■最終中間報告(終盤戦に備えて)

 「聯合軍、ぱなま運河奪取セリ!」。
 この事件は、当然のごとく戦略的にも大きな変化をもたらす事になります。また、アメリカ太平洋艦隊が洋上機動戦力を喪失した事もこれを補強していました。
 つまり、太平洋上に存在する連合国洋上機動兵力の大半が、戦略的にフリーになったと言うことです。
 そしてそれは、すぐさま日英の大艦隊のカリブ海出現という形で、連合国の兵力配置にも影響しました。
 もっとも当面の連合国は、パナマの防衛に必要な戦力を送り込むだけにとどめ(と言っても空母機動部隊や戦艦多数を含む強力な兵力となりますが)、まずは太平洋の戦線整理を図る事になります。
 これは、もともとの大戦略で決定され、事前準備も順調に進展していた事、太平洋の安定化のために必要不可欠だった事などから、おいそれとそれを変更できなかったという理由もありました。
 なお、事前のスケジュールで見ると、1944年4月のアリューシャン列島侵攻、6月のアラスカ侵攻を経てから、太平洋ルートのカナダ補給線の確立と言うことになります。つまり、パナマの恒久的占領は当初の予定表からするとどう考えても半年程度早く、この時点で連合国側のリアクションがあったとしても、米軍がパナマを一時的にでも手放すとは考えてはいなかったと言うことです。
 そして、太平洋で日本海軍に対抗すべき戦力のなくなった米軍に、太平洋での連合国側の動きを阻止すべき戦力はなく、またカナダや太平洋により米本土から切り離されていた事から、米軍が同方面に増援を送り込む事もできず、それどころか撤退すらままならない状態となっていました。
 これは、太平洋に残存する艦隊が、全体の六割が展開していた潜水艦隊を除くと、せいぜい護衛空母を中核とした支援用の艦隊しかなく、サンディエゴのドッグで1年程度の修理を必要とする戦艦「イリノイ」と「ケンタッキー」、他サンディエゴ、シアトルなどで建造中の若干の巡洋艦以外は、まともな戦力は存在しなかったからです。つまり、現状で日英の大艦隊に対応すべき戦力は存在しなかったと言うことです。
 また、連合国がパナマにまで交通線を伸ばした事で、これを西海岸から潜水艦を使い破壊活動を行えば非常に有効でしたが、占領直後から連合国側も十分な護衛を付けた船団を組んで送り込んでいた事から、連合国以上に泥縄式に作戦の変更を行った米海軍の方が劣勢に立たされるぐらいでした。
 これはひとえに、アメリカ軍が泥縄式に大西洋への極端な戦力集中をしすぎたからで、本来ならもっと慎重にすべき兵力の移動を安易におこなったツケでもありました。

 アメリカ軍、特に海軍は大西洋での追っかけっこと、パナマをめぐる攻防で疲弊していた事から、1944年の夏ごろまで米海軍の視点からすると主力は実働状態にありませんでした。
 これに対して連合国海軍は、太平洋こそ規定の作戦以外の発起はまるで不可能でしたが、大西洋では混乱に全く関らなかった半数の艦隊が稼働可能でした。また、米軍を翻弄した艦隊も実際戦闘を行ったものと、カリブやフォークランドに増援として派遣された艦隊以外は稼働可能で、その勢力は全力が集結したとは言え、現状の合衆国海軍相手なら十二分な機動戦力を確保していました。
 そして、太平洋方面の連合国が、当初の予定通りアリューシャン諸島攻略、アラスカ攻略と現地軍の形ばかりの抵抗を排除しつつ順調に駒を進めます。
 なお、この頃になると日本と英国、英連邦諸国以外のアジア・太平洋諸国の軍隊の準備も進められ、米本土への本格的増援の準備が急がれました。
 ちなみに、この中でのアジア・太平洋諸国と言っても、この頃のまともな独立国は、日本と英連邦諸国以外では大韓国、満州国、中華民国、タイ王国ぐらいしかありませんでした。そして、中華民国は中華ソヴィエトとの内戦状態にあり、連合国として大兵力を拠出できうる状態にありませんでした。
 しかし、日本が陸兵のかなりをこれらの国々に肩代わりさせ、自国の兵員になるべき人員を生産に投入しようとします。
 この方針により、1944年秋までに大韓国、満州国からはそれぞれ1個軍、タイ王国からも1個軍団が遠征用に編成されていました。
 これは、同時期までに日本軍が1個軍集団(3個軍基幹)を独自で編成していた以外に、オーストラリアが2個軍団、ニュージーランドが1個軍団、マレーからインドにかけて合計1個軍用意され、それらと共に「太平洋軍集団」(4個軍基幹・後の西海岸軍集団)という巨大な軍団を編成するに至ります。
 なお、一応説明しておきますと、1個「師団」は後方要員を含めて一般的には2〜3万人程度で編成され、それらが2〜4個(一般には3個)「師団」あつまって1個「軍団」、2〜4個(一般には3個)「軍団」が集まって「軍」、2〜4個(一般には3個)「軍」の集合体が、陸軍としての最高単位である「軍集団」となります。もちろん、単位が大きくなるに連れて直轄戦力(砲兵、独立戦車部隊など)がこれに付随しますから規模はさらに大きくなります。
 これが、日系の国なら、「軍団」が「軍」と表現され、「軍」は「方面軍」、「軍集団」は「総軍」と表現されていました。つまり、太平洋側から北米を目標とした日本軍単独による「軍集団」の正式名称は、「北米総軍」と言う事になります。
 もっとも、それらの北米への移動はまだまだ先の事でした。

 そして、大西洋側の連合国も、米軍に回復のいとまを与えないための軍事行動と、カナダへの兵力増強の動きを加速させようとしました。
 カナダは、いまだ双方が予測不可能の事態を恐れるがゆえ、そして東海岸部から五大湖一帯で双方の都市部があまりにも接近していることから、実際戦闘が始まった際の破局を恐れるがゆえ、いまだ双方の偵察行動とその妨害以外はほとんど行われていませんでした。
 連合国側による機雷散布作戦というイレギュラーがありましたが、44年の春が来ようとしているこの段階ではそれもなくなり、一時期の欧州戦線のような「ポニー・ウォー」と呼ぶべき状態に再び戻っており、一見戦争をしているのかと疑うぐらいの状態でした。
 もちろん、通商は途絶、物資も人の流れも途絶え、双方の国境は固く閉ざされ、国境線に沿って双方の軍事力が濃密に展開していましたし、都市は高射砲と防空戦闘機により厳重に防衛され、町からは若い男達の姿は消えていました。
 間違いなく、アメリカとカナダは戦争状態だったのです。
 なお、この頃カナダの連合国兵力は、カナダ第一軍と呼ばれる現地部隊と英国からの1個軍団があるのみで、この時点で米軍のカナダ侵攻があればひとたまりもありませんでした。

 ではここで少し、それぞれの陣営のおおまかな戦力を見てみましょう。
 まずは米軍、中でも今後重要性を増すことが間違いない米陸軍を中心に兵力の動員状況などです。
 このころ、1944年春の段階で米陸軍は、ありうるべき未来に備えるに際して、最大5つの戦線を抱えなければいけないと考えていました。
 一つは言うまでもなくカナダ戦線です。ここは特に、東海岸から五大湖が重視されており、西海岸戦区との関係から中西部地方までが含まれていました。次は、双方の洋上兵力の格差から日本軍がいつでも上陸する事ができると見られた西海岸。なお、西海岸は日本軍によるアラスカ占領以後、さらに危険度が増したとされ、シアトル市を擁するワシントン・オレゴン戦区とカリフォルニア戦区の二つの戦区に分けられていました。
 また、アメリカの心臓部と言える東海岸も、カナダの軍事力の存在と欧州国家群の油断ならない行動から、ひとつの戦区とされ、そこには最も大きな兵力が所属していました。
 そして、パナマを占領された事で、カリブ海・メキシコ湾も自らの内海と言えなくなった事から、メキシコ湾岸からフロリダ半島が新たに戦区に指定され、急速に兵力が増強されつつありました。
 また、このそれぞれの戦区に1個軍〜2個軍が配備され、それ以外に完全な機動戦力の集団である中央軍集団が編成されており、機動力に優れた最大級の戦力を保持して、いつかあるであろう連合国の侵攻に備えていました。この中央軍集団の存在は、アメリカ合衆国があまりにも発達した道路・鉄道網を持っていたからこそ存在できたものです。
 なお、1944年春の段階で米陸軍は、航空隊をのぞく全てを含めると250万人あり、1年後の45年春の段階でその二倍の500万の数字に達する予定でした。
 この時カナダにあった兵力が、実質陸海空合計で50万人程度だったのですから、この兵力量の大きさが分かるでしょう。この数字は、独ソ以外の国では到底不可能の数字で、アメリカが単に国力が巨大なだけでなく、国内に大きな人口を抱えている事を物語るものでもあります。
 また、軍そのものの装備、個々の兵器などで見てみると、やはりその特徴は機械力の大きさでしょう。
 全師団の自動車化、工兵部隊の重度の機械化、歩兵師団にすら戦車連隊を装備する火力の大きさなど、欧州大陸で戦っていた陸軍大国の独ソ軍ですらほとんど達成できていなかった程の進んだ装備を有していました。
 ただし、特筆すべき兵器となると、ミニタリー・マニアを満足させる兵器や一般大衆に受けやすい兵器はあまり見受けられません。もちろん、ジープと呼ばれた小型高機動車、大量のトラック、ハーフトラックなどの一見地味な機械力が達成した成果を否定する訳ではありませんが、ここでは少し見た目にも派手な兵器を少し見てみたいと思います。
 と言っても、長砲身の155mm榴弾砲、通称「ロング・トム」や量産性と稼働率の高さ、輸送の容易性などが主な売り物でそこそこの性能しか与えられていない戦車「M4(シャーマン)」など一見地味な兵器が多く、連合国各国が生み出した文字通りの目玉商品と言える特徴的な兵器を前にすると、いささかくすんだものがあると言えるかも知れません。
 特に第二次世界大戦の花形と言われた戦車については、あかぬけない「M3(スチュアート)」軽戦車、「M3(グランドorリー)」中戦車、上記した「M4(シャーマン)」中戦車と戦争序盤の日本陸軍並に平凡で、ドイツ軍や後半の日本軍が送り出した大型戦車を前にすると見劣りすると言えます。
 例外的存在として、1942年の北千島での日本陸軍との戦訓から生み出された重戦車「M26(パーシング)」があります。この車両は40トン以上の車体に90mm戦車砲と十分な装甲を備えた極めて有力な存在で、連合国が送り出した様々な重戦車に唯一対抗可能な能力を有していました。
 また、「M24」軽戦車は、軽戦車ながら75mm砲を搭載した極めて優れた軽戦車で、ドイツの「2号ルクス」ともども最良の軽戦車と呼んでよいでしょう。

 陸軍以外でも航空戦力(主に陸軍航空隊だが)の増強も軌道に乗り、訓練部隊を含めて陸海合計で合計200万人にもおよぶ大動員計画が進んでいました。単純に1機の航空機には50人の兵士・後方要員が必要と言う数字から考えると、この動員が達成されれば4万機もの機体が北米にひしめく事になります。実際の計画では、動員完了は1945年春の予定で、その時には1万5000機の第一線機が配備される予定でした。これは、全連合国航空戦力の第一線機(日:4000機、英:5000機、独:5000機、伊:2000機(全て海軍除く))に匹敵する数です。
 1944年以後、アメリカで主に生産されていた機体は、戦闘機が高高度性能に優れたP-47(サンダーボルト)の各タイプ、双発の「P-38(サンダーボルト)」の後期生産型、爆撃機が超空の要塞「B-29」と戦術爆撃機の「B-25」、「A-26」などとなります。海軍、海兵隊も含めるとこれに、「F4U(コルセア)」、{F6F(ヘルキャット)」戦闘機が加わります。
 なお、陸軍航空隊は、主に中低高度で使用する制空戦闘機の開発で失敗した事から、海軍と共通の機体を使用してこの時期を耐え忍んでいました。

 最後に陸空軍が使われずに済むために今以上に奮闘せねばならない海軍ですが、それまでの両洋での消耗により最も動員計画に乱れが発生していました。
 もちろん、合衆国中のドック、船台の全てが全力稼働して艦船を吐き出し続けていましたが、特に大型艦艇での損害は積もり積もって、連合国を前にして両洋を防衛しうる能力は現実問題としてありませんでした。特にドイツの変節でこれは決定的になっていました。
 1936年、1939年、1940年、1942年と次々に大規模な艦隊計画が立案され、そのほとんど全てが計画を中止される事無く、それどころかさらに計画を拡大していた事から、計画の上なら戦艦、戦闘巡洋艦が28隻(全てが建造中もしくはすでに就役)、大型正規空母35隻もの建造が予定されており、1944年の段階で、戦艦20隻(うち戦闘巡洋艦4隻)、大型空母8隻、高速軽空母9隻が就役していました。
 そして、それまでに有していた戦艦7隻、大型空母6隻を合計すれば、艦艇の新しさから十二分に連合国側に対抗可能と見られ、本来ならこの時点で本格的な侵攻作戦が予定されていた程です。
 しかし開戦以来の消耗で、戦艦8(うち戦闘巡洋艦1隻)、大型空母6隻、軽空母2を損失しており、その他の補助艦艇を合計すると、数だけなら開戦前の合衆国海軍全部を失う程の損害を受けていました。
 この損害は、陸空軍勢力が北太平洋で失った兵力よりもはるかに大きく、熟練兵の不足に至っては陸空軍の比較にならない程深刻で、目に見えない点でも合衆国軍を蝕んでいました。
 なお、新鋭艦の内訳は、戦艦が各6隻ずつ3.5万トンクラスの「サウスダコタ級」、4.5万トンクラスの「アイオワ級」、6万トン級の「ルイジアナ級」、戦闘巡洋艦の「アラスカ級」になります。これに45年から就役予定の8万トン級の「ヴァーモント級」戦艦が4隻(「ヴァーモント」、「ヴァージニア」、ジョージア」、「ネヴラスカ」)存在しています。
 空母の方は、都合32隻も計画された「エセックス級」空母と、42年度計画で追加の「エセックス級」と共に新たに計画された「ユナイテッド・ステーツ級」超大型空母となります。「ユナイテッド・ステーツ級」は、日本で建造された「大鳳級」とよく似た大型の装甲空母で、42年の日本空母の殴り合いを教訓として新たに設計されたものです。また、追加の「エセックス級」も3万トンクラスの装甲空母に再設計されたものが計画されていました。そして、この空母は46年の冬あたりからの就役が予定されていました。
 また、それ以外では、当初は侵攻のための交通線維持のため大量の護衛艦艇が必要とされ建造されていましたが、それが少なくとも数年は攻める側から守る側に変化したため、ドイツが変節をおこなったあたりから建造計画に大きな修正が行われ、護衛艦艇の建造は既に就役したものと建造が進んでいる分以外のかなりが中止され、代わりに既存の大型艦艇の建造に人員と資材が割かれ、さらに連合国側の交通線を破壊するための潜水艦の建造に重点が置かれ、実に800隻もの「ガトー級」潜水艦とその改良型の建造が計画されました。
 そして、この時点で重要な事は、アメリカ海軍のほぼ全力(戦艦17隻、大型空母8隻)が大西洋方面に集結している事でしょう。これは、連合国とりわけ欧州各国にとっては大きな脅威でした。

 では次は、アメリカについてはある程度把握できたの思いますので、アメリカ以上に混沌としている欧州連合国について見てみましょう。
 欧州連合国の主軸となっているのは、イギリス軍、ドイツ軍、イタリア軍そして日本の遣欧軍となります。これ以外にフランス軍も英独の政治バランスの中すでにある程度の戦力を保持するまでに回復していました。それ以外となると、攻勢に出れるほどの戦力を保持する国家は存在しませんので、除外します。(ソ連は軍備はそれなりに残っていたが、国家として戦争どころではないので当面除外します。)
 北米大陸に侵攻する側となった連合国にとって重要度がまず高いのは海軍、そして制空権獲得のための空軍、最後の段階では最重要ですが現時点では重要度の低い陸軍となります。
 この当時欧州列強各国は、非常に強力な海軍を有していました。特に欧州での戦乱の事実上の終息と、アメリカへの戦いのシフトから海上兵力の建設に大きな努力が払われており、その勢力は増大の一途をたどっていました。
 特に復調著しいのは、一時的に全ての戦いから開放されたドイツ第三帝国で、「Z計画」と呼ばれる艦隊建造計画の復活、建造中艦艇の建造促進を日英からの技術援助を受けながら行っていました。
 これは、「シャルンホルスト級」巡洋戦艦の主砲の換装を含む大改装工事、空母「グラーフ・ツェペリン」、「ヴィーザル」の就役など目に見えた形で具現化しており、44年春の時点で1年前に倍する戦力を洋上に出現させていました。さらに、「H級」として有名な大型戦艦の建造を日英からの技術援助を受ける形で計画を拡大してリスタートさせたりと、ともかく元気です。潜水艦については言うまでもありません。
 ちなみに、「H級」は日英海軍の増強から、当初計画よりさらに規模を大きくした7万トン級の超大型戦艦として計画を変更し、他の艦艇の建造を置いて先行する2隻が急ピッチで建造が進められ、1番艦は1946年の就役を目指していました。
 ついで、英連邦に亡命していた「リシュリュー級」2隻を取り戻したフランス海軍も、同級の完成を急ぐと共にツーロンなどで沈黙していた無傷の艦隊と再合流させ、建造中で放棄状態だった「クレマンソー」の建造を再開、さらには英国から軽空母の供与を受けるなどして第二次大戦型海軍として、一気に再建を果そうとしていました。
 一方、フランス海軍の復調を警戒していたイタリア海軍もドイツともども連合国にくら替えしていた事から、当面これを脅威とせずに済み、当面は大西洋を戦場とするための(イタリアから見て)バランスの取れた海軍の再編成を急ぎ、戦艦「ローマ」、空母「アクィラ」の就役と重なり、またその規模の大きさもあって、どうにか洋上国家連合の一員としての面目を施していました。また、フランス、ドイツに対抗する形で新型戦艦の建造も新規に始まろうとしていました。
 そして、これら三国を合せたよりもなお巨大な海軍を保持しているのが、いまだ世界最大最強をうたわれる大英帝国の誇る王立海軍です。
 確かに新造戦艦こそ3.5万トン級(実質は4万トンの16インチ砲搭載艦)の「キング・ジョージ5世級」が3隻だけと寂しいものがありましたが、1921年度計画艦の「守護聖人級」「I級」、そして1隻戦没してしまったとは言えいまだ3隻が健在の「フッド級」があり、さらに旧式戦艦や旧式巡洋戦艦が10隻もあり、その合計は24隻にも達していました。
 中でも徹底的な近代改装工事を経た「守護聖人級」と「I級」は、日米の新鋭戦艦とすら互角に戦える力を得ており、新造戦艦は不要という王立海軍の豪語もあながち間違いではないほどの戦闘力を持つにいたっていました。
 もっとも、戦艦戦力に多くの力を割かれていたため、空母戦力は日米などと比べると小さく、現時点で正規空母が4隻、その他旧式空母が数隻あるに過ぎませんでした。一応、さらに大型空母が4隻、軽空母が10隻以上建造中でしたが、現時点ではどれも戦力化はされておらず、そういう点では欧州的海軍と言える状態でした。
 そして、最後になりましたが、外様として英国に派遣され欧州や大西洋で戦い続けている日本海軍遣欧艦隊も、この時点においてすら極めて有力な存在でした。遣欧艦隊は、戦艦「葛城」、「赤城」、「高雄」、「高千穂」、「穂高」、大型空母「翔鶴」、「瑞鶴」、「千鶴」に軽空母を4隻を擁していました。
 特に空母に重点が置かれた編成は、欧州・大西洋方面では貴重な存在で、英国で唯一の空母機動部隊共々最も重要な位置を占めていました。裏を返せば、英国がこれほどの空母機動部隊を有しないが故に、いまだに欧州に留め置かれていたとも言えるでしょう。
 なお、欧州連合国の全てを合計すると、戦艦(装甲艦除く):43隻、大型空母:9隻にも達しています。
 質はともかく、戦艦の数は圧倒的な物量です。

 ついで空軍戦力ですが、各国とも国力に応じた数と戦力を擁していましたが、いかんせん欧州大陸を主戦場として設計された機材が大半を占めており、英国の一部の機体を除くと、北米のアメリカ軍と戦うには、とにもかくにも北米大陸に進出しなければ話にならないという状態で、また複数の工業国の寄り合い所帯と言うことは、各国で機材が異なっているということでもあり、額面通りの数的戦力を期待するのは、基本的に自己完結型の兵器で構成された海軍や、汎用性のある陸軍に比べると難しいのが現状でした。
 また、欧州大陸合計で1万機以上もの戦力は、あまりにも巨大な戦力であり、予定されていた北米への移動も容易ではありませんでした。(もっとも、陸軍ほどではありませんでしたが。)
 なお、運用機材の面ですが、戦闘機は英国「スピットファイア」シリーズ、ドイツが「Me-109」シリーズ、「フォッケウルフ」、イタリアが「マッキ」シリーズでほとんど一本化されており、実のところアメリカ単独より混乱は少ないぐらいでした。これは、欧州大陸での戦争そのものが影響しており、少しでもそれなりの機材を多数揃える事に重点を置いた各国が、生産機を極端に限定していた事がもたらしていました。
 ただし、本格的な戦略爆撃が可能な大型爆撃機となると、英国の「ランカスター」ぐらいしかなく、それ以外の大半は戦術爆撃機で占められており、北米に盤石の足がかりを築いた後に必要とされた戦略爆撃の為の機材をどうするかが課題となっていました。

 では、最後の陸軍についてですが、良好な状態を維持していたのは英国とドイツのみで、イタリアやフランスはもとより、それ以外の国々はとても北米遠征を行えるような軍備も装備も所持しておらず、ドイツ陸軍においても渡洋するための機材となるととても大きな不安を抱えていました。
 これは、英国や日本などのように、最初から国外での戦闘を前提とした軍隊でもなければ仕方のない事でしたが、欧州連合国陸軍共通の頭の痛い問題となっていました。
 もちろん、移動のための準備も着々と整えられつつありましたが、この問題を解決しない限りは北米大陸での大規模な陸戦など絵に描いた餅でしかありませんでした。
 このため、この頃の多くの努力がどうやって海を渡るかに傾注されていました。
 なお、単純に北米での戦闘に耐えうる兵力は、英国がカナダや太平洋方面に展開している部隊以外の戦力、つまり本国軍の戦力は2個軍編成の1個軍集団で、ドイツ軍は、全ての戦線を一度消滅させ軍の編成も完全に作り直したすえに生み出された2個軍集団が用意されました。これだけの兵力を用意したのは、明らかにドイツが北米戦での主導権を狙ったものです。そして、イタリア軍、フランス軍は共に1個軍の展開が限界で、他の国々に至っては1個軍団を用意できれば良い方でしたが、それでも合計すると1個軍程度になり、それらを合せた欧州全体で4個軍集団の準備が可能とされていました。
 もっとも、それらを満たすための装備を施すには、英独など欧州の工業力を総動員しても44年の秋を待たねばならず、そこからさらに北米への移動と考えると、意味のあるうちに北米に移動できそうな数はその半数程度でしかありませんでした。
 なお、アメリカ合衆国を陸上戦力で屈服させるには、6個軍集団が必要とされており、太平洋方面と合わせて辻褄合わせのように兵力が準備されていた事になります。
 そして、個々の兵器ですが、やはり陸戦兵器となるとドイツ陸軍が群を抜いており、ついで英陸軍となり、数だけはそれなりに多いイタリア軍は、装備の面から言うと日英独のはるか下と見られていました。復活したばかりのフランスに至っては、過半を供与兵器に頼っていました。
 なお、本来の装備状態をA〜Eで評価すると、評価Aにはドイツとソ連、評価Bに英国と日本そして敵国のアメリカ、評価Cにようやくイタリアと供与兵器でかなりが占められているフランスが該当していました。なお、北米遠征用に準備されていた各国の衛星国の軍隊は、日英独からかなりの兵器供与を受けていたため評価Cとされていました。もちろん、本来なら評価Dまた評価Eとされるべきで、ほとんどの国はまともに戦車の自国生産すらできません。
 ちなみに、1944年から45年にかけての特筆すべき兵器は、英国では17ポンド砲もしくはその簡易型の77mm砲を装備した「チャーチル」そして、新鋭の「センチュリオン」、「コメット」で、この17ポンド砲、77mm砲は列強の大半の戦車を撃破可能な性能を持っており、自身も最大150mmの重装甲とそれなりの機動力を持った「センチュリオン」は英国陸軍の期待の星でした。一方ソ連を打倒した事により世界最強の陸軍とされたドイツ陸軍の主力兵器ですが、何と言ってもソ連戦で勇名を馳せた「6号(ティーゲル)」と中戦車の決定版として実用段階に入っていた「5号(パルテン)」シリーズがその双璧と言えるでしょう。また、常識をどこかに置き忘れたとしか思えない超重戦車の「7号(ティーゲル2)」の存在も忘れるわけにはいかないでしょう。このどれもが、米軍の「M4(シャーマン)」シリーズを敵とはしないほど強力で、砲塔前面180mmに達する装甲を持つ「7号(ティーゲル2)」に至っては、自らの故障と地形障害でしかその進撃を防ぐのは不可能とすら言われていました。
 ただし、強力なドイツ軍戦車にも、致命的と言える欠点がありました。それは、大西洋を越えて運搬するための船と港の施設が、これらの重量に耐えられるものがドイツ国内にはほとんどなく、専用の戦車揚陸艦を使用する以外は、その大半を英国や日本に依存しなければならない事でした。しかも、日本は彼らもドイツ人と似たような試行錯誤の末誕生させた大型戦車を運ぶため、同種の艦船を自分たちでガメてしまっており、この鋼鉄の獣たちをどうやって運ぶかが、欧州連合国兵站部の最大の懸案とすら言われる事になります。

 では最後に日本軍を中心とする太平洋地域ですが、先ほどある程度触れていますので、その点は割愛して進めたいと思います。
 まずは、海軍です。
 この頃の太平洋には、日本海軍の主力と英連邦の艦隊がいくつか存在していました。
 単純な数で見ると、1944年夏の時点で戦艦26隻(装甲巡4隻含む)、正規空母15隻、軽空母4隻程度となります。もちろんこれは、英連邦艦隊と言うよりも英国の「Zフォース」を含めた数字です。
 これだけでも米海軍の総力を凌駕する程の正面戦力でしたが、特筆すべきは無理をしてまで建造が急がれた大型艦艇の早期就役で、この時点で満載10万トン、文字通り世界最大最強の「大和級」戦艦が2隻(さらに二隻が艤装中で1945年内に就役予定)、満載5万トンの超大型装甲空母「大鳳級」航空母艦が同じく2〜3隻就役している事でしょう。巨体ゆえせっかく占領したパナマ運河を通過する事はかないませんが(日本の大型艦の大半は通過不可能だが)、その戦闘力は艦隊決戦を標榜とした日本海軍生まれであるが故に強大の一言につきました。特に同形艦による戦隊戦力は、カタログデータでは図れない圧力を持っていました。
 もちろん、大きくなった国力に沿うように巨大化した海軍ゆえ、通商破壊のための潜水艦、反対に敵から全ての商船を守るための護衛艦艇の双方も膨大な数が計画・整備され、日々継続される消耗戦と来るべき北米侵攻に備えています。
 次いで航空戦力ですが、日本は陸軍と海軍が独自に航空隊を保持していたので欧州各国のように独自の空軍は持ちませんでしたが、それ故任務に特化した機体を多数保持しており、総力戦の影響もありその役割に応じた極端な生産が棲み分けの形で行われていました。具体的には、陸軍が防空戦闘機と戦術爆撃機を、海軍が長距離爆撃機と制空戦闘機を設計・生産しているという実情です。
 もちろん弊害もありましたが、日本軍はこれを機体の共用を図る事と整備面など後方支援の基準を統一化する事などで切り抜けようとしており、現状では何とかうまくいっていました。
 なお機体的には、陸軍の「飛燕II」、「疾風」戦闘機、「飛竜」爆撃機、海軍の「烈風」戦闘機、「流星」攻撃機、「連山」、「連山改」大型陸上攻撃機がこの当時主に生産されていた機体になります。どれも、世界水準に達する優れたものばかりで、特にそのどれもが大きな航続距離を持っていた事は、今後広大な北米での戦闘では大きなアドバンテージになると見られていました。
 また、これらの日本機の頂点的存在として、英国との共同開発で開発が進められていた「富嶽」の名で知られる6発の超重爆撃機が、1945年で試作段階にまでこぎ着けていました。
 そして陸軍の建設をある程度衛星国に任せた事による生産力のゆとりを利用して、膨大な数の機体が日本各地で整備されつつありました。
 では、全ての最後に日本の陸軍を紹介しますが、この当時日本陸軍は戦時動員を予定していたほぼ限界にまで持ち込んでおり、その総数は200万人にも達していました。ちょうどアメリカ陸軍が目標としていた動員数の4割程度です。もちろん、この全てが侵攻に使える兵員数ではなく、実際前線に赴くかせる数は120万人程度の動員が限界でした。これを師団数にかえれば支援兵力を含めて考えると、約40個師団、日本陸軍の基準で4個方面軍程度となります。
 そして、1944年夏を迎えようとしていた時点で、北からアラスカ、ハワイ、パナマに各1個軍(団)を展開していました(合計で1個方面軍程度)。
 また、内地では北米用の機甲戦力が急ピッチで整備されつつあり、それまでの戦訓、欧州からの情報、技術を利用しての兵器の開発と生産が急がれていました。
 特に興味深いのは、ソ連からの技術が何とか生き残ったソ連政府・軍からの明に暗にの技術供与により大量にもたらされており、双方の緩衝地帯である満州や樺太、北海道では共同の兵器工場すらあった事でしょう。
 世界最強クラスの陸軍国の技術は、日本の陸軍兵備を根底から覆すほどの変革をもたらし、ソ連設計、日本改良の優れた兵器を日本の資本主義技術が生み出した兵器工場が吐き出しました。もちろん、ソ連にもこの技術と兵器は持ち帰られ、ドイツとの戦いで壊滅的打撃を受けた兵器産業と兵器開発力を補完する役割を果たしていました。さらに、当面戦争をする予定のない(と言うかできない)ソ連は、自国で生み出された兵器を、あらゆる連合国に売却する事でより直接的な国力の復活へと転化させ、特に同じ兵器を用いている日本とその衛星国が大量に買い取り、日本軍の機械化に多いに貢献していました。
 具体的に例をあげると、日本や満州で最も量産されたのは、その簡便性もあり「カチューシャ」で知られるロケット砲で、いまだ列強に比べて貧弱とされる日本陸軍の砲兵部隊の中核として大量に装備され、これはさらに旧式戦車の車体を利用した不整地性能に優れたタイプすらも生産されました。
 また、革命的にまでの変革をもたらしたのは戦車開発で、ソ連から派遣された優れた技術者と資本主義陣営として十分に発達した基礎工業力と技術力を持った日本の工業力の結婚は、ドイツすら凌駕する車両を生み出す事になります。
 ソ連からの技術導入により、ソ連降伏当時開発中だった「四式戦車」は、ドイツの「5号(パンター)」のごとく「T-34」の影響を強く受けた傾斜装甲で鎧われた、日本陸軍からすれば重戦車のごとくの中戦車となり(自重41トン、45口径88mm砲装備)、さらには、第二次世界大戦戦車としては最強と言われる、凶悪な中戦車すらも生み出すことになります。
 日本では「五式戦車」、ソ連では「T-47」の名を与えられた、MBT第一世代に属する革新的な主力戦車の事です。
 この戦車は重量こそ50トンを少し越える程度で(自重51トン)、ドイツ軍の化け物に比べるといささか軽量でしたが(それでも英米よりは重いが)、低姿勢の車体に重装甲の完全鋳造型砲塔を載せ、主砲には海軍の標準両用砲として先に有名になった65口径10cm砲の戦車搭載型、62口径100mm戦車砲が搭載されていました。
 なお、脚まわりとキャタピラはソ連が次期主力戦車用に開発していたものからの発展型、それにトランスミッションとサスペンション、それに操縦機構は日英の堅実な品が使われ、またエンジンは旧式の航空機エンジンのデチューンが選ばれました。この辺りはこれだけを見ると、カタログデータはともかく比較的平凡でした(もっとも最高時速50km/h、エンジン出力は900hpに達していた)。
 しかし、それら一見平凡な技術の脚と心臓を持った鋼鉄の獣が鎧を纏った姿は、見るものに強烈なインパクトを与えます。
 見事に均整のとれた低姿勢かつ鋭角的なプロポーションは、各国の最新鋭戦車、イギリスの「センチュリオン」、ドイツの「ティーゲル2」、「パンター」、アメリカの「パーシング」のどれよりも先進的で、ある種未来的とすら言える姿をしていたからです。
 この姿を最初に見た日本に派遣されていた英陸軍の将校は、「サムライ・ガールとコサックが結婚したようだ」と何を連想したのかいささか品の悪い感想を述べており、これを「接近戦にも機動戦にも優れた戦車」だと高く評価されたと考えた日本陸軍の間でも、以後「五式戦車」の紹介の際には必ず添えられる一言となります(言葉の方は「侍の格闘戦能力とコサックの機動力を兼ね備えた」とされました。)。このためもあってか、「五式戦車(タイプ・フィフス)」と言う味気ない名称では物足りないと感じた連合国各国の将兵から、「侍(Sam-lay)」の名を贈られる事になります。ちなみに、ソ連軍用仕様はもちろん同国において「コサック」と呼ばれました。また、英国もこの戦車の高性能を認めて輸入、後に自国流に改造した上でライセンス生産を行ない「チーフテン」の名前を与えています。
 ただし、日本での量産開始ですら1945年2月からと遅かったため、この当時の日本軍の主力は、従来からの「百式改」に加えて、「百式」のさらなる改良型の「三式戦車」、量産が本格化したばかりの「四式戦車」となっており、前線で「侍」の姿を見るのはまだ先の話でした。

 以上がだいたいの戦力概要となります。
 では、次節からは、再び戦争の流れに戻りたいと思います。

■決戦! 大西洋