■パナマ・ストライク

 1944年1月25日、新規兵力の編入と再編成のため内地でたむろしている筈の日本艦隊が、突如パナマ沖に出現しました。もちろんターゲットはパナマ運河。
 年が明けてから活発に活動を再開していたハワイの日本海軍第一艦隊の動きにばかり気を取られ、あまつさえこれに対応して艦隊主力を北寄りにシフトしていた太平洋艦隊は、おそらく南太平洋を迂回してきたと思われる、この事実上の奇襲攻撃に対して対応すべきまとまった兵力はありませんでした。
 後方での日本軍を中心とする連合国側の動きは多少は掴んでいましたが、これはハワイに対する増援もしくは重要性の増した大西洋への派兵準備ではないかと見ていた事が、この対応の遅れを助長していました。アメリカは、この時点での連合国側のパナマ侵攻はないと判断していたのです。
 もちろん、パナマ運河地帯には防衛の為に1個軍団・5万人の陸上兵力と300機もの航空機が駐留いましたが、それも戦闘開始2日目で少なすぎる兵力だった事を思い知らされる事となりました。日本(連合国)軍は、ハワイにあるもの以外の太平洋上にある洋上機動兵力予備の過半のここに叩きつけてきたからです。
 この時押し寄せた連合国艦隊は、以下の通りです。

◆連合国海軍(日英海軍)
 日本・第二艦隊:
BB:「大和」、「武蔵」
BB:「土佐」、「長門」
AC:「剣」、「黒姫」
CG:「伊吹」、「鞍馬」
CL:1隻 DD:12隻

 日本・第一機動艦隊:(艦載機:常用約480機)
CV:「大鳳」、「海鳳」
CV:「蒼龍」、「飛龍」、「天龍」、「神龍」
BB:「金剛」、「榛名」
CLA:「綾瀬」、「初瀬」、「水無瀬」
DDG:4隻 DD:12隻

 日本・第三機動艦隊:(艦載機:常用約300機)
CV:「白龍」、「黒龍」
CVL:「飛鷹」、「隼鷹」
CVL:「瑞鳳」、「日進」
BB:「比叡」
CLA:「大淀」、「仁淀」
DDG:4隻 DD:12隻

 英太平洋艦隊(Zフォース)(艦載機:常用約60機)
BB:「プリンス・オブ・ウェールズ」
BC:「インヴィンシヴル」、「インフレキシヴル」
CV:「フォーミダブル」、「ハーミス」
CG:「エクセター」、「ドーセットシャー」、「コーンウォール」
CL:2隻 DD:8隻

 他パナマ攻略艦隊
 護衛空母6隻(艦載機:常用約180機)
 戦闘艦艇約30隻、輸送船舶150隻、他20隻
(上陸部隊、歩兵師団2、機甲師団1、海軍特別陸戦師団1、特務(コマンド)大隊1など:総数10万人)

 欧州の一般よりも規模の大きな艦隊ばかりが5個艦隊、決戦を標榜とする日本海軍が半年以上再編成に努めていたからこそ編成できた大艦隊でした。
 その上、艦隊は空母とそれに搭載される航空機を中心に編成されており、空母数は実に20隻、艦載機数は1000機に届こうと言う空前の規模にまで膨れ上がっていました。
 もっとも、この艦隊は連合艦隊の機動戦力の実に6割以上が集結したもので、この時点で日本が出しうるほぼ全力と言ってもよい兵力で、この賭博性の高いこの作戦が失敗すれば、取り返しのつかない可能性もあったのですから、これだけの兵力であるからこそ無謀と言えるかもしれません。
 なお、ここで特筆すべき兵力は、2隻投入された「大和級」戦艦よりも、「天龍級」航空母艦でしょう。「天龍級」は、「飛龍」とその後建造された「雲龍」の簡易拡大型、もしくは「翔鶴級」の廉価版とも呼べる日本の戦時急造空母シリーズで、軍艦として許容できる限り徹底的に簡易化モジュール化された簡易構造を取入れて建造され、1年半の期間で戦力化できる戦時だからこそ建造された艦艇でした。これは、贅沢かつ重防御の「大鳳級」航空母艦とのハイ・ローミックス建造であり、この戦争中と戦後の完成を含めれば実に14隻も量産され、実質的な主力空母として活躍しました。ただし、簡易構造であるがゆえに直接的なダメージには弱く(その分間接防御は注意が払われていたが)、全艦が生き残った「大鳳級」とは対照的に多くの損傷艦と戦没艦を出してもいます。
 ちなみに、2万3000トンの排水量に「翔鶴級」と同程度の能力を付与されいるのはアメリカの「エセックス級」にこそ多少劣りますが、数がものを言う航空戦において十分な戦力であると言えるでしょう。

 ただし、パナマに全ての日本艦隊が押しかけたわけではありません。ハワイには日本の第一艦隊がこの時点でも頑張っていました。
 ちなみにハワイ前面に有ったのは、それまでとほぼ同様の編成をした「四十六糎倶楽部」の面々です。
 彼女達は、当面はアメリカ太平洋艦隊に対する陽動を目的として北太平洋を遊弋、西海岸前面の合衆国太平洋艦隊主力にプレッシャーをかけていました。
 また、ハワイ=西海岸=パナマとそれぞれがほぼ均等な距離にあり、これで米太平洋艦隊は間に挟まれた格好になりました。しかも、援軍を受けるべきパナマ運河に栓をされてと言う状況でです。

◆在ハワイ艦隊
 第一艦隊:(艦載機:常用約120機)
BB:「紀伊」、「尾張」、「駿河」、「近江」
BB:「富士」、「阿蘇」、「雲仙」、「浅間」
CV:「伊勢」、「日向」
CG:「妙高」、「那智」、「羽黒」、「足柄」
CL:1隻 DD:18隻
(他、布哇軍港直属の掃海、護衛、潜水戦隊などがある)

 パナマに押し寄せた連合国側の艦隊編成を見ても分かると思いますが、攻略船団を伴っている事から連合国側はパナマ運河に対して「奪取」を目的としているのであり、「破壊」を目的としているのではない事が分かります。
 彼らがパナマ米軍の前に姿を現しても、その期待を全くもって裏切りませんでした。
 潜水艦を用いたコマンド(日本海軍は特務陸戦隊)の事前上陸、空母艦載機による制空権の獲得、異常なほどスピードを重視した上陸部隊の展開など、まさにハンマーで胡桃を割るような攻撃であり、在パナマ米軍は軍事的には瞬く間に抵抗力を喪失します。
 特に、初戦でレーダーを潰された事が、米軍の迎撃を困難にしていました。これは、日英の空母の一部が艦載機型のモスキートを攻撃の初手として夜間発進させ、彼らに当地のレーダーサイトの破壊を行なわせ、これが全く図にのったための混乱でした。
 この時、超低空で侵入するモスキートを米軍のレーダーサイトは、軍事的に意味のある時間に捉える事ができず、またこの夜は新月だったため目視の発見も遅れ、ために迎撃が全く間に合いませんでした。これは、一部の航空基地も同様で、ただでさえ劣勢な航空戦力もその三割が事前に破壊されてしまう事になります。

 パナマ運河地帯での攻防は、連合国側のゼロ・アワーから48時間を待たずに決しました。
 パナマ運河は、アメリカ政府が万が一の場合においてもぎりぎりまで破壊してはいけないという命令を出していた事と、破壊命令は大統領の承認を得なければいけないとした事、そして連合国のあまりにも急な進撃のため、大きな破壊を迎えることなく連合国の手に落ち、現地のアメリカ軍も殲滅されるかジャングルに追い立てられ、一部要塞建造物などに立てこもったものを除いて、その戦力を喪失しました。特に僅かな陸上機動兵力(連隊規模)と航空戦力は、連合国軍の空母艦載機の前に完全に殲滅されていました。
 この時アメリカ太平洋艦隊は、パナマには対潜護衛用の駆逐艦部隊と対通商破壊用の旧式巡洋艦しか置いておらず、主力はサンディエゴ、サンフランシスコ、シアトルに分散し、特に主力の3個任務部隊がハワイにもパナマに対しても最もリアクティブ対応しやすいサンフランシスコに集結していました。
 ですからこの時も、出撃できる戦力をかき集めパナマの迎撃を行おうとしましたが、パナマの動きに呼応するようにハワイの日本第一艦隊がアメリカ西海岸へ接近したことで、混乱する事になります。
 パナマを防衛すべきか、米本土を防衛すべきか。
 大統領命令により、結果はすぐに出されました。
 艦隊は一刻も早くパナマに救援に向かい、西海岸の防衛は基地兵力の総力を挙げてハワイの戦艦部隊を迎撃する事とされました。当然と言えば当然の選択でしょう。西海岸の一都市は復興すれば事足りますが、パナマ運河はアメリカのアキレス腱なのですから。
 なお、本来準備すべきパナマ奪回用の逆上陸用のための地上兵力については、後日準備でき次第送り出すという泥縄式が採用され、まずは連合国を追い払うこと、付近一帯の制海権・制空権奪回が急務とされました。

 そして連合国側も、この米軍の動きを事前に多めに配備された哨戒用の潜水艦と暗号情報などから掴んでいました。そのためにこれ見よがしにハワイの第一艦隊を動かしていたのであり、そもそも大艦隊の行動を隠し通す事は非常にむずかしいので発見も容易だったからです。
 この米軍の動きに連動して、ハワイから東太平洋を陽動のため西進していたハワイ駐留艦隊こと日本第一艦隊は、同程度の時間でアメリカ西海岸に到達する距離だったので、アメリカ艦隊を追撃する形で針路をそのままアメリカ西海岸をかすめるように急追を開始、さらにアメリカ艦隊がパナマに達するまでに数日を要するのを利用して、攻略に同行した機動艦隊は、パナマ前面での迎撃を行おうとしました。連合国としては、パナマをエサに敵の各個撃破をできるのなら、この米軍の動きは願ったり叶ったりという事です。
 米太平洋艦隊にとってこの事態は、前門の虎後門の狼と言ったところでしたが、軍港に逼塞していても事態は悪化するだけで、米軍も何も策を講じていない訳ではありませんでした。

 一連の海戦は、その時の位置と針路の日本艦隊の関係から北米西海岸沖から始まります。
 アメリカ西海岸をかすめるように南下していた日本第一艦隊は、電探のPPIスコープにアメリカ西海岸から急速接近する大編隊を幾群も捉えます。米軍は、航続距離ギリギリまで陸軍の重爆をありったけ第一艦隊に差し向け、敵の行動を妨害、あわよくば撃破・撃退してしまおうとしたのです。
 接近しつつある数は、全群を合計しておおよそ300機。水平爆撃で艦隊攻撃を行う重爆撃機としては常軌を逸した数でした。しかし、当然これを護衛する戦闘機の姿はなく、日本側でも電探の映像と偵察に出た「彩雲」からの報告で、それぞれはせいぜい大隊・36機のボックス・フォーメーションを組んだけで接近していることを知ります。
 これは、都市爆撃のような大編隊を長時間かけて組んでいたら、高速で移動する敵艦隊を捉えることが出来ないから取られた臨時措置で、別に兵力の逐字投入をした訳ではありませんでした。
 その証拠に、9個もの中規模の集団が各地の基地から接近しつつありました。
 その上「彩雲」は、今まで見たこともない大型の重爆撃機の姿を報告していました。
 この機影は、米重爆撃機の切り札として投入された「B-29」で、この戦いが実質的なデビューでした。もちろん、最新鋭の爆撃機ばかりで構成されている訳ではなく、主力は已然として長距離侵攻能力の高い「B-24」でした。
 ちなみに、出撃した米爆撃機の数が300機程度だったのは、目印のない洋上はるか(1500km以上洋上)まで出撃できるパイロットの数がその程度しか確保できなかったからで、この当時カリフォルニア南部に展開していた機体はこの約3〜4倍にも及んでいました。
 この未曾有の重爆撃機を、洋上で迎撃する事になった日本軍でしたが、いかに命中率の低い重爆の水平爆撃とは言え、合計300という数はあまりにも脅威でした。平均5.4トン(1000ポンド爆弾12発)の積載量として、自分たちの頭上に1600トン以上もの爆弾が降り注ぐ事を思えば、その脅威の程度も分かるでしょう。(単純に考えれば0.5%程度の命中率として、16発もの1000ポンド爆弾が命中する事になる。)
 このため日本第一艦隊は、米太平洋艦隊の追撃を一時停止し、全力を挙げてこれを阻止する事になります。米軍のなりふり構わない攻撃を前にしては、挟撃や追撃どころではありませんでした。
 当然まずは、随伴する改装空母「伊勢」、「日向」からありったけの戦闘機が上げられます。数にして約60機。通常編成の航空戦隊だったので、空母2隻ではこれが精いっぱいでした。
 そして、欧州での防空戦の戦訓からも、この程度では到底重爆の群を全て阻止できないと予想した艦隊司令部は、迎撃の主軸を通常の防空砲による弾幕射撃と、先だっての海戦で大きな成功と失敗を経験した「三式弾」にゆだねました。
 日本艦隊が「三式弾」も重視したのは、重爆が単発戦闘機のように身軽でない事、重爆の攻撃が密集編隊でなければ効果などなく、攻撃を継続するつもりなら何があろうとも編隊を解く事はないだろうとごく常識的に予測していたからでした。そして、「三式弾」を敵の攻撃を妨害するためのものだけと捉えていました。
 もちろん、本来の高射砲(両用砲)による防空輪形陣も厳重に敷かれました。それは本来ならこちらの方が艦隊防空の主力だからに他なりません。陸上目標に対する重爆による攻撃と思えば、一箇所に300門もの高射砲に守られた拠点に、まともな戦果など上がるはずないからです。しかも高速で移動しているのですから、なおさらです。

 一方、日本艦隊に接近していた米陸軍所属の重爆撃機約300機でしたが、爆撃機に搭乗していた搭乗員のうち、ある程度が北千島での戦闘を経験した者で構成されていた事から、当然のごとく出くわした日本艦隊の防空戦闘機にはそれほど動じませんでした。これは敵艦隊20kmまで接近した段階で先鋒の損害が1割以上に達していても変わりませんでした。北千島の戦場ではこの程度は日常茶飯事だったからです。それにここなら北千島と違い海上で墜落しても凍死の心配をしなくてよいぐらいですから、むしろ気分的には楽だったかも知れません。
 もっとも、最初に到達した編隊は、第一挺団を壊滅させられ、まともに攻撃できる状態でなかったものがありました。
 なお、米重爆部隊は、平均して3個編隊、36機を基本として9つの編隊が、2時間程度の時差をつけて断続的に艦隊に襲来する事になっており、何より日本艦隊の進路妨害を第一に考えていた事は間違いないでしょう。

 最初に2つの編隊が挟撃するような形で日本第一艦隊に接近します。72機の定数だった「B-24」の数は、当初の3分の2程度、50機以下に減少していました。
 そして、20kmまで接近した時点で、日本の防空戦闘機が離れていった事に面食らいました。
 確かに高射砲による迎撃による同士打ちを避ける為の措置としては妥当なものでしたが、その離れ方が極端でかなり異常だったからです。
 そして、正面から迫っていた挺団のうち先頭挺団の重爆撃機の搭乗員達は、等しく突然目の前が灼熱するのを目撃する事になります。それは大半の搭乗員にとって人生最後の光景でもありました。
 もちろんこれは、第一艦隊合計64発もの46cmサイズの「三式弾」が一斉に炸裂した瞬間の光景です。遠目にもそれは弾幕などではなく、「炎の壁」と称すべき光景でした。
 先だっての戦闘での米海軍からの報告を重視していなかったが故の悲劇であり、密集編隊による公算水平爆撃しか選択できない四発の重爆撃機群だからこそ発生した損害でした。
 そして、その後日本艦隊は額面通りの三斉射を送り込み、最初の炸裂からバラバラに編隊を崩して後退しつつある重爆の群を、艦載機に対するよりはよほど効率的に引き裂きました。もっとも、重爆撃機は構造そのものが丈夫だった事もあり、損傷機の数の割には撃墜機の数は少ないものがありました。
 この情景に日本艦隊は、驚喜しつつも300機と言う数が脅威である事には違いないので攻撃を継続しようとしましたが、一度に複数の集団が突っ込んでくると迎撃が難しい事も浮き彫りにされました。いくら集団で接近してきても、それが複数だと多数の砲からの一斉射撃による弾幕によってでしか効果的な迎撃が難しい「三式弾」では、事実上砲弾の無駄に終る事もあるからでした。
 一方、以上の都合から同時に接近しつつあったもう一つの挺団に対しては、通常の統制防空射撃が行なわれ、一度に一方の方向に指向できる電探管制された数百門の高射砲の弾幕は、これに壊滅的打撃をあたえていました。
 それは、10kmを切った辺りから流星雨のごとき高射砲弾が叩きつけられ、電探により完全に統制された高射砲は、先頭から順番に射的大会の的のように米軍の重爆を撃墜破していくことになります。
 これは、米軍が艦艇への水平爆撃のため3000m程度の高度を維持していた事から、この当時の日本海軍の主力高射砲である10cm砲どころか旧式の12.7cm砲でも十二分に迎撃が可能だったからで、これが米軍が持ち込んだB-29が到達可能な高度9000m付近から接近していたのなら、これほど上手く、日本側からすれば面白いように爆撃機を撃墜する事はできなかったでしょう。
 また、日本軍が自らの攻撃力を基本として艦隊の防空能力を強化していた為、これほどの命中精度と火力集中が実現できたのであり、これが規模、装備ともに劣る日英以外の海軍であったなら、米重爆撃機隊はそれ程苦労せずに攻撃を成功させたと思われます。

 米軍の基地からの攻撃は、大規模な艦隊に対する重爆撃機による密集水平爆撃が、いかに危険であるかを大きな教訓として互いの胸に刻み込んだ以外、さしたる成果もないまま終りました。
 これは、大きな期待をもって投入された「B-29」の編隊による攻撃でもそれ程大差ありませんでした。確かに、濃密な高射砲や戦闘機の迎撃を前にして「B-29」は強じんな防御力を見せつけましたが、無差別都市爆撃でもない限り自慢の高高度飛行性能を披露する事は出来ず、持ち前の防御火力の強さも高射砲の群の前には何の意味はなく、むしろ大きな機体は電探射撃に対して不利だったからです。もちろん、大きな搭載量による爆撃は、濃密な水平爆撃を行えれば大きな効果を上げたかもしれませんが、防空戦闘機、高射砲により厳重に守られた高速で移動する艦隊、しかも強固な防御力を持つ重戦艦の群に対しては、無力とは言わないまでも、費用対効果を考えるととても損害に似合う戦果を上げることはできませんでした。

 結局、濃密な高射砲の弾幕にさらされつつも、重爆撃機のうち4割程度(約120機)は一応艦隊上空に到達し爆撃を行いましたが、日本軍のあまりにも苛烈な迎撃を前にして及び腰の攻撃が大きな成果を挙げるはずもなく、日本第一艦隊はたいした損害を受けることはありませんでした。
 結果としては、数隻の損傷艦と直撃を受けた駆逐艦が1隻、総員退艦で沈没しただけでした。
 しかし、時間という点では、貴重な時間を長時間にわたる防空戦で消費しており(爆撃そのものとその後の混乱の収拾を含めると四半日のロス)、第一艦隊による米太平洋艦隊の追撃(攻撃)が難しくなっていました。
 つまり、米軍の目的は片方は達成され、戦略的な勝利と言えるかもしれません。
 ですが、損耗率約3割、損傷機を含めると5割、つまり150機の損害、約1000名以上の熟練搭乗員の損失という数字を前にしてこの作戦が米軍の勝利と言えるかはかなり難しいと言えるのではないでしょうか。連合国側の戦略爆撃での基準なら数ヵ月の間に被る損害を一度に受けた事になる損害です。
 そして日本第一艦隊は、その後メキシコ沖に達した時点でアメリカ西海岸からの攻撃を完全に振り切り、速度を上げつつ米太平洋艦隊の追跡を継続していました。

 一方、パナマ制圧を継続し、基地設営すら開始していた日本軍の前に、米太平洋艦隊の主力が姿を表しつつありました。
 この時パナマ近海に急行しつつあった米太平洋艦隊は、以下のようになります。

■アメリカ太平洋艦隊
 ・第33任務部隊
BB:「ルイジアナ」、「オハイオ」
BB:「ニュージャージ」、「ミズーリ」、「アイオワ」
BB:「ウィスコンシン」、「イリノイ」、「ケンタッキー」
BB:「ワシントン」
BC:「サラトガ」
CG:「ニューオーリンズ」、「タスカルーザ」
CL:3隻 DD:16隻

 ・第38任務部隊(艦載機:常用約700機)
 第1群
CV:「エセックス」、「タイコンデロガ」
CV:「エンタープライズ」
CVL:インディペンデンス級2隻
CL:3隻
CLA:「サンディエゴ」 DD:16隻

 第2群
CV:「イントレピット」、「ハンコック」、「アンティー・タイム」
CVL:インディペンデンス級2隻
CL:3隻 DD:16隻

 単純な数字の上での日本軍との戦力比較なら、主力艦戦力はアメリカ艦隊が優位、母艦航空戦力なら日英艦隊が若干優位と言った所でしょう。これを数字で比較すると、日:米=戦艦(含む巡洋戦艦)10:10、空母14:10、巡洋艦13:12、駆逐艦52:48となります。米軍の戦艦戦力が優位と言うのは、その大半が新鋭戦艦でどれも大きな排水量を持っているからです。
 ちなみに、排水量で比較するなら日英:米=59万トン:49万トン。一見米軍不利となりますが、これが口径別なら日英が20インチ×18、16インチ×45、14インチ×24、12インチ×18で、米が18インチ×18、16インチ×71ですが、弾薬投射量(1分当たり)で見ると日英:米=183トン:226トンとなり、日英側はアメリカ艦隊の8割程度となってしまいます。これは、米艦艇の主砲射撃速度がどれも高いからで、新鋭戦艦ばかりで固めていたからこそ発生していた優位です。日本側が20インチ砲装備の10万トン戦艦を持ち込んでいましたが、これもこれだけの数となるとそれ程大きな効果は期待できず、どうひいき目にみてもアメリカ側優位と言えるでしょう。
 また、航空兵力で若干勝っている筈の日英側でしたが、それもパナマ攻撃で消耗しており、母艦数が多いと言う事で甘く見ても互角、むしろ劣勢に立っていました。もっとも、日英側は直接継戦能力の高い装甲空母を複数持ち込んでいましたので、この点では有利な点と言えるかもしれません。

 そしてこの結果を単純な数字で見ると、日英側が壊滅して米軍がパナマを奪回したとしても、太平洋艦隊も7割もの損害を受けるという文字通りの共倒れとなります。しかも日本側はアメリカ艦隊を追撃する形でハワイの第一艦隊が1日程度の時間差で迫っており(米軍の妨害で進出が遅れている)、米軍がなりふり構わず戦闘を行えば如何なることになるかは、当事者たちにも容易に想像のつく未来でした。
 つまり敵味方共に、日本の第一艦隊以外の全ての洋上戦力が太平洋上から消えてなくなると言うことです。
 そして、これは米太平洋艦隊が消滅しパナマを保持できるとするなら、日英としては辛うじて許容できる損害となり、アメリカは太平洋の制海権を全く失うことを意味していました。
 そして、逆もまたしかりです。アメリカとしてもパナマを保持しておけば、どうとでもなる筈だからです。
 それに、アメリカとしては経済のアキレス腱でもあるパナマを失う事は、戦争経済の点で致命的な失点となるので、これは軍事的以上に許容できる事でないのは言うまでもないでしょう。
 このため米軍としては、ここまで来た以上パナマを一刻も早く奪回するしかなく、しかも一日経った時点で日英艦隊を突破できなければ南北から挟撃される事になり、そうなれば戦力差から必負は確実。その上、このまま連合国側にパナマを奪われては、海軍は二つに分断されたようなものであり、特に大型艦艇の補充のきかない太平洋艦隊の問題は深刻でした。
 つまり、もう進むしかないと言うことです。
 こうして、追いつめられた米軍の思惑により、戦雲は急速に高まる事になります。

 対する日英側でしたが、パナマを奪回するために米太平洋艦隊がいずれ全力で来るであろう事は当然のように予測しており、濃密な潜水艦の索敵線を敷いて、上陸戦に必要ない機動戦力の大半を洋上に配置して待ちかまえていました。
 日英側としては、第一艦隊が戦場で合流できなくなった事は誤算でしたが、この度の作戦はパナマを奪う事、そしてそれを恒久的に維持出来るようにすることが可能ならそれに越したことはありませんでしたが、敵の致命的な部分に攻め込む事でアメリカ艦隊に決戦を強要するのが第一の目的だったのですから、米艦隊の接近を拒む理由はありませんでした。
 日本は当初の作戦通り、米太平洋艦隊を撃滅できるのならパナマに投入した艦隊が壊滅してもよいと考えており、現有艦隊の残り半分(第一艦隊と遣欧艦隊)を中核にして内地で整備中の新造艦で艦隊を再建すれば事足りると判断していました。
(パナマ攻略艦隊もある程度損害を受けることは折り込み済みだった)
 それに、どこかで決戦をせねばならないのだから、少しでも米海軍の新造艦が揃わない状態が良いので無理をしても早期に決戦を挑むべきだという風潮が、日本の特に連合艦隊内部に色濃くあったことも無視できないでしょう。現場の人間達は、アメリカの生産量を何より恐れていたのです。
 それに、日英連合国側としても兵力劣勢で決戦に入る可能性を考えていましたから、艦隊だけではなく、それ以外の補完戦力の準備もしていました。
 一つは、占領したばかりのパナマでの、基地航空隊の早期展開です。これは、事前に準備していた事から米太平洋艦隊が一日の距離に迫った時点でそれなりの運用レベル(100機程度の戦闘機が展開できた)に到達していました。ただこちらはどちらかと言えば、低速の護衛空母同様パナマの制圧にまだ必要で、海戦に期待が持てる戦力ではありませんでした。
 また、別のその保険として、日本の内地にあるありったけの水上機をかき集めて持ってきており、戦闘機としても使える「零式水上観測機」はもちろん、新鋭の「紫雲」水上戦闘機、急降下爆撃すらこなす「瑞雲」水上偵察(爆撃)機、果ては長大な航続距離に任せて各地を経由しながら自力でパナマにたどり着いた「二式大艇」など各種約200機もの機体を持ち込んでおり、中でもドイツから技術交換で手に入れた、「フリッツX」で有名な誘導爆弾を搭載可能なように改造されていた「二式大艇」には大きな期待が寄せられていました。なお、「二式大艇」は南太平洋の英仏の植民地経由で自力でここまでたどり着いていました(表面上中立の南米各国の島嶼なども使用していたが)。

 日英米三つどもえの戦闘は、1944年1月29日にパナマ沖合で対陣することでスタートします。
 半ばにらみ合う事になった理由は、本来攻略作戦中でそれを妨害されないためにも、日英側が積極的に前進するのがどちらかと言えば常道のはずが、一旦沖合に艦隊を展開させた後はゆっくりと後退するような運動をしていたからです。日英側としては、単にパナマ近在の航空戦力が使える所まで移動しようとしただけでしたが、この行動をアメリカ艦隊が必要以上に警戒したためにこの停滞を生み出していました。
 しかし、アメリカ艦隊に時間はなく、また幸運な事にちょうど連合国側がアメリカ艦隊を一時的にロストしていた事から、アメリカ側が先制する事に成功します。
 本来なら、米軍機よりも長い大な航続距離を誇る日本機にとっては十二分な進出範囲で、また英国が持ち込んだ(日本も供与を受けている)艦載機型のモスキートも航続距離を延ばしたタイプでしたから、十分に攻撃可能でしたが、相手の位置が分からないのではどうしようありませんでした。
 日本側首脳部は、ぐずぐすした事で先制攻撃の千載一遇の機会を逃したとひどく悔しがりましたが、接触してきた米艦載機を確認すると、可能なかぎりの索敵機を追加で放ちつつも、ありったけの防空戦闘機を上げることで何とか米軍のファースト・ストライクをしのごうとしました。
 この方針に従い、艦隊の全ての戦闘機だけではなく、パナマ方面にあった基地航空隊も電探による管制に従い随時艦隊防空に投入される事になりました。
 また、投入が開始されたばかりの新鋭「流星」攻撃機や、モスキートなら相手が雷撃機程度なら十分迎撃は可能と言うことでこれも動員され、二波500機もの米艦載機が押し寄せるまでに、650機ものさまざまな機体で待ちかまえる事になります。
 また、日英側が取りあえず防御に徹しようと決意させたのには、艦隊防空システムとして先だっての大西洋の海戦でデビューを果たした近接信管を使用したロケット弾を多数の艦艇が装備しており、前回の戦闘での活躍からこれに大きな期待を寄せ、従来の防空システムと合せれば十分に撃退可能と考えていた節があります。

 米空母群から放たれた第1次攻撃隊約300機は、敵艦隊前面30kmほどに達した時点で我が目を疑ういました。それは自分たちよりも多数の戦闘機が、文字通り待ちかまえていたからです。
 よく晴れ渡った太平洋上だったため、空一面に黒ゴマを播いたように展開する日英機の群は、それだけで攻撃隊を圧していました。
 米攻撃隊のそうしたスキを突いて最初にインターセプトを行ったのは、空母「フォーミダブル」を根城とする「スピットファイア」たちでした。彼らはグリフォンエンジンを搭載した最新鋭の改良型の「スピットファイアXII」艦載機型で構成された精鋭部隊で、時速700kmオーバーの速度は、この当時のいかなる米艦載機をもってしても追随不可能な速度で、数こそ24機と少数でしたがスピットの群は思うがままに米攻撃隊を翻弄し、切り裂いていきました。
 このためか、英パイロット達はこの戦いを「パナマのキツネ狩り」と呼んでおり、これがこの海戦を端的に表した言葉として戦後よく用いられる事になります。
 そしてスピットの切り開いた穴に、「烈風」を先頭とした後続の日本機が大挙乱入し、そこに雷撃機だけに狙いをしぼった「流星」や「モスキート」が低空から迎撃を行ない、太平洋の空を文字通りの魔女の鍋状態へと変化させました。
 結局、日英の濃密な防空網を突破して艦隊上空まで到達できた米攻撃機は、第一波、第二波合計で100機程度に過ぎず、それらには、今度は濃密な艦隊防空網が待ちかまえていました。
 日英艦隊の上空は、13.5cm、12.7cm、11.4cm、10.2cm、10cm、40mm(2ポンド)、25mm、20mm、12.7mmと実に多種多様な口径の防火火器が電探管制され、それらが全天を漆黒に染め上げるように打ち上げられ、さらにそこに28cm近接信管搭載ロケットの群が連発花火のような爆発で仕上げをおこないました。
 もちろん、そのあまりにも濃密な弾幕に、数を減じた米攻撃機が耐えれるはずもなく、戦意や練度の低い機体は及び腰の攻撃でこれまでの努力を無駄に終らせるか、濃密な弾幕に捕捉され人生そのものを終らせていました。
 それでも一部の士気も練度もある機体は、その地獄の中にあっても攻撃を成功させましたが、その数は全体の三分の一程度で、さらに命中弾を叩きつけることに成功したのは、その中でもごくわずかの急降下爆撃機だけでした。雷撃任務を帯びていた機体は、それまでのあらゆる防御システムにより全て阻止されており、命中したものは全て1000ポンド爆弾でしかありませんでした。また、当然のごとく大半が大物狙いをしていた事から、被弾したのは新鋭の「大和級」戦艦や「大鳳級」装甲空母、そして特徴的な姿を持つ英国の「I級」戦艦で、そのどれもが強固に防御された艦だっため、どれも判定小破止まり、米軍が当初予想していた損害とはかけ離れた戦果した挙げることはできませんでした。
 かくして、米機動部隊の攻撃は大きな成果を挙げることなく終了し、今度は帰還する米艦載機に対する送り狼のような要領で日英側の攻撃が行われました。
 なお、この攻撃でアメリカ海軍が被った損害は、完全損失が攻撃した全体の4割、損傷を含めた数字は7割に達していました。なお迎撃した日英側の損害は、損傷機を含めても全体の1割程度でした。

 そして、日英側が放った攻撃隊は、既に午後に回っていた事もあり一波で約450機と、米軍よりも多数の母艦を有している利点こそ活用されていましたが、その機数は日英、特に大艦隊を運用する事に慣れ始めていた日本の航空参謀にとって満足のいく数ではありませんでした。
 攻撃隊の構成は、戦闘機と攻撃機が半数ずつとごく平均的でしたので、戦200機と功250機程度となります。つまり、常識的な命中弾の数から考えれば20数発程度の命中弾、大型艦なら3隻程度は撃沈できるだろうと言うことです。
 ですが、アメリカ艦隊も戦訓を踏まえてそれまでよりもはるかに努力した防空システムを構築しており、日英が期待したほどの打撃を米太平洋艦隊に与えることはできませんでしたが、日英程徹底した、と言うよりも極端な空での防空戦闘を行わなかったので、米艦載機のような無残な結果には終らず、魚雷と爆弾合計で10数発を米艦に叩きつけることに成功します。
 アメリカ艦隊の損害は、当然のように空母に集中しましたが、頑健な防御力と米海軍の優れたダメージコントロールは、日本機が目の敵とした「エセックス級」の撃沈を拒み、日英の戦果は軽空母1隻、巡洋艦1隻撃沈にとどまっていました。
 なお、被弾した「エセックス級」は2隻で、いずれも被雷数が少なかった事もあり中破止まり、一時的な航空機運用能力の喪失だけで速力もある程度維持していました。また、日英側の艦載機も損傷を含めれば5割に達する損害を受けており、鏡に向って殴りかかればどうなるかを判定勝者にも教え込みました。
 しかし、日英の攻撃はそれだけではありませんでした。艦載機が攻撃を終えそろそろ立ち去ろうと言う時、パナマに展開していた水上機部隊が遠路襲来したからです。ただし、距離の関係から攻撃を仕掛けたのは、「二式大艇」だけでした。
 日本軍はこの作戦に24機の「二式大艇」を投入しており、この攻撃にも当然のように全機を投入していました。もちろん、全ての機の翼には小型の「フリッツX」が各2発ずつ無理やり搭載されていました。
 「二式大艇」たちは、まだ上空に止まっていた機動部隊の艦載機の援護を受けつつ強引に米主力艦隊上空に達し、獲物を捜す猛禽類のような円運動を艦隊上空近くで行いつつ、順次翼の荷物を落していきます。なお、艦隊上空までたどり着けたのは、全体の約八割の19機で、さらに敵艦隊の打ち上げる砲火を受けるまでに投下した機体は17機でした。
 攻撃は、アメリカ艦隊の高射砲の影響をなるべく受けない位置から行われた事、かなりの距離を開けた場所からの投下だった事もあり、誘導爆弾と言えどそれ程高い命中率を発揮しませんでしたが、それでも投下された33発の「フリッツX」は、通常の水平爆撃では考えられない命中率、急降下爆撃すら上回る命中率を示し、三分の一以上に当る13発の命中弾を発生させました。また、投下された爆弾の中には赤外線誘導型爆弾も含まれており、それらは艦で最も強い熱源を持つ煙突に落下し、戦艦ですら貧弱な防御しか施されていないそこから艦深くに突き刺さりました。
 被弾したのは、戦艦隊の右隊列を航行していた「ルイジアナ級」の「オハイオ」、「アイオワ級」の「ニュージャージ」、「イリノイ」、「ケンタッキー」で、煙突に被弾した「イリノイ」と「ケンタッキー」がボイラーの半数をやられて大火災発生の上で判定大破、他が判定中破の損害でした。
 米軍としては幸いにして撃沈はありませんでしたが、少数の飛行艇の爆撃でこれほどのダメージを受けた事は、心理的にショックで、物理的にも一瞬にして主力艦の40%が損害を受けた事は致命的と言わないまでも深刻でした。

 この時点でほぼ夕刻を迎えていましたが、双方の損害は航空戦力はアメリカ側が7割減で日英側が5割減少、主力艦はアメリカ側のみが実質3割程度戦力減少していましたが、艦隊戦力は米軍にある程度の損害が出て、連合国側に大きな損害はありませんでした。
 そして、双方の距離はまだ200海里以上離れており、よほど双方が夜戦を望まないかぎり主力艦隊同士の水上打撃戦は出来そうにありませんでした。
 また、米太平洋艦隊の後からは日本第一艦隊が迫りつつあり、その距離を四半日分縮めていました。

 今日一日で、米太平洋艦隊にとって状況は、さらに「往くも地獄引くも地獄」という有り様となったと言うことです。
 もともとが奇襲と言ってよい連合国に無理やり合せたような作戦だったため、方針そのものに無理があったのですから、こうなる可能性は高かったのですが、米軍はここでどうするかの決断を迫られる事になります。
 この時点でも米軍に選択権があったのは、日英艦隊の中間に自艦隊を置いているという位置的な状況と、日英が基本的に要地攻略中と言う理由から迎撃を目的として、攻撃を選択していたのが米軍だからに他なりません。
 米太平洋艦隊の選択肢は、このまま進撃を継続して如何なる犠牲を払ってもパナマに陣取る日英艦隊を撃退するか、反転して第一艦隊を撃破して態勢を建て直すために西海岸に戻るか、それともどちらにも向かずに一気に南下して南米のホーン岬経由で東海岸を目指して逃走するかです。
 また、一旦明後日の方向に離脱して日本艦隊をやり過ごしてからどうするか考えるか、そのままどちらかの日本艦隊を一直線に目指すかという別の選択肢もあります。もっとも前者の場合日英艦隊をパナマに集結させる事になり、米軍の目的には合致しません。
 進退窮まった米太平洋艦隊司令部は、損害と現状を報告した上で決定を軍司令部と政府にゆだね、1時間以内に結論が出されなければ、パナマを奪回できるだけの戦力がない事を理由に撤退を行うと通信を送りました。狭義の戦術的には、それが一番妥当な判断だからです。
 そして、損害に青くなり、海軍の半分を失う事を恐れた米政府・軍部首脳が選んだ選択肢も、「一時」撤退でした。
 しかも、後日パナマ奪回を行うための戦力集中を理由に東海岸への撤退を指示しました。
 ただし、戦闘を一度おこなった太平洋艦隊にとり、いくら大西洋側から迎えの艦隊とオイラーを派遣すると言われても、これは実際問題としてかなり難しい問題でした。
 たしかに、手持ちの補給部隊をカラにしてしまえば、何とか大西洋に出る事は可能でしたし、パナマの日英艦隊は動かず、ハワイから出張ってきているこ憎たらしい日本の戦艦部隊も深追いはしてこないでしょうが、大西洋に回ればフォークランド、アフリカ西海岸、カリブ、大西洋の島嶼と連合国側の拠点が存在し、大西洋上で活動を行っている艦隊が迎撃とは言わないまでも妨害に出る事は十二分に予想され、無事東海岸にまで撤退できると楽観的に考えられる艦隊側の人間はいませんでした。
 また、撤退するにしても大きな問題がありました。それは、損傷した艦艇です。特に煙突から大型爆弾を受け機関部を大きく損傷していて「イリノイ」と「ケンタッキー」は、火災こそ治まりましたが速力が20ノットを割り込んでおり最高速力14ノット程度と、とても高速で撤退しなければならない艦隊に同伴する事はできそうにありませんでした。巡洋艦程度なら処分すればよかったのですが、ものが満載5万トン以上の大型戦艦が2隻とあってはどうにかする必要がありました。このため1個駆逐艦戦隊を護衛として、随伴している高速タンカーも1隻つけて、一旦明後日の方向に移動してから西海岸に分離撤退が決定されます。
 また、この決定によりアメリカが西海岸の制海権を事実上連合国、日本帝国に明け渡し、西海岸が無防備同然になるという意見に対しては、一旦東海岸に戦力を集中して片方の敵を撃破する必要があるとされ、西海岸防衛は先日の爆撃機の攻撃でも明らかなように、防衛は基地部隊だけで可能とされた実績を以て、その反論が封じられました。
 もっとも、納税者に対する言葉としてはそれでも弱い事から、西海岸部はその後四面楚歌の状態になるまで、異常なほど空軍と陸軍部隊が駐留する場所へと変貌する事になります。

 かくして米艦隊は激しい攻撃から一転して、夜逃げのような逃走劇を開始しました。この場合、パナマ近海まで来ていたという事は、逃走には有利に働き、太平洋に展開する連合国としては、パナマにあるパナマ攻略艦隊と追撃中の日本第一艦隊以外対応すべき戦力が存在しないという事態に陥りました。
 さすがにこれほど極端な展開を予想していなかった連合国は、結局太平洋においては潜水艦による追跡以外あきらめ、事を大西洋方面にゆだねる事としました。
 太平洋方面軍としては、パナマをあっさりあきらめてくれるなら、その間にパナマの支配を少しでも盤石にする方が単に艦隊を撃滅するよりも利に叶っていたからです。
 ハワイから脚を延ばしていた日本の第一艦隊も警戒しつつも帰路に入り、急速に高まっていた戦雲は静まる事になります。

 その後米太平洋艦隊は、大西洋全域に展開する潜水艦に苦労しながらも、何とかほぼ欠員を出すことなくノーフォークに入港する事に成功し、ここに太平洋艦隊の事実上の消滅、そして全米の海軍力の大西洋の集結という結果をもって、艦隊戦そのものに関しては終了しました。
 なお、太平洋をノロノロと逃亡していた筈の戦艦「イリノイ」と「ケンタッキー」を中核とする艦隊は、太平洋艦隊主力の動きに気を取られていた連合国の監視の目をくぐり抜け、無事サンディエゴへの入港を果しています。

 しかし、この戦闘の戦略的な顛末で忘れてはいけないのは、連合国側がほぼ無傷でパナマ運河を手に入れたと言うことです。
 連合国がパナマの完全占領を宣言した2月2日のうちに、カリブで頑張ってたい小規模の英艦隊もメキシコ湾側から合流、そしてパナマ近在の全ての艦隊の厳重な警備のもと、早くも日本艦隊の一部がパナマ運河の利用して、カリブ海へと移動始めていました。
 そう、カリブ海に突如日本の空母機動部隊が出現したのです。
 そしてそれは、続々と続く太平洋からカリブへの兵力移動の序章に過ぎませんでした。
 この二つの、戦力バランスの変化により、水面下の戦い以外で太平洋戦線は事実上消滅し、西海岸と東海岸を結ぶアメリカの交通線はこの日を境に急速に途絶していく事になります。
 日英によるアメリカを揺さぶるための投機的な一時的な筈の作戦が、戦争そのものの流れを変えてしまったのです。
 と言うよりも、手段と目的が完全に逆転してしまった珍しい軍事的結果と言えるかも知れません。

■最終中間報告(終盤戦に備えて)