■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  022 「学会に復讐してやる?」

 その年の師走の中頃の事だった。

「遂に見つけたぞ!」

 またうるさい人がやってきた。
 言わずと知れた紅龍さんだ。そして何を見つけたのか、問うまでもない。
 て言うか、私は驚きで一杯だ。

(えっ? あれから2ヶ月も経ってないわよね。本当に神か悪魔が憑いてるんじゃない? まあ憑いてるなら、確実に悪魔の方だろうけど)

 本気でそう思いそうだ。
 しかもいつにも増してボサボサ頭。しかも髪は、かなり伸びてしまっている。もはやトレードマークな筈の無精髭はなかったが、その代わりに伸び伸びになった口一面の髭になっている。
 これで白衣姿なのだから、どう見ても悪の科学者そのものだ。
 学会に復讐すると言うところまで一緒なのだから、もうこの姿で通した方が良いんじゃないかとすら思える。

(それになんて格好。私、一応言伝で紅龍先生の食事と身の回りの世話を気にかけるように紅家に伝えてもらった筈なのに・・・)

 そう思ったからこそ、私が最初にするべき事は一つだ。

「麻里、この人風呂に入れて。あと、床屋。紅龍叔父様、食事と仮眠をお取りになって。あと臭いから、絶対に近寄らないでね」

「お、おぉ? 話を聞かんのか?」

「分かりきった事ですから、落ち着いた状態でお聞きしたいの」

 思わずお嬢様言葉で返す。

「分かりきった、か。確かにな・・・。なんだ、私の成功を確信していたのではないか」

 何やら聞こえるようにブツブツと言いつつ、嫌な顔一つしないメイドの麻里達に連れられていった。

 そしてその日のおやつの時間。
 私の前の紅龍さんは、お皿に一杯置かれたシュークリームを、一口で次々に口へ放り込んでいる。まるで電光石火。シュークリームじゃなくて、エクレアにするべきだったかもしれない。

(そっか、頭良いから、脳が糖分を求めるんだ)

 大のオッサンが美味しそうにスイーツを頬張るのを見て、自分で導き出した答えに妙に納得がいった。
 だから文句をつける事もなく、豪快に食べる様を眺めつつ私も静かにおやつに勤しんだ。

(うん。私リクエストな新メニューのダブルシューは正解。出来立ては、やっぱり美味しい。みんなにもお届けしてあげないと)

 そして二人して優雅に紅茶を飲みつつ、ようやく本題に入る。
 私はお酒を飲みながらとはいかないので、このスタイルは良いかもしれない。

「それで、おめでとう、で良いのかしら?」

「うむ。実験は全て成功だ。あとは論文をまとめて、しかるべき協力を仰がねばならんがな」

 本気のドヤ顔だ。まあそれだけの事はしたのだから、ケチの付けようもない。しかも、すでに次の一手を打ち始めているのだから、油断も隙も無い。

「しかるべき協力?」

「ああ、そうだ。私は慶應の北里柴三郎先生と知己があってな。だから、慶應と北里研究所の支援を受ける予定だ。どうしても三流と言われてしまう鳳大学や鳳病院では箔がつかんから、見向きもしてもらえんしな。それに、追加実験にも協力してもらう予定だ。その話は、すでに通してある」

「手回し良いのね」

 本当そう感じた。それに相変わらず行動力が凄い。
 なお、鳳大学や鳳病院は、鳳財閥が相応に力を入れているから質は低くはない。
 しかし、何事も帝大(東大)ありきな日本では慶應ですら二流扱いで、帝大じゃないと駄目という風潮が非常に強い。特に学会で。

(なんでこれだけの事が出来る人が、ゲームの中では不遇なのかな?)

 その回答の一つは、すぐに提示してくれた。
 すごく真顔だ。

「当然だ。と言いたいところだが、玲子お前のおかげだ」

「私? 曾お爺様じゃないの?」

「うむ。蒼一郎様にも資金面など支援は頂いたが、やはり玲子のおかげだ。お前が最初に言った通り、実績を作ったのが効いた」

「ああ、その事。それは何より」

 そりゃそうだ。経口補水液は、私が紅龍さんから信じてもらう為の手札でもあったからだ。

「なんだ反応が薄いな。感謝しているんだぞ。それにだ、脚気の件で理研の方からも、私の本来の研究への協力が必要ならと言う言葉を頂いている」

 そこまで言うと、「フッフッフッフッフッ」と不気味に笑い始める。

(これが無ければなあ。悪役っぽくはあるけど)

「で、そこまで色々手回しして、どうするの? 帝大医学部や日本の医学会に復讐?」

「フッ、笑止。確かに見返してやる必要はあるが、もはや復讐などと言う小さな事にこだわる私ではない! 玲子、お前ペニシリンがどれだけのものか、理解してないんじゃないか?」

「知ってるわよ。20世紀の偉大な発見の一つって言われるようになるし、ノーベル生理学・医学賞も受賞できるわよ。認められればね」

「分かっているじゃないか。だが、認められればとは聞き捨てならんぞ」

 少し凄んで見返してくる。この人、全然私の事を4歳児と見ていない。
 だから言い返してやる事にした。

「だって、ノーベル賞って白人のものでしょう。以前、北里先生だって、取れる筈がダメだったじゃない。あれから年月は経っているけど、まだ厳しいんじゃない? それに」

「まだあるのか? 確かに北里先生の件では、言わんとするところは分からんでもないが。それで?」

「日本全体で応援してもらえないと、欧米の学会に推しが弱いんじゃない? 欧米の学会とコネやツテがあるのって、帝大の先生達でしょ」

「確かに・・・だが、向こうから頭を下げて来ない限り、奴らの手など借りる気は無い!」

 言い切った上に、なんだか爽やかとすら思える表情だ。
 ここまで嫌いだと、私に言える事はない。

「あっそ。まあ、私はペニシリンで世界中の人が救われるなら、それだけでオーケーよ」

「ま、まあ、お前が賞賛される事はないからな。だからこうして一番に報告に来ているではないか」

「はいはい、お気遣いありがとう。それじゃあ、さっさと論文まとめて、論文の翻訳して欧米に送りつけたら?」

「ああ、経口補水液も、脚気も、色々難癖を付けて認めようとしなかった連中だからな。日本の医学会の中枢は、全くあてにならん」

「そうなんだ。とにかく、これでしばらく忙しくなるのね」

「そうだな。論文をまとめて先生方に確認してもらう。そしてそれらの英語とドイツ語への翻訳。世界の医学の権威の全てへの送付。それに並行して、鳳病院、慶應医大病院などでの使用を進めて、さらなる治験や情報収集。
 あとあれだ。日本は当然だが、海外での使用申請と登録を進め、それに特許申請もしておく。すでに鳳製薬と鳳商事には一報は入れてある。それに鳳製薬での生産の準備もな」

「なんだ、万全じゃない。本当忙しくなりそうね」

「そうだが? なんだ、私が会いに来なくなるのが寂しいのか?」

 ニヤリと笑ってくる。
 相応の子供なところもあるではないか、とでも言いたげな表情だ。

(しかし違うのだよ、ワトソン君)

 どう答えようかと一瞬思ったが、この人には思わせぶりで良いだろうと、紅龍さんの顔を見ながら結論した。

「ま、いいわ。暇になったら顔出して。あと二つあるから」

「っ!!」

 一瞬で凄い形相になった。本当に表情のよく変わる人だ。
 さらに、グイッと私に顔を体ごと近づけて来る。

「そ、その二つとは、どの程度のものだ?」

「聞きたい?」

「当然だ! いや、もう答えを言っているようなものだぞ。何に効果のある薬だ?」

 答えないと首でも締めて来そうな形相になっている。
 貪欲な事だ。

「仕方ないわね。片方はペニシリンに似てるけど、作るアプローチが全然違うお薬。もう片方の相手は、ペニシリンで倒せない人類の敵よ」

「っ!! い、今すぐ知りたいぞ!」

「今はダメ。ペニシリンに全力を傾けて。それと、落ち着いたら別件の話もあるから、それも頭の隅に留めておいて。あとそれと、適度な睡眠と食事ね。使用人の言葉をちゃんと聞く事。でないと、話さないから」

「お、オオっ、心得た。しかし、お前の予知夢はどこまで続いているんだ? 空恐ろしくなるぞ」

「大丈夫、それで打ち止めだから。お薬なんて、凡人の私が夢で見たところで、そうホイホイ理解できるわけないでしょ」

「いや、十分理解できているぞ」

「それは紅龍先生が、理解して実現しているからそう見えるだけ。私の夢は、所詮絵に描いた餅よ。あ、そういえばペニシリンの青カビって、お餅からとったの?」

「あ、ああ、餅とみかんが多かったな。とにかく色々、1000サンプルくらい集めた」

 心底呆れた。いや、驚いた。そりゃ2ヶ月でペニシリンが見つかるわけだ。そしてこの人には運もある事も分かった。

(天才な上にこの行動力。これこそがチートってやつよね)

 少し変な人だが、本当のチートや天才というものを垣間見た気がした。

前にもどる

目次

先に進む