■「悪役令嬢の十五年戦争」

■ 001 「悪夢」

 さっきまでの私は横断歩道を歩いていた筈だった。
 突然「ドンっ」という大きな衝撃があったように思う。
 ただ、そう思った次の瞬間には、煌びやかな景色が眼前に広がっていた。
 そして目の前には美しい殿方が一人。しかし険しい表情を浮かべている。
 そしてこう言い放った。

「すまないが、君との婚約を解消させて頂く。これは君の一族の総意でもある。そして君は日本からも離れてもらう」

 わけが分からなかった。
 しかし情景は不思議と理解出来ていた。目の前の殿方が誰なのかも。
 ただ、なぜ今の言葉を投げつけられるのかが全く理解出来なかった。
 しかもその殿方の斜め後ろに半ば隠れるように、『私』が心底憎むあの女が寄り添っている。
 だから『私』は、男にではなくその女に何かを言おうとした。
 しかし、あまりの怒りに身体中の血が滾るのを感じた瞬間、意識が遠のくのを感じた。

 次に気がつくと、炎の雨が降っていた。
 先ほどの煌びやかな場所ではなく野外のどこかだ。
 しかも、炎の雨が夜空いっぱいに広がっていた。

(悲劇でも綺麗だと感じるって本当なのね)

 この情景を私は知識として知っていた。モノクロの動画、イメージ映像で見た事もあったと思う。
 だが眼前の光景は、モノクロでもイメージ映像でもなかった。あまりにもリアルだった。現実的だった。
 そしてあまりの美しさに声を出すのも忘れて見とれていた。

 しかし少し遠くの地上は、文字通りの地獄絵図。
 木造の街が燃え盛り、場所によっては火災旋風が巻き起こっていた。
 その火災旋風は北風に煽られて横へと伸び、まるで全身炎を纏ったドラゴンのように、次々に建物とその周りのもの全てを炎で蹂躙していた。
 これほどの火災になると、可燃物が全て燃えてしまわない限り収まる事はないだろう。
 そしてその可燃物の中に、人が含まれていた。
 しかも沢山の人、人、人。みんな逃げ惑っていた。
 逃げ遅れた人々に救いはどこにもない。

 一方で空では、炎の雨を降らす張本人達が次々に上空へと入ってくる。
 それはまるで銀の十字架で、地上の照り返しを受けて赤く輝いていた。
 そしてそれを、私は美しいと感じた。
 合理主義の産物である兵器だが、そう感じさせるだけの存在感と説得力を持っていた。

 そうして炎の雨とそれをもたらす銀の十字架、そして地上の地獄絵図の傍観者だった私だが、いつしか炎の雨は頭上にも降り注いできた。

(ああ、私も地獄絵図の一部になるんだ)

 最後に思ったのはそんな事だった。

 次に意識がハッキリすると、何かの記録映像を見ていた。
 何だろう。昔映画で見たようなシーンだ。
 しかしその景色の一部には見覚えがあった。

「あの形は江ノ島ね」

 まるで自分の声じゃないように呟いたが、それは江ノ島以外が現実感に乏しかったからだ。
 何しろ湘南海岸に、アメリカ軍の大部隊が上陸作戦を展開していた。
 そして私は所謂「歴女」なので、目の前の情景が第二次世界大戦中の上陸作戦の映像だとすぐに理解できた。
 しかし江ノ島が背景にあるように、ノルマンディー上陸作戦でもなければ沖縄戦でもない。
 間違いなく日本本土上陸作戦だ。
 そして私の「知識」は、それが1946年9月6日に行われた連合軍による「コロネット作戦」だと「知って」いた。

(こっちじゃあ、日本軍は随分頑張った、いや粘った、いや違うな。足掻いたんだ)

 「知識」として知っているだけで、情景も映画を見るような気分しかないので、その程度の事しか頭をよぎらなかった。
 もしかしたらここは映画館で、本当にスクリーンを見ているのかもしれない。
 しかし今私は「こっちじゃあ」と呟いた。つまり「あっち」が別に存在すると言う事だ。
 そして「あっち」では、1945年8月15日に戦争が終わったと言う「史実」に思い至る。

(私、何を見てるの?)

 そう思ったところで、また意識が遠のいていく。

 また目が覚めたが、意識が朦朧(もうろう)としていた。
 今までのは全て夢だったのだろうかと思ったが、違うという確信が何故かあった。
 一方で、この目覚めが恐らく最後になるだろうという予感があった。

 ここはどこだろう?
 とにかく現状把握をと考える。

 そう、軍のどこかの独房だ。どこの軍の?
 問うまでもない、ソビエト連邦軍の独房。
 場所はシベリアのどこか。それ以上は分からない。そしてもはやどうでもいい事だった。

 私は全てを失い、祖国から見捨てられ、少し前に私を「保護」していたソビエト連邦ロシアから、必要ないと判断されたのだ。
 だから暖房のない部屋へ移され、食事も絶たれた。
 着ているのも、ボロも良いところ。私が今まで着ていた上質の絹の服とは比較すらできない。
 そして、とてもこの寒さに耐えられそうにはない。

「……慰み者や銃殺刑にならないだけマシね」

 カサカサの声で辛うじて呟いてみたが、それで心が僅かでも救われる事は無かった。
 慰み者にならないのは、もはやその価値がないほど体の状態が醜くなっているから。
 銃殺刑にならないのは、もう直ぐ死ぬから別の手間をかける必要性を感じていないから。
 思わず笑いそうになる。

(ここまで落ちぶれるなんて、数年前は考えもしなかったのに)

 私の心を満たしているのは、絶望と諦観、それ以上の怨念だ。自分で言うのも何だが、国ひとつ傾かせるほどの強い感情だった。
 そして私は、その力、つまり怨念を私が具現化できる事を「知って」いた。
 だが残念な事に、私が最も恨む者達はこの場から遠く、私の怨念を届けることができない。
 だから自分の死を捧げる事で、せめて今いる場所の国への呪いを成就することとした。

 半世紀以内のこの日、この国が崩壊するように、と。

 今日は1947年12月25日。
 かつてのこの国ではもう少し先だったが、他のキリスト教地域では主の生誕を祝う祝祭日だ。
 しかしこの日を私は災厄の日としよう。
 今私が居るこの国、ロシア ソビエト社会主義共和国連邦は、50年以内のこの日に崩壊を迎えるのだ。
 そして奇妙な事に、私は1991年12月25日にこの国が無くなる事を「知って」いた。

 なぜだろう。
 いや、そもそも私は何故こんな所にいるの?
 こんな筈では無かった。
 今度こそ望んだ未来を掴む筈だったのに。

「ま、いいか。『次』うまくやれば良いものね」


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