持っていました。この時の米軍の情報、そしてこれまで日英が一つの艦隊に他国の空母を同伴させた事のないという事実がこれを補強していました。
 しかしそれは、英艦隊の防空ゾーンに入った時点で大きく裏切れる事になります。米艦載機を待ちかまえていたのは、おなじみのスピットやハリケーンではなく、日の丸を付けたゆるやかな逆ガル翼をした見たこともない空冷戦闘機、しかもその数は100機を越えていると思われました。第一波として放たれた米艦載機の数が約120機でしたから、その総数に匹敵する防空戦闘機がインターセプトしていたと言う事になります。しかも、米軍の基本戦術として極端に固まった攻撃隊を放つ事はなかったので、この100機と最初に対峙した米軍機の数は70機程度と完全に圧倒されていました。
 この時、米艦載機の前に立ちふさがったのは、日本の主力艦戦として配備の進められていた新鋭の「烈風」で、これだけの数を上げることができたのは、「瑞鶴」、「千鶴」の艦載機の7割を戦闘機で固めていたからでした。しかしこれは、日英艦隊がハナから水上打撃戦をするためにこの編成を取ったのではなく、今回の任務が相手の消耗でありそのための自らの防御力の強化策の一つとして取られた措置に過ぎませんでした。要は地中海のマルタ島補給戦の時と似たような発想と言うことです。
 しかし、防御用として用意された戦力だけにその効果は大きく、二波に別れ五月雨式に襲来する米艦載機の三分の二を艦隊前面で阻止する事に成功します。しかも、阻止したうちの半数を撃墜破しているのですから、これは異常なほど大きな戦果と言えるでしょう。
 しかも、日英の防空戦闘機を突破した米パイロットの受難は続きました。襲いかかった艦隊が、近代改装を受け慣熟の終ったばかりの艦艇ばかりで、それ故最新鋭の防空兵器を多数装備していたからです。
 日本海軍のようなある種防空戦を馬鹿にしたような三式弾のような兵器はありませんでしたが、この艦隊から放たれた防空火器はそれとは比較にならないぐらい、効率的に米艦載機を抹殺しました。
 彼女たちが装備していた新兵器の中でも際立っていたのは対空ロケットでした。もちろん、この対空ロケットは1940年頃英国が開発したものとは大きく違いました。最も外見はRDFの管制射撃を行えるようになった以外はそれほど違ったものではありません。違っていたのはそのロケットの先端に装備された信管でした。
 信管には『近接信管』、『電波信管』と呼ばれる超小型のRDFが使用された、命中精度が極めて高いものが使用されていたのです。もっとも、この信管は真空管がまだ高射砲の衝撃に耐えられなかった事から、臨時措置で衝撃の少ないロケット兵器に装備して試験的に実戦投入されたもので、日英側としてはそれほど大きな期待をしていなかったものです。
 ですが、その効果は絶大でした。固まって急降下してきた爆撃機、水面低くノロノロと接近してくる雷撃機などに対して、多連装に装備された現代の火矢は、まさにころ合いと言う位置で容赦なく大量の装薬を炸裂させ、RDFで制御された各種高射砲を上回る戦果を挙げることになります。
 なお、この時使用されたシステムは日本で製造され、28cmの小型対空ロケットを24連装にまとめたもの3基並べて使用していました。
 この攻撃に対して米パイロットは、発射された最初こそ馬鹿にしていましたが、その炸裂する様を見てこの戦闘以後『聖女の火矢』と呼び、強く恐れるようになります。(最初にこの武器を大量に射掛けてきたのが「守護聖人級」だったため、このニックネームが贈られたと言われています。もちろん、聖女とされたのは、このクラスの名前が「St.」で始まり、船を女性名詞で表すところからきています。)
 ちなみに、この時母艦に帰艦できた米攻撃機の数は、全体の約2割に過ぎませんでした。実に80機近くもの攻撃機が、短時間の間にインターセプターと艦隊防空戦により抹殺されてしまったのです。
 ある種、防衛側の有利と言う現代戦を象徴するものと言えるかもしれません。しかし、海戦においてこれほど極端にこの事例が証明された事は稀でしょう。

 一方米艦隊は、当然予想された英国側のカウンター攻撃を受けることはありませんでした。これを最初は訝しみましたが、攻撃隊から大量のインターセプターとの遭遇を報告され納得します。そして敵の意図を誤解しました。日英は最初からこれを狙っていたのだと。
 そして現実として、攻撃機の大半が帰還しなかった事がこの思いを強くさせます。
 米艦隊首脳が考えたのは、日英側は艦隊の艦載機を抹殺する事が目的で、この作戦期間中犠牲の大きな空母攻撃をせずに、これを無力化しようとしたのであり、自分たちはまんまとその策に乗ってしまったと言う考えでした。
 そして、なんとしてもこの借りをこの戦場で返さねば、またも自分たちの戦術的敗北となるという強迫観念、そして打撃戦力として強力な新鋭戦艦を持っているという心理的余裕から、米艦隊は日が傾き始めた海を東に向けて進み続け、日英の艦隊撃滅しようとしました。
 対する防空戦を成功させた英日側でしたが、本来ならこれで反転し、米艦隊を翻弄しつつ撤退する予定でしたが、ここで大きな問題が発生していました。それは、午後の空襲で攻撃を受けた空母「瑞鶴」が魚雷を1本だけ被雷し、事もあろうにスクリューに損傷を受け、速度を大きく落している事でした。このため艦隊は12ノットの速力しか出せず、このままでは進撃を継続している米大西洋艦隊に艦隊全てが捕捉される事を意味していました。
 そして、英日側も米軍と同じ夕日を見ながら、米軍とはまた違った理由により水上打撃戦を決意し、空母を逃がすために自らも西へと、米艦隊の元へと進路を向けました。
 なおこの時、日英の艦隊首脳も米艦隊の陣容を誤って判断しており、米艦隊は大型戦艦5隻を抱える自分たちと同等かそれ以上の戦力と見ていました。これは、米艦隊に含まれている戦闘巡洋艦を誤認した事に起因しており、日英側はこれを1隻だけいたノースカロライナ級ともどもアイオワ級と判断していました。

 またも大西洋での戦いは夜戦でした。しかし、この日は付近海面はよく晴れわたり、頭上にはちょうど大きな満月が出て辺りを煌々と照らし、鋼鉄の鎧を付けた彼女達を美しく彩っていました。戦いの舞台としてはいささか神々しいとすら言える場所で、双方の艦隊は静かに合いまみえる事になります。
 しかし、双方とも精神的に追いつめられていた事から、戦闘そのものも急展開する事になりました。ただし、双方の戦術運動の方針には大きな隔たりがありました。それは、艦隊を構成する艦艇の特徴により発生したものです。
 米艦隊は、従来通りの同航戦を意図していましたが、日英側が艦首方向に主砲を全て装備するという特徴的な艦様をした「守護聖人級」が過半を占めていた事と、先だっての海戦でその点を利用しての敵隊列へ突撃するような戦闘方法が意外に有効だと判断された事から、あえて敵に対して「T字」を描かせる、一見極めて不利な戦闘方法を選択していました。
 これを、英海軍では「逆T字」とは呼ばずに、より攻撃的な意味を込めて、「クロス・タッチ」と呼んでいました。敵の隊列に突き刺さるように攻撃を行うという、「見敵必殺」を旨とする実に英国海軍らしい命名と言えるでしょう。
 また、「守護聖人級」がこれを大規模に行った事から、十字架を思わせるこの戦法として、この名称が定着しました。もっとも、キリスト教圏でない日本では、単に「十字戦法」とだけ言っていたと言います。

 戦闘はちょうど月が天頂にさしかかろうと言う時、英国製の高性能RDFが敵影を捉えた事から開始されます。もちろん、英日艦隊は一直線に突撃を行ない、数分遅れて米艦隊も急速接近する英艦隊を捉えました。この時単縦陣をとっていた英日艦隊の速力は28ノット。「守護聖人」たちは血の十字架を思わせる海軍旗とイングランド旗を誇らしげに靡かせつつ夜間とは思えぬ高機動で、しかも自らにT字を描かせるような進路をとっていた事から、米艦隊首脳部を少なからず混乱させる事になります。
 それまでの常識からすらなら、英艦隊は自殺するような艦隊運動をしていたからです。
 そして、米側の困惑は戦闘に入ってからも続きました。
 どう見ても英側が意図しているのは、(逆)T字からの同航戦ではなく反航戦。それはまだいいとして、敵戦艦の数は5隻。偵察情報と合わないからでした。
 そして、その困惑は英艦隊が砲撃を開始した事でピークを迎えました。英艦隊は距離35000メートルで砲撃を開始。いかに英国人たちがレーダー管制射撃に練達しているとは言え、異常に遠距離からの射撃でした。そして奔騰した水柱は、どう考えても16インチ砲弾のものではなかったからです。そしてようやくここで米艦隊は、自らの相手がいつの間にか高速戦艦に改装された「守護聖人級」である事を知ります。このため、米海軍の砲撃ドクトリン通りの30000メートルからの砲撃を急遽取りやめ、可能なかぎり早い段階での砲撃を開始しました。

 最初の命中弾は、当然と言うべきか先に統制の取れた砲撃を開始した英日艦隊が発生させました。距離30500メートルの事です。
 そして、束になって降りそそいだ英国製の18インチ砲弾のうち一発が、見事「ルイジアナ級」の水平装甲を貫くことに成功します。
 これを、米艦隊は驚愕を以て迎えました。何しろ、「ルイジアナ級」は対18インチ砲防御を施された満載7万トンに達する重戦艦であり、相手がたとえ「守護聖人級」だったとしても、防御しきれる筈だったからです。しかし、物の見事に正貫してしまったのです。幸い突入した箇所が重要区画から遠かったため、いきなりの致命傷にはなりませんでしたが、それ以上に心理的ダメージは大きなものがありました。
 これはもちろん、ラッキーヒットなどではありません。
 米海軍が、ヘビーシェルと呼ばれる通常よりも25%近く重い超重量弾を使用していたように、英海軍も新型の砲弾をこの度の近代改装に合わせて開発していたのです。それは、日米が自らよりも強力な戦艦を保有している事に対する、英国の示した一つの回答の形でした。
 英国人は、まず「守護聖人級」たちの主砲をそっくり換装し、「キング・ジョージ5世」級と同様の発射速度の速い半自動装填式の砲塔にあらため、さらに主砲そのものも軽量合金を利用した長砲身砲とし、最後に主砲弾を専用の重合金をふんだんに用いた徹甲弾を作り上げたました。
 この徹甲弾は、他よりもはるかに多くのタングステン、クロムなど希少金属をふんだんに使用しており、貫通力は通常よりも10%増し効果があるとされていました。もちろん砲弾重量も10%程度増加しており、米海軍ほどではありませんでしたが、十分はヘビーシェルとなってもいました。このため、新型砲塔を用いた貫通能力は、従来よりも25%近くも増加し、それが「ルイジアナ級」への貫通弾を生み出したのです。(もちろん、母体は弾薬庫まで改造しています。)
 ちなみに英海軍では、このヘビーシェルを日本海軍の秘密兵器91式徹甲弾とは好対照に鋭角的な姿をしていた事と「守護聖人級」の1隻の名前でもある聖(St.)ゲオルギーにちなんで、「ドラゴンスレイヤー(竜殺し)」と呼んでいました。

 少し話がそれましたが、戦闘は最初の命中弾から急転直下と言う表現が似合うぐらいのスピードでもって進展しました。これは、とりもなおさず英日側が反航戦を望んで一気に米艦隊の脇を駆け抜けようとしたからで、さらに「守護聖人級」4隻が正面から突撃しつつも全ての主砲を指向できるという事が影響していました。また、米軍側も全てが新鋭戦艦で主砲発射速度が非常に早かった事も影響しています。
 ただ、一通過して主砲戦距離から離脱した双方の艦隊でしたが、大規模な艦隊同士の打撃戦であったのにも関らず、どちらも大きな戦果を挙げることも大きな損害を受けることもありませんでした。互いに高速ですれ違いすぎて、交戦時間の短さと相対速度のせいで命中弾があまり発生しなかったからです。
 しかし、どれも1対1で砲撃をしあった事から、全くの無傷の戦艦もありませんでした。
 戦闘の結果から言えば、英日側の判定勝ちと言うところでしょう。
 英日の戦艦は「ルイジアナ級」の18インチ砲にも改装された防御システムはよく耐え、どれもせいぜい中破止まり。対するアメリカ側は、「ルイジアナ級」こそ大損害を受けることはありませんでしたが、それ以外は大口径砲弾でかなり大きな損害を受けており、特に「アラスカ級」に属する戦闘巡洋艦では、戦艦との真っ正面からの戦闘は極めて不利であることを印象づけ、その証拠に「プエルト・リコ」は最後尾に位置していたため、最後に英日側から滅多打ちにあい、爆沈ではなく短時間の間に連続する主砲弾の打撃により大破・撃沈していました。
 英海軍は、この戦果に大きな満足を示し、またも戦術的敗北とされた米海軍の落胆は大きなもので、以後大西洋でのそれぞれの行動にすら大きな影響を与えるようになります。

 なお、この夜戦をもって連合国の活動はほぼ予定通り終息へと向かい、連合国は所定の目的を70%程度達成したため作戦判定を十分成功としました。この数字は、米軍を引っかき回すという相手の動きに期待した作戦でしたので、この数字でも十二分な成功と判断されていたからです。
 もちろん、米軍としては結果的に無為に艦隊を動かして消耗し、あまつさえ発生した海戦は判定負け、その上大西洋艦隊そのものが整備と修理で3ヵ月動けないという事で、大きな不安を抱える事となりました。
 これは、大西洋の欧州各国がいまだに活動可能な任務部隊をいくつか手ごまとして持っていた事と、ハワイと西海岸を挟んで対峙している日本艦隊の不気味な沈黙から、より大きなものとなっていました。
 そして、その米軍の不安は最悪の形で具現化される事になります。

■パナマ・ストライク