■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  058 「湘南海岸」

 昭和二年は、春の大騒動以後、鳳財閥は鈴木との事実上の統廃合や合併、事業整理などなどで大忙しな毎日が続いていた。
 それ以外の鳳関連の話で言えば、鳳でノックダウン生産していたフォード社のフォードTが生産終了していた。私の前世の歴史と同じく、GMには勝てなかったようだ。
 けど、そうした事で忙しいのは鳳の大人達で、子供達は平穏な日常が続いた。

 世の中も、日本は穏やかなものだ。
 予測していたけど、やっぱり東方会議はなかった。これで戦後、日本を悪し様に罵る連中のネタが一つ減った事になる。
 春から夏の間は、芥川龍之介の服毒自殺なんてあったけど、一方では岩波文庫が刊行を開始した。スポーツでも、夏の甲子園大会で初めて実況中継が行われたり、全国都市対抗野球大会、全日本オープンゴルフ選手権と娯楽が花咲いている。
 そういえば、5月には「翼よ、あれがパリの灯だ」なリンドバーグの大西洋単独無着陸飛行があったりもした。
 昭和金融恐慌がないと、平和そのものだ。景気の方も、高橋是清蔵相による国債発行もあってそれなりに堅調だ。

 けど、世界情勢が平穏なのかと言えばそうでもない。
 その上大陸情勢は、私が全く知らない不思議モードに入りつつあった。何しろ、私の前世での歴史と真逆に棚ぼた勝利の張作霖に風が吹いていた。
 この時点での張作霖は「風を感じるぜ」か「もう何も怖くない」モードじゃないだろうか。
 私が昭和金融恐慌を避けるために言い出したことが、こんな変化を呼び込むとか歴史は恐ろしいと実感させられる。同時に、一度歴史が大きく動くと、多少何かを知っていても何もできない事を痛感させられもする。

 それでも張作霖の奉天軍が、北京のソ連大使館を襲撃したあたりは、確か私の前世の歴史でもあった事件だ。
 それを私は、ソ連と中華民国がこの時期に国交断行していた事を覚えていたから、この事件が影響していると見たからだ。
 けど、私の前世が知る歴史と同じと思われるのはこれだけだ。そこから先は、全然先が見えない。

 何しろ国民党は諸外国に叩かれた直後で、蒋介石が下野して左派が牛耳っていた。
 そして列強は、共産主義、社会主義を強く警戒している。
 列強は国民党にあれこれ言っているが、国民党を信じているわけがない。国力、武力による威圧で、言う事をきかせているだけとしか考えていない。

 そこに颯爽と、ソ連と対立し、その勢いのまま北京の共産主義者を掃討して回った張作霖が登場する。
 以前から張作霖と関係の深かった日本以外の列強にとっては、「おおっ! 期待の星じゃん!」となってしまったのだ。多少でも張作霖を知っていた欧州列強は、大陸情勢に詳しい英国くらいだろう。
 そして張作霖にかなり期待していた田中義一首相も、列強が張作霖を支援し出したから、さらに肩入れを強めた。

 そして張作霖も列強からの支援というかお金欲しさに、北京のソ連大使館で「証拠を見つけた」と発表。
 「ソ連ってこんな悪い奴らなんですよー」、「3月末の南京での暴動もソ連が黒幕ですよー」とある事ない事言いふらした。
 当然だけど、それを自分が見つけ自分が叩いたとアピールも盛大に行う。

 そしてあっという間に、蒋介石に変わる列強の代理人、共産主義の防波堤の誕生だ。
 中華情勢など実質何も知らないアメリカなどは、「ニューリーダー登場!」とあたかも新たな民主主義の守護者が登場したかのように書き立てたりもしていた。張作霖が民主主義の守護者とか、私からすればタチの悪い冗談でしかないので、思わず失笑してしまったものだ。

 そして5月、勢いを得た張作霖は「南征」を開始してしまう。
 列強の後ろ盾と支援(金)があるので、周辺の軍閥も張作霖になびいてしまう。
 一方の国民党は、左派が牛耳っているので右派は中央情勢に関わることができない状態。当然士気も崩壊状態。
 合作(=同盟)の共産党は基本テロリストとアジテーターの集団でしかないので、テロやゲリラはともかく、まだこの頃はほとんどまともな軍事力はない。略奪、暴動、放火しかできないような組織だった。勢力自体も小さい。

 そして私から見て不思議色の歴史は、張作霖の快進撃という事態を発生させてしまう。
 これ以後張作霖の軍は、約一年かけて史実と真逆に張作霖による揚子江流域への進撃、『南征』を行う。張作霖を推していた日本としては、「おーっ、頑張れー」と呑気なものだ。

 そして日本政府、軍がそんな調子なので、私は夏休みを利用してバカンスを決意した。

「江ノ電乗りたかったなあ」

「あんなチンケな汽車に乗ってどうするんだ?」

「汽車じゃない、電気で動く電車だ。会社名も江ノ島電気鉄道だぞ」

「へーっ、市電みたいだねー」

「私も乗ってみたいなあ」

 江ノ電終着駅の先にある江ノ島を遠望しつつ、鳳の子供達が鳳が保有する別荘でのんびりと過ごしている。
 江ノ島の西側の鵠沼海岸は、湘南海岸が海水浴場として開発され始めた明治の頃から別荘地として注目されてきた。
 なんでも日本初の計画的別荘地なのだそうで、政財界の別荘が町のあちこちにあって、鳳の別荘もそうした一つだ。

 あの江ノ電も、日露戦争前の1902年に開通している。だからどこかレトロなのだろうか。
 二年後の昭和4年(1929年)に小田急江ノ島線が開通した頃からこの辺りも住宅地としても発展していくけど、今はまだ別荘地としての面が強い。

 ただ私達セレブもといブルジョアは、鉄道とは縁遠い。
 警備や護衛の関係で、東京から湘南も車移動せざるを得ない。大人数で鉄道で移動したければ、最低でも1両貸し切らないとダメだそうだ。
 まあ、小さな江ノ電なら貸し切りも不可能じゃない気がするけど、そこまで「お嬢様の我儘」を言う気は無い。
 しかし、せっかく湘南に来たのに、別荘でゴロゴロする以外は、人気のない金持ち用の海岸での海水浴しか許可は出ないのは落胆甚だしいってやつだ。
 一応、江ノ島と鎌倉の大仏と八幡宮には行くけど、私としては「違うそうじゃない」だ。

 前世がオタクだった私としては、湘南は聖地の一つだ。もちろん、江ノ島も鎌倉の大仏も聖地と言えなくもない。だが、江ノ電自体に乗りたい。江ノ電の線路のすぐ向こうに海が広がる、あの道にも行ってみたい。
 まあ、前世でも行ったんだけど。
 けど、この時代にしか見られない景色というものがある。数々の作品のモチーフとなった学校も、遠くから見てみたい。いや、学校ってこの時代にあるのかな。1927年だと、まだない気がする。
 それはともかく、江ノ電を見ずして江ノ島詣でとは言い難い。

 しかしそうした感情は、頭の片隅を占めているに過ぎない。江ノ電に乗りたい発言も、ぶっちゃけ自分への言い訳だ。
 私が夏に江ノ島行きたいとお嬢様チックにゴネたのは、私の末路に関わるかもしれない景色を一度この目に収めておきたかったからだ。

 そう、日本がアメリカとの破滅的な戦争に突入し、そして本土決戦が最後の段階まで進むと、湘南海岸にアメリカ軍が大挙上陸してくる。
 こうして寛いでいるこの別荘も、米軍の猛烈な砲爆撃で跡形もなく吹き飛ばされる事だろう。

 しかも内心少し苛立つのが、日本の状況、特に財閥に関わる私が日本の産業や生産力に関して手を入れ始めている事が、破滅を避けるためにしているのに、結果として破滅を進めているだけかもしれない事だった。
 私の体の主が見せてくれた米軍の湘南上陸の情景は、ほぼ間違いなく先代の「夢見の巫女」が北樺太保有など日本の歴史を変えた影響だろう。
 そして私は、日本の破滅をさらに加速させているだけかもしれない。

 前世の私のいた戦前日本より日本を強くすれば良いと単純に考えが及ぶけど、中途半端に強いと反発も呼びやすい。しかもアメリカは、日本が少しくらい強かろうが叩き潰せるだけの力を持つ化け物国家だ。
 そしてゲーム世界の悪役令嬢としての破滅をどれだけうまく切り抜けても、日本自体が滅亡しては元も子もない。

 けど今は、私の破滅を避け、財閥と一族の破滅を避け、その延長として日本が少しでも良くなると思う事をする以外に出来る事はない。遠くの先が見えなくても、前に進むしかない。
 けど、今でも見る体の主の置き土産の悪夢のせいで、たまに私の心が萎えそうになる。
 そうした弱い気持ちを少しでも抑えつけるため、出来れば克服するために、破滅の場所をこの目に収めようと思った。

「やっぱり、夕方出てきて正解だったな」

「涼しいねー、お兄ちゃん」

「人もいないしねー」

「ここは金持ち用の浜だけどな」

 その日の夕方、鳳の子供達が使用人達に連れられて鵠沼海岸を散策している。
 この時代は、21世紀と違って建物も低いしコンクリートも少ないので、自然な状態に近い浜が広がっている。
 少し遠くに見える江ノ島にも、特徴的な灯台はない。
 そしてこの姿こそ、私が悪夢で見る情景に間違いなかった。
 
「どうしたの玲子ちゃん?」

「ううん。なんでもない。この景色が見たかったから、見入っていたの」

 景色に感情を持って行かれ過ぎていたらしい。私の天使の瑤子ちゃんが、少し心配げに覗き込んでいた。
 だから言葉の後で笑顔を向ける。

「さあ、景色も堪能したし、明日は朝早くに浜に来て泳ぎましょう!」

 まあ、この時代の水着って、大人用も子供用も21世紀基準だと違和感半端ないんだけど。

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気分的には、これで第一幕完って感じです。
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東方会議
共産党が、日本の中国侵略を決定づけた会議と定義している。
当時の常識を敢えて無視して、意図的な論法のすり替えなど、実に共産党らしくて、いっそ清々しいな感じを通り越えて、もはや微笑ましさすら覚えそうになる。

張作霖による北京のソ連大使館捜索
一応ほぼ史実の展開。
しかし史実では、この直後に蒋介石による上海クーデターが起きて、国民党と共産党が分裂して、国民党自体も左右に分裂。
蒋介石が一気に勢力を拡大するべく北京目指して「北伐」を続け、張作霖は惨敗して、28年6月に関東軍に爆殺されてしまう。

江ノ島、湘南
一連の話は史実通り。
明治時代から観光地で、鵠沼は当時別荘地だった。

江ノ島近くの高校
鎌倉高校は、1928年3月31日に創立。惜しい。
七里ヶ浜高校は、1976年創立だから影も形もなし。残念。

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