■「悪役令嬢の十五年戦争」

■  086 「春の弾丸ツアー?(8)」

 春の弾丸ツアーも6日目。
 夜行列車で一晩明ければ、そこは日本海。加賀百万石の石川県だ。
 けど目的地は、金沢じゃない。兼六園とか見てみたい気はするけど、目的は別にある。
 でないと、こんな強行軍で北陸くんだりまでは来たりはしない。本当なら、もっとゆっくりと観光だけで来たい場所だ。

「何もない町ね」

「本当ですね」

「だが、それが良い」

 私とシズに続いて、虎三郎がどこかで聞いたセリフを吐く。
 しかし小松の駅に到着した一行の前には、北陸の田舎駅とその駅前があるだけだった。
 追加二人のごつい男どもも、微妙な表情をしている。

 この当時の小松には飛行場もないし、大阪からの夜行列車がついた金沢は30キロほど先、温泉町はさらに10から20キロほど戻った場所。
 何もないから、戦時中に海軍が飛行場を作ったのだと理解できるような場所だ。

 しかし小さな銅山がこの近くにあった事から、ここに小松製作所が作られた。
 そして私があまり何も知らないまま出資して、町に不釣り合いな工場が駅から見える場所に建設されている。
 その小松製作所は、結局鳳の完全な系列企業になっている。
 というのも、規模拡大に際して中核となる経営者がいなかったからだ。

 なお鳳は、26年末に小松製作所への出資と提携を開始。しかし、創業者の竹内明太郎さんは去年亡くなられたが、息子さんの中に実務や経営で二代目を継ぐという方はおらず。
 そこで、初期の頃から所長を兼務していた、橋本増治郎という人と創業一族との間で話し合いを実施。

 この橋本さん、ダット自動車製造株式会社の社長さんで、小松は社長兼務という事になっている。だから規模を拡大する小松の面倒を全面的に見ている場合じゃない。
 何しろこの頃、起死回生を賭けて絶賛4輪自動車の『DATSON(ダットサン)』を開発中だったりする。
 しかも竹内明太郎さん、ダット社にも色々力を注いでいた人なので、小松を大きくしている場合じゃない。

 そこで鳳が、橋本さんのダット社に出資と援助をする事、そして創業一族の意向を第一とする事を条件に、小松製作所の経営権を事実上握ってしまった。
 と言っても鳳、というか私は国産重機をジャンジャン作りたいだけで、別に小松製作所の経営権とかに興味はない。
 それでも鳳は、自分たちの思うままに小松で重機開発を進められる筈なのだけど、私の思惑とは少しズレていた。
 後の小松製作所を知っているから、すごいネームドな人が重機を開発を引っ張っているのかと思っていたけど、そういう中心になる人がいまいちいなかったからだ。
 橋本さんがそれに当たるけど、相棒と言える竹内さんを亡くしてダットに力を入れ小松は現状維持が精一杯。

 それでも小松は、1930年代に履帯式のトラクターを開発している。だから技術者はいる筈で、あとはリバースエンジニアリングする為の海外製品と資金、施設、そして販路を開く営業があれば、ジャンジャン作って売れるだろうと考え直した。
 売る先がなければ、鳳の工場などを作る際に使えばいいし、政府に献金とかして公共事業をさせればいい。
 28年辺りだと、もうそれくらい考えられるようになっていたので、そのままゴーさせた。
 そして既に生産したトラクターが売れ始めている。

 そして今日、金沢から車に分乗してやってきた私達を出迎えるのは、鳳で機械と重工業に関してのボスである虎三郎の事実上のお弟子さんの筈だった。
 だがしかし、実際は違っていた。

「おお、待っとったぜ」

 出迎えたのは創業者の弟さん。そう、吉田茂外務次官だった。

「それにしても、兄貴の会社に鳳が出資するって話を聞いた時は驚いたぜ」

 どこかべらんめいな気がするが、高知出身が影響しているのだろうか。あと写真でよくみる戦後の姿と違って、まだ頭はそれほど寂しくなっていないし、顔のシワも少なくて、ほっぺもまだブルドックになっていない。
 いかにもやり手で精力的な外交官って感じがする。
 そしてその吉田茂が、何故か私達の前に座っている。あまりのネームド登場に、流石に逃げ出したい。
 マッチョなおっちゃん二人など、吉田さんの随員と一緒にさっさと逃げていった。あの人達はうちで傭兵をしてるだけに、やばいのが直ぐに分かったに違いない。
 しかも、人払い状態なのでシズまでが別室だ。

 一方の私は、虎三郎が私を横に座らせたので逃げるわけにもいかない。取り敢えず、お嬢様の仮面をかぶる事にして虎三郎が何か言うのを待つ。
 だがしかし、虎三郎も車を降りた時のどこかぞんざいな挨拶以外、何も言いださない。今もダンマリだ。
 どうしたのかと思ったところで、小さく肘で脇を小突かれた。

(えっ? 私が相手しろと?)

 思わず虎三郎を見上げると、視線が私から吉田茂さんへと交互に動いている。そういう事だ。吉田茂は、虎三郎では手に負えない相手という事だ。
 まあ、吉田茂なのだから当たり前だ。鳳で相手取れるのは、曾お爺様かお父様な祖父くらいだろう。
 けど今は二人だけ。ここは腹を括るしかない。
 わざと小さくため息を付いてから、吉田茂へと視線を据える。その視線の向こうの吉田茂は、どこか面白がるような目と表情で私を見ていた。

「えーっと、吉田様相手に取り繕っても無駄だと思うから、いつも通り行かせてもらいますね」

 とはいえ、流石に丁寧語だ。

「おう、それを待ってた。で、『鳳の巫女』様は何しに来た? 兄貴の会社に何をさせたい?」

「えっ? そりゃあ重機をジャンジャン作ってもらうんですけど」

「それだけじゃないだろ」

「戦車も作ってもらいます。あとは、最終的にアメリカのキャタピラー社を倒してくれたら万々歳ですけど、半世紀くらい先にその半分くらいを期待しています」

 取り敢えず歯に衣着せぬな感じで話してやったら、吉田茂は妙に感心していた。

「ホーッ。未来の夢を見ると聞いたが、そんな先まで見えているのか? なら、わしはどうなる?」

 腹を割るどころの話し方ではない。かと言って、馬鹿にしているのでもない。試しているのでもなさそうだ。

(純粋な興味本位か・・・じゃあ、言ってしまおう)

「私の見た夢は、ある時点からの歴史をひと繋がりで見せてくれます。その中での日本は・・・」

「いやいや、聞きたいのはわしの将来なんだが?」

「ええ、吉田様は日本の将来を背負われますから、関係ありますよ」

「本当か? わしがそんな地位に? 何がどうなれば、わしがそんな立場になるんだ? そりゃあ上には行きたいが・・・つまり、嬢ちゃんの見た日本は、どエライ変化が起きるんだな」

(凄い。すぐに推測しちゃうなんて。流石SSR級のネームド。頭の出来が違う。もう私の代わりしてくれてもいいかも。
 石原莞爾並みかそれ以上だ。あれとは少しベクトルと感性が違うから、この人の場合知識と経験で、あれの場合は天才だからだろうけど)

「どうかしたかい?」

「い、いえ、その通りです。ただこれ以上話すのは、角が立つからあまり話したくはないんですけど」

「だろうな。ま、わしのことはいい。それにその未来の夢通りになるとは限らないんだろ」

「はい。鳳はそうならないように、動いています」

「その動きの一つが小松への手出しで、欲しいのは戦車はともかく重機だと? よく見えないな」

「えーっと、重機、ブルドーザーという地均しをする機械は、人夫100人が半日がかりでする事を、1台で1時間で出来てしまいます。アメリカではそんな機械が、もう沢山動いています。あるとないじゃあ、勝負にもならないんです」

「ホーッ。わしはそういう所には目がいかなかったが、やっぱり商売してる人の見てるところは違うもんだな。で、なんで小松なんだ?」

「ここ以外、履帯、無限軌道で走る機械を日本で作ろうって会社が無いからです。あと日本国内だと、陸軍の大阪造兵工廠くらいですから、小松に作ってもらうしかないんです」

「そうなのか。だがよぉ、欧州は前の戦争で重機に似た戦車を何百、何千と作っただろ。そんなに難しいものなのか?」

「難しいですよ。現にその戦車を国産できる国は、フランス、イギリス以外だと、アメリカがようやく試作の軽戦車を開発したくらいです。日本も、この4月に陸軍が苦労して開発した試作戦車が完成予定ですね。しかも英仏も、大戦後に戦車は新規開発していません」

「ドイツはともかく露助もないのか?」

「ええ。今のソビエト連邦ロシアは、まだ重工業の基礎を作ったばかりで、戦車開発はこれからですね。いざ作り出したら、凄い勢いでしょうけど」

「そいつは願い下げしたいところだな」

 流石の吉田茂も、赤いロシアには打つ手なしらしい。
 まあ、そうだろう。

 

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小松製作所:
世界第二位の重機メーカー。自衛隊の車両も作っていた。

ダット自動車製造株式会社:
最初の名前は快進社。純国産自動車の第一号を作った会社。
1934年に日本自動車株式会社、つまり日産に合体進化を果たす。

吉田茂:
何か言う必要があるだろうか。
とりあえず作中で書いている通りの系譜。
小松製作所を調べるまで、筆者も知らなかった。
あとは・・・1929年春だとちょうど50歳。

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