■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  019 「未来の薬」

 「ちょっと待ってて」

 そう言って談話屋を出て、自分の部屋へと一度戻る。
 私が書き溜めた紙束の中から、相応しいものを持ってくる為だ。
 私自身がもう少し大きくなって細かい作業もできるようになったら試してみようと思っていた、半ばオタク知識から得た薬の作り方などを記したものが幾つかある。

(さあ、まずはどれから始めようか)

 そうして紅龍さんの待つ談話室へと戻り、そして机の上に私が書いたり描いた紙面を広げる。
 中にはカラフルな円グラフのようなものもある。

「なんだこれは? 栄養学に関係していそうだな」

(すぐに分かるとか、やっぱり凄い人。栄養学って、この時代はまだ発展途上な学問よね)

 早速、驚かされるが、この人に話して正解と確信する。しかも紅龍さんは、研究医で細菌学にも詳しい筈だ。
 しかしまずはジャブからだ。
 医学や薬の事は、私は聞きかじりのアマチュア以下でしかない。だから、何よりもまず私が紅龍さんから信頼を得ないといけない。
 分かりやすい栄養学について書き散らしたものも、その為のものだ。

「それは五大栄養素を、簡単に食べ物表にしたもの。分かりやすいでしょ。こっちが、食べ物をもう少し詳しくしたもの。そういえば紅龍叔父さんは、ビタミンについてどれくらい知っているの?」

「これがビタミンのデータを加えた食物表という事か。ある程度は理解できるぞ。ビタミンについては、発表される資料などに目は通しているが、未来ではどれくらい種類が分かっているのだ?」

「えっと、それはこっちの表ね。あ、でも、私はどの食べ物に含まれているかは書いたけど、それをどうやって調べるとか抽出方法とか全然わからないから、聞いても無駄よ」

「……まさに未来予測の知識だな。だがビタミンの一つは、我が国の鈴木梅太郎氏が発見している」

 かなり感心してくれている。
 そこで賭けとばかりに、少しジャブを放ってみる事にした。

「あ、それなら、これが米糠からの単離方法のメモよ」

 次の瞬間「えっ?」と紅龍先生が絶句した。
 そうだろう、そうだろう、私もこんなに簡単だとは思い出すまで忘れていた。もちろん単離そのものや結晶化、理論化とか、かなり時間はかかるとは思う。
 だが、それは次の課題だ。
 驚いているうちに次々に未来知識を叩きつけないと、信じてもらえないかもしれない。

「それより今日のお題ね」

「えっ、いや、今お前、凄い事を言ったんだぞ。気づいてないのか?」

 ちょっと狼狽気味なのが可愛い。
 厳ついつり目のオッサンでも可愛げはあるものだ。

「知ってるわよ。けど、それは次。まずは作るのが簡単なものから行きましょう。紅龍叔父さんには、実績を作ってもらわないといけないから」

「……なるほど、まずは実績か。実績なき者の声など誰も聞かないのは道理だな。それで?」

 色々と苦い体験しているのか深く頷いてくれているので、こっちとしては好都合だ。

「これこれ。今から教えるのは、半世紀先の未来の知識よ」

 そうして一つの紙面を取り出す。
 そして半世紀先という言葉と共に、紅龍さんが紙面に食いつく。そしてすぐに眉を八の字にしてしまった。
 聖典(漫画)の情報も載せたのはまずかったもしれない。けど、私にとってはこっちが先なので書かずにはいられない。

(まあ、気持ちは分かる)

 そう思いつつも話を続ける。

「それは『経口補水液』。上に書いているのが正式な材料と配分量。下に書いているのが、ご家庭ですら作れる簡易版のレシピね。簡単でしょ」

 私が言い切ったところで顔を上げた紅龍さんの表情は、色々な感情が混ぜ合わさっていた。多くは混乱だ。

「生理食塩水に少し似ているな。本当にこれが半世紀先の未来の知識なのか? 由来は江戸時代と言われても納得しそうな、お婆ちゃんの知恵袋みたいだぞ。必要なのが砂糖と塩だけとか、有り得んだろ」

「それがあり得るのよ。紅龍叔父様は、電解質、イオンって分かるわよね」

「勿論だ」

「うん。その電解質のおかげで、水分を大腸からじゃなくて小腸が吸収するようになるのよ。これがどういう意味か分かる?」

「それは大腸が弱っている場合だな・・・つまり腸炎か」

「大正解。脱水症状、つまりどんな胃腸炎にも効果絶大。特にコレラとか赤痢とか危険なやつにね」

「コレラなら、確か十年ほど前に輸液による治療が行われた筈だ」

 そんな事も知っているとか、この人は思った以上に研究熱心だ。
 舌を巻きつつ話を続ける。

「あれも正解。けどこれなら、口から飲むだけ。どこでも誰でも処置が可能。多少元気なら自力でも。美味しい味付けに出来れば、運動の後の水分補給飲料として商売にだってなるわよ」

「それでどんな胃腸炎、脱水症状にでも効果があるのか? しかし根拠は? 理論は? 電解質だけで説明できるのか?」

「さあ、そういう医学的、科学的な事は専門家に任せるわ。見つけたヒントのこじつけとしては、今紅龍叔父様が言った輸液の治療と、あと日本古来の重湯ね。これ重要」

「重湯? なぜだ。確かに重湯は病人食として優秀だが・・・そうか。同じ事、いや似た材料なんだな。しかもブドウ糖なら重湯より栄養補給として一段階省いているから、弱った患者により向いている」

「そうよ。重湯は、お米とちょっとのお塩がレシピでしょ。それに梅干しを添えればなおグッド。追加の塩分と、ほんのちょっとカリウムもいけるかもね? とにかく紅龍叔父様は、重湯にヒントを得て研究しましたって発表の頭に言えばいいのよ」

「日本人なら納得しやすそうだな。材料の比率については?」

「そんなの一人で地道に研究してました、くらいのハッタリでっち上げてよ。あとは治験あるのみ。胃腸炎の患者さんなら沢山居るでしょ?」

「まあ、日本人の死因の常に上位だからな。よかろう、早速取り掛かろう」

「そうしてちょうだい。ビタミンB1の話は、それをクリアしたら全部ぶちまけてあげるわ」

「オオッ! この天才紅龍に任せろ。それよりも、お前の言葉遣い何とかならんか? 何だか英語っぽい単語が時折混ざって、ただでさえその子供っぽい声と合わさって少し分かりにくいぞ」

「あっ、御免なさい。気をつけまーす」

「ああ。次からな。では、サラバだっ、また会おう!」

「いやいや、ちゃんと結果教えに来てよ」

「フハハハハハハっ! 朗報を待っているが良いぞ!」

「もう、ノリのいい人だなあ」

 思わずため息だ。

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経口補水液(けいこうほすいえき)
主に食塩とブドウ糖を混合して、適切な濃度で水に溶かしたもの。
真水の飲用よりも、これを飲用した方が小腸における水分の吸収が円滑に行われるため、主に下痢・嘔吐・発熱・発汗による脱水症状の治療に用いられる。

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