■あとがきのようなもの?(いいわけ・其の1)

 はい、あなたは少し貪欲に大戦争を望みすぎたのではないでしょうか?(笑)
 この選択を選んだ方の中には、「日英同盟が米独枢軸を苦難の末打ち倒す」ないしは「何とか停戦に持ち込むまで悪戦する」などの萌える、もとい燃える展開を予測された方も多いのではないでしょうか。私としても、主に感情面からならそれをしたいのは山々です。

 しかし、ここで少しこの選択での状態を認識していただきたいと思います。

 日英vs米独。総合戦争遂行能力格差は1対2以上で米独側が圧倒的に優勢です。そして、戦争は完全に泥沼化。戦争を途中で手打ちにするための有力な戦争仲介国はなし。その上、後から参戦したアメリカ合衆国は、戦争目標の達成(経済問題)のため、主に対日戦で結果が出るまで停戦の意思はなし。
 つまり、この結末は見えすぎるぐらい見えていると言うことです。

 日英側に宇宙戦艦ヤマトやノーチラス号、はたまた轟天号(某究極超人の愛車ではありませんよ(笑))やサンダー・バード(戦争の役に立つかな?)、もしくは火葬戦記の代表選手(?)の某「紺碧」のような、未来位置予測型誘導魚雷でもあるなら話は別ですが、戦争遂行能力からランチェスター・モデルを当てはめて考えれば、米独側がだいたい25%程度の損害を受けるだけで日英を完全に叩き潰す事ができる、と言う事です。つまり、「仮想戦記的」な展開となっても辛勝すら難しいわけです。
 もちろん反論もあるでしょう。確かに、国家として国力の25%もの損失は決して許容できるものではありませんし、ドイツがソ連と既に戦って疲弊しているなどの要素があり、一概に述べる事はできませんが、やはり戦局がどのように進展しようとも、日英側が奇跡の大勝利を何度も何度も行わなければ、千日手にすら持ち込む事はできません。
 特に日本側にとっては、遮二無二日本を攻めかけてくるであろうアメリカに対し、主に体力面からこれに対抗する事は、史実の三倍の国力を以てしても非常に難しいのが事実です。
 そして、「奇跡」なんてものは、史実を見れば分かる通り発生しないからこそ「奇跡」と呼ばれる、と言う事を実感させられます。もし仮にそう呼ばれるべきものが発生したとしても、一度の戦争で1回発生するかどうかでしょう。

 つまり、単純な結論から述べれば、日本の待っている未来は、史実をほぼ同様の「敗戦」です。
 もっとも、以上の解説だけでは納得できないかもしれないので、このルートの終末に向けての経緯は、簡単に経緯のみを箇条書きで紹介して一応の結論としておきたいと思います。

◆戦争の経緯(四半期単位での戦局の動き)

1943年10月:
 独ソ単独講和成立
 連合国、ソ連を連合国から除名
1943年秋:
 米を除く全ての国の戦時生産がピークを迎える
 米の戦力の過半が大西洋にシフトされる
 米は、太平洋戦線においてしばらく防守体制を堅持する
 米独共同による英国のシーレーン破壊が急速に進む
1943年冬:
 英国のシーレーン破壊決定的となる
 米の対独レンドリース本格化
 米戦略爆撃兵団、ドイツ本土に飛来

1944年春:
 欧州・大西洋での日英の海洋戦力の消耗
 米戦略爆撃兵団、ドイツと共に英本土爆撃
1944年夏:
 英本土の生産力減退
 太平洋方面での日本軍の無理な攻勢による消耗
1944年秋:
 米独軍による英本土破壊進展
 英国、枢軸国側に降伏
1944年冬:
 米軍の戦力の太平洋側へのシフト始まる
 ドイツは、近代国家としての体力の限界に来ている事から形だけの対日戦シフトを行ない、事実上の傍観を行ない、欧州、ロシア、中東への進出と地固めに奔走する

1945年春:
 米軍によるハワイ奪還作戦
 日本軍ハワイ失陥、日本海軍大打撃
 勝者の米軍も大損害を受ける
1945年夏:
 日米双方の洋上戦力の再構築
1945年秋:
 米軍、マーシャル諸島侵攻
 日本軍戦略的後退(該当戦力不足による)
1945年冬:
 米軍、マリアナ諸島侵攻
 日本軍は、一度は米軍を跳ね返す

1946年春:
 日本のシーレーンの崩壊始まる
1946年夏:
 米軍、再度マリアナ諸島侵攻、マリアナ陥落
 日本海軍壊滅
1946年秋:
 米軍、硫黄島侵攻
 日本のシーレーンの崩壊決定的となる
1946年冬:
 米軍による日本本土爆撃始まる
 枢軸国、日本に降伏勧告

 第二次世界大戦終結


 おおむね、戦局の推移はこの程度ではないでしょうか。
 日英側が大規模な戦いで何度か大きな勝利を得たとしても、このスケジュールは枢軸側の生産力を前にして半年から1年程度スケジュールを遅らせるだけになります。
 また、カナダを戦略的な意味で保持できているうちに、連合国側がなりふり構わない米本土攻撃を行えば、米国で大混乱が発生するでしょうが、この場合米国が体制を建て直した後は、米国民が敵国を焦土と化すまで戦いをやめない恐れが高いですので、国力差から戦争に勝利が難しい日英側としては、選択できる戦略でもありません。
(火葬戦記的「大胆な」戦略(戦術)的行動をとるには、この想定はあまりにも危険が大きすぎます(笑))

 かくして「日英敗北」が、このルートでの結論となります。

 そして、その後の戦後世界は、戦争の勝者たる欧州国家社会主義帝国率いるドイツ第三帝国と、自由の守護者にして世界の海洋の覇者となったアメリカ合衆国との対立に二極化していきます。
 日本は、戦後のドイツ(+国家社会主義ソ連)のアジア政策重視に従い、アメリカのアジア戦略の中核としてアメリカ側陣営の同盟国に再編成され、アメリカにとっての最も重要な同盟国としての再出発をする事になります。
 英国は、戦後は国家としての生き残りを図るために、ドイツの軍門に降った本土と米国の経済圏に組み込まれた植民地諸地域とに分裂状態となります。
 なお、中華地域は、国家社会主義中華と中華民国、満州に分裂、台湾は日本から自治独立、日本はほぼ日露戦争後の状態までに国土を縮小するでしょう。
 そして満州、朝鮮半島全土、台湾、樺太、カムチャッカ北端が自由主義陣営となった日本側(アメリカ側)により確保されているため、日本本土への直接の脅威は低くなりますが、その分日本の防衛負担は大きく、史実よりもはるかに大きな軍備の維持を強いられる事になります。(あ、そうそう朝鮮半島国家は日本と共に「敗戦国」側です。)
 当然、これだけの地域を史実よりも薄弱な国力しか達成していないアメリカが、国家社会主義陣営から保持できない事も、日本が大きな軍事力と国力を保持しなければならない事に大きく影響しています。

 この辺りでで締めたいところなのですが、少し書き足りないので、後書き(いいわけその2)をもってこのルートでの第二章の終幕としたいと思います。

■あとがき