■決戦! 大西洋

 1944年2月、パナマ運河地帯はほぼ無傷の運河と共に連合国の手に陥ちました。
 また、アメリカ合衆国海軍は、このパナマ陥落によりこれを奪回するためと、連合国をまず大西洋から撃破する方針により、太平洋、大西洋全ての艦隊が北米東海岸部に集結させました。もっともこれは、パナマ陥落により各個撃破を恐れたがゆえの米海軍集結と言うのが正しいでしょう。
 そして、「鳥無き里の蝙蝠」とまでは言いませんが、太平洋上に敵の洋上機動戦力がなくなったのをいいことに、44年の6月までに日本軍主導によるアリューシャン諸島、アラスカ侵攻作戦進められます。これにより、北米西海岸部を除く全ての太平洋が連合国の手に帰することになりました。
 一方の大西洋は、米海軍の全力が集結したとは言え、現状ではそれも全欧州の正面洋上機動戦力と比較すればやや勝るか同程度の数でしかなく、下手に攻勢に出れる状態ではありませんでした。しかも、大西洋上の拠点のほぼ全てが連合国の手のうちにあります。その上、パナマを占領した太平洋側の兵力が、余剰になったものから順にカリブ海・メキシコ湾側に出現するようになっており、44年3月には太平洋からだけでなく西インド諸島の米軍の警戒線をくぐり、連合国の潜水艦が拠点として活用するようになっており、もはやメキシコ湾ですら「ロングのバスタブ」とは言えない状態でした。
 つまり、一時的とは言え自ら守勢にまわってしまったアメリカは、これ以後の戦略的イニシアチブを失ったばかりか、戦略的に包囲されつつあったのです。
 もっとも、連合国側に問題がないわけではありませんでした。
 編成表の上では、特に海軍は数的優位にありましたが、良く言えば敵を包囲状態でしたが、悪く言えば太平洋と大西洋に兵力が分断された形になっており、兵力の集中と言う点で米軍よりも不利な上に、守るべき拠点も多く、ここで兵力を整えたうえでの調整の取れた大攻勢などして時間を浪費したら、せっかく掴んだ戦略的イニシアチブを失う恐れもありました。
 また、アメリカの裏庭と言われるカリブ海でしたが、ジャマイカ島、小アンティル諸島など英仏などの植民地も多く、米本土から遠い小アンティル諸島には多数の連合国側の拠点もあり、またジャマイカ島はボーキサイトの大産地として戦略的にも重要でした。
 そして、今までは北米大陸そのものを戦場としないという双方の暗黙の不文律のおかげで、カリブの島々そのものは戦禍から免れていましたが、それも連合国のパナマ占領、大規模な海軍力の投入という事態で事実上大きな変化を迎えており、このカリブこそ次なる戦場と予測され、ここをどう守るかが大きな懸案事項となっていました。
 またカリブ海は、アメリカにとっての裏庭であるが故に、主に米市民を適度に心理的に圧迫できるという利点があった事から、連合国側が苦労して大規模な交通線を確保しようとしているカナダではなく、次なる戦場としてカリブ海が選ばれる事にもなります。
 そして、アメリカ市民の危機感情がある程度麻痺した頃にカナダには連合国部隊が溢れかえっており、その軍事的圧力でアメリカと停戦に持ち込もうと言うのが、連合国側の楽観的な点から模索されていた大戦略のひとつでした。
 また、カリブ海なら、国際的に認知されたアメリカ領はプエルトリコ島しかなく、他は連合国側の植民地以外はアメリカの勢力圏下にあるとは言えその大半が傀儡政権じみた不安定な国家でしかなく、政治的な得点も大きいのもその理由でした。つまり、いくつかの島嶼国家を開放することで、アメリカに正義がないことを知らしめ、アメリカに正義が無いことを改めてアピールし、士気の面でアメリカにダメージを与えることも重視されていたのです。

 こうした連合国総司令部の方針の元、まずは太平洋岸にあり進出が可能だった日本の空母機動部隊が厳重な警戒のもとパナマ運河を通過しました。
 その主力を構成していたのは、英国の「Zフォース」と、「金剛級」戦艦と「天龍級」中型空母を中核とした第三機動艦隊でした。これは、太平洋側でまだアラスカ攻略などの作戦が残っていたのもありましたが、それ以外の日本の大型艦が、どれもパナマックスサイズから外れた艦幅を持っていた事から、運河を通ってカリブ海に出る事は叶わなかったと言うのが大きな理由でした。
 しかしそれでも2個機動艦隊が突如カリブ海に姿を見せた事になり、大西洋からの圧力を考えると合衆国海軍がおいそれと手を出せる相手ではありませんでした。そしてそれは、当面増援の送れない連合国にとって、その事そのものが目的のようなものであり、この段階で攻勢に転じる予定は全くありませんでした。この大艦隊のパナマ通過の目的が、パナマ運河の保持だったのです。
 ですが、アメリカはそうは考えませんでした。連合国のパナマ・カリブでの動きを次なる攻勢の準備段階と見たのです。これはあながち間違いではありませんでしたが、すでに大きく焦り始めていたアメリカは、強固に防御された遠方の敵重要拠点に対して米本土やプエルトリコ、事実上占領下にあるキューバなどに拠点を築きつつも、米本土からの航空機による無理な攻撃を行ないます。(海軍は再編成中と大西洋の連合国の牽制で動けなかった。)
 メキシコ湾岸の一部やフロリダ半島の先端部(マイアミ市周辺)などから、パナマまでの距離が2000km程度だった事、事実上占領したキューバ島が英領土のジャマイカのすぐそばで、プエルトリコも小アンティル諸島の隣りだったため、敵の妨害を考えたら重爆の展開には不向きだった事が、米軍にこの無理な作戦を強要させたのです。
 44年3月から5月のたった二ヵ月間に、無理して行われた重爆撃機を中心としたパナマ運河地帯への攻撃で、1日平均で1個大隊、実に合計約700機もの機体、しかも「B-24」、「B-29」を中心とする重爆撃機ばかりを損失します。これは当時米陸軍航空隊が保有していた重爆撃機の3割に当る数で、陸軍の長距離攻撃部隊の半数が、主にパイロットの供給の面で数ヵ月活動不能なまでのダメージを受ける事になりました。
 これに対して、パナマ近在の連合国が受けたダメージは、米軍が運河近辺の連合国への攻撃こそ指示しましたが、運河そのものの破壊は強く禁止していたためその攻撃効率は非常に悪く、攻撃を受けた量に比べればはるかに低く、損失機は基地での破壊などその他もろもろを含めても400機程度なうえに、パナマ運河はもちろん、沖合で迎撃戦に参加していたカリブ艦隊も健在でした。
 なお、米重爆部隊がこれほどの損害を受けたのは、遠距離での帰路で損傷により墜落したものも多数ありましたが、2個航空艦隊の待ちかまえる狭く限られた敵拠点への爆撃に戦闘機の護衛を全く付けられなかったことが一番の原因でした。
 このため、米爆撃機パイロットの間では、パナマ爆撃の事を地獄への片道切符などと呼ぶようになっており、早くも厭戦気分を醸成させる事にもなります。
 なお、この一連の攻撃によりパナマ運河の運行スケジュールは大きく狂ったので、その点では大きな成果があったと言えるでしょう。ただし、連合国としては大西洋側航路から必要とされる物資を運べば事足りましたので、それ程大きなダメージとはなりませんでした。

 1944年も夏を迎えようとしている頃、カリブ海は米軍がパナマへの執拗な爆撃を行い、連合国側がパナマの防備のさらなる強化とジャマイカ島や小アンティル諸島への拠点作りに専念に終始していましたが、その頃にはアメリカ合衆国、連合国ともに海軍が十分に活動できるまでに回復し、続々とカリブ海に進路を向けようとしていました。
 もっとも、互いの戦力を牽制してばかりで、もっぱら戦闘を行っていたのは、双方の空軍戦力とそれぞれの拠点に物資を運ぶ護送船団ばかりで、回復したばかりの戦力の消耗を恐れるがゆえに大型艦艇はほとんど投入されませんした。
 数に勝る連合国側の日本艦隊が、一度カリブの機動部隊を積極的に活動させようとしましたが、これが米(空)軍の異常なまでの反撃を呼び起こしかなりの損害を受けた事から、これは顕著になります。

 そしてカリブ海での何となくな雰囲気すら漂う消耗戦と、細々としたカナダへの連合国の増援活動、アメリカの通商破壊が行われるだけの停滞した戦争が実に半年近く続いた中、1944年9月、日本帝国海軍連合艦隊の主力がハワイや日本本土から姿を消したという情報を米軍が掴んだ事によって、新たな大規模な騒乱の舞台の幕は切られる事になります。
 これに合せるかのように、それまで温存されていた各地の洋上機動戦力も活発な活動を開始していました。
 戦争の夏が到来しようとしていたのです。

 以下が、この当時カリブ海や大西洋に集結していた海軍戦力になります。
 なお、双方の各護衛任務に就いているものと潜水艦はあまりにも膨大な数に上るので除外しています。

◆カリブ海(含む西インド諸島、フロリダ半島)
 ●米軍
 TF61(艦載機:常用約120機)(マイアミ常駐)
BB:「インディアナ」、「モンタナ」、「カリフォルニア」
CVE:4隻
CG:2隻 CL:2隻 DD:12隻

 ●連合国
 英カリブ艦隊(Zフォース)(艦載機:常用約60機)
BB:「プリンス・オブ・ウェールズ」
BC:「インヴィンシヴル」、「インフレキシヴル」
CV:「フォーミダブル」、「ハーミス」
CG:3隻 CL:2隻 DD:7隻

 英カリブ戦隊(Kフォース)(ジャマイカ島駐留)
CG:2隻 CL:1隻 DD:3隻

 日本第三機動艦隊:(艦載機:常用約240機)
CV:「白龍」、「黒龍」
CVL:「飛鷹」、「隼鷹」
BB:「比叡」、「金剛」、「榛名」
CLA:2 DDG:4隻 DD:11隻

◆中部大西洋(米東海岸、アフリカ東岸、アゾレス諸島など)
 ●米軍
 ・第43任務部隊
BB:「ルイジアナ」、「オハイオ」、「デラウェア」
BB:「ニュージャージ」、「アイオワ」
BB:「ミズーリ」、「ウィスコンシン」
BC:「サラトガ」
CG:2隻 CL:3隻 DD:16隻

 ・第48任務部隊(艦載機:常用約650機)
 第1群
CV:「エセックス」、「タイコンデロガ」
CV:「エンタープライズ」
CVL:インディペンデンス級2隻
CL:2隻 CLA:2隻 DD:16隻
 第2群
CV:「イントレピット」、「ハンコック」、「アンティー・タイム」
CVL:インディペンデンス級2隻
CL:3隻 DD:16隻

 ●連合国
 フランス大西洋艦隊(艦載機:常用約120機)
BB:「リシリュー」、「ジャン・パール」
BB:「ダンケルク」、「ストラスブール」
CV:「ベアルン」
CVL:「ジョッフル」、「ペインヴェ」(英国製軽空母)
CG:2隻 CL:3隻 DD:12隻

 イタリア大西洋艦隊(艦載機:常用約50機)
BB:「ヴィットリオ・ヴェネト」、「リットリオ」、「インペロ」
CV:「アクィラ」
CG:4隻 CL:4隻 DD:8隻

 日本第三艦隊(艦載機:常用約60機)
BC:「葛城」、「赤城」、「高雄」
BB:「高千穂」、「穂高」
CVL:「千歳」、「千代田」
CG:2隻 CL:1隻 DD:8隻

 日本第二機動艦隊(艦載機:常用約280機)
CV:「翔鶴」、「瑞鶴」、「千鶴」
CVL:「千早」、「千景」
BC:「レパルス」、「レナウン」
CG:3隻 CL:1隻 DDG:4隻 DD:12隻

◆北大西洋(米東海岸北部、アイスランド、英本土)
 ●米軍
 TF22
BB:「メイン」、「ニューハンプシャー」、「コネチカット」
BB:「マサチューセッツ」、「ワシントン」
CG:2隻 DD:12隻

 TF23(艦載機:常用約450機)
 第一群
CV:「フランクリン」、「ホーネット2」
CVL:インディペンデンス級2隻
BC:「アラスカ」、「サモア」
CL:2隻 DD:12隻

 第二群
CV:「ボナム・リチャード」、「ランドルフ」
CVL:インディペンデンス級1隻
BC:「アリューシャン」、「ライン」
CL:3隻 DD:12隻

 ●連合国
 英本国艦隊(Aフォース)
BB:「St. アンドリュー」、「St. デイヴィット」、「St. グレゴリー」、「St. パトリック」
BB:「キング・ジョージ5世」、「デューク・オブ・ヨーク」
BC:「インドミダヴル」、「インディファティガヴル」
CG:2隻 CL:3隻 DD:12隻

 英機動部隊(Mフォース)(艦載機:常用約220機)
BC:「アンソン」、「ハウ」、「ロドネー」
CV:「イラストリアス」、「ヴィクトリアス」
CV:「インフレキシブル」、「インコンパラブル」
CG:2隻 CL:2隻 CLA:2隻 DD:12隻

 ドイツ大海海軍(艦載機:常用約70機)
BB:「テルピッツ」
BB:「シャルンホルスト」、「グナイゼナウ」
CV:「グラーフ・ツェペリン」
CVL:「ヴィーザル」
AC:「リィッオー」、「アドミラル・シェーア」
CG:2隻 CL:2隻 DD:6隻

◆太平洋から回航中
 ●連合国
 日本第一艦隊:
BB:「大和」、「武蔵」
BB:「紀伊」、「尾張」、「駿河」、「近江」
BB:「富士」、「阿蘇」、「雲仙」、「浅間」
CG:4 CL:1隻 DD:18隻

 日本第一機動艦隊:(艦載機:常用約420機)
CV:「大鳳」、「海鳳」、「翔鳳」
CV:「伊勢」、「日向」
AC:「剣」、「黒姫」
CLA:2 DDG:4隻 DD:12隻

 日本第四機動艦隊:(艦載機:常用約350機)
CV:「蒼龍」、「飛龍」
CV:「天龍」、「神龍」、「紅龍」
CLA:3隻 DDG:4隻 DD:8隻

◆太平洋(西海岸、ハワイ)
 ●米軍
 米太平洋艦隊(在サンディエゴ・シアトル)
BB:「イリノイ」、「ケンタッキー」(損傷修理中)
CL:5隻 DD:14隻

 ●連合国
 日本第二艦隊:(在ハワイ)(艦載機:常用約60機)
BB:「土佐」、「長門」
CVL:「瑞鳳」、「日進」
CG:2隻 CL:1隻 DD:12隻

 英連邦海軍(+豪艦隊):(在パナマ太平洋側)
BB:「リヴェンジ」、「レゾリューション」
CG:2隻 CL:1隻 DD:6隻

 見ていただければ分かると思いますが、一部が太平洋に残存している以外は、世界中の過半の海洋機動戦力が、大西洋・カリブ海方面を指向しているのが分かると思います。
 もちろん、これほどの戦力がある一定の地域に投入されるのは有史以来の事です。
 そして、もう一つ重要な事は、日本の大戦力(大型戦艦10隻、大型空母10隻基幹・総排水量約120万トン!)だけが、いまだ大西洋に入っていない事です。
 このため、現状では大西洋でわずかにアメリカ海軍が優位にあり、場合によっては国家が違い兵力が分散された形の連合国側の各個撃破も不可能ではないと言うことです。また、アメリカ海軍のまとめて運用されている大艦隊に正面から対抗できるだけの艦隊を保持しているのは、同じ海洋帝国であるイギリスと日本だけで、現状ではその片方の英国しか大西洋にないという事は、連合国側にとって大きな不安材料でもありました。しかも、カリブにある日英のかなりの兵力は、基本的にまだ防衛用で動かす事ができないのも頭の痛い問題でした。このため、連合国は一見包囲体制にありながら動くに動けません。
 しかし、これが安直にアメリカの攻勢もしくは攻勢防御的な動きにつながらないのは、広大な大西洋に拠点を持たないアメリカ側がのんきに大侵攻艦隊などを連れて欧州やアフリカ、もしくはアゾレス諸島やアイスランド島に押しかけようものなら、以前よりも大量に展開する連合国の洋上機動戦力に袋だたきにされることが間違いないからです。そしてそれは、北米の防御力をひどく低下させる事になり、安易に選択できる戦略的判断ではなかったからです。
 また、アメリカが即座にパナマ奪回に動かないのも、パナマそのものが強固に防衛されているのと、大西洋に存在する膨大な連合国戦力の抑止力が十分に効果を発揮しているからでもありました。
 ただ、これは連合国にとっても同じで、米艦隊を受け止める事のできる大兵力がなければ、カリブの西インド諸島に盤石の橋頭堡を築く事など夢物語でした。
 要するに、千日手の状態と言うことです。
 そして、戦闘開始のゴングを鳴らすのは、どこを航行しているのかアメリカ側が掴んでいない日本帝国連合艦隊の主力、兵力の均衡を突き崩すだけの大艦隊でした。
 なお、彼女達はどれだけ遅く見積もっても1944年11月には中部大西洋に出現する筈で、反対に艦隊速力が18ノット以上の巡航速度で連合国のあらゆる拠点と、可能なかぎりの補給艦艇が使用できると言うことは、日本本土からなら急げば1ヵ月程度で大西洋に出現する事も可能と言う事にもなります。
 また、欧州本土とパナマにおいて、大兵力の洋上移動が急ピッチで進められており、近いうちに連合国が大きな動きをする事は、限られた情報を前に苦労を強いられているアメリカ軍をしても明白に察知していました。

 1944年10月1日黎明、突如日本艦隊の主力がアフリカ大陸東岸のダカール港に姿を現します。
 日本艦隊は、米艦隊の目を欺くために、偽電で44年の9月中頃日本本土などを出撃したと思わせ、実際は8月半ばに日本本土を離れ、以後同伴する規模の大きな高速支援艦隊から洋上補給を受けながら、オーストラリアの珊瑚海廻りでインド洋に入り、英国の秘密拠点ディエゴ・ガルシアに入港、爾後希望岬を大きく迂回しつつ大西洋に入り、この日の入港となったのです。
 このため、てっきり南米大陸南端のホーン岬を迂回してくると考えていたアメリカは、完全に裏をかかれた事になり、日本海軍主力の大西洋進出を全く阻止する事ができませんでした。
 そして、これにより日本派遣艦隊は遣欧艦隊と合流し、艦隊名称も大西洋艦隊に改称、圧倒的な機動戦力へと膨れ上がることになります。
 ちなみに、以前から欧州に派遣されていた日本艦隊が今回の合流で一番喜んだ事は、大戦力の合流よりもそれらに随伴してきた巨大な支援艦隊が大量に持ち込んでいた日本食の数々だったと言われています。

 ダカール入港後合流した日本艦隊は、英本土を目指し10月7日にはポーツマスなど英国の主要軍港に入港、盛大な歓迎を受けながら急ピッチで整備と出撃の準備に入りました。
 また、大西洋・欧州各地で米艦隊とにらみ合い状態だった艦隊も、可能なかぎりの引き抜きが行われ、再編成が行われます。
 さらに、アイスランド島とパナマ運河地帯に既に進出し、泊地で錨を下ろしていたいた大規模な輸送船団の過半が活動状態に入ります。すでに作戦予定海域に進出していた艦隊については言うまでもありません。なお、アメリカ軍の見積ではどちらも最低2個軍団、最大1個軍が乗船ないしは乗船準備を完了していると思われていました。
 間違いなく、連合国による大規模な作戦の前兆でした。
 目標は、カリブ海かカナダのどこか。どちらか片方か両方のどれか。選択肢はいくつかありましたが、入手される情報の全てが新大陸への何らかの大規模な侵攻を予兆していました。
 もちろん、連合国は可能なかぎりこれを秘匿しようとしましたし、陽動の作戦をいくつかすら行いましたが、あまりにも巨大な軍事力の移動を隠し通す事などできるはずもなく、極度の警戒状態にあったアメリカ海軍は、連合国の動きに合わせるように主力の合流と迎撃の準備を急ぎました。
 なお、この時目的地に向けて移動を行おうとしていた連合国艦隊は、北大西洋方面は、英国の本国艦隊(Aフォース)、機動艦隊(Mフォース)、ドイツ大海艦隊、日本の第一、第三艦隊、第一、第二、第四機動艦隊と2個軍団程度の輸送船団とその護衛艦隊であり、それらは大きく前衛の主力艦隊と機動艦隊、後方の輸送船団に別れ、中部大西洋ではイタリアとフランスの大西洋艦隊が、そしてカリブ海ではパナマに在った戦力の全てが輸送船団と共にそれぞれの目的地に向けての進撃を開始しようとしていました。
 対するアメリカ海軍は、メキシコ湾にある以外の全ての兵力を北太平洋方面に向け、主敵である日英(独)の主力艦隊と雌雄を決しようとしました。これを撃破しない限り制海権の奪回はどうにもならないからという理由と、カリブの一部が奪われようともある程度は米本土の戦力(主に航空戦力)でなんとかなる筈だし、敵艦隊を活動不能に追い込んでから(撃滅を意味するわけではないが)奪回すれば良いと考えられていたからです。
 なお、北大西洋に集められた双方の洋上機動戦力を単純な数字で見てみると、連合国が戦艦31隻、装甲艦4隻、正規空母18隻、軽空母5隻、巡洋艦32隻、駆逐艦98隻、艦載機約1500機、これに「クイーン・エリザベス級」戦艦複数と10隻以上の護衛空母を含む数百隻の艦船を抱える大輸送船団があり、対する米軍は戦艦13隻、戦闘巡洋艦4隻、正規空母11隻、軽空母7隻、巡洋艦21隻、駆逐艦96隻、艦載機約1300機から構成されていました。なお、米軍は単純に迎撃を行うのが目的だったので艦隊補給部隊以外の輸送船団などはなく、また連合国側が基地航空隊の活動圏外を移動しようとしていたので、双方の基地航空戦力はほとんど手が出せない状態でした。(ニューファンドランド島とアゾレス諸島の日英合同の連合国空軍長距離攻撃部隊が例外。)
 また、中部大西洋の仏伊艦隊は、米軍への牽制と陽動が期待されており、連合国の主力の活動開始に連動して、カリブ方面へと押しだす予定で、さらにカリブでついに本格的侵攻を開始した在パナマの連合国は、総力を挙げてキューバ島東部のグアンタナモ近辺への強襲上陸を企図していました。
 これはアメリカ軍が恐れていた連合国による、海上戦力を用いた飽和攻撃で、これを予測していたからこそアメリカ海軍は全力を挙げて連合国の主力の阻止をしようとしたのです。
 主力の進出さえ阻止してしまえば、後は逆に各個撃破も不可能ではないからで、この飽和攻撃は元々賭博性の高かった北米包囲作戦の最たるものと言えるでしょう。

 次に双方の戦術目的ですが、連合国側は、米軍がなんとしても自分たちを阻止しなければいけない点を利用して、米空母を一時的に活動不能に追い込んでから、優勢な戦力を持つ主力艦隊による水上打撃戦に持込み殲滅しようとしました。
 これは、連合国側、特に日英としては当初の方針通り打撃艦隊の半分が沈んでも米艦隊を殲滅できればそれで良いと考えていたからです。もちろん、可能なかぎり傷が少なく済むような措置はしていましたが。
 また、米艦隊を大西洋上に誘出している間に、西インド諸島に盤石たる拠点を構築し、米本土攻撃の足がかりにしようとしていました。これは、本来なら各個撃破をもたらす可能性がありましたが、北大西洋を突進する部隊の方がはるかに強大だったため、米軍はまず間違いなく先に大西洋上での迎撃に現れると見ていました。
 対する米軍は、大西洋を西進してくる連合国の空母機動部隊の撃滅を最優先項目においていました。制空権の獲得を優先していたという点では連合国側と同様でしたが、米軍は制空権さえ敵に与えなければ、この戦いで戦術的に敗退しても後に勝機が出てくると考えていた事から選択された戦術でした。
 米軍は、空母機動部隊こそこの戦争での主兵力であると正しく認識していたのです。この点は、戦艦を多数抱えすぎるが故に、打撃艦艇も主力と考えがちな連合国側よりも明確だったと言えるでしょう。
 もっともこれは、北米大陸に渡る連合国戦力を少しでも少なくする事を国家戦略として選択していたから発想されたもので、海軍の戦術はともかく、戦略レベルではやや消極的な選択と言えるでしょう。
 もっとも、守勢にまわった国家とはすべからく防衛的なものになりがちですので、あまりにも巨大な国家たるアメリカ合衆国と言えど例外でないと言うことでしょう。

 では、ここからはこの大規模な海上戦についての個々の兵器についてや、顛末についてを詳細に書き連ねていきたい所ですが、それを紙面にするとあまりにも枚数を重ねてしまいますし、また、この大規模な戦闘、『史上最大の洋上決戦』と呼んでもまったく差し支えない戦闘であるがゆえにあまりにも有名で、様々な文献もある事ですから、ここではあえて結果だけを簡単に述べて次へと進みたいと思います。

 さて、1944年10月24〜25日に行われた「西大西洋海戦」または「アゾレス沖海戦」、「第二次北大西洋海戦」、カリブを含めた一連の流れを含めた意味での「大西洋海戦」、マスコミが好んで使う「大西洋大海戦」など、様々に呼称された戦闘の顛末ですが、これだけの大戦力同士が何もない洋上でがっぷり四つにぶつかり合えば、混乱が起こりこそすれ、『奇蹟』や『天佑』などが出現する余地はなく、大戦力が真っ正面からぶつかり合った事を全ての人間に納得させるような血みどろの殴り合いとなり、双方におびただしいな損害を残して幕を閉じる事になりました。
 これをあえて相撲の取組みに例えるなら、横綱と大関による千秋楽での優勝決定戦で、双方譲ることがなかったため一旦行司により水入りがはいり、その後の仕切り直しの後、横綱の寄り切りで双方疲労困ぱいの中ようやく決着がついた、と言ったような激しい取組みだったと言えるのではないでしょうか。
 もちろん、このたとえでは勝者の横綱は連合国側であり、大関が米軍となります。
 そう、結果は双方に甚大な損害を与えはしましたが、腕力と体力の差から連合国艦隊の判定勝ち、連合国側司令部が当初予測した結果に他なりませんでした。
 明治時代のとある日本人が最初に発想し、そして後に体系化されたランチェスター・モデルは、この大海戦でも明確に理論を実証したのです。
 そしてこの戦いにより、アメリカは戦闘に参加した大型艦艇の七割が傷つき半数を完全喪失し(戦艦と呼びうる艦艇の過半が海戦二日目の昼間砲雷撃戦において大破・撃沈されていた)、沿岸海域と島嶼により制空権確保が可能な西インド諸島北部以外での制海権を喪失し、以後カリブ海以外では完全に北米に閉じこもらざるをえませんでした。
 なお、連合国側もこの戦闘で大型艦隊の半数が傷つき四分の一を喪失し半壊していましたが(主力艦隊の損失は絶対数の多さのためそうでもなかったが(半数近くが大きな損害を受けていたが)、母艦戦力の損害は米軍同様に大きかった)、それでも大西洋とカリブの過半の制海権を失わなかったのは、交通線を保持するための兵力に損害が無かったことはもちろんですが、ほぼ無傷の別動隊の存在があったればこそで、制海権の獲得のための努力、好きなときに好きな海域を使える努力を行ない、その兵力を保持していたからに他なりません。
 そして、戦闘の終了した翌日、1944年10月26日、連合国は別働隊がキューバ東部に盤石たる拠点を築く事に成功し、戦いは新たな局面を迎える事になります。

■カリブ殲滅戦