■ラスト・バトル

 1946年4月14日、北米大陸西海岸・カリフォルニア沖に、突如巨大な艦隊が出現しました。
 もちろん実際は突如でも何でもなく、連合国軍最高司令部による作戦に従い選ばれ、集めら、そしてその彼らがこの地まで敵を征しに現れただけに過ぎませんでした。
 艦隊は、主に北米大陸ビクトリア湾から進撃してきた「侵攻艦隊」と、ハワイ諸島から北上してきた「上陸艦隊」の大きく二つに分かれていました。
 「侵攻艦隊」は、当然の事ながら敵の攻撃を排除するための空母機動部隊と艦砲射撃を行う打撃艦隊で、「揚陸艦隊」が強襲上陸するために必要なありとあらゆる支援艦隊と上陸部隊を載せた揚陸・輸送艦隊から構成されていました。
 また、北米大陸ビクトリア湾から空挺降下を仕掛ける、一大空挺部隊や全般支援を行う戦術空軍、戦略爆撃兵団もこの作戦に参加していましたが、本作戦の主役はあくまで西海岸に上陸を敢行する大艦隊でした。
 なお、作戦名称は日本軍が主体だった事から「決号」作戦とされていました。もっとも、日本語のこの意味をいつも通り英語に意訳すると「ディスカッション(Decision)」というあまりしまりのないものか、日本人の感性で意訳すると「ファイナル」というあまりにもあからさまな語意にもとれるため、別に英語名の作戦名も付けられる際かなり紆余曲折され、直前になりようやくこの漢字から連想される別の意訳を行ない「ジャッジメント」と呼ばれる事になりました。

 「揚陸艦隊」の規模そのものは、史上最大とされるミシシッピ上陸作戦の三分の二程度の規模しかありませんでしたが、戦術空軍の支援をほとんど受けられない地域への上陸と言うことで、「侵攻艦隊」の方は連合国の全ての艦艇を集めたと言っても過言ではない程の大量の艦艇が集められていました。
 メキシコ湾での時がそうだったように、艦隊は大きく「前衛艦隊」、「高速機動部隊」、「高速打撃艦隊」から構成されいました。もちろん、これ以外に大量の潜水艦や補給を行うサーヴィス艦隊などの兵力も付随します。
 また、艦隊の主力を構成していたのも、それまでと同じく日英の二大海洋帝国の艦艇たちで、これに独、仏、伊など他の列強各国が参加させていました。
 このため、上陸部隊でもないのに艦隊の統制には非常な苦労が伴われ、このため全艦隊の旗艦には、空母機動部隊の中核に別に通信能力を著しく強化した艦艇をあてがっていました。
 そうです。今回の作戦は、後方に司令部を置かずに前線に艦隊司令部が置かれていたのです。これは、巨大な艦隊の統制と指令のため、各国の調停を行うために必要とされたと言う言い訳じみた側面もありましたが、多くは政治的な要素が大きく影響していました。要するに、戦争を終らせるための作戦で司令部が後方にあっては、軍事に疎い一般民衆に受けが悪かろうと言う理由です。

 そして、戦争の幕引きを行うという目的のために、艦隊そのものも非常に豪華な陣容が揃えられました。
 もちろん、ここでその全てを列挙することも可能ですが、それをしていてはミシシッピ上陸作戦同様枚数を重ねすぎる事になります。そこで、ここでは大まかな構成と大型艦の概要を紹介するに留めたいと思います。
 まず、艦隊の拠出を国別に見ると、日本、英国(+英連邦)、ドイツ、イタリア、フランスから構成され、日本が打撃艦隊を2つ、機動部隊を4つ、英国が打撃艦隊を1つ、機動部隊を3つ用意し、これが艦隊の中核という事になります。これに、ドイツ、イタリア、フランスが空母と高速戦艦を中心とした艦隊を前衛艦隊としてそれぞれ1個艦隊ずつ編成しておりそれを補強していました。
 危険の大きいとされる前衛に1個艦隊しか持ち込んでいない三国がこぞって参加しているのは、もちろん政治が要求したことで、あまりにも巨大な日英の艦隊にうずもれないようにするための政治的配慮でしたし、アメリカ太平洋艦隊の残存戦力程度なら、三国の艦隊で構成された前衛艦隊で十分対処が可能と判断されていたからでもあります。
 ただし、日英側は一つ忘れていた事がありました。
 それは、前衛を構成する三国が、アメリカを裏切った国であると言うことです。
 もっとも、忘れていた訳ではなく意図的なものだったとする説の方が強いわけですが、現在に至ってもこれに関する真相は明らかになっていません。
 なお、以下が各艦隊の大型艦の概要です。

 ◆前衛艦隊(艦載機:約250機)
・独北米艦隊
BB:<フリードリッヒ級>:1隻、<ビスマルク級>:1隻、
<シャルンホルスト級>:2隻、<シュリーフェン級>:1隻
AC:2隻
CV:<ツェペリン級>:2隻、CVL:1隻

・仏北米艦隊
BB:<リシュリュー級>:3隻、<ダンケルク級>:2隻
CVL:<コロッサス級>2隻

・伊太平洋艦隊
BB:<リットリオ級>:3隻
CV:<アクィラ級>:1隻

 ◆機動艦隊
・日本第三艦隊(4群)(艦載機:約1500機)
BB:<金剛級>:3隻、AC:<剣級>:4隻
CV:<大鳳級>:4隻、CV:<翔鶴級>:3隻
CV:<天竜級>:7隻、CV:<伊勢級>:2隻
CV:<飛竜級>:1隻
CVL:<隼鷹級>:2隻、CVL:4隻

・英Mフォース(3群)(艦載機:約700機)
BC:<レナウン級>:2隻
CV:<アークロイヤルII級>:2隻
CV:<イラストリアス級>:4隻
CVL:<コロッサス級>:8隻

 ◆高速打撃艦隊
・日本第一艦隊・第二艦隊
BB:<大和級>:4隻、BB:<富士級>:3隻
BB:<紀伊級>:2隻、BB:<葛城級>:1隻
BB:<赤城級>:2隻、BB:<加賀級>:1隻
BB:<長門級>:1隻、BB:<高千穂級>:2隻

・英太平洋艦隊
BB:<キングジョージV級>:3隻
BB:<守護聖人級>:3隻
BB:<I級>:3隻
BC:<フッド級>:3隻

 ◆揚陸艦隊所属、近接火力支援部隊(艦載機:約800機)
BB:英国8隻、イタリア2隻、フランス2隻
CVE:各国合計29隻

 以上、戦艦(巡洋戦艦、装甲艦)64隻、高速空母(軽空母含む)41隻、艦載機数約3200機という未曾有の艦艇が参加していました。もちろんこれは、連合国の侵攻作戦に参加可能な全ての大型艦艇を集めた艦隊でもあります。
 そして、もう大西洋には、連合国の脅威となる米海軍の大型艦艇が残っていなかった事の何よりの証でもありました。
 一方、サンフランシスコ湾に逼塞したアメリカ合衆国太平洋艦隊は、戦艦3隻を中核として一応1個艦隊が維持されていました。また、サンフランシスコは軍港施設も十分にありましたし、大都市部であるカリフォルニアの中核地域と言うことで防空網もしっかりしていた事から、艦隊は比較的良好な状態に置かれ、十分出撃に耐えうる状態を維持していました。また、潜水艦も出撃を控えていた事から、こういう時のためにかなりの数が温存されていました。
 この時太平洋艦隊に所属していたのは、北米東海岸部が危なくなってから決死の脱出を図り、連合国側の意表をついた事から、冒険譚のような逃避行の末太平洋への回航(疎開)に成功していた8万トン級の超大型戦艦の「ヴァージニア」と、戦闘での損傷から大西洋に脱出した太平洋艦隊からおいてけぼりを喰らって、その後戦争に寄与する事なく虚しく時を過ごしていた「アイオワ級」の「イリノイ」、「ケンタッキー」でした。
 大西洋が主戦場だった頃は半ば忘れられたような兵力でしたが、いずれもアメリカが威信をかけて建造した新時代の戦艦であり、個艦の戦闘力は十分なものがありましたが、いかんせん連合国海軍との数が違いすぎ、この連合国の侵攻を知った時点で阻止のために出撃しても目的を達するまでもなく、何かしらの戦力になぶり殺しにされるのがオチで、本来なら出撃などするはずもありませんでした。
 しかし、連合軍が襲来した地域がカリフォルニア州でも、サンフランシスコの南方50〜100km辺りを目標としていると判明した事と大統領命令が、米海軍司令部を少なからず混乱させる事になります。
 人命を尊重してこのまま座視して爆撃で破壊されるか、海軍のプライドを保つために軍事的に無意味な出撃を行うか。
 これが、日本人だったなら己の美学の完遂のために一も二もなく出撃したでしょうが、彼らは一応世界で最も発達したとされる民主主義と資本主義の国の合理的な考え方をする筈の国民でした。
 しかし肝心の大統領命令は、言葉はどうあれ実質的に『いかなる犠牲を払っても、敵のカリフォルニア上陸を阻止せよ』と言うものでした。
 つまり、言葉通りとるのなら出撃せよと言っているのと同じだったのです。
 政府中央の判断は、別に有終の美を飾ろうとかではなく、この上陸をホントに阻止できれば戦争がさらに長引き、停戦の可能性がより高くなるという現実的理由からで、このためならあるのかないのか分からない海軍など、擂り潰してもなんら問題ないと政治的に判断していたのです。

 こうして、アメリカ海軍は、戦争の始まりから終りまで政治により左右される結果を残すことになりました。
 後世の目から見れば、戦場の実情を無視した後方での政治的行動が合衆国海軍を滅ぼしたと見ることができましたが、為政者と政府にとり軍隊も政治の道具であるなら、ある意味当然の結果であり、正しい使い方とも言えるかも知れません。
 そして4月14日、合衆国最後の艦隊は連合国艦隊の空襲が始まる前に出撃し、あらゆる情報からこの出撃を察知した連合国軍の大艦隊の待ちかまえる洋上へと赴きました。
 しかしと言うか当然と言うか合衆国艦隊は、カナダから迫る強大すぎる大艦隊ではなく、ハワイ諸島から迫る揚陸艦隊に針路を取ります。
 もちろん、このような状況も想定していた連合国側は、この合衆国艦隊の行動にも十分対応できる態勢で艦隊を動かしており、ただちにこのために存在していると言ってもよい前衛艦隊への迎撃を命令し、機動部隊や高速打撃艦隊の進撃速度の上昇を命令しました。
 そして位置の関係から最後の合衆国艦隊を攻撃する事になりそうなのは、空母機動部隊を除けば、ドイツ艦隊かフランス艦隊となりました。
 艦隊司令部も、独仏艦隊を合せれば十分に米艦隊を圧倒できる戦力でしたから、これに迎撃を任せる事になります。
 この戦争で、今までにさんざん米艦隊を撃破してきた日英海軍としては、ドイツやフランスに最後の華を持たせたようなのでした。もっとも、これを決めたのははるか彼方の政治家たちだったとも言われています。

 米艦隊を攻撃圏内に捉えた独仏の攻撃は、この頃にはもはや当然となっていた空母による攻撃から始まります。そして、アメリカ艦隊に空母がいないことが分かっていたため、両者とも全力出撃をしかけました。
 この時ドイツ艦隊は120機、フランス艦隊は80機の艦載機を持っていましたが、一度に全てを出すことができないので、2波に分けて都合160機の攻撃隊が米艦隊を目指すことになります。
 そして、アメリカ海軍が電波信管を実用化している事が分かっていたので、艦載機たちはこれを回避するための特別な装備を、通常の攻撃兵装以外にいくつか持ってこの戦いに挑みました。
 単発機でも搭載できるように小型化された無線誘導爆弾と赤外線誘導爆弾、そして対艦誘導ロケット弾がそれです。
 もちろん、全てをドイツが開発したものではなく、技術交換という形で日英から供与されたものも含まれていました。
 もちろん、フランス海軍は母艦・艦載機そのものから供与兵器ですから、当然搭載される兵器も日英のものとなっていました。
 ただ、全ての兵器がまだまだ黎明期の誘導兵器でしかない事から、全てが高射砲の射程圏外から放てる訳はなく、かなりの兵器はせいぜい高高度から落すか距離5000メートル程度まで近寄る必要がありました。ですが、それでも強力なボフォース40mm機関砲の射程外から攻撃できるという事は、とてつもなく大きなメリットであり、この当時の誘導兵器は命中率の向上と共に、機関砲の射程外からの攻撃を目的として開発されたのでこれは別に偶然ではありませんでした。
 そして、高射砲の近接信管が炸裂する中を独仏の攻撃隊は侵空し、無事射点につけたものは次々と投弾していきました。
 攻撃機の数は約100機、このうち7割以上が撃破される前に投弾に成功し、これらのうち半数が新世代の兵器を装備しており、これらはさまざまな障害(敵艦の両用砲、機関砲の弾幕射撃、敵艦の回避運動、兵器自身の各種動作不良・故障など)を乗り越えて敵艦に命中し、大きな損害を与えることに成功します。
 新兵器のみによる命中率は30%超。これは、少し前の時代であるなら驚異的命中率であり、他国を実験台にした形になった日英も大きな満足を示したと言われます。
 ただ残念な事に、軍艦にもっともダメージを与えられる魚雷による攻撃が全くされなかった事から、防御力の大きな艦にはそれほど大きなダメージを与える事ができず、また誘導兵器の多くが遠距離から目標選別をできない事から、輪形陣の外周の補助艦艇に集中し、肝心の戦艦には大きなダメージを与える事には失敗していました。
 ですが、15発以上の命中は、巡洋艦以下の多くの艦艇を海神の身許へと送り届け、合衆国艦隊はこの攻撃だけで出撃したときの半数にまで減少する事になり、大型艦の全ても何らかの損害を受けていました。
 ただし、連合国側も米軍の濃密な防空迎撃の前に大きな犠牲を余儀なくされ、攻撃機のうち全体の半数が撃墜されるか何らかの損害を受けており、とても二度目を出せる状態ではありませんでした。特に攻撃を行ったのが、空母の運用に未熟な欧州各国だった事から、反復攻撃の可能性はこの時点で消滅していました。

 このためもあり、戦闘は航空機から水上艦へとバトンタッチします。
 この時一番近くにあったのはドイツ艦隊の方で、双方が進撃を継続するなら四半日以内で会敵できる予定でした。そして、そこから2時間程離れた位置にフランス艦隊が位置しており、こちらも急激に距離を狭めつつありました。
 この時米艦隊は、いくつか選択肢がありました。
 このまま優勢なドイツ艦隊と戦うか、矛先をドイツとほぼ同数のフランス艦隊とするか、それともこれだけの損害を受けたのだから撤退するか、です。
 そして、ドイツ艦隊もフランス艦隊も水上打撃戦力はほぼ同程度と判断された事と撤退命令は出ていない以上、そして打撃戦なら「ヴァージニア」を持つ自らにも勝ち目があると判断された事から、そのままドイツ艦隊単独を目標としての戦闘と、戦線突破を図ることになりました。
 この時アメリカ艦隊を構成していたのは、「ヴァージニア」、「イリノイ」、「ケンタッキー」の他は重巡洋艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦9隻だけでした。
 対するドイツ艦隊は、新鋭の「H級」のネームシップ「フリードリッヒ・デア・グロッセ」を先頭に「テルピッツ」、「シャルンホルスト」、「グナイゼナウ」、同じく新鋭の巡戦「シュリーフェン」の合計5隻の戦艦、巡洋戦艦と「リィッツォー」、「シェーア」の2隻の装甲艦、他重巡洋艦2隻、駆逐艦6隻で構成されていました。他に空母とその護衛艦が後方に退避しつつあり、別方向からは50海里の距離から同程度の戦力を持ったフランス艦隊が接近しつつありました。
 なお、ドイツ大型艦の過半が高初速15インチ砲を装備し、7万トンの排水量を誇る「フリードリッヒ大帝」だけが日英から技術供与を受けた新開発の18インチ砲を装備、彼女のみがアメリカの「ヴァージニア」に対抗できると考えられていましたが、大型艦の数において勝るドイツ艦隊は、個艦レベルでの手数の多さ(分発2.5発)もあったことから、米軍の挑戦を真っ向から受けることにします。
 連合国艦隊司令部も既に戦力の落ちた米艦隊なら問題ないとこれを受入れ、念のためフランス艦隊とイタリア艦隊にフォローできるように移動する指令を出しただけで、作戦全体の計画を動かす事はありませんでした。
 ちなみに、この時のドイツ艦隊は戦艦から重巡洋艦の合計9隻(戦艦2、巡洋戦艦3、装甲艦2、重巡洋艦2)の大型艦の呼び出し符牒が、リヒャルト・ワーグナーの歌劇『ニーベルングの指輪』で有名な9人のワルキューレの名前が当てられており、『ニーベルングの指輪』は当時のドイツ人にとって馴染みの深いものだった事から、呼び出し符牒を必要としなくても艦名ではなくこの名で呼びあったと言われています。
 
 さて、話しを戻しますが、連合国側の大型電子偵察機、長距離対潜飛行艇や水上偵察機の見守る中、合衆国艦隊とドイツ艦隊は接近し相まみえようとする頃には春の太陽は傾き沈み、かわって大気の影響で不気味なほどの大きさに見える、しかも血のように赤い満月が夜空を支配していたと両軍の報告書は記録しています。
 また、陣形としては、米艦隊は正面からの戦闘よりもドイツ艦隊をやり過ごすような針路・方針ととっており、対するドイツ艦隊は何が何でもここで撃滅しようと目論んで彼らに北から覆い被さるように進撃していました。このため、特にドイツ艦隊が、その不気味な月が照らし出す海上を疾走し、PPIスコープに相手の姿を見つけるべく活発な機動を行います。艦の中にはドイツ軍が開発した闇夜すら昼間に変えてしまう、赤外線式による視覚装置などを使用して、紅き目による目視の索敵も今まで以上の精度で行われました。もっとも当時の技術精度から遠距離からの赤外線探知はまだまだ不十分な能力しか発揮できなかったと言われています。
 そして、午後7時45分、ドイツ軍のラダールは航空機の誘導に従い距離41500メートル付近に米艦隊を捉える事に成功、艦隊速度を最大戦速まで増速し、米艦隊へと突進しました。
 また、報告を受けていたフランス艦隊も急追を続けており、米軍の進撃を阻む形に針路をとっていました。
 米艦隊もこの目の前のドイツ艦隊を排除しなければ前進することは叶わず、それなくして与えられた任務の達成も不可能である事を自ら掴んだ数少ない情報から知り、結局はドイツ艦隊の挑戦を真っ正面から受けることになります。

 砲雷撃戦は、距離34000メートルでドイツ艦隊による一斉射撃で幕を空けました。自分たちの相手が史上最強クラスの超大型戦艦であり、できうるなら水平装甲を打ち抜ける可能性のある遠距離で勝負を決めてしまおうとしたからで、これは「フリードリッヒ大帝」の49口径18インチ砲であるなら、「ヴァージニア」の水平装甲の貫通は十二分に可能で、また自らの射撃精度の高さへの自信が、自らも撃破される危険性の高い遠距離砲戦をドイツに決意させたからです。
 ただ、残念な事に距離30000メートルで米艦隊は大きな損害を出すことなくこちらも砲撃を開始し、戦闘は以後双方距離を詰めての接近戦へと移行することになります。
 ですが、接近戦もどちらかと言えばドイツ軍の望むところでした。それは、ドイツの戦艦がどれも高い主砲射撃速度を有していたからです。確かに米戦艦も30秒に1発の射撃が可能でしたが、ドイツ戦艦は多少限定的ながらそれすら上回る20〜25秒に1回という他国を圧倒する弾薬投射が可能でした。
 ドイツ戦艦はこれを達成するためにとすら言って過言ではない理由で、他国よりワンランク下の口径の主砲を装備し、それをあえて連装にしていたのです。また、ドイツの戦艦は新鋭の「フリードリッヒ」以外は、主に欧州での戦闘を想定した中距離で最も効果を発揮する防御構造をしているので、接近戦にはなおのこと好都合でした。
 そして、接近すれば射撃速度が上昇するのは当然で、ただでさえ数で劣勢にあるアメリカ艦の周囲には、ドイツ艦から射ち出された多数の砲弾による水柱が奔騰していました。
 もちろん、距離の接近で命中率の上昇した砲弾は、一定割合で命中弾も含まれるようになります。
 この接近戦により、米艦には珍しく防御力において間接防御により重点を置いたシステムを有していた「アイオワ級」の「イリノイ」と「ケンタッキー」は、15インチ砲弾を大量に被弾、それらの多くがあまり重防御とは言えないバイタル・パート以外の各所を破壊、一部は重要区画も貫通し、多数の砲弾の命中のため自慢のダメージコントロールを発揮する間もなく全艦火だるまに包まれていきました。
 ですが、「アイオワ級」の高初速16インチ砲弾、スーパーヘビーシェルも重防御と言われたドイツ艦に痛打を浴びせかけていました。確かに、基本的に命中弾の数はドイツ側が絶対数で多く(砲門数26:18で射撃速度も20%程ドイツ側が早く、つまり二倍の数の砲弾を受ける事になる)、アメリカ艦が単純に命中弾の数で敗北したわけですが、欧州の狭い海で最も効果を発揮する防御構造しか持たなかった、有る意味第一次世界大戦時となんら変わることのない防御構造を持ち、しかも「浮く」事を前提として「戦う」事を二の次としていたドイツの重防御構造は、太平洋で戦う事を前提にされた史上最強の「巡洋戦艦」が繰り出す攻撃に対抗しきれなかったのです。
 有り体に言ってしまえば、高角度から降り注ぐ16インチ砲の打撃にドイツ艦は耐えられなかったのです。これは、完成当時不沈戦艦とすら言われた「ビスマルク級」、徹底的に改装された「シャルンホルスト級」と言えど例外ではなく、2隻の「アイオワ級」が戦闘力を失うまでに次々と戦闘力を喪失し大破脱落していく事になります。増援として戦闘参加したフランス艦隊の存在がなければ、ドイツ艦隊は間違いなく敗北していたとする戦史研究家もいるぐらいです。
 結果として、主に日本から戦艦としてはあまり高い評価を受けていない「アイオワ級」は、1時間強の劣勢の中での戦闘で「シャルンホルスト」撃沈、「テルピッツ」、「グナイゼナウ」大破、「シュリーフェン」中破の戦果を残しアメリカ海軍最後の意地を見せつける事になりました。

 一方、化け物同士の一騎打ちとなった、「ブリュンヒルデ」こと「フリードリッヒ・デア・グロッセ」と、アメリカ最強の化物「ヴァージニア」の戦闘は、互いに同程度の戦闘力を持っていたことから、砲力で勝るドイツ艦隊が他の米艦を駆逐している間はまったく勝負がつきませんでした。
 どちらも18インチ高初速砲で、速射性能に優れた「フリードリッヒ」は8門装備、「ヴァージニア」は9門装備と弾薬投射量も同程度、しかも互いに重防御には定評があり、距離は互いの砲弾が防御できる距離という条件。互いにまるで鋼の鏡に殴りかかっているようなもので、あえて差があるとするなら「ヴァージニア」が8万トンクラスなのに対して、「フリードリッヒ」が7万トンクラスと、「ヴァージニア」が若干排水量が大きい事ぐらいで、これすらもこれほどの艦の規模となると数千トンの排水量差は大した差でないとすら言えます。
 ただ、「ヴァージニア」は昼間の空襲で数発の命中弾を浴びており、主に艦中央部の両用砲群と高射機銃に大きな損害が出ていました。このため、もし敵の軽艦艇が接近してきたら対処するのが極めて難しいというハンデを負っていました。
 もっとも、補助艦艇の面では双方同程度だった事から、このハンデが当面の戦闘でハンデとなる事はありませんでした。

 そうして、双方自らの随伴艦艇が次々に傷ついていく中1時間もの、何時果てるとも知れない砲撃を2隻の戦艦は続けていましたが、それも新規兵力の参加により天秤が大きく揺れる事になります。
 フランス艦隊が戦場に到着したのです。
 この時フランス艦隊は、休戦後工事を再開して完成した新鋭の「クレマンソー」を先頭に、「ジャンパール」、「リシュリュー」、「ダンケルク」、「ストラスブール」の順で単縦陣を組み、その横に巡洋艦と水雷戦隊が並走していました。
 フランス艦隊が戦場に間に合った背景には、米独の戦闘がドイツ艦隊の何度目かの針路変針によりフランス艦隊の方向に向けられていたからと、激しい戦闘により双方とも付近界面をウロウロした形になっていたからです。
 フランス生まれの彼女達は、主砲を全て艦首側に向けられる事から、米艦隊をレーダーで捕捉するとすぐさま全力射撃を開始、艦隊合計40門もの巨砲をもって既に「フリードリッヒ」に痛めつけられていた「ヴァージニア」のありとあらゆるところに砲弾を浴びせかけました。
 その大半は、いかにスーパーチャージャーを用いたヘビーシェルと言えど所詮15インチ砲弾でしかなく、18インチ砲に対する防御が施された「ヴァージニア」の心臓部を貫く事はできませんでしたが、それまで見た目では大きな損害を受けていなかった各所、特に非防御区画を次々に破壊し、10数分で摩天楼のようだと評された米新造戦艦の上部構造物をただの瓦礫の山、文学的に表現したとしても落城寸前の城のような姿への変貌を強要しました。いかなモンスターと言えど、そこまで砲弾を受ける事は考慮されていないのですから、この惨状は当然の結果でした。
 そして、その頃になると他の米艦艇を駆逐した「フリードリッヒ」以外のドイツ艦艇の生き残りも「ヴァージニア」に対する砲撃を開始しており、それまでドイツの新鋭戦艦を相手に奮闘を続けていた「ヴァージニア」は、フランス艦隊の砲撃開始から約20分で各個砲塔射撃を続けていた2番砲塔以外の全ての火砲が沈黙し、断末魔の焔につつまれました。
 最終的に「ヴァージニア」が波間に没したのは、独仏の駆逐艦多数が十数本の魚雷の槍衾で串刺しにした30分ほど後の、紅い月も金色に戻り天頂に達しようとしていた23時43分の事でした。
 そして「ヴァージニア」の沈没により、アメリカ海軍の組織的な水上部隊は文字通り全滅、合衆国は海軍により連合国軍を阻止する能力を喪失、海は完全に連合国のものとなりました。

 もっともこの戦いは、連合国側にとってはただの前の前座、もう少しマシな表現を用いるなら、生贄を捧げる儀式でしかありませんでした。
 なぜなら、日付が代わると同時に、最後の作戦がついに発動されたからです。

■アメリカの一番長い日